澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

共謀罪は、どう名前を変えても権力の凶暴化罪だ

政府は懲りもせずに、1月20日召集の第193通常国会に、4度目の「共謀罪」法案を提出しようとしている。その名称(略称)を「テロ等組織犯罪準備罪」、あるいは、「テロ等準備罪」とするという。

評判の悪い人物は、名前を変えて出てくる。売れない商品は、名前を変えてみる。飽きられた政党は党名を変更しようとする。それと同じ。3度も廃案となった共謀罪を通すために、「テロ等準備罪」と目先を変えてみようというもくろみ。

しかし、名称をどう変えようと、姑息な手直しを施そうと、共謀罪の危険な本質は変えようがない。伝えられる政府の新法案も、構成要件を曖昧にすることで、刑法のもつ人権保障機能を脆弱化することに変わりはない。人権保障機能の脆弱化とは、政権にとっては、抵抗勢力を弾圧するために調法この上ない武器を手にすることになる。共謀罪とは、権力の凶暴性を助長する「凶暴罪」法案なのだ。アベ暴走政権を共謀罪で武装させ、このうえ凶暴政権化させてはならない。改憲阻止闘争や、沖縄の平和運動に弾圧の手段を与えてはならない。

共謀罪は構成要件の曖昧さの危険ゆえに、「現代の治安維持法法」といわれる。いかにも、そっくりなのだ。昨日(1月15日)の赤旗が、「戦前の治安維持法」と「現代の新『共謀罪』」とについて、「説明そっくり」と政府説明の類似を指摘している。これは、背筋が寒くなる。

見出しに出ているのは、
「戦前の治安維持法⇒世間の人が心配するほどのものでない」
「現代の新『共謀罪』⇒一般人が対象になることはあり得ない」
戦前の政府説明は、1925年の警視庁当局のもの。現代の説明は、今年(2017年)1月6日の菅官房長官のもの。

治安維持法も共謀罪も、はたまた国防保安法も特定秘密保護法も、「善良な一般人が対象になることはあり得ないのだから、世間の人が心配するほどのものでない」として、制定されるのだ。

治安維持法は、「國體を変革し、私有財産を否定する」目的の結社と思想をあからさまに犯罪とした。当時、天皇制を否定し共産主義を鼓吹するなどは、皇国の臣民にあるまじき非国民の振る舞いだったのだから、「善良な一般人が対象になることはあり得ず、世間の人が心配するほどのものでない」ことになるだろう。

しかし、治安維持法は共産党だけを対象にせず、猛威を振るった。下記の如く、赤旗が報道するとおりである。

「治安維持法による逮捕者は数十万人を超え(28~45年)、送検された人は7万5000人(同)となっています。同法の弾圧が原因で命を落とした人は、わかっているだけで1682人となっています。

 国民をだまして施行すると、日本共産党や労働運動や農民運動、文化活動や宗教者の集まり、つづり方教育といった教育実践など、国民生活のあらゆる分野に弾圧の手を伸ばしました。」

以上の点は、忘れてはならない苦い記憶として、何度でも思い起こさなければならない。

「菅官房長官は6日の会見で『従前の共謀罪とは別物だ。一般の方々が対象になることはあり得ない』と説明しました。治安維持法が施行されたのは1925年5月。当時の新聞報道でも、政府が国民の不安払拭に力を入れていたことがわかります。」

赤旗は、1925年当時の東京朝日や読売の記事を引用して、当時の政府の説明を伝えている。

「労働者や思想家たちはあまりにこの法案を重大視し悲観的に考えているようであるが(中略)伝家の宝刀であって余り度々抜くつもりでもない」「今の時代精神とかけ離れたような旧式の取り締まりもできませんよ。だから世間の人が心配するほどのものでなく、この法のために今の社会運動が抑圧されるなどということはないだろう」(警視庁当局)

「われわれの方でも運用については非常に注意し純真な労働運動や社会運動を傷つけないように心がけている」(内務省警保局長)

「細心の注意を払い 乱用するな」(小川平吉法相)

その後の治安維持法が改正の都度、凶暴の度を増したこと。そして、その運用が、広範な政治運動・社会運動・文化運動・思想運動・平和運動・宗教者の運動を抑圧したことを忘れてはならない。

「『一般の方々が対象になることはあり得ない』とする菅長官の説明が方便にすぎないことがわかります」と赤旗が言うとおりではないか。

赤旗を除いて、多くのメディアでは、共謀罪の3点が問題で、政府提案の新法がこれをクリアーできるかが焦点という見方が広がっている。

その第1点が、処罰範囲。
産経の報じるところによれば、「今回提出予定の新法案では、処罰範囲は限定されたものとなっている」という。だから、新法を成立させて問題はない、という文脈。むしろ、例によって、政権の言うとおりに、東京五輪にテロなどあってはならないから、早期に共謀罪処罰の新法を制定せよ、という論調。記事は以下のとおりである。

「共謀罪」対象676から50超減 政府原案修正、提出へ
 組織的な重大犯罪の計画段階で処罰対象となる「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案をめぐり、対象犯罪を676とした政府原案を修正し、過失犯や結果的加重犯など50罪以上を除外する方向で検討されていることが14日、関係者への取材で分かった。公明党内から対象犯罪を絞るよう求める声に配慮したもので、事前に犯罪を計画できない業務上過失致死罪など50罪以上を除外する方向で法務省などが調整している。

「共謀罪」対象犯罪は676と予定されている。曖昧模糊たる「犯罪」の数が一挙にこれだけ増えるのだ。ところが、産経によると、「50罪以上もの新設犯罪を除外して、わずか626以下の数に限定する方向で調整が進んでいる」「これは公明党への配慮で、これなら公明党も賛成するだろう」というニュアンス。

しかも、除外する50罪余とは、「過失犯や結果的加重犯など」事前に犯罪を計画できない、従ってよく考えれば共謀罪類型に馴染まないものだという。公明党も軽く見られたものというほかはない。特定秘密保護法でも戦争法でもそうだった。法案提出時に、与党内の摺り合わせで少しすねてみせて、結局は悪法推進勢力に回る下駄の雪政党と、自民党からばかりでなく、産経など右翼からも侮られているのだ。

第2点は、犯罪主体の適用対象。
過去の法案は、適用対象を単に「団体」としていたため、市民団体や労働組合などが捜査の対象になり得るとして、反発を招いた。しかし、今回、政府は適用対象をテロ組織や暴力団などの「組織的犯罪集団」に限定する方針と報じられている。しかし、詳細は未定である。

また、第3点として、「犯罪を行おうとする合意(計画)だけでなく、凶器の購入資金の調達など準備行為が行われることも犯罪成立の要件に加える」ものとされているが、これも要件の詳細な定義は明らかになっていない。

仮にこの3点がクリヤーされたとしても、問題は大きく残るのだ。テロ対策としてでも、刑法の基本体系を崩し、かくも構成要件曖昧な、弾圧法規として使い勝手のよい立法を許してはならないのだ。けっして、「テロ以外の犯罪にも広範に網がかけられている点が最大の論点になる」(毎日社説)というわけではない。先に引用した赤旗の、治安維持法がとめどなく適用範囲を広げて猛威を振るった事実の指摘が重要なのだ。

内田博文(九州大学名誉教授)の東京新聞への寄稿に耳を傾けたい。

 戦争に反対する人たちの取り締まりに利用された治安維持法も、同じ性格の法律だった。帝国議会で法案が審議されたとき「近代刑法の基本原則が認められていない」と批判されたが、法制定後は歯止めが利かなくなった。
 取り締まり対象は「非合法左翼だけ」から「合法左翼」に広がり、最終的に「サークル活動」「勉強会」なども対象になった。当局が法律を拡大解釈し、裁判所が容認した結果、処罰対象が雪だるま式に肥大化していった。
 共謀罪も運用次第では、「みんなで市役所に行って窓口で陳情しよう」という話し合いが、組織的威力業務妨害の共謀罪に問われる可能性もある。
 治安維持法のできた時代、不景気や将来への不安から国民が強い権力を求め、戦争で突破しようとした。遠い昔の話で自分には関係ないと考える人も多いだろう。だが、近年も人間不信や将来に希望が見いだせないことから、強い権力への期待が強まっている。テロ対策の名の下に共謀罪が創設され、取り締まりの矛先が普通の人々に向かった場合、防ぐのは極めて困難だ。
(2017年1月16日)

