澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

連続更新2500日目、あらためて自民党「憲法改正草案」を斬る。

当「憲法日記」の掲載は、2013年4月1日に毎日連続更新を広言して始めた。以来、連続更新を続けて、本日が2500日目となる。節目の日にふさわしいテーマを探して、「自民党憲法改正草案批判」とした。これまでも批判はしてきたが、今の時点での厳しい批判を試みたい。

自民党のホームページに、下記のコーナーがある。ここに、自民党「改憲草案」の総括的な解説が掲載されており、総括的な批判に便宜である。

「憲法改正草案」を発表(平成24年4月)
https://www.jimin.jp/activity/colum/116667.html

自民党「憲法改正草案」は2012年4月27日に発表された。同党が、民主党に敗れて政権の座を明け渡している間のことである。無防備にホンネを語ったものとして、貴重な資料である。以下の赤字は自民党の記事青字が私の批判である。

「自主憲法の制定」は自民党の使命
 わが党は、結党以来、「憲法の自主的改正」を「党の使命」に掲げてきました。占領体制から脱却し、日本を主権国家にふさわしい国にするため、自民党は、これまでも憲法改正に向けた多くの提言を発表してきました。

 その自白のとおり、自民党は日本国憲法が大嫌い。何とか変えてしまいたいのだ。どこが嫌いか。国民主権も、平和主義も、人権の尊重も大嫌い。できればなくしたい。今の世にそれは無理だが、現行憲法の理念をできるだけ薄めたものにしてしまいたい。
 では、自民党はどんな憲法が好きなのか。一つは、大日本帝国憲法である。天皇を押し戴き、強い軍隊を持って、億兆心を一つにした統制のとれた国家を肯定する憲法。そして、もう一つが、企業が何の規制もなく恣に行動の自由を謳歌できる憲法である。権威主義と大国主義、それに新自由主義がないまぜにされた憲法イデオロギー。それが自民党が目指す方向なのだ。
 永く臣民と貶められていた日本の国民は、敗戦によって天皇制の桎梏からようやくにして抜け出し、日本国憲法を手にした。自民党は、この憲法を「占領体制によって押し付けられた憲法」というのだ。「占領体制から脱却」とは、再び「日本を旧体制に戻す」こと。これを「主権国家にふさわしい国」と言っているのだ。だから、自民党のいう憲法「改正」とは、極端な「改悪」にほかならない。

サンフランシスコ講和条約から60年、憲法改正草案を発表
 わが国が主権を回復したサンフランシスコ講和条約から60年になる本年(平成24年)4月、自民党は、新たに日本にふさわしい「日本国憲法改正草案」を発表しました。
 次期総選挙においても、「憲法改正案」の内容を世に問うていきます。今の民主党には、新しい憲法による新しい国のかたちを国民に提示することなど永遠にできません。また、それ以外の政党を見渡しても、憲法問題を正面から、しかも体系的に取り扱っているところは見当たりません。我々は、過去も未来も、憲法を、そして、この国のあり方を提示するフロントランナーなのです。

 日本国憲法は、近代憲法の大原則を踏まえ、さらに現代憲法としての特質をも備えた、普遍性の高い憲法である。言わば、人類の叡智をその核心としている。自民党は、それが面白くない。普遍性を排斥して、「日本にふさわしい」憲法草案を作ったと、手柄顔をしているのだ。他党にたいする「新しい憲法による新しい国のかたちを国民に提示することなど永遠にできません」との批判は滑稽極まる。自民党こそは、「過去も未来も、立憲主義と近代憲法・現代憲法の理念を徹底して攻撃し、国民の基本権と、国民主権・平和主義をないがしろにし続ける張本人であり、頭目でもある」のだ。

