澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

皆様、東京都立第五福竜丸展示館にご来館ください。

(2022年5月22日)
「白山通りを神保町越えて、学士会館までお願いします」
「学士会館までね。…お客さん、日曜日にお仕事ですか」

「いや、そうじゃない。これから、第五福竜丸展示館の運営についての会合があるんですよ」
「第五福竜丸ってなんですか」

「江東区の夢の島に、都立の第五福竜丸展示館があるでしょう」
「いや、知りません」

「南太平洋のビキニ環礁で、アメリカが水爆実験をして、大量の死の灰を降らせた。そのとき、マグロ船『第五福竜丸』の乗組員23人の全員が、死の灰を浴びて急性放射線障害となり、久保山愛吉という方が亡くなった」
「ちょっと、聞いたことがあるような気がします」

「水爆実験は1954年3月1日のこと。ふざけた話しだが、アメリカはこの水爆を『ブラボー』と名付けた。その威力は、広島の原爆のちょうど1000倍というもの。世界にばらまいた放射能も、半端じゃない」
「私なんかが生まれる前の話だね」

「第五福竜丸が焼津に帰港してから、日本中が大騒ぎになった。大量の『原爆マグロ』が廃棄され、日本中が『放射能の雨』に怯えた」

「船はどうなったんですか」
「マグロ船としては再び使われることはなく、文部省が買い上げて水産大学の練習船となった。名も『はやぶさ丸』と変えた」

「それがどうして夢の島に?」
「木造船の寿命は短い。廃船になって、ゴミとして夢の島に捨てられた」

「そのゴミが展示館にはいったんですか」
「そう。この船は核の危険を語る貴重な生き証人。ゴミのまま、朽ちさせてはならない。そういう船体保存の市民運動が起き、美濃部都政がこれに応えた」

「その船を展示して、たくさんの人が見に来るんですか」
「たくさんの人が見に来るだけではない。この船は、原水爆禁止運動のシンボルとなっている。展示し保存するだけでなく、多くの人に原水爆を止めさせよう、世界を平和にしょうと訴え続けている」

「なるほどね。お客さん、学士会館に着きましたよ」

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 本日、学士会館で、公益財団法人第五福竜丸平和協会の評議員会。昨年度の事業報告と決算を承認し、今年度の事業計画を了承した。

 専務理事からの報告では、ようやくコロナ禍の影響から脱出の萌しが見え、来館者数が昨年よりは大幅に増えつつあるが、コロナ禍以前の水準にはまだほど遠い。

 出席評議員から、「ウクライナ戦争以来、核が威嚇の手段となり、我が国でも核共有の議論が持ち上がる事態。第五福竜丸が訴えるものは大きくなっている」「第五福竜丸は、東京周辺の人には知られていても、関東以遠の人には存在感が薄いのではないか」「それを補うためのオンライン展示のさらなる活用を」「今や、小学生にもオンライン授業の環境が調っている時代」「パネル展示貸し出しについての宣伝の強化を」などの意見が出された。

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 皆様。江東区夢の島にある、
  東京都立第五福竜丸展示館にご来館ください。

  存在感ある、木造船第五福竜丸がお迎えします。
  これが、被爆の歴史の生き証人です。
  ボランテイアの解説員がご説明いたします。
  船を囲む壁面の解説パネルは、年に2回は模様替えしています。
  貴重な映像も観ることができます。
  解説書籍類も充実しています。
  (なお、入館料は無料です。)
 学校やサークル単位での見学をご計画ください。
 東京方面への修学旅行には、ぜひ見学先に組み入れてください。
 展示パネル(セット)を貸し出します。全国でご活用ください。
  パネルセットは、12枚組、20枚組、50枚組などあります。

 まずは、下記の公益財団法人第五福竜丸平和協会のホームページをご覧ください。ご相談先も明示してあります。
 どうぞ、よろしくお願いします。
 http://d5f.org/

「ラッセル・アインシュタイン宣言」 ー その今日的な意味の再確認を

(2022年3月13日)
 本日、公益財団法人・第五福竜丸平和協会の理事会。年度末だから、決算・予算案を確定しなければならない。新年度の事業計画も策定しなければならない。全理事と監事が揃っての会合となった。

 事務局が作成した「2022年度事業計画(案)」の中に、次の一節がある。

 「核兵器禁止条約の発効に見られる核なき世界への努力の一方で、核兵器の増強や核使用が危惧される事態などを視野に入れ、核使用・核開発がもたらす惨禍を広く知らせる。」

 その具体策、《企画展【展示替え】等のとりくみ》として、こう提案され、了承された。

 「本年度最初の春の展示替えは、「ラッセル=アインシュタイン宣言」のコーナーをリニューアルする。宣言の持つ今日的意義、出された経緯、署名者の紹介などを説明する。これと結び人類的課題である気候変動問題などをマーシャル諸島の実情などと関連づけてとりあげる。」

 第五福竜丸の被ばく被害の衝撃が、日本国内の原水爆反対の国民的大運動となり、これが海外へも波及して「ラッセル・アインシュタイン宣言」、さらには「パグウォッシュ会議」となった。この、世界の核廃絶世論形成の経過は、現在常設展示されてはいる。しかしいま、その今日的意味の再確認と積極的な訴えが必要なのだ。ウクライナに武力侵攻したロシア自身が敢えて核の脅迫を辞さず、これに触発された内外の核武装論も危険この上ない。

 同宣言は、1955年7月9日、英国の数学者・哲学者ラッセルと米国の物理学者アインシュタインを中心とする11人がロンドンで署名した宣言。核兵器による人類の危機を訴え、紛争解決のために平和的手段を見出すよう勧告したもの。

 「ラッセル=アインシュタイン宣言」は、誰もが知っているが、訳文でもきちんと目を通した人は意外に少ない。これがかなりの長文であることもその原因の一つではなかろうか。

 その一部を抜粋して、「今日的意義」を訴えたい。

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 私たちが今この機会に発言しているのは、特定の国民や大陸や信条の一員としてではなく、存続が危ぶまれている人類、いわば人という種の一員としてである。世界は紛争にみちみちている。そこでは諸々の小規模紛争は、共産主義と反共産主義との巨大な戦いのもとに、隠蔽されているのだ。

