澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

年の瀬に アベの悪政 あ・い・う・え・お

いよいよ今日が大晦日。今年を振り返らねばならないのだが、そんな余裕を持ち合わせていない。ともかく、この1年の365日、途切れなく当ブログを書き続けた。非力な自分のできることはやった感はあるものの、世の泰平は感じられない。憲法は危うく、真っ当ならざる言論が幅を利かせる、少しも目出度くはない越年である。

何しろ、衆・参両院とも、改憲派が議席の4分の3を超している。改憲発議は既に可能なのだ。安倍晋三政権が長期の命脈を保っていることそれ自体が、諸悪の象徴であり、また諸悪の根源でもある。

安倍が掲げる反憲法的な諸課題に対峙するとともに、安倍を徹底して批判し安倍にNOを突きつけることで、安倍が主導する改憲策動を阻止しなければならない。

そのような心構えで年を越すしかない。2017年の暮れに、「アベの悪政 あ・い・う・え・お」である。
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あ 安倍晋三よ、あんたが国難。

右手に明文改憲、左手に解釈壊憲を携えて、平和・人権・民主主義を破壊しようというのが、アベシンゾーとその仲間たち。特定秘密保護法・戦争法、そして共謀罪までのゴリ押し。さらには、原発再稼働、カジノ法案、働き方改悪…。安倍晋三という存在自体が、日本国民にとっての災厄である。すこしの間なら辛抱して嵐が過ぎ去るのを待てばよい。ところが、こうも長すぎると後戻りできないまでの後遺障害を心配せざるを得ない。明文改憲の現実もあり得ないでない。いまここにある安倍晋三という国難を除去することこそが、覚醒した真っ当な国民にとっての喫緊の課題である。

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い 一強が招いた政治腐敗

2017年は、森友問題と加計学園疑惑に揺れた一年だった。すべてはアベ一強政治が招いた腐敗。忖度という言葉が、流行語大賞を取ってさらに話題ともなった。もり・かけとも、アベシンゾー夫妻との親しい間柄で甘い汁を吸おうとしたオトモダチ。朋友相信じた仲。にもかかわらず、その一人籠池泰典は、妻ともども、拘置所での年越しを余儀なくされている。旗色悪しと見たアベに、トカゲの尻尾よろしく切り捨てられたからだ。私は、籠池の思想には唾棄を催すが、その人柄には親近感を覚える。いまやすべてを失った彼に、一抹の同情を禁じえない。
一方、加計孝太郎は、すべてを保持したままこの年の瀬を逃げ切ろうとしている。安倍と気の合う仲間にふさわしい陰湿さに、忌まわしさを感じるばかり。何を考え、どこで、何をしながらの年越しだろうか。
水の流れが澱めば、必ず腐敗する。アベ一強忖度政治の教訓を噛みしめたい。
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う うっかりせずに、しっかり反対「安倍9条改憲」

アベ改憲は4項目。「緊急事態」・「教育の拡充」・「参院選挙の合区」と、自衛隊を明文化しようという「アベ9条改憲」。アベの関心は、もっぱら9条で、その他は改憲擦り寄り、下駄の雪諸政党にバラ播かれた餌だ。いずれも、明文改憲なくとも困ることは生じない。
問題は、「9条改憲」のみなのだ。「現にある自衛隊を憲法上の存在として確認するだけ」「だからなんにも変わらない」というウソを見抜かなければならない。本当に「何にも変わらない」のなら、改憲の必要などない。本当は様変わりするのだ。
「自衛隊違憲論」者(当然、私もそのなかにいる。)にとって、自衛隊を明文化しようという「アベ9条改憲」が、驚天動地のトンデモ改憲案であることは論を待たない。しかし、「自衛隊は自衛のための最低限度の実力を超えるものではなく『戦力』にあたらない。それゆえ『戦力』の保持を禁じた9条2項に違反しない」という専守防衛派にとっても、憲法の景色は様変わりすることになる。
武力組織としての自衛隊を憲法が認めることは、9条2項を死文化することになる。そのことが、自衛隊の質や量、可能な行動範囲への歯止めを失うということになるのだ。それだけではなく、いまや自衛隊は戦争法(安保関連法)によって、一定の限度ではあるが集団的自衛権行使が可能な実力部隊となっている。これを憲法で認めるとなれば、憲法が集団的自衛権行使を容認することにもなる。
うかうかと、アベの甘言に欺されてはならない。
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え 越年しても忘れない

アベ改憲のたくらみも、壊憲政治も、そして政治と行政の私物化も、すべてはアベシンゾウとその取り巻きのしでかしたこと。アベ一強政治が続いたからこその政治危機であり、腐敗である。
これに対する国民の側の反撃の運動も、大きく育ちつつある。覚醒した市民と立憲主義を大切に思う野党の共闘こそが希望だ。来年こそ、この共闘の力を発揮して、アベ退陣と、改憲阻止を実現したい。このことを、けっして越年しても忘れてはならない。
先日の「安倍靖国参拝違憲訴訟の会・関西訴訟団」の闘いを締めくくる声明の末尾に、「戦争を志向し人権を侵害する行為を見逃さない司法が確立し、今後、閣僚らの靖国参拝が永遠にとどめられるまで、闘いをやめないことを宣言する。」とあった。闘いに負けない秘訣は、「永遠に闘い続け、闘いをやめないこと」だ。そう。決意しよう。
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お 沖縄の悲劇と沖縄の希望

そして、特筆すべきは沖縄の闘い。オスプレイやCH53が墜落する。米兵の犯罪が横行する。辺野古の新基地建設のための大浦湾の埋立が進んでいる。反対運動が弾圧を受けている。DHCテレビがフェイクニュースを垂れ流す。米軍が保育園や小学校にヘリの部品を落とすと心ない本土のウヨクが政権の意向を忖度して、保育園や小学校に「ヤラセだろう」と電話をかける…。
沖縄全土が、反アベ・反トランプとならざるを得ない深刻な事態。いまや、アベ政権対オール沖縄の、安全保障政策をめぐる政治対決の様相。新年2月4日には名護市長選挙、これを前哨戦として11月には沖縄県知事選が闘われることになる。
沖縄は、いまだに虐げられた非劇の島である。しかし、粘り強くスクラムを組んだ闘いを続けることにおいて、希望の島となりつつある。アベ政権にNOを突きつける意味でも、オール沖縄支援したい。

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か からだ気をつけ 風邪引かぬよう

ところで、先日同期の児玉勇二さん(元裁判官・現弁護士)から、「健康に生きたいー真の健康への自立と連帯」という旧著(1981年刊)を送っていただいた。280ページにもおよぶ、児玉さんの健康回復実践と思索の記録である。

キーワードは、「自然治癒力」。人間が自然の一部であることを自覚して、生活に自然を取り込むよう心がけること。人工的な環境・人工的な食品・人工的な薬品を避けて、自然の中での運動にいそしみ、偏食なく伝統的な自然食品を摂取すべきだという。「食品公害」という語彙が頻繁に出てくる。この書は、まだサプリメントが横行していない時代のものだが、定めしサプリメントは健康の敵。

私は健康に自信がない。児玉さんに学び、「自然治癒力」を体内に取り込んで、すこしでも平和な世、誰もの自由や権利が尊重され商業主義に毒されない真っ当な世になるまでを見極めたい。それが、年の瀬の私の願い。
(2017年12月31日)

真正保守・村上正邦が教える「元号存続の意味」。

昨日(12月29日)の毎日新聞朝刊「オピニオン」面の「論点」欄が、「現代日本と元号」の大型インタビュー記事を掲載している。インタビューに応じているのは、島薗進、鈴木洋仁、そして村上正邦の3名。

企画の趣旨を述べるリードの冒頭に、「天皇陛下が2019(平成31)年4月30日に退位され、1989年1月8日に始まった『平成』が1万1070日で幕を閉じる。19年5月1日に皇太子さまが新天皇に即位され、新しい元号がスタートする。」との前置きがある。

おそらくは、年を越えた来年(2018年)には、この手の話題が多く取り上げられるのだろう。もうすぐ天皇が生前退位する。それにともなって元号が変わる。あらためて、問題が突きつけられている。元号とはなんだ。天皇制とはなんだ。天皇代替わりとはなんだ。天皇代替わりに際して保守陣営は、なにを目論んでいるのか。政権は。皇室は。そして、人権や民主主義を大切と思う人々はどう対応すべきなのか。ときあたかも、明治150年でもある。

もっとも、この毎日の企画の意図はよく分からない。焦点が定まらないのだ。だから、3人の論者の議論が噛み合っていない。

インタビューの設問は、「平成はどのような時代として私たちの記憶と歴史に刻まれることになるのか。また、21世紀の現代日本に元号という制度が持つ意味は何か」というもの。まったく別の問が並列しておかれている。明らかに、前者が主で後者が従で、「現代日本と元号」とのタイトルとは齟齬がある。しかも、各設問自体が相当のバイアスを持ったものになっている。だから、「現代日本と元号」のタイトルを頭に置いて読み始めると戸惑うことになる。読後感が散漫なものにならざるを得ない。「現代日本と元号」という「論点」に焦点をしぼれば、スリリングな「討論」になったのではないか。

しかし、企画の意図を離れて、それぞれの論者の意見の内容は、それぞれに興味深い。

島薗進教授は、薀蓄を傾けて文明論の時代相を語っている。
「いまの時代相は冷戦終結後世界が方向を見失ったところから始まっている。多くの国が内向きのアイデンティティーを強め、他者との対立関係を作りながら自己主張する「自国ファースト」の状態にある。しかし、今の世界で人類の穏当な進歩や共存共栄という理念は完全に死んだわけではない。宗教界や学問の世界は人類が養ってきた良識の発展、多様な価値観の尊重、文明の共存を目指している。それはかすかな希望であり、良識派の「抵抗の時代」とも言える。日本も後ろ向きにならず、共生のためのビジョンを発信してほしい。日本の豊かな文化資源と、戦争の失敗を含む多くの経験を、東アジアの多様性を重んじた真の共存共栄に生かすことが求められる…」という趣旨。元号については、「元号による『縛り』が減っていれば、なお良いだろう」という形で触れられているのみ。

