澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

DHCスラップ訴訟・「反撃」訴訟 勝訴確定の記者レク ー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第181弾

(2021年1月21日)
本日午前11時、東京地裁司法記者クラブで、DHCスラップ訴訟確定の記者レクを行った。登壇者は下記の3名
当事者(DHCスラップ訴訟被告・『反撃訴訟』原告)である私
訴訟経過と判決を解説した弁護団長 光前幸一弁護士
解説と司会を担当した、弁護士澤藤大河

★ まず伝えたことは、DHCスラップ訴訟・DHCスラップ「反撃」訴訟が、私の勝訴、DHC側の完敗で確定したこと。
1月14日 最高裁(一小)が下記の決定をして、翌日通知が届いた。
   DHC・吉田嘉明の上告を棄却
   DHC・吉田嘉明の上告受理申立を不受理
この決定によって、東京高裁第5民事部(秋吉仁美裁判長)の2020年3月18日 判決(DHC・吉田嘉明のスラップ訴訟提起を違法として、165万円の損害賠償認容の判決)が確定した。

★ これは、表現の自由妨害を企図するスラップ常習企業に痛打であり、表現の自由顕現を目指すわれわれに欣快の至りである。

★ DHCとは、スラップ常習企業であるだけでなく、政治家への裏金提供、オーナー吉田嘉明の在日差別発言、文春On-lineで明らかとなった消費者への欺罔など、問題だらけの企業である。

★ スラップ訴訟とは、自らの権利の救済や実現のためではなく、被告を威嚇・恫喝して、その言論や行動を萎縮せしめる目的の民事提訴を言う。

★ DHC・吉田嘉明は、対澤藤事件と同じ時期に、計10件のスラップを提訴している。これに反撃して最後まで闘い抜いたのは、残念ながら、澤藤一人であった。

★ 確定した判決ではスラップ違法の要件は、次のように定式化された。
下記の「Aを前提に、B1かB2」であれば、提訴は違法となる。
A 「その提訴は客観的に勝てない」
B1「提訴者が、勝てないことを知っている」
B2「常識的に勝てないことが分かるはず」
つまり、スラップ違法の方程式がこれ。
 A+(B1 or B2)=違法スラップ

★ その上で、一審判決も二審判決も「DHC・吉田嘉明のスラップの提訴は客観的に勝てるはずのものではなく、しかも、提訴者が、勝てないことを知っていたか、勝てないことが容易に分かるはずの提訴」だったことを認定した。次のとおりである。

「この(スラップ)訴訟における被告ら(DHC・吉田嘉明)の請求は事実的・法律的根拠を欠くものという他はない」(A要件

「(DHC・吉田嘉明らは)請求が認容される見込みがないことを通常人であれば容易にそのことを知り得たと言えるのにあえて訴えを提起したものとして、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものということができ、原告(澤藤)に対する違法行為と認められる」(B2要件

★ スラップ訴訟の損害論
一審判決は、慰謝料100万円+反撃訴訟の弁護士費用10万円=110万円
控訴審審判決は、スラップ応訴費用50万を損害として認め下記にあらためた。
慰謝料100万+スラップ応訴費用50万+反撃訴訟弁護士費用15万=165万円

★ この事件の教訓は、「スラップの恫喝を恐れての言論の萎縮などあってはならない。」「スラップには反撃訴訟で徹底して闘うべし」ということである。

★ 最後に私が強調したのは、DHCを典型とする問題企業には、社会からの制裁が必要であること。反撃訴訟での勝訴だけでは足りない。訴訟を切っ掛けに、明るみに出た、このDHCという違法体質の批判には、DHC製品不買運動が必要だと言うこと。あらゆる人々の日々の消費生活における商品選択の積み重ねで、世の中を少しずつ変えることができる。「DHCの製品、私は買いません」という、一人ひとりの消費者の自覚的な意識と行動が、デマやヘイトやスラップや政治家への裏金提供や、ステルスマーケティングなどの不当・違法行為をなくしていくことにつながる。これが、消費者運動のあるべき姿であり、正しい意味における「消費者主権」の意味である。

********************************************************************

   DHCスラップ訴訟・DHC『反撃訴訟』経過の概略

☆スラップ提訴以前
2013年4月1日 ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」新装開店
(以来毎日連続更新・昨日で2851回)
2014年3月27日 吉田嘉明手記掲載の週刊新潮(4月3日号)発売
「さらば器量なき政治家」 渡辺喜美に8億円の裏金提供を自ら暴露
2014年3月31日 澤藤・違法とされたブログ(1)掲載
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
2014年4月2日  違法とされたブログ(2)掲載
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
2014年4月8日  違法とされたブログ(3)
政治資金の動きはガラス張りでなければならない
***********************************************************
☆DHCスラップ訴訟の経過
(原告 DHC・吉田嘉明、被告 澤藤統一郎
東京地裁民事24部 H26年(ワ)第9408号)
2014年4月16日 提訴(当時 石栗正子裁判長)
5月16日 訴状送達(2000万円の損害賠償請求+謝罪・削除請求)
7月13日 ブログに、「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズ開始
第1弾「いけません 口封じ目的の濫訴」
14日 第2弾「万国のブロガー団結せよ」
15日 第3弾「言っちゃった カネで政治を買ってると」
16日 第4弾「弁護士が被告になって」 以下続く
8月20日 705号法廷 実質第1回弁論期日。
8月29日 原告 請求の拡張(6000万円の請求に増額)
新たに下記2ブログ記事が名誉毀損とされる。
7月13日の「第1弾」ー違法とされたブログ(4)
「いけません 口封じ目的の濫訴」
8月8日「第15弾」ー違法とされたブログ(5)
「政治とカネ」その監視と批判は主権者の任務
2015年7月1日 第8回(実質第7回)弁論 結審(阪本勝裁判長)
2015年9月2日 請求棄却判決言い渡し 被告(澤藤)全面勝訴
2015年12月24日 控訴審第1回口頭弁論 同日結審
2016年1月28日 控訴審控訴棄却判決言い渡し 被控訴人全面勝訴
2016年2月12日 最高裁DHC・吉田嘉明の上告受理申立不受理決定
**********************************************************
☆DHCスラップ「反撃」訴訟の経過
(本訴 原告 DHC・吉田嘉明、被告 澤藤 ⇒本訴はすぐ取り下げ)
(反訴 原告 澤藤、反訴被告 DHC・吉田嘉明)
2017年9月4日 DHC・吉田嘉明が澤藤を被告として
債務不存在確認請求訴訟を提起   H29年(ワ)第30018号
東京地方裁判所民事1部に係属⇒裁判長 後藤健(41期)
2017年11月10日 澤藤から反訴提起 H29年(ワ)第38149号
損害賠償請求660万円
2018年10月26日 裁判長交代・前澤達朗(48期)
2019年1月11日 人証採用決定(3名)
澤藤と吉田両本人と 証人内海拓郎(DHC総務部長)
2019年4月19日 吉田呼出に応ぜず不出頭 澤藤と内海拓郎尋問
2019年7月4日  結審
2019年10月4日 判決言い渡し勝訴110万円の請求認容
損害認容はスラップの慰謝料100万円と反撃訴訟弁護士費用10万円
2020年3月18日 東京高裁第5民事部(秋吉仁美裁判長)控訴審判決
50万円の応訴費用を認めて、165万円の認容判決とした。
2021年 1月14日 最高裁(第1小法廷)上告棄却・上告受理申立不受理

**************************************************************************

私は何を書いて、DHC・吉田嘉明からスラップの標的とされたか。

DHC・吉田嘉明スラップ事件資料 6000万円請求の根拠とされた5本のブログ

2019年10月4日、スラップ「反撃」訴訟の一審勝訴判決以来、会う人ごとに「おめでとう」「よかったね」と言われ続けている。とても気分は良い。そして、「この裁判を知ってからDHCは買ってないよ」「ウチは、DHCは以前から買ってない」と,多くの人から聞かされる。面倒を厭わず闘い続けた甲斐があったと思う。本当によかった。弁護団や支援の皆様には感謝の言葉しかない。

しかし、なかには、「いったい、DHCと吉田嘉明にどんな悪口を言って、裁判までされたの?」という質問をする方もいる。かすかに、「裁判までされたのは、よほどの悪口雑言を言ったからでしょう」というニュアンスが感じられる。

そこで、私が、名誉毀損として訴えられたブログのすべてを掲載しておきたい。そのブログは全部で5本。名誉毀損とされた表現の個所は合計16個所ある。これを並べてお読みいただきたい。私のブログは吉田嘉明を厳しく批判するものだ。吉田の耳に痛いことは当然として、この私の言論が許されざる違法なものであるかどうか、読者ご自身の憲法感覚でご判断いただきたい。

2014年3月27日、吉田嘉明の独占手記「さらば器量なき政治家・渡辺喜美」掲載の週刊新潮(4月3日号)が発売になった。私は、これを批判するブログを3本書いて、DHC・吉田嘉明から、2000万円の損害賠償請求の訴えの提起を受けた。損害賠償請求と併せて、ブログ記事の削除と謝罪文掲載の請求もあった。私のブログ記事掲載は、同年3月31日、4月2日、4月8日のこと。これを違法とするDHC・吉田嘉明の訴え提起は、4月16日のことだった。

その3本の「2000万円相当ブログ」は下記のとおり。

http://article9.jp/wordpress/?p=2371 (2014年3月31日)
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判

http://article9.jp/wordpress/?p=2386 (2014年4月2日)
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻

http://article9.jp/wordpress/?p=2426 (2014年4月8日)
政治資金の動きはガラス張りでなければならない

この提訴の訴状に不備があったのか、訴状の私への送達は遅れて、5月16日となった。友人と相談して、弁護団態勢を組む目途が付いた頃から、私は不退転の決意で反撃に出た。当ブログに、「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズの掲載を開始したのだ。その第1回が、同年7月13日のこと。
2014年7月
13日 第1弾「いけません 口封じ目的の濫訴」
14日 第2弾「万国のブロガー団結せよ」
15日 第3弾「言っちゃった カネで政治を買ってると」
16日 第4弾「弁護士が被告になって」
18日 第5弾「この頑迷な批判拒否体質(1)」
19日 第6弾「この頑迷な批判拒否体質(2)」
20日 第7弾「この頑迷な批判拒否体質(3)」
22日 第8弾「グララアガア、グララアガア」
23日 第9弾「私こそは『幸せな被告』」
25日 第10弾「『表現の自由』が危ない」
27日 第11弾「経済的強者に対する濫訴防止策が必要だ」
31日 第12弾「言論弾圧と運動弾圧のスラップ2類型」
同年8月
3日 第13弾「スラップ訴訟は両刃の剣」
4日 第14弾「スラップ訴訟被害者よ、団結しよう。」
8日 第15弾「『政治とカネ』その監視と批判は主権者の任務だ」
10日 第16弾「8月20日(水)法廷と報告集会のご案内」
13日 第17弾「DHCスラップ訴訟資料の公開予告」
20日 第18弾「満席の法廷でDHCスラップの口頭弁論」
21日 第19弾「既に現実化しているスラップの萎縮効果」
22日 番外「ことの本質は『批判の自由』を守り抜くことにある」
31日 第20弾「これが、損害賠償額4000万円相当の根拠とされたブログの記事」
同年9月
14日 第22弾「DHCが提起したスラップ訴訟の数々」
15日 第23弾「DHC会長の8億円拠出は『浄財』ではない」
16日 第24弾「第2回口頭弁論までの経過報告」
17日 第25弾「第2回口頭弁論後の報告集会で」
(以下略、現在162弾まで)