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     「DHCスラップ」勝利報告集会にご参加を
弁護士 澤藤統一郎
私自身が訴えられ、6000万円を請求された「DHCスラップ訴訟」。
その勝訴確定報告集会のお知らせです。
この問題と勝訴の意義を確認するとともに、攻守ところを変えた反撃訴訟の出発点ともいたします。ぜひ、集会にご参加ください。

日程と場所は以下のとおりです。
 ☆時 2017年1月28日(土)午後(1時30分~4時)
 ☆所 日比谷公園内の「千代田区立日比谷図書文化館」4階
    「スタジオプラス小ホール」
☆進行
弁護団長挨拶
田島泰彦先生記念講演(「言論の自由」の今日的意義)
常任弁護団員からの解説
テーマは、
「名誉毀損訴訟の構造」
「サプリメントの消費者問題」
「反撃訴訟の内容」
☆会場発言(スラップ被害経験者+支援者)
☆澤藤挨拶
・資料集を配布いたします。反撃訴訟の訴状案も用意いたします。
・資料代500円をお願いいたします。
言論の自由の大切さと思われる皆さまに、集会へのご参加と、ご発言をお願いいたします。

     「DHCスラップ訴訟」とは
 私は、ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」を毎日連載しています。既に、連続1400日になろうとしています。
そのブログに、DHC・吉田嘉明を批判する記事を3本載せました。「カネで政治を操ろうとした」ことに対する政治的批判の記事です。
 DHC・吉田はこれを「名誉毀損」として、私を被告とする2000万円の損害賠償請求訴訟を提起しました。2014年4月のことです。
私は、この提訴をスラップ訴訟として違法だとブログに掲載しました。「DHCスラップ訴訟を許さない」とするテーマでの掲載は既に、90回を超します。そうしたら、私に対する損害賠償請求額が6000万円に跳ね上がりました。
 この訴訟は、いったい何だったのでしょうか。その提訴と応訴が応訴が持つ意味は、次のように整理できると思います。
1 言論の自由に対する攻撃とその反撃であった。
2 とりわけ政治的言論(攻撃されたものは「政治とカネ」に関わる政治的言論)の自由をめぐる攻防であった。
3 またすぐれて消費者問題であった。(攻撃されたものは「消費者利益を目的とする行政規制」)
4 さらに、民事訴訟の訴権濫用の問題であった。

 私は、言論萎縮を狙ったスラップ訴訟の悪辣さ、その害悪を身をもって体験しました。「これは自分一人の問題ではない」「自分が萎縮すれば、多くの人の言論の自由が損なわれることになる」「不当な攻撃とは闘わなければならない」「闘いを放棄すれば、DHC・吉田の思う壺ではないか」「私は弁護士だ。自分の権利も擁護できないで、依頼者の人権を守ることはできない」。そう思い、自分を励ましながらの応訴でした。
 スラップ常習者と言って差し支えないDHC・吉田には、反撃訴訟が必要だと思います。引き続いてのご支援をお願いいたします。

政治参加する「今時の大学生」

本日(9月24日)の毎日新聞朝刊に「北田暁大が聞く」シリーズの第6回。ゲスト・小熊英二が対談の相手。テーマは、「安保法制抗議運動(その1)」である。

両対談者の関心は若者層の運動参加。「60年代運動参加者」との対比で、「2015年9月の安保関連法案への運動参加者」を論じている。大雑把には、「団体が主導した60年代」と「SNSでつながっているいま」なのだが‥。

小熊が次のように言っているのが、興味深い。
「『68年』と、2011年の原発事故以降の抗議運動は、参加者の属性や意識が大きく違います。『68年』の運動参加者は大部分が大学生で、その多くは、経済の成長とそれに伴う卒業後の雇用の安定を疑っていませんでした。安定を前提にしたうえで、非日常な『ここではないどこか』を求めて大学をバリケード封鎖したり、機動隊と衝突したりした。『市民』を掲げた運動もありましたが、実際の参加者は学生が多く、あとは知識人や主婦や公務員が中心だった。
現在は、現状の生活レベルが今後も維持できるのかといった、未来への不安感が運動の背景にあります。11年以降の抗議運動の中心には、デザインや情報産業など知的サービス業の非正規専門労働者、認知的プレカリアートと呼ばれる人々が多くいます。高学歴でスキルはあるが、日々の生活や将来は安定しない人々です。反安保法制運動を主催したSEALDsの学生も、奨学金という名の借金を何百万円も負っている人が多い。彼らも認知的プレカリアートの一種です。こうした人たちの不安を、より広い層も共有している。『未来がみえない。平和な日常を守りたい』という不安感、言い換えればある種の生活防衛意識が背景にあり、それが広範な人々を集めた一因でしょう。」

全部が当たっているかどうかはともかく、「当時の学生は、卒業後の雇用の安定を疑っていませんでした。」という指摘は興味深い。おそらくその通りで、明らかに今は違うのだ。

かつては、学生時代の運動参加経験が就職活動に障害になるという意識は希薄だった。企業の姿勢も寛容だったし、あえて活動歴を問いただすということは禁じ手と意識されていた印象がある。理想を追い求めて反政府的な学生運動に走る学生に対して、企業も社会も寛容だった。そのことが、就職時の採用可否に関する思想差別は許されないという法意識を醸成していた。

このことの評価は両面あろう、学生は社会のしがらみにとらわれることなく、理想を追求することができた。学生が「革新的」であることは当然視され、運動参加も学問の姿勢においても自由を謳歌することができた。しかし、それはあくまで社会に出るまでに期間限定された自由であって、その多くが企業社会の文化に染まるや見事にこれに従順と化した。また、その自由は恵まれた階層に属する学生の特権でしかなかったともいえよう。

もっとも、この学生の自由も、60年代末には企業の側から浸食され始めていた。その典型が、「三菱樹脂・高野事件」であり、「日本軽金属・品川事件」だった。いずれも、大企業が新卒者を幹部社員候補として採用の後に、学生時代の活動歴を実質的な理由として、試用期間満了時に採用を撤回して大きな支援運動を伴った裁判となった事例である。

三菱樹脂事件は一・二審は原告勝訴となり、最高裁では逆転敗訴になったが、それでも復職を実現した。復職は実現したものの最高裁判例としては「こと採用に関しては、思想差別禁止の適用はない」との判例が残された。日本軽金属事件では、「勝利的和解」を勝ち取りはしたが、復職は実現できなかった。その後、少しずつ、企業の優位は拡大され、学生の側の自由は縮小を余儀なくされた。

問題は企業だけではなかった。70年代に入るや、「最高裁よ、おまえもか」という事態が生じたのだ。かつては、思想信条や団体所属歴で、裁判官の採用差別は考えられなかった。裁判官の政党所属も、公的には自由だった。そのことは、裁判所に対する社会の信頼の支えの一つとなっていた。しかし、判事補採用希望の司法修習生が、青年法律家協会会員であったことを実質的な理由として任官拒否される事件が起こった。1971年私と同期(23期)では6名が任官拒否された。時あたかも、自民党政権からの、「偏向判決批判」キャンペーンと軌を一にするものであった。

反対運動は大きく盛り上がったが、結局判事補採用希望司法修習生の青年法律家協会入会は激減した。こうして、裁判官希望者は、任官以前から最高裁の意向を忖度する習性を身につけることになる。

