日本は民主主義政体の国家である(はずである)。民主主義とは、民意に基づいて国家を運営することである(はずである)。特定のテーマで、圧倒的な民意が明確に示された場合には、政策の選択においてこれに従うべきが民主主義の常道でなくてはならない(はずである)。さて、日本は本当に民主主義国家なのであろうか。民意が尊重される国であるのだろうか。そのことが、今試されようとしている。
沖縄県民が、安倍政権に鋭い問を突きつけている。「中央政府は、民主主義の何たるかを理解しているのか」「ここまで明確になった沖縄の民意を無視できるのか」。43万余の積み上げられた辺野古新基地建設反対の投票数と、この得票によって明確となった県民の民意の存在はこの上なく重い。
注目の、辺野古新基地建設の可否を問う沖縄県民投票。昨日(2月24日)投開票が行われ、25日0時30分に開票が終了。ほぼ予想されたとおりの開票結果となった。
投票率は52・48%。辺野古沿岸部の埋め立てに「反対」が43万4273票、有効投票の72・2%となった。なお、「賛成」は19・1%、「どちらでもない」が8・8%であった。
県民投票条例に基づいて、玉城デニー知事は近く安倍晋三首相とトランプ米大統領に開票結果を通知することになる。当然に、辺野古新基地建設を断念するよう要請することになるが、果たして日米両政府はこの要請にどのように対応するであろうか。とりわけ、日本の政府の対応が注目される。沖縄県民が示した民意を真摯に尊重して大浦湾埋立を断念して、日本が民主主義国家であることを証明できるだろうか。それとも、明確に示された民意を歯牙にもかけずに蹂躙することになるのだろうか。安倍政権の民主主義に対する体質が根底から問われている。
本日(2月25日)の各紙の社説が興味深い。朝日・毎日・東京が「県民投票の結果を尊重せよ」との論陣。極めて常識的な見解と言えよう。産経だけが、「国は移設を粘り強く説け」という苦汁のレトリック。読売・日経は、社説を掲載していない。戦線離脱である。
タイトルだけで、各紙の立場はほぼ理解できる。
沖縄県民投票 結果に真摯に向きあえ (朝日)
「辺野古」反対が多数 もはや埋め立てはやめよ(毎日)
辺野古反対 沖縄の思い受け止めよ (東京)
朝日社説は言う。「沖縄県民は「辺野古ノー」の強い意思を改めて表明した。この事態を受けてなお、安倍政権は破綻が明らかな計画を推し進めるつもりだろうか。」
毎日社説は言う。「もはや普天間の辺野古移設は政治的にも技術的にも極めて困難になった。政府にいま必要なのはこの現実を冷静に受け入れる判断力だ。」
そして東京社説は言う。「民主主義国家としていま、政府がとるべきは、工事を棚上げし一票一票に託された県民の声に耳を傾けることだ」。いずれも、当然の理を述べている。
沖縄県民投票 国は移設を粘り強く説け(産経)
産経は、「投票結果は極めて残念である。政府はていねいに移設の必要性を説き、速やかに移設を進める必要がある。」「県民投票に法的拘束力はない。辺野古移設に代わるアイデアもない。日米両政府に伝えても、現実的な検討対象にはなるまい。」という。
さて、産経は「埋立反対の県民投票の結果に法的拘束力はない」という。では、強引に大浦湾を埋め立てている政府の側には、何らかの「法的拘束力があるのか」といえば、やはり「埋立をしなければならない法的拘束力はない」のだ。
すべての法にとって、その「拘束力」の源泉は主権者の意思、すなわち民意にほかならない。「埋立反対」の側に民意のあることが明瞭であって、「埋立賛成」の側に民意はない。
以下に、運動の主体となった「『辺野古』県民投票の会」の声明を引用しておきたい。文中の「安全保障政策を支える基盤は、基地の所在する地域の民意である。安全保障問題が国の専権事項であることを理由に沖縄の民意を踏みつぶすことがあってはならない。」が、十分に産経論説への反論となっている。
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? 声 明
本日実施の県民投票の結果が明らかになった。
投票率52.48%、米軍基地建設のための「辺野古」埋立てについて「反対」票43万4273票(72.2%)、「賛成」票11万4933票(19.1%)、「どちらでもない」票5万2682票(8.8%)となった。
有権者の過半数を超える県民が投票所に足を運び、各人の意思を表明されたことにまず感謝を申し上げたい。
投票者の72.2%にあたる43万4273名という多くの県民(全有権者の37.6%)が、埋立て反対票を投じ、明確な反対の民意を示したことの意味は大変重い。
私たちは、今回の県民投票は、一つの争点につき明確な県民の意思を表明した点で、この国の民主政治の歴史に新たな意義ある一歩を刻んだと確信している。
私たちは改めて、県民投票の実現に尽力された多くの県民に敬意を表するとともに、御礼を申し上げ、県民の皆様とともに県民投票の成功を喜びたい。
今回の県民投票は、目前で強行されている「辺野古」埋立ての賛否を問い、審判を下すものであった。その本質は、辺野古への代替施設建設が普天間飛行場の危険性除去(基地返還)のための「唯一の選択肢」だと判断した国策の是非を問うものであった。
それに対し、沖縄県民は県民投票により明確に反対の意思を示した。政府はこの民意を重く受け止め、民主主義の基本に立ち返り、直ちに「辺野古」埋立て工事を中止・断念すべきである。
安全保障政策を支える基盤は、基地の所在する地域の民意である。安全保障問題が国の専権事項であることを理由に沖縄の民意を踏みつぶすことがあってはならない。
辺野古米軍基地建設のための埋立てに対し明確な反対の民意が示された今、これから問われるのは本土の人たち一人ひとりが沖縄の民意を踏まえて当事者意識を持ち、この国の安全保障及び普天間飛行場の県外・国外移転についての国民的議論を行うことである。
そして政府は、普天間飛行場の危険性除去(基地閉鎖・返還)を最優先に米国政府との交渉をやり直し、沖縄県内移設ではない方策を一刻も早く検討すべきである。
県民投票は、当面する「辺野古」問題への沖縄県民の明確な民意を示すだけでなく、国策決定(辺野古米軍基地建設のための埋立て)における民主主義のあり方を問う実践の場でもあった。
私たちは、この国にはいまだ民主主義政治が健在であると信じたい。
今回の県民投票は、この国に住む全ての人たちに民主主義のあり方を改めて問うものでもある。国民一人ひとりが、この問題を真剣に考えるべきである。
そして、政府は、直ちに「辺野古」埋立て工事を中止・断念し、沖縄県内移設によらない普天間飛行場の危険性除去(基地閉鎖・返還)に向けた英断を行うことを強く期待する。
最後に、玉城デニー知事に対しては、「反対」票が全有権者の4分の1を超えたので、辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票条例第10条3項に基づき、速やかに、内閣総理大臣及びアメリカ合衆国大統領に対し、結果を通知するとともに、沖縄県民の民意に沿った諸行動をとることを切望する。
2019年2月24日
「辺野古」県民投票の会
(2019年2月25日)
本日(2月14日)が沖縄県民投票の告示日。沖縄全県で24日に投開票が行われる。投票結果について、「賛成または反対の多い方の票数が投票資格者の総数の4分の1に達したときは、知事はその結果を尊重しなければならない」(県民投票条例第10条第2項)と定められており、「その結果を知事が内閣総理大臣(安倍晋三)及びアメリカ合衆国大統領(ドナルド・トランプ)に対し通知する」もの(同条第3項)とされている。
本日、玉城知事が以下のコメントを発表している。
投票日の告示について
本日、辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票条例第4条第2項の規定に基づき、県民投票の投票日を2月24日・日曜日とすることを告示いたしました。
今回の県民投票は、普天間飛行場の代替施設として国が名護市辺野古に計画している米軍基地建設のための埋立てに対し、県民の意思を的確に反映させることを目的に実施いたします。
投票は、投票用紙の「賛成」の欄、「反対」の欄、又は「どちらでもない」の欄のいずれか一つに「○」の記号を記入する方法で行います。
また、期日前投票も、明日2月15日・金曜日から実施されます。