「元号による『縛り』」とは、元号使用が事実上強制され、元号の存在が国民意識に権力的に介入する状態を指しているのだろう。「教育現場の『日の丸・君が代』問題は、国家が求める行為を個人に受け入れさせるという方向で、国民を『縛る』ことになった。」と同旨の文脈で語られているのだから。

次が、鈴木洋仁なる若い研究者の論述。
その結論は、「このまま元号は消えてしまうのか。そうは思わない。いくら意味が薄れてきたとはいえ、1300年以上も続いた制度をあえてやめる必要があるのか。今は元号について思い入れの少ない若者たちも、やがて「平成生まれ」という時代感を意識するようになるだろう。西暦年号との併用という面倒さはあるが、国民が長い歴史の中で一定の時代感覚を共有する目印として使ってきた元号の役目は薄らぐことはあっても、なくなることはないと思う。」という薄味のもの。

研究者の論述として、どうにも曖昧で違和感を禁じえない。

明確に「元号論」を語っているのが、かつて「参議院のドン」と言われた「村上正邦・元労相」(毎日が、そのように肩書を付している)である。久しぶりに見る名前だが、しゃべる内容は相変わらずだ。右の端に位置を固定して、少しもぶれるところがない。オブラートに包まない保守派の天皇論や元号論のホンネを語って、貴重な内容となっている。

その全文は、ぜひとも下記のURLでお読みいただきたい。
https://mainichi.jp/articles/20171229/ddm/004/070/007000c

まずは、村上正邦とは何者であるか。毎日は次のように紹介している。
「1932年生まれ。拓殖大卒。80年参院議員初当選。参院自民党議員会長を務め『参院のドン』と呼ばれた。汚職事件で2001年議員辞職。その後、実刑が確定。現在、『日本の司法を正す会』代表幹事」
この紹介で足りないところを、インタビューでの彼の発言自体が補っている。「安倍さんは『保守』を自任しているようだが違う」と言ってのける『真正保守』の立場。

そのインタビュー記事のタイトルは、「『国柄』守る流れ定着を」というおとなしいものだが、内容からみれば「天皇制復活の重要なステップとして」「明治憲法の復元を目指して」などというべきだろう。

彼はまず、元号法制定以前には、その存続が危機にあったことから話を始める。
「私が元号法制化を求める運動を始めたころは社会党や共産党だけではなく、労働運動も激しく、法制化の動きへの反対論も強かった。昭和49(1974)年、私は参院選に初出馬(落選)したが、日本の国柄を守るためには元号を明確に位置づけなくてはならないと考えていた。旧皇室典範の元号に関する条項は敗戦で占領軍によって削除され、法的根拠を失っていた。元号存続の危機だった。」

元号の存続は「日本の国柄を守る」ことと同義だというわけだ。言うまでもなく、「日本の国柄」とは、天皇制のこと。天皇を中心に据えた日本こそが本来の日本で、天皇を欠いた日本はもはや日本でない、という如くなのだ。その大切な元号が、存続の危機にあったという。元号は、その使用を強制しなければ、消えてゆく脆弱な存在なのだ。

「その年、宗教界を中心に『日本を守る会』(右派団体『日本会議』の源流)が結成され、事務方を引き受けた。ところが自民党の議員の中からも『西暦でいいじゃないか』という声が上がるほど、関心が集まらない。元号について『ガンゴウって何だ?』と真顔で問い返されたこともある。」

自民党の議員でさえも、「西暦でいいじゃないか」だったのだ。元号が消えようと、なくなろうとも、誰も困らない。既に、皇紀が途絶え干支の表記もなくなっているが、なんの不便もない。現実に困る者はいないにもかかわらず、保守派には放置しがたい事態だった。

「そこで、同志と一緒に考えたのは、徹底して左翼の運動手法を踏襲することだった。地方から火を付けて中央を動かす。つまり地方議会で法制化を求める決議を上げさせた。草の根運動が昭和54年の元号法で実った。政界では田中角栄元首相の力添えが大きかった。ロッキード事件の裁判で大変だったのに『日本の国は天皇中心だ』と言って取り組んでくれた。」

結局元号をなくしてはならないというのは、天皇制護持論者だけなのだ。そのことを彼はあけすけに語る。

「元号法の延長線上にあるのが天皇陛下ご即位10年の年、平成11(99)年に成立した国旗・国歌法だ。自民党参院議員会長になるころだったが、政治家として力を尽くした。公明党の協力が得られるかどうかが岐路だった。…同党の冬柴鉄三さんら幹部と赤坂の料理店で腹を割って話すと、日の丸にも君が代にも反対ではない。それで一気に政治日程に上げた。最大の功労者は公明党だ。」
いつものとおりのこと。公明党は、このようにして自民党に恩を売ってきたのだ。

「元号法と国旗・国歌法は、建国記念の日の制定(66年)から始まった明治憲法復元に向けての大きな流れだ。敗戦という国家非常事態での占領憲法を認めるのではなく、明治憲法に立ち返る。その上で憲法を論ずることが日本人の手に憲法を取り戻すことにつながる。」「安倍(晋三首相)さんが言っているような小手先の改正ではだめなんだ。私たちが心血を注いで運動に取り組んだのも、天皇を中心に据えた憲法のためだ。元号法を作った時に「譲位」は想定していない。一世一元制が原則だ。」「靖国神社への参拝も実現させてくださると信じている。英霊は『東条英機万歳』でなく、『天皇陛下万歳』と言って亡くなった。何のための靖国か。」

「建国記念の日」(66年)⇒「元号法」(79年)⇒「国旗・国歌法」(99年)。そして次は、「天皇の靖国参拝実現」が目標だという。そのすべてが、天皇を中心に据えた明治憲法復活のためであり、天皇中心の国柄を顕現するためのものだという。

ひるがえって、日本国憲法を護り活かすとは、何よりもこのような戦前回帰を許さないことだ。自立した主権者国民が天皇の権威にひれ伏してはならない。「建国記念の日」「元号」「国旗・国歌」の強制に反対し、「天皇の靖国参拝」を許さぬことだとよく分かる。

真正保守であり、かつての「参議院のドン」だった村上は、私たちの具体的な運動課題を、正確に教えてくれているのだ。
(2017年12月30日)

子どもたちに天皇制を語る。

私にも小学生のころがあった。小学校2年生から親元を離れて寮生活という境遇だったが、その寮で「毎日小学生新聞」を読んだ。当時、小学生に向けた新聞は、この一紙だけだったはず。私は熱心な読者だった。

いまはもう記事の内容に記憶はないが、頃は戦後民主主義の熱気が横溢していた時代。おそらくは、当時の「毎小」の記事がいまの私の人格形成に影響なかったはずはない。

ところで、いま、毎日だけでなく、朝日も読売も小学生向けの新聞を発行しているという。朝日と毎日は日刊、「読売KODOMO新聞」は週刊(毎週木曜日発行)だとか。紙面の内容は知らないが、小学生への影響は当然に大きいと思う。

その「読売KODOMO新聞」。一昨日(12月27日(木))の紙面に、以下の解説記事を掲載した。タイトルは、「天皇陛下の退位日決定」。なんだ、これは。さながら、現代版「修身」ではないか。天皇制を子どもたちに刷り込もうという読売の魂胆。

 天皇陛下(てんのうへいか)の退位(たいい)日が2019年4月30日に決まりました。天皇の退位は1817年の光格(こうかく)天皇以来(いらい)、約(やく)200年ぶりで、現在(げんざい)の法律(ほうりつ)では今回だけの特例(とくれい)です。元号の「平成(へいせい)」も変(か)わる予定で、私(わたし)たちの生活にも影響(えいきょう)がありそうです。

 安倍首相(あべしゅしょう)は今月1日、皇室会議(こうしつかいぎ)へ天皇退位に関係(かんけい)する日程(にってい)を提案(ていあん)しました。皇室会議は安倍首相が議長(ぎちょう)となり、皇族(こうぞく)や衆院(しゅういん)・参院(さんいん)の両議長らが参加(さんか)しました。政府(せいふ)は、この会議で参加者からでた意見を参考にした上で、今月8日、各省庁(かくしょうちょう)の大臣(だいじん)らの集まる閣議(かくぎ)で日程を正式に決めました。

 政府が退位日として4月30日を提案した理由は、政治的(せいじてき)な日程のない静(しず)かな環境(かんきょう)だからです。同じ月には統一地方選(とういつちほうせん)が終わり、大型連休(おおがたれんきゅう)で国会も開かれていません。

 退位翌日(よくじつ)の5月1日には皇太子(こうたいし)さまが新しい天皇に即位(そくい)され、同時に平成という元号も30年3か月で終わります。248番目となる新しい元号は、今後政府が本格的(ほんかくてき)に考えます。

 元号が変わると、国や自治体(じちたい)、企業(きぎょう)のシステムを対応(たいおう)させたり、手帳やカレンダーを変えたりと国民(こくみん)生活への影響は大きいとみられます。このため、元号は来年のうちに明らかにされます。

 政府では、19年5月1日を臨時の祝日(しゅくじつ)か休日とする方向です。新元号への移行(いこう)をスムーズにし、皇太子さまの即位を国民をあげて祝福(しゅくふく)できるからです。祝日にした場合は、法律で前後の平日も休日にできるため、4月27日から5月6日までの10連休(れんきゅう)となる可能性(かのうせい)もあります。

 政府は年明けから、退位の儀式(ぎしき)のあり方などについて議論(ぎろん)を本格化させます。

 昭和天皇は1989年1月に87歳さいでお亡(な)くなりになりました。昭和に代わる元号の平成は、当時の小渕恵三官房長官(おぶちけいぞうかんぼうちょうかん)が書を掲(かかげ)て発表していて、新元号の発表の仕方も注目されます。