諸外国の戦後の憲法改正(平成24年4月現在)
 世界の国々は、時代の要請に即した形で憲法を改正し、新たな課題に対応しています。主要国を見ても、戦後の改正回数は、アメリカが6回、フランスが27回、第2次世界大戦で同じく敗戦したイタリアは15回、ドイツに至っては58回も憲法改正を行っています。しかし、日本は戦後一度として改正していません。

 これこそ、安倍晋三得意の「印象捜査」である。これではまるで、憲法を改正することがよいことで、改正しないことが怪しからんような言い回し。
 諸国の「改正」は、片々たる些事についてのもので、日本では憲法を変えることなく、法律の改正で間に合うようなものばかり。なによりも、その「改正」の中身を吟味することなく、回数のみをあげつらうことは無意味である。自民党がたくらんでいるのは、「時代の要請に即した形での憲法改正」ではない。復古的な保守イデオロギーと、大資本の利潤追求の自由の要請なのだ。
 日本国憲法は、日本国民の意思として、戦後一度として改正させなかったことを誇るべきなのだ。保守化してきた時代の潮流に流されず,超大国アメリカや日本の保守勢力の恫喝や要請に抗して、これまで改憲を阻止してきた。これからも、自民党の望む方向の改憲を許してはならない。

日本らしさを踏まえ、自らが作る日本国憲法
 「日本国憲法改正草案」は、前文から補則まで現行憲法の全ての条項を見直し、全体で11章、 110カ条(現行憲法は10章及び第11章の補則で103カ条)の構成としています。 自民党の憲法改正草案が国民投票によって成立すれば、戦後初めての憲法改正であり、まさに日本国民自らの手で作った真の自主憲法となります。
 草案は、前文の全てを書き換え、日本の歴史や文化、和を尊び家族や社会が互いに助け合って国家が成り立っていることなどを述べています。
 主要な改正点については、国旗・国歌の規定、自衛権の明記や緊急事態条項の新設、家族の尊重、環境保全の責務、財政の健全性の確保、憲法改正発議要件の緩和など、時代の要請、新たな課題に対応した憲法改正草案となっています。

 この表題が不正確だ。正確には、「天皇制国家へのノスタルジーを踏まえ、保守イデオロギーが作った、時代遅れ憲法」と言わねばならない。
 草案は、「前文の全てを書き換え」たという。日本国憲法前文の格調はなくなった。「日本の歴史や文化」の強調は、普遍的な憲法理念攻撃の言い訳である。保守派独特の「和を尊び」は、「毒にも薬にもならない」と看過してはならない。民主主義にとって明らかな「毒」なのだ。「家族や社会が互いに助け合って国家が成り立っている」は、まさしく清算したはずの封建イデオロギーそのものではないか。
 「国旗・国歌の強制」「自衛権の明記」「緊急事態条項の新設」「家族の尊重」「憲法改正発議要件の緩和」は、どれもこれも明らかな「憲法改悪」である。「環境保全の責務」「財政の健全性の確保」は、憲法改正を待つまでもない。すぐにでもね法律の制定をすればよいだけのこと。

「日本国憲法改正草案」の概要
(前文)
国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三つの原則を継承しつつ、日本国の歴史や文化、国や郷土を自ら守る気概などを表明。

「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三つの原則を継承」は、実はそうなっていない。「国民主権」は、天皇の元首化と、天皇の憲法遵守義務を排除した点で、大きく揺らいでいる。「基本的人権の尊重」は、公共の福祉を強調したことによって大きく損なわれた。「平和主義」は、国防軍の保持を明記した点で潰えている。
しかも、この草案は、憲法のなんたるか、立憲主義のなんたるかを理解していない。国民に「国や郷土を自ら守る」責務を説いている点で、訳の分からぬのとなっている。

(第1章 天皇)
・天皇は元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴。
・国旗は日章旗、国歌は君が代とし、元号の規定も新設。

