澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「青法協・弁護士学者合同部会」設立50周年集会に阪口徳雄君の記念講演

(2020年9月17日)
「週刊金曜日」は、毎週木曜日に届けられる。本日(9月17日)、9月18日号が届いた。メインの記事は、菅新政権の下での「与野党対決新時代」。表紙に、「菅『アベのまま』政権の高笑い」の文字が踊る。

その号の「金曜アンテナ」欄に、《本田雅和・編集部》の署名記事がある。本田さん、朝日を退職されて金曜日の編集部に入られたのだ。今後の健筆を期待したい。

本田さんの記事のタイトルは、「青法協・弁護士学者合同部会設立50周年集会」「弾圧との闘い、次世代へ」とボルテージが高い。その一部を紹介させていただく。

 戦後の司法反動の流れに抗し、憲法の平和と民主主義、基本的人権の理念を守ろうと若手研究者や弁護士、裁判官らが組織した青年法律家協会(青法協)の弁護士学者合同部会の設立50周年記念集会が、9月4日、東京・神田で聞かれた。
 青法協に加入したり、賛同したりしていた裁判官志望の司法修習生への任官拒否が相次いでいたI971年4月の修習終了式で、「任官拒否された人たちの話も聞いてほしい」と発言しただけで「修習生の品位を辱めた」として罷免され、法曹資格を奪われた経験を持つ阪口徳雄弁護士(77歳)=大阪弁護士会=が語った。

 司法研修所教官が障害を持つ任官希望者に「君は(障害で)背が低いが、裁判官席に座ったら傍聴席から顔が見えるか」と発言したり、「裁判官に女性は要らない」との考え方で女性修習生へのさまざまな志望変更誘導が行なわれたりした。これらが阪口弁護士ら同期修習生の運動の中で明るみに出され、告発されていった。

 「裁判所がまだ古い風土にあったこともあるが、そこに戦前からの思想統制の体質をもつ石田和外という人物が最高裁長官に就任(69年)。直後から青法協脱退勧告などで会員を排除しようとする動きは強まった。法曹が憲法に基づき人権を守ろうとするのは自然な流れで、裁判官の中にも青法協会員は多かったからだ」と阪口氏は分析。法曹資格を取り戻し、弁護士になって以降は、政治家の「闇資金」の情報公開や大企業の「裏金」の追及に力をいれ、森友問題でも実績をあげた。

 あれから半世紀にもなるのだ。来年(2021年)4月5日が、阪口君罷免の23期司法修習終了式から、ちょうど50年になる。その終了式に、私も居合わせた一人だ。私は怒りに震えた。この体験が、私のその後の法曹としての生き方を決定した。必要なのは、裁判官の独立であって、司法官僚をのさばらせてはならない。そのために、「司法という権力」と対峙しなければならないのだ。

あの時代の空気も、あの日の出来事も、そして石田和外という人物についても、決して忘れることができない。石田和外については、当ブログでも何度か取りあげている。下記を参照されたい。

反動・石田和外最高裁長官が鍛えた23期司法修習の仲間たち
http://article9.jp/wordpress/?p=9471

石田和外とは ー 青いネズミの存在を許さなかったネコ
http://article9.jp/wordpress/?p=15254

私に法曹としての生き方を教えてくれた、反面教師・石田和外
http://article9.jp/wordpress/?p=11316

いまなお、ニホン刑事司法の古層に永らえている《思想司法=モラル司法》の系譜
http://article9.jp/wordpress/?p=15372

ところで、本田さんの「戦後の司法反動の流れに抗し、憲法の平和と民主主義、基本的人権の理念を守ろうと若手研究者や弁護士、裁判官らが組織した青年法律家協会(青法協)の弁護士学者合同部会の設立50周年記念集会」という一文に、当時渦中にあった者としては、若干の違和感があって、一言しておきたい。

青年法律家協会の設立は1954年である。「憲法の平和と民主主義、基本的人権の理念を守ろうと若手研究者や弁護士、裁判官らが組織した」のは、本田さんの筆のとおりである。設立発起人には、芦部信喜・潮見俊隆・加藤一郎・小林直樹・高柳信一・平野竜一・三ケ月章・藤田若雄・渡辺洋三などの名も見える。とうてい、尖鋭な政治団体などではあり得ない。

この青年法律家協会には裁判官部会があって活発な研究活動をしていた。それが、石田和外を領袖とする司法官僚体制から厳しい弾圧を受けることになる。これをレッドパージになぞらえて、ブルーパージと呼ばれた。その真の原因は、1960年代、とりわけその後半に積み重ねられた、リベラルな最高裁諸判決の傾向である。右翼がこれを攻撃し、自民党がこれに続いた。このとき、石田和外らは、裁判所・裁判官を外部勢力から護ろうとはしなかった。内部で呼応して、裁判所内のリベラル派追い落としをはかったのだ。

もともと、石田は治安維持法体制下の思想判事だった。戦後も、反共・反リベラルの思想を隠さなかった。退官後は天皇に忠誠な右翼として活動した人物である。69年11月には、最高裁内の局付判事補に対する青法協脱退工作を開始する。最高裁が、裁判官の思想・良心の自由や、結社の自由を侵害したのだ。1970年5月2日、石田和外最高裁長官は、恒例の憲法記念日に寄せた長官記者会見で、こう言っている。「極端な軍国主義者、無政府主義者、はっきりした共産主義者が裁判官として行動するためには限界がありはしないか。少なくとも道義的には裁判の公正との関係でこれらの人たちは裁判官として一般国民から容認されないと思う」。

「極端な軍国主義者、無政府主義者、はっきりした共産主義者」などというレッテルで、青法協裁判官を攻撃した。この青法協裁判官部会の切り崩しに対抗するための防衛措置として、同年7月の青法協総会は、青法協本体から、「裁判官部会」を規約上独立させた。そのことが同時に、「弁護士学者合同部会」と「司法修習生各期部会」を設立することとなったのだ。以来50年、ということになる。

石田和外は、権力的に裁判官を統制することに心血を注いだ。彼の裁判官統制は、表面的には成功したかに見える。しかし、作用あれば反作用がある。石田の所業は、多くの法曹や、ジャーナリストや、市民の反対運動を招くことになった。「司法の独立を守れ」という空前の市民運動が生じたのだ。

本田さんの記事のタイトルが、「弾圧との闘い、次世代へ」となっている。阪口徳雄君も、この日同席した梓澤和幸君も、そして私も、気持は元気だが、石田和外が没した齢を超えた。「次世代へ」語り継がねばならない。

「法務・検察行政刷新会議」は、官邸の守護神・黒川弘務の政権との癒着の実態を検証せよ

(2020年7月26日)
昨日(7月25日)の朝日が、「検察刷新会議 開く以上 本気の議論を」という社説を掲載した。なかなかのトーンの高さである。

正確な名称は、「法務・検察行政刷新会議」というようだ。森雅子法相の私的諮問機関という位置づけ。この人が自分の失態を繕うために急拵えしたという以上の印象はなく、期待度も注目度も低い。この会議設置の趣旨について、法相は、こう説明している。