今学生は、リクルートルックに身を装う以前から、就職や任官を意識せざるを得ない立場にある。総資本から、管理されていると言っても良いのではないか。大企業への就職競争は、いつからスタートしているのだろうか。有名幼稚園、有名小学校、偏差値中学を経ての進学校での受験偏重教育。その難関を経てようやく進学した大学で、政治活動などしていたのでは就活の成功はおぼつかない。就活競争とは、企業への忠誠心の競争である。反体制の活動に関わってなどしておられないのだ。

だから、確かに、いま国会を取り囲み、「戦争法反対」、「原発反対」、「差別を許すな」、「人間らしい働き方を保障しろ」と声を上げる人の中に、若者は少ない。しかし、彼らは何となく動員されて参加するのではなく、危険を覚悟で、自覚的主体的に、「ある種の生活防衛意識を背景にして」参加するのだ。

小熊は、「それが広範な人々を集めた一因でしょう」という。圧倒的な企業優位社会で管理され、萎縮した学生の運動離れの面だけを見ていると絶望的になるが、小熊のいう「『未来がみえない。平和な日常を守りたい』という広い層が共有している不安感」を背景に、こうした人たちの代表として運動に参加する学生たちと見れば、明るい展望も開けて来るのだろう。
(2016年9月24日)

「戦争法廃止!」 雨にも負けず歳にも負けずの国会前行動

本降りの雨中国会前集会となった。あの日からちょうど1年にあたる今日、国会前に2万3000人が抗議の声を上げた。「戦争法廃止!国会正門前行動」である。

たまたま、今日は敬老の日。若者の遠慮の故か、あるいは高齢化社会を反映してのことか、圧倒的に高齢者の集会となった。ご近所誘い合わせての参加者も、敬老会並み。恐るべし、冷雨の中の熟年パワー。

4野党の代表、そして学者、弁護士、旧シールズ、ママの会、元自衛官、沖縄、などなどからのスピーチが続いた。アベ政権の理不尽に抗議するとともに、野党の共闘に期待する声が高い。シュプレヒコールも「野党は共闘、市民と野党は共闘を」と繰り返された。

戦争法施行でさしあたり明確に変わることは、南スーダンへの派遣自衛隊の任務に駆けつけ警護が加わることだ。確実に「殺し殺される事態」が現実のものとなるだろう。多くの人がそう語った。そのとき、日本の世論はどうなるのだろう。ボルテージが高まることは当然として、だから「海外派兵には反対」の方向に向かうのだろうか、むしろ「もっと強い武力の整備を」ということになりはしないか。

この集会参加者には、明らかに危機感が共有されていた。戦争法成立一週年の今日、戦争法廃止という目標の達成はなく、そのメドも立っていない。違憲の法律が運用されようとしていることは、平和が脅かされようとしていることなのだ。平和だけでなく、人権も民主々義も形骸化されようとしている。それどころか、国会は両院ともに、改憲勢力が3分の2を占めるに至っている。違憲な法律の横行というだけでなく、憲法そのものが変えられかねない。このような憲法の危機、平和の危機の時代に、アベ政権の支持率が下がらないということが、危機感に拍車をかけている。

集会のスピーチでも繰り返されたが、個々の具体的な政策ではアベ政権が民意をつかんでいるわけではない。アベノミクスでも、税制でも、TPPでも、核廃絶政策でも原発再稼働でも、農政でも、震災復興でも、雇用政策でも、あるいは福祉、介護、教育でも、そして沖縄問題でも、けっしてアベ政権が国民の信頼を得てはいない。だから、平和を願う勢力がけっして勝てないはずはない。これまで野党が分裂状態で、小選挙区制のマジックが与党に高い下駄を履かせた国会議席分布をつくってきたが、事態は一刻の猶予も許さない。唯一の打開策が、「野党は共闘、市民と共闘」なのだ。

今や切所にさしかかっている。グスグズしてはおられないのだ。改憲阻止のためには野党共闘しか手段はない。具体的には、改憲阻止・戦争法廃止・立憲主義回復に向けた選挙共闘を形づくって選挙に勝つ以外に選択肢はない。参院選でも、全一人区で4野党共闘が成立した。具体的な事情に応じてのさまざま形で成立した各選挙区の野党共闘は、与党勢力と拮抗する力量を見せつけた。その再現と進展が今必要だ。

さあ、これから衆議院議員の補欠選挙が行われる。10月23日に投開票予定の、福岡6区と東京10区。いずれも、野党の選挙共闘が不成立なら到底勝ち目がない。市民は、野党に強く共闘を呼びかけている。この2選挙区補選での共闘を跳躍台に、全小選挙区での野党共闘に踏み出していただきたい。

もし、野党の中で共闘に背を向ける政党があるとすれば、自らの首を絞めるに等しい愚挙というほかはない。冷たい雨の中、2時間近くも立ち尽くした高齢者の怒りをまともに受けることになる。これは、恐いぞ。
(2016年9月19日)

「しのばず通信」に見る、それぞれの「私の戦争」「私の8月15日」。

「根津・千駄木憲法問題学習会」の機関紙「しのばず通信(9月8日号)」が届いた。毎月、切手のない封筒に入れての戸別配達。わが事務所の郵便受けにぽとり。

A4・1枚両面印刷の手作りだが、通算129号。毎月1回の例会を欠かさず、10年以上の継続となっている。その息の長い活動に頭が下がる。ここに集まるような人々が、憲法を支えているのだ。

月刊だから、9月号は「〔特集〕私の8月15日」となって、3人の寄稿が掲載されている。敗戦時、中学2年の男性、女学校1年の女性、そして当時13歳の女性。それぞれの「私の8月15日」が興味深い。1億通りの8月15日があったことをあらためて想起させられる。

「当時中学2年の男性」とは、少年事件問題の家裁調査官として著書も多数ある浅川道雄さん。「私の戦争体験」を次のように綴っておられる。

「私が生まれた昭和6年に「満州事変」が始まり小4の冬「大東亜戦争に突入ということで、私が物心付いた時に戦争は日常のことになっていました。戦争末期に体験した東京大空襲」は「死の瀬戸際」を感じるほどの強烈な体験でした。
 1945年5月25日に目黒の自宅を焼かれ、寄留先の八王子でも、8月1日にまた焼かれ、命からがら目黒に戻り、疎開先に留守番を兼ねて仮住居しているとき、敗戦を迎えました。
 中学2年の私は、5月の空襲でも、八王子の後も、生きている限り「小国民の義務」として三鷹の軍需工場へ通い続けました。「米軍が上陸してきたら、皇居と首都を守って玉砕するのだ」と配属将校に言われ、自分の心にも、そう言い聞かせていました。「どうしたら立派に死ねるか」が私の最大の関心事でした。そんな思いをけっして子どもたちに味合わせたくないと、固く思います。」

「当時女学校1年の女性」は、「戦争はいや! 私たちは戦争の語り部に!」と題して、「やがて戦争が終わったことを知ると、今夜から明るい電燈の下で暮らせ、空襲の恐ろしさもないのだという安心感に満たされた。」「でも、あれから71年経った現在、…民主々義の自由の風も、人びとが気付かぬうちに、じわじわと戦争前の時代のような匂いがしてきた」と警告している。

そして、「当時13歳の女性」の「私の8月15日」が、貴重な体験を次のように語っている。
「3月10日の東京大空襲で母はじめ5人の兄弟を失った私。更に土浦空襲でも予科練生だった兄を失って父と2人だけになってしまった私。
 あの日は父の部下だった方の所、千葉へ買い出しに行くとの事で父と一緒に列車に乗った。途中、天皇陛下の重大放送があるという事で全員、列車から降ろされて線路に並ばされた。正午、一段高い所に置かれたラジオにみんな頭を下げて陛下の玉音放送なるものを聴いた。が、ただガアガアと云っているだけで、何も聞き取れなかった。空が真っ青に澄んでいて暑い日だった。
 その日、父の部下だった方の家に2、3人の村人がやって来て日本は戦争に負けたのだと云った。そしてこれからはアメリカ軍がやってきて、女性はみんな陵辱され、男共と子どもはみんな殺される。だからみんな山に逃げなければいけないと云った。私は父が殺されて又一人になったらどうしよう。そして大人でも子どもでもないチビの私はどうなってしまうのかとたいへんな不安におののいた、私13歳の日本敗戦日でした。」