 私たちには新たな思考法が必要である。私たちは自らに問いかけることを学ばなくてはならない。それは、私たちが好むいづれかの陣営を軍事的勝利に導く為にとられる手段ではない。というのも、そうした手段はもはや存在しないのである。そうではなく、私たちが自らに問いかけるべき質問は、どんな手段をとれば双方に悲惨な結末をもたらすにちがいない軍事的な争いを防止できるかという問題である。

 一般の人々、そして権威ある地位にある多くの人々でさえも、核戦争によって発生する事態を未だ自覚していない。一般の人々はいまでも都市が抹殺されるくらいにしか考えていない。新爆弾が旧爆弾よりも強力だということ、原子爆弾が1発で広島を抹殺できたのに対して水爆なら1発でロンドンやニューヨークやモスクワのような巨大都市を抹殺できるだろうことは明らかである。

 水爆戦争になれば大都市が跡形もなく破壊されてしまうだろうことは疑問の余地がない。しかしこれは、私たちが直面することを余儀なくされている小さな悲惨事の1つである。たとえロンドンやニューヨークやモスクワのすべての市民が絶滅したとしても2、3世紀のあいだには世界は打撃から回復するかもしれない。しかしながら今や私たちは、とくにビキニの実験以来、核爆弾はこれまでの推測よりもはるかに広範囲にわたって徐々に破壊力を広げるであろうことを知っている。

 現在では広島を破壊した爆弾の2500倍も強力な爆弾を製造できることが述べられている。もしそのような爆弾が地上近くまたは水中で爆発すれば、放射能をもった粒子が上空へ吹き上げられる。そしてこれらの粒子は死の灰または雨の形で徐々に落下してきて、地球の表面に降下する。日本の漁夫たちとその漁獲物を汚染したのは、この灰であった。そのような死をもたらす放射能をもった粒子がどれほど広く拡散するのかは誰にもわからない。しかし最も権威ある人々は一致して水爆による戦争は実際に人類に終末をもたらす可能性が十分にあることを指摘している。もし多数の水爆が使用されるならば、全面的な死滅がおこる恐れがある。――瞬間的に死ぬのはほんのわずかだが、多数のものはじりじりと病気の苦しみをなめ、肉体は崩壊してゆく。

 さて、ここに私たちが皆に提出する問題、きびしく、恐ろしく、おそらく、そして避けることのできない問題がある――私たちは人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか?

 たとえ水爆を使用しないというどんな協定が平時にむすばれていたとしても、戦時にはそんな協定はもはや拘束とは考えられず、戦争が起こるやいなや双方とも水爆の製造にとりかかるであろう。なぜなら、もし一方がそれを製造して他方が製造しないとすれば、それを製造した側はかならず勝利するにちがいないからである。軍備の全面的削減の一環としての核兵器を放棄する協定は、最終的な解決に結びつくわけではないけれども、一定の重要な役割を果たすだろう。

 人類として、私たちは次のことを銘記しなければならない。すなわち、もし東西間の問題が何らかの方法で解決され、誰もが――共産主義者であろうと反共産主義者であろうと、アジア人であろうとヨーロッパ人であろうと、または、アメリカ人であろうとも、また白人であろうと黒人であろうと――、出来うる限りの満足を得られなくてはならないとすれば、これらの問題は戦争によって解決されてはならない。

 私たちの前には、もし私たちがそれを選ぶならば、幸福と知識の絶えまない進歩がある。私たちの争いを忘れることができぬからといって、そのかわりに、私たちは死を選ぶのであろうか? 私たちは、人類として、人類に向かって訴える――あなたがたの人間性を心に止め、そしてその他のことを忘れよ、と。もしそれができるならば、道は新しい楽園へむかってひらけている。もしできないならば、あなたがたのまえには全面的な死の危険が横たわっている。

決議
私たちは、この会議を招請し、それを通じて世界の科学者たちおよび一般大衆に、つぎの決議に署名するようすすめる。

「およそ将来の世界戦争においてはかならず核兵器が使用されるであろうし、そしてそのような兵器が人類の存続をおびやかしているという事実からみて、私たちは世界の諸政府に、彼らの目的が世界戦争によっては促進されないことを自覚し、このことを公然とみとめるよう勧告する。したがってまた、私たちは彼らに、彼らのあいだのあらゆる紛争問題の解決のための平和的な手段をみいだすよう勧告する。」

大石又七さんありがとうございました。

(2021年3月22日)
貴重な歴史の証人が失われた。第五福竜丸乗組員として「死の灰」の被曝を体験され、その体験を語り続けてこられた大石又七さんが亡くなった。享年87。

大石さんは第五福竜丸展示館を運営している公益財団法人第五福竜丸平和協会の評議員でもあった。昨日(3月21日)、協会の理事会で初めて訃報に接した。亡くなられたのは3月7日だという。

昨日、第五福竜丸展示館ホームページは、以下の「お知らせ」を掲載した。

第五福竜丸の乗組員として、ビキニ水爆実験に被ばくした大石又七さんが、去る3月7日に亡くなられました。
大石さんは、第五福竜丸の保存が実現し、夢の島公園に展示館が開館した数年後の1980年ごろから時折展示館を訪れていました。1983年に中学生に請われ自らの体験を語ったことを契機に、証言者として歩みはじめました。展示館への来館校が増える中で、クリーニング業を営みながら、断ることなく証言・講和に臨みました。また各地からも声にもこたえ、講演の数は700回を超えます。第五福竜丸を前にしては500回以上お話されてきました。

大石さんは、子どもたちに自らの体験を告げるだけでなく、核がもたらす身体的な被害や精神的苦しみ、差別や社会的な問題、そして核の現状などについて勉強を重ねていきました。1991年には公開された福竜丸被災に関する日米間の外交文書を読みこみ、水面下での政府間のやりとりも著作の中で紹介しています。ここにも「子どもたちに話すからには間違ったことは言えない」との大石さんの真摯な姿勢が感じられます。…

大石さんは、被ばくによる闘病から退院後、東京に出て辛苦を味わいながらも社会の理不尽さや不正を許さない実直な人柄とその行動が、多くの人から慕われました。
第五福竜丸平和協会は、大石さんの意思と行動を心として、核兵器も被ばく被害もない世界にむけて、第五福竜丸の航海を続けます。大石又七さんありがとうございました。

 「大石又七さんありがとうございました。」には、特別の実感がこもっている。23人の被曝乗組員の中で、大石さん以外に積極的な語り部はいない。その大石さんも、被災直後から体験を語りはじめたわけではない。30年ほどは、口をつぐんでいた。実は、被曝の体験を語るのは容易なことではない。大きな社会的圧力を乗り越えなければできないことのだ。

