11月8日「あたらしい憲法のはなし 『天皇陛下』を読む」
https://article9.jp/wordpress/?p=11417
12月10日「『新しい憲法のはなし』のはなし」
https://article9.jp/wordpress/?p=11686
の続編である。
前回も書いたが、第5章『天皇陛下』の内容は余りにひどい。次いで第1章『憲法』である。やや長いが、まず、全文を掲記しておきたい。
みなさん、あたらしい憲法ができました。そうして昭和22年5月3日から、私たち日本國民は、この憲法を守ってゆくことになりました。このあたらしい憲法をこしらえるために、たくさんの人々が、たいへん苦心をなさいました。ところでみなさんは、憲法というものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの身にかゝわりのないことのようにおもっている人はないでしょうか。もしそうならば、それは大きなまちがいです。
國の仕事は、一日も休むことはできません。また、國を治めてゆく仕事のやりかたは、はっきりときめておかなければなりません。そのためには、いろいろ規則がいるのです。この規則はたくさんありますが、そのうちで、いちばん大事な規則が憲法です。
國をどういうふうに治め、國の仕事をどういうふうにやってゆくかということをきめた、いちばん根本になっている規則が憲法です。もしみなさんの家の柱がなくなったとしたらどうでしょう。家はたちまちたおれてしまうでしょう。いま國を家にたとえると、ちょうど柱にあたるものが憲法です。もし憲法がなければ、國の中におゝぜいの人がいても、どうして國を治めてゆくかということがわかりません。それでどこの國でも、憲法をいちばん大事な規則として、これをたいせつに守ってゆくのです。國でいちばん大事な規則は、いいかえれば、いちばん高い位にある規則ですから、これを國の「最高法規」というのです。
ところがこの憲法には、いまおはなししたように、國の仕事のやりかたのほかに、もう一つ大事なことが書いてあるのです。それは國民の権利のことです。この権利のことは、あとでくわしくおはなししますから、こゝではたゞ、なぜそれが、國の仕事のやりかたをきめた規則と同じように大事であるか、ということだけをおはなししておきましょう。
みなさんは日本國民のうちのひとりです。國民のひとりひとりが、かしこくなり、強くならなければ、國民ぜんたいがかしこく、また、強くなれません。國の力のもとは、ひとりひとりの國民にあります。そこで國は、この國民のひとりひとりの力をはっきりとみとめて、しっかりと守ってゆくのです。そのために、國民のひとりひとりに、いろいろ大事な権利があることを、憲法できめているのです。この國民の大事な権利のことを「基本的人権」というのです。これも憲法の中に書いてあるのです。
そこでもういちど、憲法とはどういうものであるかということを申しておきます。憲法とは、國でいちばん大事な規則、すなわち「最高法規」というもので、その中には、だいたい二つのことが記されています。その一つは、國の治めかた、國の仕事のやりかたをきめた規則です。もう一つは、國民のいちばん大事な権利、すなわち「基本的人権」をきめた規則です。このほかにまた憲法は、その必要により、いろいろのことをきめることがあります。こんどの憲法にも、あとでおはなしするように、これからは戰爭をけっしてしないという、たいせつなことがきめられています。
これまであった憲法は、明治22年にできたもので、これは明治天皇がおつくりになって、國民にあたえられたものです。しかし、こんどのあたらしい憲法は、日本國民がじぶんでつくったもので、日本國民ぜんたいの意見で、自由につくられたものであります。この國民ぜんたいの意見を知るために、昭和21年4月10日に総選挙が行われ、あたらしい國民の代表がえらばれて、その人々がこの憲法をつくったのです。それで、あたらしい憲法は、國民ぜんたいでつくったということになるのです。
みなさんも日本國民のひとりです。そうすれば、この憲法は、みなさんのつくったものです。みなさんは、じぶんでつくったものを、大事になさるでしょう。こんどの憲法は、みなさんをふくめた國民ぜんたいのつくったものであり、國でいちばん大事な規則であるとするならば、みなさんは、國民のひとりとして、しっかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません。そのためには、まずこの憲法に、どういうことが書いてあるかを、はっきりと知らなければなりません。
みなさんが、何かゲームのために規則のようなものをきめるときに、みんないっしょに書いてしまっては、わかりにくいでしょう。國の規則もそれと同じで、一つひとつ事柄にしたがって分けて書き、それに番号をつけて、第何條、第何條というように順々に記します。こんどの憲法は、第1條から第103條まであります。そうしてそのほかに、前書が、いちばんはじめにつけてあります。これを「前文」といいます。
この前文には、だれがこの憲法をつくったかということや、どんな考えでこの憲法の規則ができているかということなどが記されています。この前文というものは、二つのはたらきをするのです。その一つは、みなさんが憲法をよんで、その意味を知ろうとするときに、手びきになることです。つまりこんどの憲法は、この前文に記されたような考えからできたものですから、前文にある考えと、ちがったふうに考えてはならないということです。もう一つのはたらきは、これからさき、この憲法をかえるときに、この前文に記された考え方と、ちがうようなかえかたをしてはならないということです。
それなら、この前文の考えというのはなんでしょう。いちばん大事な考えが三つあります。それは、「民主主義」と「國際平和主義」と「主権在民主義」です。「主義」という言葉をつかうと、なんだかむずかしくきこえますけれども、少しもむずかしく考えることはありません。主義というのは、正しいと思う、もののやりかたのことです。それでみなさんは、この三つのことを知らなければなりません。まず「民主主義」からおはなししましょう。
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以上の文章を、違和感なく読み進むことができるだろうか。私は冒頭から引っかかり、ほぼ全文に違和感を禁じえない。何よりも、憲法の解説として不可欠な歴史的背景が語られていないのがもどかしい。「あたらしい憲法」がなぜ必要になったのか。旧憲法のどこが批判の対象なのか。旧憲法から新憲法に、どのような原理的転換が遂げられたのか。新憲法において、権力と人権とはどのような対抗関係ととらえられているのか。市民社会の公理である個人主義とは何か、自由主義とは何か。中学生の理解力の問題ではない。書かねばならないことが書かれていないのだ。
「みなさん、あたらしい憲法ができました。そうして昭和22年5月3日から、私たち日本國民は、この憲法を守ってゆくことになりました。」