「上皇」「上皇后」

 退位の後、陛下は「上皇(じょうこう)陛下」、皇后(こうごう)さまは「上皇后陛下」となられます。陛下は2016年8月、高齢(こうれい)により公務(こうむ)を続(つづ)けるのが難(むずか)しくなると案じた「お言葉」を発表されました。今回の退位は特別(とくべつ)に認(みと)められましたが、今後の皇室のあり方にも影響があるかもしれません。

 長年にわたり、皇后さまとともに公務を務(つと)められた陛下には退位後、ゆっくり過(すご)されてほしいですね。

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この「修身」は、次のように書き換えなければならない。

昔は、世界中どこにも王というものがおりました。力のある人が、そのほかの人々を押さえつけて王になり、王の支配のための王国を作ったのです。王国には王の軍隊がおかれ、その武力を背景に、王は国民から税金を取りたて、国民を戦争に駆り立てました。また、どこの王国でも、王に逆らってはならないという法律が作られました。

しかし、どの王も暴力で国民を支配するだけでなく、何とか国民を自発的に王に従う気持にさせたいものだと考えました。そこで、「王位は神様から授けられた」などという神話をこしらえたり、「王様は、国民を我が子のように慈しんでおられる立派な方」「王様は尊敬すべき人格者」などという作り話を流したり、王に従うことこそが国民として守るべき道であると王国の学校で子どもたちに教えたりしました。さらには、大きな宮殿をつくり、王をほめたたえる音楽や美術を奨励したり、ときには王様の恵み深さを演じてみたり、王が主催するスポーツや見世物のイベントを開いたり、王の支配を守り固める懸命の努力を重ねました。その一つとして、王が死んだり退位して新王が誕生するとき、できる限り重々しく華やかな儀式が行われました。

こんな演出にすっかり欺される愚かな人々もたくさんいました。「うちの国の王様はこんなにも立派」だと、支配されている国民同士が、自分を支配している王を自慢し合うようなこともあったということです。

王が国を支配する制度を王政といいます。時代が進むに連れて、王制は次第に姿を消していきました。「人間は皆平等」なのですから、生まれで特権を持った王が決まることは不合理だとする考え方が世界の常識になりました。王が国民から税を取り上げて贅沢ができることはおかしい。多くの国では、国民がそう考えてきっぱりと王政を捨てました。しかし、遅れた国ではなかなか王政を捨てきれず、いまでも飾りものになった王が生き残っています。

日本はこの点でとても遅れた国のひとつです。日本では、王のことを天皇と言ってきました。天皇の祖先は武力に優れ、他の人々を押さえつけて王となり、7世紀頃に天皇と名乗るようになりました。天皇の支配のために天皇の軍隊がおかれ、支配される側の国民は「臣民」と呼ばれて、天皇に税金を支払い、天皇が命じる戦争に動員されました。

天皇も、暴力で臣民を支配するだけでなく、何とか臣民を自発的に天皇に従う気持にさせたいと考え工夫しました。そこで、「天皇はアマテラスという神様の子孫であって、代々の天皇自身も神様である」というお話しをこしらえました。びっくりするのは、そんな作り話が20世紀前半まで、日本中の学校で、真面目に教えられていたことです。

19世紀後半に、天皇に逆らってはならない、天皇の悪口を言ってもいけない、という法律が作られました。大逆罪や不敬罪と言います。それでも足りないとして、天皇の政府は20世紀前半には治安維持法を作って、天皇制に反対する人々を徹底して弾圧したのです。その反面、「天皇は、臣民を我が子のように慈しんでおられる立派な方」「天皇は尊敬すべき人格者です」などと宣伝し、天皇に従うことこそが臣民として守るべき道であると、全国の学校で教えました。また、学校や神社などでは、天皇を崇拝する儀式が繰り返されました。

なかでも、これまでの天皇が死んで新天皇が誕生するときには、もっとも重大な儀式が行われました。大嘗祭と言います。

いま、天皇の代替わりが迫っています。代替わりによって国民生活に大きな影響はないはずなのですが、代替わりにともなう元号の変更がやっかいです。事実上、国や自治体や銀行などでは、元号の使用が強制されています。そのため、国民生活への影響はけっして小さいものではありません。元号の不便・不合理が明らかというだけではなく、いつも天皇制を忘れないようにさせるものなのです。西暦に一本化することが最も望ましいのに、天皇制を思い出しなさいと元号が維持されているのです。

天皇制も元号使用もいずれはなくなる運命でしょうが、読売新聞のように天皇や元号の交代で大騒ぎすることなく、天皇制の歴史やその影響を冷静に見つめ、よく研究する機会にしたいものですね。
(2017年12月29日)

日韓両政府は、「慰安婦」問題について全面解決合意の権限をもたない。

本日(12月28日)文在寅韓国大統領が、2015年12月の慰安婦問題を巡る日韓合意に関して、「手続き上も内容上も重大な欠陥があった」として、「この合意では慰安婦問題は解決されない」と表明した。現政権の検証によって、旧政権時代の日韓両当事国間の合意内容が履行不能であることが明らかとなり、結局は当該合意によっては紛争解決に至らないことがあらためて確認されたということだ。

この場合の解決すべき紛争とは、けっして加害当事国と被害当事国の2国間の紛争ではない。だから、2国間の合意が紛争解決への第一歩にはなり得ても、全面的な解決になり得ようはずもない。

この紛争には、生身の被害者がいて、その親族や遺族がおり、被害者の支援運動に携わる多くの人々がいる。紛争解決の当事者能力を持つ者は、まずは被害者個人であり、その遺族らであり、さらには運動体なのだ。運動体は、韓国内に留まらず国際的な拡がりをもっている。加害当事者も、直接の加害者にとどまらない。皇軍という加害のシステムを間接的に支えた公私の機関も多くの人々も責任を免れない。しかも、紛争は法的な側面だけでなく、社会的紛争としての側面のあることを十分に意識しなければならない。

そのような紛争を、両国間の合意のみで「最終かつ不可逆的に解決」できるわけがない。はじめから、分かりきったことではないか。

法的な紛争解決に関して和解合意が成立するためには、それぞれの紛争当事者が本人として直接合意するか、委任関係によって権限をもつことが明確な代理人の合意表明が必要である。国家は違法行為によって傷つけられた人々の代理をして紛争解決の合意をする権限を当然にもつものではない。たとえ、国家が戦時の違法行為で傷つけられた人々の損害賠償請求権を放棄しても、被害者本人が同意しない限り、その請求権になんの影響も持ち得ない。

また、紛争の社会的側面の解決には、真摯な当事国の和解合意成立は大きな一歩だが、けっして「最終かつ不可逆的な」解決ではない。長い長い時間をかけた誠実な謝罪の繰りかえし以外に、真っ当な解決に至る手段はあり得ない。

周知のとおり、日本の最高裁は中国人「慰安婦」の賠償請求訴訟において、日本国の不法行為責任を認めながら、「日華平和条約」あるいは「日中共同声明(第5項)」で個人請求権は消滅したとして請求を棄却した。しかし、この古い解釈はけっして国際的に通用するものではない。また、最高裁と言えども、まさかこの「日韓合意」で、元慰安婦の個人としての請求権が消滅したと判断はしないだろう。また、必ずや韓国の裁判所は個人の請求権の存続を肯定する。ましてや、運動体までを含んでの「最終かつ不可逆的に解決」などあり得ることではない。

結局のところ、権限のない政権が当事者からの委任を受けることなく、無理に無理を重ねて合意の形を作っただけのことなのだ。合意が破綻したというよりは、権限のない者が作った形だけの合意が馬脚を現したというだけのこと。
 
「聯合ニュース」(日本語ネット版)が伝えるところによれば、韓国の外交部長官直属のタスクフォース(作業部会)が昨日(12月27日)発表した、「旧日本軍の慰安婦問題を巡る韓国と日本の合意の検証結果」の報告書は、説得力をもった内容となっている。

その報告書によると、事実上の「裏合意」があったことが明らかになったという。
 「韓国政府が慰安婦関連団体を説得する努力をし、海外で被害者を象徴する少女像の設置を支援しないなどの内容が盛り込まれた」「日本側が挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)など被害者関連団体を特定し、韓国政府に(合意に不満を示す場合の)説得を要請し、韓国側は関連団体の説得努力をするとし、日本側の希望を事実上受け入れた」。また、「日本側は韓国側に対し、「性奴隷」との表現を使わないよう求め、韓国側は政府が使用する公式名称は「日本軍慰安婦被害者問題」だけであることを非公開部分で確認したという。日本側の要求を受け入れたことになる。」と指摘した。

報告書の結論は以下のとおりだ。
「戦時の女性人権について国際社会の規範として位置付けられた被害者中心のアプローチが慰安婦交渉過程で十分に反映されず、一般的な外交懸案のような駆け引き交渉で合意が行われた」として、「韓国政府は被害者が1人でも多く生存している間に問題を解決しなければならないとして協議に臨んだが、協議過程で被害者の意見を十分に聴かず、政府の立場を中心に合意を決着させた」と指摘。「被害者が受け入れない限り、政府間で慰安婦問題の最終的・不可逆的解決を宣言しても、問題は再燃するしかない」とした。

もともとが解決権限のない両国政府の実行不能な内容の無理な合意だった。もとより、これで紛争が解決するはずもなかった。いま、日本側から、居丈高に「合意」の実行を迫ることは、問題をこじらせ紛争を拡大するだけの愚策だと弁えなければならない。
(2017年12月28日)