大石さんの著書、『ビキニ事件の真実 : いのちの岐路で』(みすず書房 2003年)の中に、次の一節がある。

 ここでまた運動とは逆行することも起こる。他船の被爆者たちの動きだ。俺たちもそうだったが、自分から被爆の事実を隠しはじめたのだ。
 当時、乗組員たちには最低補償も労働組合もなく、貧しいその日暮らしだった。補償金が出ないとなれば働かなければならない。うっかり話でもしたら足止めされ、出漁もできなくなる。出漁できなければ、明日から生活に困る。そのとき、体が動けば、自分から「被爆しました」などと言うばかはいない。
福竜丸のように騒ぎに巻き込まれれば、白い目で見られたうえに、差別もされるーそれは船元も同じだった。多くの船子を抱え、船をあそばせておくわけにはいかない。事件の波紋が大きくなるにつれ、みんな恐れをなして自分から隠しはじめたのだ。漁船の生活は船元・船頭を中心とした典型的なタテ社会である。特に焼津は、昔から身内で要職を固める一船一家主義の土地柄、上下関係にもきびしい世界だった。その下で働く漁師たちはたとえ意見を持っていても、従う以外に道はない。そして船という小さな枠で仕切られて、広い海にちらばっているのだ。

 やがて、乗組員の中からも事件を忘れさせようとする働きかけが始まる。気がつくと、福竜会という会報が一方的に送られて来るようになった。それは意外なもので、乗組員の発病や苦悩に対して助け合うものならともかく、「俺たちに近づいてくる者はみな共産系の者だ」「気をつけろ」などと口をふさぐものだった。そして、仲間が発病しても死んでも、「被爆とはもう関係ない、一般の病気だ」「第五福竜丸であるとか、元乗組員であるとか、そんなことはみんな忘れろ」「ずい分長生きさせてもらった、放医研の検査には協力しよう」『己のわがままで、どこかに不信の念ありとすれば、人間失格だ』とまで書いて、乗組員から不満が出ないようにした。元乗組員たちは元気な者ほど、今も口をつぐんだままでいる。

 被災体験の証言は、口を封じようとする圧力に抗してなされるのだ。屈することなく、その使命感から証言を続けてこられた大石さんに感謝せずにはおられない。亡くなられた今、大石さんが果たした役割の大きさを感じる。

なお、大石さんの著作は、『ビキニ事件の真実』以外に、下記のものがある。

大石又七著、工藤敏樹編『死の灰を背負って : 私の人生を変えた第五福竜丸』 新潮社 1991年
大石又七お話、川崎昭一郎監修『第五福竜丸とともに : 被爆者から21世紀の君たちへ』新科学出版社 2001年
大石又七『これだけは伝えておきたいビキニ事件の表と裏 第五福竜丸・乗組員が語る』かもがわ出版、2007年
大石又七『矛盾 : ビキニ事件、平和運動の原点』武蔵野書房 2011年

実は、ゴジラは「反核平和」の語り部なのだ。

(2021年3月1日)
3月1日、ビキニデーである。1954年のこの日、「ブラボー」と名付けられたアメリカの水爆実験によって遠洋マグロ漁船第五福竜丸が死の灰を被り、乗組員23人が被爆した。45年8月のヒロシマ・ナガサキにおける原爆投下の惨劇から9年を経ないこの日に、人類は新たに水爆による災厄を経験することとなった。

この大事件は日本中を震撼させた。私は当時焼津に近い、清水市内の小学校に通う4年生。騒然たる雰囲気を覚えている。日本の社会全体が放射能の脅威を身近なものとして、おののいた。

その日本社会の雰囲気を背景に、この年の11月東宝の特撮映画「ゴジラ」が封切りになって、観客動員数961万人を記録する空前の大当たりとなった。

「ビキニ環礁海底に眠る恐竜が水爆実験の影響で目を覚まし日本を襲う」というストーリー。大暴れするゴジラだが、最後は断末魔の悲鳴を残し泡となって太平洋に消える。人々が歓喜に湧く中、志村喬扮する古生物学者がこう呟く。「あのゴジラが最後の一匹とは思えない。もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類がまた世界のどこかへ現れてくるかもしれない」。

あれから67年である。我が国の政府が、核にも原発にも、断固とした廃絶の決意を持っていないことが歯がゆい。ゴジラは、今なお世界のどこかに潜んでいて、日本にも上陸する恐れなしとしない。いや、2011年3月11日、ゴジラは福島浜通りに姿を現したのではなかったか。

ところで、破壊をほしいままにするゴジラは、暴虐な水爆の化身のようにも見えるが、その最期は哀れで悲しげな印象を与える。ゴジラが何を象徴するか、多様な見方が可能だろう。

手許にある平和委員会の「平和新聞」最新号には、「私は『ゴジラ研究者』」「ゴジラは平和を語り続ける」という表題で、伊藤宏さんという大学教授とゴジラの主演俳優だった宝田明さんの対談の写真が掲載されている。伊藤さんは、「ゴジラは反核平和を語り続ける存在」「ゴジラ作品は、核兵器を絶対に使わない、という強いメッセージを持っている」という。

朝日新聞の取材に対して、宝田さんは、ゴジラを「ヒバクシャの悲運を背負った存在」と次のように語っている。なるほど、確かにそのとおりだ。

「海底に暮らしていた巨大生物ゴジラは米軍の水爆実験で安住の地を追われ、東京に上陸し、銀座や国会議事堂を焼き尽くす。そして最後は人類が生み出した残酷な兵器で海に沈む。映画の試写を見ながらわーわー泣きました。『憎っくきゴジラ』ではないのです。人間の強欲によって『ヒバクシャ』とされ、悲しい運命を背負わされた存在。ひとりの観客として心を揺さぶられたのです。」

「核兵器禁止条約が効力を持つのは、もろ手を挙げて万々歳です。目の前の扉がふっと開いた、緞帳(どんちょう)がすーっと上がったという気がします。ただ、被爆国の日本は加わっていない。『核だけは絶対にダメだ』と言える国なのに。なぜ真っ先に批准しないのか、また後れをとるのかという思いです。」

「俳優であるために政治的発言を控えていましたが、還暦を過ぎて戦争体験を語り始めました。「ゴジラ」1作目の制作陣のほとんどが鬼籍に入る中、彼らの思いも語る責任があると思います。…かろうじて生きながらえている戦争体験者として、語るべきことを語り、言わざる聞かざる見ざるの「三猿」にはならないようにしたいと思います。