この冒頭の一文から、バカげている。「みなさん、憲法ができました。そうして明治23年11月29日から、私たち日本國民は、この大日本帝国憲法を守ってゆくことになりました。」と置き換えて違和感がない。この一文の筆者は、大日本帝国憲法から日本国憲法への原理的転換の内容を理解していない。あるいは、子供たちに理解させたくないのだ。
ここで言う「この憲法を守ってゆく」は、「根強い保守勢力の大日本帝国復古の動きに抗して、憲法典や解釈を変えさせないように護る」という意味での「守る」ではない。「憲法が命ずるところを遵守してゆく」という意味の「守る」なのだ。あろうことか、国民に「憲法を守る」よう呼びかけ、天皇や公務員に「憲法を守らせよう」という観点はない。立憲主義的な憲法の理解が抜けているのだ。そもそも、その根底にあるべき権力と国民(人権)の対抗観念がない。
以下、ほぼ全文に引っかかるが、顕著なところだけを抜き出してみたい。
國を治めてゆく仕事のやりかたは、はっきりときめておかなければなりません。そのためには、いろいろ規則がいるのです。この規則はたくさんありますが、そのうちで、いちばん大事な規則が憲法です。
? 國をどういうふうに治め、國の仕事をどういうふうにやってゆくかということをきめた、いちばん根本になっている規則が憲法です。もしみなさんの家の柱がなくなったとしたらどうでしょう。家はたちまちたおれてしまうでしょう。いま國を家にたとえると、ちょうど柱にあたるものが憲法です。
憲法を「たくさんある規則のうちのいちばん大事な規則」という平板なとらえ方を不正確と言ってはならない。これは明らかな、ミスリードなのだ。憲法とは、国家権力を規制することによって国民の権利を守ろうという原則を定めたもの。国家権力の規制という視点を抜いた憲法解説は、大日本帝国憲法時代のものと変わらないこととなる。
この憲法には、國の仕事のやりかたのほかに、もう一つ大事なことが書いてあるのです。それは國民の権利のことです。
憲法が、「人権規範」部分と「統治機構」部分の2部門からなることは、常識的な考え方である。しかし、この二つの関連をを平板に形式的にとらえてはならない。個人の「人権」こそが目的的な価値で、国の「統治機構」は人権を侵すことのないように組み立てられている。その解説こそが重要なのに、「国民の権利は、國の仕事のやりかたをきめた規則と同じように大事である」という倒錯を語ってはならない。
それだけではない。人権がなぜ大事なのか。その理由をこう言うのだ。
「國民のひとりひとりが、かしこくなり、強くならなければ、國民ぜんたいがかしこく、また、強くなれません。國の力のもとは、ひとりひとりの國民にあります。そこで國は、この國民のひとりひとりの力をはっきりとみとめて、しっかりと守ってゆくのです。そのために、國民のひとりひとりに、いろいろ大事な権利があることを、憲法できめているのです。この國民の大事な権利のことを「基本的人権」というのです。これも憲法の中に書いてあるのです。」
これは謬論である。これを時代の限界などと看過してはならない。人権は「國の力のもと」ではない。「國の力」を強くするために、人権が認められているのではない。日本の民衆には自由民権の時代から、脈々たる人権思想があった。この筆者には、その思想がない。人権を語る情熱もない。
みなさんも日本國民のひとりです。そうすれば、この憲法は、みなさんのつくったものです。みなさんは、じぶんでつくったものを、大事になさるでしょう。こんどの憲法は、みなさんをふくめた國民ぜんたいのつくったものであり、國でいちばん大事な規則であるとするならば、みなさんは、國民のひとりとして、しっかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません。そのためには、まずこの憲法に、どういうことが書いてあるかを、はっきりと知らなければなりません。
欽定憲法から民定憲法への原理的転換を、国民の憲法遵守義務の根拠にすりかえ封じ込めようという企み、というしかない。憲法が変わっても、臣民が国民と言い換えられても、飽くまでも政府は、「憲法を拳拳服膺する」従順で自律しない国民を望んでいるのだ。
この前文には、だれがこの憲法をつくったかということや、どんな考えでこの憲法の規則ができているかということなどが記されています。それなら、この前文の考えというのはなんでしょう。いちばん大事な考えが三つあります。それは、「民主主義」と「國際平和主義」と「主権在民主義」です。みなさんは、この三つのことを知らなければなりません。
こういうスッキリしない話しぶりにモヤモヤ感を払拭できない。あの、躍動するような日本国憲法前文を、「だれがこの憲法をつくったかということや、どんな考えでこの憲法の規則ができているかということなどが記されています。」と無感動にまとめているのは一種の才能というべきなのだろう。
(2018年12月11日)
11月8日当ブログに「あたらしい憲法のはなし 『天皇陛下』を読む」を掲載した。
https://article9.jp/wordpress/?p=11417
私の問題意識は「ときに礼賛の対象とされてきた『あたらしい憲法のはなし』だが、今見直して、その内容は時代の制約を受けたものと言わざるを得ない。とりわけ、天皇に関する解説は、萎縮して何を言っているのかよく分からない。こんなものを戦後民主主義の申し子のごとく、褒めそやしてはならない」というところにある。
『天皇陛下』の章を批判した文章の末尾は次のようにまとめた。
「非論理的で出来の悪い文章。当時の文部省のお役人は、こんな程度だったのでしょうかね。もしかしたら、結論が先に決まっていたのかも知れません。『ですから私たちは、天皇陛下を私たちのまん中にしっかりとお置きして、國を治めてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません』とする必要があったのでしょうね。また、もしかしたら…、わざわざヘンな文章をこしらえて、子供たちに天皇の存在に対する疑問を醸成するよう深謀遠慮があったのかも。これも文部官僚による面従腹背の伝統だと思えば、当時の文部省のお役人の優秀さがよく分かります。
この記事について、浪本勝年さん(立正大学名誉教授)から、ありがたいご指摘をいただいた。
「(ブログ記事では)『あたらしい憲法のはなし』の執筆者が文部官僚のように読み取れるのですが、奥付にもある通り、執筆は浅井清のようです(添付ファイル参照)」とのこと。
これまで気付かなかったが奥付をよく見ると、なるほど「この本は浅井清その他の人々の盡力でできました」との記載がある。
そして、メールに添付されていたのは、1994年5月2日「朝日新聞」の切り抜き。憲法記念日の前日に、こんなリードだ。
日本国憲法ができたころ、文部省がつくり、数年間だけ中学で使われた憲法の教科書があった。『あたらしい憲法のはなし』。これから自分たちが国をつくる、二度ど戦争はしない、その中心が憲法だ―。平明で強い語り口と絵で、生徒をとらえ、のちに、いろんな人の手で復刻版が出されたひそかなロングセラーだ。いま再び教科書に引用され、じわり復活している。3日は47回目の憲法記念日。
