「安倍晋三が大嫌い」という方は、こぞって日本共産党への投票を。
(2022年6月30日)
安倍晋三という御仁、品性に欠けること甚だしい。保守の政治家に品位や倫理を求めるのが筋違いと言われればそのとおりではあろうが、この人の国会答弁におけるウソつきぶりは並外れたものだった。のみならず、「キョーサントー」だの、「ニッキョーソ」だのという、唐突に発せられる訳の分からぬ野次の印象が強烈である。
この御仁が長く我が国行政府のトップに君臨していたのだから、これは国恥というほかはない。私はナショナリストではないが、「国民はその民度(民主主義の成熟度と言ってもよい)にふさわしい政治しかもてない」という格言に照らして、アレが我々の民度(あるいは民主主義の成熟度)を映す鏡かと思うだに気恥ずかしさを拭えなかった。
この人、「国会で118回も嘘 安倍前首相は『虚偽答弁のホームラン王』」として名を上げたため、「国会でのウソの答弁は118回」だけだったと誤解されている向きもあるようだ。念のため、申しあげておきたいが、「国会での118回の嘘」は、衆参本会議と両予算委での「桜疑惑」に関するものだけ。しかも、衆院調査局が厳格に数えた固いところでの「明らかな虚偽答弁」の回数でしかない。安倍晋三のウソは、「モリ・カケ・サクラ・クロ・カワイ」「カジノにタマゴ」と際限がない。おそらく総計では、ウソ800回にもなることだろう。
ようやく首相の座からは降りてくれたものの、この人の品性欠如は宿痾と言わざるを得ない。改心は期待しえず生涯つきまとう運命なのだ。常に新たなウソをばら撒き、新たな疑惑を招き、新たな刑事告発を受け続ける身である。さらに世界のゴロツキとして名を上げたプーチンとは、兄たりがたく弟足りがたい間柄。
「ウラジーミル。君と僕は、同じ未来を見ている。行きましょう。ロシアの若人のために。そして、日本の未来を担う人々のために。ゴールまで、ウラジーミル、2人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか」
ウラジーミルとは言わずもがなのプーチンのこと。読むだに恥ずかしいこのセリフをシラフで口にしたのは、ウラジーミルの親友シンゾーである。2019年、ウラジオストク「東方経済フォーラム」でのスピーチの一節。
こんな恥ずべき安倍晋三にも、今回参院選で応援を依頼する候補者もいるのだという。信じがたいのだが、それが自民党という集団の現実。
その安倍晋三の演説の特徴は、反共に徹しているという。たとえば、こんな風に。
「憲法改正に取り組んでいきたい。多くの憲法学者が自衛隊違憲と言っている。共産党も違憲だと言っている。でも共産党は、いざというときは自衛隊を活用するといっている。おかしいじゃないか」「共産党との共闘を否定しない立憲もおかしいじゃないか」
おかしいだろうか。私には、ちっともおかしいとは思えない。アベノミクスやアベノマスクの方が何層倍もおかしいじゃないか。伝わってくるのは、安倍晋三にとっては、何よりも日本共産党が邪魔でしょうがないということ。改憲も軍事増強も、アベノミクス推進も、数々の不祥事も、共産党さえいなければ、もっとうまくやれたのに。という無念さが滲み出ている。
今や安倍晋三を恐れる必要はない。しかし、心配しなければならないのは、反共主義・反共宣伝というものの恐さである。反共は、独裁の前触れ、広範な共闘の破壊者である。戦争の前夜には反共の空気が世に満ちる。
安倍晋三とは、改憲派であり、歴史修正主義者であり、国家主義者であり、好戦派であり、戦前回帰派であり、加えて新自由主義者でもある。平和も、人権も、税制改革も、ジェンダー平等も、国民一人ひとりの豊かさも、安倍晋三の唱える反共主義の克服なしには実現しない。
平和や自由や平等を求める人は、品性欠いて、ウソつきで、反共の安倍晋三が大嫌いに違いない。躊躇なく、こぞって日本共産党への投票で、安倍晋三が代表する危険な方向への時代の流れに、大きなブレーキを掛けていただきたい。
ぜひとも、比例代表の投票には、「日本共産党」とお書きください。