3月1日ビキニデーに、あらためて思う。核兵器を必要悪などと言ってはならない。核と人類の共存を認めてはならない。核によって安住の地を追われたゴジラとともに、核廃絶の声を上げよう。

「ふね遺産」に認定された第五福竜丸

(2021年2月22日)
3月1日ビキニデーが間近である。
1954年3月1日、アメリカはマーシャル群島ビキニ環礁での水爆実験をして、大気中に大量の放射性物質を撒き散らした。焼津を母港とするマグロ漁船・第五福竜丸は爆心から160キロ離れた海域で被爆し、23人の乗組員全員が急性放射線障害との診断で入院。その年の9月、最高齢だった通信士の久保山愛吉さんが亡くなって、多くの国民の怒りと悲しみを誘った。そして、この事件を契機に、国民的な原水爆禁止運動が高揚し、現在に至っている。

第五福竜丸平和協会にとって、3月1日は最も重要な日。毎年3・1ビキニデー前後に集会を企画する。ことしは、「3.1ビキニ記念のつどい2021『ふね遺産』認定記念 オンラインシンポジウム」というイベント。この集会が、昨日(2月21日)開催されてたいへん充実していた。今年は核兵器禁止条約発効の国際的な核廃絶運動の高揚の中で迎える3・1ビキニデーではあるが、「ふね遺産」シンポは面白かった。

「ふね遺産」は、公益社団法人日本船舶工学会が認定する。「歴史的で学術的・技術的に価値のある船舟類とその関連設備を『ふね遺産(Ship Heritage)』として認定し、文化的遺産として次世代に伝え、船舶海洋技術の幅広い裾野の形成を目的とする」「なお、『ふね』の表記は、「船」や「舟」も含める意味で、平がなにするものである」という。

また、「『ふね遺産』を通じて、国民の「ふね」についての関心・誇り・憧憬を醸成し、歴史的・文化的価値のあるものを大切に保存しようとする国民及び政府・地方自治体の気運を高め、我が国における今後の船舶海洋技術の幅広い裾野を形成することをこの活動の目的とする。」ともいう。

このような趣旨を持つ「ふね遺産」にはこれまで24件が認定され、現存する船体としては11隻。第五福竜丸は、認定第25号で現存船としては第9号である。ちなみに、現存船賭して認定を受けた他の10隻は、以下のとおり。

日本丸・ガリンコ号・氷川丸・海王丸・徳島藩御召鯨船「千山丸」・コンクリート貨物船「武智丸」・雲鷹丸・明治丸・マーメイド・遠賀川五平田舟(かわひらた)

第五福竜丸は、『西洋型肋骨構造による現存する唯一の木造鰹鮪漁船』として貴重なものなのだという。認定された同船は、以下のとおりに紹介されている。

第五福龍丸は和歌山県の古座造船所で鰹漁船として1947年に進水した後、1951年に清水市の金指造船所で鮪延縄漁船に改造された。本船は1954年にビキニ環礁水爆実験で被災したことでも知られる。

木造鰹鮪漁船は戦後の食糧難の時代に数多く建造されたが、本船は良い状態で保存された現存する唯一の実船である。肋骨を有する西洋型木造船の構造を今に伝える貴重な遺産でもある。

保存展示されている同船の搭載エンジンは新潟鉄工所製250PSで、141台製造された中で唯一現存するのものとして貴重である。

シンポジウムは、昨日2月21日(日)の13:00~15:00に行われ、講師は日塔和彦氏(文化財建造物修理技術者,第五福竜丸平和協会評議員,保存検討委座長)、古川洋氏(安芸構造設計事務所主宰,建築構造)、庄司邦昭氏(東京海洋大学名誉教授,造船学)、中山俊介氏(東京文化財研究所特任研究員,近代文化遺産)。いずれも専門性の高い講演で、聞かせた。第五福竜丸保存の意義についてだけでなく、具体的なその方法について示唆に富むものだった。

第五福竜丸は、核による脅威に警鐘を鳴らす船として保存され、多くの人に語り継がれることによって、核なき世界を目指す航海を続けてきた。今回のテーマは、被爆船第五福竜丸ではなく、この船の持つ木造船としての産業歴史的価値に着目するもの。どのような角度からでも、この船の保存の意義を確認していただくことはたいへんにありがたい。

今年の3.1記念シンポジウムは、いつもは地味で表に出ない船体等保存検討委員会の専門的知見を聞くこともできた貴重な機会となった。

第五福竜丸展示館は、本日から通常開館となります。

(2020年6月2日)
公益財団法人第五福竜丸平和協会からのお知らせです。

第五福竜丸展示館は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため臨時休館しておりましたが、緊急事態宣言の解除に伴い、本日6月2日(火)より通常通りに開館いたします。

開館時間 午前9時30分~午後4時(通常通り)

当館では、感染拡大防止策として以下を実施いたします。

  職員の健康管理・マスク着用
  消毒剤の設置
  館内の清掃強化と消毒・換気
  ハンズオン展示、映像展示、資料閲覧コーナーの中止
  混雑時の入場制限

ご来館の皆さまへ、以下の点についてご協力・ご留意をお願いいたします。

  館内では、マスク着用・咳エチケットをお願いします。
  手指の消毒、こまめな手洗いにご協力ください。
  来館者どうしの距離を十分に取りご見学ください。
  長時間の滞在はご遠慮ください。
  混雑時には入館をお待ちいただく場合がございます。
  発熱などの体調に不安のある方は入館をご遠慮ください。

すぐには、ご来館いただけない方は、まずは、下記の動画をご覧ください。

第五福竜丸展示館・知って見て第五福竜丸
https://www.youtube.com/watch?v=hc6Ao_cKgvQ&t=9s

(KyodoNews)第五福竜丸の内部を公開 水爆実験で被ばく、建造70年
https://www.youtube.com/watch?v=0XYUREv2Nac

(SankeiNews)水爆実験で被ばくの第五福竜丸 建造から70年
https://www.youtube.com/watch?v=sfds8ZAIUlw

その上で、展示館のホームページをご覧ください。
URLは以下のとおりです。

第五福竜丸展示館トップページ
http://d5f.org/

第五福竜丸とは
http://d5f.org/about

展示内容
http://d5f.org/tenji

フェイスブック
https://www.facebook.com/daigofukuryumaru/

やはり、バーチャルではご不満ですね。リアルの船体と展示をご覧になりたい方は、下記アクセスのURLを開いてください。夢の島のお散歩のついでにでも、ご来館ください。もちろん、入場は無料です。
http://d5f.org/access