記事の中心は、「制定時の思い伝え復活」との見出しのとおり、教科書に再登場しているとの内容。
今春から使われ始めた高校の政治・経済の教科書で、新たに2冊が『あたらしい憲法のはなし』の絵や文を引用している。これで、載っているのは小学校の社会1冊、中学校の社会1冊、高校の政治・経済3冊になった。
小中の教科書は、1980年代初めから、憲法の内容の説明に、戦車や大砲などの武器を溶かす「戦争放棄」の挿絵などを入れていた。…
「戦争放棄」と書かれた炉の口から、戦車や戦闘機、砲・弾などの武器が投げ込まれ、下からは、鉄道・客船・ビル・自動車などに変身して現れる。この絵のインパクトが強い。
その執筆者について、朝日記事はこう述べている。
文部省著作だが、実際には慶応大教授だった浅井清氏(79年死去)が一人で書きあげたと、当時教科書局にいた木田宏・元事務次宮(72)は言う。
浅井清とは何ものか。ウィキペディアによると、「1929年慶応大教授」「1946年に貴族院議員に勅撰され交友倶楽部に所属。1948年GHQの登用方針の下、臨時人事委員会委員長(委員会が人事院に改組された際は初代総裁)に就任した。『あたらしい憲法のはなし』編纂に当たっての中心メンバーであった。」とある。
戦争放棄の章では立派な論をなした浅井も、天皇を語るときには、恐懼して支離滅裂の文章しか書けていない。まことに天皇制恐るべし。
浅井清が、憲法研究者として当時どれだけの権威をもっていた人物かは知らない。しかし、彼の象徴天皇制の解説を読む限り、到底敬すべき研究者とは考え難い。
この「新しい憲法のはなし」は、15章からなっている。「憲法」「民主主義とは」「國際平和主義」「主権在民主義」「天皇陛下」「戰爭の放棄」「基本的人権」「國会」「政党」「内閣」「司法」「財政」「地方自治」「改正」「最高法規」の順。
このうち第1章の「憲法」が、「憲法とは何か」「その制定経過」「基本理念」についてのやや長い解説になっている。これが、第5章「天皇陛下」に次いで、できがよくない。この浅井の文章からは、「これから民主的で平和な新生日本をつくっていく」というワクワクした感動が伝わってこない。朝日のリードのような感想を私は持てない。
戦時中は天皇制に弾圧されてものが言えなかった。ようやく、あたまの上の重しが取れて、はっきりと自分の意見が言えるようになったという研究者もジャーナリストも多くいたはず。そのような人々の躍動感に溢れた教科書執筆はできなかった。終戦直後も、この程度の教科書しか作れなかったということを、冷静に見つめなければならない。そして冷戦下、「この程度の教科書」すらも生き残れず姿を消したのだ。
次回「新しい憲法のはなし・第1章『憲法』」に触れたい。
(2018年12月10日)
「発音練習・エクササイズ」なるものが我が家の壁に貼ってある。
滑舌をよくする訓練のためのもののようだが、これが実によくできていてたのしい。
ありさんあつまれアエイウエオア
かにさんかさこそカケキクケコカ
さかだちさかさまサセシスセソサ
たのしいたこあげタテチツテトタ
ならんでなわとびナネニヌネノナ
はなたばはなびらハヘヒフヘホハ
まえよりまじめにマメミムメモマ
やっぱりやさしいヤエイユエヨヤ
らくだいライオンラレリルレロラ
わんぱくわいわいワエイウエオワ
がまんだがんばれガゲギグゲゴガ
ざわざわざぶざぶザゼジズゼゾザ
だんだんだぶだぶダデヂヅデドダ
ばんごうばらばらバベビブベボバ
パラソルぱらぱらパペピプペポパ
「らくだいライオンラリルレロ」「わんぱくわいわいワイウエオ」など、ステキなフレーズではないか。
最初読んだとき、反射的に「アベさんらくだいラリルレロ」と口を突いて出た。
余り楽しい気分にはならないが、私も「憲法日記」風に真似してみよう。
あべさんあぶないアエイウエオア
かくりょうかねかねカケキクケコカ
さつきはさんざんサセシスセソサ
たろうのたちわるタテチツテトタ
なんくるないさーナネニヌネノナ
はいきだはいろだハヘヒフヘホハ
まじめにまなぼうマメミムメモマ
やとうはやるきだヤエイユエヨヤ
らいねんらくせんラレリルレロラ
わしらはわかいぞワエイウエオワ
がんこにガツンとガゲギグゲゴガ
ざるほうざせつだザゼジズゼゾザ
だんごうだんぱんダデヂヅデドダ
ばんみんばんざいバベビブベボバ
パワーだパンチだパペピプペポパ
もう、一つ。
あべさんあかんよアイウエオ
あべさんかいけんカキクケコ
あべさんさよならサシスセソ
あべさんたいじんタチツテト
あべさんなくなくナニヌネノ
あべさんはんせいハヒフヘホ
あべさんまじめにマミムメモ
あべさんやりすぎヤイユエヨ
あべさんらくだいラリルレロ
あべさんわるずれワイウエオ
あべさんがっかりガギグゲゴ
あべさんざんげをザジズゼゾ
あべさんダウンだダヂヅデド
あべさんばったりバビブベボ
あべさんパンチだパピプペポ
(2018/12/09)
12月8日である。1941年の本日早朝、全国民がNHKの臨時ニュースに驚愕した。「大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」というのだ。
77年後の本日未明、幸いにして大本営発表はない。代わって報じられたものは、本8日未明における参院本会議での諸悪法案の可決成立である。国会前に集まった抗議の人々のプラカードの中に、「審議が足りない」「議論を尽くせ」「数の暴力を許すな」「生煮え法案反対」という文字が躍っている。哀しい事態と言わざるを得ない。議会制民主主義が壊れかかっている。
1941年の今日、天皇制日本は自滅への行動を開始した。恥ずべき奇襲攻撃をもって英米に対する戦争を開始したのだ。この日、多くの日本人は不安を抱えつつも昂揚した気分に包まれていたという。いま、歴史は繰り返さないと自信をもって言える事態だろうか。
本日、大本営発表はない。しかし近い将来の12月8日に、再びの悪夢はめぐってこないだろうか。また、本日が大本営発表の日の前年、あるいは前々年の12月8日と近似しているとは言えないだろうか。大本営が発表した開戦と、審議らしい審議のない議会制民主主義の実質的破壊との間に、どれだけの距離があるだろうか。
確認しておこう。満州事変にせよ、日中戦争にせよ、そして英領マレー奇襲も真珠湾攻撃も、すべて日本の方から仕掛けていることだ。日本は、けっして「やられたから、やむなく反撃した」のではない。常に征戦したのだ。だから、戦争の最終盤まで、戦地とは外地のことだった。近隣諸国が、いまだに日本の好戦性を危惧することには、歴史的に拭いがたい根拠があるのだ。
もう一つ。天皇制軍国主義における軍部の専横は、議会制民主主義の衰退と裏腹であった。議会制民主主義が国民の支持を失ったとき、天皇制とは軍国主義・侵略主義と同義になった。当時の政党政治がいかに未熟なものであれ、軍部の跳梁に対抗しうる貴重な機構だった。だが、議会制民主主義が自壊した。国民とメディアが議会を見限った。学校教育もである。こうして、軍部専横が、敗戦まで続くことになる。
