澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

─ 司法の危機の時代から50年─ そして今は。

本日、第50回司法制度研究集会。総合タイトルが、「今、あらめて、司法と裁判官の独立を考える─ 司法の危機の時代から50年─」というもの。よく準備されて充実したシンポジウムであり、盛会でもあった。

もちろん回顧のための集会ではない。あの「司法の危機」あるいは「司法の嵐」と言われた50年前を振り返り、その体験を承継し教訓を確認して司法の今を見つめる。その中から将来を展望しようという企画。

司法の将来に希望や展望を求めての集いなのだが、改めて司法の現状に深刻な危機感を禁じえない。司法の生命は、独立にある。独立の主体は本来個々の裁判官である。司法部が、立法や行政や与党や政治勢力から独立しているだけでは足りない。個々の裁判官が、司法部の司法行政の圧力から独立していなければならないのだ。

その裁判官の独立が危殆に瀕していることを天下にさらけ出したのが、1969年の平賀書簡問題だった。50年前の「司法の危機」の序曲である。

当時、札幌地裁(民事1部)に「長沼ナイキ基地訴訟」が係属していた。ナイキ・ハーキュリー地対空ミサイルを配備するための自衛隊基地建設が目論まれ、その敷地となる馬追山の森林伐採のために、農林大臣による水源涵養保安林指定解除の行政処分がなされた。近隣住民がこれに反対して処分取消の行政訴訟の提起となった。その提訴が同年7月7日のこと。

ことは、自衛隊の存在が憲法9条に照らして合憲かという大問題。この訴訟と、提訴に伴う執行停止申立(民事訴訟の仮処分に相当)事件を担当したのが福島重雄裁判長だった。福島コートは、同年8月22日に執行停止事件についての申立認容決定を出して大きな話題となった。

ところが、後に明らかとなったところでは、地裁所長の平賀健太がこの事件に執拗に干渉し、8月14日にいわゆる「平賀書簡」を福島裁判官の自宅に送っていた。“一先輩のアドバイス”と題する詳細なメモの内容は、訴訟判断の問題点について原告住民側の申立を却下するよう誘導し示唆したもので、明らかな裁判干渉だった。そのため、札幌地裁の裁判官たちは、裁判所法の手続に則った裁判官会議を開いて、平賀所長を厳重注意処分とした。

ところが、この後事態は思わぬ方向に展開する。事件発覚の直後、鹿児島地裁の所長だった飯守重任(田中耕太郎の実弟)が所信を発表して、一石を投じた。何しろ、この人は筋金入りの反共右翼。「青法協は革命団体で、最高裁は青法協会員に対しては昇給のストップ、判事補は判事に昇格させないようにすべきだ」という確信犯。後には、所内の裁判官の思想調査までして地家裁所長職を解職され判事に格下げされ、結局は裁判官を辞めたという人。

この人が、「問題は、平賀にではなく革命団体青法協に所属している福島にこそある」と口火を切った。これ以後、右翼や自民党の青法協攻撃が続くことになる。これに呼応したのが「ミスター最高裁長官」石田和外(在任1969年1月11日~1973年5月19日)だった。裁判官は政治的団体への加入は慎むべきとの立場から、青年法律家協会に属する裁判官に脱退を勧告し、あまつさえ内容証明郵便による脱退通知を強要した。この青法協攻撃を、当時のメデイアは「ブルーパージ」と呼んだ。

50年前の1969年は、私が司法修習生として研修所に入所した年。その2年後に、同期7人の裁判官採用拒否事件、阪口徳雄君罷免問題などが起き、「司法の嵐」のまっただ中に弁護士として出発することになる。

50年前、「司法の独立を擁護せよ」「裁判官の独立を守れ」という大きな国民運動が巻きおこった。政党としては、社・共だけでなく、当時はまともだった公明党も加わっていた。メディアも連日司法の独立を守れというキャンペーン記事を載せた。多くの市民団体や個人が、司法行政・裁判官人事による裁判内容の後退に関心を寄せた。その運動は、けっして無意味なものではなく、多くの気骨ある法曹を励まし育てたと思う。しかし、半世紀を経た今の裁判所の内部について、元裁判官から報告を受けた内容は、薄ら寒い。

気骨ある裁判官は、徹底して差別され孤立させられて、それに続く者が見えなくなっている。裁判所の中で、司法行政当局に抵抗しうる裁判官集団がなくなり、裁判官が司法行政にものを言わなくなった。先輩裁判官のやり方をそのまま踏襲すべきが当然との空気が支配している。裁判官会議は常置委員会に権限を委譲し、その委員会が所長に権限を委譲し、結局は人事権を握る最高裁事務総局以下の全裁判官を統制する「司法の官僚制」が完成の域に近づいている。

この官僚司法が、予算と最高裁人事を握る政権に従属している。こうして、司法の独立も裁判官の独立も、いまやなきに等しく、それが「劣化した判例」となっている。ことは、結局国民の人権と民主主義の危うきにつながっている。

常々思うのだ。司法の独立とは、幻想にしか過ぎないのではないだろうか。所詮は権力機構の一部として、時の政権に従わざるを得ない運命にあるものではないのか。

韓国の裁判所を見学して最も深く印象を受けたのは、国政の民主化があって初めて、司法の独立や司法の民主化が進んだということである。非民主的な立法府や行衛政府をそのままに、司法部だけが民主化して立法や行政を真に批判する裁判が可能なのだろうか。日本が民主化するまで、司法の民主化も独立も無理なのではないか。

50年前の「司法の危機」とは、実は、何のことはない、それまで比較的まともだった司法が、保守政権による巻き返しによって、立法府や行政府と同じレベルに引き下げられたということなのではなかったか。

メインテーマではなかったが、先進的な台湾、韓国、イタリア、イギリス,ドイツなどの各国の司法独立の現状の報告もあった。日本の司法は、後塵を拝しているというにとどまらず、「ガラパゴス化」しているのだという報告もあった。

立派な日本国憲法にふさわしからぬガラパゴス化した司法。それでも、司法の建前は、立法権・行政権から独立した、憲法の砦であり人権の擁護者である。その建前の部分を守り拡げる努力を重ねるしかない。制度的な提案についても、日々の司法の運営に関しても。

集会の参加者は、あるべき司法の理想と現実との乖離の実態を、多くの国民に訴える努力をする決意をしたはずである。希望はそこから開けてくるだろう。すべてが活字になるわけではないが、集会の模様は、「法と民主主義」12月号に特集される。
(2019年11月23日)

弁護士としての初心を思い起こす旅に ― 23期の仲間たちと

本日(10月24日)から2泊3日、司法修習生時代の同期の仲間と旅をする。どこに出向くか、降るか晴れるかはさしたる問題ではない。久しぶりに、気のおけない仲間と顔を合わせてお互いの健在と変わらぬ立場を確認し、とりとめもなくしゃべる時間があればよい。これが近年恒例の楽しみ。だから、今日から3日間のブログは予定稿のアップということになる。ご承知おきを。

仕事が忙しかった時代には、懐かしい昔の仲間で集まろうとか、一緒に旅をしようなどという贅沢な時間は作れなかった。そんな気分にもなれなかった。いま、みんな年齢相応に第一線からは少し退き、昔を懐かしむだけの余裕ができてきたということだ。

私の司法修習期は23期になる。新憲法下、新法曹養成制度発足以来23年目の採用年度に当たるということだ。戦前の官尊民卑時代には、判検事と弁護士とは、採用選考も研修もまったくの別コースだった。天皇の司法が国民の司法に転換したことを象徴する制度の変化の一つが、統一試験・統一修習の法曹養成制度だった。弁護士・判事・検事の法曹三者を志望する者は、統一の司法試験によって資格を得、最高裁が運営する司法研修所で統一した司法修習を受ける。そのあと、それぞれの志望に従った法曹のコースを選ぶことになる。