なお、第五福竜丸展示館では団体見学を受け付けております。
サークル、ゼミなどの団体見学や小、中、高など学校の修学旅行なども多く受け 入れております。周囲は芝生が茂るキレイな公園で、アクセスも良好で大型バス 駐車場などもご用意しております。

ご来館の際には、当館のボランティアスタッフ、学芸員によるガイド(簡単なご 説明、展示紹介、質疑応答など)も行っております。
http://d5f.org/dantai
どうぞ、よろしくお願いします。

第五福竜丸は核なき未来へ再出港! ― 展示館リニューアルオープン。

江東区・夢の島の第五福竜丸展示館は、9か月にわたる改修工事を終えて、4月2日にリニューアルオープンした。核の脅威を語る生き証人であるこの船体を、まずは保存すること、そして多くの人に見てもらい、核なき未来をつくる運動の拠点とすること。それが、展示館の使命である。この展示館は都立であって、核廃絶を願う都民の願いと運動が、この船体の保存と展示の施設をつくり、維持してきた。

都から委託を受けて、保存と展示の業務を担当しているのは、公益財団法人第五福竜丸平和協会である。ぜひ、下記のURLにアクセスして、協会のホームページをご覧いただきたい。
http://d5f.org/event.html

改修工事期間中の9か月の休館は長かった。しかし、リニューアルして、展示館は、明るくもなったし、床の不陸もなくきれいになった。雨漏りもなくなったという。映像機器を使っての展示内容も格段に充実した。ボランティアガイドの皆さんも、張り切っておられる。ぜひとも、再度展示館を訪れていただきたい。そして、第五福竜丸の「核なき未来への航海」に伴走をお願いしたい。

館の展示内容は随時変る。それぞれの時期にふさわしい企画展が行われる。
現在は、「リニューアルオープン記念特別展」(2019年4月28日~6月16日)として、《第五福竜丸の航海を支える展示館大規模改修をたどる》展示をしている。改修の内容や規模については、館は、次のように説明している。

 東京都のゴミ捨て場・夢の島に打ち捨てられた第五福竜丸が市民の手によって保存されてから43年。第五福竜丸展示館は、平和な海へ航海を続ける第五福竜丸のシェルターとして、この貴重な船を守ってきました。しかし、老朽化に伴い天井からの雨漏りや埋立地ゆえの地盤沈下など、各所に痛みが生じていました。これまでも度々補修をくり返してきましたが、今回の改修工事は開館以来最長の9カ月間にわたる大がかりなものとなりました。
 建物は曲面で構成される特殊な形状(シェル構造)で、内部には動かすことのできない木造船。この難工事をどうすれば完遂することができるのか、工事関係者の知恵と工夫が生かされました。

本日(5月5日)は、オープニングイベントとして、「船首下スペースで、改修工事に携わった方から、展示館改修の知恵や工夫をお話しいただきます。」という集会企画。第五福竜丸展示館の設計者、工事の設計監理者、監理技術者、都の担当者などから解説を受けた。説明を聞いて、なるほど、この急勾配の巨大な屋根の補修が大工事で難工事であることがよく分かった。

あらためて、第五福竜丸展示館の何たるかを確認しておこう。

 この展示館には、木造のマグロ漁船「第五福竜丸」およびその付属品や関係資料を展示しています。「第五福竜丸」は、1954年3月1日に太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験によって被害を受けました。
 木造漁船での近海漁業は現在も行われていますが、当時はこのような木造船で遠くの海まで魚を求めて行ったのです。
 「第五福竜丸」は、1947年に和歌山県で建造され、初めはカツオ漁船として活躍し、後にマグロ漁船に改造され遠洋漁業に出ていました。水爆実験での被爆後は、練習船に改造されて東京水産大学で使われていましたが、1967年に廃船になったものです。
 東京都は、遠洋漁業に出ていた木造漁船を実物によって知っていただくとともに、原水爆による惨事がふたたび起こらないようにという願いをこめて、この展示館を建設しました。 <東京都 1976年6月10日開館>

原水爆は、人類を絶滅させるに足りる脅威である。愚かな人間たちは、こんな危険なものを作り出し、現在なお1万5000発もの核爆弾を保有している。人類は、この脅威の上に危うく生存しているのだ。第五福竜丸とともに、核のない、そして戦争のない、平和な世界をつくりたいものと思う。そのためにも、折あるごとに第五福竜丸展示館を訪れていただきたい。

アクセス
東京都江東区夢の島2-1-1、夢の島公園内
TEL: 03-3521-8494
東京メトロ有楽町線、JR京葉線、りんかい線、『新木場駅』下車、徒歩10分
都営バス「夢の島」バス停下車、徒歩5分
入場は無料である。修学旅行や学校行事など、団体の見学を歓迎している。問合せをお願いしたい。
http://d5f.org/dantai.html

なお、できることなら、あなたも第五福竜丸平和協会の賛助会員になって、常に枯渇している運動の財政を支えていただきたい。

 第五福竜丸平和協会では、第五福竜丸の維持管理と財団の活動を支える賛助会員を募集しています。
 皆様のご好意により第五福竜丸はこれからも航海を続けていくことができます。
 ぜひとも寄附のご協力、会員としてご支援賜りますよう、よろしくお願いいたします。
会員としてのご支援
1.賛助会員
 第五福竜丸だよりはじめイベントのご案内などを差し上げます。(年会費:個人5千円、団体1万円)
2.ニュース(福竜丸だより)会員
 会員様のご自宅へ「福竜丸だより」(現在、隔月刊)をお送りいたしております。(年会費:個人2千円)
今回のみの支援
会員としてではなく寄附も受け付けております。ご支援いただけると幸いです。
 *賛助会費等も税制優遇措置の適用を受けます。
 *当法人は平成23年10月26日付で税額控除対象法人になりました。
[賛助会費及び寄附金-2,000円]×40%が所得税額から直接控除されます。
詳細は下記URLを。
http://d5f.org/contribute.html
(2019年5月5日)

第五福竜丸展示館4月2日リニューアルオープン

歴史の証人である被爆船第五福竜丸は、東京都江東区夢の島公園の展示館で、多くのことを語り続けている。展示館の老朽化に伴う改修工事が順調に進展して、4月2日(火)に展示を一新してリニューアルオープンの運びとなる。ぜひ、また夢の島まで足を運んで、ボランティアガイドの説明にも、船体自身のつぶやきにも耳を傾けていただきたい。