2018年の12月8日。暗澹たる気持で、わが国の議会制民主主義の現状を見ざるを得ない。何たる自民・公明の体たらく、そしてこれに追随した維新。この3党の醜態と責任とを忘れてはならない。
ことの重大性は、入管法・水道法・漁業法・日欧EPA等の個別悪法の内容の問題だけではない。いつの間にかここまで忍び寄っている、議会制民主主義形骸化の恐怖である。
何年かあとに、「1941年12月8日未明」と同じニュアンスをもって、「2018年12月8日未明」が語られる日の来ることを恐れる。
(2018年12月8日)
本日、浜の一揆訴訟第3回法廷。仙台高裁401号室での本日の弁論テーマは、「漁業の民主化」や「漁業調整のあり方」、あるいは「漁協の組合員に対する責務」などという抽象的なものではない。非常に具体的な、「延縄漁」と「刺し網漁」の比較の問題。
三陸沿岸の漁民は、サケ漁を禁止されているが、釣り針にエサを付けた延縄漁でならサケを獲ってよいことになっている。それなら、延縄で漁をすればよいじゃないか。刺し網漁の許可は必要ないことにならないか。そのような観点からの「延縄」と「刺し網」の比較。
下記が法廷での代理人陳述要旨。その後の進行協議の場では、「延縄」と「刺し網」の実物を持ち込んで、原告漁師が裁判官に雄弁に説明をした。裁判官諸氏は、興味深そうによく話しを聞いてくれた。これだけのことで、原告たちの裁判所に対する信頼感が醸成される。
その後、仙台弁護士会の会議室を借りて2時間余。具体的な話題になると、原告らの発言が実に活発になる。「延縄」はコストに見合った漁獲を見込めず経済的にペイしないことが縷々語られた。「なぜ、一部のものにせよ、延縄での出漁をする者がいるのか」という問に、いくつもの答が返ってきた。
「数値を見ればバカげた漁のように見えるが、それは結果論」「出漁するときは、今日こそは大漁になるかも知れないと思うのが漁師なんだ」「他の漁師はダメでも、自分だけはうまく行くと考える」「漁師は博打打ちみたいなもので、一山当てたいのさ」「当たれば、うんと獲れることもある」「過去の栄光の経験が忘れられない」「過去の夢もあり、将来の夢も見るのが漁師」「その時期、ほかの漁ができないからやらざるを得ない」「おれは、延縄なんかやらない」「いまごろ、延縄やっている者の気が知れない」「どうしても刺し網でなくてはダメだ」
出漁日数がどうなるか、どんなに家族労働に頼っているか、油代が幾らかかるか、魚価がどうなるか、水揚げに対して各種付加金がどうなるか…。話は尽きない。
そして、他の漁師の寄り合いと違うのは、漁業法改正問題の国会審議が話題になること。「県漁連会長が、おれは個人的には賛成だと」「なんでだ。県漁連会長が漁協潰しになぜ賛成する」「反対してもダメだ。いずれ企業参入の流れができている、っていうことらしい」「企業を入れて、その売り上げから漁連が口銭を取れると思っているんじゃないのか」「漁協の頭越しに、知事から企業に許可が行くのだから、漁連は口銭取れないだろう」「すっかり欺されているんじゃないのか」「全漁連の会長もおんなじだ」「漁協の将来はどうなるだろう」
これからの漁業はどうなる? 漁業者の誰もが不安を持つ漁業法大改悪が、今日にも国会で成立しそうである。
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意 見 陳 述 要 旨
仙台高等裁判所第1民事部 御中
控訴人ら訴訟代理人弁護士 澤 藤 大 河
※本日陳述の準備書面(2)は、裁判所から求釈明のありました「延縄漁と刺し網漁の比較」について回答するものです。
おそらく、裁判所はこうお考えなのでしょう。
「控訴人らは、サケ刺し網漁の許可を求めているが、必ずしも刺し網ではなく、延縄でもサケはとれるのではないか。延縄でのサケ漁の許可が取れるのなら、刺し網許可の必要性は低いのではないか」。「岩手県漁業調整規則3条1項にいう、漁業許可申請に対する不許可要件としての『漁業調整の必要』の有無を判断するに際しては、延縄が許可される方針だということも考慮に入れる必要があるのではないか」。
※もし、「サケ延縄漁」が「サケ刺し網漁」に代わるものとして十分な内容をもつ漁法であるとすれば、特にサケ刺し網漁を許可する必要性は希薄となります。しかし、それなら、控訴人ら漁民が、サケ刺し網漁の許可を求める必要もないことになります。
結論から言えば、両漁法に互換性も代替性もありません。サケ延縄漁が許可されることをもってサケ刺し網漁を不許可とする根拠とはなり得ないのです。
被控訴人岩手県の水産行政と県内大規模定置網業者とが、サケ刺し網漁を許可できないとしてきたのは、サケ刺し網漁が定置網漁と競合して、定置漁の漁獲量を減殺させるというものでした。この主張が、サケ延縄漁に向けられることはありません。サケ延縄漁は定置網漁の漁獲に影響を与えるほどの漁獲がありえないからです。控訴人らが求めているものは、収益性の低いサケ延縄漁ではなく、飽くまでも刺し網漁の許可なのです。
※延縄漁は「釣り漁法」の1種であり、刺し網漁は「網漁法」の1種です。
一般に、漁獲効率の比較において、「釣り漁法」は「網漁法」に劣ります。岩手沿岸におけるサケ延縄漁の効率はサケ刺し網漁の効率に数段劣ります。
それだけでなく、それぞれの漁を実施できる海域も時期も異なります。延縄漁は、海面付近で行う漁であって、海面付近での魚が餌に食いつかなくては成立しません。サケ延縄においても海面付近でサケが餌に食いつく活発さが必要であるところ、その活発さは海水の温度に依拠することが知られており、その海水温の適温はおよそ14度です。つまり、海面付近の海水温が 14度程度になっていなくては延縄漁を行うことはできません。
近年の地球温暖化の影響で、海面の温度は上昇しており、サケ漁の適期にサケ延縄漁が可能であるのは岩手県では県北部に限られています。県南部では「秋サケ」の適漁期に海面付近の水温が高すぎるため、延縄漁はできないのです。
もちろん、真冬ともなれば、県南でも海面水温は下がってきますが、そのころには、サケが沿岸で回遊する漁の適期は過ぎています。とりわけ、サケの人工増殖事業は、シーズン初期のサケの漁獲を重視し、その時期の採卵を繰り返してきたため、サケ回帰の早期化が進んでいます。このことは原審に提出した井田齊意見書に詳しく述べられていいます。
これに対して、固定式刺し網漁は、海底付近にサケがいれば実施することができます。 海底においてサケが好む水温となるような水深の場所を選ぶことによって、固定式刺し網漁は、より広範な水域で、延縄漁に比較して時期も長く実施できることになります。
※延縄漁は、1本の幹縄に多数の枝縄をつけ、枝縄の先端に付けられた一つ一つの針に餌をつけて魚を釣る漁法です。漁の準備には、針の一つ一つに餌をつけていく必要があります。サケ延縄漁の場合、体長7cm程度の鰯を餌として使用します。餌付けは出漁の前日などに漁師の家族総出で行います。この労働は漁家の家族労働として金銭対価なく行われてきました。一回の操業は、潮の変わり目の魚が活発な時間帯を狙って行われます。
