澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

中国共産党創建100周年に祝意を表することはできない。

(2021年7月1日)
 本日が、中国共産党創建100周年だという。残念ながら、とうてい祝意を表する気持ちにはなれない。

 私が若かった頃、中国共産党こそは希望の星であった。社会主義は当然あるべき人類の未来図であり、そこに最初に到達する国が中国となるに違いない。当然の如く、そう考えていた。その社会主義中国を牽引する実績と能力と、人民からの信頼をも備えた中国共産党に尊敬の念を惜しまなかった。今は昔の話である。おそらくは、私が変わったのではない。中国共産党が、尊敬すべからざる存在に様変わりをしたのだ。

 本日の創建100周年の記念式典で、習近平は灰色の人民服をまとい1時間強にわたって演説し、「経済発展を実現して中国から貧困をなくしたとする功績」を誇示したという。貧困をなくす…、それは確かに重要なことだ。

 高校生の頃、漢文の授業で「鼓腹撃壌」という言葉を教えられた。聖帝・尭の時代には、こんなにも世の中がうまく治まっていたというエピソード。

 老人有り、哺を含み腹を鼓し、壌を撃ちて歌ひて曰はく、
「日出でて作し、日入りて息ふ。
井を鑿ちて飲み、田を耕して食らふ。
帝力何ぞ我に有らんや。」と。

 農夫が腹鼓を打ち地を踏んで踊り、「帝の力なんてなくたって満足さ」と歌っている。「帝力何ぞ我に有らんや」は、「帝の力なぞ私にとってまったく関わりない」という意味だという。漢文の先生は、「これが、政治の理想だよ」「ところが、現実の政治はこうなっていないから、国民が苦労するわけだ」と言った…ように覚えている。

 同じ頃、英語の演習で、リンカーンのゲティズバーグの演説を学んだ。その最終部分の、次の文章を初めて読んだ。
 government of the people, by the people, for the people

 尊敬する英語の先生は、このフレーズを「人民の人民による人民のための政治」と訳して、「これが、民主主義の神髄ですよね」と言った…ように記憶している。

 私は、「by the people と for the people は分かります。でも、of the people というのがよく理解できません」と頼りない質問をした。これに対して、先生は至極真面目に、こう言われた…ように思う。今はもう、確かめようもないけれど。

 「同格の of という使い方ですね。government と the people が同格ということですよ。でも、所有格の of と理解したってかまわないし、リンカーンもあんまり深くは考えずに、調子がよいからこう言ったのかも知れません。ともかく、政治は人民が自分たち自身で作るものっていうことですよね」

 今日の習近平演説が、余りに「鼓腹撃壌」的で、「民主主義の神髄」的ではないことに驚かざるを得ない。中国共産党は、いまだに「民は由らしむべし、知らしむべからず」と考えているのではないか。

 「鼓腹撃壌」は人民を被治者としか見ない政治観である。老農夫の腹をどう満たしてやろうかという発想は、古代の堯舜も、赤子を慈しむという天皇も、習近平も変わらない。ここには、上から目線の for the people だけがあり、by the people は欠けている。of the people に至っては、カケラほどもない。

 そもそも、(仮に)共産党がどんなに立派であったとしても、飽くまで私的な組織であって、全人民を代表する正当性を持たない。憲法に書き込んだところで、事情は変わらない。

 習は、本日の演説で、「中華民族の偉大な復興を実現させるため、中国共産党は人民を団結させて導いてきた」と何度も繰り返し、「中国の特色ある社会主義があってこそ中国は発展できる」と主張した。香港についても「国家安全を維持するための法律や組織を導入し、香港社会を安定させた」と自賛したという。

 天安門事件以来、中国共産党の強権的体質は誰の目にも顕著ではないか。「人民を団結させて導いてきた」は、こじつけも甚だしい無理な主張というほかはない。「中国の特色ある社会主義」とはいったい何だろうか。あの安倍晋三のいう「積極的平和主義」を思い出させる。「積極的」という言葉をかぶせるだけで、「平和主義」の内容を反転させるマジック。習も、「中国の特色ある」という修飾語で「社会主義」を、格差容認社会に反転させてしまうのだ。

 さらに問わねばならない。「香港社会は安定」しただろうか。香港も、ウイグルも、チベットも、内蒙古も、とうてい「安定」しているようには見えない。不満と不安定のマグマの噴出が、力で押さえつけられているだけではないか。

 古代中国の皇帝も野蛮な天皇制もそして中国共産党も、鼓腹撃壌する人民には穏やかに接する。慈しみさえする。しかし、皇帝や天皇や党の権威に逆らう人民には徹底して非寛容なのだ。党を批判し、党とは異なる立場からの政治参加を求める人民には容赦のない弾圧を厭わない。これが、中国共産党100周年の姿である。人権と民主主義という、人類が獲得した普遍的な叡智を顧みず、野蛮な一党支配を続けるいびつな大国を作りあげた中国共産党。その100周年は祝福に値しない。

 今日は、香港で、ウイグルで、チベットで、内蒙古で、そして中国本土で、中国共産党の弾圧と闘っている側の人々の困苦を思いやるべき日である。

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