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8月15日の感想は一色ではない。おそらくは、「戦争が終わって、今夜から明るい電燈の下で暮らせる。空襲の恐ろしさもなくなった」という安堵感で終戦を迎えた人が多数であったろう。しかし、「日本は戦争に負けた。これからアメリカ軍がやってきて、女性はみんな陵辱され、男共と子どもはみんな殺される。」と敗戦の悲劇を恐怖した少なからぬ人もいた。これは、根も葉もない流言飛語の類だったのだろうか。

ずいぶん以前のことになったが、沖縄の戦跡をめぐったことがある。いくつもの、「ガマの悲劇」を聞かされた。現地で見て、想像していたよりもガマが広く大きいのに驚いた。数十人単位の避難民がそれぞれのガマで運命をともにしたという。

ガマの外から、米軍が日本語で投降を呼びかける。ガマの中の避難民に抵抗の術はなく逃走も不可能。投降するか確実な死か。極限の選択が迫られた。

あるガマでの現地平和運動活動家からの説明が印象的だった。
「このガマには二つのグループが避難していましたが、一つのグループは投降して全員が助かり、もう一つのグループは投降を拒否して自決か砲撃でほぼ全員が死亡しました。
 投降を受諾したグループのリーダーは、元はアメリカに出稼ぎ経験のある高齢男性でした。彼の気持の中でのアメリカは、「敵ではあっても、デモクラシーの国」であって、「鬼畜米英」という観念はなかったのです。みんなを説得して投降し、命を救ったのです。
 一方、投降を拒否したグループのリーダーは従軍看護婦の経歴を持つ女性でした。中国戦線での体験から、投降した中国人捕虜が皇軍によっていかに残虐に扱かわれていたかを知る立場にいた方です。この方は、みんなを説得して投降を拒否したのだと言いつたえられています。
二つのグループはガマの中で行動をともにしていましたが、最後の決断で分かれ、運命も分かれたのです。」

あのガマの闇が、歴史の闇に重なる思いだった。重苦しく合掌するのみ。
(2016年9月13日)

「圧殺の海 第2章 『辺野古』」の映像が語る沖縄の現実

明治大学で行われた、「圧殺の海 第2章 『辺野古』先行上映」(試写会)を観てきた。そして、沖縄の現実を切りとった映像の迫力に圧倒された。

怒号と叫喚の107分間。見続けるのが息苦しい。しかし、目をそらしてはならない。これが、マスコミ報道では知ることのできない沖縄の現実なのだ。沖縄や基地問題に関心をもつ者のすべてが、この映画を見つめて沖縄の現実を知らなければならない。映画が聞かせる怒号は、理不尽な権力行使への沖縄の民衆の怒りのほとばしりであり、叫喚は権力の暴力を受けた者の呻き声である。

辺野古新基地建設を強行する強大な権力の圧倒的な意志。その巨象に立ち向かう蟻の群のごとき抗議行動。抗議に立ち上がる者の前に、立ちはだかる実力部隊は、沖縄県警だけではない。警視庁の機動隊であり、海上保安庁であり、そして米軍である。五分の魂が圧倒的な権力と切り結んでいる様が映し出される。

なんとしても基地を作らせまいと体を張って抵抗する人びとと、これを制圧しようとする機動隊や海保とのせめぎあいが、生々しく映像化されている。翁長知事誕生の2014年11月から暫定和解成立によって工事が休止した16年3月で終わらず、先月(16年5月)まで18か月の記録。毎日撮り続けて、総撮影時間は1200時間にもなると説明があった。6人のカメラマンが現場に張り付いてのことというが、よくぞここまでと思わせる接近しての危険を顧みない撮影ぶりである。

政治や訴訟の推移と関連しつつも、現場の運動が独自の論理で動いていることがよく分かる。抵抗する人びとの悲鳴にも似た痛切な言葉が、胸に突き刺さる。
「お願いだから、沖縄を壊さないで。」
「ここは、私たちの海だ。あなたたちは帰れ。」
「何が公暴(公務妨害罪)だ。暴力で俺たちの故郷を奪ったのはそっちじゃないか」
「あなた方だって、自分の故郷をこんなに壊されたら怒るでしょうが」
「私たちは平和を求めている。あなた方も戦争はいやでしょう」
「沖縄全体が反対しているんだ。なぜ沖縄の声を聞かないんだ」

案内のチラシには、こう書いてあった。
「翁長知事誕生から18ヶ月、24時間体制で現場に張り付き撮影を続けた辺野古・抵抗の記録『辺野古』が完成した。沖縄県民は、どうたたかってきたのか。国が沖縄県を訴えた代執行訴訟は、2016年3月に和解となるが、その後の辺野古は・・・。
劇場公開に先立ち映画の上映とシンポジウムを開催します。」

「辺野古で、大浦湾で、キャンプシュワブゲート前で、県庁で、6人のカメラマンが撮影した映像は1000時間を越える。抗議船やカヌーを海上保安官に転覆させられても、海へ出つづける人びと、セルラースタジアムを埋め尽くす県民、権限を行使し国に抵抗する知事、水曜日、木曜日と工事をさせない日を増やすゲート前の座り込み、米兵のレイプを許さないゲート前の2千5百人。テレビでは見えない辺野古・抵抗の最前線。」
なんの誇張もない。映像の迫力は、文字情報では表せない。

沖縄・辺野古問題は、目前の参院選の重要テーマの一つである。この映画を話題にすることの意義は大きい。

沖縄の基地問題は、日本国憲法体制と日米安保体制とのせめぎあいの衝突点にある。平和や独立を語るときに避けて通れない。それだけではない。今や、辺野古新基地建設は、安倍政権の強権的暴走を象徴するものとなっている。

公有水面埋立法は、国が起業者として公有水面を埋め立てる際には、県知事の承認を必要としている。仲井眞知事は、知事選の選挙公約を投げ捨てて、沖縄防衛局の埋立申請に承認を与えた。しかし、それゆえに県民世論は、仲井眞を放逐し、圧倒的な支持をもって翁長県政を誕生させた。周知のとおり、翁長知事は慎重な手続を経て、前知事の承認を取り消した。

このことの重さを安倍政権は一顧だにしない。「粛々と工事を進める」というのみ。沖縄の民意、その民意に支えられた新たな知事の判断を尊重すべきが当然ではないか。こんなときこそ、「新たな判断」というべきなのだ。

「粛々と進められる工事」に抗議する人びとに対する容赦ない制圧の強行が、この「圧殺の海 第2章 『辺野古』」に活写されているのだ。

この映画のパンフレット(1000円)が、映画に劣らず迫力に富み、読むに値する内容となっている。
このドキュメントの「主役」ともいうべき、辺野古ゲート前抗議行動のリーダー・山城博治のロングインタビューが7頁にわたって掲載されている。その中の一部を抜粋する。

大衆運動って、つぶされるまで粘り強くやるって心理がどこかあります。勝てないだろう、だけど押し切られるまではがんばるという。今、辺野古の状況見たら、そうはならないね。勝たなきやならない。勝って、国の様々なやり方で押しやろうとする物事に対して、勇気を、元気を辺野古から与えていく、がんばれば何とかなるという元気を与える責務が今、あると感じています。

政府が作った法案が、沖縄で実行されるという関係です。私自身の課題は、実行される沖縄で歯止めをかける、東京のみなさんは東京で歯止めをかける。私たちは、実行される位置に居るから、基地を、戦争の道具を止める。ここで頑張ると当然、全国に広がる。

民主主義を問い、地方自治を問う。平和を問う。辺野古を窓口として、見える日本の今のあり様。だから、全国からやってくる。この交流は大きいと思う。一日、多いときには百人を超える県外の人たちが来る。延べ何千、何万の人たちになってる。その広がりが、今、全国で、辺野古、辺野古、がんばろうの声になってる。十年前では考えられなかった。