潮の変わり目にサケの行動は活発になり、その時間帶はわずか20分程度です。この時間帯の見極めが肝要で、これを逃すと漁果皆無となります。
サケ漁の漁期は、10月中旬からから1月中旬までの約3ヶ月90日間程度です。そのうち気象条件と準備が整って出漁可能なのは半分程度、年間45日が標準的なものです。
巻き上げられた幹縄の約7割は再利用ができません。海流や潮の満ち引きで揉まれた延縄は、ひどく絡まるからです。特に、他の漁船が敷設した延縄と絡まると、切断するしかないこともあります。ひどい絡まりようになると、幹縄とナイロンテグスが絡まった団子状態になり、漁民の家の庭先に山となって積まれることになります。サケ延縄漁を行っている漁師の家族は、これを延々とほどき続けるのです。
※サケ延縄は、効率が悪く高コストで収益性が低く、その上苛酷で無償の家族労働なしでは成り立たない漁法です。経済的にはおよそペイしない漁法と言わざるを得ません。
準備書面に詳述していますが、サケ延縄漁を開始する場合、船を別として初期費用として560万円ほどが必要です。次年度以後は毎年400万円あまりの経費が必要となります。また、金額に見積もれない労働と労働の過酷さも考えなくてはなりません。
生産地におけるサケのキログラムあたりの単価は平均すると400円程度なので、年間3.4トンの水揚げを想定すれば、136万円程度の収入となります。しかし、合理的な試算では年間コストが387万円にもなります。到底経済的になりたつ漁業ではありません。
※刺し網漁の網の価格は標準的なもので76万円。巻き上げ機は120万円から200万円程度。船を別にすれば、初期費用は安ければ200万円程度で可能です。
また、刺し網漁は、サケ以外の魚種に広く行われている漁法であるため、現役の小型漁船漁師の多くは、既に刺し網を所有しています。現在、刺し網漁許可を有している漁師は当然刺し網を所有しているし、刺し網漁の許可を受けていなくとも、過去に刺し網漁をしていたり、廃業した仲間から譲り受けて、刺し網を所有している者は多いのです。
燃料費は、延縄漁の1/3程度です。長大な縄を投入するために走り回る必要がないからです。仮に10tの水揚げがあれば、400万円の収入を得ることができます。
操業コストの年間支出は43万5000円程度であり、300万円台の収入が見込めることになり、十分に経済的に成り立つ漁法となります。
※以上のとおり、サケ延縄漁の許可が可能とされていることを、サケ刺し網漁申請の不許可理由として考慮する合理性は皆無なのです。十分なご理解をいただきたいと思います。
(2018年12月7日)
今話題の政教分離と大嘗祭の関係について伺います。まずは政教分離からご説明を。
「政・教」の「政」とは「政治権力」のこと、「教」は「宗教」です。どこの世界でも、かつてはこの両者が蜜月の関係にありました。相互に利用し合い、一体化してもいたわけです。
ヨーロッパの近代が、王権と教権とを分離したわけですね。
国家がもつ政治的権力と巨大宗教団体の権威とを切り離すことによって、欧米の近代市民社会が成立したと言って差し支えないと思います。ところが、日本は事情が違った。19世紀の後半に、時代錯誤の政教一致を掲げて、神聖国家を作りあげた。
それが、明治維新後の神権天皇制。
天皇は神の末裔であるとともに自らも神であると称しました。国家がこの信仰を臣民に布教し、徹底して臣民をマインドコントロールした。こうして、神なる天子が統治権の総覧者としての天皇となり、さらには大元帥として軍事力をも統帥しました。
その時代、天皇が宗教的権威でもあり、政治的主権者でもあり、かつ軍事力の統帥者でもあったと言うことですね。
単に、天皇が三層の権威・権力を掌握していたというのではなく、政治的・軍事的実力掌握の正当性が、宗教的権威によって根拠づけられていたという構造の把握が大事だと思います。
その辺をもう少し、具体的に。
大日本帝国憲法の文言が事態を良く説明していると思います。この憲法は、「告文(こうもん)」から始まっています。神への上奏文ということですね。憲法自体が明らかな宗教文書なのです。その冒頭の一文は、「皇朕レ謹ミ畏ミ 皇祖皇宗ノ神霊ニ誥ケ白サク …」というまったくの祝詞、神道の教典そのものです。しかも、国民の方を向かずに、神様の方、自分の祖先神に語りかけているわけです。
さらに、前文にあたる「上諭」には、「国家統治ノ大権ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ伝フル所ナリ」「朕カ現在及将来ノ臣民ハ此ノ憲法ニ対シ永遠ニ従順ノ義務ヲ負フヘシ」と書かれています。
ずいぶんとエラそうな態度ですね。
何しろ、神様ですからね。万世一系ノ天皇がもつ大日本帝国統治の権限は、神話の世界で祖先神(アマテラス)がアプリオリに持ち、代々の天皇がこれを受け継いできた。だから、「我が家来ども、朕が制定したこの憲法に永遠に従え」というわけですね。
国家統治の権限は「祖先神⇒当代天皇⇒その子孫」と万世一系に受け継がれる、というわけですね。
権力の正当性の根拠は、国民多数の意思にあることが世界の常識であった時代に、敢えて祖先神の神話に求めたのです。このバカげたくわだてが、半ば成功したから恐ろしい。
それが、教育勅語による戦前教育だったのですね。
大日本帝国は、この非合理的な神話の上に成り立ってました。天皇は飽くまでも、神でなければならなかった。
戦後、その天皇が人間宣言をしますね。
天皇(裕仁)が最高の戦犯だったことは、公正にものを見ようとする誰の目にも明らかです。しかし、東条英樹以下の処刑を眺めながら、彼は生き延びました。さらに、諸悪の根源であったはずの天皇制も廃絶されず、彼は戦後も天皇として君臨することになります。その彼も、さすがに神のままではおられなかった。政治的権能と軍事力と、宗教的権威とを剥奪された形で、憲法上の存続を許されたということになります。これが象徴天皇制。
象徴天皇制と政教分離はどう関わるのでしようか。
各国の政教分離の在り方はそれぞれの歴史によって違います。私は、岩手靖国違憲訴訟を受任した40年前から、日本の政教分離とは、ふたたび天皇を神に戻さないための歯止めの仕掛けだと言ってきました。
憲法20条にはそのように書かれていませんが。
「国及びその機関はいかなる宗教的活動もしてはならない」(憲法20条第3項)、「公金は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、これを支出してはならない」(同89条)が政教分離の条文です。歴史的経緯からの憲法解釈が必要で、日本国憲法での政教分離における「教」とは宗教一般をいうのではなく国家神道のこと。国家神道とは、天皇と天皇の祖先を神として祀る「天皇教」にほかなりません。せっかく人間宣言をして生身の人間になった天皇を再び神に戻してはならない。そのような歴史の歯車を逆転させないための歯止めの仕掛け。それが日本型政教分離原則にほかなりません。