「安倍靖国参拝違憲訴訟・関西」最高裁判決について

まずは、以下の「抗議声明」をお読みいただきたい。

「2017年12月20日、最高裁判所第二小法廷は安倍首相靖国参拝違憲訴訟において、不当な上告棄却(および上告不受理)決定を下した。

 そもそも本件参拝は、憲法第20条に明確に禁止されている国家機関(内閣総理大臣)による宗教活動であることは明らかである。また、違法な参拝を受け入れた靖国神社は戦没者を英霊と意味づけることによって国民に対して英霊につづいて国と天皇のために命をささげることを促す戦争準備施設であり、そのことは、被告靖国神社自身が『靖国神社社憲』などで明確に認めていることである。したがって、本件参拝は原告(控訴人)らの内心の自由形成の権利・回顧祭祀に関する自己決定権などを侵害するのみならず、平和的生存権を侵していることも明らかである。本件参拝は、けっして「人が神社に参拝する行為」一般に解消できるものではない。

1981年4月22日に行われた靖国神社の例大祭に対して愛媛県は5000円の玉ぐし料を支出した。支出だけで、知事が東京に出向き例大祭に参拝したわけではない。この件に対して最高裁大法廷は1997年4月2日疑問の余地のない違憲判決を下した。わずか5000円の支出が憲法第89条が禁止する宗教団体への援助になるとしたのではない。県が靖国神社を特別扱いしたことが知れ渡ることが援助になると判断したのである。首相の参拝となれば、この「援助」は絶大である。このことは、本件を審理した地裁・高裁の裁判官も当然熟知している。すなわち、本件参拝はどう考えても違憲というほかはないことを彼らは熟知している。この、愛媛玉ぐし料訴訟最高裁判決に際して尾崎行信裁判官が「今日の滴る細流がたちまち荒れ狂う激流となる」という警句を以て違憲行為の早目の阻止を示したことや、小泉靖国参拝違憲訴訟福岡地裁判決において亀川清長裁判官が、違憲性の判断回避は行政の違憲行為を放置することになるからとして「当裁判所は、本件参拝の違憲性を判断することを自らの責務と考え」るとしたような憲法擁護の責務を果たす気概は現在の司法には存在しないのだろうか。

本件に対する地裁及び高裁の判決は、それでも屁理屈の理由を付している。最高裁第二小法廷はそれさえしないのである。大阪地裁及び高裁で安倍首相に対する忖度の理屈をこねる役割を担わされた裁判官たちは、最高裁第二小法廷の山本庸幸裁判長らをうらやましく思っていることだろう。そして、どんな明白な証拠が出てきても、忖度を重ね、しらを切り通せば、国税庁長官や最高裁判事に「出世」できると学んだことであろう。

われわれは、こうした日本の行政と司法の現状に怒りを超えて深い悲しみを覚える。
われわれは、この決定を到底容認することはできない。これに対して、強く抗議するとともに、戦争を志向し人権を侵害する行為を見逃さない司法が確立し、今後、閣僚らの靖国参拝が永遠にとどめられるまで、闘いをやめないことを宣言する。

 2017年12月22日
安倍靖国参拝違憲訴訟の会・関西訴訟団
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 安倍晋三が首相として靖国神社を参拝したのは、2013年12月26日、第2次安倍内閣発足後1年を経てのことである。彼は、礼装し公用車を使って靖国に向かい、「内閣総理大臣安倍晋三」と肩書記帳して、正式に昇殿参拝している。靖国側も私人安倍晋三として接遇したわけではない。これを私的参拝だから政教分離則に反しないというのは、黒いカラスを白い鷺と言いはるほどの無理があろう。

 要するに、首相としての安倍晋三が靖国という軍国主義を象徴する宗教施設に参拝したことが憲法の政教分離原則に反することは明らかなことなのだ。最高裁は、厳格な政教分離論を排斥して、目的効果基準を編み出したが、この緩やかな基準をもってしても、愛媛玉串料訴訟大法廷判決は、県費からの玉串料支出という形での愛媛県と靖国神社との関わりを、違憲と断じた。しかも、裁判官の意見分布は13対2の圧倒的大差だった。

だから、原告らは勝訴を確信していたか。実はそうではない。問題は、違憲判断にたどり着けるかどうかにあった。その点だけが実質的な争点だったといってよい。喩えて言えば、土俵に上がっての勝負は目に見えていた。問題は、土俵での取り組みができるかどうかだけ。結局は、原告らは土俵に上げてもらえなかったということなのだ。

裁判所とは、違憲・違法な行為があったときに、誰でも駆け込んでその是正を求めることができるところではない。権利の侵害を受け者が、その回復を求めることができるに止まるのだ。その意味では、裁判所は人権の砦ではあっても、必ずしも憲法の砦ではない。たとえ政府に明白な違憲行為があろうとも、そのことによって権利の侵害を受ける者がいなければ、裁判手続を通じての是正はできない。他人の権利侵害での裁判も受け付けてはもらえない。健全なメディアによる健全な世論形成によって、次の選挙で政府をあるいは政策を変えさせることが期待されているのみなのだ。

ことは三権分立の理解にある。「司法の優越」は、司法がオールマイテイであることを意味しない。立法や行政が、国民の権利を侵害するときに限り、その権利侵害を回復する限度で、司法は機能する。とはいえ、具体的事案で、司法が機能する場面であるか否かの判断は、けっして容易ではない。

個人の権利利益の保護を目的とする通常の訴訟(主観訴訟)に対して、例外的に権利侵害を要件としない客観訴訟というものがある。特に、法秩序の適正な維持を目的として訴権が認められたもの。その典型が、地方公共団体の財務会計行為の適正を目的とした住民訴訟である。これは、はじめから立派な土俵が設定されているのだから、違憲判断に踏み込む要件の成否を問題にする必要がない。津地鎮祭訴訟、岩手靖国違憲訴訟、愛媛玉串料違憲訴訟などは、この土俵に上がっての成果だった。

しかし、首相の参拝や、官邸の公用車の管理に関して、住民訴訟の適用があるはずはない。原告として名乗り出る人は、首相安倍晋三の靖国参拝によって、何らかの権利や利益が侵害されたことを主張しなければならない。そのために、原告らが有する「宗教的人格権」や「平和的生存権」が侵害されたという構図を描かなければならない。あるいは、この訴訟では「内心の自由形成の権利」「回顧祭祀に関する自己決定権」の侵害などが主張された。

しかし、大阪地裁も大阪高裁も、これを「原告(控訴人)らの不快感の域を出るものではなく、法的保護に値する利益の侵害とはいえない」と切り捨てられている。

従って、判決は違憲判断を避けただけで、安倍参拝を合憲と判断したわけではない。原告らは、安倍と裁判所を追い詰めたが、体を交わされたのだ。

先に引用した、訴訟団声明中の「本件参拝は、けっして『人が神社に参拝する行為』一般に解消できるものではない。」に触れておきたい。

小泉靖国参拝国家賠償請求訴訟において、最高裁は2006(平成18)年6月、「人が神社に参拝する行為は他人の信仰生活に圧迫、干渉を加えるものではない。このことは内閣総理大臣の参拝でも異ならない」として、損害賠償の対象にはならないと判示した。訴訟団はこれを納得しがたいとしているのだ。外ならぬ内閣総理大臣が、外ならぬ軍国神社靖国に公式に参拝という形での政教分離の破壊行為は、平和や立憲主義に対する極めて具体的で直接的な攻撃というべきものとして、戦没者遺族や宗教者の精神生活・信仰生活の平穏を侵害するものなのだ。

「安倍靖国参拝違憲訴訟・関西」と名付けられたこの訴訟。戦没者の遺族ら765人が原告となって、首相と国、靖国神社を被告として、将来の参拝差し止めと1人1万円の慰謝料の請求をしたもの。最終的に敗れたとはいえ、けっして勝ち目のない訴訟ではなかった。また、この訴訟提起自身が、市民が直接に安倍内閣の憲法破壊行為に異議申し立てをする場の設定として意義あるものと言うべきだろう。

訴訟団声明の末尾には、「戦争を志向し人権を侵害する行為を見逃さない司法が確立し、今後、閣僚らの靖国参拝が永遠にとどめられるまで、闘いをやめないことを宣言する」とある。その軒昂たる意気や良し。
(2017年12月27日)

「10・23通達」は、国際自由権規約18条に違反する。

本日(12月26日)が東京「君が代裁判」第4次訴訟弁護団の今年最後の会議。
12月18日に控訴理由書は提出済みで、控訴審の第1回口頭弁論期日に向けて、都教委側の控訴理由書への反論と、控訴審進行の構成についての意見交換。

その中で、国際人権論からの新たなアプローチが話題となった。
国連の自由権規約(正確には、「市民的及び政治的権利に関する国際規約」。社会権規約(A規約)に対して「自由権B規約」とも略称される)の第18条は、外務省訳で以下のとおりである。

第18条
1 すべての者は、思想、良心及び宗教の自由についての権利を有する。この権利には、自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由並びに、単独で又は他の者と共同して及び公に又は私的に、礼拝、儀式、行事及び教導によってその宗教又は信念を表明する自由を含む。
2 何人も、自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由を侵害するおそれのある強制を受けない。
(3項・4項は略)

ここに掲げられているのは、「思想、良心及び宗教の自由」である。日本国憲法の19条(思想・良心の自由)と、20条(信教の自由)の両条を包括する規定となっている。国旗国歌への起立斉唱を強制する「10・23通達」は、日本国憲法19条・20条に違反するだけでなく、日本が批准した条約として裁判規範性をもつ「自由権規約」第18条違反でもある。かねてから、私たちはそう主張してきた。

とりわけ、同条第2項が、「何人も、自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由を侵害するおそれのある強制を受けない。」としていることは、都教委の国旗国歌強制を違法とすることに、分かり易い根拠を与えている。

明らかに、「都教委による教員や生徒への国旗国歌(日の丸君が代)への敬意表明の強制は、教員や生徒自らが選択した信仰あるいは思想的信念を受け入れる自由を侵害するおそれがある」からである。

最高裁は、「神戸高専剣道実技受講拒否事件」(1996年3月8日)判決において、「エホバの証人」を信仰する神戸高専生徒に対する剣道の授業受講強制を違法と認めた。剣道の授業が宗教的な意味合いをもつかどうかを問題にせず、「剣道の受講を強制することは、この生徒が真摯に自ら選択した信仰に抵触し、生徒の信仰を選択する自由を侵害した」と認定したのだ。