翁長さん、県の弁護団、法廷でのぎりぎりのたたかい、行政としての駆使できる手法のぎりぎりのたたかい、現場でのたたかい、それから全国と連携をするたたかい。そういう事を積み重ねれば、この基地は出来ない。

また、自らも逮捕された経験をもつ芥川書作家・目取真俊が「海のたたかい」と題して寄稿している。これも示唆に富むもの。その一部を引用する。
「県知事選挙や衆議院議員選挙のたびに政府・沖縄防衛局は、長期間にわたり工事を止めざるを得なかった。彼らが恐れたのは、海保の暴力的弾圧が県民の反発を呼び、選挙にマイナスの影響を与えることだった。
 実際、2014年の夏に辺野古側の浅瀬で行われたボーリング調査では、海保の拘束で負傷者が続出した。カヌーから強引に引き上げてGB(ゴムボート)の床に叩きつけ、カヌーメンバーに頚椎捻挫のケガを負わせた。船に乗り込んで船長の手首を捻挫させたり、カヌーメンバーのその様子はメディアで報じられただけでなく、写真や動画がインターネットで拡散され、海保に対する批判が高まった。安倍晋三政権が沖縄に振る舞っている強権的な姿勢が、海保の暴力という形で可視化され、有権者の投票行動に影響を与えかねない事態となった。それ故に政府・沖縄防衛局は、選挙前に海底ボーリング調査を中断せざるを得なかったのである。
 もし、カヌーや船団による海上行動が行われていなかったらどうだったか。行われていたにしても、海保の弾圧を恐れてフロートを越えず、形だけの抗議ですませていたらどうだったか。海保とカヌー、抗議船がぶつかることもなく、メディアに報じられることもほとんどなかっただろう。それこそ調査は「粛々と」進められたはずだ。」

沖縄県が申し立てた第三者機関「国地方係争処理委員会」での審査の結論は、審査期間90日以内と定められていることから、遅くとも6月21日には出ることになる。6月22日参院選公示日の直前である。果たして、どのような判断になるのか、大いに注目されるところ。仮に沖縄県に不満の残る判断であれば、新たな提訴となる。6月25日からの映画『辺野古』の東京上映は、参院選投票日(7月10日)直前のまたとないタイミングである。

この映画は、既に、那覇市牧志の桜坂劇場で上映中であり、昨日(6月11日)からは大阪十三のシアターセブン劇場で、そして6月25日からは東京上映(ポレポレ東中野)が始まる。東京上映は8週間のロングラン企画だという。
  http://america-banzai.blogspot.jp/2016_06_01_archive.html
 
なお、予告編をユーチューブで見ることができる。
 https://www.youtube.com/watch?v=KlTVZxBG1cs&feature=youtu.be

映画に関する問合せ先は下記のとおり。
森の映画社札幌編集室
〒004-0004札幌市厚別区厚別東4-8-17-12 2F
影山あさ子事務所気付
電話・Fax 011-206-4570
メール:morinoeigasha@gmail.com(森の映画社)
(2016年6月12日)

目取真俊の身柄拘束に抗議する。

昨日(4月1日)、辺野古基地建設反対行動中の作家目取真俊が、辺野古で米軍に身柄を拘束され、その後海保に身柄を引き渡されて緊急逮捕された。

共同通信の報じるところでは、「那覇地検は2日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設への抗議活動中、辺野古沿岸部にある米軍キャンプ・シュワブ周辺の立ち入り禁止区域に許可なく入ったとして逮捕された沖縄県在住の芥川賞作家目取真俊氏(55)を釈放した。」 という。身柄の拘束が1日の午前9時過ぎ。釈放は翌2日(本日)の夕刻7時ころのようだ。

緊迫した辺野古新基地建設問題に大きな一石を投ずる事件である。問題は、いくつもある。

何よりも、逮捕の理由とされた被疑事実が大きな問題である。沖縄タイムス(電子版)の報道は以下のとおりである。
「第11管区海上保安本部は1日、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ周辺の米軍提供水域内に許可なく入ったとして、日米地位協定に伴う刑事特別法違反の疑いで、芥川賞作家の目取真俊さん(55)を緊急逮捕した。目取真さんは仲間数人とカヌーに乗り、新基地建設に対する抗議活動をしている際に米軍に拘束されたという。」
「11管によると、逮捕した男は1日午前9時20分ごろ、海上の立ち入り制限を示すフロート(浮具)を越え、辺野古崎付近に許可なく立ち入った疑いがある。」

被疑罪名は、日米地位協定に伴う刑事特別法第2条違反である。「正当な理由がないのに、合衆国軍隊が使用する施設又は区域(「基地」)であつて入ることを禁じた場所に入り、又は要求を受けてその場所から退去しない」ことが構成要件である。住居侵入でもなければ、威力業務妨害でもない、刑特法違反。砂川事件と同じ被疑罪名。万が一起訴されるようなことになれば、1959年の砂川最高裁判決の妥当性を問い直す大事件となる。

海保が言う、「米軍キャンプ・シュワブ周辺の米軍提供水域内」という表現はよく分からない。侵入したとされた場所は公有水面たる海面であって陸地ではない。海上に米軍がフロート(連結された浮具)さえ敷設すれば、刑特法2条にいう「入ることを禁じた場所」に当たるというのだろうか。

手続的にも大きな問題がある。琉球新報(電子版)の報道は以下のとおり。
「目取真さんと共に行動していた市民によると、目取真さんは午前9時20分ごろ、米軍キャンプ・シュワブ沿岸の海岸付近で新基地建設に抗議していた際に米軍警備員に身柄を拘束された。午後5時22分に、米軍側から身柄引き渡しを受けた中城海上保安部が、刑特法違反の容疑で緊急逮捕した。」

目取真俊を拘束したという「米軍警備員二人」とは何だろうか。どの報道も「拘束」と表現を揃えている。「警備員による拘束」である。米軍が目取真を「(警察権の行使としての)逮捕」したというのではない。では、身柄拘束の手続的根拠はなんだろうか。私人としての現行犯逮捕だったと考えざるをえない。

その根拠条文は、刑訴法213条「現行犯人は、何人でも、逮捕状なくしてこれを逮捕することができる」というもの。だが、同法214条は、「(私人が)現行犯人を逮捕したときは、直ちにこれを検察官又は司法警察職員に引き渡さなければならない」と定めている。「直ちに」である。「午前9時20分逮捕・午後5時22分引渡」は、いくらなんでも遅すぎる。米軍警備員の目取真に対する監禁罪成立の余地がある。

政治的な影響を考えてみたい。
「抗議行動に伴い、これまでにもカヌーによる抗議が行われていたが、市民が同容疑で逮捕されたのは初めて。米軍側が拘束してから引き渡すまで、目取真さんは約8時間基地内に拘束されていた。池宮城紀夫弁護士は『不当な拘束だ』と指摘している。」「目取真さんはほかの4人と共に抗議を展開。浅瀬でカヌーを浮具(フロート)の内側に入れようとしたメンバーの1人を、陸上から駆け付けた米軍警備員が拘束しようとした。そばにいた目取真さんが拘束を止めようとした際、警備員2人に体をつかまれ陸地側に引きずられていったという。」などと報道されている。

沖縄防衛局は、訴訟での和解後に、埋立作業を中止し事態を静観していた。県警も海保も、カヌー隊の行動を逮捕までしなければならないものとは思っていなかった。しかし、米軍だけが基地建設反対の運動に神経を尖らせていたということなのだ。米軍の不快感の表明に対応を躊躇した県警・海保の消極姿勢が、身柄の引き受けまで8時間も要したことになったのではないか。米軍側の積極的姿勢を警戒しなければならなし、もっと大きな抗議が必要ではないか。

「米軍が目取真を拘束」「海保が逮捕に踏み切った」とは、大きな事件ではないか。辺野古基地反対運動への弾圧ととらえて、直ちにオール沖縄で抗議の嵐が巻き起こってしかるべきではないのか。当然のことながら、運動に携わる者には、互いに「運動参加者への弾圧は許さない」という連帯の姿勢が必要なのだ。