当時、修習期間は2年、最初の4か月を東京の司法研修所で授業を受け、全国に散って各地の裁判所・検察庁・法律事務所で1年半の実務修習を受ける。そのあと再び研修所に戻って起案中心の授業の後に、卒業試験(通称「2回試験」)を受けて卒業となる。当時、2回試験は長時間のハードなものながらも、不合格は殆どなかった。

研修所は、紀尾井町にあったオンボロ木造の庁舎。我々がここを最後に使って、次の期からは湯島の新庁舎に移っている。その23期の入所が、1969年4月のこと。同期の修習生は500人だった。あれから、ちょうど50年、半世紀にもなるが、けっして往時茫々ではない。むしろ、茫々にしてなるものか、という思いでの半世紀だった。

当然のことながら、同期の500人がみんな懐かしいわけではない。気の合う仲間は、自ずから限られる。当時、修習生運動として、「司法反動」への反対運動をともにした一味徒党が,今も交流の続く気の合う仲間たちなのだ。

私が、弁護士を志した60年代の半ばには、司法権の独立・裁判官の独立は常識とされていた。それが、23期の修習が始まった頃には、急激に危うくなった。それを「司法反動」あるいは「司法の危機」と呼んだ。23期は、司法反動のただ中にあって、これに果敢に抵抗した。その理念と運動が、同期の紐帯となっている。

司法反動は、明らかに当時の判決内容に対する資本や保守勢力の不満に端を発していた。自民党(その先鋒が、田中角栄幹事長)や、反共・右翼メディアがそのことを露骨に表明していた。そして、裁判所内部からこれに呼応したのが、当時最高裁長官だった石田和外である。今でも、この石田和外という名を目にすると、アドレナリンが噴出する。

裁判所内部の動きが外に見えるようになったのは、1969年9月の「平賀書簡問題」から。23期の実務修習が始まったばかりの頃のこと。この事件をきっかけに、公然たる青法協攻撃が始まる。

当時、札幌地裁に「長沼ナイキ基地訴訟」が係属していた。長沼に新たな自衛隊基地を建設して地対空ミサイル「ナイキ・ハーキュリーズ」を配備しようという計画があり、これを阻止しようと地域の住民が提起した訴訟。基地建設のための保安林の解除という処分の取り消しを求める行政訴訟だった。本格的に自衛隊の合違憲を問う訴訟として、全国に注目されていた。

その事件を担当したのが福島重雄裁判長。この人に、当時札幌地裁所長だった平賀健太が“一先輩のアドバイス”と題する詳細なメモを手交した。その内容は、訴訟判断の問題点について原告の申立を却下するよう誘導し示唆したもので、明らかな裁判干渉だった。そのため、札幌地裁の裁判官たちは、裁判所法の手続に則った裁判官会議を開いて、平賀所長を厳重注意処分とした。

ところが、事態は思わぬ方向に展開した。事件発覚の直後、鹿児島地裁の所長だった飯守重任(田中耕太郎の実弟)が所信を発表して、一石を投じた。何しろ、この人は筋金入りの反共右翼。「青法協は革命団体で、最高裁は昇給のストップ、判事補は判事に昇格させないようにすべきだ」という確信犯。後には、所内の裁判官の思想調査までして地家裁所長職を解職され判事に格下げされ、結局は裁判官を辞めた人。

この人が、「問題は、平賀にではなく革命団体青法協に所属している福島にこそある」と口火を切った。これ以後、右翼や自民党の青法協攻撃が続くことになる。これに呼応したのが「ミスター最高裁長官」石田和外(在任1969年1月11日~1973年5月19日)だった。裁判官は政治的団体への加入は慎むべきとの立場から、青年法律家協会に属する裁判官に脱退を勧告し、あまつさえ内容証明郵便による脱退通知を強要した。この青法協攻撃を、当時のメデイアは「ブルーパージ」と呼んだ。

70年春、22期司法修習修了生の裁判官任官希望者の内、2人が最高裁から任官を拒否された。我々は、所属団体あるいは思想信条による差別と確信し、由々しき事態と認識した。23期にとって明日は我が身のこと。のみならず、このままでは、憲法や人権擁護を口にする裁判官が裁判所にはいなくなるのではないか。ことは、日本の民主主義や人権にかかわる大問題。同期修習生の過半数が青法協の会員であり、当然のことながら裁判官任官希望者も大勢いた。

議論が巻きおこり、「任官拒否を許さぬ会」が結成され、集会が持たれ、そのための同期の署名活動や、弁護士からの支援の署名活動にも取り組んだ。

そして迎えた、71年の春。同期修習生の裁判官志望者7名の任官拒否(うち6名が青法協会員)という惨憺たる結果となった。これに抗議の発言をした阪口徳雄・23期司法修習生の罷免にまで発展した。また、考えもしなった、13期宮本康昭裁判官の再任拒否事件も起こった。

我々23期にとっては、7人の任官拒否と阪口君罷免が、法曹人生出発点における原体験となった。昔の仲間と会うことは、あの頃の自分と出会うこと。あの頃の自分を思い出し、あの頃の志と向かい合うことでもある。

確かに、みな髪は薄くなり、白くはなったが、話を始めればすぐにあの頃に戻る。みんな、昔と少しも変わっていない。その変わりのなさに驚ろかざるを得ない。権力にも資本にも迎合することなく、ひたすら強者に抵抗を試みてきた弁護士たちだ。

昨年の集まりのあと、メーリングリストにこんな発言が重ねられている。
「あの頃、司法行政は我々の運動を弾圧して、7人の裁判官希望を拒否し、さらにその抗議の声をあげた阪口徳雄君の罷免までした。しかし、同時にそれは我々を鍛え、団結させることでもあった。」「23期が初志を貫いてこられたのは、政権と一体になった反動石田和外や最高裁当局のお陰でもある。」「あのときの怒りは、個人としては持続しているが、その怒りを次に伝え切れているだろうか。あの時代と比較して、司法は少しはマシになったと言えるだろうか。」

もう50年に近い昔のことなのに、あの頃のことを思うと、新たな怒りが吹き出してくる。理不尽なものへの憤り。負けてなるものかというエネルギーの源泉。

その男、石田和外。青年法律家協会攻撃記事を掲載した「全貌」(今なら「正論」だろう)を公費で購入して全国の裁判所に配布することまでしている。そして、青年法律家協会裁判官には、「裁判官には、客観的中立公正の姿勢だけでなく、『中立公正らしさ』が求められる」「国民からの中立公正に対する信頼が大切だ」と言った。

ところが、何と彼は、定年退官後に新設された「英霊をまもる会」の会長になった。言わば、靖国派の総帥となったのだ。これが、「ミスター最高裁長官」のいう「中立公正」の実質なのだ。さらに、彼は、自ら「元号法制化実現国民会議」を結成してその議長ともなり、79年3月の防衛大学校卒業式において、軍人勅諭を賛美した祝辞を述べて物議を醸している。筋金入りの反動なのだ。

なお、「元号法制化実現国民会議」の後継団体が「日本を守る国民会議」であり、これが右翼の総元締め「日本会議」となっている。

私は、学生運動の経験はない。修習生運動の中で、反権力の立場の法曹としての生きることを決意した。石田和外が、私の生き方を決定したたとも言える。まぎれもなく石田和外は、若い私を鍛えた反面教師だった。最高裁は、青年法律家協会を弾圧したが、同時に多くの法曹活動家を育てたのだ。

さて、2泊3日。久しぶりの懐かしい面々と、そんな来し方をとりとめなく話し合おう。
(2019年10月24日)

