澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

上野恩賜公園の「恩賜」の二文字なかりせば 春の心はのどけからまし

「花の雲鐘は上野か浅草か」の句に誘われて、上野寛永寺の境内に満開の桜を見んとて、不忍池を過ぎて五條神社に迷い入りにけり。苔の細道踏み分けて、心細く住みなしたる庵もあり、閼伽棚に桜の花びら折り散らしたる、さすがに住む人の風流の心あればなるべし。

この神社の由緒をたづぬれば、景行天皇のその昔、日本武尊が東北侵略のため上野忍が岡を通りしとき、にわかに病魔に襲われしが薬祖神の大神の御加護たまわりて平癒のことあり。以後、薬祖神の霊験あらたかとて、善男善女の信心の絶えることなかりしとぞ。

無病息災・病気平癒を祈願する者のみならず、昨今は薬科大学、看護系大学の合格祈願の参詣者も数多し。社頭に多くの絵馬が飾られてありけるが、家族の病気快癒を願う気持に涙誘われる心地す。絵馬の多くに書かれたる参詣の日付に、少なからぬ西暦表示がなされたるをおかしと思ひはべりぬ。グローバルの世とて、アルファベット・アラビア文字・ハングルの願い事も多かるに、神さまとてもさだめし頭のいたきことならん。

立ち去らんとして、境内にみごとなウコンの桜が満開なるにおどろき、かくてもあられけるよと、あはれに見るほどに、かなたの社頭の大きなる掲示板に、「生命の言葉」とて下記の歌のポスターの見えしこそ、少しことさめて、このポスターなからましかばとおぼえしか。

 今上陛下
 いにしへの 人も守り来し 日の本の
 森の栄を 共に願はむ

 皇后陛下
 いつの日か 森とはなりて 陵(みささぎ)を
 守らむ木木か この武蔵野に

いずれも、植樹祭にての作歌なるらし。天皇(明仁)の歌は無難なれども無内容で凡庸なものと覚えしが、皇后(美智子)の歌は尊大というべきならん。樹木も森林も、すべからく国民の生活を守るべきものなるに、「陵を守らむ」とは、穏やかならざる詠みよう。思わず洩れた本音なるか。

かようなポスターを作って掲示する神社庁。上野公園に恩賜の二文字を冠したるままの東京都と同様、今を国民主権の世と解するこころあらずとおぼえしか。
(2019年4月7日)

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