以上のとおり、私は猛烈に書き続けた。怒りこそが、エネルギーの源泉である。私のブログを検索していただければ、すべてを読むことができる。「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズの最初の方ものは、読み物としてもできのよい面白いものではないか。

しかし、吉田嘉明にしてみれば、黙れと恫喝したのに反撃されたことが面白くないものと映ったようだ。8月29日付の書面で、2000万円の損害賠償請求金額は6000万円に跳ね上がった。その根拠とされたものが、第1弾と、第15弾の2本のブログ、第1弾の5個所と、第2弾の1個所が名誉毀損の表現部分だという。

http://article9.jp/wordpress/?p=3036(2014年7月13日)
いけません 口封じ目的の濫訴ー『DHCスラップ訴訟』を許さない・第1弾

http://article9.jp/wordpress/?p=3267 (2014年8月8日)
「政治とカネ」その監視と批判は主権者の任務だ-「DHCスラップ訴訟」を許さない・第15弾

以上の経過で、損害賠償請求の根拠とされた私のブログは、合計2000万円相当の3本と、合計4000万円相当の2本となった。これを以下のとおり、再掲しておきたい。なお、赤字部分が名誉毀損表現として特定された文章である。

********************************************************************

「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判

「徳洲会・猪瀬」5000万円問題が冷めやらぬうちに、「DHC・渡辺喜美」8億円問題が出てきた。2010年参院選の前に3億円、12年衆院選の前に5億円。さすが公党の党首、東京都知事よりも一桁上を行く。

私は、「猪瀬」問題に矮小化してはならないと思う。飽くまで「徳洲会・猪瀬」問題だ。この問題に世人が怒ったのは「政治が金で動かされる」ことへの拒否感からだ。「政治が金で買われること」のおぞましさからなのだ。政治家に金を出して利益をむさぼろうという輩と、汚い金をもらってスポンサーに尻尾を振るみっともない政治家と、両者をともに指弾しなければならない。この民衆の怒りは、実体法上の贈収賄としての訴追の要求となる。

「DHC・渡辺喜美」問題も同様だ。吉田嘉明なる男は、週刊新潮に得々と手記を書いているが、要するに自分の儲けのために、尻尾を振ってくれる矜持のない政治家を金で買ったのだ。ところが、せっかく餌をやったのに、自分の意のままにならないから切って捨てることにした。渡辺喜美のみっともなさもこの上ないが、DHC側のあくどさも相当なもの。両者への批判が必要だ。

もっとも、刑事的な犯罪性という点では「徳洲会・猪瀬」事件が、捜査の進展次第で容易に贈収賄の立件に結びつきやすい。「DHC・渡辺喜美」問題は、贈収賄の色彩がやや淡い。これは、知事(あるいは副知事)と国会議員との職務権限の特定性の差にある。しかし、徳洲会は歴とした病院経営体。社会への貢献は否定し得ない。DHCといえば、要するに利潤追求目的だけの存在と考えて大きくは間違いなかろう。批判に遠慮はいらない。

DHCの吉田は、その手記で「私の経営する会社にとって、厚生労働行政における規制が桎梏だから、この規制を取っ払ってくれる渡辺に期待して金を渡した」旨を無邪気に書いている。刑事事件として立件できるかどうかはともかく、金で政治を買おうというこの行動、とりわけ大金持ちがさらなる利潤を追求するために、行政の規制緩和を求めて政治家に金を出す、こんな行為は徹底して批判されなくてはならない。

もうひとつの問題として、政治資金、選挙資金、そして政治家の資産状況の透明性確保の要請がある。政治が金で動かされることのないよう、政治にまつわる金の動きを、世人の目に可視化して監視できるように制度設計はされている。その潜脱を許してはならない。

選挙に近接した時期の巨額資金の動きが、政治資金でも選挙資金でもない、などということはあり得ない。仮に真実そのとおりであるとすれば、渡辺嘉美は吉田嘉明から金員を詐取したことになる。

この世のすべての金の支出には、見返りの期待がつきまとう。政治献金とは、献金者の思惑が金銭に化したもの。上限金額を画した個人の献金だけが、民意を政治に反映する手段として許容される。企業の献金も、高額資産家の高額献金も、金で政治を歪めるものとして許されない。そして、金で政治を歪めることのないよう国民の監視の目が届くよう政治資金・選挙資金の流れの透明性を徹底しなければならない。

DHCの吉田嘉明も、みんなの渡辺喜美も、まずは沸騰した世論で徹底した批判にさらされねばならない。そして彼らがなぜ批判されるべきかを、掘り下げて明確にしよう。不平等なこの世の中で、格差を広げるための手段としての、金による政治の歪みをなくするために。
(2014年3月31日)

********************************************************************

「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻

「ヨッシー日記」と標題した渡辺喜美のブログがある。そこに、3月31日付で「DHC会長からの借入金について」とする、興味の尽きない記事が掲載されている。興味を惹く第1点は、事件についての法的な弁明の構成。これは渡辺の人間性や政治姿勢をよく表している。そして、もう一点は、DHC吉田嘉明のやり口に触れているところ。こちらは、金を持つ者への政治家の諂いと、金で政治が歪められている実態の氷山の一角を見せてくれる。いずれにせよ、貴重な読み物である。

渡辺の法的弁明は、一読して相当に腹の立つ内容。おそらくは、弁護士の代筆が下敷きにある。「本件は法の取り締まりの対象とはならない」という挑戦的な姿勢。政治倫理や、政治資金の透明性の確保などへの配慮は微塵もない。要するに刑事制裁の対象となる違法はないよ、という開き直りである。法的に固く防御しているつもりで、政治的には却って墓穴を掘っている。

ここでの渡辺の「論法」は、「吉田嘉明から渡辺喜美が、みんなの党各候補者の選挙運動資金調達目的で金を借りたとしても、その借入を報告すべき制度上の義務はなく、法律違反の問題は生じない」ということに尽きる。謂わば、法の隙間の処罰不能な安全地帯にいるのだという宣言である。

もちろん、「政治倫理の確立のための国会議員の資産等の公開等に関する法律」には違反している。この法律は、「(第1条)国会議員の資産の状況等を国民の不断の監視と批判の下におくため、国会議員の資産等を公開する措置を講ずること等により、政治倫理の確立を期し、もって民主政治の健全な発達に資することを目的とする。」として、政治家の資産と所得の公開を求めている。しかし、これには処罰規定がない。倫理の問題としては責められても、強制捜査も起訴も心配しなくて済む。

では、公職選挙法上の選挙運動資金収支として報告義務の違反にはならないか。渡辺は、「選挙資金として(渡辺から吉田に対する)融資の申し込みをしたというメールが存在すると報道がありました。たとえそれがホンモノであったとしても法律違反は生じません。」と開き直る。自分の選挙ではないからだ。報告義務を負うのは各候補者であり、各陣営の会計選任者だからということ。

では、政党の党首が選挙運動費用として党員候補者に使わせる目的で金を借りたら、その借入の事実を政治資金収支報告書に記載すべきではないか。これも、「党首が個人の活動に使った分は、政治資金規正法上、政治家個人には報告の義務はありません。そのような制度がないということです。個人財産は借金も含めて使用・収益・処分は自由にできるからです」とここでも開き直っている。

もっとも、渡辺がDHCの吉田から借りた金を、党の政治資金や候補者の選挙運動資金として貸し付ければ、その段階で、借り入れた側に、借入金として報告義務が生じる。この点はどうしても逃げ切れない。8億の金がどう流れたのか、調査の結果を待って辻褄が合うのかどうか検討を要する。

今の段階では、「一般的に、党首が選挙での躍進を願って活動資金を調達するのは当然のことです。一般論ですが、借り受けた資金は党への貸付金として選挙運動を含む党活動に使えます。その分は党の政治資金収支報告書に記載し、報告します。」という、開き直りでもあるが貴重な言質でもあるこの言葉を胸に納めておこう。

いずれにしても、みんなの党は総力をあげて渡辺の8億円の使途を追求しなければならない。でなければ、自浄能力のない政党として国民の批判に堪え得ず、全員沈没の憂き目をみることになるだろう。

興味を惹くもう1点は、政治家と大口スポンサーとの関係の醜さの露呈である。金をもらうときのスポンサーへの矜持のなさは、さながら大旦那と幇間との関係である。渡辺は、「幇間にもプライドがある」と、大旦那然としたDHC吉田嘉明のやり口の強引さ、あくどさを語って尽きない。その結論は、「吉田会長は再三にわたり『言うことを聞かないのであれば、渡辺代表の追い落としをする』、と言っておられたので今回実行に移したものと思われます。」というもの。

それにしても、渡辺や江田にとって、大口スポンサーは吉田一人だったのだろうか。たまたま吉田とは蜜月の関係が破綻して、闇に隠れていた旦那が世に名乗りをあげた。しかし、闇に隠れたままのスポンサーが数多くいるのではないか。そのような輩が、政治を動かしているのではないだろうか。

たまたま、今日の朝日に、「サプリメント大国アメリカの現状」「3兆円市場 効能に審査なし」の調査記事が掲載されている。「DHC・渡辺」事件に符節を合わせたグッドタイミング。なるほど、DHC吉田が8億出しても惜しくないのは、サプリメント販売についての「規制緩和という政治」を買いとりたいからなのだと合点が行く。

同報道によれば、我が国で、健康食品がどのように体によいかを表す「機能性表示」が解禁されようとしている。「骨の健康を維持する」「体脂肪の減少を助ける」といった表示で、消費者庁でいま新制度を検討中だという。その先進国が20年前からダイエタリーサプリメント(栄養補助食品)の表示を自由化している米国だという。