 「法務・検察行政刷新会議(仮称)」は,今回の黒川氏の問題を受けて,私が設けることとした会議です。今回の黒川氏の行動を受けて,国民の皆様から,法務・検察に対して,様々な御指摘・御批判をいただいているところでございます。
 国民の皆様からの信頼を回復し,法務・検察が,適正にその役割を果たしていくことができるよう,この会議を,これからの法務・検察行政に関して,しっかりと議論をできる場としていきたいと思っています。…国民の皆様の幅広い御意見をいただいて,検察・法務行政への国民の信頼回復という目的を達成できる形にしてまいりたいと思っています。

 不祥事があると、「有識者」を集めて何を反省すべきかを確認してもらうという、今流行りの他人任せ禊ぎの儀式。そんな役割の第1回会議が7月16日に開かれた。「やっぱりね」というほかはない低調な会議の進展で、相変わらずの話題性の低さ。

この会議の経過が、法務省のホームページに掲載されているが、そこで何が行われたのか、実はさっぱり分からない。
http://www.moj.go.jp/hisho/seisakuhyouka/hisho04_00002.html

当日の議事次第は、以下のとおりだが、「1 法務大臣挨拶」以外は非公開だったという。これでは、何をしたのやら、これから何をすることになるのやら、さっぱり分からない。
1 法務大臣挨拶
2 委員等の自己紹介
3 議事の公表等の在り方について
4 検察の在り方検討会議提言及びその後の検察改革の状況等についての説明
5 その他

朝日社説は、「話題性乏しいから無視」ではなく、「本来何をなすべきか」を厳しく問うものとなっている。その書き出しから、言葉がまことに厳しい。

「看板に偽りあり――。先日、初会合が開かれた『法務・検察行政刷新会議』のことだ。
『刷新』を掲げながら、元東京高検検事長の異例の定年延長や、廃案に追いこまれた検察庁法改正案をめぐる諸問題は、会議のテーマにならない見通しだという。到底納得できない。」

続く文章は、さらに厳しい。

「もともと支離滅裂・国会軽視の答弁を重ね、大臣の任に堪えないことが明らかになった森雅子法相が、唐突に設置を表明した会議だ。期待するのが筋違いといえばそれまでだが、せっかく各界の有識者が集まったのなら、議論を公開し、本気で刷新に取り組んでもらいたい。」

厳しいが、まったくそのとおりというしかない。

「森氏は初会合で、(1)検察官の倫理 (2)法務行政の透明化 (3)刑事手続きについて国際的な理解が得られるようにする方策――を検討課題に挙げた。その底意はともかく、三つはいずれも今日的で重要なテーマだ。」

社説は、この3点をそれぞれに点検する。

(1)まず検察官の倫理である。
 まさか賭けマージャンの当否を論じるわけではあるまい。何より問われるべきは、一人ひとりが「公益の代表者」の自覚をもって、捜査・公判・刑の執行に臨んでいるか否かだ。
 検察官の責務は単に有罪を勝ち取ることではない。だが実際の裁判、とりわけ再審請求審では、制度の不備をいいことに、自分たちに不利な証拠を隠すことがしばしばだ。職業倫理に照らして正すべき点はないか。実例を踏まえ、この機会に外部の目でしっかり検証してほしい。

2)の法務行政の透明化は、まさにこの半年間の法務・検察の混乱の根底にある問題だ。
 元検事長の定年延長は、従来の政府見解を変更したうえで閣議決定したと森氏は説明する。しかし検討の経過をたどれる文書はなく、重大な変更を口頭で決裁したというから驚く。
 森氏は、検察庁法改正案の作成経緯を明らかにする文書を作成すると国会で約束しながら、約5カ月経った今も履行していない。なぜこのような不透明で国民を愚弄した法務行政がまかり通るのか、本質に切り込む議論が求められる。

(3)カルロス・ゴーン被告の逃亡を機に、容疑者・被告の長期に及ぶ身体拘束をはじめ、日本の刑事司法は異様との認識が広がった。(3)の「国際的理解」はこれを受けたものだろう。
 たしかに批判の中には誤解に基づくものもある。だが人質司法という言葉が定着するなど、国際人権基準から見たとき、是正すべき点は少なくない。
 説明の仕方をあれこれ工夫するのではなく、おかしな制度や運用を実際に見直すことが理解への早道だ。どこを、どう変えるべきか。そこを話し合わなくては刷新会議の名に値しない。」

 朝日の社説に大筋合意しながらも、やや物足りなさを禁じえない。
 法相の言うとおり、「刷新会議」は,黒川問題を受けてのもの。国民の批判は、黒川が「官邸の守護神」と言われる関係にあったことに集中していた。そのような、時の政権にベッタリの法務・検察の実態を抉り出し、癒着の原因を探り、適切な再発防止策を講じることなくして、国民からの信頼回復はあり得ない。

衆目の一致するところ、糾弾されるべき最大の責任者は内閣総理大臣であり、次いでその意を酌んだ法務大臣である。その各々の責任を明確にしたうえで、刷新会議は、検察倫理に背いて「政権の守護神」と言われた人物と現政権との緊密な関係を「透明化」しなければならない。そこに焦点を当てずしてお茶を濁すようでは、朝日の社説が言うとおり、「看板に偽りあり―」ではないか。

近畿財務局は、国有地を8億値引いて売った。石原慎太郎は都有地を156億円高い値で買った。

(2020年7月22日)
地方自治法に「住民訴訟」という貴重な制度が設けられている。自治体の首長や幹部職員に財務会計上の違法行為があって自治体に損害を生じさせた場合を典型に、住民が一人でも原告になって、「この損害を自治体に賠償させることを求める訴訟」を提起することができる。

民事訴訟の提起は、原告の私的な権利侵害に関わるものでなくてはならないことが原則。自分の利害とは無関係に、違法の是正を求めて正義を実現しようという訴訟は受け付けられない。却下(門前払い)の判決で終わることになる。住民訴訟はその例外で、自治体の利益のために住民が裁判を起こすことができる。

国立市の住民が原告になって、「上原公子国立市長の行為に違法があって」、「そのために国立市に3124万円の損害が生じた」「だから、国立市は上原公子個人に対して3124万円の賠償を請求せよ」という訴訟を提起し最終的に勝訴した。こうして国立市の財産的損害が回復された。

これと同じ構造で、東京都の住民40人が東京都を被告として、「石原慎太郎都知事の行為に違法があって」、「そのために東京都に578億円の損害が生じた」「だから、東京都は石原慎太郎に対して578億円の賠償を請求せよ」という訴訟を提起した。昨日その一審判決が言い渡され、残念ながら請求棄却の判決となった。こうして東京都の財産的損害は回復されないままである。

