戦闘中の機雷掃海は積極的戦闘行為である
安保法制懇報告を受けての5月15日首相記者会見は今や指弾の的。リアリティのない状況設定をむりやりに拵えあげて、集団的自衛権行使容認のための世論つくりをねらった姑息なやり口と悪評この上ない。
とはいうものの、同日の記者会見の席上、首相は「自衛隊が武力行使を目的として湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してない」と確かに言った。これは集団安全保障への日本の参加はないことを明言したものである。さすがに集団的自衛権行使容認だけで手いっぱい、それ以上ははむりだと判断して先送りとしたのだな、そう了解した。
ところで、これまで当ブログは、わが国の首相の言動について、「悪徳商法セールスの才能豊か」「『コントロールとブロック』のウソでオリンピック招致を掠めとった」などと酷評してきた。だから、国民は軽々に危険なこの人物の言うことを信用してはいけないと警告してきたつもり。自分は欺されないとの思い込みを前提にしてのこと。
ところが、昨日(6月20日)の朝刊トップの見出しにおどろいた。「集団安保でも武力行使 政府自民容認へ転換」(朝日)、「集団安保で武力行使 政府・与党調整」(毎日)。与党協議を経ての閣議決定には、集団的自衛権行使容認だけでなく、集団安全保障における武力行使容認まで含まれるというのだ。えっ? 5月15日会見はウソだったか。私もころっと欺されていた。警戒心が足りなかった。
反省して、あらためて教訓を胸に刻んでおこう。
「安倍の話は、たっぷりと眉に唾を付けて聞け」
6月19日に突如として降って湧いたように、自民党は「国連の集団安全保障での武力行使にも自衛隊が参加できるようにすべきだ」と言いだした。こういうのを、「どさくさ紛れ」「火事場泥棒」というのではないか。いや、悪徳商法のあの常套手法、「高い値段をふっかけて、半値にまけて買わせる」ことを狙っているのだろうか。憲法がもてあそばれている。
これまでの与党協議では、自衛権の話しをしていたはず。「集団的自衛権とは『他国防衛のための武力行使を認める』ということ自衛とは無関係ではないか」などと議論していたはずが、自衛とも他衛とも無関係の、集団安全保障という「特定国に対する武力制裁の話し」にまで進行してしまっている。
「政府・自民党の提案は、安倍晋三首相が意欲を示すシーレーン(海上交通路)での戦闘中の機雷掃海を、集団的自衛権だけでなく、集団安全保障としてもできるようにするのが狙いだ」というのが各紙のもっぱらの見方。
「安倍首相は‥今月9日の参院決算委員会では、武力の行使には2種類あると説明。『爆撃を行ったり、部隊を上陸させて戦闘させたりする行為』である武力行使は行わない一方、『受動的かつ限定的な行為で性格を異にする』機雷掃海は行うべきだと主張した」という(6月21日「毎日・クローズアップ2014」)。自民党は「集団的自衛権の行使としての機雷除去が集団安全保障に切り替わったら継続できないのはおかしい」とも言っているようだ。ホルムズ海峡に敷設された機雷の掃海に争点が移ってきた如くである。掃海は受動的かつ限定的な防御行為であるのだから、集団的自衛権の行使としても、集団安全保障の武力行使としてであろうとも、最小限度性をクリヤーできるのではないか、と語られているわけだ。
同様の議論を20年前にたっぷりした経験がある。1991年の湾岸戦争の時のことだ。時の首相は海部俊樹。自民党の幹事長が小澤一郎だった。政府は海上自衛隊の掃海艇部隊をペルシャ湾に派遣した。戦後の日本にとって、はじめの海外軍事行動である。また、日本は多国籍軍に対して90億ドル(当時のレートで1兆2000億円)の戦費を負担した。
この掃海艇派遣と戦費の支出を差し止めようという1000人余の提訴が、市民平和訴訟であった。私が弁護団の事務局長を務めた。そのとき、なじみのない軍事用語に向き合った。掃海とか航路啓開の手法を学んだ。掃海艇がすべて木造船であること、機雷の種類も多種あって、海上自衛隊の掃海能力が国際的に高水準にあることなども初めて知って驚いた。このとき軍事知識の基本を教えてくれたのが大江志乃夫さん。大江さんがなによりも強調したのは、掃海あるいは航路啓開という行為は、海上の戦闘に不可欠で優れて戦闘そのものというべき積極的行為だということ。
防御行為と攻撃行為とは、常に一体としてある。戦闘行為の一部を切りとって、攻撃とは無縁の受動的な防御行為というのは詭弁に過ぎない。「攻撃こそ最大の防御である」とは言い古された言葉であり、「防御を固めておればこそ、強い攻撃に徹することができる」ことも理の当然である。しかし、掃海の戦闘行為としての積極性はそのレベルではない。
堂々たる大艦巨砲の進路を啓開するのが掃海艇の役割。いわば、掃海艇は、戦艦や駆逐艦、潜水艦の艦隊を後に従えて先頭を行く尖兵なのだ。爆撃機を護衛する戦闘機の役割を「防御」という者はない。掃海も同じことなのだ。だから、自衛隊による機雷掃海とは、まさしく積極的戦闘参加行為であって、これを「受動的・限定的」などという言い訳が通じるはずもなく、機雷敷設国から日本に対する反撃を覚悟しなければならない。
だから、湾岸戦争が終結する以前には掃海部隊の派遣はできるはずもないとされた。掃海艇が出航したのは、湾岸戦争終了後、PKO協力法に基づいてのことだった。戦争終結後は無主の浮遊物となった機雷の除去は戦闘参加ではないと確認してのことである。それでも反対世論は沸騰した。
しかしあの頃、「戦争終結以前に、多国籍軍の一員として、戦闘海域に自衛隊の掃海艇を派遣して多国籍軍艦隊の航路を啓開せよ」などという乱暴な議論は聞かなかった。いま、臆面もなくそのことが言い出されている。当時の「海部・小澤」と、今の「安倍・石破」との危険度の開きの大きさを痛感せざるを得ない。
(2014年6月21日)