サプリの業界としては、サプリの効能表示の自由化で売上げを伸ばしたい。もっともっと儲けたい。規制緩和の本場アメリカでは、企業の判断次第で効能を唱って宣伝ができるようになった。当局(FDA)の審査は不要、届出だけでよい。その結果が3兆円の市場の形成。吉田は、日本でもこれを実現したくてしょうがないのだ。それこそが、「官僚と闘う」の本音であり実態なのだ。渡辺のような、金に汚い政治家なら、使い勝手良く使いっ走りをしてくれそう。そこで、闇に隠れた背後で、みんなの党を引き回していたというわけだ。

大衆消費社会においては、民衆の欲望すらが資本の誘導によって喚起され形成される。スポンサーの側は、広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けたい。薄汚い政治家が、スポンサーから金をもらってその見返りに、スポンサーの儲けの舞台を整える。それが規制緩和の正体ではないか。「抵抗勢力」を排して、財界と政治家が、旦那と幇間の二人三脚で持ちつ持たれつの醜い連携。

これが、おそらくは氷山の一角なのだ。
(2014年4月2日)

********************************************************************

政治資金の動きはガラス張りでなければならない

本日(4月8日)の、朝日・毎日・東京・日経・読売・産経の主要各紙すべてが、みんなの党・渡辺喜美の党代表辞任を社説で取りあげている。標題を一覧するだけで、何を言わんとしているか察しがつく。

朝日新聞  渡辺氏の借金―辞任で落着とはならぬ
毎日新聞  渡辺代表辞任 不信に沈んだ個人商店
東京新聞  渡辺代表辞任 8億円使途解明を急げ
日本経済  党首辞任はけじめにならない
読売新聞  渡辺代表辞任 8億円の使い道がまだ不明だ
産経新聞  渡辺代表辞任 疑惑への説明責任は残る

各紙とも、「政治資金や選挙資金の流れには徹底した透明性が必要」を前提として、「渡辺の代表辞任は当然」としながら、「これで幕引きとしてはならない」、「事実関係とりわけ8億円の使途に徹底して切り込め」という内容。渡辺の弁解内容や、その弁明の不自然さについての指摘も共通。

毎日の「構造改革が旗印のはずだった同党だが最近は渡辺氏が主導し特定秘密保護法や集団的自衛権行使問題など自民党への急接近が目立ち、与党との対立軸もぼやけていた。いわゆる第三極勢自体の存在意義が問われている。」と指摘していること、東京が「『みんなの党は自慢じゃないけど、お金もない、組織もない、支援団体もない。でも、しがらみがない。だから思い切った改革プランを提示できる』と訴え、党勢を伸ばしてきた。党首が借入金とはいえ8億円もの巨資を使えるにもかかわらず、『お金がない』と清新さを訴えて支持を広げていたとしたら、有権者を欺いたことにならないか」と言及していることが、辛口として目立つ程度。これに対して、産経は「新執行部は渡辺氏にさらなる説明を促し「政治とカネ」の問題に率先して取り組み、出直しの第一歩にしてもらいたい」と第三極の立ち直りにエールを送る立ち場。

もの足りないのは、巨額の金を融通することで、みんなの党を陰で操っていたスポンサーに対する批判の言が見られないこと。政治を金で歪めてはならない。金をもつ者がその金の力で政治を自らの利益をはかるように誘導することを許してはならない。

DHCの吉田嘉明は、その許すべからざることをやったのだ。化粧品やサプリメントを販売してもっと儲けるためには、厚生行政や消費者保護の規制が邪魔だ。小売業者を保護する規制も邪魔だ。労働者をもっと安価に使えるように、労働行政の規制もなくしたい。その本音を、「官僚と闘う」「官僚機構の打破」にカムフラージュして、みんなの党に託したのだ。

自らの私益のために金で政治を買おうとした主犯が吉田。その使いっ走りをした意地汚い政治家が渡辺。渡辺だけを批判するのは、この事件の本質を見ないものではないか。

政治資金規正法違反の犯罪が成立するか否かについては、朝日の解説記事の中にある、「資金提供の方法が寄付か貸付金かは関係なく、『個人からのお金を政治資金として使うのであれば、すべて政治資金収支報告書に記載する必要がある』として、違法性が問われるべき」との考え方に賛意を表したい。

仮に、今回の「吉田・渡辺ケース」が政治資金規正法に抵触しないとしたら、それこそ法の不備である。政治献金については細かく規制に服するが、「政治貸金」の形となれば一切規制を免れてしまうことの不合理は明らかである。巨額の金がアンダーテーブルで政治家に手渡され、その金が選挙や党勢拡大にものを言っても、貸金であれば公開の必要がなくなるということは到底納得し得ない。明らかに法の趣旨に反する。ましてや本件では、最初の3億円の授受には借用証が作成されたが、2回目の5億円の授受には借用証がないというのだ。透明性の確保に関して、献金と貸金での取扱いに差を設けることの不合理は明らかではないか。

主要6紙がこぞって社説に掲げているとおり、事件の幕引きは許されない。まずは「みんなの党」内部での徹底した調査の結果を注視したい。その上で、国会(政倫審)や司法での追求が必要になるだろう。

政治と金の問題の追求は決しておろそかにしてはならない。
(2014年4月8日)

********************************************************************

いけません 口封じ目的の濫訴ー『DHCスラップ訴訟』を許さない・第1弾

当ブログは新しい報告シリーズを開始する。本日はその第1弾。
興味津々たる民事訴訟の進展をリアルタイムでお伝えしたい。なんと、私がその当事者なのだ。被告訴訟代理人ではなく、被告本人となったのはわが人生における初めての経験。

その訴訟の名称は、『DHCスラップ訴訟』。むろん、私が命名した。東京地裁民事24部に係属し、原告は株式会社ディーエイチシーとその代表者である吉田嘉明(敬称は省略)。そして、被告が私。DHCとその代表者が、私を訴えたのだ。請求額2000万円の名誉毀損損害賠償請求訴訟である。

私はこの訴訟を典型的なスラップ訴訟だと考えている。
スラップSLAPPとは、Strategic Lawsuit Against Public Participationの頭文字を綴った造語だという。たまたま、これが「平手でピシャリと叩く」という意味の単語と一致して広く使われるようになった。定着した訳語はまだないが、恫喝訴訟・威圧目的訴訟・イヤガラセ訴訟などと言ってよい。政治的・経済的な強者の立場にある者が、自己に対する批判の言論や行動を嫌悪して、言論の口封じや萎縮の効果を狙っての不当な提訴をいう。自分に対する批判に腹を立て、二度とこのような言論を許さないと、高額の損害賠償請求訴訟を提起するのが代表的なかたち。まさしく、本件がそのような訴訟である。

DHCは、大手のサプリメント・化粧品等の販売事業会社。通信販売の手法で業績を拡大したとされる。2012年8月時点で通信販売会員数は1039万人だというから相当なもの。その代表者吉田嘉明が、みんなの党代表の渡辺喜美に8億円の金銭(裏金)を渡していたことが明るみに出て、話題となった。もう一度、思い出していただきたい。

私は改憲への危機感から「澤藤統一郎の憲法日記」と題する当ブログを毎日書き続けてきた。憲法の諸分野に関連するテーマをできるだけ幅広く取りあげようと心掛けており、「政治とカネ」の問題は、避けて通れない重大な課題としてその一分野をなす。そのつもりで、「UE社・石原宏高事件」も、「徳洲会・猪瀬直樹事件」も当ブログは何度も取り上げてきた。その同種の問題として「DHC・渡辺喜美事件」についても3度言及した。それが、下記3本のブログである。

http://article9.jp/wordpress/?p=2371 (2014年3月31日)
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判

http://article9.jp/wordpress/?p=2386 (2014年4月2日)
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻

http://article9.jp/wordpress/?p=2426 (2014年4月8日)
政治資金の動きはガラス張りでなければならない

是非とも以上の3本の記事をよくお読みいただきたい。いずれも、DHC側から「みんなの党・渡辺喜美代表」に渡った政治資金について、「カネで政治を買おうとした」ことへの批判を内容とするものである。

DHC側には、この批判が耳に痛かったようだ。この批判の言論を封じようとして高額損害賠償請求訴訟を提起した。訴状では、この3本の記事の中の8か所が、原告らの名誉を毀損すると主張されている。

原告側の狙いが、批判の言論封殺にあることは目に見えている。わたしは「黙れ」と威嚇されているのだ。だから、黙るわけにはいかない。彼らの期待する言論の萎縮効果ではなく、言論意欲の刺激効果を示さねばならない。この訴訟の進展を当ブログで逐一公開して、スラップ訴訟のなんたるかを世に明らかにするとともに、スラップ訴訟への応訴のモデルを提示してみたいと思う。丁寧に分かりやすく、訴訟の進展を公開していきたい。

万が一にも、私がブログに掲載したこの程度の言論が違法ということになれば、憲法21条をもつこの国において、政治的表現の自由は窒息死してしまうことになる。これは、ひとり私の利害に関わる問題にとどまらない。この国の憲法原則にかかわる重大な問題と言わねばならない。

本来、司法は弱者のためにある。政治的・経済的弱者こそが、裁判所を権利侵害救済機関として必要としている。にもかかわらず、政治的・経済的弱者の司法へのアクセスには障害が大きく、真に必要な提訴をなしがたい現実がある。これに比して、経済的強者には司法へのアクセス障害はない。それどころか、不当な提訴の濫発が可能である。不当な提訴でも、高額請求訴訟の被告とされた側には大きな応訴の負担がのしかかることになる。スラップ訴訟とは、まさしくそのような効果を狙っての提訴にほかならない。

このような訴訟が効を奏するようでは世も末である。決して『DHCスラップ訴訟』を許してはならない。

応訴の弁護団をつくっていただくよう呼びかけたところ、現在77人の弁護士に参加の申し出をいただいており、さらに多くの方の参集が見込まれている。複数の研究者のご援助もいただいており、スラップ訴訟対応のモデル事例を作りたいと思っている。

本件には、いくつもの重要で興味深い論点がある。本日を第1弾として、当ブログで順次各論点を掘り下げて報告していきたい。ご期待をいただきたい。

なお、東京地裁に提訴された本件の事実上の第1回口頭弁論は、8月20日(水)の午前10時30分に開かれる。私も意見陳述を予定している。

是非とも、多くの皆様に日本国憲法の側に立って、ご支援をお願い申しあげたい。「DHCスラップ訴訟を許さない」と声を上げていただきたい。
(2014年7月13日)
********************************************************************

「政治とカネ」その監視と批判は主権者の任務だ-「DHCスラップ訴訟」を許さない・第15弾

政治資金規正法は、1948年に制定された。主として政治家や政治団体が取り扱う政治資金を規正しているが、政治資金を拠出する一般人も規正の対象となりうる。政治資金についての規正が必要なのは、民主主義における政治過程が、カネで歪められてはならないからだ。

