年の瀬に、旧年を振り返る。
(2022年12月30日)
2022年が間もなく暮れてゆく。この年を振り返って、世界を揺るがした最大の出来事は、疑いもなく「プーチン・ロシア」によるウクライナ侵略である。事前には、まさかそんなことが現実にはなるまいと楽観していただけに、衝撃は大きかった。
2月24日の開戦以来、無数の人が無惨にも殺され傷付けられた。戦闘員も非戦闘員も、男も女も老人も子供も。多くの家が焼かれ、街が焼失し、家族が引き裂かれた。故郷を追われて逃げざるを得ない人が難民となって世界に散らばった。どこの国でも、殺人・傷害・放火・略奪の犯罪となる行為が、戦争の名で大規模に実行された。悲惨な歴史が繰り返されている。人類は、少しも賢くなっていないのだ。
この戦争の勃発が、我が国の安全保障に関する世論や政策に与えた影響も衝撃だった。右派勢力は大声で叫んでいる。「9条が前提とする国際環境は崩壊した」「9条の理念では国を守ることができない」「国民自身が、自らの国を守る覚悟をもたねばならない」「軍備の充実なくして国家の安泰はない」「防衛費を倍増せよ」
さらには、具体的にこうも言う。「今日のロシアは、明日の中国であり北朝鮮である」「中国・北朝鮮からの攻撃に備えよ」「防衛力の整備こそが、敵の攻撃の意図を思いとどまらせる」「古来言われているとおり、『平和を欲せば戦争の準備が必要』なのだ」。
だから、「専守防衛論は、今や誤りである」「敵基地攻撃能力の保有こそが不可避の安全保障政策である」「敵基地とは、ミサイル発射基地のみを意味するものではない。戦略的指揮系統の中枢を含むものでなくては意味がない」「自衛力を最小限度の実力に限定してはならない」「敵の攻撃が確認された後にのみ反撃できるとするのでは遅く実効性に欠ける」「敵が攻撃に着手することが明確になれば、躊躇のない反撃ができなくてはならない」
かくて、攻撃的な武器の取得を自制してきた防衛政策は大転換されようとしている。スタンドオフミサイルを備えようというのだ。1機2億とも3億とも言われるトマホークを500機も購入するという。
この道は、いつか来た道だ。暴支膺懲、鬼畜米英…。いつも我が国のみが正しい。我が国の軍備は自衛のためのやむを得ないもので、邪悪な諸国が我が国を狙っている。自衛のための装備の充実、自衛のための攻撃能力、そして、自衛のための先制攻撃。
こうして、相互が軍事優越を求めての悪循環に陥る。安全保障のジレンマこそが、悪魔のささやき、唆しである。こうなってはならないとするのが、9条の理念である。今、その実効性が試されてる時を迎えている。
そして、今年の国内ニュース最大の衝撃は、7月8日の安部晋三銃撃事件である。第一報での背筋の寒い思いは、テロの時代の到来かという恐怖感だった。幸い、この銃撃は、政治的な主張貫徹のための殺人ではなかった。その後に続く報復的なテロは起きていない。宮台真司襲撃事件の未解決が気がかりではあるが。
この事件の影響はまったく思いがけないものとなった。銃撃事件の被害者が悲劇の殉教者に仕立て上げられるのではと一瞬は考えた。保守政権は、当然にそのような思惑で動いた。改憲を悲願とした国家主義政治家安倍晋三をテロの殉教者とすれば、改憲に国民意識を動員できるだろう。おそらくはこのような思惑からの政治利用が安倍国葬強行の動機であったろう。
しかし、この政治利用は成功しなかった。世論は銃撃犯の動機に同情し、安倍晋三は銃撃犯に象徴される多くの統一教会信者の悲劇への加害者と捉えられた。しかも、岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三の3代にわたるカルトとの深い結びつきが国民の目に晒されることとなった。
安倍晋三だけではなく、自民党そのものの加害責任を問う声が高まる中で歳を越すことになる。年明け、銃撃犯山上徹也が起訴されてその刑事訴訟が始まる。統一教会と安倍晋三との関係が、さらに深く暴かれることになるだろう。統一教会への解散命令請求も避けて通ることのできない事態に立ち至っている。そして、統一教会が起こしたスラップ訴訟には、私も関与している。
気候変動問題に展望は開けない。コロナもおさまらない。日本の経済力は長期低落の中で危機的な状況だという。国民生活の低迷と格差の開きは厳しい。原発再稼働のみならず造設問題には腹が立つばかり。政治とカネの醜悪な関わりは、いっこうに改善されない。日本学術会議問題や大学の自治も心配でならない。国家主義の傾向進展も危うい。ヘイトや差別の問題も解消にはほど遠い…。
問題山積の年の瀬である。嘆いてばかりはいられない。力を合わせて何とかしなければならない。微力な者どうしで。