澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

コロナ禍のさなかの革命記念日、国は何のためにあるかを考える。

(2020年7月14日)
本郷三丁目の皆様。また、新型コロナ感染者が増えています。たいへん憂鬱な梅雨のさなかですが、少しの間、お耳をお貸しください。

本日は7月14日、フランスの革命記念日に当たります。1789年の今日、蜂起したパリの民衆がバスティーユに押し寄せ政治犯を解放しました。これがフランス大革命の始まりとされています。

この革命でブルボン王朝は倒れ、王の政治に代わる市民の政治が始まりました。新たにできた共和国は、自由と平等を掲げた憲法を制定し、市民自身による政治を始めたのです。

しかし、必ずしも、「自由と平等」とは国民に幸せをもたらしませんでした。新しい憲法が神聖不可侵の権利としたものは、所有権の絶対でした。これは、資本主義経済における資本の活動の野放図な自由を認めるもの。結局は、一握りの持てる者が、持たざる者を搾取する社会となったのです。長時間の低賃金労働が当然のこととされました。女性労働、少年労働はとりわけ苛酷な扱いを受けました。これに抵抗する労働運動が起き、労働運動を支える社会運動や政党が生まれ、これに対する政府の弾圧が生じ、弾圧に対する激しい抵抗が起こり…。こうして、労働者の権利は、少しずつ確かなものになっていったのです。

20世紀に入って、各国の憲法は、社会国家あるいは福祉国家の理念を掲げるようになりました。資本主義経済を前提としながらも、資本の欲しいままの利益擁護を最優先の価値とはせず、国民の福祉を最優先として、これに抵触する場合は資本の利益も制約されることになりました。

国家は何のためにあるか。「朕は国家なり」という王政時代には国家は王の利益のためにありました。市民革命後は、資本の利益のために社会の秩序を擁護する国家が必要となりました。そして今は、国民一人ひとりの利益を護るために国家が必要となっているのです。

そんなことは普段意識しないことですが、コロナ禍のさなか、この危急の事態では、考えざるを得ません。私たちが主権者として、つくって運営しているこの国は、果たして何のためにあるのか。そして、その役割を果たしているのか。

憲法25条は、 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と定めています。私たちの国は、国民の暮らしの向上を最も大切なものとし、国民の豊かな生活を実現するためにこそ国はある。そう言ってよいと思います。

資本主義経済社会は、資本の利潤追求の自由を容認することで成り立っています。必然的に格差や貧困を生み出します。この国に生きる多くの人々は、格差や貧困の中に暮らさざるを得ません。

この国の政府は、資本主義経済の市場原理を尊重しつつも、格差や貧困に基づく国民の経済的な苦労を克服し、全ての国民が豊かに暮らせるよう、政治を行わなければなりません。安倍内閣は、その期待に応えているでしょうか。

コロナ禍はこの社会の経済的弱者を直撃しています。この人たちにこそ、支援が必要です。アベノマスクを各所帯に2枚ずつは確かに支給を受けました。特別支給金10万円も受領しました。しかし、焼け石に水、当然に足りません。

平時には必ずしも自明とは気付かされない国家の責務が、国民生活が逼迫して生存権が危うくなっているこの危急の事態に浮かび上がっています。はたして政権は、国家の基本的な責務を全うしているだろうか。

7月14日、革命記念日に、私たちの国は何のために存在し、何をすべきであるのか、そしてなすべきことをしているのかを考えたいと思います。

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「本郷・湯島九条の会」石井 彰

小雨のなか、お疲れさまでした。きょうは6人の方々が参加されコロナ禍での安倍政権、都政の無策を糾弾しました。

コロナ危機を体験している今のわたしたちはこれまで気づかなかった多くのこと知らされている現実を訴えました。とりわけ生活格差です。憲法25条を文字通り実現させることの大切さを語り、2項に書かれている「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなけばならない」。
まさにこんにちのコロナ禍を国は全力で対処する責務があります。
国家とは何か。権力者ためにあるのか、国民のためにあるのか、この訴えは赤信号で待っている人々に届いているようでした。何人もの方が頷いていました。

「黒川前検事長不起訴、検察許すも、国民許さん」「東京だってゼロメートル地帯、防災対策を」「イージス・アショアの失敗、虫の良すぎる敵基地攻撃準備、憲法違反」といったプラスターを持っていると路ゆく人々が見入っている姿も多く見られました。

途中で電池が切れるというアクシデントもありましたが、戦後75年、2度と戦争させないわたしたちの行動は続きます。

次回8月は11日(火)です。広島・長崎への原爆投下、敗戦と続く月です。

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