政治資金規正法第1条が、やや長めに法の目的を次のとおり宣言している。
「この法律は、議会制民主政治の下における政党その他の政治団体の機能の重要性及び公職の候補者の責務の重要性にかんがみ、政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため、政治団体の届出、政治団体に係る政治資金の収支の公開並びに政治団体及び公職の候補者に係る政治資金の授受の規正その他の措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、もつて民主政治の健全な発達に寄与することを目的とする。」

立派な目的ではないか。これがザル法であってはならない。これをザル法とする解釈に与してもならない。カネで政治を歪めることを許してはならない。

改めて仔細に読み直すと、うなずくべきことが多々ある。とりわけ、「議会制民主政治の下」では、「政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われなければならない」と述べていることには、我が意を得たりという思いだ。

キーワードは、「国民の不断の監視と批判」である。法は、国民に政治家や政権への賛同を求めていない、暖かい目で見守るよう期待もしていない。主権者国民は、政党・政治団体・公職の候補者・すべての議員への、絶えざる監視と批判を心掛けなければならない。当然のことながら、政治家にカネを与えて政治をカネで動かそうという輩にも、である。

砕いて言えば、「カネの面から民主主義を守ろう」というのが、この法律の趣旨なのだ。「政治とカネの関係を国民の目に見えるよう透明性を確保する。金持ちが政治をカネで歪めることができないように規正もする。けれども、結局は国民がしっかりと目を光らせて、監視と批判をしてないと民主主義の健全な発展はできないよ」と言っているのだ。

「政治資金収支の公開」と「政治資金授受の規正」が2本の柱だ。なによりもすべての政治資金を「表金」としてその流れを公開させることが大前提。「裏金」の授受を禁止し、政治資金の流れの透明性を徹底することによって、カネの力による民主主義政治過程の歪みを防止することを目的としている。

今私は、政治とカネの関係について、当ブログに何本もの辛口の記事を書いた。そのうちの3本が名誉毀損に当たるとして、2000万円の損害賠償請求訴訟の被告とされている。私を訴えたのは、株式会社DHCとその代表者吉田嘉明である。

どんな罵詈雑言が2000万円の賠償の根拠とされたのか、興味のある方もおられよう。下記3本のブログをご覧いただきたい。

http://article9.jp/wordpress/?p=2371 (2014年3月31日)
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判

http://article9.jp/wordpress/?p=2386 (2014年4月2日)
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻

http://article9.jp/wordpress/?p=2426 (2014年4月8日)
政治資金の動きはガラス張りでなければならない

いずれも、DHC側から「みんなの党・渡辺喜美代表」に渡った政治資金について、「カネで政治を買おうとした」とする批判を内容とするものである。

私は、主権者の一人として「国民の不断の監視と批判を求めている」法の期待に応えたのだ。ある一人の大金持ちから、小なりとはいえ公党の党首にいろんな名目で累計10億円ものカネがわたった。そのうち、表の金は寄付が許される法の規正限度の上限額に張り付いている。にもかかわらず、その法規正の限度を超えた巨額のカネの授受が行われた。はじめ3億、2度目は5億円だった。これは「表のカネ」ではない。政治資金でありながら、届出のないことにおいて「裏金」なのだ。

事実上の有権解釈を示している、『逐条解説 政治資金規正法〔第2次改訂版〕』(ぎょうせい・2002年)88頁は、法の透明性の確保の理念について、「いわば隠密裡に政治資金が授受されることを禁止して、もって政治活動の公明と公正を期そうとするものである」と解説している。

にもかかわらず、3億円、5億円という巨額な裏金の授受を規正できないとする法の解釈は、政治資金規正法をザル法に貶めることにほかならない。

この透明性を欠いた巨額カネの流れを、監視し批判の声を挙げた私は、主権者として期待される働きをしたのだ。逆ギレて私を提訴するとは、石流れ木の葉が沈むに等しい。これが、スラップなのだ。明らかに間違っている。

憲法と政治資金規正法の理念から見て、恥ずべきは原告らの側である。本件提訴は、それ自体が甚だしい訴権の濫用として、直ちに却下されなければならない。(2014年8月8日)

 

私に「6000万円支払え」と訴訟を提起した根拠が、以上のブログ記事である。これを違法として「6000万円支払え」と請求した人物が、DHCの吉田嘉明。そして、弁護士今村憲が、「その提訴は却ってあなたの不名誉になるから止めなさい」とアドバイスすることなく、代理人として提訴した。読者諸賢の読後感はいかがだろうか。

問題は2段階ある。まずは、私のこの内容の言論が違法とされてよいのか、ということ。そして、この内容の言論を違法として提訴し、表現者に応訴の負担をかけることが許されてよいのか、ということ。

 私は、自分の記事を読み直して、いずれの記事も正鵠を射たものであると確信する。私は、民主主義社会の主権者の一人として、なすべき正統な言論を表明したのだ。DHC・吉田嘉明のスラップ提訴の違法と悪質さについて、改めて憤りを深くしている。

 

 

 

仏教者としての信念から、死刑執行をしなかった法務大臣がいた。

(2021年1月12日)
左藤恵さんが亡くなった。享年96と報じられている。保守の政治家ではあったが、私にとっては気になる人だった。

この人、もとは郵政官僚だったが、1969年に中選挙区時代の旧大阪6区から自民党公認で立候補して当選。以来10期連続して当選を続けた。地盤が、私に土地勘のある天王寺・阿倍野・住吉という大阪市南部であったことから、手強い保守陣営の敵という思い込みだった。が、この人が法務大臣となって印象が変わった。

周知のとおり法務大臣は死刑執行を命じる。法務大臣の執行命令なしには、死刑執行はない。ところが、この人は真宗大谷派の僧侶でもあった。仏の戒め給ふ殺生戒という戒律を守るべき宗教者なのだ。山川草木悉皆仏性、この世に生を受けたもの全ての命は尊ばれるべきが当然で、その命を奪ってはならない。ましてや死刑という名の殺人は、仏教者としての戒律に反する。

言わば、ここに義務の衝突が生じた。法務大臣としての職務上の死刑執行義務と、自らが信じる宗教的信念が命じる不殺生の戒律との葛藤である。

この人が、第2次海部改造内閣で法相を務めたのが、1990年12月~91年11月のおよそ1年間。その在任期間中に死刑執行命令書への署名をせず、この間死刑は行われなかった。「人が人の命を絶つことは許されない」との宗教的信念によるものと報じられていた。

「そのような信念を持つ者に、法務大臣の任はふさわしくない。辞令を受けるべきではなかった」という意見は、当然にあるだろう。しかし、この人は死刑制度存続の是非を問いたいと、問題提起の意図をもって敢えて法務大臣職を拝命したのだ。そして、自らの宗教的信念を貫いた。

この人の信仰を理由とする死刑不執行は、神戸高専剣道実技拒否事件を想起させる。エホバの証人信者であった高専生は、宗教上の信念から剣道実技の授業を拒否し、遂には退学処分となった。最高裁は、真摯な宗教的動機による剣道実技授業の拒否を理由とする退学処分を違法と判断した。一定の条件あることは当然として、信仰の自由という人格的利益を擁護した。

また、この法務大臣の信仰を理由とする死刑不執行は、ピアノ伴奏命令拒否事件を想起させる。戦前の歴史において、軍国主義教育に「日の丸・君が代」が果たした役割に鑑み、自分の思想と良心に懸けて「君が代」伴奏はできないとした音楽科教員がいた。この思想・良心に基づいた君が代斉唱の伴奏命令拒否を理由とする戒告処分の違憲・違法が争われた事件で、この教員は敗訴している。これは、大きな憲法課題である。

思想・良心・信仰を理由とする義務不履行の制裁を甘受せざるを得ない立場の者には、かつて、宗教上の信念からその期間中死刑不執行を貫いた法務大臣がいたことを心に留めておきたい。

左藤恵は、法務大臣退任後は「死刑廃止を推進する議員連盟」の会長を務めるなどして、死刑廃止を訴えた。政界引退後は、大阪弁護士会に登録した弁護士だったが、年が明けた1月9日、慢性心不全のため逝去。合掌。

石田和外、睦仁の教えを守り抜いた守旧の人。

(2021年1月1日)
年が変わった。しかし、「おめでとう」などという気分にはなれない2021年の年頭である。

去年今年を貫いているものは、内外ともに猖獗収まらぬコロナ禍、そして安倍から菅へと続く邪悪な政権。加えて、東京五輪強行という愚策というところ。

とはいうものの、今日の東京はこの上ない好天。空は飽くまでも青く澄み、風はない。散り敷いた落ち葉の黄や赤の色が鮮やかである。コロナ禍がウソのよう。

不忍池には氷が張り、遊歩道には霜が降りていた。インバウンドはなく、行き交う人は少ない。静かな中に、雀の群がかしましい。東京の風景も捨てたものではない。

例のごとく、五條天神で今月の「生命の言葉」を見る。新たに掲示されているのは、明治天皇(睦仁)の次の歌。

 あらし吹く世にも動くな人ごころ いはほに根ざす松のごとくに

御製というものは、御製であるというそのことだけで感興を殺ぐつまらぬものだが、とりわけこういう「上から目線教訓歌」には、虫酸が走る。どうせ不愉快に決まっているのだから、わざわざ掲示を読みに行くこともないのだが、「恐いもの見たさ」「つまらぬもの見たさ」という、不条理な誘惑に勝てない。

さて、いったい何だ? この歌は?