問題は、旧築地市場の移転を巡って生じた。都は、市場移転先の豊洲の土地を東京ガスから587億円で購入した。しかし、これは高額に過ぎる。買った土地は深刻な汚染地で、土壌汚染除去対策費を差し引いた適正額でなければならない。この587億円のうちの適正額との差額が、石原慎太郎の賠償責任の対象となる東京都の損害。石原はこれを支払って、東京都に生じた損害を回復せよ、というのが原告の主張だ。

森友事件と根本のところでよく似ている。一方は、国有地を安価に売り渡した事例。もう一方は、都有地を高額に買い入れた事例。どちらも、地下埋設物の除去費用の負担が問題となっている。石原慎太郎事件で裁判所が認めた損害額は156億円である。森本学園事件での8億円とは比較にならない巨額。判決は、「対策費を踏まえると、正常価格よりも約1・37倍高いが、著しく高額とまでは言えない」「購入は裁量の範囲内で、石原慎太郎に賠償責任はない」と請求を棄却した。これは残念。

原告の主張は分かり易い。「適正な土地購入価格」とは、「汚染のない正常土地と仮定した場合の取引価格」から、「当該の汚染物を除去する対策費用」を差し引いたものでなくてはならない。石原は、環境基準4万3千倍のベンゼンなど深刻な汚染があることを知りながら、汚染除去費用をまったく考慮せず、汚染のない土地としての価格(約578億円)で東京ガスから購入して東京都に差額分相当の損害を与えた、というもの。

問題は、この土地を高く買った石原慎太郎の行為についての違法性の有無。地方自治法及び地方財政法は、公金の無駄遣いを明確に禁止している。私人間の取引とは異なり、税金を原資とする以上は購入価格は適正な金額でなければならない。つまりは、原告の主張は「公金の無駄使いは即違法」ということなのだ。

残念だが、裁判所は原告の主張に同意しなかった。「正常価格よりも約1・37倍高い価格で購入した」ことは認めたが、「この価格は著しく高額とまでは言えない」という。「著しい高額に至らなければ裁量の範囲内で違法とまではいえない」との判断。

石原慎太郎は東京都の財産を「正常価格よりも約1・37倍高い価格で購入し」て、東京都には156億円の損害をもたらしたが、「この程度では違法とまではいえない」というのが判決の理由。本当にそれでよいのだろうか。156億円の全部ではなくても、その一部については違法と言えないだろうか。

住民訴訟は、住民の一人ひとりを、自治体の財務会計上の非違行為の監視役とする貴重な制度である。その活用は、自治体財産の保全に裨益するだけでなく、住民の自治意識の涵養にも大きな意義をもつ。一審原告の皆さんと弁護団には、是非控訴のうえ、逆転勝訴に向けて力を傾けていただきたい。控訴審判決での朗報を期待したい。

フジ住宅ヘイトハラスメント訴訟。原告女性は何を求めて提訴を決意したのか。

(2020年7月20日)
ヘイト企業として名を馳せている「フジ住宅」(大阪府・岸和田市)。社内での「ヘイトハラスメント」を苦痛とした、在日3世の女性社員が果敢に会社を訴え、5年の審理を経て、7月2日に大阪地裁堺支部で一審勝訴判決を得た。文字通り、勝ち取ったというにふさわしい。世の中にはたいした人がいるものだ。こんなひどい会社の中でのたった一人の闘いを毅然とやり抜いた人。おそらくは、同僚からの暗黙の支援があったのだろうと想像する。

原告弁護団は、「ほぼ完全勝訴! ご支援ありがとうございました!!」という判決の評価。ただし、原被告双方が控訴の見込みだという。おそらくは、双方の控訴があって、既に大阪高裁に控訴審が係属しているのだろう。

この訴訟は、損害賠償請求事件。原告は、フジ住宅株式会社に勤務する在日コリアン3世の女性、被告はフジ住宅とその創業者で会長の今井光郎。
判決は両被告に連帯して110万円の支払いを命じる請求の一部認容。判決理由で会社の次の行為を違法と認めた。

(1) 被告らが社内で全従業員に対し、ヘイトスピーチをはじめ人種民族差別的な記載あるいはこれらを助長する記載のある文書や今井会長の信奉する見解が記載された文書を大量に反復継続して配布した。この行為は、労働者の国籍によって差別的取扱いを受けない人格的利益である内心の静隠な感情に対する介入として社会的に許容できる限度を超え、違法であるとした。

(2) また、フジ住宅及び今井会長は、地方自治体における中学校の教科書採択にあたって、全従業員に対し、特定の教科書が採択されるようアンケートの提出等の運動に従事するよう動員した。これは、業務と関連しない政治活動であって、労働者である原告の政治的な思想・信条の自由を侵害する差別的取扱いを伴うもので、その侵害の態様、程度が社会的に許容できる限度を超えるものといわざるを得ず、原告の人格的利益を侵害して違法であるとした。

(3) フジ住宅は、本件訴訟の提訴直後の2015年9月に、社内で、原告を含む全従業員に対し、原告について「温情を仇で返すバカ者」などと非難する内容の大量の従業員の感想文を配布した。

会社がこれだけのことをやれば当然にアウトだ。判決は至極当然のこと。但し、判決の認容額はあまりに低額である。ネットに、こんな記事を見つけた。

フジ住宅控訴!!がんばれフジ住宅!!
東京都知事選まであとわずか 桜井誠一択
300万円の和解案を提示された時点で(民族関係なく)まともな人なら和解で済ます。裁判所が昨日認めた慰謝料金額を見ると、この原告は実質的には負けているのでは…弁護士費用だけで100万飛ぶだろうに。フジ住宅側から控訴状キター、民事弁護士費用は自己負担だからさらに費用がかかります。裁判所も「在日の訴訟好き」にあきれていると見た。今回の控訴でフジ住宅は間違いなく注文が立て続けに入りますね。

この匿名ネトウヨ君は、「人は、金を求め、金のために裁判をする」「裁判の目的は金なのだから、金額の最大化のために行動することが合理的」としか考えていない。そんな思考回路の持ち主。人が、ブライドのために、自由や平等の理念を実現するために裁判を起こすことなどは、考えも及ばないのだ。

裁判所から300万円の和解案があったのに、それを蹴って110万円の判決を得た。これは原告の200万円の損。費用をかけて何をしているのか、理解ができないという。

しかし、人はパンのみにて生きるものに非ず。裁判は金のみを求めて提訴するものではない。何よりも、不合理に怒りこれを是正しようとして訴えるのだ。判決が、会社の違法を確認する。メディアがそれを報じる。社会も、正義が女性社員の側にあることを認めることになる。原告は、自分の精神の矜持を保ったのだ。そして、どんな会社も、フジ住宅のようなヘイトハラスメントをしてはならないことを天下に示したのだ。110万円の金額以上に判決の価値は大きい。