憲法20条2項は「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」としているが、この最高裁判決以降この条項は「何人も、自己の信ずる宗教的信念において受容しがたい祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」と読み替えねばならない。

さらに、自由権規約18条は、禁止される強制の範囲を、「宗教(信仰)」と抵触するものだけでなく、宗教(信仰)とは区別された思想・良心の分野における「信念」の領域にまで拡げた。

「『10・23通達』は自由権規約18条に違反する」とは、「10・23通達」に苦しめられた教員たちの年来の主張で、弁護団は法廷ではそのような主張を繰り返してきた。しかし、頑迷固陋な最高裁の壁はこの主張を受け付けず、はね返され続けてきた。

いっこうに進展しない法廷のありさまに業を煮やした原告団の人々が、法廷を離れた場での行動に立ち上がった。一つは、国連への直接の訴えである。そして、もう一つが、国に対する申し出である。たいへんな行動力だ。そして今、成果をあげつつある。

本日の弁護団会議で話題となったのは、「LOI」である。はて?
「ILO」(国際労働機関)ならなじみが深いが、「LOI」とは? 「リスト・オブ・イシュー」の頭文字だという。問題項目一覧表という意味だ。もっぱら「質問項目」と訳されている。そのリストのなかに、「10・23通達」がはいったという報告なのだ。

「2003年に東京都教育委員会によって発出された「10・23通達」を教員や生徒に対して実施するためにとられた措置の自由権規約との適合性に関して、儀式において生徒を起立させるために物理的な力が用いられており、また教員に対しては経済的制裁が加えられているという申し立てを含めて、ご説明願いたい。」という質問の形式。日本の政府は、国連の規約委員会に責任をもった回答をしなければならない。

よく知られているとおり、国連の活動は「平和と安全の維持」を目的とするものだけでなく、人権の擁護にも重きをおいている。国連憲章第1条3項の中に、「人種、性、言語または宗教による差別なく、すべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること」と書き込まれている。

この国連憲章の目的条項に基づいて制定された、自由権規約の締約国は、規約の実施状況や国内における人権状況について定期的に国連に報告し、国連が設置する自由権規約委員会の審査を受けなければならない。

同委員会の審査手順は、事前審査と本審査からなる。
事前審査の段階で、委員会は各国NGOからのレポートに目を通して、リストオブイシュー(質問項目)を作成し、これを各国政府に提示する。この全項目について、各国政府は国家レポートを作成して委員会に提出する。また、各国NGOは、これに対抗したカウンターレポートを提出する。委員会は、本審査において両レポートを精査して総括所見を採択する。そして、これを各国政府に勧告するのだ。

事前審査の段階で作成されるのが「LOI」。数多ある人権諸問題と肩を並べて、「10・23通達」問題が、そのリストに掲載された。日本政府は、これに対する国家レポートを提出することになる。私たちは、これを徹底して批判するカウンターレポートを国連人権委員会に提出して、国際良識の判断を仰ぐことになる。もしかすると、ステキなことになるかも知れない。私たちにとってのステキなこととは、安倍晋三や小池百合子には、イヤ~なことに決まっている。

たとえば、国連人権委員会から日本国政府に対して、次のような勧告がなされるかも知れないのだ。
☆日本国政府は、公権力の行使によって、国民の思想・良心・信仰を侵害することのないよう、以下のことを遵守するよう勧告します。
*東京都教育委員会の「10・23通達」に基づいて、東京都内で行われてきた公立学校の教員や生徒に対する国旗国歌(日の丸君が代)への起立斉唱の強制について、今後一切くりかえすことがないよう禁止するとともに、これまでに国旗国歌(日の丸君が代)への起立斉唱の強制への不服従によって制裁を受けたすべての人に対する完全な損害回復の措置をとるよう指導すること。
*東京都に限らず、日本におけるすべての公立学校において、入学式や卒業式等の学校儀式における国旗国歌(日の丸君が代)への起立斉唱の強制を禁止することによって、学校内におけるすべての成員の思想・良心・信仰の自由を保障すること。
*すべての地方公共団体の知事、議会議員、教育委員会委員、ならびに教育委員会職員に対して、以下の各事項について周知を徹底するよう、十分な研修の機会を設けること。

1 日本国の国旗である「日の丸」は、その歴史的経緯から、これに接する人によっては、ナチスドイツの「ハーケンクロイツ」が戦後民主化されたドイツの国旗としてふさわしくないのと同様に、平和や民主主義・人権を基本理念とする日本国憲法下の現代日本にふさわしいものではなく、それゆえ国旗(日の丸)に対する敬意表明の強制には服しがたいとする主張があるところ、その主張には十分な理由があるものとして尊重しなければならないこと。

2 日本国の国歌である「君が代」は、その歴史的経緯から、これに接する人によっては、天皇を神とする国家神道のシンボルとして、宗教上の色彩が濃厚で、それゆえ自らが選択した宗教の信仰にもとづいて国歌(君が代)を斉唱せよとする強制には服しがたいとする主張があるところ、その主張には十分な理由があるものとして尊重しなければならないこと。

3 文明国においては、教育の内容に公権力の介入は抑制的であるべきが市民革命以来の確立された理念であって、それゆえ国家主義の鼓吹に基づく国旗国歌(日の丸君が代)への敬意表明の強制には服しがたいとする主張があるところ、その主張には十分な理由があるものとして尊重しなければならないこと。

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以下は、被処分者の会からの報告の抜粋である。なお、「日の丸・君が代の強制に反対し、渡辺厚子さんの戒告・減給・停職処分撤回を求めるー『ホットトーク』(144号)」にも、詳細な解説が掲載されている。

東京・教育の自由裁判をすすめる会国際人権プロジェクトチームは、2008年の第5回審査以来、日本における人権侵害として東京都の「日の丸・君が代」強制問題に関し日本政府報告に対するカウンターレポートを提出してきました。

第6回審査(2014年)では、「国旗・国歌」強制問題がはじめて委員会から日本政府への質問事項(リスト・オブ・イシュー)で取り上げられ、審査後の最終見解では、「思想・良心および表現の自由の制約は、規約に規定された厳しい条件を満たさない限り課してはならない」という主旨の勧告を得ました。しかし、都や各省庁はこれを一般的な勧告であるとして、私たちの要請に真摯に向きおうとはしません。

国連自由権規約委員会が「10・23通達」と明記して日本政府に回答を求める!~今回の画期的成果

あれから3年。第7回審査に向けての動きが始まっています。私たちは更に具体的な文言を含む勧告の獲得を目指して、7月にレポートを提出しました。そして、11月24日に発表されたリスト・オブ・イシューでは、第6回よりもはっきりした形で再びこの問題が取り上げられたのです。

第6回では一つのパラグラフで「公共の福祉」概念による人権制約と私たちの問題が一緒に取り上げられたました。しかし、今回はそれぞれ独立したパラグラフで取り上げられており、パラ26は「10・23通達」という言葉を明記しての質問となっています。これは画期的なことです。

政府は1年以内にこれに回答しなければなりません。私たちはその回答に対してまたカウンターレポートを提出し、具体的な勧告を獲得するまで取り組みを続けます。

<東京・教育の自由裁判をすすめる会、国際人権プロジェクトチームによる仮訳>

List of Issues Prior to submission of the seventh periodic report of Japan
(第7回日本定期報告に対する事前優先課題リスト)  未編集版・2017年11月24日

思想、良心および宗教的信念の自由、および表現の自由(規約第2、18、19、および25条)

《パラ23》 前回の総括所見(パラ22)に関連して、「公共の福祉」というあいまいで無制限な概念を明確化し、自由権規約18条および19条それぞれの第3項が許容する限定的な制約を超えて、思想、良心、および宗教の自由、または表現の自由への権利を制約することがない事を確保するために講じられた対策について、ご報告願いたい。

《パラ26》 2003年に東京都教育委員会によって発出された「10・23通達」を教員や生徒に対して実施するためにとられた措置の自由権規約との適合性に関して、儀式において生徒を起立させるために物理的な力が用いられており、また教員に対しては経済的制裁が加えられているという申し立てを含めて、ご説明願いたい。

原文
Freedom of thought, conscience and religious belief and freedom of expression (a
rts. 2, 18,19 and 25 )

23.  In reference to the previous concluding observations (para. 22), please rep
ort on steps taken to clarify the vague and open-ended concept of “public welfa
re” and to ensure that it does not lead to restrictions on the rights to freed
om of thought, conscience and religion or freedom of expression beyond the narr
ow restrictions permitted in paragraph 3 of articles 18 and 19 of the Covenant.

26.  Please explain the compatibility with the Covenant of measures taken to enf
orce against teachers and students Directive 10.23 issued by the Tokyo Board of
Education in 2003, including alleged application of force to compel students to
stand in ceremonies and financial sanctions against teachers.