一見すれば、「たとえ、どのように嵐が吹きすさぶ、はげしい世の中の変動に会っても、巌の上に、どっしりと根を張っている松の木のように、しっかりとした信念を持って心を動揺させてはなりません。」という、昔あちこちにいた偏屈なじいさまのタワゴトのごとくではある。

しかし、これが「明治天皇御製(明治37年)」となると偏屈なじいさまのタワゴトでは済まない。明治37年とは1904年、日露開戦の年である。この歌が詠まれたのが、その年の何月であるかは知らないが、戦争と無関係ではあり得ない。

睦仁は、上から目線で臣民に対して教訓を垂れているのだ。「動くな 人ごころ」とは、決して「しっかりとした信念を持って心を動揺させてはなりません」などと、一般論を述べているのではない。「臣民たちよ。朕に対する忠誠の気持を揺るがせてはならない。その忠誠心をもって、この危急の時にロシアに対する闘争心を研ぎ澄ませ続けなければならない」と煽っている。そう、読むべきであろう。でなければ、気の抜けたサイダーのごとき、詠むにも聴くにも値しない意味のない駄歌・駄文に過ぎない。

もう一つ、思い出すことがある。1969年1月、かの石田和外が、5代目の最高裁長官になったときのメッセージ。彼は、こう言ったのだ。

 「裁判官は激流のなかに毅然とたつ巌のような姿勢で国民の信頼をつなぐ」

睦仁の歌での「吹く嵐に動かない、巖に根ざす松」が、「激流のなかに毅然とたつ、巌」となっているが、案外、和外の言葉は、この睦仁の歌を下敷きにしたものではなかったか。石田和外は、戦前だけでなく戦後も、時代錯誤の天皇崇拝者であったことで知られる。

この石田和外の言の表面を読んで、彼を「司法の独立」の擁護者と誤解してはならない。当時、戦後民主主義の結実として澎湃たる労働運動・平和運動・市民運動・学生運動等々が昂揚していた。この運動を押さえ込んで旧来の秩序を守ろうとする陣営との熾烈な軋轢が事件化し、種々の裁判闘争を生んでいた。そして、時代の潮流は裁判官をも巻き込みつつあった。これに歯止めを掛けたのが、骨の髄までの旧秩序派であり、天皇主義者でもあった、反動石田和外である。

彼の言葉は、こう読まねばならない。「日本の裁判官は今、日本国憲法の理念に忠実に人権や民主主義を守れという国民の声の激流のなかにある。しかし、それに押し流されてはならない。裁判官は、民主主義昂揚の潮流の中に毅然とたつ巌のような姿勢で、それを押しとどめ、これまでどおり自民党や財界や皇室などの厚い信頼をつながねばならない」

そして、彼はその言のとおり、司法の内部をパージしたのだ。石田和外、戦前の治安維持法裁判官であったが、戦後も実は何も変わらなかった。大日本帝国憲法下から日本国憲法に変わった世にあっても、睦仁の「あらし吹く世にも動くな人ごころ」という教えを守り抜いたのだ。「いはほに根ざす松のごとく」である。

今年も、多難な年になりそうだが、また1年このブログを書き続けたいと思う。

宮地義亮が記録した ー23期司法修習生阪口徳雄君の罷免から 再採用までー

(2020年12月18日)
宮地義亮という熱血漢がいた。早稲田を出て都庁に入り、その後司法試験に合格して23期の司法修習生となった。私と、同期・同クラス、実務修習地(東京)と班まで同じだった。それだけでなく、「青年法律家協会」や、同期で作った「任官拒否を許さぬ会」の活動をともにした。私よりは7才年長だが、気の合った間柄だった。その宮地義亮が、青年法律家協会の機関紙に掲載した、「あの日から2年 ー 阪口君の罷免から 再採用まで」のドキュメントをお読みいただきたい。

1971年4月5日、23期修習修了式当日の夕刻、阪口徳雄君は修習生罷免となり、2年後の1973年1月31日最高裁は彼の再採用を決定した。いったい何があったのか、どのようにして資格回復が実現したのか。最高裁の体質とはいかなるものか。「準当事者」としての立場で、当時弁護士になっていた宮地が綴っている。阪口君の修習生としての資格回復の1週間後に書かれたもので、当時の同期の心情をよく表している貴重な記録である。

23期の司法修習生集団は、権力機構としての最高裁当局、なかんずく司法官僚の頭目・石田和外とたたかった。その最前線に立った阪口徳雄君は、報復措置としての苛酷な罷免処分を受けた。阪口君の資格回復は、最高裁批判で盛り上がった国民運動の成果であったが、2年の期間を要した。

なお、ここで描かれている青法協裁判官任官拒否事件は、いま生々しい学術会議の任命拒否によく似ている。いずれも、不公正極まる採用人事を通じてトップの権力を誇示し、組織全体を萎縮せしめる手口なのだ。

この文章を書いた宮地義亮は、その後享年40で早逝している。悔やまれてならない。

**************************************************************************

「青年法律家」1973年2月15日号 
 ◇ドキュメント◇あの日から2年ー阪口君の罷免から再採用までー

23期 宮地義亮(73・2・8記)

◇来なかった電報◇
2年前の(1971年)3月30日は23期の裁判官志望者たちにとって長い一日だった。
この日のうちに裁判官採用の決定を知らせる電報が届くことになっていた。
しかし夜がふけ、やがて朝が白みはじめてもついに待ち望んだ電報が届けられなかった人たちがいた。青年法律家協会の会員6人と「任官拒否を許さぬ会」の会員1名とである。
いずれも裁判官としてのすぐれた資質、豊かな憲法感覚、青年らしい正義感、信念にもとずいて行動する勇気をもちあわせていた。それ故にこそ、最高裁は彼らに対してその扉を開こうはしなかったのである。

◇冷たい最高裁の扉◇
こうした不採用決定は青法協への加入や任官拒否反対運動への参加という不当な理由によるものと疑がえる十分な状況にあった。その理由をただすため不採用者とともに、採用になった数十名の人たちが、場合によってはその採用決定を取り消されるかも知れない不利益をもかえりみず、不採用の「理由」をただすため最高裁に出むいたが2度も相手にされず追い返されてしまった。

◇残された唯一の機会◇
急をきいて帰省先より修習生が続々と上京してきた。いたるところで熱っぽいクラス討論が行なわれ、「終了式が最高裁および研修所に任官拒否の理由を公的にただす唯一の残された機会だ」ということで一致していった。
かくして彼らはクラス委員長の阪口君にその使命を託したのである。

◇運命の4月5日◇
式場にあてられた研修所の大講堂の雰囲気は例年と全く異なっていた。式次第も掲示されず、式場としての飾りつけもなく最高裁長官などの来賓の招待も取りやめになっていた。研修所側の判断は修習生の怒りを正当に(?)評価して式中止に傾いていた。だがこのことに気づいた者はいなかった。

◇誰一人制止する者なくあらしの拍手のなかで=500人の目撃者◇
守田所長が式辞をのべようと登壇したときだった。阪口君が式場のほぼ中央の自席から挙手し起立した。
同時にあらしのような拍手が式場を埋めた。
所長が手を耳にあてて聞えないというしぐさをしたので、誰かが「前にでろ」というと拍手は一段とました。彼は1瞬ためらったが拍手の波に押しだされるように前にすすみで所長に向って2度3度と礼をした。また誰かが「きこえないからマイクで話せ!」とさけんだ。
不思議なことに式場には前方に50名からの教官と事務局員10数名が席を占めていたが誰一人として彼の前進を阻む者もその行動を制止しょうとする者もいなかった。加えて、所長はにこやかな微笑(えみ)さえうかべて彼に対応した。こうした許容の状況のなかで彼は一礼して静かにマイクをとり、くるりと向きをかえて所長に背を向けた形で、「今日の喜ぶべき日に悲しむべき7人の不採用…その理由につき10分間釈明のため発言する機会を与えてあげてほしい。……」
所長はすでに演壇をおりて自席にもどっていた。
1分15秒が経過した。
突然中島事務局長が「終了式を終了しまーす」と落着いた口調で宣言した。
教官たちも一斎に席を立って退場しょうと出口に向かっだ。
誰かが「ワナにかかった!」と叫んだ。あまりにも唐突な終了宣言という卑怯なやり方に憤激した数名の修習生が事務局長につめより、これを制止しようとするクラス委員たち、取材の記者、カメラマン、退席しようとする教官などの間に混乱が起った。こうして500人の目撃者の前で、研修所は自らの手で式を混乱に陥入れたのである。

◇強権の発動◇
その日のうちに、緊急の最高裁裁判官会議が開かれ阪口君の罷免処分が決定された。
夜8時半大講堂で待機していた修習生の前で気丈にも彼は涙一つこぼさず罷免の辞令を一気に読み上げた。「罷免!」ということばが大講堂の静寂を破ってすみずみにゆき渡ったとき、彼のそばにいた一人の修習生が「阪口!」と悲痛な叫び声をあげて、阪口君をしっかりと抱きしめた。それは任官拒否を許さないたたかいを1年有余にわたって共にしてきた友をいとおしむ抱擁であった。

◇国民の良識は最高裁を許さなかった◇
最高裁に対する国民の批判はきびしかった。処分の苛酷さはもとよりのこと、教官会議の「罷免に値しない」という多数意見を無視し、一言の弁明の機会も与えることなく、何が何んでも彼に制裁を加えようと自ら終了式の終了を宣言しておきながら、当日の夜の0時までは修習生の身分ありとする狡猾な論法をあやつり、しかも間違った事実認定をもとに…。
4月13日衆議院法務委員会で最高裁の矢ロ人事局長は「制止をきかず約10分間混乱させ式を続行不能にした」と説明し、500人の目撃者に挑戦した(あとで訂正を余議なくされることになったが…)ーーその夜のうちに処分を決定してしまったのだから、国民がこの不当から違法なスピード判決にただあ然とし、非難を集中して、良識の健在を示したのは当然といえば当然であった。

◇北から南へかけめぐる◇
阪口君のもとには全国からおびただしい数の激励電報電話、手紙がよせられた。団地の主婦、工場で慟く労働者、学生、サラリーマンETC。
こうした国民の反響は阪ロ君への実情報告の要請になってあらわれた。彼はびっしり詰ったスケジュールをやりくりして、それらの1つ1つに誠実に応えていった。あるときは1000名をこえる聴衆を前に講演をしあるときは4、5人とお茶をのみながら夜半に及ぶことさえあった。
こうした北から南への列車をのりついでの報告の旅は各地で大きな共感をよんでいった。
裁判所のあり方がこれほど国民の間で語られ、現実の生活とのかかわり合いをひとりひとりが感じたことがかってあっただろうか。
好漢阪口も聴衆の拍手が鳴りやんで、ひとり津軽海峡をわたる青函連絡船のデッキにたたずみふと郷里の老いた母のことや、同期の仲間が弁護士として第一線で活躍していることをおもい一まつの淋しさがよぎることもあった。
こうしたさまざまな哀歓を伴ないながら、36都道県をかけめぐり約10万の人々にことの真相を伝えていった。

◇法曹界のなかでも◇
46年5月8日日弁連は臨時総会において、阪口君の処分につき「不当かつ苛酷なものであり断じて容認できない」旨の決議を圧倒的多数で可決した。
次いで47年2月「阪口徳雄君を守る法曹の会」が創立され、長老から若手まで約1000名の弁護士が参加し「法曹資格」実現への大きな足がかりができた。
同年4月10日には23期の弁護士の九0%をこえる352名の署名が全国からよせられ「阪ロ君の法曹資格を回復させよ」という趣旨の要望書を最高裁に提出した。

◇ゆらぐ赤レンガの巨塔◇
こうした法曹内外の阪口君に対する熱い共感や暖かな支援と最高裁に対する不信で最高裁の権威は大きくゆらぎはじめていた。
国民からの信頼を失ったとき最高裁の存在価値は急速に低下していかざるを得なない。とくに事実認定の重大な誤りはおおうべくもなく、最高裁の最大の弱点でありアキレス腱とさえなっていった。

