寄席で考える政教分離
梅雨の晴れ間。久しぶりの池袋演芸場昼席。取り立ててお目当てがあったわけではないが、柳家さん喬が出ていた。これは儲けもの。「替わり目」の一席だったが、志ん生の「替わり目」とは違う、独自に練りあげたさん喬の世界が現出した。
寄席に出掛けて、来なきゃよかったと悔やんだことはない。芸人たちのプロとしての水準にいつも感心させられる。とりわけ今日は良かった。鈴本とは違った小さな小屋。演者と客との距離が近い。プロといえども、的確な客の反応に乗せられないはずはない。庶民が作りあげ、支えてきた確かな文化のかたちがある。
プロの演者がいて、何千という演目があり、定席がある。そしてなによりも、カネと時間を惜しまず寄席に足を運ぶ庶民がいて作りあげられている文化だ。一朝一夕にできあがったものではない。客の好みで噺は淘汰され、また新しく生まれてくる。落語を愛する庶民が健在である限りプロの噺家の輩出が途絶えることはない。今日の演者も介護士から転職したと自分を語った二つ目。就職列車で新潟から上京してきたことを語ったベテラン。噺家の個性は実に豊かだ。そして演目の重なりはない。漫才や切り紙などの色物も楽しかった。落語万歳。寄席の未来に幸あれ。
本日トリを執ったのは歌武蔵。ドスの利いた声で「ただいまの勝負について申しあげます」との開口一番で客を湧かせた。元は、武蔵川部屋の力士だったという変わり種。四股名は森武蔵だったとか。
長いマクラのあとに巨体の迫力が演じたネタは「宗論」だった。メジャーな噺ではないが、寄席にはよくかかる。今日の歌武蔵の宗論も出来のよい爆笑の連続。
原型は、真宗と法華の「宗論」を題材とした古典落語なのだという。それが、ご存じのとおりの、真宗門徒の大旦那の父親と、キリスト教信者の若旦那の熱烈な「宗論」に改作されて今日に至っている。信仰の対立は、伝統文化と新興文化の対立でもある。そして、「古い父親」と「新しい息子」の対立という図式。
父親が阿弥陀信仰のありがたさを語るが息子の耳にははいらない。替わって、息子がキリストのありがたさを語るのだが、これがかなりきついキリスト教への揶揄となっている。釈迦も阿弥陀もそしてキリストも、現代日本の文化の中では、安心して揶揄できるというお約束。仏教もキリスト教も成熟し、批判や揶揄を許容する寛容さをもつに至っている。
未熟な人や団体や文化は、批判や揶揄に過敏であり非寛容である。今日の池袋演芸場の客席にも門徒も信者もいたのであろうが、おそらくは他の客と一緒に笑うことができたであろうと思う。
しかし、「宗論」のレベルで、マホメットやイスラム教を揶揄することができるだろうか。筑波大学構内での「悪魔の詩訳者殺人事件」を思い出してしまうのは偏見だろうか。日本を離れた世界の各地で、宗教対立は想像を絶する深刻さ。
宗教・宗派の対立は実に厄介な問題。政治がこれに介入してはならない。宗教と権力とはお互いに相寄って利用し合おうとする衝動をもっている。この接近を許してはならないとするのが政教分離原則である。
「宗論」のストーリーでは、父親は、阿弥陀信仰を理解しようとせずキリストの教義を言い募る息子に業を煮やして殴りつける。息子は、いったんは「右の頬をおぶちになりましたね。左の頬もどうぞ」と言うのだが、「お父さん、本当に左の頬までやりましたね。もう我慢できない」と修羅場になってしまう。これは親子の間だからこその笑い話。権力が息子の信仰を弾圧したのでは、落とし噺にも、シャレにもならない。それこそシリアスなキリシタン弾圧の歴史物語。キリスト教への弾圧や社会の偏見がごく小さくなって初めて、「宗論」という落語が成立することになったと言えよう。
それにしても、真宗とキリスト教、どちらが正しいかなど論証不可能な世界での論争の行きつくところを示すストーリー展開である。お互い、相手よりも優越していることの説得などできはしないのだ。あの宮沢賢治でさえも、父親政次郎を真宗から日蓮宗に改宗させようと努力して、できなかった。第三者としては、どちらの信仰も尊重するとしか言いようがない。
「宗論はどちらが負けても釈迦の恥」というフレーズが出てくる。これは、当事者に対する戒め。第三者としては、「宗論のどちらに加担しても憎まれる」「触らぬ神に祟りなし」とするしかない。とりわけ権力者には、これが肝に銘ずべき教訓だ。
爆笑の中で、政教分離を考えさせられた「宗論」であった。
(2014年6月22日)