それで、政教分離と大嘗祭とはどう関わることになりますか。
大嘗祭とは、新天皇が、祖先神の霊力を受け継ぐ宗教儀式とされています。まさしく、天皇が神になるための宗教儀式。
なるほど、「神なる天皇」を否定するのが日本国憲法の大原則なのだから、「神なる天皇」をつくる大嘗祭は、他の何よりも国が関わってはならない宗教行事というわけですね。
日本国憲法を制定する際に、天皇制を廃絶できれば問題はなかった。中途半端に象徴天皇制を残したから、再び天皇が戦前のごとき神格化を獲得して暴威を振るう恐れに歯止めを掛けなければならなかった。それが、日本の政教分離。だから、政教分離原則によって、国が何を禁じられているかといえば、まず何よりも大嘗祭といわねばなりません。
普通、政教分離は天皇や閣僚の靖国神社参拝を禁止するものだという印象が強いのですが。
靖国神社は、天皇制の軍国主義的側面と結びついた軍国神社ですから、これに敏感でなくてはならないのは当然です。しかし、政教分離本来の意味からすれば、大嘗祭をこそ国が関わってはならない宗教行事と考えなければならないはずです。
すると、秋篠宮発言は憲法に則ったものということになりますか。
極めて常識的な見解の表明ですね。皇族が抗議の形でこう言わねばならない状況が、憲法にとっての悲劇と考えざるを得ません。
(2018年12月6日)
また、吉田博徳さんからお電話をいただいた。また、「オシエテいただきたいことがある」とおっしゃる。で、テーマは天皇の人権についてだという。またまた緊張することになった。
いったい、天皇には人権というものがあるんでしょうか。
何とも、単刀直入である。吉田さんが、「天皇なんぞに人権を認めてはならない」というご意見でないことは承知しているから、話しはスムーズに運びそうだ。
天皇とて生身の人間ですから、個人として尊重されねばなりません。その意味では、当然のこととして「天皇にも人権はある」ことになりますね。
でも、天皇には行動の自由というものがないでしょう。自由に街中を歩いたり、散歩も買い物もできない。それでも人権があると言えるんですか。
本来自由があることと、その行使に何らか事実上の支障があることとは分けて考えなければならないのでしょうね。
天皇には本来的に自由があり人権がある。しかし、事実上行使できないものがあると考えるのでしょうか。
いや、そうではない。天皇の人権は制約されています。しかし、それは象徴という地位と両立しない範囲に限ってのもので、人格の尊厳という人権の大本は天皇にも保障されていると考えざるをえません。
原則は天皇にも人権がある。ただ、象徴という地位と両立しない範囲では制約される。具体的にはどのように制約されるのでしょうか。
分かり易い例では、天皇には選挙権も被選挙権もない。職業選択の自由もありませんね。任意に住居を定める自由もない。婚姻の自由も制約されています。裁判を起こす権利もないとされています。
信仰の自由や表現の自由はどうですか。
天皇が人間である以上は当然に精神生活があるわけですから、信仰の自由も思想・良心の自由もなければならない。これは人間としての根源的な存在に関わる自由であり権利なのですから。天皇がクリスチャンであろうと仏教徒であろうと、あるいはイスラム教徒であろうと、もちろん無神論者であろうとも、憲法上の問題はないでしょう。表現の自由も基本的には認められるはずですが、一部制約はありうるでしょうね。
私はね。常々、天皇ほどかわいそうで不幸な存在はない、と思っているんですよ。どうして、もっと自由にのびのびと暮らしていけるようにしてあげられないのでしょうかね。天皇に、表現の自由があるといっても形だけ。実際は自由にしゃべれないでしょう。それに、天皇にたけは姓もない。
天皇は、国民の納めた税金を使ってそれなりの待遇を受けている、よいご身分じゃないですか。私は、天皇をかわいそうだとは思いません。不平等に苦しんでいる多くの人々がいるじゃありませんか。貴賤の「貴」を認めれば、その対極に「賤」の存在を許すことになる。
わたしは、大いに同情していますね。こんなカゴの鳥同然の生活は、普通の人にはとても耐えられない。人権には例外を設けるべきではない。人権を大切にする立場の人が、何とかしてあげなければならないんじゃないでしょうか。
吉田さんの立場は、だから不合理な天皇制は廃止した方が良いということですか。
すくなくとも、天皇が辞めたいときには、辞める自由を保障しなければならないと思っています。でなければ、生涯カゴの鳥でしょう。
ずいぶん前に、同じことを言った皇族がいましたね。確か三笠宮。退位の自由のない天皇は、奴隷的な苦役・拘束を強いられることになるという趣旨でしたね。
天皇にも人間としての尊厳は保障されているというのであれば、最低限「退位の自由」は確保して、天皇という立場からの離脱の道をのこしてやるべきでしょう。生まれだけで、生涯の不幸な立場を強いられるのは余りにお気の毒。
世襲も身分的拘束も近代法の原理とは別次元の問題ですが、天皇位への就任を拒否する自由、退位の自由が保障されていれば、天皇としての負担も自分で引き受けたことになりますから、もう「かわいそう」と思わなくてもいいんでしょうね。
やめようと思えば辞められる、それが大事なこと。憲法は、それを認めますか。
憲法には、天皇の退位についての規定はありません。任意に辞められるとも辞められないとも定めはありませんから、法改正次第ということになりますね。
では、誰にも人権を保障するという立場から、天皇の任意の退位を認める法律を制定すれば良いわけだ。
私は、本来天皇制は廃絶すべきだと思っています。しかし、現行憲法下で、天皇個人の人権擁護のため天皇の退位を認める法改正案が出たとすれば、賛成します。問題は、そんな風に世論が盛り上がるかどうか。
私のように、カゴの鳥の天皇をかわいそうと思っている人は少なくないと思うんですがね。
現天皇が生前退位の実績を作ったのですから、これをひろげて任意退位の制度を作ってもよいとは思います。
天皇だって、いつでもやめられると思えば、のびのびと勤めを果たしていけるのではありませんか。
次々にみんな辞めれば、天皇制はなくなるわけですから、可哀想な人もなくなる。
それに、今日本では年間3万に近い人が自殺していますね。貧困での自殺者を2万人として、その救済のために一人100万円を支給すると200億円かかる。天皇制がなくなれば、宮内庁費と皇室費、皇宮警察の220億円の費用が浮くわけですから、貧困自殺者をなくすることができると思いますよ。
なるほど。自由がなくてかわいそうな人を救い、金がなくて自殺する人も救える。天皇制なくせば、よいことばかりじゃないですか。
(2018年12月5日)
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自民 12月6日衆院憲法審開催断念
=来年通常国会の発議、厳しい情勢
『憲法審査会強行開催糾弾! 自民改憲案「提出」許すな!