私自身も、明日早速、期日前投票を行うこととしております。
県民投票は、県民の皆様ご自身の意思を直接示すことができる大変重要な機会です。県民の皆様には、ぜひ、投票所に足を運んでいただき、貴重な一票を投じていただくようお願い申し上げます。
平成31年2月14日
沖縄県知事玉城デニー
そして、本日の地元紙沖縄タイムスの社説を引用(抜粋)しておこう。
[県民投票きょう告示]沖縄の将来像を語ろう
「ようやく」という言葉がふさわしいのかもしれない。名護市辺野古の新基地建設を巡る県民投票が、24日の投開票に向け、14日、告示された。
国が進めている埋め立ての賛否を問うもので、「賛成」「反対」「どちらでもない」の三つの選択肢の中から、いずれかに「○」を記入する。
今さら法的拘束力もない県民投票を実施する必要がどこにあるのか?そんな声は今もある。だが、県民投票を実施する最大の理由は、まさにそこにある。
「他に選択肢がない」という言い方は、政策決定によってもっとも影響を受ける者の声を押しつぶし、上から目線で「これに従え」と命じているのに等しい。実際、選挙で示された民意はずっと無視され続けてきた。
県民投票は、戦後74年にわたる基地優先政策が招いたいびつな現実を問い直す試みでもある。
軟弱地盤の改良工事のため、当初の予定を大幅に上回る工期と建設経費がかかることも明らかになってきた。状況が変わったのだ。
米軍普天間飛行場の一日も早い危険性除去をどう実現すべきか。辺野古の自然環境は果たして保全されるのか。
埋め立ての賛否を考える上で避けて通れないのは、この二つの論点である。
県民投票に法的な拘束力はない。どのような結果になっても計画通り工事を進める、というのが政府の考えである。
しかし、「反対」が多数を占めた場合、玉城知事は辺野古反対を推し進める強力な根拠を得ることになる。
県民投票によって、疑う余地のない形で沖縄の民意が示されれば国内世論に変化が生じるのは確実だ。政府が辺野古での工事を強行しているのは、県民投票を意識している現れでもある。
さて、埋立についての法的問題の経過を確認しておきたい。
公有水面埋立法によれば、海面を埋め立てるには知事の許可または承認を要する。沖縄防衛局の大浦湾埋立を仲井真知事(当時)が承認し、翁長前知事が承認を撤回した。これが、昨年(2018年)8月31日。但し、同知事は8月8日に死去して、知事代行の副知事が撤回の意思表示をしている。
その状態で、沖縄県知事選が行われ、9月30日に「オール沖縄」の玉城デニー候補が圧勝した。
知事選後、アベ政権は沖縄に寄り添う姿勢を捨てた。10月17日には沖縄防衛局が国交大臣に対して承認撤回を理由のないものとして、行政不服審査法に基づく審査請求をし、併せて「(撤回の効力についての)執行停止」を申立てた。同月30日、国交相の執行停止決定がなされ、工事が再開されることになる。12月14日、辺野古沿岸部に土砂が投入され埋め立てが始められた。いま、美ら海が土砂で埋められつつある。
そのような時期における県民投票であるが、沖縄タイムス社説が言うとおりの、事情変更が明らかになっている。「軟弱地盤の改良工事のため、当初の予定を大幅に上回る工期と建設経費がかかる」ことが明らかになってきたのだ。
以前から軟弱地盤問題は知られていたが、予想を遙かに上回るものであることが確認されつつある。「辺野古軟弱地盤 最深90メートル」「杭は7.7万本必要」「砂650万立方メートル」「新基地は不可能」と各紙の見出しが躍っている。
この軟弱地盤、最大の水深90メートル(海面から海底まで30メートル、地中60メートル)に達する、という。土木工学の専門家が、これだけの深さの地盤改良工事は前例がなく、技術的にも極めて困難、これを可能とする地盤改良船は日本にはないという。
この軟弱地盤の改良工事は、護岸部分はサンドコンパクションパイル(SCP)工法(強固に締固めた砂杭を地中に造成して地盤を改良する工法だという)で3万8945本、埋め立て部分はサンドドレーン工法で3万7754本、合わせて7万6699本になるのだという。
地盤改良区域の面積は約65ヘクタール(新基地建設埋立て区域160ヘクタールの約4割)。砂杭に使用する砂の量は東京ドーム5・25杯分にあたる約650万立方メートルに達するという。
当然に、沖縄県の地盤改良工事のための設計変更許可が必要になろう。安倍首相は1月31日の衆院本会議で、軟弱地盤の改良工事のため計画変更の承認を沖縄県に申請すると、政府として初めて言及したという。が、県が許可できるはずはない。
こうして、「辺野古新基地建設は法的にも技術的にも不可能であることが鮮明になりました」(しんぶん赤旗)というのが常識的なものの見方。計画は白紙にするほかなかろう。
このような事態での県民投票である。政権の思惑は、早期に既成事実を積み重ねて県民を諦めさせることだった。しかし、そうはなりそうにもない。投票の結果次第では、辺野古新基地建設を断念させることができそうではないか。運動の成果を期待したい。
(2019年2月14日)
辺野古新基地建設に伴う大浦湾埋め立ての是非を問う2月24日沖縄県民投票。ようやく、県内の全市町村で実施される見通しとなった。まずは、安堵の思い。「県民投票」の具体的内容については、県の公報が丁寧に解説している。末尾にこれを引用するので、ご参考にされたい。
ここまで来る道は平坦ではなかった。県民世論の所在を明確にするための「埋め立ての賛否を問う」投票に、これだけの抵抗と妨害があるのだ。県民世論が明確になることを快く思わぬ勢力が根強いことをもの語っている。もちろん、その勢力の裏側には、中央政権の存在がある。
県民投票を求める運動が具体的に動き出したのは、前翁長雄志知事生前の昨年(2018年)5月。「『辺野古』県民投票の会」(代表・元山仁士郎)が県民投票条例制定の直接請求署名運動を開始し、9月までに必要数(有権者の50分の1・2万3千筆)の約4倍にあたる92,848筆の署名を集めて県議会に提出した。
これを受けて、県政与党(オール沖縄派)は回答の選択肢を「賛成」「反対」の2択とした県民投票の条例案を作成して上程。これに対し、県政野党である沖縄・自民党と、中立派の公明党は「賛成」「反対」に、「やむを得ない」「どちらとも言えない」を加えた4択とする案を提出。結局、野党案(4択案)は否決され、与党案(2択案)が賛成多数で可決成立して、県民投票条例は10月31日公布となり、その後投開票実施日は2019年2月24日とされた。ここまでは、順調だった。
ところが、投票事務の実施をすることとされた、県内市町村の首長や議会は、必ずしも県政与党派と同じ立場ではない。選挙事務執行のための補正予算が市町村議会に上程されたが、うるま市・沖縄市・宜野湾市・糸満市・宮古島市・本部町・金武町・与那国町の8市町で補正予算案を否決。最終的に宮古島・宜野湾・沖縄・石垣・うるま5市の市長が県民投票不参加を表明した。これによって、全有権者の31%に当たる約36万7千人が投票の機会を失う事態となった。
この事態を打開したのは県民の運動だった。県内全域で、とりわけ県民投票不参加を表明した5市で、「投票権奪うな」の声が巻きおこった。このことは、記憶に留めておかねばならない。
県は各市長に、事務を行うべき「法的義務」があるとして助言や勧告を行った。玉城知事や謝花副知事は、足を運んで各市長へ協力の要請を重ねた。また、行政法や地方自治の専門家からは、参政権を奪うことの違憲・違法を指摘する意見も相次いだ。
そして、県民投票の会元山代表のハンガーストライキが事態を動かした。
琉球新報は、「県民の熱意が政治を動かした 元山さんのハンストで事態急展開 辺野古県民投票」との記事で、「事態が急展開したのは、県民投票条例を直接請求した「辺野古」県民投票の会の代表で、大学院生の元山仁士郎さんが15日に始めた宜野湾市役所前での24時間のハンガーストライキだった。投票を実施しない市長への抗議の意思を示す元山さんのストライキは19日まで続き、同時に集めた全県実施を求める請願には5千人が署名した。」「一連の出来事は、政治の流れを決めるのは、政治家でも行政でもなく、主権者である市民なのだということを改めて示した。」としている。
結局は、県議会与野党の再議で、回答の選択肢を「賛成」「反対」の2択から、「賛成」「反対」「どちらでもない」の3択に修正することでの合意が成立した。