とは言うものの、認容額は高いに越したことはない。こんな違法行為を根絶するためには、慰謝料も弁護士費用ももっと高水準にしなければならない。

控訴審、さらなる闘いの成果を期待したい。

石田和外とは ー 青いネズミの存在を許さなかったネコ 

(2020年7月17日)
その男、石田和外。反動、弾圧者、私と仲間の反面教師。彼は、1969年1月11日に、佐藤栄作によって最高裁判所長官に任命された。その直後の4月に、私は23期の司法修習生として、司法研修所に入所している。

石田の、長官就任の際のコメントが、「裁判官は激流のなかに毅然とたつ巌のような姿勢で国民の信頼をつなぐ」というもの。

間違ってはいけない。この男の言う「激流」とは、裁判所に重くのしかかってくる行政や保守政治からの圧力のことではない。当時、澎湃として興隆し定着しつつあった、労働運動や市民運動、あるいは学生運動などの諸運動の流れのことなのだ。「民主化を求める日本の歴史の潮流に毅然と巌のように立ちはだかって、岸・池田・佐藤のごとき保守派国民の信頼をつなぐ」ということにほかならない。

彼は、青年法律家協会を徹底して嫌った。青年法律家協会とは、「1954年、憲法を擁護し平和と民主主義および基本的人権を守ることを目的に、若手の法律研究者や弁護士、裁判官などによって設立された団体」である。私も、修習生になると同時に修習生部会に加盟した。石田の長官就任当時、青年法律家協会裁判官部会の勢力は大きかった。石田は、裁判官会員に対する脱退工作を行ったことで知られる。これを関係者は「ブルーパージ」と呼んだ。

石田は剣道の達人ということだった。私が刑事裁判修習を受けた東京地裁の寺尾正二裁判官が、石田が執筆した剣道談義を面白く語ってくれた。

 「あるとき、修行中のネコが集まって、それぞれの腕自慢を語り合った。『私は、一瞬でネズミを倒す必殺技を身につけた』『私は一撃で3匹を捕らえる』『私は、一睨みでネズミを動けなくさせる術を会得した』…。中で悠然と黙っている聞いている老ネコがいた。若いネコが、『あなたにはどんな術が…』と聞くと、こういう答え。『ワシには、特に何の術もない。しかし、私の一里四方には、ネズミは一匹も出てこない』」

 寺尾裁判官は、「名人・達人とはそういうもの」と笑った。裁判官や裁判所もそうありたいという思いだったかも知れない。しかし、私には、何とも不気味でやりきれない話に聞こえた。

石田は、「ワシの周りには頭の青いネズミは一匹も存在を許さない」と宣言したのではなかっただろうか。

私が修習を終える1971年の春、石田を頭目とする司法官僚は、青法協活動の中心と目された13期宮本康昭裁判官の再任を拒否し、23期司法修習生からの裁判官志望者7名の任官を拒否した。さらに、1971年4月5日、23期の司法修習修了式で、7名の任官拒否者の発言を求めた修習生代表の阪口徳雄君を罷免処分とした。

1971年4月5日の夕刻から深夜まで、東京弁護士会講堂で任官拒否と阪口罷免抗議の緊急集会が開かれた。その集会に、やや遅れて20期(当時弁護士経験3年)の大森鋼三郎弁護士が駆け込んで報告した。私の記憶では、次のような発言だった。

「私は、阪口君罷免の報を聞いて我慢がならず、先ほど、石田和外長官の私邸に抗議の電話をした。彼は在宅していて電話に出た。酒を飲んでいる様子の彼に抗議の意思を伝えたところ、彼はこう言った。『私は日本ために仕事をしている。今日の出来事も日本のためなのだ』」

ここまでは記憶に鮮明である。そのあとに続けて、大森さんは、このことはけっして日本ためにはならないと言ったと思うが、はっきりした記憶がない。確かめようと思っている内に、大森さんは故人となった。

定年退官後に、石田は新設された「英霊にこたえる会」の会長になった。言わば、靖国派の総帥となったのだ。これが、彼の言う「日本のため」の内実なのだ。さらに、彼は、自ら「元号法制化実現国民会議」を結成してその議長ともなり、79年3月の防衛大学校卒業式において、軍人勅諭を賛美した祝辞を述べて物議を醸している。石田和外とは、筋金入りの反動なのだ。なお、「元号法制化実現国民会議」の後継団体が「日本を守る国民会議」であり、これが今や右翼の総元締めとなった感のある「日本会議」となっている。

「英霊にこたえる会」とは何であるのか。会自らがこう述べている。

 戦後、吉田茂総理から田中角栄総理までの歴代総理は、靖國神社の春秋の例大祭に参拝しており、当時国民もマスメディアもこれを当然のこととして受け止めていました。ところが、昭和50年8月15日の終戦の日に、時の三木武夫総理が「私的参拝」と言って、歴代総理では初めての8月15日に私的参拝をしましたが、個人の資格で参拝したことから、その後の靖國神社をめぐる状況が一変し、以後の総理の参拝時に「公的か、私的か」とのくだらない記者の質問を受けることとなりました。そして、昭和天皇は、戦後これまでに7回ご親拝されておりましたが、三木総理が、この参拝をしたこの年の11月21日のご親拝が最後となられました。
 このようなことから「英霊にこたえる会」は、翌昭和51年6月22日、会長に石田和外元最高裁判所長官が就任し、英霊に対する国・国民のあるべき姿勢を確立するための国民運動を展開する任意団体として発足しました。

青法協弾圧を行った最高裁長官とは、かような人物である。

在外国民の最高裁裁判官国民審査制限は違憲(東京高裁判決)

(2020年6月30日)
6月25日、東京高裁(阿部潤裁判長)が、「在外邦人の最高裁裁判官国民審査制限は違憲」という判断を含む判決を言い渡した。当事者は「勝訴」の二文字を掲げて、記者会見に臨んだ。もっとも、一審では認められた慰謝料請求が高裁では棄却となり、主文だけでは「敗訴」の判決。

同判決は理由中に、「次回までに制度の改善なく(原告らが)投票不能なら、国賠法上の違法となる」とわざわざ書き込んでいるという。次回総選挙は目前ではないか。上告の有無にかかわらず、政府はこの判決に応えて、早急に臨時国会を開いて「最高裁判所裁判官国民審査法」の改正を行うべきである。いずれ、この時期に最高裁裁判官の国民審査が話題に上るのは結構なことだ。

この事件の原告になっているのは、米国在住の映画監督想田和弘さんら5人。煩わしさに負けず、費用負担にもめげず、このような提訴をする人がいるから新たな判例も生まれ、制度も改善される。想田和弘さんらの行動に敬意を表したい。

在外邦人の選挙権行使制限の問題については、「在外日本人選挙権剥奪違法確認等請求事件」と名を冠した訴訟の05年9月14日大法廷判決で決着済みである。

96年10月20日総選挙当時において、在外邦人に一切の在外投票を認めなかった公職選挙法の規定は、憲法15条、43条、44条に違反すると判断し、しかも「原告らが次回の選挙において選挙権を有することの確認を求める訴え」の適法性を認めて認容した。のみならず、国会の立法不作為(為すべき立法を怠ること)に過失あることまで認めて、慰謝料5000円の支払を命じた。