12・6早朝緊急抗議行動』
12/6(木)AM9:00? 衆議院第2議員会館前
主催:戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会
?http://sogakari.com/?p=3911
どこにも言語感覚豊かな人がいる。野党の議員から、「写経共闘」という言葉を聞かされた。社共共闘ではなく、「写経」の共闘。これが含蓄深い。
写経といえば、静謐な環境の中で、ひたすら経文を書き写す。それが精神修行でもあり、功徳でもあるという。その「写経」をともにしたのが、野党の議員諸君。
入管法改正問題で重要な基礎資料となっているのが、失踪外国人技能実習生への聴取票。正確には「実習実施者から失踪した技能実習生にかかる聴取票」。2892枚に及ぶその手書きでの書き写しを「写経」と名付けたのだ。これを立憲民主党、国民民主党、日本共産党、無所属の会、自由党、社民党、参院会派「沖縄の風」の7野党(含む会派)の各議員が分担し、休日返上でやり遂げた。
野党議員の神妙な「写経」ぶりは、下記のURLがよく映している。
https://tr.twipple.jp/p/bb/5860d1.html
スキャンを掛けて統計処理をすれば、あっという間に終わる作業。それをさせたくないというのが、政権側による明らかないやがらせ。衆院法務委員会と参院予算・法務委員会の委員に限定して閲覧を許可したが、コピーもダメ、写メも許可しないと言う。これで、野党議員のやる気を封じようという作戦。
ところが、この姑息な政権の思惑が完全に裏目に出た。野党各党の議員は写経を共にするうちに、安倍政権に対する闘志を共有して、大いに連帯感を醸成したという。のみならず、その集計結果が「なるほど、これでは見せたくなかったわけだ」と肯かせる代物。安倍政権の「ウソとごまかし」体質を裏書きする重要な1事例として加えられることになった。「写経共闘」の偉大なる成果にほかならない。
昨日(12月3日)、写経に携わった7野党(含会派)の議員団が国会内で記者会見し、写経・集計の結果を発表した。
その結果、2892人(重複22人分含む)の対象者(聴取票では「容疑者」)のうち、67%の1939人が最低賃金を下回っていたという。
野党議員団は、月額給与と労働時間から時給を算出し、全国で最も低い宮崎・沖縄両県の最賃時給714円(16年)と比較した。その結果、時給714円に満たない者が、3分の2なのだ。
これまでの政府発表では、「最低賃金以下」を「失踪の理由」として上げた者は22人、0・8%とされてきた。67%と0・8%。こういう比較を「月とスッポン」という。あるいは、「ムチャクチャなウソとごまかし」とも。貴重な教訓を噛みしめなければならない。「安倍政権の言い分も、統計資料も、まずは眉に唾を付けてから聴き、目を通すべし」。うっかり鵜呑みにするとたいへんな目に遭う。
また集計の結果、過労死ライン(月80時間)を超える残業をしていた人が1割に上ることも判明した。これも、写経共闘の貴重な成果。
野党議員団は口を揃えて、「外国人労働者受け入れ拡大の出入国管理法改定案審議の土台は崩れた」と指摘した。誰が見てもそのとおりだろう。これまで法務省が言っていた、「より高い賃金を求めて失踪する者が3分の2」との見解は虚偽だった。「そのウソがばれないよう野党に手書きさせ、その間に法案を衆院で通過させた」のだから悪質極まる。まことに、「嘘つきは安倍の始まり」であり、「ごまかしは法務省の始まり」ではないか。
これだけ追い詰めてなお、法案成立が強行されるとなれば、国民は政権からよほどなめられている。「国民が主権者だって言うのは、投票日一日だけのこと」「どうせ次の選挙までに、みんな忘れてくれる」「だから、何をやってもへっちゃらさ」
これが、今の政権と国民の関係。民主主義の実態なのだ。
(2018年12月4日)
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憲法審査会強行開催糾弾! 自民改憲案「提出」許すな! 12・6早朝緊急抗議行動
【拡散希望】
?『憲法審査会強行開催糾弾! 自民改憲案「提出」許すな! 12・6早朝緊急抗議行動』
12/6(木)AM9:00? 衆議院第2議員会館前
?主催:戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会
?http://sogakari.com/?p=3911
本日、院内集会「ウソとごまかしの『安倍政治』総検証!」。各スピーチの内容は明快で、聴衆の熱気も高く、大いに盛り上がった。
定員300人の衆議院第1議員会館地下「大会議室」がほぼ満員の盛況に見えたが、通行証配布の実数はちょうど200だったという。議員や記者など、他の通行証をもっている人がこれに「プラスα」となる。
内容の濃い充実した集会だったが、画竜点睛を欠いた。司会を務めた私の声か悪かった。ここ数日来の風邪ですっかり喉を痛め本日が最悪。嗄れ声というレベルではなく、ようやくにして声が出るという状態。聞き苦しいことこの上なく、参集の皆様には申し訳なかった。
この集会の前、午後4時に署名簿を携えて議員会館の安倍晋三議員事務所を訪ねた。まずは、会館の受付で、「安倍晋三議員事務所に署名簿を持参したい」と申し入れると、「陳情ですね」と念を押され、面会の目的欄を「陳情」とする面会申込み票を書いた。「陳情の場合、団体名を書き込むことになっています」と言われて、「澤藤統一郎法律事務所」と書き込み、ようやく連絡を取ってくれることになった。どうも、ここの受付は官僚的で感じが良くない。
受け付け担当者から、「議員事務所に面会予約はありますか」と聞かれて、「いいえ、ごく短時間で済みますから、特にアポの必要はないと思っています」。そして、取り次がれた安倍晋三事務所の返答として、「議員事務所では予約のない方とは面会できないとのことです」という。
そこで、すぐに携帯で事務所に直接電話をした。電話に出た男性に、「陳情書を受け取っていただきたい。時間は取らせない」。「いつの予定ですか」「いますぐ。会館の受け付けにいる。すぐに伺いたい」。どんな内容だというから、「著名な16氏が安倍政権の公文書管理のあり方についての意見をアピールとして出した。これに賛同する署名を募ったところ8760人となった。そのアピールと署名簿をお届けしたい」。やや押し問答があったが、「それほどおっしゃるのなら陳情書だけは受け取っても良い。署名は受け取れません」となって、弁護士4名で安倍晋三事務所に出向いた。
ブザーを押すと秘書と思しき屈強な男性が出てきた。「ここで」と言って、ドアを背にして部屋の中へは入れないという構え。
名刺を渡して姓名を名乗りアピールと署名簿を見せた。「16名の方が『いまこそウソとごまかしの「安倍政治」に終止符を!』というアピールを発表し、賛同署名を募ったところ8760名となった。先ほどの電話でのお話しでは、『署名簿は受け取れない』とのことだったので、これは後刻郵送したい」「いや、そもそも署名簿は受け付けないということです」
ならば、仕方がない。アピールだけを手渡して、「これが賛同署名をいただいたアピールです」。「ところで、公設秘書の方ですね」「そうです」「お名前を教えてください」「言えません」。で、バタンと扉を閉められた。
なるほど、「ウソとごまかしの『安倍政治』に終止符を!」というアピールの受け渡しにふさわしい光景ではないか。主権者国民が、公務員に対して請願権を行使しているのだ。もっと真っ当な応接の態度があってしかるべきだろう、と怒らねばならないところなのだろう。が、安倍晋三事務所とはこんなものだろうという、予想にピッタリそのとおりだったことに妙に感心した。
さて、集会の概要をご報告しておきたい。
開会の挨拶の浜田桂子さんは、子どもたちの世代に「ウソやごまかしに満ちた社会」を渡したくない、というお話しだった。
小森陽一さんは、トランプ大統領も安倍首相も同様に「真実」擁護の姿勢を放棄し、「オルタナティブ・トゥルース」依拠と「ウソやごまかし」に徹した政治手法を執るに至っていることを弾劾した。これを放置すれば、安倍改憲を許し、9条が骨抜きにされてしまう。
右崎正博さんは、ウソやごまかしのない政治のためには、公文書の適正な管理が必要であることを改めて強調し、公文書管理の役割を骨抜きにしようという政権の姑息な策動を、研究者らしい姿勢で批判した。