目取真俊は、ブログ「海鳴りの島からー沖縄・ヤンバルより」を連載している。
  http://blog.goo.ne.jp/awamori777

沖縄に生を受け、沖縄に住み続ける者として、沖縄の現状に真正面から対決している覚悟が見える。
3月30日(逮捕2日前)の記事の中に次の一文が見える。
「30日はカヌー5艇で松田ぬ浜を出発した。国と沖縄県の間で和解が成立し、埋め立て工事が中断している中で、多くの人が海上行動に集まるのは難しい。それでも、現場の状況を常に確認し、把握しておく必要がある。一見何もないかのように見えるこういう期間に、日々の行動を積み重ねていくことが大切なのだ。」
これが、カヌー隊の行動であった。

また、次の記載もある。
「この日はカヌーが海に出る前に米軍がゴムボートを3隻出し訓練していた。カヌーを浜に出して準備していると、米軍のゴムボートはいったん浜に上がり、カヌーが通過するまで待機していた。」
この「訓練中の米軍」が目取真を襲ったのだ。

3月31日(逮捕前日)の記事は以下のとおり。
「31日は所用のためカヌーの活動は休み、午後から高江のN1ゲート前で開かれた集会に参加した。…集会のあと新緑を眺めた。辺野古の海の青と高江の森の緑。どれも心が洗われる。人の手では作り出せない自然の美しさと豊かさを実感する。こういうヤンバルの自然が軍事基地建設のために破壊される。考えただけで怒りが湧くが、実際に阻止するためには現場で体を張らなければならない。やりたいこともできず、自分の時間が失われるが、誰かがやらなければならない。」
真摯な責任感をもつ者の言ではないか。このような姿勢で運動の第一線に立つ目取真に敬意を表するとともに、米軍と海保一体となった弾圧に抗議して、目取真を激励したいと思う。

今回の顛末を彼は書物に書き残すことになるだろう。毎日新聞に浅田次郎がコメントを寄せたとおり、多くの人が怒りのエネルギーに満ちたその書を読むことになるだろう。無論、私も読みたいと思う。そして、米軍や海保に、身柄の拘束は逆効果だったと思わせたい。
(2016年4月2日)

江戸川のトランプ大西英男議員よ。メディアのバッシングに負けずにホンネを貫け。

大西英男さん、あなたこそ男の中の男。保守の中の保守、最も自民党らしい議員として光っている。あなたのすばらしさの真骨頂は、歯に衣きせずにホンネをストレートに語ることだ。ホンネを語って、有権者を魅了する政治家が今はすくない。あなたは貴重な存在だ。

ホンネを語る議員がすくないということは、飾らず地のままで魅力ある政治家が少ないということだ。海の向こうアメリカでは、今、トランプがホンネを語って大衆に大ウケではないか。あなたこそ、江戸川のトランプ。あなたの支持者は、あなたのホンネの放言を魅力と感じて、あなたを議会に送り込んだのだ。

だから、がんばれ。大西議員。他の凡庸な政治家の如くに前言を撤回するな。簡単に謝るな。反省などもってのほか。そんなことでは、あなたの魅力は台なしだ。支持者はついてこない。ここは、徹底して居直れ。何が悪いと、押し通せ。

あなたは、昨日(3月24日)所属する細田派の総会で、冒頭、司会としてマイクを握って次のような発言をしたと報じられている。

衆院北海道5区補欠選挙で自民党公認候補応援のために現地入りした際のこと、必勝祈願のために神社を訪れ、支援を依頼した巫女が『自民党は好きじゃない』と語っていたことを紹介し、『巫女のくせに何だと思った』といちゃもんをつけた。さらに、『巫女さんを誘って札幌の夜に説得をしようとも思った』などと際どい発言を連発した。

あなたの発言を、「私は神社関係を中心に回ったが、私の世話を焼いた巫女さんが20歳くらいだった。投票が初めてだということだから、ひとつ口説いてやろうと思った」と紹介している記事もある。

あなたの凄いところは、記者に追い詰められ、問い詰められた挙げ句の問題発言ではないところだ。聞かれてもいないことを、自ら暴露する。その率直さがいかにもあなたらしい。聞かれもしないのに、自分の方から問題行動を暴露したのは、あなたのほかには、DHCの吉田嘉明くらいのものではないだろうか。この率直さが、あなたの政治家としての大きな魅力だ。

「巫女のくせに何だ」という発言は、いろんな意味にとれる。
まずは、「女のくせになんだ」という意味合い。「男が自民党をよろしくとお願いしているのだ。そんなとき、女というものは、おとなしく愛想よく、こちらを立てるべきものだろう」というニュアンス。

そのとおりではないか。日本の社会では、女はそうあるべきが当然なのだ。男はみんな、ホンネではそう思っているはず。だから大西さんよ。「女のくせになんだ」という懐かしい言葉を死語にせぬように、ここはがんばっていただきたいのだ。

「巫女なら自民党を応援するはずではないか」という意味合いも感じられる。このところ、神社界は憲法改正運動に大いに乗り気じゃないか。その神社に雇われて仕事をしている巫女なら、自民党を応援して当たり前ではないか。自分の主義主張を前面に押し出して、「自民党は好きじゃない」とは、神社界で働く者としても、従業員としての身分にある者としても、まったく立場をわきまえぬ我が儘勝手な振る舞い。世の常識は、大西さん、あなたの味方だ。

「私は神社関係を中心に回ったが、私の世話を焼いた巫女さんが20歳くらいだった。投票が初めてだということだから、ひとつ口説いてやろうと思った」というのも、誰でも腹の内では思うことではないか。凡庸な人物は、それを「礼節」というイチジクの葉で、隠しているだけだ。

派閥の領袖も、自民党の幹部も、公明党までもが、良い子ぶってなんだ。「意味不明な発言」「不適切な発言」などと言っている。そりゃ間違いだ。意味は明瞭だし、不適切か否かは選挙民が決めるものだ。

だから大西さん、あなたを選出した有権者を信じることだ。あなたの選挙区は東京第19区。江戸川区と重なる。あなたのレベルが選挙民のレベルではないか。江戸川区民は、女性差別を容認している。『巫女のくせに何だ』『巫女さんを誘って札幌の夜に説得をしようと思った』などの発言になんの違和感もない。土地柄というものだ。

だから、大西さん。弱音を吐いてはいけない。次の選挙まで、国会議員として務め通して、ますます直情径行に、思ったとおりの発言を続けていただきたい。そして、次の総選挙にも必ず出馬していただきたい。

大西さん。あなたは昨年6月自民党議員の勉強会で、「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番」などと発言して、党から厳重注意処分を受けている。そのときの記者会見で次のように言っている。
「私のいま、事務所やあれですね、ブログを含めて多くの人たちが『頑張れ』と。『よく言ってくれた』と。そういう激励のね、声が多いですよ。」
そのとおりだ。ネトウヨ連中は、こぞってあなたの味方だ。そして、かく言う私もなのだ。だから強気でがんばれ。

ところが大西さん、そのときあなたは、記者団からの質問に次のように回答してもいる。
「――ご自身が勉強会で発言したことは、問題があったと思わないということか。
 問題があったとは思いませんけれども、ただ、われわれ政治家として、こういう誤解、曲解を与えるような発言、こうやって皆さんに説明しなければ分かってもらえないような発言は今後、慎んでいかなければいけないという反省はしてますよ。」

これはいただけない。こんな「反省」はあなたらしくない。こんなことでは、次の選挙で、あなたは負ける。

前回総選挙での東京19区開票結果は以下のとおりだった。
 大西英男 68 自由民主党 前(公明推薦)    98,536票 46.3%
 初鹿明博 45 維新の党  元(民主党都連推薦)56,701票 26.6%
 大田朝子 30 日本共産党 新           36,976票 17.4%
ホンネを語るあなたなればこその圧勝ではないか。今回の発言こそは、安心して「謝罪拒否」「反省拒否」に徹すべきだ。

