澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

実は、ゴジラは「反核平和」の語り部なのだ。

(2021年3月1日)
3月1日、ビキニデーである。1954年のこの日、「ブラボー」と名付けられたアメリカの水爆実験によって遠洋マグロ漁船第五福竜丸が死の灰を被り、乗組員23人が被爆した。45年8月のヒロシマ・ナガサキにおける原爆投下の惨劇から9年を経ないこの日に、人類は新たに水爆による災厄を経験することとなった。

この大事件は日本中を震撼させた。私は当時焼津に近い、清水市内の小学校に通う4年生。騒然たる雰囲気を覚えている。日本の社会全体が放射能の脅威を身近なものとして、おののいた。

その日本社会の雰囲気を背景に、この年の11月東宝の特撮映画「ゴジラ」が封切りになって、観客動員数961万人を記録する空前の大当たりとなった。

「ビキニ環礁海底に眠る恐竜が水爆実験の影響で目を覚まし日本を襲う」というストーリー。大暴れするゴジラだが、最後は断末魔の悲鳴を残し泡となって太平洋に消える。人々が歓喜に湧く中、志村喬扮する古生物学者がこう呟く。「あのゴジラが最後の一匹とは思えない。もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類がまた世界のどこかへ現れてくるかもしれない」。

あれから67年である。我が国の政府が、核にも原発にも、断固とした廃絶の決意を持っていないことが歯がゆい。ゴジラは、今なお世界のどこかに潜んでいて、日本にも上陸する恐れなしとしない。いや、2011年3月11日、ゴジラは福島浜通りに姿を現したのではなかったか。

ところで、破壊をほしいままにするゴジラは、暴虐な水爆の化身のようにも見えるが、その最期は哀れで悲しげな印象を与える。ゴジラが何を象徴するか、多様な見方が可能だろう。

手許にある平和委員会の「平和新聞」最新号には、「私は『ゴジラ研究者』」「ゴジラは平和を語り続ける」という表題で、伊藤宏さんという大学教授とゴジラの主演俳優だった宝田明さんの対談の写真が掲載されている。伊藤さんは、「ゴジラは反核平和を語り続ける存在」「ゴジラ作品は、核兵器を絶対に使わない、という強いメッセージを持っている」という。

朝日新聞の取材に対して、宝田さんは、ゴジラを「ヒバクシャの悲運を背負った存在」と次のように語っている。なるほど、確かにそのとおりだ。

「海底に暮らしていた巨大生物ゴジラは米軍の水爆実験で安住の地を追われ、東京に上陸し、銀座や国会議事堂を焼き尽くす。そして最後は人類が生み出した残酷な兵器で海に沈む。映画の試写を見ながらわーわー泣きました。『憎っくきゴジラ』ではないのです。人間の強欲によって『ヒバクシャ』とされ、悲しい運命を背負わされた存在。ひとりの観客として心を揺さぶられたのです。」

「核兵器禁止条約が効力を持つのは、もろ手を挙げて万々歳です。目の前の扉がふっと開いた、緞帳(どんちょう)がすーっと上がったという気がします。ただ、被爆国の日本は加わっていない。『核だけは絶対にダメだ』と言える国なのに。なぜ真っ先に批准しないのか、また後れをとるのかという思いです。」

「俳優であるために政治的発言を控えていましたが、還暦を過ぎて戦争体験を語り始めました。「ゴジラ」1作目の制作陣のほとんどが鬼籍に入る中、彼らの思いも語る責任があると思います。…かろうじて生きながらえている戦争体験者として、語るべきことを語り、言わざる聞かざる見ざるの「三猿」にはならないようにしたいと思います。

3月1日ビキニデーに、あらためて思う。核兵器を必要悪などと言ってはならない。核と人類の共存を認めてはならない。核によって安住の地を追われたゴジラとともに、核廃絶の声を上げよう。

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Published in 月曜日, 3月 1st, 2021, at 20:52, and filed under 核廃絶, 第五福竜丸.

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