澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「日の丸・君が代」強制拒否訴訟から見える憲法状況

なんともお寒い晩ですが、こんな日に雪の残る悪路を踏み分けて「『日の丸・君が代』強制に反対!板橋のつどい・18」に足を運んでいただき、まことにありがとうございます。本日は、「日の丸・君が代」強制拒否訴訟から見える憲法状況というタイトルで、1時間余のお話しをさせていただきます。

はじめに、「日本国憲法が危ない」ということについて認識を共有していただき、次いで「日の丸・君が代」強制拒否訴訟の到達点と現在の課題を確認し、そこから見えてくる自民党改憲案(「日本国憲法改正草案」)の問題点や、天皇退位と「明治150年」問題、そして最後に「アベ9条改憲問題」との関わりについて触れたいと思います。

まず申しあげなければならないのは、いま憲法は危機にあると言うことです。とりわけ、9条が、つまりは平和主義が危ないということです。

これまでも、度々憲法は危機にあると言われてまいりました。自民党は、立党以来自主憲法制定を党是とする改憲指向政党です。政権与党が改憲指向政党なのですから、これまでも憲法は、恒常的に危機にあったとはいえるでしょう。しかし、今日のように具体的な改憲スケジュールが提示されたことは、かつてなかったことです。

今、国民投票法があり、それに伴う国会法も整備され、憲法改正案を作成し国民投票を発議する手続は調っています。しかも、衆参両院とも、改憲勢力が議席数の3分の2を超えています。改憲勢力は今がチャンスと意気込んでいるのです。

いま、アベ晋三は9条改憲案を提示しています。憲法の遵守に、最も忠実でなくてはならない人物が、憲法の攻撃に最も前のめりになっています。2017年5月3日、アベは右翼の改憲集会にビデオ・メッセージを送り、9条改憲を提案しました。9条の1項と2項はそのままとして、第3項を加えることで「憲法に自衛隊を明記する」という、「加憲的9条改憲案」です。

12月22日には、自民党は正式に改憲案の整理を行いました。そのとりまとめでは4項目についての改憲案が提示され、そのうち9条改正については2案が併記されています。2案の違いは、9条2項を残すか削除するかの点。2項を残すアベ9条改憲案は、対案と比較してマイルドに見える仕掛けとなっています。

この提案には、種本があります。右翼のシンクタンク日本政策研究センターの機関誌「明日への選択」16年9月号の伊藤哲夫論文。この日本会議常任理事という肩書を持つ人物が、加憲的9条改憲案の発案者です。

彼は、「加憲」を「あくまでも現在の国民世論の現実を踏まえた苦肉の提案でもある」「まずはかかる道で『普通の国家』になることをめざし、その上でいつの日か、真の『日本』にもなっていくということだ」と、現実主義の見地からの妥協案であるとしていますが、実はそれだけではない。彼は、その狙いが「護憲派の分断」にあると明言しています。

自衛隊違憲論者と、専守防衛に徹する限り自衛隊は合憲であると考える勢力の間に楔を打って分断するのだというのです。アベは、これに乗ったわけです。この点の警戒が重要だと思います。

本年1月4日、アベは伊勢神宮での記者会見の年頭所感で改憲に意欲を見せ、1月22日の施政方針演説でも、改憲の論議を活発にと言っています。3月25日の自民党大会には両案併記だった9条改憲案を党内で一本化し、改憲諸政党(公・維・希)と摺り合わせて、今国会中に改正原案を作成し、国会に改正原案発議をすることになります。

衆院には100人の賛成を付すことで、『改正原案』が発議されます。本会議で趣旨説明のあと、衆院の憲法審査会の審議に付され、過半数の賛成で本会議に報告となり、本会議で3分の2以上の賛成で衆院を通過し、参院に送られます。同じ手続を経て参院も3分の2以上の賛成で通過すると、改正原案は国会の『憲法改正案』となって発議されて、国民投票にかけられることになります。国民投票運動期間として、60日?180日が設定されて、国民投票での過半数の賛成で憲法改正が成立することになります。

しかし、実はこのスケジュールは極めてタイトだと言わざるを得ません。2019年の後半には、重要な政治日程が立て込んでいます。元号・退位・即位の礼・大嘗祭・参院選・消費税値上げなど。とすれば、勝負は今年ということになります。改憲勢力としては、来年4月頃までに国民投票の実施に漕ぎつけたいところ。

今、超党派で提起されている「9条改憲阻止の3000万署名」の成否が鍵となります。改憲にこだわっていたのでは、参院選には勝てないという空気を作り出さねばなりません。

そして、来年の参院選では、改憲反対を掲げる野党の共闘によって改憲勢力を3分の2以下に落とすことは、前回参院選の結果から見て十分に可能だと思われます。

そのような憲法情勢を念頭に、「日の丸・君が代」強制問題から見えてくるものをお話ししたいと思います。

第1は、「日の丸・君が代」強制拒否訴訟の到達点と課題です。
私は、次のように、訴訟の時期の区分ができると思っています。
1 高揚期(予防訴訟の提訴?難波判決)
※再発防止研修執行停止申立⇒須藤決定(04年7月)研修内容に歯止め
※予防訴訟一審判決(難波判決)の全面勝訴(06年9月)
2 受難期(最高裁ピアノ判決?)
※ピアノ伴奏強制事件の最高裁合憲判決(07年2月)
⇒これに続く下級裁判所のヒラメ判決・コピペ判決
難波判決 高裁逆転敗訴(11年1月)まで。
3 回復・安定期(大橋判決?)
※取り消し訴訟(第1次訴訟)に東京高裁大橋判決(11年3月)
全原告(162名)について裁量権濫用として違法・処分取消
※君が代裁判1次訴訟最高裁判決(12年1月)
君が代裁判2次訴訟最高裁判決(13年9月)
君が代裁判3次訴訟最高裁判決(16年7月)
間接制約論(その積極面と消極面)
*「間接」にもせよ、思想・良心に対する制約と認めたこと
*2名の裁判官の反対意見(違憲判断) とりわけ宮川意見の存在
*多数裁判官の補足意見における都教委批判

