籠池夫妻と首相夫人を参考人招致せよ
事態の推移が目まぐるしい。昨日(3月1日)の当ブログで、「アベ友学園疑惑」問題での攻防の焦点は4月開校予定の「瑞穂の國記念小學院」の開設許可を阻止できるか否かだ、と書いた。ところが、本日(3月2日)の毎日夕刊に、年度内の設立認可は保留となって、「開校は早くても来年4月になる見通し」の記事が出た。緒戦の勝利だ。これで、疑惑の全容解明に弾みがつこうというもの。昨日(3月1日)の参院予算委員会での共産党小池晃質問の衝撃の効果が大きい。
昨夕の鴻池議員の記者会見も衝撃だったが、本日の朝日夕刊には、「森友学園と国の交渉仲介か 鴻池氏の事務所、接触25回」の記事。「事務所は籠池氏と国の交渉を仲介し、籠池氏や国との接触は2年半で25回に上った。籠池氏の要求は次第にエスカレートし、具体的な金額を提示して金額を低くするよう国への働きかけを求めていた。」という。これこそは、今後解明すべき疑惑の本流であろう。
これは、甘利問題に続いての、あっせん利得処罰法(正確には、「公職にある者等のあっせん行為による利得等の処罰に関する法律」)違反疑惑ではないか。もちろん、「コンニャク」(100万円)まがいを差し出したという籠池夫妻側にも、同法4条違反の「利益供与罪」の疑惑がかかることになる。法定刑は、「1年以下の懲役または250万円以下の罰金」である。
ところで、小池質問にアベが答弁を渋ってもち出したのが、「私の妻は私人」の論理。私人の行為についての質問に回答の義務はなかろう、という文脈での理屈。まともな理屈にならないことはアベもよく分かっているのだろう。一応は拗ねてみたものの、結局は不誠実ながらも回答はしているのだから。
この「首相の妻は公人か私人か」論争。結構紙面を賑わせている。たとえば、朝日が、「首相は、学園が開校予定の小学校の名誉校長になっていた昭恵氏について、『私人だ』と主張。これに対して、野党側は『学園のパンフレットや講演会でも『内閣総理大臣夫人』の肩書で紹介されている。明らかに公人だ』(共産党の小池晃書記局長)と批判している」という具合に。
小池質問とアベ答弁の該当個所を、産経の報道に基づいて抜粋してみる。
小池「『安倍晋三小学校をつくりたい』という話があったのは、総理を辞めたときとおっしゃっていますが、これはいつか?」
安倍「いつかというのは、辞めた後でして、いつかということは記憶には定かではない。夫婦の会話ですから、それは、いつそういう会話をしたかは明らかではないのは当たり前なのではと思います」
小池「『辞めたときに、妻が知っておりまして』ということは、それ以前から夫人は籠池氏を知っていたということか? 総理夫人は、籠池氏といつからの知り合いか? これまで何度会われているのか?」
安倍「これは総理を辞めた後ですから、いつかはわかりませんよ。そして、妻は私人なんです。いちいち、その妻をまるで犯罪者扱いするのは、極めて、私は不愉快です。極めて不愉快ですよ! 本当に私は不愉快ですよ、そういう犯罪者扱いするのは。それは、いつ知ったかということについてはこれは、私は承知をしておりません」
小池「『私人』とおっしゃいますが、パンフレットにも出ている。講演会でも『内閣総理大臣夫人』という肩書が紹介されている。肩書が困るのであれば『やめてください』と言うべきだ。そのまま講演して、パンフレットに載っている。学校案内に載っている。明らかに公人としての活動だ。」
「公人」「私人」二分論が、論争の前提にある。「公人」にプライバシーはなく、批判の言論に高度の受忍義務が課せられる。「私人」のプライバシーは尊重を要するし、名誉毀損言論を甘受しなければならない筋合いはない。この分類において、いかに線引きがなされるのか。
「公人」という言葉は、法律の条文には出てこない。一般的な法律用語とも言いにくい。定評ある「法律学小辞典」(有斐閣)の項目になく、索引にも出て来ない。必ずしも明確な定義のある概念ではない。
「公人」は、アメリカの名誉毀損訴訟における判例紹介の中で、特有の意味を付与された用語だと考えられる。「公務員あるいは議員」として、公務についている人のみをさす言葉ではない。
アメリカの名誉毀損訴訟には、「現実的悪意の法理」というものが定着している。言論による名誉毀損被害者を「公人」と「私人」とに分け、公人に対する名誉毀損表現を手厚く保護する。表現者に現実的悪意(間違った表現であることを知っていてなお敢えてする故意)ない限り、違法とはならない。だから、公人と私人の区別は極めて重要となっている。
アメリカの名誉毀損判例法理では、公人は「公職者(public official)」だけでなく、「公的人物(public figure)」をも含む概念である。公的人物とは、「公職者と同等の政治的重要性をもった人物」「公衆が正当で重要な関心をもつ論点に関与した人物」などとされる(「表現の自由と名誉毀損」松井茂記)。あるいは、「公的な論争に自ら参加したり名声を得たりしたことで批判にさらされる『危険』を引き受け、しかもメディアにアクセスする手段を持つ人のこと」とも(「名誉毀損」山田隆司)。
いかなる定義を与えようとも、アベの妻が「公的人物(public figure)」に該当すること、つまりは「公人」であることにいささかの疑問の余地もない。「公務員でも議員でもないから、『公人』ではない」は、通用しない。国家からの録を食まず、選挙の洗礼も受けていないから、「私人」であるとも言えない。
この人、「公職者と同等の政治的重要性をもった人物」ではないか。「国民が正当で重要な関心をもつ論点に関与した人物」でもある。何よりも、「敢えて右翼教育礼賛の公的な論争に自ら参加したことで、真っ当な世論の批判にさらされる『危険』を引き受け、しかもその右翼教育機関の広告塔を引き受けて、メディアとの積極的な接点をもつ人」にほかならない。
ことは、わが国の政治体質の根本に関わる。徹底して疑惑を解明しなければならない。政治家への口利き依頼の有無については籠池夫妻を国会に招致しての質疑が必要である。そして、政権と右翼教育との橋渡し疑惑には、アベ妻の参考人招致が必要ではないか。けっして私人ではない。いずれも、「公的人物」として、公人としての資格において。
(2017年3月2日)