 この展示館には、木造のマグロ漁船「第五福竜丸」およびその付属品や関係資料を展示しています。「第五福竜丸」は、1954年3月1日に太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験によって被害を受けました。木造漁船での近海漁業は現在も行われていますが、当時はこのような木造船で遠くの海まで魚を求めて行ったのです。
 「第五福竜丸」は、1947年に和歌山県で建造され、初めはカツオ漁船として活躍し、後にマグロ漁船に改造され遠洋漁業に出ていました。水爆実験での被爆後は、練習船に改造されて東京水産大学で使われていましたが、1967年に廃船になったものです。
 東京都は、遠洋漁業に出ていた木造漁船を実物によって知っていただくとともに、原水爆による惨事がふたたび起こらないようにという願いをこめて、この展示館を建設しました。 <東京都 1976年6月10日開館>

長期にわたる展示館建物改修工事は無事、予定通り終了し、4月2日よりリニューアルオープンを迎える見込みです。
(4月1日は月曜日で休館ですので、お間違えの無いようご注意ください。)
http://www.d5f.org/news/90.html

また、第五福竜丸展示館のある夢の島公園は2020年に開催予定のオリンピック・パラリンピックのため、各所で工事が行われています。ご来館時の工事個所等については展示館までお問い合わせください。

団体見学についてのご案内
http://d5f.org/dantai.html
第五福竜丸展示館では団体見学を受け付けております。
サークル、ゼミなどの団体見学や小、中、高など学校の修学旅行なども多く受け 入れております。周囲は芝生が茂るキレイな公園で、アクセスも良好で大型バス 駐車場などもご用意しております。
ご来館の際には、当館のボランティアスタッフ、学芸員によるガイド(簡単なご 説明、展示紹介、質疑応答など)も行っております。

団体見学概要
ボランティアガイド、学芸員により展示解説20~30分・展示物の見学30分 あわせて凡そ50~60分程度が通常見学時間です。
※場合、混雑により時間調整を行います。必ず事前でのご連絡が必要です。

ご希望の方はTELまたはFAXにてご連絡を下さい。
東京都立第五福竜丸展示館
東京都江東区夢の島2丁目1-1 夢の島公園内
TEL:03-3521-8494 FAX:03-3521-2900

当館の新しいパンフレット(PDF版)のダウンロードはこちら
http://d5f.org/pamphlet.pdf

なお、ありがたいことに、第五福竜丸展示館4月2日リニューアルオープンは、メディアでも話題となっている。

東京新聞3月18日 夕刊
福竜丸展示館 来月新装オープン 船内の3D映像視聴可に

 米国によるビキニ環礁水爆実験で一九五四年に被ばくしたマグロ漁船「第五福竜丸」を保存する東京都立第五福竜丸展示館(江東区)で、四月の新装オープンに向けた準備が大詰めを迎えている。建物の老朽部分を改修し、船内の3D映像を視聴できるスペースなどを新たに設置。高齢で亡くなる元乗組員も多い中で、被ばくの影響や証言の継承に取り組む。
 「屋根の雨漏りがなくなった。これで船も傷まない」。三月上旬、全長約三十メートルの福竜丸で甲板に職員らが上り、手すりや操舵(そうだ)室にたまったほこりを丁寧に拭き取った。
 七十年以上前に建造された船体はペンキがはげ、傾きもある。安全や保存の観点から普段は船内に立ち入ることはできない。展示館は今年で開館四十三年。地盤沈下で床はへこみ、天井からは雨水が漏れ出していた。昨年七月から休館し、断熱材の張り替えや照明の改良も含め改修を進めた。
 3D映像は、機関室や魚の保存倉庫などをさまざまな角度から撮影して製作。約八分間で、船内を歩いている感覚を味わえるような構成にした。他に元乗組員の証言映像も公開。外国人客への対応として、英語の説明パネルも設置した。
 第五福竜丸は五四年三月、太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁で水爆実験に巻き込まれ乗組員二十三人が被ばく。廃船後に東京・夢の島の海岸に放置されたが市民の要望を受け都が保存を決めた。重さが約百四十トンあったため周囲を埋め立てて陸揚げし、少しずつ移動させ館内に搬入した。
 元乗組員は、今年二月に見崎(みさき)進さんが九十二歳で亡くなり生存者は四人になった。展示館の新装オープンは四月二日で、学芸員の蓮沼佑助さん(28)は「水爆の被害や乗組員の苦労を知ってほしい」と話している。

赤旗3月24日「きょうの潮流」

 2020年の東京オリンピック施設整備で突貫工事が続く夢の島公園。同公園内にある都立・第五福竜丸展示館も4月2日のリニューアルオープンに向けて、大規模改修中です▼第五福竜丸はアメリカが1954年水爆実験を強行した太平洋ビキニ環礁まで航海し、被ばくした木造マグロ船の一つです。原水爆禁止を願う運動で保存され、1976年に開館。築43年、激しくなった屋根からの雨漏りを防ぐ工事などを済ませました。ビキニ被ばく65年の節目に第五福竜丸を守る“シェルター”として生まれ変わります▼傷みが目立つ第五福竜丸本体の改修も急がれます。戦争直後の1947年建造。1985年に大改修しました。当時、「木造の大型船が残されていること自体が貴重。文化財保護の理念での改修を」との専門家の助言を受け、同じ材質で、同じ工法で、1年3カ月かけました▼今回新たに「立体画像(3D映像)で歩く船内」や元乗組員・大石又七さんの証言映像、英文案内も加わります▼学芸員の安田和也さんは「展示館は、産業文化遺産と同時に平和遺産です。核兵器の廃絶を願い、第五福竜丸を知らない世代にむけて核の問題を発信し続けたい」と▼2020年は、核実験した核保有大国と核兵器禁止条約に賛成する諸国政府が議論を交わす場になる、NPT(核不拡散条約)再検討会議が国連本部で開かれる年でもあります。展示館は原爆ドームとともに、日本を訪れる世界の人たちに一度は見学してほしい平和の拠点です。

(2019年3月24日)

