澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

2月26日ー「戒厳令」と「緊急事態条項」とを比較すべき日

本日は、2月26日。80年前の今日、雪の降る東京の中枢部で、クーデターが起こった。翌2月27日、「戒厳」が宣せられている。今年の「2・26」は、「戒厳令」とともに話題にしなければならない。アベ政権の改憲構想が、緊急事態条項の新設から手を付けようとしているからである。

自民党改憲草案の緊急事態条項(「第9章」98条・99条)は、国家緊急権の発動の一態様としてある。戦争・内乱・大災害等の非常時に、憲法を一時停止して政権の専横を可能とするもの。戒厳もその一種類である。

大江志乃夫「戒厳令」(岩波新書・1978年)は、今読み直されるべき書である。戒厳令についての詳細を理解し、アベ改憲のたくらみの危険に警鐘を鳴らすために。

この書では、2・26の顛末を次のとおり、簡明にまとめている。
「いわゆる皇道派に属ずる青年将校が部隊をひきいて反乱を起こした「政治的非常事変勃発」である。反乱軍は、首相官邸に岡田啓介首相を襲撃(岡田首相は官邸内にかくれ、翌日脱出)、内大臣斎藤実、大蔵大臣高橋是清、教育総監陸軍大将渡辺錠太郎を殺害し、侍従長鈴本貫太郎に重傷を負わせ、警視庁、陸軍省を含む地区一帯を占領した。反乱将校らは、「国体の擁護開顕」を要求して新内閣樹立などをめぐり、陸軍上層部と折衝をかさねたが、この間、2月27日に行政戒厳が宣告され、出動部隊、占拠部隊、反抗部隊、反乱軍などと呼び名が変化したすえ、反乱鎮圧の奉勅命令が発せられるに及んで、2月29日、下士官兵の大部分が原隊に復帰し、将校ら幹部は逮捕され、反乱は終息した。事件の処理のために、軍法会議法における特設の臨時軍法会議である東京陸軍軍法会議が設置され、事件関係者を管轄することになった。判決の結果、民間人北一輝、西田税を含む死刑19人(ほかに野中、河野寿両大尉が自決)以下、禁銅刑多数という大量の重刑者を出した。「決定的の処断は事件一段落の後」という、走狗の役割を演じさせられたものへの、予定どおりの過酷な処刑であった。

大江の2・26事件理解は、「実際に起こった二・二六事件は、『国家改造法案大綱』の実現をめざすクーデターが「政治的非常事変勃発に処する対策要綱」にもとづくカウンター・クーデターに敗北し、カウンター・クーデター側の手によって軍部独裁への道が切り開かれるという筋書をたどった。」というものである。このことを書き留めておきたい。

この書の冒頭に、「戒厳」に関しての刺激的な2文書の紹介がある。
まず、「天皇ハ全日本国民ト共二国家改造ノ根基ヲ定メンガ為ニ、天皇大権ノ発動ニヨリテ三年間憲法ヲ停止シ両院ヲ解散シ、全国ニ戒厳令ヲ布ク」(北一輝『日本改造法案大綱』)。

2・26事件を起こした反乱青年将校たちが自分たちの政治綱領として信ずることが厚かった『日本改造法案大綱』の第一条である。これは、大江によれば、初めてクーデターの手段としての戒厳を公然と主張したものだという。天皇親政を実現するために、憲法を停止する。具体的には、「貴衆の両院を解散し、全国に戒厳令を布く」というのだ。これが、皇道派青年将校が企図したクーデター。

そして、もう一つの文書が、カウンター・クーデター派のもの。
「現下の世相に鑑み政治的非常事変勃発に際しては、軍部は之を契機として国内事態改善の為常固なる決意を以て目的の貫徹を期す。(中略)国内非常に際し、軍の行う警備は皇室の擁護、資源の確保、軍の対立防止及大衆の保安を主とし、且つ、軍の企図する革新遂行を容易ならしむ。(中略)騒動中に軍隊の参加を当然予想せらるる事態にいたらばすみやかに戒厳を令す」(参謀本部第二部片倉衷大尉を座長とする幕僚将校グループが作成した「政治的非常事変勃発に処する対策要綱」1934年1月成稿)。

「政治的非常事変勃発」「軍の騒動参加」をきっかけに、「断固、軍の企図する革新を遂行」というのだから、穏やかではない。これは、「『日本改造法案大綱』を奉ずる青年将校グループとは対立する陸軍中枢の少壮幕僚グループの研究成果をまとめたもので、かれらは、クーデターにたいするカウンター・クーデター(逆クーデター)として戒厳を宣告し、かれらなりの″国家革新″を実現することを期していた。これら幕僚グループの研究成果は成文化され、参謀本部の課長・部長に提出された。いわば、半公式的な性格のものである。」という。クーデターにたいするカウンター・クーデターにおいて、両者とも戒厳令を構想していたことに注目せざるを得ない。

大江は、「このように、戒厳令は、憲法を停止し、議会を破壊し、軍事独裁政権を樹立し、維持していくのに、もっとも好都合な法令である。」とまとめている。

戒厳令(太政官布告)の第14条だけを抜粋しておきたい。(「戒厳地境内」とは戒厳布告の範囲のこと)
第一四条 戒厳地境内ニ於テハ司令官左ニ記列ノ諸件ヲ執行スルノ権ヲ有ス但其執行ヨリ生スル損害ハ要償スルコトヲ得ス
  第一 集会若クハ新聞雑誌広告等ノ時勢ニ妨害アリト認ムル者ヲ停止スルコト
  第二 軍需ニ供ス可キ民有ノ諸物品ヲ調査シ又ハ時機ニ依リ其輸出ヲ禁止スルコト
  第三 銃砲弾薬兵器火具其他危険ニ渉ル諸物品ヲ所有スル者アル時ハ之ヲ検査シ時機ニ依リ押収スルコト
  第四 郵便電報ヲ開緘シ出入ノ船舶及ヒ諸物品ヲ検査シ並ニ陸海通路ヲ停止スルコト
  第五 戦状ニ依リ止ムヲ得サル場合ニ於テハ人民ノ動産不動産ヲ破壊燬焼スルコト
  第六 合囲地境内ニ於テハ昼夜ノ別ナク人民ノ家屋建造物船舶中ニ立入リ検察スルコト
  第七 合囲地境内ニ寄宿スル者アル時ハ時機ニ依リ其地ヲ退去セシムルコト

戒厳令下、司令官は軍部独裁者として振る舞うことができる。人民に対してなんでもできる。

自民党改憲草案も読み較べておきたい。
第99条
1項 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
2項 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。
3項 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。
4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。

緊急事態宣言下、内閣は国会を無視して独裁者として振る舞うことができる。国民は内閣のいうことを聞かねばならなくなる。内閣は、政令を作って「集会若クハ新聞雑誌広告等ノ時勢ニ妨害アリト認ムル者ヲ停止スルコト」ができる。もちろん、テレビの放送の停波など簡単なこと。

(2016年2月26日)

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