第50回司法制度研究集会「今、あらめて、司法と裁判官の独立を考える」─ 司法の危機の時代から50年─

第50回司法制度研究集会へのお誘い

 司法制度研究集会は、今年第50回を迎えます。
50年前の1969年は、自衛隊の違憲性を問う長沼ナイキ基地訴訟が提起され、担当の福島重雄裁判官に対する裁判干渉の書簡が平賀健太札幌地裁所長から渡される「平賀書簡事件」が起こり、政治権力と最高裁が一体となって、憲法を守ろうとする全国の裁判官を攻撃する「司法の危機」と呼ばれる一連の出来事が始まった年でもありました。

あれから50年。いまの司法はどうなっているでしょうか。「司法の危機」の影響は形を変えながら根強く残ってはいないでしょうか。昨年の司法制度研究集会は、「国策に加担する司法」を告発しましたが、司法・裁判官は独立して職権を行使し、立憲主義・人権の砦の役割、戦争の惨禍を二度と繰り返させない役割を果たしているでしょうか。その役割を果たさせるために、法律家は何をすべきでしょうか。

第50回の節目にあたり、司法の問題を皆で考えていく出発点にすることを願い、これまで日本民主法律家協会が主催してきた集会を、今年は、法律家3団体と全司法労働組合の共催で行うこととし、準備を重ねてきました。
50年前を知る弁護士から若手の弁護士、元裁判官、研究者など、多彩な報告者・発言者から多面的な問題提起をしていただきます。ぜひご参加下さい。共に考えましょう。

日 時■2019年11月23日(祝・土)午後1時~6時
会 場■東京・永田町 全国町村会館ホールA・B
参加費■資料代1000円(修習生・学生500円)

主 催■自由法曹団/青年法律家協会弁学合同部会/全司法労働組合/日本民主法律家協会
連絡先■日本民主法律家協会(TEL:03-5367-5430 FAX:03-5367-5431)

 ■基調報告:その1
   長沼事件から50年・我々はいま、何をなすべきか
                           新井 章 弁護士

 ■特別報告
   司法の危機の時代── 何があったのか
                          鷲野忠雄 弁護士

 ■基調報告:その2
   司法の可能性と限界と──司法に役割を果たさせるために
                         井戸謙一 弁護士

 ■特別発言
  岡口裁判官問題から考える裁判官の独立と市民的自由
                          島田 広 弁護士

  刑事法の視点から最近の最高裁を批判する
                    白取祐司 神奈川大学教授

  問われる最高裁の思考様式──行政法の観点から
                                                  晴山一穂 専修大学名誉教授

報告者と報告内容の紹介

※新井章 弁護士 1954年弁護士登録(8期)。砂川・百里・恵庭・長沼など、憲法9条を巡る重要な訴訟を担当し、長沼訴訟を提起した直後に、担当裁判官の福島重雄さんが地裁所長から裁判干渉されるという平賀事件を経験。当時の社会的・歴史的背景を振り返りながら、戦後日本の軍事政策に対する国民の闘いと憲法訴訟の意義、司法の危機をもたらしたもの、そして今後の法律家がいかに行動すべきかを語っていただきます。

※鷲野忠雄 弁護士 1964年弁護士登録(16期)。「司法の危機」の時代、青法協事務局長としてまさに激動の情勢に対応された上、1971年創立された「司法の独立と民主主義を守る国民連絡会議」の事務局長として司法の独立のための国民運動に大きく貢献されました。「何があったのか」を「今」に繋がる史実として、伝えていただきます。

※井戸謙一 弁護士 1979年裁判官任官、2011年退官、弁護士登録(31期)。裁判官時代、原発差止、住基ネット差止、議員定数不均衡違憲判決等を担当し、弁護士登録後は、原発差止・再稼働禁止、刑事再審事件(湖東事件)等で大きな成果をあげておられます。裁判所の内・外で真摯に事件に取り組んできた立場から、「司法の危機」後の裁判官の意識、いまの裁判所・裁判官の状況、裁判官を動かすものは何か、等々について語っていただきます。

※島田 広 弁護士 1998年弁護士登録(50期)。2018年、東京高裁の岡口基―裁判官がツイッターヘの投稿を理由に東京高裁、最高裁から懲戒処分を受けた件で、「裁判官の表現の自由の尊重を求める弁護士共同アピール」のとりまとめをされました。岡目事件に取り組んだ問題意識、裁判官の独立・市民的自由について、ご発言をいただきます。

※白取祐司 神奈川大学教授 最近、1・2審の判断を覆して大崎事件の再審開始決定を破棄自判したり、死刑囚がハムレットの一節を記した便箋台紙の廃棄処分を適法とするなど、異例・異常とも言える最高裁の判断が続いています。刑事法の研究者として、こうした最高裁の判断・姿勢を批判的に分析していただきます。

※晴山一穂 専修大学名誉教授 行政法・公務員法をご専門とする研究者の立場から、最高裁がいかに権力側の立場を尊重する姿勢に立っているかという問題意識、これとの関係で、安倍内閣による最高裁裁判官の選任についても批判的に論じていただきます。

例年のとおり、質疑・応答・討論の時間も設けられています。ぜひ、ご参加ください。
(2019年10月15日)

宮古島市の市議会議員に申しあげる。うっかりスラップ提訴に賛成すると、その責任が問われますよ。

昨日(9月17日)の午後、沖縄の地方紙記者からの電話取材をうけた。住民訴訟を提起した市民6名を被告として、宮古島市が損害賠償請求訴訟を提起予定という件。これをスラップというべきか意見を聞きたい、という内容。

私が記者に話したのは、基本的には9月2日の下記ブログ記事のとおり。
おやめなさい ― 宮古島市・下地敏彦市長の市民に対するスラップ提訴
http://article9.jp/wordpress/?p=13268

あれやこれや、DHCスラップ訴訟の吉田嘉明との比較で話をしたが、記者が最も興味をもったのは、下記の点だった。

 「客観的に見て、市長がやろうとしていることは、市への批判に対する報復と萎縮を狙った民事訴訟として、典型的なスラップと言わざるを得ない。

 スラップの提訴は、民事訴訟制度本来の趣旨から逸脱した違法行為だ。だから、スラップ提訴の原告は、不法行為損害賠償の責任を負うことになる。当然に反訴あることを覚悟しなければならない。

 その場合、スラップ訴訟の原告となった宮古島市だけでなく、これを推進した下地市長個人も、提訴の提案に賛成の表決をした市議会議員も、共同不法行為者として責任を問われることになる公算が高い。

 憲法51条によって、国会議員はその表決について責任を問われることはないが、地方議員にこの免責特権はない。もちろん、合理的な根拠にもとづく限り、軽々に議員が表決の責任を問われるべきではないが、明らかな市民イジメのスラップでの賛成表決では事情が異なる。

 一連の経過から見て、現在議会に上程されている本件提訴案件は、一見明白なスラップであり、一見明白な違法提訴である。したがって、賛成の表決をした議員も有責となる可能性が限りなく高い。

 スラップの被告とされた住民側の弁護団は、必ず、市と市長だけでなく、賛成討論をした議員、賛成表決をした議員をも被告として、逆襲の訴訟を提起する。そうなると、市議会議員が被告席に座らされて、スラップの痛みを実感する側にまわることになる。

 だから、沖縄県内のメディアが、宮古島市議会議員に「市長の提案に賛成の表決に加わると、被告席に座らされ、個人責任を追及されることになる」という警告の記事を書くことの実践的意味は大きい。うっかり賛成しようとしている議員への親切ともなる。ぜひ、その旨を大きな記事にしていただきたい。

 取材の電話は2度あった。2度目の電話で要点を確認している最中に、記者が突然声をあげた。
「あれ、ちょっと待ってください。今緊急速報が入りました。市長は、議会への提訴案件を取り下げたそうです」