しかしこれもけっしてすんなり決まったわけではない。自民党は、「普天間飛行場移設のための辺野古移設はやむをえない」「反対」「どちらともいえない」とする3択案を主張した。これを与党である“オール沖縄”側が拒否して、与党も妥協した「賛成」「反対」「どちらでもない」の3択案で全会派一致となった。これが、一昨日のこと。正式には、1月29日の県議会で、条例改正案が可決成立となる予定という。
県自民党が折れたのは、このままでは、県民世論の風圧に耐えられなくなるとの判断によるものだろう。5市を抜きにした県民投票が実施され、しかも、圧倒的に「埋立反対」の結果が出た場合、投票を妨害した責任を問われることになる。ボルテージの高い民意を敵にまわして、到底支えきれないと読んだのだろう。これが、沖縄県民の運動の成果である。
とはいえ、本来は投票の選択肢は2択であるべきだったろう。いま、恒久的な新基地建設のために、辺野古の海が埋め立てられつつある。埋立を止めさせるのか、続けさせるのか。とるべき政策は一つでしかない。投票回答は、埋立に「反対」か、「賛成」かのどちらかでなければ意味をなさない。「どちらでもない」とは、いったい何のことだ。どうしようというのか、さっぱり分からない。この回答は、主権者として無責任ではないか。
考えられるのは、「反対」の意見をもつ人に、「賛成」票を投じるよう説得は難しい。「せめて、『どちらでもない』に投票していただきたい」という切り崩しに役に立つ、という思惑なのだろう。
雨降って地固まる、というではないか。この間の県民の全県での投票を求める運動の昂揚は、辺野古新基地建設反対に弾みをつけたのではないだろうか。2月24日には、圧倒的な県民世論の「反対」の声を聞きたい。
それにしても、この件についての本土における関心の低さが気になってならない。自分の問題としてとらえられていないのだ。ことあるごとに、訴えなければならないと思う。
(2019年1月26日)
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沖縄県広報
平成31年2月24日(日曜日)は県民投票です。
この県民投票は、辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う
県民投票条例(平成30年沖縄県条例第62号)に基づき、
「普天間飛行場代替施設建設のための辺野古埋立てについて」
の賛否を問うものです。
通常の選挙とは異なり、特定の候補者に投票するものではなく、
投票用紙の賛成欄又は反対欄に〇の記号を記載する方法で投票を行います。
この投票により、県民の皆様の意思を明確に示すことができます。
?県民投票の意義
?この県民投票は「米軍基地建設のための名護市辺野古の埋め立て」 に対し、県民の皆さまの賛否を明確に示すことを目的としています。
日本政府は、普天間飛行場の代替施設となる米軍基地建設のため、名護市辺野古の埋立てを計画しています。
県経済や子育て施策などさまざまな課題について政策を訴える候補者に票を投じる選挙とは異なり、今回の県民投票で問うのは、名護市辺野古の埋め立てに「賛成」か「反対」かの賛否のみです。県民一人一人が改めて、辺野古の基地建設のための埋め立てについて考え、意思を明確に示すことができます。
投票の結果、「賛成」「反対」どちらか多い方が一定数に達した場合、日本の総理大臣、アメリカ大統領にも通知します。
県民投票条例制定について
この県民投票は、県民の9万2848筆の署名の提出を伴った住民投票条例制定の直接請求※1を受け、沖縄県が条例案を県議会に提案、県議会の審議・可決制定を経て、実施が決定しました。
沖縄県は条例案の可決を受け、平成30年10月31日に「辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票条例」を公布し、投票運動や投票できる資格者、投票に必要な事項を次のように定めています。
投票資格者(第5条) 平成31年2月13日時点で以下に当てはまる人。
日本国籍のある満18歳以上(2月14日生まれも含む)で、沖縄県内の市町村に3カ月以上住所があり、その後も沖縄県内に住所がある人で、投票資格者名簿に登録されている人。
投票数(第6条)1人1票投票の秘密保持(第8条)投票した人が、投票した内容を明かす義務はありません。県民投票の情報提供(第11条) 沖縄県は、県民の皆様が賛否を判断するため必要な広報活動、情報の提供を客観的、中立的に行うものとする。
※1 住民の直接請求は地方自治法によって定められています。
投票の結果について
1 辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票条例 第10条
知事は、県民投票の結果が判明したときは、速やかにこれを告示しなければならない。
2 県民投票において、本件埋立てに対する賛成の投票の数又は反対の投票の数のいずれか多い数が投票資格者の総数の4分の1に達したときは、知事はその結果を尊重しなければならない。
3 前項に規定する場合において、知事は、内閣総理大臣及びアメリカ合衆国大統領に対し、速やかに県民投票の結果を通知するものとする。
2月24日投開票が予定されている「辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票」。住民の直接請求を受けて、沖縄県議会が可決した住民投票条例によるもの。その事務手続は、各市町村が代行することになっており、その費用は県が負担する。
この投票事務手続委任の趣旨を木村草太さんは、沖縄タイムスへの寄稿の中で次のように説明している。
「地方自治法252条の17の2は、「都道府県知事の権限に属する事務の一部を、条例の定めるところにより、市町村が処理することとすることができる」とする。今回の住民投票条例13条は、この規定を根拠に、投票に関する事務は「市町村が処理する」こととした。
なぜそうしたのかと言えば、投票所の設置や投票人名簿の管理は、国や県よりも地元に密着した市町村が得意とする事務だからだ。つまり、今回の事務配分は、各市町村に投票実施の拒否権を与えるためではなく、あくまで県民投票を円滑に実施するためのものだ。」
この点を、沖縄県のホームページはこう解説している。
Q5 市町村事務に要する経費について
市町村の事務の執行に要する経費については、地方財政法第28条の規定に基づいて全額、県が負担し、市町村に交付します。市町村が実施する投票に関する事務の主なものは「名簿の調整」、「投票の実施」、「開票の実施」に係る事務があります。
ところが、この投票事務手続に関して、県内5市(沖縄、宜野湾、うるま、宮古島、石垣)が実施を拒否して事実上の投票不参加を表明している。
この実施拒否はおそらくは違法だ。違法な上に、住民の意見表明の権利を侵害している。これは、官邸や自民党の意向を忖度した宮崎政久・自民党議員の煽動によるところが大きく、5市の関係者の責任は重く大きい。そのことは明確だが、いまどう対応すべきか、それが喫緊の課題となっている。
なによりも全国の世論の結集と糾弾が最重要であろう。それを背景に、県から総務省に緊急に要請して、同省から各市町村への行政指導を求めるのが、一つの手立てではないか。あるいは、5市の住民から、各市を被告とする直接型義務付け訴訟の提起と、仮の義務付けの申立(行政訴訟法第37条の5・1項)ができないだろうか。
ところで、一昨日(1月15日)、「2・24県民投票じのーんちゅ(宜野湾市民の意)の会」が、同市で記者会見し、市を相手とする投票権侵害に対する国家賠償請求訴訟に向けて、原告を募集することを発表した。当座の間に合わないが、これも、インパクトが大きい。
原告募集期間は、2月24日まで。宜野湾市に住む同県民投票の投票資格者を対象としている。訴額(損害賠償請求額)は1人1万円、費用負担は訴訟費・事務経費などで1人千円で、3月の提訴を目指しているという。
「同会共同代表の宮城一郎県議は、原告団の規模の目安は同県民投票を求める市内の有効署名数の4813人と発言。「お金で償ってもらうというのは本来の趣旨ではない。やはり私たちの権利を奪うことの償いとして、その罪を歴史に残す」と説明しました。会は並行して、松川市長に引き続き県民投票の参加を求めていく構えです。」(TBS) また、宜野湾だけでなく、宮古島などでも同様の動きがあるという。