この最高裁判決の後、衆参両院の選挙については、在外邦人の選挙権行使が可能となったが、総選挙の際に行われる最高裁裁判官の国民審査には投票できない状態が続いて、2017年国民審査についての合違憲が争われることになった。

昨年(2019年)5月の東京地裁一審判決(森英明裁判長)では、その違憲性を認めた上で、国の立法不作為の責任をも認めて、原告1人当たり5000円の慰謝料を賠償するよう命じていた。

その一審判決によれば、国民審査を巡って2011年に東京地裁で同種訴訟の判決があり、海外から国民審査に投票できないことを「合憲性に重大な疑義がある」と指摘していたという。にもかかわらず、その後も国が立法措置を講じなかったことについて2017年の国民審査で審査権を行使できなかった事態に至ったことを正当化する理由はうかがわれない」と非難。「長期間にわたる立法不作為に過失が認められることは明らか」として、国の賠償責任を認定している。これは、立派な判決。

この度の控訴審判決は、国会の責任(立法不作為)を認めず賠償請求を棄却した。この点、必ずしも立派な判決とは言いがたい。

しかし、控訴審判決には、国民審査の意義を「司法権に国民の意思を映させ、民主的統制を図るための制度だ」との指摘があるという。選挙権の保障と同様、その制限にはやむを得ない事情が必要だとした。

しかも、審査権は選挙権と同様、「権利行使の機会を逃すと回復できない性質を持ち、賠償では十分に救済されない。」「次回審査で審査権が行使できなければ違法になると認めた」。制度の改正を急げとの、メッセージであろう。

とかく影が薄いと言われる最高裁裁判官の国民審査だが、主権者国民が最高裁裁判官を見守っているということを確認する貴重な機会である。

どんな経歴のどんな人物が最高裁裁判官になって、どんな裁判をしてきたのか。有権者によく知ってもらうことが必要である。日本民主法律家協会は、国民審査の都度、その努力を重ねてきた。

そして、裁判官の来歴を知ってきっぱりと×を付けよう。よく分からない場合に、何の印も付けずにそのまま投票してしまえば、全裁判官を信任したことになる。よく分からない場合には、躊躇なく全員に×をつけることだ。何しろ、今や全最高裁裁判官が安倍内閣の任命によるものなのだから。

朝日社説「『森友』再調査 この訴えに応えねば」を評価する。

(2020年6月25日)
本日(6月25日)の朝日社説が、「『森友』再調査 この訴えに応えねば」と訴えている。その姿勢を大いに評価したい。

「森友再調査」の必要は、亡くなられた赤木俊夫さんの手記が遺族によって発表され、この手記が多くの人の魂を揺さぶったことを理由とする。赤木俊夫さんは、自分にとって死ぬほど恥ずべき嫌なことを押し付けられたのだ。これを、自己責任として済ませるわけにはいかない。いったい、誰が、なんのために、どのように、彼に文書の改ざんを押し付けたのか。そして、究極の責任をとるべきは誰なのか。それを、明確にしなければならない。

そのための手段として、ひとつは遺族による民事訴訟が提起されている。また、国会による「予備的調査」も進行している。そして、然るべき第三者機関を設定しての「再調査」要求である。今のままで、よいはずはない。朝日の社説をご紹介して、コメントしてみたい。

 国会閉会から1週間。コロナ禍への対応のみならず、様々な課題が積み残された。なかでも、森友問題の再調査を安倍政権が拒み続けていることは見過ごせない。真実を知りたいという遺族の思いに応えずして、信頼回復も再発防止もない。

※ アベ首相は、数々の疑惑が問題となる度に、「ていねいに説明申し上げる」「説明責任を果たす」と言い続けて、その実何もしてこなかった。国民から、「嘘とゴマカシにまみれた」と指弾される珍しい首相。この度も、ごまかして、逃げた。しっかりと調査し、真実を明らかにしてこその信頼回復である。ことさらにそれをしないのは、真実が暴かれることで、政権に不利益がもたらされると考えているのではないのか。

 国会が閉じる2日前、35万2659筆にのぼる署名が、安倍首相、麻生財務相、衆参両院議長宛てに提出された。財務省の公文書改ざんに加担させられ、自ら命を絶った近畿財務局の赤木俊夫さんの妻雅子さんが、第三者委員会による公正中立な再調査を求めたものだ。

※35万2659筆とは、たいへんな署名の数である。これだけの人が、公正な第三者委員会を設置して、赤木さんの手記で明らかになった事実を確認せよと言っているのだ。前回の、仲間内による調査ではとうてい信頼に堪えない。公正中立な、信頼できる第三者による再調査が求められているのだ。

 雅子さんが3月、国と改ざん当時理財局長だった佐川宣寿(のぶひさ)氏に損害賠償を求める訴えを起こしても、首相や麻生氏は再調査に応じなかった。そこで、雅子さんはインターネットサイトで署名を呼びかけた。「このままでは夫の死が無駄になってしまう」という訴えに、共感の輪が広がったのだろう。

※ 世論はいま、赤木さんのご遺族の訴えに共感の輪を広げている。ということは、アベや麻生を信頼できないとしているのだ。遺された赤木さんの手記は、生前の赤木さんが直接体験したことを記してはいるが、改ざんの方針決定と指示は、赤木さんの知らないところで行われている。赤木さんには、推認された事実ということになる。赤木さんの手記に表れた直接体験事実の真実性を検証し、非体験の推認事実に関しては厳格に関係者から事情を聴取する調査が必要なのだ。国と佐川に対する民事損害賠償請求の訴訟は、判決に至るまで長い期間を要する。早期の調査が必要なのだ。

 それでもなお、首相と麻生氏の姿勢は変わらない。なぜ再調査は不要と言えるのか。
 麻生氏は記者会見でこう述べた。「財務省として調査を徹底してやり、関与した職員は厳正に処分した」。しかし、その調査は身内によるもので、佐川氏の具体的な指示内容は明らかになっていない。そもそも、国有地がなぜ8億円も値引きされたのか、首相の妻・昭恵氏が学園の名誉校長だったことが影響してはいないのか、問題の核心は一向に解明されていない。

※麻生の調査拒否が理由に挙げる「財務省として調査を徹底」が嘘なのだ。2018(平成30)年6月4日付の財務省報告書は、明らかに政治家の責任追及に至らぬよう配慮されたものなのだ。51頁のこの報告書で、誰もが真っ先に注目するのは、改ざんの目的である。34ページにこうある。「応接録の廃棄や決裁文書の改ざんは、国会審議において森友学園案件が大きく取りあげられる中で、さらなる質問につながり得る材料を極力少なくすることが、主たる目的であったと認められる」。政治家からの指示も、政治家への忖度も出てこない。この点を問題にした調査ではなく、この点の疑惑を糊塗するための調査と疑われて然るべきなのだ。