「おや、そうですか。それはよかった」ということとなったが、小一時間の電話での取材が無駄になった模様。

ただ、どうもこの撤回は確定的なものではないようだ。現地紙の報道は、下記のようなものとなっている。

「下地敏彦市長は17日、市議会9月定例会に提出した、市民6人を『名誉毀損』で訴える議案を撤回することを佐久本洋介議長宛てに文書で通知した。撤回の理由を『内容を精査する必要が生じたため』としている。再提案の可能性も含んでおり、野党側は市の動きを注視する考えだ。」(宮古毎日新聞)

「宮古島市議会(佐久本洋介議長)は18日の本議会で、宮古島市(下地敏彦市長)が市議会に提案していた不法投棄ごみ事業を巡る住民訴訟の原告市民6人を提訴する議案について、市側が申し出た議案の撤回を全会一致で承認した。
 下地市長は質疑で、撤回理由につて『(議案の中身を)きちんとする必要があるので、精査する』などと述べた。再提案については明言しなかった。」(琉球新報)

だから、再度申しあげる。市長さん、こんなみっともないスラップはおよしなさい。宮古島市と市民の恥となる。市長個人もスラップの責任を問われて損害賠償請求訴訟の被告となる。それだけではない。スラップの提訴に賛成した市議会議員諸君も、同様に表決の責任を問われて被告となる。誰にとっても、よいことはないのだから。
(2019年9月18日)

第58回日本民主法律家協会定時総会 ― 新たな憲法情勢をめぐって。

昨日(8月4日)、一入暑い夏の盛りに、日本民主法律家協会・第58回定時総会が開催された。自ずと主たる議論は、改憲情勢と、改憲情勢に絡んでの参議院選挙総括に集中した。そして、「相磯まつえ法民賞」受賞対象の各地再審事件弁護団が語るホットな再審審理状況と裁判所のありかた、さらに降って湧いたような「表現の不自由展」の中止問題が話題となった。

冒頭に、渡辺治・元協会理事長から、「参院選の結果と安倍改憲をめぐる新たな情勢・課題」と題した記念講演があった。参院選の結果は安倍改憲を断念させるに至っていない。情勢は引き続いて厳しいという大筋。「法と民主主義」(8・9月合併号)に掲載の予定となっている。

政治状勢も、国際情勢も、憲法情勢も、けっして明るくはない。それでも、総会や法民賞授賞式、懇親会での各参加者の発言が実に多彩で、元気に満ちていた。年に一度、こうして集う意味があることを確認した集会となった。

名古屋から参加した会員が、「表現の不自由展」の中止問題を生々しく語り、誰もが由々しき問題と受けとめた。右翼に成功体験をさせてはならない。現地での取り組みにできるだけの支援をしたい。

伝えられる内容の脅迫電話による展示の中止は、明らかに威力業務妨害である。脅迫電話の音声を公開し、速やかな告訴があってしかるべきで、刑事民事の責任を追及しなければならない。こんなときこそ警察の出番ではないか。この件の経験を今後の教訓とすべく、詳細な報告が欲しい。

採択された、憲法問題と司法問題での2本の「日本民主法律家協会第58回定時総会特別アピール」をご紹介して、総会の報告とする。

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 2019参院選の成果を踏まえ、市民と野党の共闘のさらなる前進で、安倍改憲に終止符を

 2017年5月3日の安倍首相の改憲提言以来、自民党は、改憲勢力が衆参両院で3分の2を占める状況に乗じて、さまざまな改憲策動を繰り返してきました。しかし、市民の運動とそれに支えられた野党の奮闘により、改憲発議はおろか改憲案の憲法審査会への提示すらできずに2年が過ぎ、この参院選で改めて3分の2の維持をはかるしかなくなりました。選挙戦での安倍首相の異様な改憲キャンペーンは、その証左です。
ところが、改憲勢力は発議に必要な3分の2を維持できませんでした。この3分の2を阻止した直接の要因は、市民と野党の共闘が、安倍政権による改憲反対、安保法制廃止をはじめ13の共通政策を掲げて32の一人区全てで共闘し、前回の参院選並みの10選挙区で激戦を制して勝利するなど、奮闘したことです。また、「安倍9条改憲NO! 全国市民アクション」が提起した3000万署名の運動が全国の草の根で取り組まれ、私たち日民協も参画する「改憲問題対策法律家6団体連絡会」は、自民党の改憲案の危険性をいち早く解明し、政党やマスコミへの働きかけ、バンフの発行や集会などを通じて、安倍改憲に反対する国民世論を形成・拡大する上で大きな役割を果たしてきました。
それでも、安倍首相は改憲をあきらめていません。それどころか、選挙直後の記者会見で「(改憲論議については)少なくとも議論すべきだという国民の審判は下った」などと述べて、改憲発議に邁進する意欲を公言しています。「自民党案にこだわらない」とも強調することで、野党の取り込みをはかり3分の2の回復を目指すなど、あらゆる形で改憲の強行をはかろうとしています。しかし、参院選の期間中もその後も、「安倍政権下の改憲に反対」が世論の多数を占めていることに確信を持ちましょう。
いま、安倍9条改憲を急がせる国内外の圧力が増大しています。アメリカは、イランとの核合意から一方的に離脱して挑発を繰り返した結果、中東地域での戦争の危険が高まっています。トランプ政権は、イランとの軍事対決をはかるべく有志連合をよびかけ、日本に対しても参加の圧力を加えています。こうしたアメリカの戦争への武力による加担こそ、安倍政権が安保法制を強行した目的であり、9条改憲のねらいです。辺野古新基地建設への固執、常軌を逸したイージスアショア配備強行の動きも9条破壊の先取りにはかなりません。
私たち日本民主法律家協会は、こうした安倍改憲の企てに終止符を打つべく、今後とも「改憲問題対策法律家6団体連絡会」や「安倍9条改憲NO! 全国市民アクション」の活動に邁進するとともに、市民と野党の共闘のさらなる前進に協力していくことを、ここに宣言します。

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「国策に加担する司法」を批判する

 司法の使命は、憲法の理念を実現し、人権を保障することにあります。司法は、立法からも行政からも、時の有力政治勢力からも毅然と独立して、憲法に忠実にその使命を果たさなくてはなりません。その司法の使命に照らして、長く司法の消極性が批判されてきました。違憲判断があるべきときに、司法が躊躇し臆して、違憲判断を回避してきたとする批判です。その司法消極主義は、戦後続いてきた保守政権の政策を容認する役割を果たし、憲法を社会の隅々に根付かせることを妨げてもきました。
そのため、砂川事件大法廷判決(1959年12月16日)に典型的に見られる司法消極主義を克服することが、憲法理念実現に関心を寄せる法律家の共通の課題と意識されてきました。ところが、近時事態は大きく様変わりしていると言わねばなりません。
2018年10月に開催された、当協会第49回司法制度研究集会のメインタイトルは「国策に加担する司法を問う」というものでした。司法は、その消極主義の姿勢を捨て、むしろ国策に積極的に加担する姿勢に転じているのではないか、という衝撃的な問題意識での報告と討論が行われました。
その先鞭として印象的なものが、沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設に伴う「海面埋め立ての可否をめぐる一連の訴訟です。とりわけ、国が沖縄県を被告として起こした「不作為の違法確認訴訟」。国は、翁長雄志知事(当時)による「前知事の埋立承認取り消し」を違法として、撤回を求める知事宛の指示を出し、知事がこれに従わないとして提訴しました。一審となった福岡高裁那覇支部への提訴が2016年7月22日、判決が9月16日という異例の超スピード判決。その上告審も、国への手厚い慮りで、同年12月20日判決となり国の勝訴が確定しました。「海兵隊航空基地を沖縄本島から移設すれば、海兵隊の機動力、即応力が失われることになる」とする国の政治的主張をそのまま判決理由とした福岡高裁那覇支部の原判決を容認したのです。
また、同じ時期に言い渡された、厚木基地騒音訴訟最高裁判決は、夜間早朝の飛行差し止めを認めた1、2審判決を取り消し、住民側の請求を棄却しました。「自衛隊機の運航には高度の公共性がある」としてのことで、国策の根幹に関わる訴訟での、これまでにない積極的な国策加担と指摘せざるを得ません。
以来、原発訴訟、「日の丸・君が代」強制違憲訴訟などで、最高裁の「親政権・反人権」の立場をあからさまにした姿勢が目立っています。最近では、地裁・高裁での再審開始決定を破棄した上「再審請求棄却」を自判した大崎事件の特別抗告審決定(2019年6月25日)、また、現職自衛官が防衛出動命令に従う義務はないことの確認を国に求めた戦争法(安保法制)違憲訴訟において「訴えは適法」とした2審・東京高裁判決を「検討が不十分」として破棄し、厳しい適法要件を設定して、審理を同高裁に差し戻した最高裁判決(同年7月22日)があります。
このような最高裁の姿勢は、最高裁裁判官人事のあり方と無縁なはずがありません。既に、最高裁裁判官の全員が第2次以後の安倍内閣による任命となっています。人権擁護の姿勢を評価されてきた弁護士出身裁判官が、必ずしも日弁連推薦枠内から選任されていないとも報道されています。最高裁裁判官の人事のあり方が重大な課題となっています。
私たち日本民主法律家協会は、こうした政権に擦り寄った司法を厳重に監視するとともに、国民のための司法制度確立のために、努力を重ねていくことを宣言します。