関連して提案したい。この損害賠償請求の提訴には、宜野湾市だけでなく、松川市長個人も、県民投票参加に反対した保守系議員も被告にすべきではないだろうか。
地方自治法の規定によって、県から事務の委託を受けた市は、その執行の義務を負うものと解される。だからこそ、市長は受託事務の執行やその予算を議会に提案した。議会がこれを否決すると、市に義務がある限り、市長はその義務遂行のために、議案を再提案(再議)しなければならない。そして、再び否決されても、やはり市の義務の遂行のためには、否決された受託事務を執行しなければならない。
この義務に違反していることが明らかな市と市長が、損害賠償の義務を負うべきことは分かり易い。この点を、今話題の自民党・宮崎政久衆院議員が作成・配布した12月5日付「県民投票条例への対応について」と題する2頁の資料には、このように記されている。
3 市町村議会で予算案を否決した場合の取り扱い
地方自治法177条第1項により、当該市町村長は再議に付さなければならない。
再議における議会の議決で再度否決された場合は、同条第2項により、当該市町村長は当該予算案を原案執行することが可能である。
しかし、この原案は執行することが「できる」のであって、議会で予算案が否決された事実を前に、これに反して市町村長が予算案を執行することは議会軽視であり、不適切である。
果たしてそうだろうか。もともと、市は県から委託された事務を執行する義務を負っている。この「できる」は、再否決によっても義務を免除されない意と読むべきであって、「執行してもしなくてもよい」意と解してはならない。行政庁が「できる」とされた権限の不行使が違法とされる例は、数多くある。
むしろ問題は、議案に反対した議員の責任である。
やはり、宮崎が作成した、12月8日付の「県民投票条例への対応に関する地方自治法の解釈」と表題する文書には、
「予算案を否決することに全力を尽くすべきである。議員が損害賠償などの法的な責任を負うことはない」
との一文が見える。明らかに無責任な煽動というしかない。「法的な責任を負うことはないのだから」と、「市の義務の執行のための予算案」を無責任に否決した議員を特定して、その責任を問わねばならない。煽動した宮崎も、煽動された議員側も、予算案を否決する議決に責任が伴うことは考えていないようだ。しかし、憲法51条の議員の発言・表決についての免責特権は国会限りのもので、地方議会の議員に適用はないとされている。私自身の経験でも、以下のような判例がある。
(1991年1月10日・岩手靖国訴訟仙台高等裁判所判決)
「県議会のした国の代表及び国賓による靖国神社公式参拝が実現されるよう強く要望するとの趣旨の決議が違憲無効であることを前提として,同決議を可決して県に同決議事項を内容とする意見書等の印刷費並びに同意見書等を内閣総理大臣,総理府総務長官及び衆,参両議院議長等に提出するための旅費の支出による損害を被らせたこと及び法律上の原因なく前記旅費の支給を受けたことを理由として提起された地方自治法242条の2第1項4号後段に基づく議員個人に対する損害賠償請求及び県議会議長に対する不当利得返還請求につき,議員の発言又は表決は,地方自治法99条2項所定の地方議会の議決がその後の司法判断により違法とされても,その議決当時,前記発言又は表決の対象となった議決の内容に関する法的解釈が分かれている状況にあった場合には,前記発言又は表決が憲法及び法令の遵守義務を負う議員としての見識に基づき,かつ,相当の根拠と合理性を有する法解釈に依拠している限り,違法と評価されるべきではなく,また,議長は,議決の違憲性又は違法性が一見明白でない限り,議決に従って職務を行うべきであるから,職務上の行為としてした意見書等の印刷及び意見書等の提出のための出張は,違法とはいえず,その行為のため支出された費用を取得しても不当利得とはならない」
議員に責任を負わせることはできなかったが、この高裁判例の射程距離からは、煽動された5市の議員らが「憲法及び法令の遵守義務を負う議員としての見識に基づき,かつ,相当の根拠と合理性を有する法解釈に依拠していない」ことが明らかである以上は、有責と考えざるを得ないではないか。
(2019年1月17日)
本日(1月14日)は「成人の日」。数少ない、天皇制とは無縁の、戦後に生まれた祝日。「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」日(祝日法)とされている。関東は天気も晴朗。「みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」にふさわしい日となった。私も、この日に、若者諸君に祝意と励ましの言葉を贈りたい。
何をもって「成人」であることを自覚するかは、社会によって時代によって異なる。かつての日本では徴兵検査だった。その時代、すべての成人男子には否応なく兵役の義務が課せられた。男子にとって大人になるとは、天皇の赤子として、天皇の軍隊の兵士になる義務を負うことだった。軍人勅諭を暗唱し、行軍と殺人の訓練を受けた。戦地に送られ、命じられるままの殺戮を余儀なくもされた。
その時代、主権は天皇にあって国民にはなかった。立法権も天皇に属し、帝国議会は立法の協賛機関に過ぎなかった。女子には、その選挙権も被選挙権もなかった。その時代、天皇制を支えた家制度において女性は徹底的に差別され、民事的に「妻は無能力者」とされていた。
あり得ないことに、天皇は神を自称していた。もちろん、神なる天皇は操り人形に過ぎなかった。この天皇を操って権力や富をほしいままにした連中があって、その末裔が今の日本の保守政治の主流となっている。
天皇、戦争、女性差別は一体のものだった。そのような非合理な国は亡ぶべくして亡びた。国の再生の原理は、新しい憲法に確固として記載された。国民主権、平和、そして自由と平等である。徴兵制はなくなった。天皇に対する批判の言論も自由である。女性差別もなくなった…はずである。その憲法の「改正」をめぐって、いませめぎ合いが続いている。
平和も、国民主権も、性差のない平等も、言論の自由も、昔からあったものではない。これからずっと続く保障もない。現実に、憲法は一貫して「改悪」の攻撃に曝されている。徴兵検査のない成人式も、主権者の意識的な努力なければ、今後どうなるか定かではない。
私たち戦後間もなくの時代に育った世代は、日本国憲法の理念を積極的に受容して、今日までこの憲法を守り抜いてきた。しかし、この憲法をよりよい方向に進歩させることは今日までできていない。いま、せめぎ合っているのは、憲法を進歩させようという改正問題についてのことではない。大日本帝国憲法時代の「富国強兵」の理念を復活させようという勢力が力を盛り返そうとしているのだ。言わば、「成人男子には徴兵検査を」という時代への方向性をもった「憲法改悪」なのである。
今の若者は保守化していると言う言葉をよく聞く。しかし、今のままでよいじゃないかというほどの社会はできていない。今のままでは将来が不安だと若者たちも気付いているはずだ。
この世の不正義、この世の不平等、権力や資本の横暴、人権の侵害、平和の蹂躙、核の恐怖、原発再稼働の理不尽、沖縄への圧迫。格差貧困の拡大、過労死、パワハラ、セクハラ…。この世の現実は理想にほど遠い。若さとは、この現実を変えて理想に近づけようという変革の意志のことではないか。
若さとは将来という意味でもある。社会がよりよくなればその利益は君たちが享受することになる。反対に社会が今より悪くなればその不利益は君たちが甘受しなければならない。
君たちには多様な可能性が開けている。未来は、君たちのものだ。君たち自身の力で、未来を変えることができる。これから長く君たちが生きていくことになるこの社会をよりよく変えていくのは君たちだ。
さて、今年は、選挙の年だ。君たちの一票が、この国の命運を決める。とりわけ7月に予定の参院選。いまは、自・公・維・希の改憲勢力が、かろうじて議席の3分の2を占めている。この3分の2の砦を突き崩せば、安倍改憲の策動は阻止することができる。君たちの肩に、主権者としての責任が重くのしかかっている。
投票日だけの主権者であってはならない。常に、主権者としての自覚をもって、民主主義や人権・平和のために何ができるかを考える人であって欲しいと思う。
