沖縄戦「慰霊の日」に不再戦を誓う
沖縄県には、2か条の「沖縄県慰霊の日を定める条例」がある。1974年10月21日に制定されたもの。その全文が以下のとおり。
「第1条 我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失つた冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため、慰霊の日を定める。
第2条 慰霊の日は、6月23日とする。」
本日が、その沖縄県の「慰霊の日」。「その日は県はもちろん県下の全市町村とも閉庁となり、沖縄戦の最後の激戦地であった南部の戦跡地で『沖縄全戦役者追悼式』が行われます」(大田昌秀「沖縄 平和の礎」岩波新書)。
この日の慰霊の対象は全戦没者である。戦争の犠牲となった「尊い生命」に敵味方の分け隔てのあろうはずはなく、軍人と民間人の区別もあり得ない。男性も女性も、大人も子どもも、日本人も朝鮮人も中国人も米国人も、すべて等しく「その死を悼み慰める」対象とする。「戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求する」立ち場からは、当然にそうならざるを得ない。
味方だけを慰霊する、皇軍の軍人・軍属だけを祀る、という靖国の思想の偏頗さは微塵もない。一途にひたすらに、すべての人の命を大切にして平和を希求する日。それが、今日、6月23日。
6月23日は沖縄戦終了の日とされる。酸鼻を極めた国内で唯一の地上戦終了の日。第32軍(沖縄守備軍)司令官牛島満と長勇参謀長が自決し、旧日本軍の組織的な戦闘が終わった日をもって、沖縄戦終了の日というのだ。
私は、学生時代に、初めてのパスポートを手に、ドルの支配する沖縄を訪れた。右側の車線を走るバスで南部の戦跡を回った。牛島中将の割腹の姿を模したものという黎明の塔を見て6月23日を脳裡に刻した。沖縄戦は1945年4月1日の米軍沖縄本島上陸から牛島割腹の6月23日までと教えられた。
大田昌秀はこれに異を唱えている。終戦50年を記念して、知事として沖縄戦の犠牲者のすべての名を永遠に記録しようという「平和の礎」建設の計画に関連して語っている。
「さて、沖縄戦で亡くなられた方々のお名前を刻んでいこうとする場合に、沖縄戦がいつ始まっていつ終わったのかがはっきりしないと非常に困ります。ところが、その簡単に思えるようなことでも、意見が分かれているのです。」
大田は、1945年3月26日米軍の慶良間諸島上陸から、米第10陸軍沖司令官スチルウェル大将との間で降伏文書の正式調印がなされた9月7日までという。形式的な問題ではなく、そのようにしないと3月の慶良間諸島住民700人の集団自決強要の犠牲者や、6月26日久米島での地元の住民40人の死(その半数は日本海軍の兵隊によって殺戮されたと表現している)などが沖縄戦の慰霊対象から落ちてしまう、という(前掲書)。なお、大田は久米島の出身である。
毎日新聞「今日沖縄慰霊の日」の関連記事に、懐かしい顔の写真が掲載されている。端慶山茂君。司法修習同期の沖縄出身弁護士。1年4か月の東京での実務修習を一緒にした。国に対して法的な戦争責任を追求する訴訟を始めたと報道されている。
「沖縄本島で地上戦が本格化する前にも、日本の支配下にあったサイパンやパラオなどの南洋諸島に移り住み、米軍との戦闘(南洋戦)で命を落とした沖縄の人々が大勢いた。民間人2万5000人以上が死亡し、補償から外れた被害者や遺族も1万人以上いるとされるが、国の調査は行われておらず、実態は今も不明のままだ。23日は、沖縄戦の戦没者を弔う沖縄慰霊の日だが、南洋戦に巻き込まれた32人は、国に賠償を求めて那覇地裁で争っている。」という。
毎日の記事は、こう伝えている。
「南洋諸島には日本の植民地政策のもと、沖縄県を中心に約10万人の民間人が移住した。瑞慶山(ずけやま)茂さん(71)の両親も、沖縄からパラオのコロール島に移住した。1歳だった1944年夏、米軍の攻撃を受けて島から逃れようと一家が乗った船が沈没した。瑞慶山さんは母に抱かれて漂流中に救助されたが、3歳の姉はおぼれて亡くなった。後に母から聞かされたこの時の話が忘れられず、被害者を掘り起こして訴訟を起こすことを決意した。」
鉄の暴風と言われた沖縄戦のことはともかく、南方植民地の悲惨な経験については、彼から聞かされたことはない。確か北部の辺土名の出身と記憶している。パラオのできごととは結びつかない。当時は語るべく心の整理ができていなかったのではないだろうか。いまや、その訴訟がライフワークなのだろう。
訴訟は、「(国の)国民を保護する義務に違反した責任、戦争行為で民間人の命を危険にさらした責任、戦後70年近く損害の回復を怠った責任を問い、国に謝罪と1人当たり1100万円の損害賠償を求めている」という。
戦争の惨禍は国がもたらすもの。過去の戦争の被害については、端慶山君に倣って、徹底して国家の責任を追求しよう。そのことが、再びの戦争の惨禍を防止することにつながる。
今日は、「慰霊」の日。死者を悼み慰めることは、再びの戦争を絶対に繰り返さないと誓いを新たにすることでもある。集団的自衛権の行使容認にも、集団安全保障としての武力行使にも反対の意思を再確認する日だ。
(2014年6月23日)