 (2019年8月5日)

「竹内景助さんは無実だ!」 ― 三鷹事件再審支援を

本日(7月31日)午後2時、注目の三鷹事件再審請求に対する東京高裁の決定。まことに残念ながら棄却の結論となった。あらためて実感させられる。再審の壁は、高く厚い。

担当の後藤眞理子裁判長は、東京高裁に赴任する3日前に大阪高裁において、湖東記念病院人工呼吸器事件の再審開始決定を下した人。弁護団も支援団体も、大いに期待していただけに残念さは一入。地裁・高裁の再審開始決定を覆して、異例の自判によって、再審請求を棄却した最高裁の大崎事件特別抗告審決定(本年6月25日)の影響がないか、気にかかるところ。

今次の三鷹事件再審請求は2度目のもの。第1次請求は1956年2月に、生前の竹内景助さん本人が獄中から申し立てている。この請求は、東京高裁で10年放置されていたという。そして、竹内さんの病死(脳腫瘍)で、決定に至らないまま終了した。

故人となった竹内景助さんのご長男が、第2次再審請求を申し立てたのが2011年11月。死刑事件についての死後再審事件である。
刑訴法第435条が確定した有罪事件について再審請求の要件を定めている。そのうちの第6項が、「明らかな証拠をあらたに発見したとき」とされている。つまり、再審を開始すべき証拠の「新規性」と「明白性」とが求められる。これが、かならずしも容易でないのだ。今回もこの壁に阻まれた。

ところで、1949年夏に、下山・三鷹・松川の「三大謀略事件」が起こされている。いずれの事件も、世人の耳目を驚かし世間を震撼させたにとどまらない。戦後日本が歩み始めた民主化の道を阻害する歴史的事件となった。

この年の1月、日本国憲法施行後最初の第24回総選挙が行われ、共産党は4議席から35議席に大躍進していた。興隆していた労働運動は官公労働者を中心に産別会議に結集して、日本の進路に影響を及ぼしうる力量を備えつつあった。このときに、占領軍と保守勢力は既に前年から逆コースに転じ、労働運動や共産主義運動弾圧に乗り出していた。

この情勢下、日本経済再生のための荒療治としてドッジ・ラインに基づく緊縮財政策が強行される。49年6月1日には定員法が施行され、全公務員で28万、新たに発足した国鉄だけで9万5000人の大量人員整理の着手となった。
緊迫した労使対決の中で、まず下山事件(7月5日)が起き、次いで三鷹事件(7月15日)、そして松川事件(8月17日)と続く。これが、共産党が指導する労働運動の仕業と徹底して宣伝され、それもあって次回25回総選挙(52年10月)では共産党の議席はゼロとなった。

今の感覚からは、国労側10名、東芝労組側10名の共同謀議者20名を起訴した松川事件が、一連の謀略事件の要の大事件のように思えるが、私は学生時代に何度か聞かされた。「当時の空気を知る者にとって、謀略事件としての効果の中心にあったのはまぎれもなく三鷹事件だった」「首都の事件でもあり、下山事件直後の時期でもあって、世間の注目度が大きかった」「国労の活動家である共産党員10名の逮捕と起訴は、労働運動と左翼運動への大きな打撃となった」。

刑事事件としての三鷹事件とは、電車転覆致死罪(刑法126条3項・法定刑は死刑または無期)での被告事件。事件の被害者となった死亡者は6名である。逮捕者は11名で、竹内景助さんを除く10名が、共産党員だった。アリバイのあった一人を除いて10名が起訴され、1950年8月11日の1審東京地裁判決を迎える。

鈴木忠五裁判長の判決は、共産党員による謀議を「空中楼閣」として9人の党員被告を全員無罪としたが、竹内景助さんの単独犯行として、無期懲役を言い渡した。

そして、1951年3月30日控訴審判決で9人の無罪は確定したが、竹内景助さんの有罪は維持され、なんと死刑判決となった。竹内さんの上告は、1955年6月22日大法廷で棄却された。票差は8対7、一票差だった。

謀略3事件を仕掛けた人物や実行犯は多様に推理はされているが、今日まで確証を得られていない。下山事件の起訴はなく、松川は全員無罪が確定し、三鷹事件でも共産党に対する弾圧は確定判決としては潰えた。が、謀略を起こした側から見れば、その効果は十分だったろう。そして、竹内景助さんという冤罪被害者が置き去りにされた。

私は学生時代に、木造2階建ての国民救援会の旧本部で、黙々と再審請求への訴えの事務作業をしていた竹内景助さんの奥さんの姿に接したことがある。今は、その奥さんも故人となっている。それに代わって、支援者が声を上げている。ぜひ下記URLを開いて、「竹内景助さんは無実だ!― 三鷹事件再審を支援する会」の訴えに耳を傾けていただきたい。
http://www.maroon.dti.ne.jp/mitaka-saishin/index.html

(2019年7月31日)

司法の門を狭めた、現役自衛官の戦争法違憲訴訟最高裁判決

7月22日(月)、注目の最高裁判決(第一小法廷)が言い渡された。現役自衛官の戦争法(安保関連法)違憲訴訟である。この判決において争点とされたものは、「戦争法が、違憲か合憲か」ではない。当該の自衛官に、このような訴訟を提起して「戦争法が、違憲か合憲か」を争う資格があるか否か、ということだけなのだ。そして判決の結論は、最悪とは言えないが、非常に厳しいものとなった。

この件の原告となった自衛官は、たった一人で訴訟を提起した。仲間をかたらうことはなく、一審では弁護士を依頼することもなかったという。訴えの内容は、戦争法にもとづく「存立危機事態」において「防衛出動命令」に服従する義務がないことの確認請求である。

ところで、この訴訟を理解するために、「戦争法」のなんたるかを思い出していただきたい。「戦争法」と名付けられた独立の法律が成立したのではなく、集団的自衛権の行使を明文で認める一群の法改正の総体のことなのだ。閣法として、法案を上程した政権の側は、白々しく「平和安全法制」と呼んだ。メディアが「安保関連法」と呼称したのは、ご存じのとおり。

上程された法案の名称を正確に言えば、
(1)「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律」(通称 平和安全法制整備法)と
(2)「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律」(通称 国際平和支援法)
の総称。(1)が10本の法律にまたがる改正を内容とし、(2) が独立した1本の法律である。