一つ、主権者としての自覚における行動を提案したい。DHCという、サプリメントや化粧品を販売している企業をご存知だろうか。その製品を一切購入しない運動に参加して欲しい。商品の積極的不買運動、ボイコットでこの企業に反省を迫ろうというのだ。
DHCとは、デマとヘイトとスラップをこととする三拍子揃った企業。その会長である吉田嘉明が在日や沖縄に関する差別意識に凝り固まった人物。電波メディアを使って、デマとヘイトの放送を続けている。そして、吉田嘉明とDHCは、自分を批判する言論に対するスラップ(言論抑圧を動機とする高額損害賠償訴訟)濫発の常習者でもある。詳しくは、当ブログの下記URLを開いて、「DHCスラップ訴訟を許さない」シリーズをお読みいただきたい。
https://article9.jp/wordpress/?cat=12
あなたがなんとなくDHC製品を買うことが、デマとヘイトとスラップを蔓延させることになる。あなたの貴重なお金の一部が、この社会における在日差別の感情を煽り、沖縄の基地反対闘争を貶める。また、安倍改憲の旗振りに寄与することにもなる。
言論の自由を圧迫するスラップ訴訟は、経済合理性を考えればあり得ない。しかし、DHCの売り上げの一部が、こんな訴訟を引き受ける弁護士の報酬にまわることにもなる。
DHC製品不買は、「消費者主権」にもとづく法的に何の問題もない行動。意識的にDHC製品を購入しないだけで、この社会からデマとヘイトとスラップをなくすることができる。若者たちに訴える。ぜひ、主権者としての自覚のもと、「DHC製品私は買わない」「あなたも買っちゃダメ」と多くの人に呼びかけていただきたい。投票日だけの主権者ではない、自覚的な主権者の一人として。
(2019年1月14日)
私は、文部省発行の中学生教科書「あたらしい憲法のはなし」(1947年発行)を批判的に紹介してきた。しかし、この教科書は、発刊間もなく保守政治から嫌われ、逆コースのなかで姿を消したものである。表面にこそ出てこないが、「平和主義に傾きすぎている」「政治の現実に合わない」「憲法解釈がリベラルに過ぎる」と、右から批判されたのであろう。憲法をないがしろにしてきた保守政権にとっては、この水準でも耳が痛いのだ。とりわけ、アベ内閣の沖縄政策は、日本国憲法の地方自治を蹂躙するもの批判せざるを得ない。じっくりと、この中学1年生向けの教科書で勉強をし直さねばならない。(以下の青字が教科書の記載。赤字が、その沖縄への具体的な適用である)
十三 地方自治
戰爭中は、なんでも「國のため」といって、國民のひとりひとりのことが、かるく考えられていました。しかし、國は國民のあつまりで、國民のひとりひとりがよくならなければ、國はよくなりません。それと同じように、日本の國は、たくさんの地方に分かれていますが、その地方が、それぞれさかえてゆかなければ、國はさかえてゆきません。
戰爭中の沖縄の人々は、「天皇のため國のため」だけでなく「本土の捨て石になる」よう強いられました。本土決戦の時期を遅らせるための沖縄地上戦は、「天皇も國も本土も」、沖縄県民ひとりひとりのことなどまったく考えていなかったことをよく示しています。この地上戦で、沖縄県民の4人にひとりが殺されているのです。戦後も、天皇は沖縄をアメリカに差し出して占領を続けるよう要請し、「本土」の独立をはかりました。今も、沖縄には米軍の基地が密集して、沖縄の経済の発展を妨げています。しかし、沖縄も他の県と同じように、日本の一部としてさかえてゆかなければなりません。外の地方が、沖縄を犠牲にすることは許されないのです。
そのためには、地方が、それぞれじぶんでじぶんのことを治めてゆくのが、いちばんよいのです。なぜならば、地方には、その地方のいろいろな事情があり、その地方に住んでいる人が、いちばんよくこれを知っているからです。じぶんでじぶんのことを自由にやってゆくことを「自治」といいます。それで國の地方ごとに、自治でやらせてゆくことを、「地方自治」というのです。
沖縄が発展するためには、沖縄がじぶんでじぶんのことを治めてゆくのが、いちばんよいのです。なぜならば、沖縄には、沖縄のいろいろな事情があり、沖縄に住んでいる人が、いちばんよくこれを知っているからです。國の地方ごとに、じぶんでじぶんのことを自由にやってゆくことを「地方自治」というのです。もちろん、沖縄にも自治の権利があります。
こんどの憲法では、この地方自治ということをおもくみて、これをはっきりきめています。地方ごとに一つの團体になって、じぶんでじぶんの仕事をやってゆくのです。東京都、北海道、府県、市町村など、みなこの團体です。これを「地方公共團体」といいます。
こんどの憲法では、この地方自治ということをおもくみて、これをはっきりきめています。地方ごとに一つの團体になって、じぶんでじぶんの仕事をやってゆくのです。東京都、北海道、府県、市町村など、みなこの團体です。これを「地方公共團体」といいます。沖縄県も「地方公共團体」です。國は、その自治をみとめ、住民の意思を尊重しなければなりません。
もし國の仕事のやりかたが、民主主義なら、地方公共團体の仕事のやりかたも、民主主義でなければなりません。地方公共團体は、國のひながたといってもよいでしょう。國に國会があるように、地方公共團体にも、その地方に住む人を代表する「議会」がなければなりません。また、地方公共團体の仕事をする知事や、その他のおもな役目の人も、地方公共團体の議会の議員も、みなその地方に住む人が、じぶんで選挙することになりました。
もし國の仕事のやりかたが、民主主義なら、地方公共團体の仕事のやりかたも、民主主義でなければなりません。地方公共團体は、國のひながたといってもよいでしょう。國に國会があるように、沖縄にも、県民を代表する「沖縄県議会があり、沖縄県知事もいます。みな沖縄に住むひとびとの選挙で選ばれています。今度の沖縄県知事選挙では、住民の意思を尊重しなければならない國が、自分の言うことを聞く人を知事にしようと一方を応援しました。これは、憲法の立場からはとてもおかしなことです。でも、沖縄の人々は、國が応援する人ではなく、自分たちのために働いてくれる人を選びました。沖縄の自治が根付いていることをよく表しています。
このように地方自治が、はっきり憲法でみとめられましたので、ある一つの地方公共團体だけのことをきめた法律を、國の國会でつくるには、その地方に住む人の意見をきくために、投票をして、その投票の半分以上の賛成がなければできないことになりました。
みなさん、國を愛し國につくすように、じぶんの住んでいる地方を愛し、じぶんの地方のためにつくしましょう。地方のさかえは、國のさかえと思ってください。
このように地方自治が、はっきり憲法でみとめられましたので、國は沖縄県の自治を尊重し、沖縄県民の意思を代表している玉城デニー知事の意見をよく聞かなければなりません。もちろん、あと2か月後にせまった住民投票の結果も厳粛に受けとめなければなりません。
いま、沖縄県民は一致して、危険で生活の邪魔になり、経済発展の障害にもなっている米軍基地を減らせ、新しい基地を作ってはならないと、國に訴えています。また、県民の多くの人が、苦しかった戦争体験から平和を願う立場で、辺野古の新基地建設に反対しています。ところが、國は沖縄県民の意思を無視して、基地建設を強行しています。
みなさん、誰もがじぶんの住んでいる地方を愛しています。沖縄の人たちもまったく同じです。また、沖縄のさかえは、國のさかえです。いま、沖縄で起こっている問題は、決して「沖縄の問題」ではなく、「この國のありかたの問題」なのです。他人ごととして見過ごすことなく、我がこととして、横暴なアベ政治に批判の声を上げてください。それが、日本国憲法からのお願いです。
(2018年12月29日・連続更新2099日)
表面上は至極真っ当な発言も、発言者が誰であるかでニュアンスは大きく変わってくる。「あれが真意であるわけはない」「裏があるに違いない」と勘繰りが先に立つのだ。場合によっては、字面とは真逆の真意が忖度されることにもなる。アベが言う「丁寧な説明」や「積極的平和主義」はその典型だろう。麻生太郎が口にした「セクハラ罪はない」や、河野太郎の「次の質問をどうぞ」も同類。
しかし他方、裏があるにせよ、真っ当なことには反論なしがたい。真っ当な発言はその内容ゆえに、真意の忖度とはかかわりなく、発言の重みをもつこともある。とりわけ、発言の相手がよほど真っ当ならざる場合には。
