澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

論戦から逃げた政権と与党 ー 通常国会終わる。

(2021年6月16日)
本日、第204通常国会が150日の会期を終えて閉会した。予定どおりではあるが、政権や与党の「逃げるがごとき閉会」という印象である。政権も、与党も国会の論戦を続ければ、支持が低下するばかり。それなら、一刻も早く閉会するに越したことはない、という判断なのだ。

長く、国会とは政権と与党のために開かれるという固定観念に縛られてきた。政権が、けっして国民の利益にはならない法案を提出し、与党がその法案をゴリ押しして数の力で通すところ、である。世論と野党がこれに抵抗して審議が遅延すると、国会を延長して、強行採決に持ち込むというのが定着したパターン。

それが、いつの頃からかの様変わりである。野党が国会開会を要求して与党がこれに応じない。野党が会期を延長しようと提案して与党がこれに反対する。数の力に勝る野党が国会を開いて何を恐れるのか、それは議論である。国民の目の前での議論によって、それぞれの国民にとって、どの政党どの政治家が味方であり敵であるかが明瞭になることを恐れるのだ。また、政府の無為無策、与党の無能が暴かれることになるからでもある。

「国民」は多様である。富める者と貧しき者とがあり、力の強い者と弱い者とがある。声の大きな者と小さな者との区別もある。長く与党と政権とは、富める者・強い者・声の大きい者のための政策を押し通し、貧しき者・弱き者・声の小さき者を無視し続けてきた。国会での論戦は、そのことを少しずつ説き明かしていく。与党にとって、そんな国会は不要なのだ。

このコロナ禍は、政治というものが実は誰にも身近なものであることを実感するチャンスである。政治を今の与党と政権に任せていると、命と暮らしを潰されかねない。議会の論戦は、誰が味方で誰が敵なのか、国民に切実に示すものとなる。これが、政権や与党には不都合なのだ。

その国会閉会の日に、「東京 新型コロナ501人感染確認 前週同じ曜日より61人増」(NHK)という報道である。

「16日までの7日間平均は384.6人で、前の週の95.8%です。この数値は、先月中旬以降、70%台から80%台を維持していましたが、今月13日に90%を超えて90.1%になると、翌日の14日が90.0%、15日は92.1%、そして16日が95.8%と減少の幅がさらに小さくなっています。
 都の担当者は『人の流れも増え続け、変異ウイルスが流行している。いつ下げ止まってもおかしくない。とにかく人との接触機会を減らして欲しい』と呼びかけています。」「501人のうち、およそ62%にあたる312人はこれまでのところ感染経路がわかっていません。」

変異株についての情報はないが、本日、予想外の出来事として突然に感染者数が増大したのではない。いったん減少に転じた感染者数が、漸次減少幅を減らして、本日増加に転じたのだ。十分に予想されたことであり、今後の感染蔓延のリスクも高いと予想される事態なのだ。

にもかかわらず、政府は「沖縄を除く9都道府県で、20日に期限を迎える緊急事態宣言を解除」の方針だという。科学者の知見に耳を傾けるのは都合のよいときだけ。今や、東京五輪の開催に向けて、大和魂の発揚なのである。「撃ちてし止まん」であり、「大君の辺にこそ死なめ」なのである。民族の伝統とは、恐ろしい。

なるほど、こんなときに国会で真面目な議論に付き合ったら、野党に点を稼がせるだけ。数々の政治家の疑惑も追及されている。中でも安倍晋三の国政私物化に対する国民の憤懣はおさまるところがない。政権・与党には、こんなときに国会なんぞ開いておく理由はない。たとえ、逃げたという印象を避けられないにせよ、国会延長に応じることはあり得ないのだ。

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