文書は以下のサイト ↓
http://tbinternet.ohchr.org/Treaties/CCPR/Shared%20Documents/JPN/INT_CCPR_LIP_JP
N_29588_E.pdf

ここまで事態を動かしてきた原告の皆さんの行動力に惜しみない敬意を払いつつ、ぜひともの成果を期待したい。最高裁のハードルよりも、国連人権委員会の方が低いかも知れないのだから。
(2017年12月26日)

無知と偏見にもとづく「沖縄差別NO!」の声を。そして「安倍政権NO!」の声も。

この社会に理不尽な差別が絶えない。新たな差別が生み出されてもいる。部落や在日に対する差別に加えて、どうやら「沖縄差別」「沖縄ヘイト」というものが存在するらしい。このような差別を許していることを恥ずかしいとも、腹ただしいとも思う。

差別は、社会のマジョリティがつくり出す。権力の煽動と結び付くことで、差別は深刻化し、痛みを伴うものとなる。マジョリティの周辺部に位置する弱者が、「無知と偏見」によって煽動に乗じられることとなる。軽挙妄動して差別の行動に走るのは、より弱い立場にある被差別者に、安全な位置から差別感情を吐露する者。こうしてカタルシスを得ようとする「無知と偏見」に彩られた者たちなのだ。

権力やマジョリティの中枢に位置するエスタブリッシュメントは「無知と偏見」を助長することによって、自ら手を汚すことなくヘイトに走る者を利用するのだ。

いま、「無知と偏見」の輩が、沖縄ヘイトに走っている。本日(12月25日)付毎日の朝刊一面トップ記事が、「米軍ヘリ窓落下被害小学校に続く中傷」の大見出し。「のぞく沖縄差別」と続く。

12月13日米軍ヘリが普天間第二小学校の校庭に窓を落下させて以来、米軍への抗議ではなく、小学校や普天間市教委に抗議の電話が続いているという。「文句言うな…」「やらせだ」「自作自演だ」など…。

毎日新聞はよくぞトップ記事としてこのことを書いた。全国紙がこれだけの扱いをしたことそれ自体のインパクトが大きい。

リードは、「米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に隣接する市立普天間第二小学校への米軍ヘリの窓落下事故で、同校などに『学校を後から建てたくせに文句を言うな』といった抗議電話が続いている。第二小の歴史を踏まえ、差別意識ものぞく抗議の背景を考えた。」というもの。事実関係は、今さら繰り返すまでもない。

この件については、朝日の報道が先行している。恐るべき中傷の内容だ。
「市教委によると、中傷電話は事故翌日の14日が13件と最も多く、その後も1日2~3件ある。米軍が窓を落としたことを認めているにもかかわらず、『事故はやらせではないか』などと中傷する内容もあった。東京在住と説明した男性は『沖縄は基地で生活している。ヘリから物が落ちて、子供に何かあっても仕方ないじゃないか』と言ったという。

18日には、謝罪に訪れた米軍大佐が『最大限、学校上空は飛ばない』と告げたことに、喜屋武悦子校長が『最大限ではなく、とにかく飛ばないでほしい』と反発し、文書での回答を求めたが、これに対しても『校長のコメントは何だ。沖縄人は戦闘機とともに生きる道を選んだのだろう』と批判する電話があった。」

この報道を踏まえて、12月22日朝日は、「沖縄への中傷 苦難の歴史に理解欠く」という社説を掲載した。
冒頭に、「沖縄の長い苦難の歩みと、いまなお直面する厳しい現実への理解を欠いた、あるまじき言動だ。強い憤りを覚える。」と珍しく感情を露わにした。

「後から学校を造ったくせに文句を言うな」「沖縄は基地で生活している」。事実を正しく把握しないまま、学校側をののしるものもあるという。

「中傷電話が『無知と偏見』によるものであるのは明らかだ。日々の騒音や墜落への恐怖に加え、心ない日本国民から『二次被害』まで受ける。あまりに理不尽な仕打ちではないか。」

「今回だけではない。オスプレイの配備撤回を求めて沖縄の全市町村長らが東京・銀座をデモ行進したとき、『売国奴』との罵声が飛んだ。ヘリパッド建設工事に抗議する住民を、大阪府警の機動隊員は『土人』とさげすんだ。沖縄差別というべき振る舞いが後を絶たない。」

「嘆かわしいのは、本土の政治家らの認識と対応である。防衛政務官が沖縄の基地負担は重くない旨のうその数字を流す(13年)。自民党若手議員の会合で、普天間飛行場の成立過程について間違った発言がまかり通る(15年)。沖縄担当相が土人発言を批判せず、あいまいな態度をとる(16年)――。
誹謗中傷を許さず、正しい情報を発信して偏見の除去に努めるのは、政治を担う者、とりわけ政府・与党の重い責任である。肝に銘じてもらいたい。」

まったく同感。「無知と偏見」に凝り固まった「政府・与党の走狗」たちの迷妄を啓くことは、容易ならざる難事なのだ。

ところで、本日の毎日の記事は社会的背景を考えさせる4名のコメントを付している。

まず、翁長知事。
「翁長雄志知事は21日、『目の前で落ちたものまで「自作自演」だと来る。それ自体が今までにない社会現象だ』と語った。」

次いで、沖縄現地の政治学者。
「中傷の背景に何があるのか。沖縄国際大の佐藤学教授(政治学)は『基地集中を中国の脅威で正当化する誤った正義感がある。一度デマが広がると、事実を提示しても届かない』と話す。」

そして江川昭子さん。
「ジャーナリストの江川紹子氏も『政権に一体感を覚える人には、飛行反対は現政権にたてつく行為と映るのだろう』と指摘する。」

最後が、安田浩一さん。
「2013年、東京・銀座でのオスプレイ反対デモは『非国民』との罵声を浴び、昨年には沖縄県東村でヘリパッド移設に反対する住民に大阪府警の機動隊員が『土人』と言い放った。差別問題に詳しいジャーナリストの安田浩一氏は「沖縄が悪質なデマ、『沖縄ヘイト』の標的になっている。それを日本社会全体の問題として議論すべきだ」と語った。」

全員が、社会現象として「沖縄差別」を論じている。「無知と偏見」の輩が、現政権に煽られ、現政権にたてつく者に対する攻撃を行っているのだ。「無知と偏見」の輩には確信がある。安倍政権と米軍に味方する自分こそが、この社会の多数派で、政権と米軍に楯突く不届き者を懲らしめてもよいのだ、という確信。強者にへつらうイジメの心理である。そのイジメの心理の蔓延が、社会現象としての「沖縄差別」を形成している。

この沖縄差別に象徴される今の社会が安倍晋三を政権に押し出し、また政権に就いた安倍が差別を助長し利用している。DHCテレビが制作し、DHCが提供のテレビ番組「ニュース女子」も在日差別と沖縄差別に充ち満ちたフェイク番組だった。これも、在日や沖縄を攻撃しても安全という、イジメの構造が生み出したものだ。

沖縄差別は、安倍政権と同じく、日本社会の病理が生み出したものだ。あらゆる差別とともに、安倍政権も一掃しなければならない。イジメは加害者と被害者だけで成立するのではない。これを見て見ぬふりをする多くの傍観者の存在が不可欠なのだ。本土の私たちが、そのような消極的加害者であってはならない。「沖縄差別NO!」の大きな声をあげよう。そして、「安倍政権NO!」の声も。
(2017年12月25日)

しっかり眉に唾を付けよう。「アベ・9条改憲」案のたくらみに欺されてはならない。

自民党に「憲法改正推進本部」という部門がある。ここが党としての改憲案を作ることになる。前任の本部長保岡興治が引退して、先月(2017年11月)に細田博之がそのトップとなった。細田は、安倍晋三が所属する党内最大派閥「清和政策研究会」(細田派)の領袖でもある。

12月20日、その憲法改正推進本部が全体会合でこれまでの検討結果をまとめて「憲法改正に関する論点取りまとめ」を発表した。お世辞にも充実しているとは言いがたい、憲法改正推進本部のホームページだが、ここでその全文が読める。
https://www.jimin.jp/news/policy/136448.html

もっとも、このPDFはコピぺができない。コピぺ可能な全文を、本日の当ブログの末尾にも貼り付けておく。批判のたたき台として、引用に活用していただきたい。

改憲論議は、当面この「論点整理」の文書をめぐって行われることになり、改憲反対派は当面この文書の批判に集中することになる。

さして長くないこの「論点取りまとめ」は、下記の改憲4項目を整理したもの。
(1)自衛隊について
(2)緊急事態について
(3)合区解消・地方公共団体について
(4)教育充実について
その内、(1)の自衛隊問題と、(2)の緊急事態対応については、各2案の併記となっており、「党内の意見集約が間に合わないとしてのこと」と報じられている。

最大の焦点が。「(1)自衛隊について」の「9条改憲」であることは論を待たない。この点の整理が、
①「戦争放棄を定めた9条1項、2項を維持した上で『自衛隊を憲法に明記するにとどめる』」とする案と、
②「9条2項を削除して『自衛隊の目的・性格をより明確化する改正を行う』」との案の
両論併記となった。

いうまでもなく、①は本年(2017年)5月3日唐突に出てきた安倍晋三案である。よく知られているとおり、これは右翼組織「日本会議」幹部案でもある。②は2012年4月の「自民党憲法改正草案」を基調とした従来タイプの改正案。

東京新聞は今後について、「推進本部は来年1月に全体会議を再開し、衆参両院の憲法審査会の議論が本格化するとみられる春までに、一本化を図る見通し」と記事にしている。

今回の両論併記は、誰が見ても暫定的なステップに過ぎない。全体会合では石破茂が「9条2項残置論」への反対意見を述べたことが報じられているが、早晩①案(「安倍9条改憲案」)でまとまることになる。

この両論を比較して、「②案の危険性は明らかだ。①案ならまだマシではないか」などと印象をもつ人が出てくれば、そこがアベの思う壺。目眩ましにはまることになる。悪得商法並みの姑息な手口に欺されてはならない。

安倍9条改憲案には、両面がある。
(a)「これ以上は望んでも現実的に無理」「やむをえず今はこの線で、我慢しよう」という側面と、
(b)「実は、これだけでも成功すれば相当なことになる」という側面。

安倍は、この両面を都合よく使い分けるだろう。
国民への説得は、もっぱら(a)面を使う。「この改憲によっては、自衛隊が日陰の存在から憲法に規定された日向に出て来るだけのこと。実質的に何も変わりませんよ。」と強調する。友党や、ふらふら中間政党の説得にも、同様だ。

しかし、自民党内に向けては、特に右派にはこう言う。「この改正が実現したら、9条の構造はがらりと変わる。既に、自衛隊は集団的自衛権行使まで容認された組織だ。それを憲法に書き込めば、9条2項は安保法制によって上書きされて死文化する」「個別的自衛権と集団的自衛権の両者を行使できる自衛隊が憲法上の根拠をもてば、まさしく一人前の軍隊となる」と解説することだろう。