伝えられるプーチンの沖縄辺野古問題への言及も、その真意の忖度を超えた発言の重みを認めざるを得ない。なにせ、批判の対象が安倍晋三なのだから。
「ロシアのプーチン大統領は20日に開いた年末恒例の記者会見で、ロシアが北方領土を日本に返した場合に米軍基地が置かれる可能性について、『日本の決定権に疑問がある』と述べた。安倍晋三首相はプーチン氏に北方領土には米軍基地を置かない方針を伝えているが、プーチン氏は実効性に疑問を呈した形だ。」
さらにプーチンは、「(米軍基地問題について)日本が決められるのか、日本がこの問題でどの程度主権を持っているのか分からない」「平和条約の締結後に何が起こるのか。この質問への答えがないと、最終的な解決を受け入れることは難しい」と言及し、安倍晋三の言の実効性を疑問視する理由を、辺野古基地建設問題を挙げて、こう発言したという。
「(沖縄県)知事が基地拡大に反対しているが、何もできない。人々が撤去を求めているのに、基地は強化される。みなが反対しているのに計画が進んでいる」。これが、「日本の主権のレベルを疑ってしまう」につながる。だから、2島返還後米軍基地が置かれる可能性を否定できないではないか。アベの言は信を措けない、との結論となる。
毎日の記事が具体的である。
日本が配備する米国製のミサイル防衛(MD)システムに関し、プーチン氏は「防衛目的だと(いう日本の説明)は信じていない。システムは攻撃能力を備えている」と語った。ロシアは、日本が配備予定の陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」にも懸念を表明している。
また、沖縄県の玉城デニー知事や住民の反対にもかかわらず、米軍普天間飛行場の移設計画に伴い同県名護市辺野古沿岸への土砂投入が始まったことについて「日本の主権のレベルを疑ってしまう」と批判的な見解を示した。
さて、このプーチン発言。来月(19年1月)中旬から始まる日露の北方領土返還交渉の前哨戦と解説されているが、これが改憲問題に絡むかも知れないということで注目せざるを得ない。一部の観測では、今八方ふさがりの安倍政権にとって、唯一の点数稼ぎの展望が、「日露平和条約」の締結。「2島返還+α」を「現実的成果」として、ジリ貧挽回の解散だってないではないという。
安倍政権は、いまやあれもこれもうまく行っていない。経済も、原発も、沖縄も、国会運営も行き詰まっている。何よりも、ウソとごまかしにまみれたイメージが色濃く定着し、「信なければ立たず」という政治不信のジリ貧状態。トランプとも、習近平とも、韓国ともうまくやれない。そこに、プーチンの平和条約締結の提案。これがうまく行けば、タイミングを見計らっての解散総選挙。乾坤一擲の勝負に勝てば、改憲の目がまだ残されているというのだ。
興味深いのは、「沖縄県の玉城デニー知事や住民の反対にもかかわらず、…辺野古沿岸への土砂投入が始まったことについて『日本の主権のレベルを疑ってしまう』」とされたこと。安倍が、民主主義や地方自治の精神について、プーチンから諭されている図。さすがに、プーチンには言われたくないが、アメリカへの過剰な義理立てが、他国には尋常でない国における尋常ならさる事態と映っているのだ。
住民の意思を蹂躙して、宗主国への思惑忖度を優先する「独立国」にあるまじき奇矯な行動。プーチンにまで、『日本の主権のレベルを疑ってしまう』と言われたことを恥辱ととらえなければならない。そうではないか。首相よ、外務大臣よ。そして防衛大臣と国交大臣よ。
(2018年12月24日)
「沖縄県民に寄り添う」っていう、私の例のフレーズ。最近とみに評判が悪い。冗談の分からない人々が真に受けちゃって、本気になって批判しているから始末にこまる。「沖縄県民に寄り添う気持があるなら、辺野古の埋立は直ちに中止して、県民投票の結果を待つべきだ」なんてね。私がそのとき任せの口先だけでものを言っているのが、分からないんだろうかね。
「県民の皆様に寄り添う」って、私がこの頃急に言い始めたわけじゃない。一昨年(2016年)6月23日の「沖縄全戦没者追悼式典」あたりが初めてのことだったように思う。このときの式辞で、私は「沖縄県民の皆様方の気持ちに寄り添いながら、成果を上げていきたいと考えています。」と言っている。少しも具体性はないけど、なんとなく上手にその場を取り繕うフレーズとして、よくできていると思うんだ。
なにしろ沖縄は、政権にとっては完全にアウエイの雰囲気。全国どこでもたいてい私が顔を出すところは、物欲しげな物わかりよい常識人ばかりが集まってくる。だから、みんなが私をチヤホヤもし、忖度もしてくれる。それが首相たる私に対するエチケットというものだろう。ところが、広島だの長崎だの沖縄となると話しが別だ。ガチな雰囲気なんだ。誰も物欲しそうにしていないから、始末に悪い。こんなところでは、「県民の皆様に寄り添う」って、リップサービスをせざるを得ない。そのときより前にも「寄り添う」をつかったかも知れないが、もう忘れてしまった。何しろ、口先だけのことなんだから。
今年(2018年)6月23日の、「沖縄全戦没者追悼式」でも、式辞を「今後とも沖縄の皆様の心に寄り添いながら負担軽減を進めていく考えであります。」と締めくくった。
「沖縄の皆様の心に寄り添い」って何のことだか、しゃべっている私にもよく分からない。でも、分からないなりに、なんとなくそれなりの雰囲気は出ているじゃないの。それに、ちゃっかり「今後とも」と入れたから、「これまでも皆様の心に寄り添ってきた」ことになる。うまくやったと思ったんだ。だけどあのとき、翁長雄志さんから、刺すような険しい目でにらまれて、正直恐かったね。鬼気迫るオーラが漂っていた。
今年8月6日の「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」の挨拶でも、「寄り添う」の使い回しをした。「被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的に推進してまいります。」とね。ああ、このフレーズ便利だ。いろんなところで使える。
次は、10月9日。翁長雄志さんの県民葬。そこで、官房長官が私の弔辞を代読した。そのときの起案の中に、「県民の気持ちに寄り添いながら沖縄の振興・発展に全力を尽くす」というフレーズを入れたんだ。ところが、これに反応して怒声が飛んだ。県民参列者からの「帰れ!」「嘘つき!」「いつまで沖縄に基地負担を押しつけるんだ」などなど。葬儀の場で怒号が飛び交うのは珍しい光景だろう。県民の相当数が、翁長さんの命を縮めたのは、安倍と菅だと思い込んでいる様子なんだ。それにしても、「嘘つき」と言われるのは応える。思い当たるから、なおさらだ。
続いて10月12日官邸に玉城新知事を迎えての会談の席。変わり映えしないが、プロンプターを覗き込みながら、こう言った。
「戦後70年がたった今なお、米軍基地の多くが沖縄に集中しているという大きな負担を担っている。この現状は到底、是認できるものではない。今後とも、県民の皆さまの気持ちに寄り添いながら、基地負担の軽減に向けて一つひとつ着実に結果を出していきたい」
そして10月24日。臨時国会冒頭の所信表明演説にも、このフレーズを入れ込んだ。「今後も、抑止力を維持しながら、沖縄の皆さんの心に寄り添い、安倍内閣は、基地負担の軽減に、一つひとつ、結果を出してまいります」とやった。
「今後も」「抑止力を維持しながら」というんだから、これまでとすこしも変わらないつもりだったんだが、「沖縄の皆さんの心に寄り添い」がひとり歩きを始めたようだ。本気で言ってるわけじゃないから、痛し痒しというところ。
こんな風に「沖縄の皆さんの心に寄り添い」と繰りかえしながら、辺野古の海を埋め立てて新基地を作る方針を変えたことはない。こういうことは、ブレてはいけないんだ。
「沖縄の皆さんの心に寄り添い、安倍内閣は、基地負担の軽減に、結果を出してまいります」と国会で演説したのが10月24日。そして、11月1日には辺野古埋立の工事再開に踏み切ったのだから、まあ、少しは早かったかもしれないな。さらに、大浦湾に土砂投入を開始したのが12月14日。「嘘つき」呼ばわりも無理はなかろう。
でも、私も「ご飯論法」のアベだ。まったく言い分がないわけでもない。