◇選択◇
こうした状況のなかで彼を1日も早く弁護士にという声は、同期生をはじめ先輩弁護士、国民の間に急速に広がり高まっていった世論であった。
訴訟の提起、弁護士会への登録という回復方法についてはもとより真剣な検討が行なわれた。
しかし一日も早く法曹資格を実現するという目標にてらし、いずれも非現実的ななものであった。
こうしたなかで浮び上ってきたのが「再採用」の道だった。
最高裁が「懲戒」罷免した者を再採用した先例はないがこれをさせるという方法の選択であった。最高裁は厳しい国民的批判と、運動の広がりにつつまれ、失墜した権威と信頼を何とか回復しようと腐心する一方、このまま切り捨て御免にしてしまおうとの冷酷な姿勢との間を往き来しているような形跡がみられた。
そうした権力側の自己矛盾のなかに解決のカギが秘められていた。
彼は多くの同僚先輩の説得と最後には彼自身の選択において、一日も早く法曹資格を得、真に国民の立場に立つ法律家としての役割に積極的意義を認め、再採用の道をえらんだのである。
かくして昭和47年7月小池金市弁護士の事務所に入り法律実務の研さんを積むこととなった。来るべき日にそなえて……。

◇国民審査の結果、最高裁に大きな衝撃◇
国民の最高裁に対する批判は国民審査のなかに確実にあらわれ、最高裁に大きな危機感を与えた。
司法の反勧化を許さず、民主主義を守る国民運動のうねりは衆議院総選挙にも反映し、法務委員会での鋭い追及という不吉な予感が最高裁を支配しはじめていた。

◇再採用決定!◇
 1月31日、最高裁裁判官会議は阪口君の再採用を決定した。阪口君の「上申書」とひきかえに。
 それは礼儀作法についての反省にとどまり、その背景にある思想、信条、それにもとずく行動という、「聖域」に権力がふみことを許さなかった。
 そして最高裁に「再採用」(罷免処分という自己決定の否定)という大きな譲歩を余儀なくさせ、法曹資格獲得への大きな1歩を切り開いた。かくて権力との和解という儀式のなかでわれわれは、彼らに形ばかりの名を与え大きな果実を手にすることができたのである。

司法の独立を確立するために、最高裁裁判官人事の透明化を。

(2020年12月9日)
「トランプ氏、ペンシルベニア州で敗北確定 米最高裁が訴えを棄却」という記事が踊っている。今回の大統領選挙では天王山となった激戦州ペンシルベニア(選挙人数20人、全米5番目)での選挙争訟に決着が付けられたということだ。

悪あがきというほかはない、ここまでのトランプの醜態。大統領選挙の敗北を認めがたく、あきらめの悪い訴訟を濫発してきた。その数30件に及ぶというが、連戦連敗で疾っくに勝ち目のないことは明らかになっている。それでも、連邦最高裁に持ち込めば、自分が任命した保守派の判事が逆転の判決を書いてくれるのではないか…、という一縷の望みもここに来て断ちきられた。往生際の悪いトランプも、自らが選任した保守派の判事に引導を渡されたかたち。もうお終いなのだ。

アメリカは連邦制の合衆国、訴訟の審級制は分かりにくい。ペンシルベニア州の最高裁での判決を不服として、トランプ陣営が連邦最高裁に申し立てた上訴が、12月8日あっけなく棄却となった。上訴の申し立て手続が完了した直後の棄却決定だったとほうじられている。反対意見のない9裁判官全員一致の判断。そして、この決定は理由の説示もない三くだり半。トランプの悪あがきに対するトドメに、いかにもふさわしい。

この訴えは、「大統領選をめぐってペンシルベニア州の共和党議員らが、開票集計結果の認定差し止めを求めた」もの(CNN)だったようだ。所定の期日までに、各州が開票集計結果を認定する。認定されれば確定して、それ以後は争うことができなくなるという制度なのだという。そのデッドラインが12月8日。それまでに、差し止めの判決を得なければトランプの選挙の敗北が確定することになる。結局、トランプの訴訟戦術は失敗したことになる。

この訴訟で、トラプ陣営が差し止めの根拠としたものは、選挙の不正ではなく、「郵便投票は無効」という手続の定めを争うものだった。ペンシルベニア州の地裁から、同州の最高裁まで争い、さらに連邦最高裁にまで上訴したもの。

この訴訟とは別に、最初から連邦地裁に訴えた訴訟もあったようだ。トランプ陣営は、「バイデン側に詐欺があって私たちが勝っていた」「バイデンが8000万票も獲得するはずはない」などと訴えた。が、ペンシルベニアの連邦地裁は11月21日、不正を訴える陣営の主張を「法的根拠のない推測」と一蹴。「『フランケンシュタインの怪物』のように場当たり的に縫い合わされたもの」とまで非難したという。陣営は控訴したが、連邦高裁もトランプ政権で任命された判事らがわずか数日で棄却した。

さて、問題は連邦最高裁裁判官の人事にある。トランプ劣勢とみられていた大統領選の直前、たまたまリベラル派の最高裁判事ギンズバーグが死亡した。トランプは、その後任に保守派のバレットを押し込んだのだ。露骨にジコチュウ剥き出しの大統領選対策である。これで、全9人の判事のうち保守派6人とし、選挙後に法廷闘争に持ち込んだ際に有利な最高裁を作ったのだ。

このとき、営々と築かれてきた米国の司法の権威は、国民の信頼を失って大きく傷ついた。連邦最高裁は、公正でも中立でも政治勢力から独立してもいない。司法の姿勢は政治的な思惑で左右されることを、国民は知ってしまった。今回の選挙争訟で、仮にも連邦最高裁がトランプの意向を忖度するようなことをしていたら、司法の権威についた傷が致命傷となるところだった。連邦最高裁の威信は、大きく傷つきながらも、かろうじて最悪の事態は免れたと言えよう。

一方、香港である。裁判所に毅然としたところがない。香港の高等法院(高裁)は9日、無許可のデモを組織して扇動した罪に問われ一審で禁錮10月の実刑判決を受けた民主活動家、周庭(アグネス・チョウ)の控訴にともなう保釈申請を却下した。その理由として、裁判官は「警察本部を包囲した行為は重大だ」と判断したという。これは信じがたい。犯罪行為の違法性の大小や、重大性は判決の量定において考えるべきこと。今問題となるのは、証拠隠滅と逃亡の恐れの有無ではないか。要するに、裁判所は中国の威光を恐れ、中国におもねって、周庭に判決確定前に制裁を科しているのだ。

米国の司法の独立は、露骨な裁判官の任命人事で揺れている。香港の場合は、裁判所全体が中国の意向に逆らえない。質もレベルも格段の差はあるが、両者とも司法の独立は不十分と言わざるを得ない。その両者の中間当たりに、日本の司法の基本性格があり、最高裁裁判官任命問題があろうか。現在の最高裁裁判官15名の全員が、嘘と誤魔化しで国政を私物化してきた安倍晋三の政権の任命によるものとなっている。それ自体で、最高裁の権威は薄弱となっている。最高裁裁判官任命手続、とりわけ推薦手続を、納得できる合理的なものとし透明化しなければならない。それこそ、法の支配、立憲主義、民主主義と人権擁護の第一歩である。

あらためて、中国の蛮行を批判する。

(2020年12月4日)
かつては漠然と信じていた。歴史とは、野蛮から文明への進歩の過程である、と。野蛮を克服して文明が興り、曲折はあるにせよ文明が野蛮を感化し、野蛮は文明によって淘汰されていく。これが歴史の大道であり、野蛮と文明が接すれば、やがて野蛮は文明に教化され包摂されていくに違いない…。その信念が揺るぎそうな昨今の状況である。とりわけ香港の事態が目立って深刻である。

香港では、専政から民主制へと進歩すべき歴史が逆流している。法の支配は暴力による支配に置き換えられ、権力の恣意によって自由や人権が抑圧されている。野蛮が横行して、文明を逼塞させているのだ。

権力の恣意的な発動を抑制して人権を擁護する装置として、文明は権力分立という理念と制度を普遍的な原則として採用した。香港市民は、公教育で「三権分立」を近代以後の世界の常識と学んで育った。教科書にも当然の原理として書き込まれていた。ところが、香港行政庁の林鄭月娥長官は「香港に三権分立はない」と明言した。「中国本土と同様に、香港の三権はおしなべて中国共産党の支配下にある」との意であろう。教科書も書き換えられつつあるという。

突然に香港の市民から奪われた「三権分立原則」の中で、とりわけ重要なのが人権の砦としての司法権であり、その独立である。裁判官は本来、中国共産党の顔色を窺うことなく、法と良心に従った判決を言い渡さねばならないが、それは期待すべくもない事態。

林鄭月娥は、「11月の施政方針演説では、裁判官が就任時に政府への『忠誠』を宣誓しない場合の規定を盛り込んだ条例改正をすると述べた」(時事)という。法と良心に対する忠誠を求めるというのではない、政府への忠誠である。いうまでもなく、「政府」を通じての「中国共産党」への忠誠が強要されているのだ。

中国本土では、中国共産党が当然のごとく司法部門を「指導」し、「司法権の独立」を観念する余地はないとされる。これに対し香港基本法(香港での憲法に相当する)は「司法の独立」を明記している。中国政府側は香港に「司法改革」が必要だと主張しており、行政が司法を主導する仕組みを指示していると報道されている。明らかに、ここでは文明が野蛮に侵蝕され、席巻されているのだ。

その事態の中で、一昨日(12月2日)注目されていた黄之鋒・周庭・林朗彦3氏に対する判決言い渡しがあり、その量刑はそれぞれ13月半・10月・7月の禁錮となった。いずれも執行猶予の付かない実刑である。罪状は、昨年(2019年)6月に警察本部を包囲したデモを「扇動・組織し、参加した」罪だという。

暴力的なデモではない。破壊的なデモでもない。政治的な要求を掲げた表現の自由行使に対する刑事罰。文字どおり野蛮な政治的弾圧にほかならない。文明が、野蛮に組み敷かれているのだ。

黄氏は判決後、支持者に向かい「つらいが耐え抜こう」と大声で呼びかけ、林氏も「後悔はしない」と叫んだという。これに、支持者らは「がんばれ、出てくるのを待っているぞ」と応えたと報じられている。

しかし、周氏については少し違う光景となった。同氏は下獄の経験はない。香港メディアによると、判決言い渡しの際に法廷で泣き崩れたという。私は、この報道に胸を打たれる。判決日の翌日(12月3日)に24歳の誕生日を迎えるという彼女は、判決前に自分の誕生日を自宅で過ごすことができるだろうかとの心配を隠さず、ネットに配信していた。