第五福竜丸の受難を描いた新ドキュメンタリー映画 ― 「西から昇った太陽」

1954年3月1日、アメリカは太平洋ビキニ環礁で史上最大規模の水爆実験を行った。「ブラボー」と名付けられた広島型原爆の1000倍の破壊力を持つ水爆は、爆心から160キロ離れたマグロ漁船「第五福竜丸」(静岡県焼津市)に死の灰を降り注いだ。その被爆の日が「3・1ビキニデー」。あれから65年が経過した。まだ人類は、この悪魔の兵器を廃絶し得ていない。東京・夢の島に展示されている第五福竜丸は、世界から核をなくする使命を、なし終えていない。

今年(2019年)の第五福竜丸平和協会「3・1 記念行事」は、映画上映会となった。豊島区のシネマハウス大塚を会場に、昨日(3月2日)下記のプログラムで行われた。

◆上映映画◆
①10:30~ 「西から昇った太陽」(監督舞台挨拶)
②13:30~ 「死の灰」/「荒海に生きる」(トークを予定)
③15:30~ 「わたしの、終わらない旅」(監督舞台挨拶予定)
④18:00~ 「西から昇った太陽」(監督舞台挨拶)
各回ともチケット完売で、【満員御礼】となった。

目玉は、完成したばかりのビキニ事件を題材としたドキュメンタリー西から昇った太陽」(2018年75分)。アメリカ人の若い監督が作ったことに格別の意義がある。

以下は、同映画の宣伝。

1954年3月1日、第五福竜丸の乗組員たちは太平洋上で巨大な水爆実験を目撃した。「西から太陽が昇ったぞ・・・!!」
映画「西から昇った太陽」は、水爆実験に遭遇するという怖ろしい出来事が漁師たちにもたらした苦悩と人生の困難を、当時を体験した乗組員3名のインタビューと1000枚を超えるイラストによるストップモーションアニメで再現しました。
米・ピッツバーグに拠点を置く製作チームは2014年から度重ねて来日し、3人の第五福竜丸元乗組員を取材。過去の資料や映像、写真だけに頼らない、体験者の生の声を映像化することを目指しました。
イラストとCGの独特な味わいと、静かな語りから悲しみが立ち昇る、アメリカの若手作家たちによる新しい第五福竜丸の物語です。

監督・プロデューサー:キース・レイミンク
製作:ダリボルカフィルム
演出デザイン・イラストレーション:Josh Lopata
アニメーション:Jsutin Nixon
音楽:Troy Reimink
現地インタビュー:Peter Bigelow

2月28日、「3・1ビキニデー」行事のひとつとして、静岡で特別試写会が先行している。この映画「西から昇った太陽」は、元乗組員の見崎進さん、池田正穂さん(86)=焼津市=、大石又七さん(85)=東京都=による証言映像と、日本の紙芝居に着想を得たアニメーションで構成するドキュメンタリー。元乗組員が船上で目撃した爆発の光景や放射能の影響だけでなく、漁師の暮らしや帰国後の治療の経過、家族との絆など、一人一人の歩みを丹念に追った。

以下は、NHK(静岡放送局)報道の抜粋。
アメリカ人の監督が制作した映画「西から昇った太陽」は、1954年3月1日、南太平洋で操業中だった「第五福竜丸」が、アメリカの水爆実験で放射性物質を含んだ「死の灰」を浴び、乗組員23人が被ばくで苦しみ1人が亡くなった状況や、周囲の偏見を乗り越えて生きていく姿などを、3人の元乗組員のインタビューやアニメーションで描いた1時間15分の作品です。
映画では、4日前に92歳で亡くなった元乗組員の見崎進さんが「夜明け前に一面に光って、西から太陽が出るわけがないと大騒ぎになった。最年長の乗組員が亡くなり今度は自分の番だと悪いことばかり考えた」と証言していました。
キース・レイミンク監督は「核兵器の問題はアメリカではあまり論じられていないが、日本人とアメリカ人が協力して事実を共有することが重要だ」と話していました。
 映画を鑑賞した静岡市の40代の女性は、「この事件を知らないアメリカの若者にも広まってほしい。核の廃絶を訴えていきたい」と話していました。

静岡新聞はこう報じている。
 第五福竜丸元乗組員の見崎進さん(92)=島田市=が(2月)25日、亡くなった。晩年はビキニ事件の記憶を語り継ごうと取材や聞き取り調査に応じてきた。米国人映像作家が見崎さんら元乗組員の人生を描いた映画が、28日のビキニデー集会に合わせて日本で初めて披露される直前の訃報だった。被ばくから65年。事件の実情を伝える数少ない証人がまた一人この世を去った。
 見崎さんが出演したのは、米国人映像作家のキース・レイミンク監督による映画「西から昇った太陽」。元乗組員らの証言を基に約4年間の制作期間を経て完成した映画を、見崎さんは昨年、自宅で視聴し「ええっけよ。よくできているよ」と喜んだという。
 レイミンク監督の取材をサポートしたのは同市の粕谷たか子さん(69)。2013年に地元の中高生が行った聞き取り調査をきっかけに見崎さんとの交流を続けてきた。「本当にたくましく、明るく前向きな方」と人柄をしのび、「被害に遭った人にしか分からない痛みや苦しみを、若者たちへ真剣に伝えてくれた」と惜しんだ。
 3・1ビキニデー県実行委員会運営委員会代表の成瀬実さん(82)=焼津市=は「事件の後、家族のためにじっと耐えてきた。生きざまがそのまま歴史になっている」と振り返る。記憶を語り続けた見崎さんの思いを「仲間が亡くなる中で『伝えなければ』という危機感があったのでは」と推し量った。同実行委員会事務局長の大牧正孝さん(69)=静岡市葵区=は「事件を風化させないために、われわれが伝えていかなければならない」と言葉に力を込めた。

試写会後、監督を務めた米国在住の映像作家キース・レイミンクさんは「言葉の壁や金銭的な問題もあり完成に時間がかかったが、事実を正確に記録した良い映画ができた」とあいさつした。

第五福竜丸の乗員23名は、全員が被爆して、東京の国立第一病院に1年2か月余入院する。その間に最年長の久保山愛吉さんが亡くなり、生存者も不安の日々を過ごすことになる。病室のテレビに映った地元焼津の未婚女性が、「被爆者との結婚は考えられない」という言葉にショックを受ける。退院後も、「放射能がうつる」との差別がつきまとい、再就職も困難となり、婚約を破棄された人もある。被爆の事実や、被爆の被害を伏せざるを得ない。