古賀茂明さんは、パワポを使って分かり易く、「TAG」と報道されたものが、実は「FTA」そのものであるに拘わらず両者を別物とする政権とメディアの在り方を痛烈に糺弾した。
そして、上西充子さんは、本日「ご飯論法」が流行語大賞のトップテンに入賞したことの報告から、大臣答弁のごまかしのひどさを強調された。これだけ欺瞞を暴いても法案が通ってしまう。直接世論に訴える方法として、パブリックビューイング(街頭でメディアに切りとられる前の国会質疑を観る)という運動を始めたという。
以上の論稿は、日本民主法律家協会の機関誌「法と民主主義」来年1月号(2019年1月下旬発刊)に掲載の予定となっている。
興味のある方は、下記URLからお申し込みください。
https://www.jdla.jp/houmin/
本日の集会では、現政権の「ウソとごまかし」の酷さを再確認した。それは一強の長期政権から生まれているのだ。そして、政権の「ウソとごまかし」は、ひ弱いメディアと相俟って、有効に国民を誤導している。その危険性が共通の認識になったように思う。
今後とも、「ウソとごまかしの安倍政治」を徹底して批判し続けなければならない。改めてそう思った。
(2018年12月3日)
11月30日は私の誕生日でした。この日に放映される記者会見の録画撮りが11月22日に行われました。その際には、やや舌足らずと思われるところなどありましたので、これを補って少し整理して、改めて大嘗祭に関する私の考えを明確にしておきたいと思います。
陛下の退位に伴う代替わり行事には、いわゆる天皇の国事行為として行われるものと、皇室行事として行われるものがあります。この両者はまったく性格の違うものですから、きちんと分けて考えていただかねばなりません。
天皇が国事行為として行う儀式は、内閣の助言と承認にもとづいて行うことになっていますが、事実上国家が主催するもので、天皇も皇族も儀式進行担当者の指示にしたがう以外にはなく、陛下も私も、その式の在り方に何かを言うことができるかというと、なかなかそういうものではないんですね。
一方、皇室の行事として行われるものについてはどうか。これは国家の行事ではありません。飽くまでも、皇室の私的行事ですから、本来は私ども皇族の宰領にお任せいただいてよろしいかと思うのです。これについては、私の考えというものもあってもよいし、それを述べることも許されるだろうと思います。
少し具体的に申しあげます。即位の礼。これは国事行為として行われるわけです。即位の礼に付随する一連の行事も国事行為です。その行事の在り方について特に意見があるわけでもありませんし、意見を述べる必要もありません。また、ことさらに意見を述べるべきでもないとおもわれます。
問題は大嘗祭についてです。これは皇室の行事として行われるものですし、ある意味宗教色が強いものになります。これについては、本来であれば、国の行事ではなく、皇室の私的行事としてお任せ願いたい。それが許されないとしても、少なくも、私どもの考えというものがあってもよいし、それを述べる必要もあるのではないかと思うのです。
大嘗祭は、極めて宗教色の強い行事です。これを皇室の私的行事として、皇室の家計に当たる内廷費でまかなえば憲法上の政教分離原則に抵触することはありません。しかし、国家の行事とし、国費である宮廷費を支出するとなれば、当然に政教分離原則に抵触する恐れが出てきます。それは政府も天皇も、もちろん皇族も、憲法に従うべき立場にある以上、望ましいことではありません。陛下も、私ども皇族も、篤く日本国憲法を尊重し擁護したいと願う立場であることは今さら言うまでもないことです。
私は、平成の大嘗祭の時にも、これを国家の行事とすべきではないし、国費で賄うべきではないという立場でありましたが、そのころはうんと若かったので、明確な発言はできませんでした。
その私も今年で53歳、来年には皇位継承順位第1位の皇嗣という地位に就くことになっています。皇族の一員として一言述べなければならないと思うのです。来年に予定される大嘗祭についても、私の意見は変わりません。宗教色の強い大嘗祭を国家の行事とすべきではないし、国費で賄うべきでもないと言わざるを得ません。
しかし、結局、今回も平成の大嘗祭を踏襲することになったわけです。もうそれは決まってしまったわけで、今さら私の意見を言っても、事態を変えることはできないことになっています。しかし、私としては、やはりこのすっきりしない感じというものを今でも引き摺ったまま持っています。
大嘗祭を国家の行事とし国費を投じる理屈の整理の仕方としては、天皇の一代で一度きりの大切な儀式ということから、国もそれについての関心をもたざるを得ないし、公的性格が強い、ゆえに国費で賄うとされています。平成の時の整理はそのようになされました。
今回もそういう考え方を踏襲しているわけですけれども、国家に宗教行事との関わりを禁じた憲法の政教分離原則について思いをいたすとき、私はやはり大嘗祭に国費を投じる理屈は立たないと思うのです。飽くまで、内廷会計で行うべきだと思っています。この考えは、30年前も今も変わりません。
もちろん、私は大嘗祭自体は絶対にすべきものだと思います。大嘗祭を挙行するとなれば費用が掛かりますけれども、私は内廷費の許す範囲で、言ってみれば身の丈にあった儀式にすればよい、と考えています。22億円5000万円もの費用を掛けた大がかりな儀式をする必要はない。おそらく、国民の多くもそのように考えているものと思います。国民の多くが納得するように、質素な大嘗祭が望ましいと皇族の一人として意見を述べます。そもそも大嘗祭は皇室の行事なのですから、そういう皇室側の意見を基本とした在り方が本来の姿であろうと思います。
そのことは、私から宮内庁長官などにはたびたび言っているんですね。しかし、長官は話を聞く耳を持たなかった。そのことは私にとって非常に残念なことだったと思っています。
「聞く耳を持たなかった」と言われると、ちょっとつらいところがあります。そのようにお受け止めになったのであれば申し訳ないとしか言いようがない。
でもね、前例踏襲の妥当性は十分にご説明してきたはずなんですよ。皇室は国民に受け入れられて初めて成り立つわけで、「国民の反発を招かぬよう、経済的負担をより少なくしたい」とのお考えは分からないでもない。しかし、政府はそう考えてはいないわけです。日本国の象徴である天皇の代替わりの行事となれば、それなりの規模と費用が必要なのです。前回を踏襲して同規模の儀式を想定して、約22億5千万円が必要だとしていますが、人件費や資材の高騰で費用が増す可能性もあります。これは、ご不満でも受け容れていただくしかない。
また、前回1990年の大嘗祭では、国から皇室の公的活動に支出される公費「宮廷費」が支出されたことに対して、「政教分離に反する」という批判は当時から根強くありましたよ。そりゃあ、大嘗祭に宗教的性格があることは常識に属することでしょう。しかし、憲法の政教分離原則について、政府は従来から厳格な分離の立場を採っていません。どこまでも緩やかな分離で差し支えないとの立場ですから、「大嘗祭が極めて重要な伝統的皇位継承儀式で公的性格がある」以上は、宮廷費を支出して差し支えないという考えです。これも、ご不満でも受け容れていただくしかありませんね。
天皇陛下からは、即位関係の諸儀式などは皇太子さまとよく相談して進めるよう伝えられていますが、その点は十分にご理解を頂いています。こちらに落ち度はないはずです。
それにね、皇族だからってなんでも口にして良いわけはないと思いますよ。私は、よく聞こえる耳をもっていますよ。でも、なんでもご言い分のとおりになるわけではない。お立場をよく弁えていただきたいところですね。既に決まったことに、記者会見の場であのような形で不満をおっしゃるのは穏当ではないと申し上げざるを得ません。
(2018年12月2日)
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ウソとごまかしの『安倍政治』総検証!
12月3日(月)18時?20時(開場17時30分)
衆議院第1議員会館 地下1階「大会議室」
最寄り駅は、丸ノ内線・「国会議事堂前」、または有楽町線・「永田町駅」です。
(集会にはどなたでもご参加いただけます。議員会館ロビーで、担当の者が入館証を配布していますので、お受け取りのうえ入館下さい。)