自衛隊法にはもともと防衛出動の条文があった。自衛隊の存在自体を違憲とする立場からは、そもそも戦争法成立以前の防衛出動についても、その職務命令の有効性は認めがたい。しかし、原告自衛官の立場はそのことを問題とするものではない。戦争法が成立して自衛隊法が一部改正になり、これまでにはない新たな事態、つまり、一定の条件で集団的自衛権の行使を認める新制度での防衛出動の職務命令には納得できないということなのだ。

関連条文は、自衛隊法76条1項である。その骨格を引用する。

(防衛出動)
第76条1項 内閣総理大臣は、次に掲げる事態に際して、我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。
1号 我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態又は我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至つた事態
2号 我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態

上記の1号が「武力攻撃事態」であり、2号が「存立危機事態」である。お読みいただけばお分かりのとおり、「武力攻撃事態」とは我が国が外部から武力による攻撃を受けている事態であるが、「存立危機事態」は違う。「存立危機事態」では、我が国は攻撃を受けていないのだ。想定されているのはアメリカが第三国から攻撃を受けている場合である。アメリカが、どこかの国から攻撃されたら、その攻撃の理由の如何を問わず、日本が参戦しうることを明記したのだ。

おそらく、提訴した自衛官は、こう考えているのだろう。
「自分は、同胞を護るために自衛官を志した。我が国が武力攻撃を受けたとき、日本を防衛するための防衛出動命令には喜んで従おう」「しかし、日本が攻撃されてもいないときに、同盟国ではあれ他国のために戦うなんてまっぴらだ」「自衛官になるときに、他国のために戦うなんて宣誓はしていない」

その気持ちを支える憲法解釈が「専守防衛論」。日本国憲法9条は、すべての国家が普遍的に有する自衛の権利をもっているから、自衛のための限度を越えない武力を保持して、他国からの武力攻撃を受けたときは、自国を防衛するための武力行使も可能である。しかし、自国の防衛のためではなく、同盟する他国のための武力行使、即ち集団的自衛権の行使は憲法の認めるところではない。

だから、自衛隊法第76条1項2号に定める、「「存立危機事態」における防衛出動」は憲法違反であり、その出動命令にともなう職務命令に従う義務はないはずだから、その旨の確認の判決をいただきたい」ということになる。この裁判は、自衛隊法第76条1項2号に定める、「「存立危機事態」における防衛出動」の憲法適合性を争う訴訟として、大裁判であり注目せざるを得ないのだ。

しかし、問題は合違憲の判断にたどり着く以前にある。そもそも、そのような訴訟が可能なのかという、適法性のハードルをクリアーしなければならない。実は、これが難物。適法でない訴えは、実体審理に入ることなく、却下判決で終了する。

理論的には三権分立のバランスの理解にあるとされる。司法には、立法や行政の違憲審査をする権限が与えられているものの、出しゃばりすぎてはならないともされているのだ。飽くまでも、司法裁判所は、具体的な紛争解決のための審理に必要な限りで、付随的にのみ違憲審査権の行使が可能である。そもそも訴訟は、原告となる国民が自分の権利侵害を回復し、あるいは権利の侵害を予防する具体的な必要がある場合にのみ適法となる。

「違憲国賠訴訟」と呼称されるジャンルがある。一般国民が持つ、宗教的人格権や平和的生存権、あるいは納税者基本権などを定立して、立法や行政行為によって、これが侵害されたとして、国家賠償法を根拠に慰謝料を請求する訴訟の類型である。こうして、訴えの適法性を確保し、政教分離や平和主義などに違反する政府の行為の違憲性を明らかにしようという試みである。これまでのところ、工夫を積み重ね果敢に挑戦はしているが、例外的にしか成果を上げ得ていない。

本件自衛官訴訟は、事情が大きく異なる。彼は、一般国民ではない。現職自衛官として、防衛出動に伴い、現実に国外の戦地に出動するよう職務命令を発せられる可能性を有している。但し、存立危機事態が現実化しているわけではなく、出動命令も可能性の限りのもの。いったい、この訴訟をどのような類型のものと見て、適法であるための要件をどう考えるべきか。本件では、一審と二審が、まったく相反する結論を示した。

その上告審である7月22日最高裁判決は、「訴えは適法」とした二審・東京高裁判決を「検討が不十分」として破棄し、審理を同高裁に差し戻した。その理由は、すこし読みにくいが次のようなものである。

 本件訴えは,本件職務命令への不服従を理由とする懲戒処分の予防を目的として,本件職務命令に基づく公的義務の不存在確認を求める無名抗告訴訟であると解されるところ、このような将来の不利益処分の予防を目的として当該処分の前提となる公的義務の不存在確認を求める無名抗告訴訟は,当該処分に係る差止めの訴えと目的が同じであり,請求が認容されたときには行政庁が当該処分をすることが許されなくなるという点でも,差止めの訴えと異ならない。そうすると,同法の下において,上記無名抗告訴訟につき,差止めの訴えよりも緩やかな訴訟要件により,これが許容されているものとは解されない。

 つまり、本件訴の形式は「公的義務の不存在確認を求める無名抗告訴訟(行政事件訴訟法が定めている法定抗告訴訟以外の抗告訴訟)」だが、その実質は、行政訴訟法に法定されている「行政処分差止めの訴え」と変わらない。だから、「適法要件として、差止めの訴えより緩やかとしてよいことにはならない」という。

そして,差止めの訴えの訴訟要件については,救済の必要性を基礎付ける前提として,一定の処分がされようとしていること(同法3条7項),すなわち,行政庁によって一定の処分がされる蓋然性があることとの要件(以下「蓋然性の要件」という。)を満たすことが必要とされている。

 だから、公的義務の不存在確認を求める無名抗告訴訟を排斥はしないが、その適法要件としては、蓋然性の要件が必要で、これを満たさない場合には不適法却下となる。高裁の判断は、この点をきちんと審理してのものとなっていないので、差し戻しとされた。

 要求される、「蓋然性の要件」は、「行政庁によって一定の処分(防衛出動にともなう職務命令)がされる蓋然性」なのだから、実はなかなか厳しいハードルということにならざるをえない。

 内閣は違憲の立法を上程し、国会は数の暴力でこれを押し通す。一方、これを違憲と争うことができるはずの司法の門は狭まるばかり。いったい、これでよいものだろうか。
(2019年7月26日)

裁判官にも、私生活の場では表現の自由がある。

産経の記事を引用しなければならない。昨日(3月13日)の、「判事が『反天皇制』活動 集会参加、裁判所法抵触も」との見出しの報道。ある裁判官の行為が「積極的政治活動に当たる可能性がある」とする内容である。

 名古屋家裁の男性判事(55)が昨年、「反天皇制」をうたう団体の集会に複数回参加し、譲位や皇室行事に批判的な言動を繰り返していたことが12日、関係者への取材で分かった。少なくとも10年前から反戦団体でも活動。一部メンバーには裁判官の身分を明かしていたとみられ、裁判所法が禁じる「裁判官の積極的政治運動」に抵触する可能性がある。昨年10月にはツイッターに不適切な投稿をしたとして東京高裁判事が懲戒処分を受けたばかり。裁判官の表現の自由をめぐって議論を呼びそうだ。

 関係者によると、判事は昨年7月、東京都内で行われた「反天皇制運動連絡会」(反天連、東京)などの「なぜ元号はいらないのか?」と題した集会に参加。今年6月に愛知県尾張旭市で開催され、新天皇、皇后両陛下が臨席される予定の全国植樹祭について「代替わり後、地方での初めての大きな天皇イベントになる」とし、「批判的に考察していきたい」と語った。

 昨年9月には反戦団体「不戦へのネットワーク」(不戦ネット、名古屋市)の会合で「12月23日の天皇誕生日に討論集会を開催し、植樹祭を批判的に論じ、反対していきたい」と発言。さらに「リオ五輪の際、現地の活動家は道を封鎖したり、ビルの上から油をまいたりしたようだ。日本でそのようなことは現実的ではないが、東京五輪に対する反対運動を考えていきたい」とも語っていた。