 首相は国会でこう述べた。「最強の第三者機関と言われる検察が捜査をした結果がすでに出ている」。これも筋違いというほかない。刑事責任を追及する捜査と、信頼回復や再発防止につなげるための事実の検証を同列にはできない。

※さて、検察は「最強の第三者機関」であったか。「捜査した結果が出ている」か。はなはだ疑問なのだ。検察は政権から独立した検察ではなく、「アベ政権の守護神を抱えた検察」でしかなかった。「最強のアベ政権守護機関」ではなかったか。その検察も、文書の改ざんに関しては、「嫌疑なしの不起訴」にしたのではない。「嫌疑不十分の起訴猶予」としたのだ。けっして、「結果がすでに出ている」わけではない。

 「2人は調査される側で、再調査しないと発言する立場ではない」という雅子さんのコメントを重く受け止め、政府は再調査に応じるべきだ。

※ これこそ名言である。アベも麻生も、「被疑者」である。当然に再調査はしたくない立場。そんな二人の言い訳を聞いている暇はない。したくなくても、させなくてはならないのだ。

 国会では新たな動きがあった。衆院財務金融委員会が野党の求めに応じ、公文書改ざんの経緯をつまびらかにするよう、衆院調査局長に調査を命じたのだ。国会のチェック機能を強化するため、97年につくられた「予備的調査」という制度で、委員会審議に役立てるための下調べという位置づけだ。少数会派に門戸を開くため、議員40人以上の要請で実施される。
 関連資料の提出など、政府に協力を求めることはできるが、強制力はない。政府は自ら第三者委を設けないのなら、国会によるこの調査に全面的に協力すべきだ。国会もまた、行政監視の本分を果たすために、全力で真相に迫らなければならない。

※ 「民事訴訟」、「予備的調査」、そして然るべき第三者機関を設定しての「再調査」。場合によっては、再告発もあるだろう。あらゆる手段を考えねばならないが、全ては世論の支持にかかっている。

「憲法53条違憲国家賠償訴訟」那覇地裁判決に見る、安倍内閣の憲法無視の姿勢。

(2020年6月15日)
政府・与党が10兆円もの予備費を抱いて6月17日に通常国会を閉じようとしている。国会審議での追及を恐れて、ボロ隠しの逃げに徹する姿勢。これを不当として、野党が「逃げるな内閣・自民党!」「国会閉じるな!」と攻勢的に会期延長の可否が論じられている。

そのさなかの6月10日、なんともタイミングよく那覇地裁で「憲法53条違憲国家賠償請求事件」判決言い渡しとなった。仮に、17日閉会となっても、野党議員による臨時国会招集要求の実効性に大きなヒントを与えるものとなっている。

もっとも、この判決は結果原告敗訴である。問題は、判決理由中の判示をどう評価すべきかだが、そう単純ではない。まず、毎日と朝日との見出しが対照的である。
(毎日) 「臨時国会召集せず不利益」賠償訴訟、国会議員ら敗訴 那覇地裁、請求権認めず
(朝日) 国会召集「内閣に法的義務」 憲法53条めぐり初判決

そして(時事)は、言い渡し直後に《臨時国会不召集、原告側敗訴 「内閣は損賠義務負わず」 那覇地裁》と配信したが、その日の内に原告・弁護団の解説を受けて《原告「一歩進んだ結論」 請求棄却も意義強調―憲法53条訴訟》と原告側の評価を伝えている。また毎日も、6月14日の社説では、「国会召集めぐる判決 憲法上の義務明言は重い」と、ニュアンスを変えている。敗訴判決ではあるが、評価すべき面も無視し得ないということなのだ。

この訴訟の原告は、衆議院議員の赤嶺政権・照屋寛徳、参議院議員の伊波洋一・糸数慶子(当時)の4名。国を被告としての国家賠償請求訴訟である。憲法53条後段に基づいて、臨時国会の召集を内閣に要求したのに、安倍内閣は憲法を無視して、この要求に応じなかった。明らかに違憲・違法な内閣の行為による損害(各1万円)の賠償を求めるという事件である。

まず、関係条文としての憲法53条の条文は以下のとおり。
(前段)内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。
(後段)いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

この後段の条文に基づいて、各議院における臨時会召集要求と要求に対する安倍内閣の対応の経過は、判決によれば以下のとおり、安倍内閣の憲法無視の威勢をあからさまにするものであった。

【臨時会召集の経緯】

ア 原告赤嶺及び原告照屋は,平成29年6月22日,他の衆議院議員118名とともに連名で,憲法53条後段に基づき、安倍内閣に対して,衆議院議長経由で要求書を提出して,臨時会を召集するよう要求した。原告糸数及び原告伊波は,同日,他の参議院議員70名とともに連名で、憲法53条後段に基づき、安倍内閣に対して,参議院議長経由で要求書を提出して,臨時会を召集するよう要求した。
イ 本件衆議院召集要求を行った衆議院議員の総数は,衆議院議員475名中120名であり,本件参議院召集要求を行った参議院議員の総数は参議院議員242名中72名であり,いずれも憲法53条後段所定の(各)議院の総議員の4分の1以上による召集要求がされている。
本件召集要求の理由は,要旨,《平成29年開催の第193回通常国会において,いわゆる森友学園・加計学園問題について十分な審議が尽くされておらず,国民に広がる政治不信を解消するためには,国会が国民の負託に応え,疑惑の真相解明に取り組むことが不可欠であるという国民に広がる政治不信を解消するため》というものであった。
安倍内閣は,平成29年6月22日,本件召集要求の要求書を受領した。安倍内閣は同年9月22日,臨時会を同月28日に召集することを持ち回り閣議で決定し、同日に衆議院及び参議院を召集した。
しかし、安倍内閣は,本件召集に基づいて開催された臨時会の冒頭において衆議院を解散したため,参議院は同時に閉会となり(憲法54条2項),臨時会において原告らが求めるような実質的な審議は行われなかった。

安倍内閣の憲法無視の姿勢が如実に表れているではないか。以上の経過を前提に、判決が述べている【事案の概要】は、大略以下のとおり。

 本件は,国会議員である原告らが,その他の国会議員とともに,平成29年6月22日,内閣に対し,憲法53条後段に基づき,衆議院及び参議院の臨時会の召集を要求したところ,それから98日か経過した同年9月28日まで臨時会が召集されなかったことにつき、内閣は合理的な期間内に臨時会を召集するべき義務があるのにこれを怠ったものであり、その結果,原告らは臨時会において国会議員としての権能を行蜃する機会を奪われたなどと主張して,国家賠償法1条1項に基づき,被告に対し,原告らそれぞれにつき損害金である100万円の一部請求として1万円及びこれに対する臨時会の召集期限といえる同年7月12日の翌日である同月13日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

