澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

沖縄戦悲劇の根源は、「天皇制への動物的忠誠心」にあった。

天皇の生前退位表明以来、皇室報道が過剰だ。天皇の代替わりをめぐる議論がかまびすしい。最近思うことは、「反天皇制」という視座を据えると、新たにいろんなことが見えてくるということ。

「反天皇制」における「天皇制」とは二重の意味が込められている。ひとつは旧体制における神権天皇制である。神聖にして侵すべからずとされた万世一系の皇統の末裔にして現人神なる天皇という、荒唐無稽な神話に支えられた天皇制。「反天皇制」とは、そのばかばかしさを、ばかばかしいと素直に言うことだ。神秘性も権威も、権威を土台とする統治権の総覧者としての天皇の地位も認めないということ。

もう一つの「天皇制」の意味合いは、象徴として現代に生き残った「天皇制」。この意味の「反天皇制」とは象徴天皇の権威の否定、あるいは「象徴天皇制」の存在感を極小化しようという精神の自立性を指す。反権威主義であり、アンチ・ナショナリズムであり、多数派支配への懐疑でもある。

「反天皇制市民1700」誌の最新号に、知花昌一さんが、「沖縄にとっての『奉安殿』」という記事を寄せている。天皇制という負の遺産の象徴としての「ご真影と教育勅語」についての貴重な断想。戦前を回顧するだけでなく、アベ政権がもたらした9条改憲の危うさにまで触れている。

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沖縄戦24万人の犠牲の上に残された教訓はたった二つです。
一つは、軍隊は住民を守らなかった。守らない。
二つは、教育の恐ろしさ、大切さです。

評論家の大宅荘一氏が1959年に沖縄戦の調査に来て、多くの悲惨な犠牲の原因は天皇及び天皇制に「あまりにも動物的なまでの忠誠を尽くしたこと、家畜化され盲従した結果だ」と動物的忠誠心という造語を創った。その動物的忠誠心を植え付けた装置が教育勅語と天皇・皇后の写真=「御真影」と忠魂碑である。

沖縄では、琉球処分の8年後1887年には他県に先駆けて「御真影」が下賜されている。「他県に先駆けた」ことは、明治政府としては沖縄が天皇に関心がない「化外の民」「まつろわぬ民」であることで、皇民化を急いだのだろう。

教育勅語と「御真影」の多くは校長室に奉安庫を創り納められているようであるが、火事などで焼失すると校長の責任が厳しく問われ、懲戒免職にされた例などがある。奉安殿は下賜された教育勅語と「御真影」を納める建物で、関係者がが大金を集め、当時としては高価で豪華な鉄筋コンクリート造りのものが多かったようである。
戦時中、「御真影」は米軍に蹂躙されないように名護市オオシッタイに集められ山奥の洞窟に秘匿され、戦後焼却されたといわれている。

今、沖縄には四つの奉安殿が残っている。その一つが1935?6年に沖縄市美里尋常小学校跡に建立された写真のものである。数発の弾丸の跡が残っている。
日本本土では戦後GHQが1945年に発令した「神道指令」によって全国の奉安殿や忠魂碑はほぼ解体された。沖縄でも1946年に群島政府知事により解体通達が出され、民政府(軍政府)の指示によって破壊されたが、指示など行きとどかなかった宮古、八重山、本部町に残ったのだろう。沖縄市美里に残っているのは米軍のキャンプ・へーグ基地にあり、物入れに使われていて奉安殿の存在がわからなかったのだろうと言われている。現在では沖縄市の文化財に指定され、修復がなされ、「負の遺産」として平和学習などに活用されている。

何時の時代も権力者・為政者は民衆を畜生にしたいもので、そのためには教育と暴力装置=軍隊を意のままに操るものである。安倍政権もすでに教育基本法を改悪し、自衛隊=軍事を強化し、集団的自衛権行使できる体制をととのえている。それに加え9条改悪を明言している。

最後に、知花さんは、こう訴えている。
「危ない時代が来ています。それに抗するのは、民衆自ら考え、学習することです。そして闘うことです。」
(2018年2月8日)

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