さらに、右派の世論には、こう言うのだ。
「冷静に情勢を見つめれば憲法9条の抜本改正は直ぐには無理なのです。2項の削除提案は危険で得策ではありません。むしろここは『急がば回れ』で、2段階で行う確実な作戦をとるべきなのです。今回はその第1段階」

2017年9月2日の毎日新聞朝刊はこう言っている。
「自民・船田氏 『憲法9条2項 首相、次は削除』」という見出し。首相(アベ)は「次の段階で、9条2項削除を考えている」という記事。

「自民党の船田元衆院憲法審査会幹事(註 現本部長代行)は(9月)1日、宇都宮市で講演し、憲法9条改正を巡り、安倍晋三首相は2度の改正を経て、戦力不保持などを定めた2項を削る『2段階論』が念頭にあるとの見方を示した。
2項を含む現行の9条を維持し、自衛隊を明記する首相提案を実現した上で『次は2項をなくす2段階論を深めるのが首相の考えだ。われわれの考えにも近く、その方向で進めたい』と語った。」

何のことはない。アベ9条改憲案は、小さく産んで大きく育てる、その第一歩なのだ。この「安倍9条改憲」が実現すれば、さらに次は、「実体は何も変わりませんからご安心を」として、「自衛隊」を「国防軍」に変更するだろう。幾つかのステップを経て、憲法9条を虐殺し、名実ともに軍事大国化への憲法整備をしようというのが、アベの魂胆と見なければならない。

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東京新聞が一昨日(12月22日)の社説で取り上げている。「自民論点整理 『改憲ありき』では困る」という見出しで、 説得力のある論説になっている。

「自民党憲法改正推進本部が提示した改憲四項目に関する論点整理は、改憲を前提としているが、それでいいのか。改憲しなければ本当に対応できないのか。根源的な議論に立ち返るべきである。

論点整理は同本部でのこれまでの検討結果をまとめたもので、10月の衆院選で政権公約の重点項目に掲げた、
▽自衛隊の明記
▽教育の無償化・充実強化
▽緊急事態対応
▽参院の合区解消
の四項目を取り上げている。

焦点の九条については、一、二項を維持したまま自衛隊の存在を明記する案と、戦力不保持と交戦権の否定を定めた二項を削除して「自衛隊の目的・性格をより明確化する改正を行う」案を併記した。前者は安倍晋三首相(党総裁)の意向に沿った案、後者は党が野党時代の2012年にまとめた改憲草案に近い内容である。」

「戦力不保持の二項を削除する九条改憲案に比べると、維持したまま自衛隊を明記する案は、より穏当に見えるかもしれない。それが首相の狙いなのだろう。

しかし、本当に九条改憲が必要な切迫した状況にあるのか。

歴代内閣は、専守防衛に徹する自衛隊は戦力には該当せず、九条の下でも合憲と位置付けてきた。憲法に自衛隊の存在を明記しないことが活動領域や予算の膨張を防ぐ歯止めとなったことも現実だ。

安倍内閣は「集団的自衛権の行使」を一転容認したが、このまま自衛隊を憲法に明記すれば、歴代内閣が違憲としてきた活動が許される存在として、自衛隊を追認することになってしまう。」

「憲法について議論するのなら、そもそも改正が必要なのかという問題意識を常に持つべきだろう。自民党が一方的につくる議論の土俵に、安易に乗ってはならない。」

また、12月23日赤旗「自民の改憲論点整理 断じて認められない」は、小池晃書記局長の会見での発言を紹介しているが、その記事の中で、「自民党の船田元・憲法改正推進本部長代行が『2回目には2項は削る』という9条の『2段階』改憲に言及していることにもふれ、『ねらいははっきりしている。頭隠して尻隠さずだ』と批判」している。

「アベ9条改憲論」は、いま市民と立憲野党とが作っている9条改憲阻止のスクラムを壊そうというたくらみである。現在の改憲阻止共闘スクラムの中から、「自衛隊存置肯定」派や、「このくらいの改正で済むならならやむを得ない」派、あわよくば「専守防衛」派などを、切り崩そうというもの。

この「改正」実現だけで影響は甚大であり、しかも、次のステップはなお大きな危険を抱えている。その意図を見抜いて、断固はね返さなければならない。「なにも現状を変えるものではない」というアベのウソに、けっして欺されてはならない。かけがえのない平和を守るために。

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憲法改正に関する論点取りまとめ

平成29年12月20日
自民党憲法改正推進本部

1 これまでの議論の経過
(1) 自由民主党における憲法論議
日本国憲法は、本年5月3日に施行70周年を迎えた。この間、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義など憲法の基本原理は定着し、国民の福祉、国家の発展に大きな役割を果たしてきた。一方、70年の歴史の中でわが国内外の環境は大きく変化しており、憲法の規定の一部には今日の状況に対応するため改正すべき項目や追加すべき項目も考えられる。
自由民主党は結党以来、現行憲法の自主的改正を目指し、「憲法改正大綱草案」(昭和47年)、「日本国憲法総括中間報告」(昭和57年)、近年では「新憲法草案」(平成17年)、「日本国憲法改正草案」(平成24年)などの試案を世に問うてきた。これらは、党内の自由闊達な議論を集約したものである。

(2) 憲法改正推進本部における議論の状況
平成28年の初めから、憲法改正推進本部は具体的な改正項目を検討するため、総論的なテーマを掲げた有識者ヒアリング(平成28年2月~5月)、各論的なテーマを掲げた有識者ヒアリング(平成28年11月~29年6月)を行い、知見の集積及び整理を行ってきた。
こうした知見や議論を踏まえ、本年6月以降8回の推進本部会議において以下のテーマが優先的検討項目として議論された。わが国を取り巻く安全保障環境の緊迫化、阪神淡路大震災や東日本大震災などで経験した緊急事態への対応、過疎と過密による人口偏在がもたらす選挙制度の変容、家庭の経済事情のいかんに関わらずより高い教育を受けることのできる環境の整備の必要性など、わが国が直面する国内外の情勢等に鑑み、まさに今、国民に問うにふさわしいと判断されたテーマとして、
①安全保障に関わる「自衛隊」、
②統治機構のあり方に関する「緊急事態」、
③一票の較差と地域の民意反映が問われる「合区解消・地方公共団体」、
④国家百年の計たる「教育充実」の4項目である。
現段階における議論の状況と方向性は、以下の通りである。

2 各テーマにおける議論の状況と方向性
(1) 自衛隊について
自衛隊がわが国の平和と安全、国民の生命と財産を守る上で必要不可欠な存在であるとの見解に異論はなかった。
その上で、改正の方向性として以下の二通りが述べられた。
①「9条1項・2項を維持した上で、自衛隊を憲法に明記するにとどめるべき」との意見
②「9条2項を削除し、自衛隊の目的・性格をより明確化する改正を行うべき」との意見
なお、①及び②に共通する問題意識として、「シビリアンコントロール」も憲法に明記すべきとの意見が述べられた。

(2) 緊急事態について
国民の生命と財産を守るため、何らかの緊急事態に関する条項を憲法上設けることについて、以下の二通りが述べられた。
①選挙ができない事態に備え、「国会議員の任期延長や選挙期日の特例等を憲法に規定すべき」との意見
②諸外国の憲法に見られるように、「政府への権限集中や私権制限を含めた緊急事態条項を憲法に規定すべき」との意見
今後、現行憲法及び法律でどこまで対応できるのかという整理を行った上で、現行憲法体系で対応できない事項について憲法改正の是非を問うといった発想が必要と考えられる。

(3) 合区解消・地方公共団体について
両議院議員の選挙について、一票の較差(人口比例)への対応により行政区画と選挙区のずれが一層拡大し、地方であれ都市部であれ今後地域住民の声が適切に反映されなくなる懸念がある。このため47条を改正し、①両議院議員の選挙区及び定数配分は、人口を基本としながら、、行政区画、地勢等を総合勘案する、とりわけ、②政治的・社会的に重要な意義を持つ都道府県をまたがる合区を解消し、都道府県を基本とする選挙制度を維持するため、参議院議員選挙においては、半数改選ごとに各広域地方公共団体(都道府県)から少なくとも一人が選出可能となるように規定する方向でおおむね意見は一致している。同時に、その基盤となる基礎的地方公共団体(市町村)と広域地方公共団体(都道府県)を92条に明記する方向で検討している。

(4) 教育充実について
教育の重要性を理念として憲法上明らかにするため、26条3項を新設し、教育が国民一人一人にとっての幸福の追求や人格の形成を基礎づけ、国の未来を切り拓く上で欠くことのできないものであることに鑑みて、国が教育環境の整備を不断に推進すべき旨を規定する方向でおおむね意見は一致している。
89条は私学助成が禁止されていると読めることから、条文改正を行うべきとの意見も出されている。

3 憲法改正の発議に向けて
憲法改正は、国民の幅広い支持が必要であることに鑑み、4テーマを含め、各党各会派から具体的な意見・提案があれば真剣に検討するなど、建設的な議論を行っていきたい。                                                                      以 上
(2017年12月24日)

12月23日・A級戦犯処刑の日に。

本日、12月23日は、極東国際軍事裁判(東京裁判)において死刑の宣告を受けたA級戦犯7名が処刑された日として記憶される。69年前の今日のことだ。

判決が言い渡されたのは、同年11月12日。刑の執行の日取りについて特に定めはなかったが、皇太子明仁の誕生日を選んでの執行と伝えられている。

GHQと極東委員会は、諸般の事情や思惑があって天皇(裕仁)の戦争責任訴追はしないこととしたが、連合国の圧倒的世論は天皇(裕仁)の戦争責任追求を求めていた。A級戦犯7名の死刑の日を次期天皇の誕生日としたのは、国際世論との関わりがあるのだろう。将来の天皇の誕生日の都度、日本国民に日本の戦争責任を想起させる意図は当然あっただろう。あるいは、天皇に代わっての戦犯たちの死の意味を、国民に突きつけたいとしたとも考えられる。