判決は、次のとおりに、【争点を整理】した。

争点(1) 内閣による臨時会の召集の決定が憲法53条後段に違反するかの法的判断について,裁判所の司法審査権が及ぶか(本案前の争点)
争点(2) 本件召集要求に基づく内閣の召集決定が,本件召集要求をした個々の国会議員との関係において、国賠法1条1項の適用上,違法と評価されるか。
争点(3) 本件召集が実質的には本件招集要求に基づく臨時会の召集とはいえず,または,本件召集が合理的期間内に行われたものとはいえないとして,憲法53条後段に違反するものといえるか
争点(4) 原告らの損害の有無及びその額

裁判所によって設定された以上の各争点を判決はどう判断したか。
争点(1)の判断においては、被告国の言い分を斥けて、裁判所の司法審査の権限は憲法53条後段違反の有無について及ぶと判断した。被告国は、「そもそもこの件に裁判所の出番はない」「三権分立の在り方から、本件を裁判所が裁くことはできない」と主張したのだが、裁判所の採用するところとはならなかった。
 各紙が報道しているとおり、53条後段にもとづく内閣の臨時会招集義務は、「単なる政治的義務にとどまるものではなく、法的義務であると解され、(召集しなければ)違憲と評価される余地はあるといえる」と判決は言う。これは、今後に生かすべき本判決の積極面。

ところが判決は、争点(2)では被告国の言い分を容れた。憲法53条後段は、議員の臨時会召集要求があれば、内閣には招集決定の法的義務が課せられるものではあるが、その義務は召集要求をした個々の国会議員との関係における義務ではない。従って、その義務の不履行が国賠法1条1項の適用上,違法と評価されることにはならない、というのだ。その結果、争点(3)も(4)も、判断の必要がないとされてしまっている。これでよいのだろうか。

結局、この判決は、こう言ったことになる。
内閣の53条後段違反の有無は裁判所の違憲判断の対象とはなる。しかし、仮に内閣の招集遅滞が違憲と判断されたにせよ、それは議員個人の国家賠償の根拠とはならない。だから、憲法違反の有無の判断をするまでもなく、請求を棄却せざるを得ない。それゆえ、「安倍内閣の本件召集が実質的には本件招集要求に基づく臨時会の召集とはいえない」という原告の主張についても、また「本件召集が合理的期間内に行われたものとはいえない」ということも、判断の必要はない。

 せっかく、53条後段に違反する内閣の行為(臨時国会招集の不履行)については、司法審査が及ぶとしながら、司法判断を拒否したのだ。理由は、国家賠償の要件としての違法性は認められないから、というものだった。では、いったいどのような訴訟類型を選択すれば、司法判断に到達することになるのか。それが問われることになっている。

もちろん、飽くまで国家賠償の追及は重要である。内閣に違憲違法の作為・不作為がある以上、その違法な不作為との因果関係のある損害は賠償すべきだとする主張である。

もう一つは、国家賠償請求以外の方策の追及である。この訴訟の原告が、抗告訴訟(不作為の違法確認や義務付け等)ではなく国家賠償請求を選択したのは、「処分性」論争を避けた結果であると考えられる。抗告訴訟でもなく、国家賠償でもないとすれば、「実質的当事者訴訟」が考えられる。国を被告としての「違法確認訴訟」ができなければ、せっかくの争点(1)の判断は画餅に帰すことになる。

同種訴訟が、岡山と東京に係属しているという。関係者の衆知を集約すべきであろう。

「黒川弘務法案」今国会では無理でも次期国会で。それが無理でも、黒川検事を検事総長に。

ワタクシ、アベ・シンゾーで、ごじゃます。
例の「黒川弘務法案」の件でごじゃますが、国民の皆様には、いくら丁寧にご説明してもですね、もはや国民の皆様には、理解してはもらえない。まさに、まさにですよ、ここはですね、いったん引くしかない。まさしく、そう考えた、のでごじゃます。ですから、ここは、いったん引くことにしよう。まさにこう決定した、のでごじゃます。

この法案はですね、この法案はですよ。国民の皆様方の理解なくしては前に進めることができない。そこが、ほかの法案とは違うんです。我が国は民主主義の国ですから、一番大切なのは、選挙です。その大切な選挙で、自民党と公明党は、まさしく勝っている、のでごじゃます。国民の皆様から信任をいただき、たくさんの議席を頂戴している、のでごじゃます。この議席の数の力こそが民主主義の力、その力で、消費税も上げ、辺野古の埋立もし、アメリカから兵器の爆買いもしている。いちいち、国民の皆様の理解など、気にする必要もない、わけでごじゃます。

もちろん、この法案も、数の力で押し通そうとしたわけでごじゃまして、自民党と公明党だけでなく、まさにどういうわけか維新の皆様もですね、しっかりと法案の審議促進と成立にご協力の姿勢で、民主主義の手続に従って採決を強行すれば、まさしく成立することは疑いない、のでごじゃます。

だから、ワタクシはですね、法案の内容や本質がですよ、国民の皆様によく知られてしまわないうちにですね、早め早めに粛々と法案の審議を進めてですね、一日も早く上げてしまうよう指示していたところ、なのでごじゃます。ところが、コロナと同じ、対応が後手後手にまわってしまい、気が付いたときには世の中の空気が変わってしまった、というわけなのでごじゃます。

それでも、強行突破すれば国民の皆様は健全な健忘症ばかり、どうせすぐにこの法案への不満などはケロリと忘れてくれるはず、こう高をくくっていたわけでごじゃます。何しろ、コロナ蔓延で、デモなどできっこないこのチャンス。火事場泥棒と言われても、今やるしかないじゃありませんか。

それが、ご存じのとおり、どうにも納得できない不思議な展開となってまいった、のでごじゃます。「twitterデモで、法案の撤回を目指そう」って、いったい何のことやら。理解を遙かに超えた事態の展開になっていった、のでごじゃます。

ワタクシ・アベの支持者としては若年層が多いのが自慢でごじゃました。ところが、今回はスマホやtwitterを操作する若年層が、アベ批判にまわっているというのでごじゃます。また、いくつかの世論調査で、明らかに内閣支持率が低下してきた、のでごじゃます。これは、たいへんなこと。

強行突破すれば、アベ内閣瓦解の危険を感じざるを得ない、のでごじゃます。ワタクシも、まったくバカではごじゃませんから、ここは引くしかない。こう考えたわけでごじゃます。

もちろん、メディアには「国民の声に十分に耳を傾けていくことが不可欠であり、国民のご理解なくして、前に進めていくことはできない」と申しあげました。その真意は、「国民の声に十分に耳を傾けていくポーズをとらざるを得なくなった」ということであり、「いまは、国民の理解を得ることは無理だから、非難の火勢おさまるので法案は引っ込めておくことにする」ということで、ごじゃます。

ですから、「国民の皆様の正確な理解を得るよう、今後しっかりと丁寧な説明をおこなっていこう。そうすれば、なんの問題もない」のでごじゃます。もちろん、法案にはなんの問題もなく、ワタクシの考え方が間違っていたものてもありません。法務大臣の国会での説明が不十分で、国民の皆様に誤解を与えただけなのでごじゃますから、今国会では野党の議員や「デモ」に参加している国民の皆様には頭を冷やしていただき、秋の臨時国会にも、同じ法案を再提出させていただこうと、考えているところでごじゃます。

