元検察トップ14氏の「検察庁法案反対意見書」に励まされる。
本日(5月15日)元検察トップ14氏が連名で、法務大臣宛に提出した話題の意見書。下記URLで全文が読める。
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20200515002893.html
一読して驚いた。わくわくするような躍動感あふれる語り口で、感動的ですらある。よく練れた文章で、具体的なエピソードにも富み、とても読みやすい。法の支配や立憲主義、権力分立などの理念を大切にしようという真摯さに溢れている。検察官の政権からの独立を大切なものと訴えながら、検察独善とならぬよう戒めてもいる。これは素晴らしい。
とは言え、かなりの長文である。まずは、私の抜粋(4パラグラフ)から、お読みいただくのが、楽だろう。
まずは、結論部分は以下のとおりである。この文書は、形式上14氏が作成した「法務大臣宛意見書」だが、実は全国民に宛てた檄文でもあるのだ。そのような趣旨として、私たちはこの意見書を受けとめなければならないと思う。
正しいことが正しく行われる国家社会でなくてはならない。
黒川検事長の定年延長閣議決定、今回の検察庁法改正案提出と続く一連の動きは、検察の組織を弱体化して時の政権の意のままに動く組織に改変させようとする動きであり、ロッキード世代として看過し得ないものである。関係者がこの検察庁法改正の問題を賢察され、内閣が潔くこの改正法案中、検察幹部の定年延長を認める規定は撤回することを期待し、あくまで維持するというのであれば、与党野党の境界を超えて多くの国会議員と法曹人、そして心ある国民すべてがこの検察庁法改正案に断固反対の声を上げてこれを阻止する行動に出ることを期待してやまない。
なんという直截で飾らない訴えであろうか。「検察の組織を弱体化して時の政権の意のままに動く組織に改変させようとする動き」を看過してはならないという。そんなことを許せば、私たちの国家社会は、正しいことが正しく行われる社会ではなくなってしまう。内閣が法案を撤回すればよし、さもなくば「多くの国会議員と法曹人、そして心ある国民すべてがこの検察庁法改正案に断固反対の声を上げてこれを阻止する行動に出る」べきだと言うのだ。この悲痛な声が、かつて検察幹部だった人たちから発せられているのだ。
今、検察制度に関して、国民の眼前に大きな二つの問題がある。その一つは、黒川検事長定年延長の閣議決定である。この閣議決定について意見書は、法的根拠ないものと断じている。
この閣議決定による黒川氏の定年延長は検察庁法に基づかないものであり、黒川氏の留任には法的根拠はない。この点については、日弁連会長以下全国35を超える弁護士会の会長が反対声明を出したが、内閣はこの閣議決定を撤回せず、黒川氏の定年を超えての留任という異常な状態が現在も続いている。
そして、もう一つの問題が、黒川検事長定年延長合法化に端を発した検察庁法改正問題である。改正法案の検察官定年延長導入について、意見書はこう言う。
注意すべきは、この規定は内閣の裁量で次長検事および検事長の定年延長を可能とする内容であり、前記の閣僚会議によって黒川検事長の定年延長を決定した違法な決議を後追いで容認しようとするものである。これまで政界と検察との両者間には検察官の人事に政治は介入しないという確立した慣例があり、その慣例がきちんと守られてきた。これは「検察を政治の影響から切りはなすための知恵」とされている(元検事総長伊藤栄樹著「だまされる検事」)。検察庁法は、組織の長に事故があるときまたは欠けたときに備えて臨時職務代行の制度(同法13条)を設けており、定年延長によって対応することは毫(ごう)も想定していなかったし、これからも同様であろうと思われる。
今回の法改正は、検察の人事に政治権力が介入することを正当化し、政権の意に沿わない検察の動きを封じ込め、検察の力を殺(そ)ぐことを意図していると考えられる。
まことに明快で、分かり易い。では、「検察の人事に政治権力が介入することを正当化し、政権の意に沿わない検察の動きを封じ込め」ようという法案が、どうして提案されるに至っているのだろうか。その背景事情について、意見書はこう述べている。
本年2月13日衆議院本会議で、安倍総理大臣は「検察官にも国家公務員法の適用があると従来の解釈を変更することにした」旨述べた。これは、本来国会の権限である法律改正の手続きを経ずに内閣による解釈だけで法律の解釈運用を変更したという宣言であって、フランスの絶対王制を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる「朕(ちん)は国家である」との中世の亡霊のような言葉を彷彿(ほうふつ)させるような姿勢であり、近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない危険性を含んでいる。
時代背景は異なるが17世紀の高名な政治思想家ジョン・ロックはその著「統治二論」(加藤節訳、岩波文庫)の中で「法が終わるところ、暴政が始まる」と警告している。心すべき言葉である。
これも分かり易い。確かに、アベ政権には「朕は国家である」と口にした亡霊が憑依している。立憲主義も、三権分立も、法の支配も、まったく理解していないのだ。意見書は、「法が終わるところ、暴政が始まる」と警告を発している。この文脈での「法の終わり」は、《黒川検事長の違法留任の放置》と《検察の人事に政治権力介入を許容する仕掛けの定年制導入》である。このアベ政権の法の無視を許せば、いよいよ本格的な「アベの暴政が始まる」ことになりかねない。「検察庁法改正案に断固反対の声を上げてこれを阻止する行動に出る」しかないではないか。
(2020年5月15日)