「平和に対する罪」など、55の訴因で裁かれて死刑の判決を受け執行された7名は以下のとおりである。
東條英機 – 総理大臣(ハワイの軍港・真珠湾を不法攻撃)
板垣征四郎 – 陸相・満州国軍政部最高顧問・関東軍参謀長
木村兵太郎 – ビルマ方面軍司令官・陸軍次官
土肥原賢二 – 第12方面軍司令官(中国侵略の罪)
武藤章 – 第14方面軍参謀長
松井石根 – 中支那方面軍司令官(南京事件)
広田弘毅 – 唯一の文民(南京事件の残虐行為を止めなかった不作為の責任)

1978年に至って、靖国神社はこの7名に獄中死の下記7名を加えた14名を「昭和殉難者」として合祀した。この14名は、いずれも戦死者でも戦病死者でもない。死亡の理由は「法務死」とされている。広田弘毅に至っては軍人軍属でさえなく、軍への協力死でもない。

梅津美治郎
小磯国昭
白鳥敏夫
東郷茂徳
永野修身
平沼騏一郎
松岡洋右

当時の皇太子はその後40年を経て天皇となった。本日は、その地位に就任して29回目の天皇誕生日である。今日、A級戦犯の刑死はさしたる話題にならず、もっぱら明後年(2019年)の天皇の生前退位だけが話題である。GHQと極東委員会の思惑ははずれたことになるのだろうか。しかし、今日は昭和天皇の戦争責任を考えるとともに、国民精神を戦争に動員した天皇制の危険性について、思い語り合うべき日であろう。

その天皇(明仁)は昨日(12月22日)記者会見をした。自身の退位日が2019年4月末に決まったことに関して、「このたび、再来年4月末に期日が決定した私の譲位については、これまで多くの人々がおのおのの立場で考え、努力してきてくれたことを、心から感謝しています。残された日々、象徴としての務めを果たしながら、次の時代への継承に向けた準備を、関係する人々と共に行っていきたいと思います。」と話したという。

「私の譲位については、これまで多くの人々がおのおのの立場で考え、努力してきてくれたことを、心から感謝しています。」を翻訳すれば、「内閣も国会も、天皇への忖度ありがとう」「私が一言メッセージを発したら、皇室典範特例法を作って私の退位の希望を叶えてくれたことに感謝」ということだ。国政に関する権能を一切有しないはずの天皇の「実力」に触れた大いに問題ある発言。

さらにおおきな問題は、「象徴としての務め」だ。本来、「象徴」とは存在するだけのもの。「務め」も、「努め」も不要なのだ。天皇が自分で天皇のあり方を解釈し、ひとり歩きするようなことを憲法は想定していない。

国民意識の中に、次第に天皇の存在感が増しているのではないか。このことに、不気味さを禁じえない。
(2017年12月23日)

選挙共闘の候補者には、しかるべき人物を。

今年も残すところあとわずか。今年を振り返って憲法に関わる最大の出来事は第48回総選挙(10月22日投開票)だった。それぞれの立場からの総括はあるのだろうが、私にとっては今振り返ってなんとも無念な結果。全国的な総括はともかく、地元のことにはきちんと発言しておかなければならない。部分の出来事が全体の教訓ともなり得よう。

結論から言えば、地元の小選挙区では不適切共闘候補を抱えての選挙だった。立憲民主党所属の松尾明弘というこの候補者を、市民団体や共産・社民・自由などが、次回にも再度共闘候補として擁立するようなことがあってはならない。立憲民主党の候補者としても適切ではあるまい。

にもかかわらず、共闘候補としてまったくふさわしくないこの人物が、次回を目指して政治活動をはじめているという。これは看過しがたい。早いうちに、周りがきっぱりと「NO!」というべきだ。選挙が近づいてからの、ごたごたは御免をこうむる。選挙総括の今の時期に、はっきりしておかなくてはならない。

選挙に関わった政党や市民団体からは、面と向かって言い出しにくい事情もあろう。私はものが言いやすい。はっきり言っておこう。

「松尾明弘君、君は反アベ反自民を掲げる立憲野党の共闘候補としてふさわしくない。そのことを自覚して、今後立憲野党の共闘候補として立候補する意思のないことを公式に表明していただきたい。できれば、不出馬宣言と同時に野党共闘への協力姿勢堅持の表明もあってしかるべきだろう。そして、今後の選挙でそれにふさわしい立候補者が擁立された場合には、誠心誠意その当選のための運動に力を尽くすことも表明していただけたらありがたい。
 もとより政治活動の継続は君の自由だ。立候補も君の権利だ。誰もそれを妨害はできない。しかし、もし君があくまで立候補するというのなら、君の思想にふさわしい支持母体、たとえば自民党からの出馬をお勧めする」

「松尾明弘君を市民と野党の共闘候補として擁立された東京2区内の市民団体や諸政党の皆さま。彼が、市民と野党の共闘候補としてふさわしくないことをそれぞれの組織内でご確認のうえ、今後共闘候補としての擁立はあり得ないことを早期に公表されますよう、一市民として強く要望いたします」

私の地元の文京区は、革新の気風が強い土地柄。都議選では定員2のところ、共産党候補者が度々勝ってきた。ときには、トップ当選もした。もちろん、共産党だけでそんな力はない。革新票を共産党候補が集めてのことだ。今年の夏の都議選でも、225票の僅差で惜敗はしたが、共産党候補は28%を得ている。民進党よりもはるかに、存在感があるのだ。その文京区を中心に台東区・中央区と、港区の一部が総選挙における東京2区となっている。今回の選挙直前、その2区の野党共闘候補として立憲民主党の松尾明弘が突然に決まった。振り返ってみれば、あのごたごたの中での成り行き。やむをえない一面はあったのだろうが、関係諸政党からの共闘候補者決定の経緯は知らされなかった。

一度決まれば、疑義を挟めない。立ち位置の知れぬ立憲民主党の候補者であつても、自民党の議席を一つでももぎ取ることができるのならお手柄だ。そう思って、私も気乗りのしないまま投票依頼をした。

この選挙の前には知らなかったが、松尾明弘は弁護士である。私は、護憲運動や人権課題に携わる弁護士の事情に比較的通じた立場にある。だから、度々質問を受けた。「松尾さんってどんな弁護士さんですか」「これまで、どんな分野で活動をされてきた方ですか」。これに、なんとも答えようがないのだ。

正直に言えば、こんなところなのだ。「弁護士とは人権と社会正義を貫くのが使命ですが、松尾さんがそういう分野で仕事をしたという話しはまったく聞いたことがありません」「弁護士会は人権擁護のための諸活動に取り組んでいますが、彼がある分野で活躍したということは知りませんね」「平和や人権の課題に取り組み、その活動の延長として立候補したというなら応援したくもなりますが、そんなところはまったくなさそうです」「普通、政治家は大切にしている強い理念実現のために立候補するのですが、彼の場合にはなにも見あたりませんね」「いったい何のために、立候補したのやら」

もちろん、選挙中にそんな正直なことを言えるはずはない。気持ちは乗らなかったものの、「安倍自民党の9条改憲の策動を阻止するために、市民と野党の共闘候補である、松尾明弘さんをよろしく」と繰り返した。

この候補者、選挙中の東京新聞と朝日新聞の候補者アンケート回答で馬脚を現した。
まず、東京新聞アンケートを再現してみよう。
「設問1 改憲はどうする? 松尾明弘の答 改正すべきだ」
「設問2 憲法9条は? 松尾明弘の答 改正すべきだ」
「設問3 憲法9条の2項を残したまま自衛隊を明記することには  松尾明弘の答 賛成」
「設問5 安倍政権下で成立した安全保障関連法、特定秘密保護法、「共謀罪」の趣旨を含む改正組織犯罪処罰法についての評価は  松尾明弘の答 評価できるものも評価できないものもある」

「9条改憲賛成で」「憲法9条の2項を残したまま自衛隊を明記することに賛成」とは対決している敵の主張であり論理である。うっかりこんな者を当選させたら、敵に塩を送ることになる。大切な護憲派の一票を、アベ9条改憲派に掠めとられることになる。「安保関連法、特定秘密保護法、「共謀罪」法は、評価できるものも評価できないものもある」とは何ごとか。それでも、弁護士か。いや、良識ある市民か。なんのために法を学び、歴史を学んだのか。

朝日のアンケートに対する回答にも驚愕した。
「『原子力規制委員会の審査に合格した原子力発電所は運転を再開すべきだ』いう意見に、「賛成」「どちらかと言えば賛成」「どちらとも言えない」「どちらかと言えば反対」「反対」の5段階で求められた問への松尾明弘の回答は、「賛成」なのである。これも、明確な敵の立場だ。 

さらなる衝撃は、彼が軍拡論者だということだ。
「『日本の防衛力はもっと強化すべきだ 』に、「賛成」「どちらかと言えば賛成」「どちらとも言えない」「どちらかと言えば反対」「反対」の5段階の選択肢への回答を求められて、『賛成』と回答しているのだ。

これが、市民と野党の共闘候補か。共産党も、社民党も、立憲民主党も、こんな人物をどうして候補者としたのだ。いったい何を考えているのだ。どう責任を取ろうというのだ。いや、私も、こんな人物の票読みをしたのだ。謝罪して許しを乞うしかない。

彼は、これまで平和も民主主義も人権も、本気で考えたことはない。なんの理念もなく、選挙はイベントのノリでの出馬。客観的には、アベ改憲陣営から野党陣営に送り込まれた「トロイの木馬」の役割だ。野党陣営を撹乱し、護憲票を取り込んだ改憲派議員。

小選挙区制を所与の前提とする限り、改憲を阻止するには、改憲阻止を掲げる諸政党や無党派市民との共闘が不可欠である。しかし、現実の問題として共闘は難しい。難しいが、こんな人物を擁立してはならない。御輿に乗る人とかつぐ人が、真反対の方向を向いているような共闘は成立し得ない。見る夢がちがっていれば、夢の達成をともにすることはできないのだから。
(2017年12月22日)

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