澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

祝・「憲法日記」2年間連続毎日更新

日民協ホームページの間借り生活に別れを告げ、本格的に当ブログを開設して「憲法日記」連載をはじめたのが2013年4月1日。その日から数えて、本日が730回目となる。2013年4月1日から2015年3月31日まで、365日を2巡したのだ。この間1日の休載もなく、730日間連続して更新した。暮れも正月も、日曜祭日も、そして出張の日も書き続けたことになる。この地味で面倒なブログにお付き合いいただいたありがたい読者とともに、2周年の連続更新を祝いたいと思う。

日民協ホームページに「憲法日記」を再開して連載を始めたのは2013年の元日から。2012年暮の総選挙で安倍改憲(壊憲)政権が発足したからである。いうまでもなく、「改憲」は明文改憲と解釈改憲の両者を指している。危機感大いに募らせて、何か自分でできることをしなければという思いからの憲法日記開始だった。かつて、「事務局長日記」「憲法日記」と日民協のホームページにはスペースを確保していた。その延長でのブログ再開だったが、ブログの内容はかつての牧歌的なものではなかった。

その理由の一半は、安倍内閣の暴走に対する危機感であるが、それだけではない。2012年暮れの都知事選で、私は宇都宮選対に参加して「革新共闘」の実態をつぶさに見た。のみならず、まったく思いもかけない不愉快な体験をして、「革新陣営」への忌憚のない批判の必要を感じた。批判のないところ、独善と怠惰と無責任がはびこる。批判こそが革新の襟を正し背筋をピンと伸ばすことになる。

私が当ブログで「宇都宮君 立候補はおやめなさい」のシリーズを始めるのは2013年の暮れからだが、この年の1月以来のブログの雰囲気は私の気分を反映したものとなっていた。日民協のホームページに間借りするには不穏当と映ったかも知れない。

「選対事務局のお粗末さはわかりきったこと。その誤りは多々あっても、ともかく形だけでも共闘が成立していることが前進であり、明日につながることとして評価すべきこと」「誤りがあっても、不十分でも、革新の共闘を育てる努力をしなければならない」「批判よりは、まず協力」と、そんな意見をずいぶん聞かされた。が、私には到底納することができなかった。

日民協のホームページにいつまでも腰を落ち着けていることは、日民協にとっても私にとっても、落ち着きが悪く無理なことが次第に明らかになってきた。3月末日までは日民協ホームページに間借りし、試験的に今のブログを立ち上げて併走した準備期間を経て、4月1日に当ブログに引っ越した。

昨年の「一周年記念」のブログにこう書いた。
「間借りは窮屈でいけない。みすぼらしくとも、自前の持ち家が精神的にはのびのびとしてよろしい。せっかくのブログが、大家への気兼ねで、卑屈に筆の鈍ることがないとも限らない。一国一城望むじゃないが、せめて持ちたや自前のブログ。」

そのとおりではないか。2年前、引っ越して独立し、以来自由にものが言える開放感を味わい続けている。もの言わぬは腹ふくるるわざ。日民協のホームページの間借りのままでは、宇都宮選対批判は書けなかったかも知れない。書けたとしても遠慮で筆が鈍ったろう。自主・独立こそあらまほしきこと。精神の自立のためには、そのための環境を整えなければならない。独立して正解だった。

また、1年前こうも書いている。
「365日書き続けての実感として言っておきたい。ブログとは、言論戦におけるこの上ない貧者の武器である。誰もが手にしうるツールとして、表現の自由を画に描いた餅に終わらせず、表現の自由を実質化する手段としての優れものである。まことに貴重な存在なのだ。」

私のブログの維持費用は、article9.jpというドメインの管理費にすべて含まれている。独立したプログ立ち上げや管理の経費は一切必要ない。貧者の武器というにふさわしい。個人の手で毎日数千通のビラを作ることは困難だ。これを発送すること、街頭でビラ撒きすることなどはさらに困難である。むしろ、不可能というべきだろう。ブログだから意見を言える。多数の人に情報を伝えることが可能となる。

このインターネットツールは、国民の一人ひとりを言論の受け手としてだけでなく、送り手として言論の自由の主体たらしめる。革命的な現象と言ってよい。

日本国憲法第21条は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と宣言する。しかし、新聞や出版あるいは放送を典型とする言論の自由の主体はメディアである。企業であり法人なのだ。基本的人権の主体は本来国民個人であるはずだが、こと表現の自由に限っては、事実上国民は表現の受け手としての地位にとどめられ、「知る権利」を享受するだけの存在となってしまっている。

ブログこそは、経済力のない国民に表現の自由の主体性を獲得せしめる貴重なツールである。ブログあればこそ、個人が大組織と対等の言論戦が可能となる。弱者の泣き寝入りを防止し、事実と倫理と論理における正当性に、適切な社会的評価を獲得せしめる。ブログ万歳である。

丸々2年の連続更新は、もちろん通過点である。次は「1000日連続更新」が当面の目標。そしてその次が、「石の上にも3年」「ブログも3年続けば一人前」が待っている。あと1年書き続けよう。当面は、書き続けること自体に意味があるように思われる。少なくも、安倍の失脚を見届けるまでは書き続けたいものと思う。
(2015年3月31日)

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