まず、私は、確かに「沖縄の皆さんの心に寄り添い」とは言ったよ。だけど、「沖縄の皆さんだけの心に寄り添い」とは言っていない。わざわざ口に出さなくても、本土の皆さんや、私の支持基盤である右翼の皆さん。あるいは、アメリカ政府の皆さんなど、「多くの方々の心にも寄り添」わなくてはならない。だから、心ならずも、沖縄の皆さんを失望させることもあるのは、やむを得ない。
それだけじゃない。「沖縄の皆さん」も一色ではない。当然に、寄り添うべき心も千差万別じゃないか。かならずしも辺野古新基地建設反対だけが、寄り添うべき心だとは思えない。自然を破壊しても、騒音や事故が頻発しても、軍事基地を作っていただきたい、という沖縄の心だって、探せばあるはず。中国や北朝鮮の脅威から我が国を防衛するための基地建設なんだから、アベ政権に協力したいという「声なき声」をよく聞かなければならない。
耳を澄ますと、ほら、そういう右側からのかすかな声が、私だけにははっきりと聞こえてくるんだ。
(2018年12月19日)
暴走政権の辺野古土砂投入の強行が12月14日。翌15日付の琉球新報社説が、よく意を尽くして説得的であり印象的でもある。これは、県外の多くの人々に読んでもらうべきだろう。全文を引用したい。
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-849072.html
社説の標題は、「辺野古へ土砂投入 第4の『琉球処分』強行だ」。
この光景は歴史に既視感を覚える。沖縄が経験してきた苦境である。
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政府は、名護市辺野古沿岸に米海兵隊の新基地を造るため埋め立て土砂を投入した。昨年4月の護岸着工以来、工事を進める政府の姿勢は前のめりだ。9月の知事選で新基地に反対する玉城デニー知事誕生後わずか約1カ月後に工事を再開し、国と県の集中協議中も作業を進めた。手続きの不備を県に指摘されても工事を強行し土砂を投入したのは、基地建設を早く既成事実化したいからだ。
県民の諦めを誘い、辺野古埋め立ての是非を問う県民投票に影響を与えたり、予想される裁判を有利に運ぼうとしたりする狙いが透けて見える。
辺野古の問題の源流は1995年の少女乱暴事件にさかのぼる。大規模な県民大会など事件への抗議のうねりが沖縄の負担軽減に向けて日米を突き動かし、米軍普天間飛行場の返還合意につながった。
ところが返還は県内移設が条件であるため曲折をたどる。関係した歴代の知事は県内移設の是非に揺れ、容認の立場でも、使用期限や施設計画の内容などを巡り政府と対立する局面が何度もあった。
5年前、県外移設を主張していた仲井真弘多前知事が一転、埋め立てを承認したことで県民の多くが反発。辺野古移設反対を掲げる翁長県政が誕生し玉城県政に引き継がれた。県内の国会議員や首長の選挙でも辺野古移設反対の民意が示されている。
今年の宜野湾、名護の両市長選では辺野古新基地に反対する候補者が敗れたものの、勝った候補はいずれも移設の是非を明言せず、両市民の民意は必ずしも容認とは言えない。本紙世論調査でも毎回、7割前後が新基地建設反対の意思を示している。そもそも辺野古新基地には現行の普天間飛行場にはない軍港や弾薬庫が整備される。基地機能の強化であり、負担軽減に逆行する。これに反対だというのが沖縄の民意だ。
その民意を無視した土砂投入は暴挙と言わざるを得ない。歴史的に見れば、軍隊で脅して琉球王国をつぶし、沖縄を「南の関門」と位置付けた1879年の琉球併合(「琉球処分」)とも重なる。日本から切り離し米国統治下に置いた1952年のサンフランシスコ講和条約発効、県民の意に反し広大な米軍基地が残ったままの日本復帰はそれぞれ第2、第3の「琉球処分」と呼ばれてきた。今回は、いわば第4の「琉球処分」の強行である。
歴史から見えるのは、政府が沖縄の人々の意思を尊重せず、「国益」や国策の名の下で沖縄を国防の道具にする手法、いわゆる植民地主義だ。
土砂が投入された12月14日は、4・28などと同様に「屈辱の日」として県民の記憶に深く刻まれるに違いない。だが沖縄の人々は決して諦めないだろう。自己決定権という人間として当然の権利を侵害され続けているからだ。
「琉球処分」は、明治政府の強権による沖縄に対する廃藩置県である。1879年3月、政府は軍隊と警察力を動員した威嚇のもと、琉球藩を廃し沖縄県設置を強行した。旧国王尚氏は東京移住を命じられ、琉球王国は約500年にわたる歴史を閉じた。
これに、擬して「第2の琉球処分」と言われるものが、第2次大戦後1952年のサンフランシスコ講和条約発効で、本土とは切り離されて米軍の統治下におかれたことを指す。これがなぜ「琉球処分」なのか。昭和天皇(裕仁)の沖縄切り捨ての意向が、米国に伝えられていたからだ。1947年9月20日付のいわゆる「天皇メッセージ」(宮内庁御用掛の寺崎英成を通じてシーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた天皇の見解をまとめたメモ)によれば、既に政治的権能を失ったはずの天皇が、「米軍の沖縄駐留について『25年ないし50年あるいはそれ以上の長期』を求めた。訪米する外相に向かって『米軍撤退は不可なり』とわざわざ念を押した」ともいう。
さらに、1972年の沖縄返還は、県民の意に反し広大な米軍基地が残ったままの日本復帰となった。「核と基地」を沖縄に押しつけ続けてきた政府の姿勢を「第3の琉球処分」と表現したのだ。
琉球新報社説は、辺野古土砂投入の蛮行を、「歴史に既視感を覚える」とし、「第4の『琉球処分』強行だ」とした。「この光景は沖縄が経験してきた」という苦境は、自然災害による苦境ではない。戦争による苦境ですらない。本土の政府から民意を蹂躙され続けた歴史を「苦境」と言っているのだ。
県外の我々は、沖縄に「苦境」を押しつけた側として、真摯に襟を糺さなければならないと思う。
もう一つ。沖縄県の公式ホームページが玉城知事の12月14日コメント全文を掲載している。これも意を尽くした内容で、国民みんなが目を通すべきものだと思う。その内容に共感して、これを引用する。
?https://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/henoko/documents/301214chijikomento.pdf
知事コメント(土砂投入について)
本日、普天間飛行場代替施設建設事業に係る名護市辺野古の工事現場に職員を派遣したところ、土砂投入作業が行われたことを確認しました。沖縄県が去る8月31日に行った埋立承認撤回に対して沖縄防衛局が、行政不服審査制度を悪用し、自らを「固有の資格」ではなく私人と同様の立場であるとして、審査請求及び執行停止申立てを行ったことは違法であり、これを受けて国土交通大臣が行った執行停止決定もまた、違法で無効であります。
県は、このような違法な執行停止決定の取消しを求めて去る11月29日に国地方係争処理委員会に審査を申し出ておりますが、同委員会での審査は済んでおらず、現時点において何ら、本件執行停止決定に係る法的な判断は示されておりません。
また、県は、去る12月12日に、沖縄防衛局に対して行政指導文書を発出し、違法無効な本件執行停止決定を根拠として埋立工事を行うことは許されないこと等から、エ事を進めることは断固として容認できず、ましてや土砂を投入することは絶対に許されないとして、直ちに工事を中止するよう強く求めたところであります。
私は、昨日、菅官房長官及び岩屋防衛大臣と面談し、行政指導文書の内容を説明するとともに、違法な土砂投入を行うことは決して容認できないことを伝え、改めて土砂投入の中 止を強く要求しました。それにもかかわらず、国が、このような県の要求を一顧だにすることなく土砂投入を強行したことに対し、激しい憤りを禁じ得ません。
国は、一刻も早く工事を進めて既成事実を積み重ね、県民をあきらめさせようと躍起になっていますが、このような行為は、逆に沖縄県民の強い反発を招き、工事を強行すればするほど県民の怒りはますます燃え上がるということを認識するべきであります。
数々の違法な行為を行い、法をねじ曲げ、民意をないがしろにし、県の頭越しに工事を進めることは、法治国家そして国民に主権があるとする民主主義国家において決してあって はならないことであります。
