澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「辺野古代執行訴訟」への注目の視点

辺野古新基地建設に関連して翁長知事が名護市辺野古沿岸海面の埋め立て承認を取り消し、国(国交相)はこの承認取り消しを違法として、福岡高裁那覇支部に「承認処分取消の撤回を求める」訴訟(辺野古代執行訴訟)を提起した。地方自治法に定められた特例の代執行手続としての一環の行政訴訟である。

国交相の沖縄県知事に対する提訴(辺野古代執行訴訟)に関して、本日(11月18日)の東京新聞社説がこう述べている。
「翁長知事が埋め立て承認を取り消したのは、直近の国政、地方両方の選挙を通じて県内移設反対を示した沖縄県民の民意に基づく。安全保障は国の責務だが、政府が国家権力を振りかざして一地域に過重な米軍基地負担を強いるのは、民主主義の手続きを無視する傲慢だ。憲法が保障する法の下の平等に反し、地方の運営は住民が行うという、憲法に定める『地方自治の本旨』にもそぐわない。」

また、同社説は「菅義偉官房長官はきのう記者会見で『わが国は法治国家』と提訴を正当化したが、法治国家だからこそ、最高法規である憲法を蔑ろにする安倍内閣の振る舞いを看過するわけにはいかない。」と手厳しい。

毎日社説は、端的に「国は安全保障という『公益』を強調し、沖縄は人権、地方自治、民主主義のあるべき姿を問いかける。その対立がこの問題の本質だろう。」という。なるほど、このあたりが、衆目の一致するところであろうか。

訴訟では、本案前の問題として、まず訴えの適法性が争われることになるだろう。国は、地方自治法が定めた特別の訴訟類型の訴訟として高裁に提訴している。その訴訟類型該当の要件を充足していなければ、本案の審理に入ることなく却下を免れない。

このことに関連して本日の毎日の解説記事が次のように紹介している。
「承認取り消しについて行政不服審査を請求する一方で代執行を求めて提訴する手法を『強権的』と批判する専門家も多い。不服審査には行政法学者93人が「国が『私人』になりすまして国民を救済する制度を利用している」と声明を出したが、国土交通相は承認取り消しの一時執行停止を決めた。
 この対応について、声明の呼び掛け人の一人、名古屋大の紙野健二法学部教授は『代執行を定めた地方自治法は、判決が出るまで執行停止を想定していない。不服審査請求は、先回りして承認取り消しの効力を止め、工事を継続したまま代執行に入るための手段だった』と推測する。専修大の白藤博行法学部長(地方自治法)は『代執行は他に是正する手段がないときに認められた例外的手段。不服審査と代執行訴訟との両立は地方自治の精神を骨抜きにする』と批判した。」

一方で私人になりすまして審査請求・執行停止の甘い汁を吸っておきながら、今度は国の立場で代執行訴訟の提起。こういうご都合主義が許されるのか、それとも「手続における法の正義は国にこそ厳格に求められる」と、本案の審理に入ることなく、訴えは不適法で、それ故の却下の判決(または決定)となるのか。注目したいところ。

報道されている「訴状の要旨」は以下のとおりである。
「請求の趣旨」は、「被告は、平成27年10月13日付の公有水面埋め立て承認処分の取り消しを撤回せよ」というもの。

請求原因中の「法的な争点」は次の2点とされている。
(1) 不利益の比較(「処分の取り消しによって生じる不利益」と、「取り消しをしないことによる不利益」の比較)
(2) 知事の権限(知事には、国政の重大事項について適否を審査・判断する権限はない)

「翁長承認取消処分」は、「仲井眞承認」に法的瑕疵があることを根拠にしてのものである。つまりは、本来承認してはならない沖縄防衛局の公有水面埋め立て承認申請を、前知事が真面目な調査もせずに間違って承認してしまった、しかも、法には、厳格な条件が満たされない限り「承認してはならない」とされている。事後的にではあるが、本来承認してはならないことが明らかになったから取り消した、と丁寧に理由を述べている。けっして、理由なく「仲井眞承認」を撤回したのではない。

だから常識的には、今回の提訴では「仲井眞承認」の瑕疵として指摘された一項目ずつが吟味されるのであろうと思っていた。しかし、様相は明らかに異なっている。いかにも大上段なのだ。「国家権力を振りかざして」の形容がぴったりの上から目線の主張となっている。東京社説が言うとおりの傲慢に満ちている。メディアに紹介された「要旨」を見ての限りだが、安倍や菅らのこれまでの姿勢を反映した訴状の記載となっいるという印象なのだ。

翁長承認取消処分を取り消すことなく放置した場合の不利益として強調されているものは、「約19年にわたって日米両国が積み上げてきた努力が、わが国の一方的な行為で無に帰し、両国の信頼関係に亀裂が入り崩壊しかねないことがもたらす日米間の外交上、政治上、経済上の計り知れない不利益」である。

そして、知事の権限については、次のとおり。
「(被告翁長知事は)取り消し処分の理由として、普天聞飛行場の代替施設を、沖縄県内や辺野古沿岸域に建設することは適正かつ合理的とする根拠が乏しいと主張するが、しかし、法定受託事務として一定範囲の権限を与えられた知事が、米軍施設・区域の配置といった、国の存立や安全保障に影響を及ぼし国の将来を決するような国政の重大事項について、その適否を審査・判断する権限はない。」

公有水面埋立法の条文や承認要件の一々の吟味などは問題ではない。天下国家の問題なのだから、国家の承認申請を、知事風情が承認取消などトンデモナイと、居丈高に言っているのだ。それは、国(国交相)側が、訴訟上の主張としては無意味な政治的主張を述べているのではない。

おそらくは、担当裁判官にプレッシャーを与えることを意識しているのだ。「これだけの政治的、軍事的、外交的重要案件なのだ。このような重さのある事件で、国側を敗訴させるような判決をおまえは書けるのか」という一種の恫喝を感じる。

砂川事件最高裁判決では、大法廷の裁判体が、事案の重さを司法は受け止めがたいとして裁判所自身の合違憲判断をせずに逃げた。逃げ込んだ先が、統治行為論という判断回避の手法だった。しかも、全裁判官一致の判断だった。辺野古代執行訴訟でも、国は同じことを考えているのだ。

さて、今回の訴訟で、はたして司法は躊躇することなく淡々と公有水面埋立法の承認要件の具備如何を判断できるだろうか。それとも、国の意向に逆らう判決を出すことに躊躇せざるを得ないとするであろうか。

憲法76条3項は「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と定めている。「憲法が想定するとおりの地方自治であるか」だけではなく、「憲法が想定するとおりの裁判所であり裁判官であるか」も問われているのだ。
(2015年11月18日・連続第963回)

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