澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

今日は、家永教科書訴訟提訴記念日

(2022年6月12日)
 今朝、浪本勝年さんからメールをいただいた。
 「本日(6.12)は歴史学者・家永三郎さん(当時・東京教育大学教授)が1965年6月12日、教科書訴訟を提起した記念すべき日です(もっとも、人それぞれに感慨は異なるでしょうが…)。
 小生は当時、大学4年生。宗像誠也先生から、事実上の「予告」を受けていましたので、この日の記憶は鮮明で強いものがあります。
 当日入手した夕刊2紙(朝日・毎日)及び家永さんの「声明」の3点をお届けします(添付ファイル参照)。」

 念のため、吉川弘文館の「日本史総合年表」を検索してみたら、1965年6月12日欄に、次の記載がある。

 「家永三郎、自著の高等学校教科書『新日本史』の検定不合格をめぐり教科書検定制度を違憲とし、国に対する損害賠償請求を東京地裁に提訴。(9月18日「歴史学関係者の会」、10月10日「教科書検定訴訟を支援する全国連絡会」それぞれ結成)」

 そして、家永さんの「声明」は、以下のとおり。

声  明

 私はここ十年余りの間、社会科日本史教科書の著者として、教科書検定がいかに不法なものであるか、いくたびも身をもって味わってまいりましたが、昭和三十八、九両年度の検定にいたっては、もはやがまんできないほどの極端な段階に達したと考えざるをえなくなりましたので、法律に訴えて正義の回復をはかるために、あえてこの訴訟を起こすことを決意いたしました。
 憲法・教育基本法をふみにじり、国民の意識から平和主義・民主主義の精神を摘みとろうとする現在の検定の実態に対し、あの悲惨な体験を経てきた日本人の一人としても、だまってこれをみのがすわけにはいきません。裁判所の公正なる判断によって、現行検定が教育行政の正当なわくを超えた違法の権力行使であることの明らかにされること、この訴訟において原告としての私の求めるところは、ただこの一点に尽きます。

昭和四十年六月十二日

家永三郎

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 当時私は、浪本さんより一学年下の文学部社会学科3年生。もっぱらアルバイトに忙しく、授業への出席率は極めて低かった。残念ながら家永教科書訴訟提訴の日の記憶はない。この声明文も初めて見た。へ?、家永さん、当時は西暦でなく、元号使っていたんだ。

 この声明の中の、「法律に訴えて正義の回復をはかるために、あえてこの訴訟を起こすことを決意いたしました」という、家永さんの決意がまぶしい。当時の司法は、比較的真っ当だった。田中耕太郎・反共長官(2代目)と石田和外・反動長官(5代目)の最悪時代の谷間にあって、裁判所が「正義の回復をはかる場」としての信頼を勝ち得ていた時代なのだ。

 周知のとおり、家永教科書訴訟は大裁判となった。表現の自由・教育の自由・学問の自由をテーマに、憲法原則を支持する勢力と保守政権とがわたりあった。訴訟は、1次から3次にまで至り、最終確定まで32年を要した。

 《教育裁判》と《教育の自由を求める市民運動》とが理想的に結びついた典型例が作られ、多くの市民が教育本来のあり方に関心を寄せ、教科書の内容を監視するようになった。教科書訴訟支援運動が、多くのリベラルな活動家を育てた。

 第二次訴訟(1967年6月提訴)は、検定不合格を不当として、その取消しを求めた行政訴訟(処分取消訴訟)である。その第一審判決が《杉本判決》として知られるものとなっている。

 1970年7月17日東京地方裁判所は、国家の教育権を否定して、家永教科書に対する検定を憲法・教育基本法に違反する、との画期的な判決を言い渡した。この判決は、杉本良吉裁判長の名をとって《杉本判決》と呼ばれている。《杉本判決》を象徴として、家永教科書裁判は、国民各層に教育政策への関心を喚起するとともに、教育権理論を深化させる役割を果たしたと評価されている。また、いくつもの制度の改正も実現している。その、教育権論争を中心とする理論的成果と、教育民主化の運動は、「日の丸・君が代」訴訟とその支援運動に引き継がれている。

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Published in 日曜日, 6月 12th, 2022, at 18:46, and filed under 教科書, 教育.

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