澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

当ブログ毎日更新連続1000回達成万歳

本日、当ブログは連載開始以来1000日目。毎日書き連ねて1000回達成の日を迎えた。メデタイ限りである。独りこの「偉業」を祝う。1000日の間、毎日毎日よくも飽きず投げ出さず、書き続けてきたものだと思う。

表現とは何よりも自己実現の欲求の表出である。1000回ブログを書き続けてつくづくとそう思う。もの言わぬは腹ふくるる業。腹の中にあるものを、遠慮なく外に吐き出す痛快な感覚はなにものにも換えがたい。

とはいうものの、文章を綴ることは、自分をさらけ出すことでもある。この間、40万字近くも書いたのではないだろうか。その間に、浅学非才も、思想や教養の浅薄も、乏しい詩的感性も、激しやすい感情的な性格も、自分のすべてをさらけ出したことになる。

古来日記文学の伝統はどこにもあるが、リアルタイムにこれを世に発表し続けるぜいたくは望むべくもなかった。正岡子規はそのような機会に恵まれた稀有の人と言うべきだろう。彼の「墨汁一滴」「病牀六尺」は新聞「日本」に連載されていた。ほぼ毎日記事を書き続け、翌日には新聞掲載となったようだ。長文もあれば、わずか一行の記事もある。今日の新聞コラムではなく、ブログによく似ている。随筆に俳句を織り交ぜた、読みごたえのある充実したブログ。

「墨汁一滴」は1901(明治34)年1月16日から書き始めて、同年7月2日まで164回にわたって連載された。年を改め、1902(同35年)5月5日から書き始めたのが「病牀六尺」である。当時、既に子規の命は旦夕に迫っていた。

連載が100回に達したのは、その年の8月20日。子規は100日生き得たことを素直に喜こんだ記事を書き、この日の末行をこう結んでいる。
「半年もすれば、梅の花が咲いてくる。果たして病人の眼中に梅の花が咲くであろうか」

結局、病人の目に梅が映ることはなかった。記事は9月17日の第127回で永遠に途切れた。「病牀六尺」最終回が新聞「日本」に掲載された翌18日、子規は辞世の3句を認めている。梅ではなく、糸瓜が読み込まれている。

  糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな
  痰一斗糸瓜の水も間に合わず
  をととひの糸瓜の水もとらざりき

子規の死は、翌19日未明のこと。書き続け、句作を続けての、見事な生涯の閉じ方であった。当時文名高かった子規にして初めて、新聞連載という形での表現が可能だった。今、誰の手にも、私にも、ブログというツールが手にはいる好運をありがたいと思う。

私のブログも、ささやかな自己実現の手段である。そして同時に、政治的言論としていささかなりとも社会への影響があることを願っている。

ところで、第二次安倍政権発足に憲法の危機を感じて書き始めた「憲法日記」である。危機はますます深まっている。安倍内閣の崩壊を見届けるまでは連載を終息できない。もう少し読者に優しい短いブログとすることを自分に言い聞かせて、1000回を通過点としよう。

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      2000回めざしてブログ万歳だ!
「マインド・チェンジ」(発行KADOKAWA)という本のなかで、スーザン・グリーンフィールドという脳神経科学者は「突拍子もないと思われるかもしれないが、『考える』という行為をするだけでも、物質としての脳に実質的な変化を起こすことができるようだ」と述べ、面白い例を示している。

ピアノの弾けないの1群にピアノの練習をさせる。5日後にこの人たちの脳スキャンには大きな変化が現れた。驚くべきは、「単に自分がピアノを弾くところを想像するようもとめられた」別の1群の被験者の脳にも、実際に指を使って練習した被験者とほぼ同じ変化がみられたということなのだ。実体験なしの想像だけでの脳の変化なのだ。

よく耳にするプラセボ効果は、治療効果があると信じるだけで、効くはずのない物質で病気が治ってしまうという現象である。この効果を起こす脳内物質が存在するだけでは、プラセボ効果はおきない。その効果を最終的に起こすのは、「そのプラセボがほんとうに効く薬だと信じることが必要なのだ。やはり肝心なことは『意識的な思考』である」らしい。

「あらゆる種類の動物の脳には驚くべき可塑性があり、特に人間の脳で顕著である。人の脳は『使わないとだめになる』の原理にのっとり、反復されるタイプの行動に対して、絶えず物理的に適合を続けている。終わりのないこのニューロンの更新は、とくに発達途上の臨界期といわれる期間にはっきり見られるが、高齢になるまで生涯にわたって続く」

なんと希望に満ちたメッセージではないか。この著者は「アルツハイマー病研究の第一人者であり、イギリスで最も著名で影響力のある神経科学者の一人」と聞けばますますありがたい御託宣である。

ブログが1000回続いたというのはめでたいことであるが、毎日眠い目をこすって真夜中までワープロに向き合う不健康な生活が1000日続いたことでもある。また、1000回の間には、筆が滑って物議を醸したことが一再ならずある。果ては名誉毀損で6000万円の請求訴訟をおこされてもいる。

それでも、言いたいことを言わずにはおられない。腹ふくるるは健康に悪いにちがいない。しかも、「読んでますよ。その通りですよ。良く言ってくれました」などと便りがあればうれしくなる。見ず知らずの人々、忘れていた旧き友の予期せぬ声にも驚かされる。ブログを書かなければ敵もできないが、それにまさるたくさんの、尊敬に値する心の友もできない。眠気も損害賠償訴訟も中傷誹謗も、示唆に富んだ友の励ましが雲散霧消してくれる。歴史の審判は我にありだ。

それだけでなく、「意識的な思考」の継続こそが、生涯にわたって続くニューロンの更新と脳の活性化をもたらすというのだ。2000回めざして再出発しよう。老化やアルツハイマーなんかブログがあれば恐くない。ブログ万歳だ。
(2015年12月26日・連続第1000回)

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