このまま、反省しない放言居士のあなたが相手なら、改憲阻止勢力の結集はしやすいはず。そうなれば、「自公」対「民共」の勢力は伯仲し、改憲阻止勢力の貴重な勝利をもたらしうるではないか。

もしかしたら、あなたは、主観的意図とは関わりなく改憲阻止に重要な役割を果たしうる立場にある。だから、がんばれ。ホンネを貫け。大西議員よ。
(2016年3月25日)

野党共闘の成立をもって、「厚い土着の人びとの壁」を突き崩さねばならない。

さて、今日はクイズである。
ある識者が、政治と運動の情勢について、次のとおりの発言をしているという。この発言をお読みになって、発言の主が誰だか当てていただきたい。
この問題の正解者はたいへんな知恵者だ。尊敬に値する。このクイズの出題者は、さらに高い知性の持ち主。もちろん私ではない。憲法学者の横田耕一である。

「強行採決をめぐって、これだけ広範な層からこれだけの批判が高まっているのに、何故、政府与党は馬の耳に念仏の態度で押し通そうとするのでしょうか。…むろんそこには種々の背景があります。しかし根本の由来はここ数年来の政府の相つぐ憲法じゅうりんのやり方を私達国民が結局のところ黙って見過ごして来たところにあると私は考えます。一たび既成事実をさえ作ってしまえば、一時は世論がわきたっても、やがては権力の無理押しが通って行くという事態がこれまでに重なってきたからこそ、ああいう議会政治の常識では考えられないやり方をして政府は平然としているのです。権力はもし欲すれば何事でも強行してそれに法の衣をかぶせることができるということになれば、それは民主主義の基本原則の破壊にほかなりません。私たち国民は今こそこうしたやり方にストップをかけなければ、人民主権も、したがって私たちの幸福追求の権利も、政府の万能の権力の前に否定される結果になるでしょう…。政府の権力濫用にたいして憲法や法律は本当に歯どめとして効いているのかいないのか、私たち主権者としての国民がそうした権力の歯どめとして憲法を生かす力をもっているのかいないのか、それがいままさに試されようとしております。これが現在の根本の問題点です。」

多くの人が、昨年9月の戦争法の強行採決を思い浮かべたはず。この発言の時期は、まさしく今であろう。樋口陽一さんの発言ではないか、あるいは中野晃一さんかと思った人が多かったのではないか。残念、みんなハズレだ。

正解は丸山眞男なのだという。60年安保闘争のさなか、「民主主義をまもる音楽家の集いへのアピール」として書かれた一文だそうだ。多分正解者はいないだろう。
私も、まさかこの一文が、半世紀前の60年安保の際の運動体への語りかけとは思わなかった。いまとなんとよく似た状況での、よく似た問題提起ではないか。

本日郵送された「月刊 靖国・天皇問題情報センター通信」(通算510号)の巻頭言「偏見録」として横田が書いた論文である。題して「既視感(デジャビュー)」。

横田は、上記丸山の論説を引いて、「60安保闘争は『狭義の安保闘争』ではなかった。」という。むしろ、「強行採決を境に、『安保に賛成の者も、反対の者も』含めた、『国会解散・岸を倒せ!』をスローガンとする『民主主義を守れ!』で、運動は飛躍的に拡大した」という。このことは、「『安保法制』強行採決に9条改正論者も含めて『立憲主義を守れ!』で反対している状況に似ていはしないか。」という。これが、表題を「既視感」としている所以だ。

さらに問題は、この先にある。
「60年安保の盛り上がった運動も、6月19日の『自然承認』によってほとんど終息し、学生たちが行なった『帰郷運動』は厚い土着の人びとの壁に跳ね返された」そして、「12月の衆院選挙では296議席を獲得して自民党が大勝した」と指摘する。さて、いまはどうだろうか。

横田の現状の見方は次のようなものだ。
「各地で運動は継続されているものの、残念ながら一時期の熱気は冷めつつあり、諸調査機関が示す安倍内閣の支持率は、世論調査のはらむ欠陥を認めても、低下しないばかりか増加傾向すら示しており、自民党の支持率は他党を圧倒している。選挙では、「立憲主義・安保法制」のみが争点にならないことも加味すれば、今夏の参院選挙(衆参同日選挙?)で、与党に打撃を与えることはかなり困難であり、60年末の衆院選挙の敗北が目にちらつく。」

シビアな現状認識である。60年には高揚した運動は「厚い土着の人びとの壁」に跳ね返された。いま、同じことが繰り返されはしないか。そのような無力感や敗北感に陥って「60年」の二の舞に陥ってはならない、と警告されている。しかし、たどうすればよいのか、簡単に答が見つかる問題ではない。

60年の丸山の言葉を振り返ってみよう。
「ここ数年来の政府の相つぐ憲法じゅうりんのやり方を私達国民が結局のところ黙って見過ごして来た」「私たち主権者としての国民がそうした権力の歯どめとして憲法を生かす力をもっているのかいないのか、それがいままさに試されようとしている」。これが、当時の運動の前に立ちはだかった壁だ。「主権者としての力量(不足)の壁」である。そして、今、当時と同様の立ち向かうべき壁があり、乗り越えなければならない壁となっている。

横田はいう。「この壁を崩さない限り個々の運動は実を結ばないように思われる」。この壁とは、かつて帰郷運動の学生たちをはね返した「厚い土着の人びとの壁」と等質のもの。

おそらくは、運動が後押ししての野党共闘の成立こそが、「この壁を突き崩す」唯一の切り札である。それなくしては、再び厚い土着の壁に阻まれてしまうことになる。まさしく、「既視感(デジャビュー)」である。
(2016年3月13日)

「AGAINST WAR LAW」「GO VOTE」

高等学校生徒諸君
プラカードを高く掲げて街頭に躍り出た諸君よ
 AGAINST WAR LAW
 GO VOTE 

諸君こそは
颯爽たる未来圏から吹いて来る
透明で清潔な風そのものだ

諸君はこの時代に強ひられ率いられて
奴隷のやうに忍従することを拒絶した

自らの手で
自由と平等と平和な未来を築こうと
声を上げた
 AGAINST WAR LAW
 GO VOTE 

今日までの歴史を論ずるならば
われらの祖先乃至はわれらに至るまで
社会の不合理と不平等とは
意識的に温存されてきた
これを打ち砕こうとする心ある人々の
力や行動はいまだに足りない。

むしろ諸君よ
更にあらたな正しい時代をつくれ
 AGAINST WAR LAW
 GO VOTE 

諸君よ
紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
諸君はその中に没することを欲するか
じつに諸君は此の地平線に於ける
あらゆる形の山嶽でなければならぬ

宙宇は絶えずわれらによって変化する
時機を失してはならない
 もう少し様子を見てから
 経験を積んでから
そんなことを言ってゐるひまがあるか
さあ、われわれは一つになって
 AGAINST WAR LAW
 GO VOTE 

新たな詩人よ
雲から光から嵐から
透明なエネルギーを得て
人と地球によるべき形を暗示せよ
 
新しい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系を解き放て

衝動のやうにさへ行われる
すべての労働を
冷く透明な解析によって
その藍いろの影といっしょに
芸術の域にまで高めよ

新たな時代のマルクスよ
これらの盲目な衝動から動く世界を
素晴らしく美しい構成に変へよ
 AGAINST WAR LAW
 GO VOTE 

潮や風、歴史や科学、知と友愛と……
あらゆる価値あるものを用ひ尽くして
諸君は新たな世界を形成するのに努めねばならぬ

戦争法廃止の声を上げつつある若者よ
 君たちの目の前に、
 君たちの受け継ごうとしているこの世の現実がある。
 富を持つ者が支配者となり、
 権力を持つ者が富を持つ者に奉仕するこの社会。
 不本意ながら、これが現世代の君たちへの遺産だ。