 判事は昨年2月と5月、不戦ネットの会報に「夏祭起太郎」のペンネームで寄稿し、「天皇制要りません、迷惑です、いい加減にしてくださいという意思表示の一つ一つが天皇制を掘り崩し、葬り去ることにつながる」「世襲の君主がいろいろな動きをする制度は、やっぱり理不尽、不合理、弱い立場のものを圧迫する」と記していた。

判事は集会などで実名でスピーチしていたほか、団体の一部メンバーには「裁判所に勤務している」と話していたという。

 判事は平成5年に任官。名古屋家裁によると、現在は家事調停や審判事件を担当している。判事は産経新聞の複数回にわたる取材に対し、何も答えなかった。

いささか眩暈を禁じえない。いったい、いまは21世紀だろうか。日本国憲法が施行されている時代なのだろうか。時代が狂ってしまったのか。それとも、私の時代感覚の方がおかしいのか。

1945年までは、治安維持法があった。「國体ヲ變革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入」することが犯罪とされた。「國体」とは天皇制のことである。当該の結社に加入していない者についても、その結社の目的遂行に寄与する行為が際限なく犯罪とされた。これと並んで、不敬罪もあった。天皇や皇室の神聖性を侵すことは許されなかった。国体や天皇への批判の言論を取締り監視するために特高警察が置かれた。いま、その特高警察の役割を、産経が買って出ている。

産経が引用するこの判事の言論は、「天皇制要りません、迷惑です、いい加減にしてくださいという意思表示の一つ一つが天皇制を掘り崩し、葬り去ることにつながる」「世襲の君主がいろいろな動きをする制度は、やっぱり理不尽、不合理、弱い立場のものを圧迫する」というもの。日本国憲法を判断の基準として、至極真っ当な言論ではないか。

日本国憲法は個人主義・自由主義を基本とする近代憲法の体系を備えている。この憲法体系からはみ出たところに、天皇という体系とは馴染まない存在がある。

近代憲法としての日本国憲法体系の純化を徹底してゆけば、天皇制否定に行き着くことは理の当然である。ただ、現在のところは、憲法に「権限も権能もない天皇」の存在が明記されている。だから、天皇の存在自体を違憲とも違法とも言うことはできないが、「世襲の君主がいろいろな動きをする制度は、やっぱり理不尽、不合理、弱い立場のものを圧迫する」というのは、法を学んだ者のごく常識的な見解といってよい。健全な憲法感覚といっても、主権者意識と言ってもよい。

その上で、「天皇制要りません、迷惑です、いい加減にしてくださいという意思表示の一つ一つが天皇制を掘り崩し、葬り去ることにつながる」とは、憲法改正論議の方向として、まことに正しい。一つひとつの言論行為によって、主権者国民の天皇制廃絶の世論を形成し、その世論の内容での憲法改正をなし遂げようというのがこの判事の見解。傾聴に値する意見であり、非難するには当たらない。

問題は、同判事の表現行為が裁判官としての制約に服する結果として違法にならないか、という一点にある。もちろん、産経報道を前提としてのこと。当事者の言い分を確認せずに、事実関係についての速断は慎まなければならない。

すべての国民に基本的人権が保障されている。もちろん、公務員にも公務を離れれば私生活があり、私生活においては表現の自由が保障されなければならない。この点についての古典的判例は猿払事件大法廷判決だが、いま堀越事件判決がこの判例を修正し揺さぶっている。

一般職公務員ではなく、裁判官についてはどうだろうか。憲法には、「良心」という言葉が2個所に出て来る。「思想・良心の自由」(19条)と、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」(76条3項)という、「裁判官の良心」である。

原理主義的クリスチャンである教員も、教室では聖書のとおりに天地創造説を史実として教えることは許されない。信仰とは別次元の「教員としての客観的良心」に基づいて、確認された自然科学的真理とされている進化論を教えなければならない。職業人としての、「主観としての信仰」と「教育者としての客観的良心」の分離は、原理主義的宗教者も教員としての適格性を損なわないという根拠でもある。

憲法76条の「裁判官の良心」も客観的な良心である。主観的な信念とは別に、憲法を頂点とする法体系に従った「客観的な良心」の保持が、裁判官としての任務を全うすることになる。

裁判所法第52条は、「裁判官は、在任中、左の行為をすることができない。」として、その一号の後文に「積極的に政治運動をすること」を挙げる。「一般的に政治運動をすること」が禁じられているのではなく、「積極的に政治運動をすること」が禁じられている。

最高裁判所事務総局総務局編『裁判所法逐条解説 中巻』(法曹会、1969年)には、裁判所法52条のこの点について、「国民の一員として当然果たすべき義務としての政治的行動(たとえば、各種の選挙において選挙権を行使したり、公務員の解職請求の署名をしたりする行為)は、もとより積極的に政治運動をすることにあたらないし、単に特定の政党に加入して政党員になつたり、一般国民としての立場において政府や政党の政策を批判することも、これに含まれないと解すべきである。」と解説されている。裁判官が政党に入党することも良し、政府や政党の政策を批判しても良し、というのだ。

むしろ、市民的な表現の自由を奪われ萎縮を余儀なくされた裁判官に、表現の自由の現実化を求める訴訟での適切な判断を望むことができるだろうか。一般の市民と同様に、市民としての権利や自由を行使できる裁判官にこそ、基本的人権擁護の判断が可能ではないか。

私には、産経の報じる裁判官が、裁判所法52条に違反した行為をしているとは考えがたい。この判事の考えや言論は、憲法のコアな部分に忠実ではないか。この人が、自分の思想と裁判官としての良心の葛藤に苦しむことはなさそうである。

裁判官とて、当然にその思想は多様である。その多様性は貴重でもある。法廷においては、憲法と法と「客観的な良心」に従えば良い。むしろ、最高裁がその人事権をもって全裁判官を統制する弊害をこそ避けなければならない。
(2019年3月14日)

東京「君が代」裁判・最高裁要請行動

弁護士の澤藤と申します。1審原告らの代理人の一人です。「10・23通達」発出以来の15年、この問題に携わってまいりました。本件の当事者や支援者と一緒に、要請を申し上げます。

東京「君が代」裁判4次訴訟は、今、3件に分かれて最高裁に係属しています。原告教員側からの上告事件・上告受理申立事件、そして一審被告都教委の側からの上告受理申立事件です。

懲戒処分を受けた教員が上告理由としているのは、国旗・国歌(日の丸・君が代)強制の憲法違反です。何ゆえ憲法違反か。上告理由書は260ページに及ぶ詳細なものですが、煎じ詰めれば、思想・良心・信仰の自由という憲法に明記されている基本的人権というもの価値が、他の価値に優越していると言うことです。

教員の一人ひとりに、それぞれの思想・良心・信仰の自由が保障されています。各々の思想や良心やあるいは信仰が、国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明を許さないのです。公権力が、敢えてその強制を行うことで、一人ひとりの精神的自由の基底にある、個人の尊厳を傷つけているのです。傷ついた個人の尊厳という憲法価値を救うために、裁判所は国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明強制は違憲だと宣言し、懲戒処分を取り消さなければなりません。

原告教員の側は、個人の尊厳という憲法価値を前面に立て、これを侵害する懲戒処分を取り消せと主張を重ねてきました。一方、都教委側が主張する憲法的価値はと言えば、それは国家です。国旗・国歌(日の丸・君が代)は国家象徴ですから、すべての人に「国旗国歌に敬意を表明せよ」と命じるのは、国家に、個人の尊厳を凌駕する憲法価値を認めなければできないこと。個人の尊厳と、国家と。この両者を比較検討してどちらを優越する価値とすべきでしょうか。

