菊も動員された天皇信仰儀式の小道具
11月3日。明治天皇(睦仁)の誕生日で、かつては「天長節」とされ、その死後は「明治節」となった日。日本国憲法は1946年の明治節を選んで公布され、その半年後の1947年5月3日が憲法施行の記念日となった。その後、憲法公布の日である明治節は「文化の日」となって今日に至っている。
明治節は、四方拝・紀元節・天長節とともに、四大節のひとつとされた祝祭の日。四大節には、それぞれの唱歌がつくられて、祝賀の儀式に唱われた。「明治節」の1番と2番は以下のとおり。神なる天皇の讃歌であり、天皇教の宗教歌である。天皇を神と信ずる者には大真面目で歌えるのだろうが、そのような信仰を持たない者にとっては、大仰で馬鹿馬鹿しい限りの歌詞。
亞細亞の東日出づる處
聖の君の現れまして
古き天地とざせる霧を
大御光に隈なくはらひ
教あまねく道明らけく
治めたまへる御代尊(たうと)
惠の波は八洲に餘り
御稜威の風は海原越えて
神の依せさる御業を弘め
民の榮行く力を展ばし
外つ國國の史にも著く
留めたまへる御名畏(みなかしこ)
その3番が少し趣が変わって、やや興味を惹く歌詞となっている。
秋の空すみ菊の香高き
今日のよき日を皆ことほぎて
定めましける御憲を崇め
諭しましける詔勅を守り
代代木の森の代代長(とこし)へに
仰ぎまつらん大帝(おほみかど)
3行目の「御憲」(みのり)とは、大日本帝国憲法のこと。4行目の「詔勅」(みこと)は、言わずもがなの教育勅語。この二つが歌詞に取り入れられて、軍人勅諭が入っていない。
明治天皇制定の憲法を、臣民皆が崇めなければならないというのだから、欽定憲法の解釈としても本末転倒も甚だしい立憲主義への無理解。そして、上から賜る教訓を守りなさいというお説教。こんなもの、子どもが唱いたいか。
最後が、「今日のよき日を皆ことほぎて…代々とこしえに仰ぎまつらん大帝(おほみかど)」と、祝意と敬意の押し売りで締めくくられている。実は、これ昔のことでは済まされない。今また、新天皇就任で、祝意の押し付けが甚だしい。衆参両院が賀詞の決議をしている。地方議会でも、これに倣うところがある。主権者の矜持はどこにいったのだ。
ところで、この3番の歌詞に、「秋の空すみ菊の香高き」と、「菊」が読み込まれている。春なら桜、秋は菊。なんでも、天皇讃歌の小道具として動員されるのだ。
私の手許に、「日本植物記」という東京書籍発行の一冊がある。著者は、本田正次。1897年生まれで、東京帝大を卒業して帝大(植物学)教授になった人。同大学理学部付属職植物園長、東大教授を経て、この書物発刊の1981年には、同大名誉教授という肩書だった。
この本、100話ほどの植物にまつわるエッセイ集で、けっこう面白い。この方、歴史や文学に造詣の深い人とは思えないが、さすがに植物に関する専門家として、素人が知りたいことをよく書いてくれている。
ところが、菊の解説でのけぞった。まず、表題が、「“禁裏様の紋”と教えられたキクの花」というのだ。以下本文の抜粋である。はからずも、無自覚無批判に天皇信仰に取り込まれた愚かな臣民の独白となっている。
私のような明治生まれの人間にとっては、十一月三日の天長節はとても懐しい思い出である。今の天皇誕生日と違って学校や役所などがただ休むだけの形式的な祝日でなく、その日は国民こぞって天皇陛下の万歳を心から慶祝したものである。そして学校、役所はもちろん、その他家庭でもどこででも黄ギク白ギクの花を飾ってお祝いをした。天長節とキクの花とは切っても切れぬ思い出が私には繋がっている。
学校の講堂では演壇に一抱えもあろうという大きな花瓶に黄ギク白ギクの花束がぎっしりと活げてあって、せっかくフロックコートに威儀を正して立っておられる校長先生の姿さえ見えないくらい、そして講話を始めようと真顔になって、まず大きな咳払いをされる校長先生に初めて気がつくというありさまであった。
(略)
私が東大の学生のときに分類学の講義を聴いた松村任三先生はキクの属名Chrysanthemumを覚えるには禁裏様の紋といって覚えると覚えやすいといわれた。キンリサマノモンとクリサンセマム、教えられた通り、自分で口に出して何度もいってみてなるほどと思った。そして同時に大学の先生というものは偉いことを知っているものだとつくづく感心したことがある。
小学校のときは演壇のキクの花に隠れた校長先生、大学では分類学の先生から禁裏様の紋で学名を覚えたことなど、私にとってキクの思い出はなかなかつきない。
帝大の先生というものはまことにつまらぬことを教え、東大の先生になろうという人はまことにつまらぬことに感心するものと、つくづく呆れるよりほかはない。
(2019年11月3日)