この映画のインタビューに応じた3人の内の一人が亡くなって、第五福竜丸乗組員の生存者は4人となったという。平和協会の安田和也事務局長が言うとおり、「半世紀もの時間が流れたことで、明かされた証言もある。若い人にこそ、映画を通じて今日まで続く核被害の歴史に触れてほしい」ものと思う。

なお、第五福竜丸展示館は、1976年の開館から42年となる。現在、大規模改修工事中で全面休館となっている。あと1か月の準備の後、本年4月2日にリニューアルオープンする。新しい第五福竜丸展示館に、ご期待とご支援を。
(2019年3月3日)

第五福竜丸展示館に、今年は格別のご支援を。

連休が今日で終わる。ああ、已んぬるかな。
連休は事前には長大で輝いて見える。なんでもできそうな素晴らしい大型連休。ところが、連休に突入すると突然連休は収縮して徐々に光を失い、過ぎ去ると短くて暗いものとなる。終わってみると、この連休には何もなしえなかった、溜まった仕事も片付かないこととなる。例年のことだが、連休とは不思議なものだ。

その連休最終日は、夢の島で公益財団法人第五福竜丸平和協会の理事会だった。評議員会に提案する3月末で締めた年度の決算案と、事業報告案の審議。協会の事業はすべて西暦表示だ。いまどき、どこでも当たり前のことだろう。ところが、役所に提出の書類だけは、元号表示となるので、煩わしいことこの上ない。おそらくは、ビジネスに携わる者の圧倒的多数は元号廃止論者ならん。

4月以後の新年度の事業計画を建てなければならないが、これに少々問題がある。1976年の開館から今年で42年。展示館の改修が必要な時期になっている。今年ようやくその改修工事に着工の予定となった。これに伴い、7月以後来年3月末まで展示館は閉館のやむなきに至る。

休館予定は《18年7月1日⇒19年3月31日》である。となると、東京都からの平和協会への委託料も大幅に減額となることが予想される。財政のピンチを回避しなければならない。

そこで、本日は、平和協会の立場で、広報活動を買って出る。皆様に幾つかのお願いを申しあげたい。

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公益財団法人第五福竜丸平和協会が運営を委託されている第五福竜丸展示館は、念願だった大規模改修工事に着手することになり、その間休館いたします。

本年7月1日から工事に着手し、来春4月2日にリニューアルオープンいたします。展示物も新しいものに替え、充実した映像展示もできるようになります。休館前にも、そして休館明けの新装なった第五福竜丸展示館にも、ぜひお越しください。ボランティアの説明員が丁寧に解説いたします。

アクセスや展示の内容については下記のURLをご覧ください。
http://d5f.org/kyokai.html

実は、9か月もの休館に関連して皆様にお願いがあります。
一つは、休館中も核なき世界を目指す第五福竜丸の航海が途絶えることはありません。展示館外で平和協会の活動にご協力いただきたいのです。

あなたの地域で、自治体で、学校で、あるいは市民団体で、第五福竜丸のパネル展を開催していただけないでしょうか。

平和協会は第五福竜丸の被災をはじめとする核被害の展示パネルセットを貸出しています。毎年20~30か所で、パネル展が開かれています。これを、今年はもっと多くの場所で実行したいのです。たとえば、文化祭で、夏祭りで、市民集会で、人の往来する場で…。

展示パネルは、当館の常設展示をコンパクトにした内容で、さらにマーシャル諸島の核被害や第五福竜丸の歴史に関する展示物、現物資料などの貸出が可能です。協会の学芸員による講演会もお引き受けいたします。

☆当館の常設展示に沿った基本的な20枚組パネルセットの場合の内容や費用は以下のとおりです。
【主な内容】
第五福竜丸の被災、ブラボー実験、事件のスクープ、乗組員の被害、久保山愛吉さんの死、マグロ騒動、放射能雨、原水爆禁止の声の高まり、マーシャル諸島の被ばく者、世界の核実験、ラッセル=アインシュタイン宣言、保存運動、エンジンと展示館など
【サイズ】
A2(42cm×59cm)20枚
【貸出費用】
5千円~1万円+送料実費(宅配便3000~4000円程度)

☆また、20枚組パネルセットを増補しより詳細な42枚組パネルセットの貸し出しは次のとおりです。
【主な内容】
第五福竜丸被災、ビキニ事件の写真、解説に加え、マーシャル諸島の核被害パネル12枚を含む。
【サイズ】
B2(52cm×73cm)42枚
【貸出費用】
3万円+送料実費

☆その他、「マーシャル諸島の核被害」や、「世界の核被害写真パネル」セットもあります。その他、現物資料や講演会などの組み合わせ企画の相談に応じます。
下記にご連絡ください。

TEL:03-3521-8494 FAX:03-3521-2900
E-Mail:fukuryumaru@msa.biglobe.ne.jp

☆大型展のご案内
博物館や歴史資料館、郷土資料館、自治体主催の催しなどの特別展として、大型展示企画用に展示を構成いたします。
*ビキニ事件展示パネル60枚組(B2判)、もしくは42枚組
*マーシャル諸島の核被害に関するパネル等
*大漁旗
*船体タペストリー
*現物資料50~70点
【過去の実施例】
高知市、立命館大学国際平和ミュージアム、広島平和記念資料館、長崎原爆資料館、枚方市市民ギャラリー、茨木市、多摩市、串本市、丸木美術館、コープみやぎ、西東京平和のつどい等

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☆ 第五福竜丸平和協会では、第五福竜丸の維持管理と財団の活動を支える賛助会員を募集しています。
皆様のご好意により第五福竜丸はこれからも航海を続けていくことができます。
ぜひとも寄附のご協力、会員としてご支援賜りますよう、よろしくお願いいたします。会員には、機関誌「福竜丸だより」をお送りします。

☆会員としてのご支援
1.賛助会員
第五福竜丸だよりはじめイベントのご案内などを差し上げます。
(年会費:個人5千円、団体1万円)

2.ニュース(福竜丸だより)会員
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(年会費:個人2千円 )

☆今回のみの支援
会員としてではなく寄附も受け付けております。 ご支援いただけると幸いです。
*賛助会費等も税制優遇措置の適用を受けます。
*当法人は平成23年10月26日付で税額控除対象法人になりました。
[賛助会費及び寄附金-2,000円]×40%が所得税額から直接控除されます。

具体的な寄付の方法については、下記URLをご覧ください。
あるいは、電話等でお問い合わせください。
http://d5f.org/contribute.html
(2018年5月6日)

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