澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

プーチンの汚職疑惑を訴えるブロガーの覚悟

2月12日の各紙に小さく載った時事通信の配信記事。ロシアのブロガーが、プーチンを訴えたのだという。ほかならぬ「あのプーチン」を、である。短い記事なので全文を引用しよう。タイトルは、「ロシア大統領を提訴=政敵ブロガー、汚職と指摘」というもの。穏やかな話しではない。

【モスクワ時事】ロシアの反政権ブロガー、アレクセイ・ナワリヌイ氏は11日、プーチン大統領に汚職疑惑があるとして、モスクワの裁判所に提訴したと発表した。大統領の決定で昨年10月、娘婿が株主の石油化学会社に政府系ファンドから約18億ドル(約2000億円)が拠出されたという。
ペスコフ大統領報道官は記者団に「(大統領は訴えを)知らない」と説明した。次期大統領選の前哨戦となる9月の下院選前に、波紋を広げる可能性がある。

これだけの記事では、正確なことは分からない。汚職疑惑があるなら刑事告発をすべきところだが、プーチンの手下がプーチンを訴追することは考えがたい。では、いったい裁判所にどのような提訴をしたのだろうか。どのような勝訴への成算があるのだろうか。提訴が記事になるインパクトだけが獲得目標なのだろうか。そもそも「疑惑」は秘密のことなのだろうか。それとも誰もが知っていることなのだろうか。どれほどの根拠あっての「提訴」なのだろうか。

それはともかく、ロシアにも「反政権ブロガー」が存在するのだ。その「反政権ブロガー」が権力者プーチンの最大の政敵として、プーチンの巨大汚職を告発したのだという。「提訴したとの発表」もおそらくはブログでなされたのだろう。プーチンと渡り合うという武器となったブログの威力に興味津々ではないか。

権力的統制には弱いロシアのメディアである。遠慮のないプーチン批判は難しかろう。ましてや、プーチンの汚職摘発はハードルが高い。それでも、ブログで批判や告発がなされているという間接的な形であれば、記事にできるのではないか。「ナワリヌイがプーチンを提訴」は、現に報道されている。メディアの腰が引けているとき、これに代わるものとしてのブログの影響力は大きい。メディアが沈黙するとき、人々の情報の渇望に応えて、たったひとりが発信するブログの政治的意義ははかりしれない。

アレクセイ・ナワルヌイとは、「弁護士資格を持つロシアの人気ブロガー」だそうだ。今やプーチンの最大の政敵と自他共に認める存在で、2度の被逮捕経験があるとのこと。この逮捕された経験によって、彼はブログの世界の活動家から、リアルな反体制活動家に変身したのだという。

ブログは、使い手次第でプーチン政権とも対等に戦う恐るべき武器たりうる。組織なく資力なくとも、多くの人に事実を知らせ、多くの人を説得し、多くの人の意識を変え、多くの人に行動を促し、もしかしたら政権や体制を変革するきっかけにすらなり得るのだ。

そのためには、二つの要件がある。一つは、信念を貫く不退転の決意である。プーチンの政敵や批判者たらんとするには、暗殺の恐れを絵空事ではなく現実味あるものと想定し覚悟せざるを得ない。ナワルヌイのブロガーとしての人気は、そのような危険をも覚悟した決意に満ちた発言だからこそ、なのだろう。

私もブロガーの端くれだが、省みてナワルヌイほどの覚悟も決意もない。アベ政権批判も、DHCや吉田嘉明批判も、その他の政治家や大企業や御用メデイアや御用学者批判も、そして天皇や天皇制批判も、稲田や高市批判も、嫌がらせ程度は避けられないにせよ、暗殺を恐れるなどという大仰な覚悟は不要である。

私は、ナワルヌイに学んで、暗殺も恐れぬ覚悟と決意でブログを書こうなどとはけっして思わない。暗殺など恐れる必要なく批判の言論を展開できる自由の獲得に全力を尽くすことにこそ覚悟と決意を向けたいと思う。

そしてもう一つの要件。ブロガーの威力や影響力は、多くの人に読んでもらえてこそのこと。多くの人に読んでもらえる工夫と努力が必要だ。まずは、長い、くどいの悪評を払拭しなければならない。いまに…。そのうちに…。いつかきっと…。
(2016年2月16日)

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