泣き崩れたところを見せた彼女は、決して絵に描いたような闘士ではない。自分を励ましつつ、良心に従って運動に参加してきた「普通の市民」の一人なのだ。歴史には、強靱な意思をもった多くの闘士が登場するが、その闘士像は後の世の伝説が作りあげた虚像なのではないか。むしろ、特別の人ではない、投獄は恐いと自分の弱さを隠さない普通の市民の活動こそが、多くの人の共感を呼び、運動につながる人々を励ますことになるのだと思う。

民主派支持の論調で知られる香港紙「蘋果(りんご)日報」の創業者、黎智英(ジミー・ライ)氏も2日に詐欺罪で身柄を拘束され、起訴された。そして裁判所は3日、黎氏の保釈申請を却下。黎氏は来年4月16日の次回公判まで勾留される見通し。香港では起訴後に保釈されることが多く、異例の長期身柄拘束と言える(毎日からの引用)という。

黎氏に対する起訴罪名が詐欺であることが一驚である。一見して、でっち上げ以外の何ものでもない内容。何でもありなのだ。しかも、詐欺事件にもかかわらず国安法事件を担当する裁判官(蘇恵徳)が保釈を不許可とした。今後、政府の意向に従わない裁判官の解任が心配されている。既に、民主派に無罪判決を出した裁判官が、中国系香港紙に紙面で批判されるケースも出ていると報じられている。あらためて、法の支配を貫徹する独立した司法の役割の重要性を痛感する。

中国の野蛮が、香港市民の文明を蹂躙している。人権の擁護は国際的に共通の課題である。中国の蛮行は、国際法違反である。世界人権宣言や国際人権規約、あるいはウィーン宣言など国際成文法にも反すると言わなければならない。

微力でも「中国の野蛮を許さない」「香港の民主派を支持する」という声を上げ続けたいと思う。

木澤克之と加計孝太郎と安倍晋三と。ー 仲良きことは麗しいか?

(2020年11月18日)
昨日(11月17日)の毎日新聞夕刊が、「最高裁判事が高校生にオンライン講義 法曹の魅力伝える初の試み」という記事を掲載している。

「若い世代に法曹の仕事の魅力を伝えようと、最高裁の木澤克之判事(69)が16日、須磨学園高校(神戸市)の2年生400人に向けてオンラインで講義した。初の試みで、生徒らは「憲法の番人」と称される最高裁の判事の声に耳を傾けた。」

 最高裁と学校の教室をウェブ会議システムで結び、2016年に弁護士から最高裁判事に就任した木澤判事が約50分にわたって語り掛けて、こう言ったという。

「『社会のルールを巡るトラブルを一つ一つ解決するのが裁判の役目。ルールを安定させ、信頼できるものにするのが法律家の仕事』と解説した。『裁判官として一番大事にしていることは』との質問には『結論が正義にかなっているかどうか、よく考えること』と答えた。」

同じ言葉も、誰が言うかで印象は大いに異なる。ほかの判事がこう言えば無難な内容だが、この人が口にすれば大いにシラける。

彼は、1974年に立教大法学部を卒業し77年に弁護士登録をしている。東京弁護士会に所属し、東京弁護士会人事委員会委員長(念のためだが、人権委員会委員長ではない)や立教大学法科大学院教授などを務めたという。それだけなら、なんの問題もない、普通の弁護士。

この人、立教大学で、加計孝太郎という有名人と同級生だったという。その誼で、加計学園という学校法人の監事の役に就いた。これも、まあ、問題とするほどのことではなかろう。

よく知られているとおり、加計孝太郎には、安倍晋三という「腹心の友」がいた。木澤は、加計孝太郎に誘われて、安倍晋三とゴルフを楽しむ仲となった。こうして、加計を介して、「アベ・カケ・キザワ」の濃密な関係ができた、と思われる。濃密の評価は推測だが、少なくも、そう見られる状況ができた。これで、問題を孕むこととなった。もっとも、これだけならまだ問題は顕在化しない。

問題は、木澤克之が最高裁判事に任命されたことだ。任命したのは、もちろん安倍晋三である。これは、大問題ではないか。安倍晋三は、加計孝太郎のために、岩盤にドリルで穴をこじ開けて、加計学園が経営する大学の獣医学部開設に道を開いている。腹心の友のために、不可能を可能としたのだ。これが行政私物化と世の顰蹙を買ったアベノレガシーのひとつである。

その安倍晋三が、加計学園監事の弁護士を最高裁判事に任命したのだ。トモダチのトモダチの任命である。行政の私物化だけではない、司法の私物化ではないか。

この木澤という人、立教大学出身の初めての最高裁判事だという。周囲がその姿勢や人格を評価した結果であれば、その経歴は誇ってよい。しかし、オトモダチのお蔭で加計学園監事となり、オトモダチのオトモダチと懇意になっての、最高裁判事任命はいただけない。子どもたちの前で、正義を語る資格に疑問符が付く。

この人、既に前回(2017年10月)総選挙の際の最高裁裁判官国民審査を経ている。その際の、「最高裁判所裁判官国民審査公報」における経歴欄に、加計学園監事の経歴を掲載しなかったことが、話題となった。最高裁ホームページには、今も明記されているにもかかわらず、である。

私も東京弁護士会所属だが、この人のことは、最高裁判事就任まで知らなかった。知っての後は、とうてい「正義を語る人」のイメージではない。「有力な人、権力をもつ人に擦り寄って仲良くすれば世の中を上手に渡れますよ」と、子どもたちに「教訓」を垂れるにふさわしい人のイメージなのだ。大新聞が、無批判に木澤の行動を報じていることに、違和感を覚える。

学術会議会員だけではない。最高裁裁判官任命でも内閣の恣意は許されない。

(2020年11月15日)
ネットを漂流していると、人々のつぶやきに絶望的な気分になる。日本人の知性や理性や矜持は、どこへ行ってしまったのだろう。人は、かくもたやすく権力の情報操作に欺され操られてしまう愚かな存在なのか。また、かくも権力になびきへつらうみっともない存在なのだろうか。

鈴木宗男という日本維新の会の参議院議員がいる。自ら「私は国策捜査によって逮捕されました」「437日間勾留され」「(刑の確定後)丸1年塀の中におりました」と述べている人。身をもって権力の恐ろしさを体験した人だ。

過日(10月4日)、この人の学術会議会員任命拒否問題についての政権寄りのブログを目にして、以下の記事を掲載した。

鈴木宗男さん、菅義偉政権の学術会議人事介入問題、考え直していただけませんか。
http://article9.jp/wordpress/?p=15743

しかし、効果はなかったようだ。この人が、一昨日(11月13日)のブログに、最高裁裁判官任命問題について、菅官房長官(当時)を擁護するこんな記事を掲載している。

 毎日新聞朝刊5面に「最高裁でも人事圧力 前政権『複数人示せ』」という見出し記事がある。正確を期すために一部活用したい。

 「2012年12月の第2次安倍政権発足以降、退官する最高裁判事らの後任人事で、首相官邸への説明方法が変わった。『なんで1人しか持ってこないのか。2人持ってくるように』。官邸事務方トップの杉田和博官房副長官が、最高裁の人事担当者に求めた。

 最高裁は以降、2人の後任候補を官邸へ事前に届けるようになった。2人のうち片方に丸印が付いていたのは、最高裁として優先順位を伝える意図があった。しかし、当時の官房長官、菅義偉首相は突き返した。『これ(丸印の方)を選べと言っているのか。今までの内閣がなぜこんなことを許してきたのか分からない』」

 最高裁判事は、任命は政府がし、国会同意人事で決める。当然任命する側の判断があって当然でないか。
 当たり前の事を言っていると考えるが、この当たり前の事にクレームをつける頭づくりはどこからくるのか。

 これまでメディアが報じてきたことは、すべて正しかっただろうか。19年前、メディアスクラムによる事実でない、真実でない「ムネオバッシング」を経験した者として、厳しく指摘したい。(以下略)

 この人は、保守派の議員として、権力から欺されるだけの立場ではなく、国民を欺す立場でもある。本気でこのとおり考えているのか、このように考えているフリをしているのか、よく分からない。

この「鈴木宗男見解」は、社会科授業のよい教材ではないか。高校あるいは中学校の公民の教師の方にお勧めする。三権分立という統治機構の大原則について、教科書的解説をしたあとに、生徒にこう問いかけてみてはどうか。

「最高裁裁判官の選任・任命の実態について、毎日新聞がこのようになっていると報道しています。毎日新聞は、《最高裁でも人事圧力 前政権『複数人示せ』》と批判する立場で見出しを掲げていますが、鈴木宗男さんという国会議員は、《当然任命する側の判断があって当然でないか》という立場を明らかにしています。本日学習した三権分立という原則に照らして、あなたの意見を述べてください」

想定の典型解答例は、こんなところだろうか。

「私は、毎日新聞の立場が正しいと思います。権力が集中すると行政権が強くなり過ぎて人権を侵害する恐れが大きくなります。これを防ぐのが三権分立で、とりわけ、司法が行政や立法をチェックできなければなりません。でも、行政権の長が、自分の意思のとおりに最高裁裁判官を任命できるということでは、三権分立も司法の独立も形式だけのものになってしまうからです」

「ボクは、鈴木さんの立場が正しいと思います。どうしてかというと、国会議員が間違ったことを言うはずはないからです。それに、『毎日新聞は、反日的な立場が強すぎる』と父が言っていました。だから、毎日新聞は、菅義偉首相の名前を出して、日本を弱くするような記事を書いているのだと思います」

「私は、鈴木宗男さんがきちんと考えて意見を言っているとは、とても思えません。『最高裁判事は、任命は政府がし、国会同意人事で決める。』は、明らかに間違いです。最高裁判事の任命権が内閣にあるとしても、その任命権の行使には三権分立や司法の独立を保障するような工夫が必要だと思います。行政権内部の公務員と同じように、『任命する側の判断があって当然』という態度は、憲法を良く理解していないからだと思います」

「ボクは、国益を守るということが何よりも大切だと思います。そのためには、強い政府が必要なのですから、司法の役割などはどうでもよいのではありませんか。だから、三権分立は形だけでよいと考えるべきです。きっと、菅首相も、鈴木宗男さんも、ボクと同じ考えのはずです。弱い政府を作るための三権分立は無意味ですから、最高裁裁判官は政府が自分の都合で決めたら良いと思います」