国が、地方の声を無視し、法をねじ曲げてでも国策を強行するやり方は、地方自治を破壊する行為であり、本県のみならず、他の国民にも降りかかってくるものと危惧しております。
沖縄県民、そして全国民の皆様には,このような国の在り方をしっかりと目に焼き付け、心に留めていただき、法治国家そして民主主義国家としてあるまじき行為を繰り返す国に対し、共に声を上げ、共に行勤していただきたいと思います。現時点ではまだ埋立工事全体の一部がなされているにすぎず、また、工事の権限のない者によって違法に投入された土砂は、当然に原状回復されなければなりません。
県としては、国地方係争処理委員会への審査申出など、執行停止の効力を止めることに全力をあげているところであり、今回土砂を投入したとしても、今後、軟弱地盤等への対応が必要であり、辺野古新基地の完成は見通せないものであります。
普天間飛行場の5年以内運用停止を含む危険性の除去は喫緊の課題であり、県としては、今後13年以上にも及ぶ固定化は認められません。今後も引き続き、同飛行場の一日も早い閉鎖・返還・県外・国外移設及び運用停止を含む危険性の除去を政府に対し、強く求めてまいります。
私は、多くの県民の負託を受けた知事として、ぶれることなく、辺野古新基地建設に反対するという民意に添い、その思いに応えたいと思いますので、県民・国民の皆様からも一層の御支援、御協力をいただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
平成30年12月14日 沖縄県知事 玉城デニー
(2018年12月17日)
今日も、辺野古の海が泣いている。大浦湾に土砂が投入されたことの怒りがおさまらない。何もできなことがもどかしいが、せめて声を上げよう。「アベ・無法政権の暴走を糺弾する」と。
昨日(12月15日)、玉城知事は、就任後初めて辺野古のキャンプ・シュワブゲート前を訪問して、座り込みの人々を激励した。安倍政権による辺野古埋め立て土砂投入強行に対して、知事は「打つ手は必ずある。われわれのたたかいはとまりません」と力説。「国の暴挙に対して、本当の民主主義を求めるという私たちの思いは全国のみなさんも共感しています。そのことも確かめてがんばっていきましょう」「(政府との)対話の気持ちはこれからも継続していく。しかし、対抗すべき時は対抗していく」「われわれは決してあきらめない。勝つことはあきらめないことです」と呼びかけ、拍手に包まれたという。
ある報道では、知事は「勝つことは難しいかもしれないが、絶対に諦めない」とも述べたという。これは、示唆に深い。「勝てるから闘う」のではない。理不尽に、怒りを燃やして闘うのだ。相手は強く大きい。だから、「もしかしたら勝つことは難しいかもしれない」。しかし、「絶対に闘い抜く。諦めない」。「あきらめるとは、自ら勝利を放棄することだ」「あきらめることなく、できることはすべてやる」という闘いの決意なのだ。
本日(12月16日)、共同通信の世論調査結果が発表された。
辺野古の土砂投入、支持しないは56%。
共同通信の世論調査によると、政府が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先、名護市辺野古沿岸部への土砂投入を始めたことについて、移設を進める政府の姿勢を支持しないとの回答は56.5%だった。支持は35.3%。
私は、この調査の結果に頗る不満である。支持派の35%の諸君、恥を知れ。キミたちには、県民に寄り添うと言いながらこの暴挙に出た政権に対する怒りはないのか。沖縄が本土のための犠牲になり続けてきた歴史を知らないとでもいうのか。やっかいなものを沖縄に押しつけて安閑としていることを、やましいとも後ろめたいとも思わないのか。取り返しのつかない自然環境の破壊に心が痛まないのか。
ところで、闘争はときに名文句を生む。砂川では、「土地に杭は打たれても 心に杭は打たれない」が人々の口にのぼった。今度は、「民意は海に埋められない」だ。期せずして、朝日・毎日・東京の各社説が似たフレーズを記事にした。
この件では、各紙の社説に情も熱もこもっているものが多い。
朝日と毎日とは、はからずもタイトルがそろった。朝日が「辺野古に土砂投入 民意も海に埋めるのか」とし、毎日が「辺野古の土砂投入始まる 民意は埋め立てられない」とした。両紙とも、ボルテージが高い。
朝日 「『辺野古ノー』の民意がはっきり示された県知事選から2カ月余。沖縄の過重な基地負担を減らす名目の下、新規に基地を建設するという理不尽を、政権は力ずくで推進している。」「政府の振る舞いはこの1年を見るだけでも異様だった。」「その首相をはじめ政権幹部が繰り返し口にするのが『沖縄の皆さんの心に寄り添う』と『辺野古が唯一の解決策』だ。本当にそうなのか。」
そして、本土の人々に「わがこと」として考えようと呼びかけ、最後をこう締め括っている。
「沖縄に対する政権のやり方が通用するのであれば、安全保障に関する施設はもちろん、『国策』や『国の専権事項』の名の下、たとえば原子力発電所や放射性廃棄物処理施設の立地・造営などをめぐっても、同じことができてしまうだろう。そんな国であっていいのか。苦難の歴史を背負う沖縄から、いま日本に住む一人ひとりに突きつけられている問いである。」
毎日 「わずか2カ月半前に示された民意を足蹴にするかのような政府の強権的姿勢に強く抗議する。米軍普天間飛行場の辺野古移設工事で、政府は埋め立て予定海域への土砂投入を開始した。埋め立てが進めば元の自然環境に戻すのは難しくなる。ただちに中止すべきだ。9月末の沖縄県知事選で玉城デニー氏が当選して以降、表向きは県側と対話するポーズをとりつつ、土砂投入の準備を性急に進めてきた政府の対応は不誠実というほかない。
……
沖縄を敵に回しても政権は安泰だと高をくくっているのだとすれば、それを許している本土側の無関心も問われなければならない。仮に将来、移設が実現したとしても、県民の憎悪と反感に囲まれた基地が安定的に運用できるのか。埋め立て工事は強行できても、民意までは埋め立てられない。」
東京新聞は、さらに厳しい。
「辺野古に土砂 民意も法理もなき暴走
群青の美(ちゅ)ら海とともに沖縄の民意が埋め立てられていく。辺野古で政権が進める米軍新基地建設は法理に反し、合理性も見いだせない。工事自体が目的化している。土砂投入着手はあまりに乱暴だ。
重ねて言う。
新基地建設は、法を守るべき政府が法をねじ曲げて進めている。なぜそこに新基地が必要か。大義も根底から揺らいでいる。直ちに土砂投入を中止し虚心に計画を見直す必要があろう。
これ以上の政権の暴走は、断じて許されない。」
これと対極にあるのが、言わずと知れた産経である。街頭右翼ががなり立てているあの大音量のスピーカーを聞かされている心地である。
「辺野古へ土砂投入 普天間返還に欠かせない
市街地に囲まれた普天間飛行場の危険を取り除くには、代替施設への移設による返還が欠かせない。日米両政府による普天間飛行場の返還合意から22年たつ。返還へつながる埋め立てを支持する。
翁長雄志前知事や玉城デニー知事らの反対や、「最低でも県外」と言った鳩山由紀夫首相(当時)による迷走が、返還に結びつく移設を妨げてきたのである。玉城知事は「激しい憤りを禁じ得ない。県民の怒りはますます燃え上がる」と土砂の投入に反発して、移設阻止に取り組む考えを示した。だが、知事は、移設が遅れるほど普天間飛行場周辺に暮らす宜野湾市民が危険にさらされ続ける問題を無視してはならない。
沖縄の島である尖閣諸島(石垣市)を日本から奪おうとしている中国は、空母や航空戦力、上陸作戦を担う陸戦隊(海兵隊)などの増強を進めている。北朝鮮は核・ミサイルを放棄していない。沖縄の米海兵隊は、平和を守る抑止力として必要である。安倍晋三首相ら政府は反対派から厳しい批判を浴びても移設を進めている。県民を含む国民を守るため現実的な方策をとることが政府に課せられた重い責務だからだ。沖縄を軽んじているわけではない。
来年2月24日には辺野古移設の是非を問う県民投票が予定されている。普天間返還に逆行し、国と県や県民同士の対立感情を煽(あお)るだけだ。撤回してもらいたい。」
おそらくは、この産経社説の論調がアベ政権のホンネ。アベ政権のホンネをあからさまに語る論説として貴重なのだ。恐るべきかな産経、恐るべきかなアベ政権。
(2018年12月16日)