残念ながら、「10・23通達」や懲戒処分の違憲判断は回避され、戒告処分の違法性は否定されました。他方、 減給・停職は裁量権濫用として違法とされ、裁判による取消が定着しています。これによって、当初石原教育行政がたくらんだ累積加重システムは破綻し、教員の抵抗は続いています。

訴訟が抱えている現在の課題について一言します。
第4次訴訟では、17年9月に一審判決があり、間もなく18年2月に控訴審第1回期日を迎えようとしています。
そこで、違憲判決を勝ち取る努力を続けています。
間接強制論は、国旗国歌への起立斉唱を、「儀式的行事における儀礼的所作」に過ぎないから、「思想良心への直接制約に該らない」といいます。しかし、果たしてそうでしょうか。今、権威ある宗教学者の助力を得て、「儀式的行事における儀礼的所作」が思想・良心の自由をいかに傷つけることになるかの意見書をまとめていただきました。近々、裁判所に提出し、これを基軸に判例を批判し違憲論を展開したいと考えています。

違憲論以外にも課題は山積しています。最高裁判例の枠の中で可能な限り憲法に忠実な判断を求めなければなりませんし、国際人権論からのアプローチも必要です。

そして、石原や小池のような右翼に都政を任せるのではなく、都政を都民の手に取り戻して、憲法の生きる都政を実現する運動が不可欠だと痛感しています。

第2 自民党改憲案(「日本国憲法改正草案」)との関わり

2012年4月の自民党改憲案は、かなりの程度にまで、自民党のホンネを語るものとなっています。その自民党改憲案第3条は、「(国旗及び国歌)とされ、
第1項 国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。
第2項 日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。と明記されています。

自民党の公式解説(Q&A)では、さらに次のようになっています。
「我が国の国旗及び国歌については、既に「国旗及び国歌に関する法律」によって規定されていますが、国旗・国歌は一般に国家を表象的に示すいわば「シンボル」であり、また、国旗・国歌をめぐって教育現場で混乱が起きていることを踏まえ、3条に明文の規定を置くこととしました。
当初案は、国旗及び国歌を「日本国の表象」とし、具体的には法律の規定に委ねることとしていました。しかし、我々がいつも「日の丸」と呼んでいる「日章旗」と「君が代」は不変のものであり、具体的に固有名詞で規定しても良いとの意見が大勢を占めました
また、3条2項に、国民は国旗及び国歌を尊重しなければならないとの規定を置きましたが、国旗及び国歌を国民が尊重すべきであることは当然のことであり、これによって国民に新たな義務が生ずるものとは考えていません。

国旗国歌法には盛りこむことができなかった国旗国歌(日の丸君が代)尊重の義務を憲法に書き込もうというのが、自民党のホンネなのです。
ここに見えるものは、「国権」と「人権」の相克における、国権至上主義にほかなりません。

そもそも、日本国憲法否定の「自主憲法の制定」が自民党本来の党是であり使命とされています。これを正直に述べた改憲草案こそがアベ自民のホンネ。石原・小池ら右翼のホンネでもあります。自民党の人権なし崩し策動に、一歩の譲歩も許してはならないと思っています。「日の丸・君が代」強制に対するたたかいは、そのような改憲勢力のホンネとの切り結ぶ局面だと思っています。

 

第3 天皇退位と明治150年
「日の丸」も「君が代」も、天皇制とあまりに深く結びついた歴史をもっています。否定されたはずの、天皇の権力や権威が再び利用されようとしている今、「日の丸・君が代」強制への闘いは新たな意味を持つに至っています。
※天皇の生前退位表明は、明らかに越権。
※明治150年のイデオロギー攻勢
※自民党改憲草案前文冒頭
「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
※草案第1条 「天皇は、日本国の元首であり…」
※草案第4条(元号について)
「元号は、法律の定めるところにより、皇位の継承があったときに制定する。
解説(Q&A) 4条に元号の規定を設けました。この規定については、自民党内でも特に異論がありませんでしたが、現在の「元号法」の規定をほぼそのまま採用したものであり、一世一元の制を明定したものです。」

第4 アベ9条改憲問題との関わり
教育における国旗・国歌の強制とは、国家と国民の対峙の場において、国家の存在が国民の人権に優越するという全体主義思想の表れです。また、「日の丸・君が代」の強制とは、歴史的に國體思想(天皇崇敬)に無反省な公権力の行使として許されることではありません。

戦前の「日の丸・君が代」強制は、とりわけ戦時色が強くなって以来、学校と軍隊とで忠君愛国が強調され、「日の丸・君が代」は愛国のシンボルとなりました。

愛国心教育や民族差別教育とは、戦争をしようという国の常套手段です。「戦争は教場から始まる」という名言を今再度噛みしめなければなりません。戦争の歴史とあまりに深く結びついたこの旗と歌、その押しつけを許さないという抵抗は、アベ9条改憲への反対と通底するものがあるはずだと思います。

(2018年1月27日)

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