なお、今国会での法案の審議は断念いたしますが、黒川弘務東京高検検事長の定年延長閣議決定の効力には何の影響もないので、ごじゃます。皆様、ご存じのとおり、閣議決定はなんでもできるのです。

これも皆様ご存じのとおり、検事総長の任期は慣例では2年となります。ですから、現在の稲田伸夫検事総長の任期は、今年2020年7月24日までですね。稲田さんが任期を全うしたあとの、後任人事が問題になります。黒川さんが最適任なのは客観的に明らかなことです。なにしろ、黒川さんは、内閣と軋轢を生じないよう、官邸の意向を忖度してまことに理想的な対応をされる方です。まさしく、日本人の長所である「和」の精神を身につけた得がたい人物。後ろ暗い官邸の守護神とまで言われている方。守護神を頼りたくなるのは、当然のことではないでしょうか。黒川さん以外のそのほかの方では、官邸とギグシャクして、ワタクシが枕を高くして眠ることができない、のでごじゃます。

望ましいのは、早期に「黒川法」を成立させること、今国会は断念やむなしてすが、必ず次の国会で。仮にそれが無理でも、黒川氏を検事総長にすることが、ワタクシ・アベシンゾーの望みであり狙い、なのでごじゃます。
(2020年5月19日)

官邸の検察官定年人事介入法案は、「法の支配」にかかわる重大事。

 おじさん、専門家でしょう。「#検察庁法改正案に抗議します」が大きな話題になっているけど、いったいどんな法案で、何が問題なのか教えて。

 現在衆議院で審議中の検察庁法改正法案は、検察官の定年延長の法案なんだけど、検察官の定年を単純に延長するわけじゃない。幹部検察官について、その役職の定年延長に官邸の意向を反映させる仕組みが織りこまれている。つまり、検察官の人事に官邸が介入できるというところが大問題。

 これまでは、検察官の定年に官邸が介入する余地はなかったの?

 戦後すぐにできた検察庁法では、検察官の定年は63歳、検事総長だけが特別で65歳とされてるけど、定年の定めはない。

 だけど、そのあと、国家公務員法に定年延長の定めができたときに、検察官にも定年の延長ができるようになったと、法務大臣が言ったんじゃなかったっけ。

 そうなんだ。ところが、当時の資料を調べて見ると、検察官の職務の特性に照らして「国家公務員法の定年延長の規定は検察官には適用しない」というのが明確な政府の解釈だった。だから法務大臣答弁は明らかに間違い。

 それでも、今年(2020年)の1月31日に、内閣は黒川弘務東京高検検事長の定年延長閣議決定をしてしまったわけね。違法な閣議決定じゃないの?

 これまでまったく前例のないことで、もちろん違法。この点を追及されて、法務大臣は「解釈を変更した」と回答した。勝手な解釈変更も大きな問題だけど、どんな必要があって、いつ、どのような手続で解釈変更したかは答えられない。決裁文書を示せと言われると、「口頭決裁」だと居直る始末。

 いかにもアベ内閣らしいご都合主義ね。いつものとおりの、嘘とごまかしと公文書管理の杜撰さ。その黒川人事を後付けで合法化するための法案だから問題なの?

むろん、そのこともある。黒川さんは、今年の2月8日で63歳となる。だから、既に失職しているはずだ。政府が、どうしてこんな違法で不自然なやり方にこだわったのかが、問い質されなければならない。

 結局は、後暗いところをたくさん抱えるアベ政権にとって、黒川さんは頼りになる人というわけのようなのね。

そのとおりだ。今日(5月17日)の、毎日新聞「松尾貴史のちょっと違和感」に、「検察庁法改正案に抗議の声 また壊される三権分立」という記事があって、その最後がこう締めくくられている。

 小渕優子元経済産業相の政治資金規正法違反問題、松島みどり元法相の選挙でのうちわ配布問題、甘利明元経済再生担当相のUR口利き問題、下村博文元文部科学相の加計学園パーティー券問題、佐川宣寿元国税庁長官らによる森友学園公文書改ざん問題、これらすべてを不起訴にしたのが黒川氏だと言われているが、つまりは政権と一蓮托生、二人三脚、ということなのだろうか。

 なるほど、分かり易いよね。気に入ったオトモダチ検察官は定年延長を認めて、骨のある厳正な検察官は定年延長しないと、えり好み出来ることになるわけね。結局はそれが、検察官人事に官邸が介入ということね。

 法案の問題点は、官邸が検察官の定年人事に介入できる仕組みとなっているところにあると言ってよいと思う。人事介入は結局仕事の中身への介入につながる。

 アベ内閣のやることだから、どうせ汚いことだろうし、不愉快なことだとも思うけど、官邸による検察官の定年人事介入が、そんなに大きな問題なのかしら。

 実は、そこがポイントだ。これは、法の支配の根幹に関わる重大問題なんだけど、アベ首相も、森法務大臣も、「検察官だって一般職の公務員だ。内閣の人事権に服して当然」という姿勢だが、それが間違っている。

 検察官には、準司法官としての立場もある、という検察官職務の特殊性のことね。

 そのとおりだが、このことの意味するところは重いと思う。法の支配とは、権力も法に服さねばならないという大原則だが、憲法を頂点とする法体系が適正に運用されているかのチェックは司法の役割で、この司法の場で働く実務法律家は、裁判官・検察官・弁護士の三者の職能に分かれている。これを法曹三者と呼んでいるが、それぞれが権力から独立していなければならない。

司法の独立という言葉はよく聞くけど、司法権イコール裁判所だと思っていたし、裁判官の独立は大切だとも思うけど、検察官の独立性も大切だということ? そして、検察官一人ひとりの独立も?

 そのとおりだ。司法権を行使するのは独立した一人ひとりの裁判官で、司法の独立とは裁判官の独立の保障のことでなくてはならない。弁護士の身分も、行政権や司法権から守られなければならない。そして、検察官もだ。

 でも、検察庁は法務省に属する組織でしょう。法務省は内閣に従わなければならない。検察官が独立していては、行政の統一性を損なうことにならないのかしら。

 検察官は、刑事事件で被疑者を起訴する権限をもっている唯一の職能。権力が暴走するときの歯止めの役割を担っている。内閣総理大臣と言えども、犯罪に該当する行為があれば、検察官は躊躇なく捜査し起訴できなくてはならない。常に、権力との緊張関係を保たなければならない。権力からの検察官定年人事への介入によって、権力を忖度し、権力におもねる検察官では、法の支配を保つことができない。

 分かったような気がする。キーポイントは、権力に対してどれだけ厳しい姿勢をもっているかという問題のようね。

 そのとおりだ。その点、アベ政権のやること、とても分かりやすい。これだけは、安倍さんの功績かもしれないね。

(2020年5月17日)

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