つまらない国会の終わりに、つまらない首相による、まことにつまらない記者会見。
(2020年12月5日)
第203臨時国会は実質的に昨日(12月4日)閉会した。夕刻、菅首相が官邸で記者会見を行って、記者の質問にも応じた。正式な形の記者会見を国内で開くのは、首相就任直後の9月16日以来、2か月半ぶり2回目のこと。この人、極端に記者会見が嫌いなのだ。官房長官時代には記者を威圧して黙らせてはいたが、論理をたたかわせて納得を得る自信がないからなのだ。政治家としてはそれだけで失格だろう。
録画の会見を見たが、なんとも締まらない、面白くもない50分。高揚感に乏しい、おざなりの言葉のやり取り。一国のリーダーとして、国民に明日の希望を語りかけるなどという芸当にはほど遠く、つまらなさとむなしさだけが印象の全てである。
国会での質疑のテーマも、記者会見の題材も、実は問題山積である。コロナの問題一つを取っても、記者として聞かねばならないこと、正さねばならないことは山ほどもある。が、この日の会見の全てが、一方通行の原稿棒読みの印象。この首相の口から出る言葉には血が通っていない、感情も込められていない。発せられる言葉は、記号として理解するしかないが、その記号としての言葉も論理が成り立っていない。問に対応する回答がなく歯がゆさだけが積もっていく。本当につまらない国会の終わりに、つまらない首相から、つまらない記者会見を見せつけられた。この人、いったいいつまでもつだろうか。
下記が、「賢問愚答」の好例である。これは幹事社としての質問。予め、質問が官邸に届けられ、官邸が棒読み用の原稿を用意している。それでいて、この愚答である。
(毎日新聞・笈田記者)総理の説明責任に関連してお伺いします。日本学術会議の会員6名を任命されなかった問題をめぐって、今国会でも説明不足を指摘する声が相次いでいました。会員任命後、国内で総理が記者会見をされるのは今日が初めてとなりますので、(改めて伺います。)
(A)6人を任命しなかった理由と今後の対応、また、6人の方は具体的にどのような活動が認められれば将来的に任命される可能性があるのか、御説明いただけますでしょうか。
(B)また、学術会議の在り方の見直しについて、政府から独立した組織にすべきとお考えでしょうか。いつまでに結論を出し、いつから適用するお考えか、お聞かせください。
また、説明責任の関連で、説明不足を指摘する声は、桜を見る会の前夜祭で安倍前総理側が費用負担していた問題に関しても強まっています。検察は前総理を聴取する方針で、安倍前総理も今日聴取があれば応じる考えをお示しになりましたが、
(C)当時の官房長官として、前総理本人を含めて事実関係を確認した上で、国民に御説明するお考えはありますでしょうか。
総理は、過去の国会答弁については、答弁をした責任は私にあり、事実が違った場合は対応すると、今国会で答弁されました。
(D)誰のどういった判断を基に事実と異なるかどうかを御確認されて、具体的にどのような対応を採るお考えでしょうか。御説明ください。
首相の説明責任に関連しての質問だが、日本学術会議の会員6名に対する任命拒否問題について、(A)(B)の2問、桜を見る会の前夜祭について(C)(D)の2問である。これに対する答弁が次のとおり。
(菅総理)まず、私の会見の話でありますけれども、日本学術会議の任命について国会で何回となく質問を受けて、そこは丁寧にお答えをさせていただいています。この学術会議法にのっとって、学術会議に求められる役割も踏まえて、任命権者として適切な判断を行ったものです。
また、憲法第15条に基づいて、必ず推薦をされたとおりに任命しなければならないわけではないということについては、これは内閣法制局の了解を経た政府としての一貫した考え方であります。
そして、いずれにしろ、会員の皆さんを任命しますと公務員になるわけであります。公務員と同様でありますので、その理由についてはやはり人事に関することで、お答えを差し控えさせていただい。是非このことは御理解を頂きたいと思います。
また、一連の手続は終わっておりますので、新たに任命を行う場合には学術会議から推薦をいただくという必要があるというふうに思います。
また、私、梶田(かじた)会長とお会いをして、今後、学術会議として国民から理解をされる存在として、よりよいものをつくっていきたい、こういうことで合意しました。
そして、今後、どのように行っていくかについては、井上担当大臣の下で、梶田会長を始め学術会議の皆さんとコミュニケーションを取って議論をしているところであります。その方向性というのは、その議論の中で出てくるだろうと思います。
また、桜を見る会の中で、参議院予算委員会において私の答弁がありました。私は国会で答弁したことについて責任を持つことは当然である、そういう意味合いで私自身申し上げたことであります。
また、安倍前総理の関係団体の行事に関する私のこれまでの答弁については、安倍前総理が国会で答弁されたこと、あるいは必要があれば私自身が安倍前総理に確認しながら答弁を行ってきた、そういうことであります。
さて、(A)(B)(C)(D)の具体的な問に、回答があるか探してみよう。
(Aの回答)「6人を任命しなかった理由」については、決してお答えいたしません。お答えしない理由は、「人事に関することだから」という以上には、申し上げるつもりはありません。既に手続としては済んだことですので、「今後の対応」としては、学術会議から新たな推薦をいただくという必要があるというふうに思います。では、その場合、「6人の方は具体的にどのような活動が認められれば将来的に任命される可能性があるのか」については、お答えする意思はありません。
(Bの回答)また、「学術会議の在り方の見直しについて、政府から独立した組織にすべきとお考えでしょうか」「いつまでに結論を出し、いつから適用するお考えか、お聞かせください」という質問は、いずれも私の考え方を問うものですが、お答えいたしません。お答えすると、いろいろと方々に差し支えが生じることになるので、決してお答えいたしません。
(Cの回答)「当時の官房長官として、前総理本人を含めて事実関係を確認した上で、国民に御説明するお考えはありますでしょうか。」というご質問に、回答の意思はございません。そもそも回答の筋合いはないと思います。
(Dの回答)「誰のどういった判断を基に事実と異なるかどうかを御確認されて、具体的にどのような対応を採るお考えでしょうか。御説明ください。」と言われましても、説明できることと出来ないこととあるんじゃありませんか。この件については、ご説明できません。
菅流答弁の第一は、聞かれたことに答えないことにある。上手に躱しているというのでもなく、質問が不適切だということをアピールするでもなく、的を射た質問に、ひたすら回答を拒否するのみ。
そして、第二。なんともあからさまに平気でウソをつく。「日本学術会議の任命について国会で何回となく質問を受けて、そこは丁寧にお答えをさせていただいています。」とはよく言えたもの。
だから、記者会見がつまらなく虚しいのだ。