多くを語る必要はありません。個人の尊厳こそが根源的価値です。国家は便宜国民が作ったものに過ぎません。個人の尊厳が傷つけられる場合、公権力が個人に国家への敬意を強制することはできないはずです。

いま、最高裁判例は、「国旗・国歌への敬意表明の強制は、間接的に強制された人の思想・良心の自由を制約する」ことまでは認めています。しかし、その制約は「間接的」でしかないことから、緩やかな必要性・合理性さえあれば、制約を認めうる、と言うのです。私たちは到底納得できません。判例か変更されるまで、私たちは何度でも違憲判断を求める訴訟を繰り返します。

一審原告の上告受理申立理由の中心は、本件不起立行為を対象とする戒告処分も処分権者の裁量権を逸脱濫用した違法のものであって取り消されねばならない、という点です。仮に、本件各懲戒処分が違憲で無効とまでは言えなくても、わずか40秒間静かに坐っていただけのこと懲戒処分とするほどのことではない。実際、式の進行になんの支障も生じてはいないのです。懲戒処分はやり過ぎで、懲戒権の逸脱濫用に当たる、と言うものです。

現に、2011年3月10日東京高裁判決は、処分は違憲との主張こそ退けましたが、懲戒権の逸脱濫用として全戒告処分を取り消しています。是非、この判決を重く受けとめていただきたいのです。

この高裁判決を受けての最高裁判決が2012年1月16日第一小法廷判決です。戒告処分違法の判断を逆転させて、「戒告は裁量権の逸脱濫用には当たらない」としたのです。しかし、さすがの最高裁も、戒告を超えた減給以上の懲戒処分は苛酷に過ぎて裁量権の逸脱濫用に当たり違法、としたのです。

つまり、不起立に対する処分は違憲とは言えない。しかし、懲戒処分が許されるのは戒告処分止まりで、それ以上の重い減給や停職などの懲戒処分は裁量権の逸脱濫用として違法。これが現時点での判例の立場です。

私たちは、多様性尊重のこの時代に、全校生徒と全教職員に対して、国旗・国歌(日の丸・君が代)に敬意表明を強制することはあってはならないことだと考えます。思想や良心、あるいは信仰を曲げても、国旗・国歌(日の丸・君が代)に敬意を表明せよという強制は違憲。少なくとも、起立できなかった教員に対する懲戒処分はすべて処分権の逸脱濫用として取消しとなるべきことを主張しています。最高裁には、是非とも再考願いたいのです。

そして、都教委が教員の一人を相手にして上告受理申立をした事件。その理由が、相手方となった教員が過去3回の不起立・戒告処分があるから、4回目は減給でよいだろう。そして5回目も減給、というのです。

しかし、この教員の思想も良心も一つです。何度起立を命じられようとも、思想・良心が変わらぬ限り、結果は同じこと。処分回数で思想や良心に対する制裁強化が許されるはずはないのです。これを思想を変えるまで処分を重くする、などという企みは転向を強要するものとして、明らかな違法と言わざるを得ません。

実は憲法論と同じように法的価値の衡量が行われています。衡量されている一方の価値は、思想・良心・信仰の自由。その基底に、個人の尊厳があります。衡量されているもう一方の価値は、「学校の規律や秩序の保持等の必要性」であり、違憲論の局面で論じられた価値衡量の問題が、本質を同じくしながら公権力の行使の限界を画する懲戒処分の裁量権逸脱濫用の有無という局面で論じられているのです。

結論は自ずから、明らかです。都教委の上告受理申立はすみやかに不受理とすべきです。いま、都教委の識見が問われています。しかし、問われているのは都教委だけではありません。実は、最高裁もその識見を、ありかたを問われています。憲法が想定する、憲法の番人、人権の砦の役割を果たされるよう、切に要望いたします。
(2019年2月8日)

中国の人権状況を憂うる

「中国 人権派弁護士に4年6カ月の実刑判決」のニュースには、暗澹とせざるを得ない。中国よ、革命の理想はどこに追いやったのか。人権も民主主義も法の支配も捨て去ったというのか。野蛮の烙印を甘受しようというのか。

弱者の権利を擁護するために法があり、適正な法の執行のために司法制度がある。脆弱な国民の人権を擁護するために、司法の場で法を活用するのが本来の弁護士の役割である。「人権派」弁護士こそが、本物の弁護士である。

権力に屈せず、カネで転ばぬ「人権派」弁護士は、権力にとっても、体制内で甘い汁を吸っている経済的強者にとっても目障りな存在である。しかし、文明社会の約束事として、法の支配も人権派を含めた弁護士の存在も受け入れざるを得ない。

この文明社会の約束事を放擲して弁護士を弾圧すれば、野蛮の烙印を甘受しなければならない。野蛮極まる天皇制政府は、それをした。治安維持法違反で起訴された共産党員を弁護した良心的弁護士を、治安維持法違反(目的遂行寄与罪)で集団として逮捕し起訴して有罪とした。有罪となった弁護士は資格を剥奪されたが、残念なことに、時の弁護士会はこれに抗議をしなかった。

今、中国でリアルタイムに同じことが起こっている。人権保障のための最低限に必要な、法廷の公開や弁護権の保障もなされていない。

BBCの下記の記事が、怒りをもって事態をよく伝えている。

中国、人権派弁護士に4年6カ月の実刑判決  国家政権転覆罪で
https://www.bbc.com/japanese/47025148

中国・天津の裁判所は28日、人権派弁護士の王全璋氏(42)に国家政権転覆罪で4年6カ月の実刑判決を言い渡した。王氏は政治活動家や土地接収の被害者、政府が禁止している気功集団「法輪功」の信者を弁護していた。
2015年に中国政府が何百人もの弁護士や活動家を弾圧した際に逮捕されたが、昨年12月まで裁判が行われていなかった。
中国はここ数年、人権派弁護士の取り締まりを加速させている。
裁判所は王氏を国家政権転覆罪で有罪とし、「4年6カ月の禁錮刑のほか、5年間の政治的権利のはく奪」を言い渡した。
裁判は非公開で行われ、ジャーナリストや外国の外交官なども裁判所への立ち入りを禁止された。

「国連の恣意的勾留に関する作業部会では、王氏の勾留を恣意的なものと認定した。つまり国際法上では、王氏はまず起訴されるべきではなく、よってどんな判決も受けてはならないことになる」
また、人権団体アムネスティ・インターナショナルはこの裁判を「いかさま」と呼び、判決は「非常に不公正なものだ」と批判した。
アムネスティの中国研究員ドリアン・ラウ氏は「王全璋氏中国で、人権のために平和的に立ち上がったことで罰せられるのは許しがたい」と述べている。
2015年7月9日に起きたことから「709事件」と呼ばれている中国政府による弁護士弾圧は、習近平国家主席の政権下で反体制に対する不寛容が広がってきた兆候だと活動家たちは見ている。709事件では200人以上が拘束され、多くが懲役刑や執行猶予、禁錮刑などを科せられている。」

その記事の最後を締め括る、次の指摘には、背筋が寒くなる。

北京で取材するBBCのジョン・サドワース記者は、弁護士が今回有罪になったのは、共産党が支配する司法制度に中国の法律そのものを使って対抗しようとしたからだと指摘する。
「共産党は近年、態度を明示してきた。立憲主義や司法の独立といった概念は、危険な西洋式理想なのだという立場だ」、今回の判決も「ぞっとするようなその主張を補強するためのものだ」と解説している。

この解説は恐い。世界の経済大国であり軍事大国でもある中国が、文明とは隔絶した恐怖国家となるかも知れないというのだ。既に中国では、人権や、人権擁護のための立憲主義や権力分立、司法の独立などを無視した、むき出しの権力が暴走している。中国国内での批判が困難であれば、国際世論が批判しなければならない。我々も、できるだけのことをしなければならない。
(2019年1月31日)

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