「天皇は元首」だと? まっぴらご免だ。「日の丸」「君が代」「元号」は天皇制を支える小道具なのだ。これを憲法に書き込ませてはならない。

(第2章 安全保障)
・平和主義は継承するとともに、自衛権を明記し、国防軍の保持を規定。
・領土の保全等の規定を新設。

古来、軍隊も戦争も、「平和を守るため」と称された。どの国も、平和のために軍隊を持ち、平和のためにやむを得ずとする戦争を繰り返してきた。その愚を断ち切ろうというのが、日本国憲法の平和主義であり9条である。自民党改憲草案は、この平和主義を全面否定しようということなのだ。

(第3章 国民の権利及び義務)
・選挙権(地方選挙を含む)について国籍要件を規定。
・家族の尊重、家族は互いに助け合うことを規定。
・環境保全の責務、在外国民の保護、犯罪被害者等への配慮を新たに規定。

「選挙権(地方選挙を含む)について国籍要件を規定」は、排外主義以外のなにものでもない。同じ土地に暮らし、同じく税の負担をする人びとを国籍で差別しようという、自民党の一番厭な差別主義を露呈している。
「家族の尊重」とは、家の復活のことである。家父長制が国家の礎となった、あの時代の悪夢の再来というしかない。
「環境保全の責務」「在外国民の保護」「犯罪被害者等への配慮」は、積極的に立法すべき課題。これをダシに改憲しようとは、さもしき根性。

(第4章 国会)
・選挙区は人口を基本とし、行政区画等を総合的に勘案して定める。

国政選挙における一票の重みの平等の実現は完全比例代表制で実現できる。選挙方法の工夫を抜きに、改憲の道具とすることを許してはならない。

(第5章 内閣)
・内閣総理大臣が欠けた場合の権限代行を規定。
・内閣総理大臣の権限として、衆議院の解散決定権、行政各部の指揮監督権、国防軍の指揮権を規定。

こんなつまらぬことを口実に、軽々に改憲など許されるはずがない。

(第6章 司法)
・裁判官の報酬を減額できる条項を規定。

自民党は裁判官の独立が嫌い。権力的干渉の足がかりを作っておきたいのだ。

(第7章 財政)
・財政の健全性の確保を規定。

赤字国債垂れ流しの張本人が、その防止のためとして憲法改憲を目論む。これは、ブラックジョークだ。

(第8章 地方自治)
・国及び地方自治体の協力関係を規定。

あってもなくても条文。こになことを口実に、軽々に改憲など許されるはずがない。

(第9章 緊急事態)
・外部からの武力攻撃、地震等による大規模な自然災害などの法律で定める緊急事態において、内閣総理大臣が緊急事態を宣言し、これに伴う措置を行えることを規定

これは、あってはならない邪悪で危険な条文。こんな憲法改悪は、絶対に許してはならない。

第10章 改正)
・憲法改正の発議要件を衆参それぞれの過半数に緩和。

硬性憲法を、こんなに柔らかくしてしまってはならない。これでは、憲法が憲法でなくなってしまう。

(第11章 最高法規)
・憲法は国の最高法規であることを規定。

えっ? これまでは、憲法は国の最高法規でなかったとでも言うの? 現行憲法には国の最高法規性が規定されていないとでも言うの?

自民党は「憲法改正原案」の国会提出を目指しています。
 「国民投票法」の施行に伴い、「憲法改正案」を国会に提出することが可能となりました。わが党は、国民の理解を得る努力を積み重ね、「憲法改正原案」の国会提出を実現し、憲法改正に向けて全力で取り組みます。

日本国民は「憲法改正原案」の国会提出をけっして認めません。
 まだまだ「国民投票法」は使える内容になっていません。今のような環境で「憲法改正案」を国会に提出することなどは到底考えられません。理性ある国民は、自民党を説得する努力を積み重ね、「憲法改正原案」の国会提出を決して許さず、憲法改正阻止に向けて全力で取り組みます。人権と民主主義と平和を守るために。

(2020年2月4日・連続更新2500 日)

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