「最高裁裁判官をどう選ぶかは、難しい問題だと思います。内閣は、自分にとって都合の良い、言うことを聞くおとなしい人を裁判官に任命したいと思うでしょうが、それでは三権分立の精神に背くことになります。ですから、内閣の思惑よりは、最高裁の判断を尊重しなければならないと思います。最高裁の推薦を突っ返したという『当時の官房長官、菅義偉首相』は恐ろしい人だと思います。鈴木宗男さんの意見は、菅さんにゴマを摺っているだけではないでしょうか」

司法も学術会議も、行政権力から独立していなければ存在価値はない。

(2020年11月14日)
素晴らしい小春日和の土曜日。午後は、引きこもっての「第51回司法制度研究集会」だった。昨年に続いて、今年も自由法曹団/青年法律家協会弁護士学者合同部会/日本民主法律家協会の共催。ズームで参加できるのが、ありがたい。

「今の司法に求められるもの ― 特に、最高裁判事任命手続きと冤罪防止の制度について」を総合タイトルとして、基調報告が豊秀一さん(朝日新聞編集委員)による「今の司法、何が問題か―新聞記者の視点から」。これに、梓澤和幸さんの「司法の民主化のために」と、周防正行さんの「冤罪防止のための制度の実現を」という報告。

今回の集会企画の段階では学術会議問題は出ていなかった。予定されたテーマとして学術会議問題関連のものはない。しかし、当面する最重要課題として学術会議問題を語らざるを得ない。司法を語りながらも学術会議問題を論じ、学術会議問題を論じつつも、司法を語る集会となった。

よく分かったことは、司法の独立侵害の問題と、学術会議の自主性侵害問題とは同質、同根の問題であること。そして、学術会議の会員任命問題と最高裁裁判官任命問題とについては、同じ法理で考えるべきことである。

司法の独立とは、権力分立を実効化するための制度である。司法部のみならず裁判官は、権力とりわけ行政権から独立して、権力の憲法や法からの逸脱を是正する機能をもたなければならない。行政権力から独立していない司法部も、司法官僚の権力から独立していない裁判官も、権力の暴走を止めることができない。

学術会議も、学術の国家的利用の在り方に関して、権力から独立して提言をなすべき存在である。政府からの掣肘を受けることのない、自律性あってこそ、学術を国策に反映させることができる。権力から独立していない学術会議では、権力の暴走を止めることができず、その使命を達することができない。

いま、司法の独立も、日本学術会議の自律性も危うい。ここを持ちこたえないと、大学にも、教育にも、メディアにも、法曹にも、文学や芸術や宗教にも、累が及ぶことになりかねない。そのような危機感をもたざるを得ない。

私も、ズームで短く発言した。次のような内容。

 今回の6名の学術会議会員任命拒否は、49年前の23期司法修習からの裁判官希望者7名に対する任官拒否問題の再現という側面を持っている。

 あのとき、採用人事を梃子として組織全体を統制する手法の有効性が確認された。司法部は成功体験を持ったのだ。「人事のことだから理由は言わない」という開き直りつつ、それでいて組織全体の萎縮効果を狙う狡猾さ。今度は、同じことを官邸が行っている。49年前のあの時の教訓をどう生かすべきかを総括し直さなければならない。

本日の司法制度研究集会の発言は、いずれ「法と民主主義」に掲載される。是非、ご一読をお願いしたい。

豊さんの基調講演も充実したものだったが、フロアからの岡田正則さんの発言がさすがに印象に残るものだった。その大要をご紹介したい。

6人の任命拒否が、違憲であり違法であることは明らかで、法律解釈論争は既に決着がついている。政権は既に詰んでいるのに、それでも「参った」と言わずに居直っている。そのような違法の居直りを許しているのが今の日本の政治状況なのだ。

自由・平等・連帯という市民革命のスローガンの内、利潤追求の自由のみが神聖化されつづけられる一方、歪んだ政治空間の中で本来の連帯が失われている。既得権益・特権を叩くという名目で、公務員や教員、正規労働者までが攻撃対象とされ、研究者や科学者などの専門家も同じような攻撃対象となっている。

さらに、国民に対する情報操作によって、任命を拒否された6名は、「反政府的傾向の連中」というレッテルを貼られつつあり、それゆえの混沌とした政治状況となっている。このままでは、大学の自治も、メディアの在野性も、日弁連の独立性なども、危うくなってしまいかねない。

「青法協・弁護士学者合同部会」設立50周年集会に阪口徳雄君の記念講演

(2020年9月17日)
「週刊金曜日」は、毎週木曜日に届けられる。本日(9月17日)、9月18日号が届いた。メインの記事は、菅新政権の下での「与野党対決新時代」。表紙に、「菅『アベのまま』政権の高笑い」の文字が踊る。

その号の「金曜アンテナ」欄に、《本田雅和・編集部》の署名記事がある。本田さん、朝日を退職されて金曜日の編集部に入られたのだ。今後の健筆を期待したい。

本田さんの記事のタイトルは、「青法協・弁護士学者合同部会設立50周年集会」「弾圧との闘い、次世代へ」とボルテージが高い。その一部を紹介させていただく。

 戦後の司法反動の流れに抗し、憲法の平和と民主主義、基本的人権の理念を守ろうと若手研究者や弁護士、裁判官らが組織した青年法律家協会(青法協)の弁護士学者合同部会の設立50周年記念集会が、9月4日、東京・神田で聞かれた。
 青法協に加入したり、賛同したりしていた裁判官志望の司法修習生への任官拒否が相次いでいたI971年4月の修習終了式で、「任官拒否された人たちの話も聞いてほしい」と発言しただけで「修習生の品位を辱めた」として罷免され、法曹資格を奪われた経験を持つ阪口徳雄弁護士(77歳)=大阪弁護士会=が語った。

 司法研修所教官が障害を持つ任官希望者に「君は(障害で)背が低いが、裁判官席に座ったら傍聴席から顔が見えるか」と発言したり、「裁判官に女性は要らない」との考え方で女性修習生へのさまざまな志望変更誘導が行なわれたりした。これらが阪口弁護士ら同期修習生の運動の中で明るみに出され、告発されていった。

 「裁判所がまだ古い風土にあったこともあるが、そこに戦前からの思想統制の体質をもつ石田和外という人物が最高裁長官に就任(69年)。直後から青法協脱退勧告などで会員を排除しようとする動きは強まった。法曹が憲法に基づき人権を守ろうとするのは自然な流れで、裁判官の中にも青法協会員は多かったからだ」と阪口氏は分析。法曹資格を取り戻し、弁護士になって以降は、政治家の「闇資金」の情報公開や大企業の「裏金」の追及に力をいれ、森友問題でも実績をあげた。

 あれから半世紀にもなるのだ。来年(2021年)4月5日が、阪口君罷免の23期司法修習終了式から、ちょうど50年になる。その終了式に、私も居合わせた一人だ。私は怒りに震えた。この体験が、私のその後の法曹としての生き方を決定した。必要なのは、裁判官の独立であって、司法官僚をのさばらせてはならない。そのために、「司法という権力」と対峙しなければならないのだ。

あの時代の空気も、あの日の出来事も、そして石田和外という人物についても、決して忘れることができない。石田和外については、当ブログでも何度か取りあげている。下記を参照されたい。

反動・石田和外最高裁長官が鍛えた23期司法修習の仲間たち
http://article9.jp/wordpress/?p=9471

石田和外とは ー 青いネズミの存在を許さなかったネコ
http://article9.jp/wordpress/?p=15254

私に法曹としての生き方を教えてくれた、反面教師・石田和外
http://article9.jp/wordpress/?p=11316

いまなお、ニホン刑事司法の古層に永らえている《思想司法=モラル司法》の系譜
http://article9.jp/wordpress/?p=15372

ところで、本田さんの「戦後の司法反動の流れに抗し、憲法の平和と民主主義、基本的人権の理念を守ろうと若手研究者や弁護士、裁判官らが組織した青年法律家協会(青法協)の弁護士学者合同部会の設立50周年記念集会」という一文に、当時渦中にあった者としては、若干の違和感があって、一言しておきたい。

青年法律家協会の設立は1954年である。「憲法の平和と民主主義、基本的人権の理念を守ろうと若手研究者や弁護士、裁判官らが組織した」のは、本田さんの筆のとおりである。設立発起人には、芦部信喜・潮見俊隆・加藤一郎・小林直樹・高柳信一・平野竜一・三ケ月章・藤田若雄・渡辺洋三などの名も見える。とうてい、尖鋭な政治団体などではあり得ない。

この青年法律家協会には裁判官部会があって活発な研究活動をしていた。それが、石田和外を領袖とする司法官僚体制から厳しい弾圧を受けることになる。これをレッドパージになぞらえて、ブルーパージと呼ばれた。その真の原因は、1960年代、とりわけその後半に積み重ねられた、リベラルな最高裁諸判決の傾向である。右翼がこれを攻撃し、自民党がこれに続いた。このとき、石田和外らは、裁判所・裁判官を外部勢力から護ろうとはしなかった。内部で呼応して、裁判所内のリベラル派追い落としをはかったのだ。

もともと、石田は治安維持法体制下の思想判事だった。戦後も、反共・反リベラルの思想を隠さなかった。退官後は天皇に忠誠な右翼として活動した人物である。69年11月には、最高裁内の局付判事補に対する青法協脱退工作を開始する。最高裁が、裁判官の思想・良心の自由や、結社の自由を侵害したのだ。1970年5月2日、石田和外最高裁長官は、恒例の憲法記念日に寄せた長官記者会見で、こう言っている。「極端な軍国主義者、無政府主義者、はっきりした共産主義者が裁判官として行動するためには限界がありはしないか。少なくとも道義的には裁判の公正との関係でこれらの人たちは裁判官として一般国民から容認されないと思う」。

「極端な軍国主義者、無政府主義者、はっきりした共産主義者」などというレッテルで、青法協裁判官を攻撃した。この青法協裁判官部会の切り崩しに対抗するための防衛措置として、同年7月の青法協総会は、青法協本体から、「裁判官部会」を規約上独立させた。そのことが同時に、「弁護士学者合同部会」と「司法修習生各期部会」を設立することとなったのだ。以来50年、ということになる。

石田和外は、権力的に裁判官を統制することに心血を注いだ。彼の裁判官統制は、表面的には成功したかに見える。しかし、作用あれば反作用がある。石田の所業は、多くの法曹や、ジャーナリストや、市民の反対運動を招くことになった。「司法の独立を守れ」という空前の市民運動が生じたのだ。

本田さんの記事のタイトルが、「弾圧との闘い、次世代へ」となっている。阪口徳雄君も、この日同席した梓澤和幸君も、そして私も、気持は元気だが、石田和外が没した齢を超えた。「次世代へ」語り継がねばならない。

澤藤統一郎の憲法日記 © 2020. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.