 富を持つ者はさらに収奪をくわだて
 権力を握る者は、持たざる者の抵抗を押さえつける。
 富める者、力ある者に、正義も理想もない。

巨きなる理想もて、卑小なる現実を拒否せよ
ああ諸君こそはいま
この颯爽たる諸君の未来圏から吹いて来る
透明な風を感じつつあるのだ  
 AGAINST WAR LAW
 GO VOTE 
(2016年2月22日)

「機密解禁文書にみる日米同盟」(末浪靖司著)から見えてくる、日米安保体制と9条擁護のたたかいの構図

本日は、日民協憲法委員会の学習会。末浪靖司さんを講師に、「『機密解禁文書にみる日米同盟』から読み解く日米安保体制と私たちのたたかい」というテーマ。

末浪さんは精力的にアメリカの公開された機密公文書を渉猟して、日本側が隠している安保関係の密約文書を世に紹介していることで知られるジャーナリスト。『機密解禁文書にみる日米同盟』は、その成果をまとめた近著である。

最初に、アメリカの文書開示制度と国立公文書館についての解説があった。
1789年フランス人権宣言15条には、「社会は、その行政のすべての公の職員に報告を求める権利を有する」と明記されている。フランス革命に先立って、独立革命をなし遂げたアメリカ合衆国第2代大統領アダムズ(独立宣言起草に参加)は、「政府が何をしているかを知るのは国民の義務」とまで述べ、これが公文書公開制度のモットーとなって、1967年制定の「情報の自由法」FOIA(The Freedom of Information Act)に生きている。その充実ぶりは、日本の外務省の外交文書公開の扱いとは雲泥の差。この10年アメリカ公文書館その他に通って、大要下記のことを確認した。

※アメリカ政府の憲法9条改憲の内的衝動と米軍の駐留
☆アメリカ政府内で最も早い時期に改憲要求を明確化したのは、ジョン・B・ハワード国務長官特別補佐官(国際法学者)である。
アメリカの核独占体制がソ連の核実験によって破られ中華人民共和国が成立するという状況下の1949年11月4日、機密文書「日本軍隊の復活に関する覚書」の中で、「日本再軍備の決定は、憲法の『戦争と軍隊の放棄』をどうするかという決定と無関係ではない」とし、同月10日には、国務長官宛の機密覚書で、「日本軍復活に関して国務省のとるべき態度」との表題をつけて「米の援助と日本の資金・労力は米軍の駐留と強力な警察部隊の維持にあてられるべき」と述べている。
ハワードは、国務長官をはじめ国務省、国防総省などに論文、報告書をばらまいて自分の考えを売り込んだ。彼は、9条改憲を望みながらも、改憲が実現する前に米軍駐留を合憲とする理屈を考えた。50年3月3日付の極秘報告「軍事制裁に対する日本の戦争放棄の影響」には、「外国軍隊は日本国憲法9条が禁止する戦力ではない」「外国軍事基地は憲法の範囲内の存在」という、その後の安保そして砂川判決の論理が明記されている。

☆日本の再軍備と改憲要求は米軍司令部から出てきている
1950年8月22日ブラッドレー統合参謀本部長から国防長官宛の機密覚書「主題:対日平和条約」には、「アメリカは非武装・中立の日本に生じる軍事的空白を容認し続ける立場にはない。それ(軍事的空白の解消)は、万一世界戦争が起きた際に、アメリカの戦略と世界戦争に良い結果をもたらすだろう」
また、同年12月28日付統合参謀本部への機密文書「アメリカの対日政策に関する共同戦略調査委員会報告」では、「米国の軍事的利益は日本の能力向上により得られる。そのために憲法変更は避けがたい」と9条改憲の意向が明確化されている。
さらに、51年3月14日統合参謀本部宛の海軍作戦部長の機密覚書には、「日本が合法的に軍隊を作れるようになる前に、憲法の改定が必要になる」とされている。

☆1951年8月8日 統合参謀本部から国防長官へ、極秘覚書、主題:対日平和条約に関する文書 「行政協定により、ダレス訪日団が準備した集団防衛に参加する」。12月18日統合参謀本部から国防長官宛の機密覚書には、「統合参謀本部は、戦時には、極東米軍司令官が日本のすべての軍を指揮する計画である」。52年2月6日文書には、「行政協定交渉で米側提案:軍事的能力を有する他のすべての日本国の組織は、米国政府が指名する最高司令官の統合的指揮の下に置かれる」とされている。
こうして、旧安保条約が成立した。

※安保改定秘密交渉で改憲問題はいかに議論されたか
1958年8月1日 マッカーサーⅡ(ダグラスマッカーサーの甥。)大使から国防長官へ、秘密公電は「適切な措置をとることが、安保条約を改定し、日本の軍隊を海外に送り出すことを可能にする憲法改定の時間をわれわれに与えてくれるだろう」としている。
8月26日 マッカーサーから国務長官への極秘公電には、「岸は自分が考えていることを大統領に知ってもらいたいと言って、友人としての最初のフランクな会話をしめくくった。——私は個人的には、岸が好む線で日本との安保関係を調整することが、われわれ自身の利益になると考える。」とある。
その岸は、同年10月15日に、NBC放送のインタビューで「日本が自由世界の防衛に十分な役割を果たすために、憲法から戦争放棄条項を除去すべき時がきた」と述べている。

☆58年10月4日帝国ホテルで藤山愛一郎とマッカーサーの秘密交渉が開始され、安保改定の原案が固まった。藤山は東京商工会議所会頭で、海軍省の顧問であり、東条内閣の終末を決めた岸とは親友の間柄。

折り合わなかったのは、藤山が安保条約第3,5,8条を「憲法の枠内」「憲法の制約の範囲内で」と提案。アメリカ側は「憲法の規定に従うことを条件として」という対案。結局アメリカ案で決着するが、この間の文書が興味深い。たとえば、59年6月18日マッカーサーからディロン国務長官への機密公電「われわれが提案した(「憲法の規定に従うことを条件として」などの)文言を[日本側が]受け入れることが難しいのは、憲法に自衛力に関するいかなる規定もないことからきている。反対に、憲法第9条では、陸海空軍を、その他の戦力とともに、日本が維持することを絶対的に禁止している。日本国憲法は、固有の自衛権を、したがって自衛隊の必要性を否定していないと解釈されている一方で、そうした能力が「憲法の規定に従うことを条件として」維持され発展させられるということは、法的に不可能である。なぜなら、憲法にはそうした規定がないからである。」

☆マッカーサー大使の情勢観
ダグラス・マッカーサーⅡ(駐日大使)は、沖縄をはじめ、九十九里浜、内灘、妙義山、砂川、北富士、横田、立川、新潟、小牧、伊丹、木更津などの基地反対闘争、原水爆禁止と核持ち込み阻止を求める日本国民の運動に手を焼いたジョン・フォスター・ダレスにより日本に送り込まれた。マッカーサーが57年2月に東京に着任した時、日本はジラード事件や米兵犯罪で米軍に対する怒りが渦巻いていた。
危機感をもったマッカーサーは、4月10日岸信介と長時間にわたり密談し、「このままでは、米軍は日本から追い出される」と長文の秘密公電で日本の情勢を報告している。

報告はもっと多岐にわたるが、上記のことからだけでも、以下の事情がよく分かる。
1947年に施行となった日本国憲法は、その直後の冷戦開始以来、日米両政府から疎まれ改憲が目論まれる事態となっている。そのイニシャチブは常にアメリカ側にあり、改憲論を裏でリードし続けたのがアメリカ政府の意向であった。旧安保条約、改定安保条約が基本的にそのようなものであり、そしてガイドライン、新ガイドライン、さらには新新ガイドラインも同様である。

憲法を侵蝕する安保条約、ないしは安保体制の実質的内容は、アメリカの意向と日本の国民の闘いとの力関係で形づくられてきた。これが、末浪報告の核心だと思う。アメリカの意向とは、アメリカの軍事的世界戦略が日本に要求するところだが、実は軍産複合体の際限の無い戦争政策である。そして、これに対峙するのが、核を拒否し米軍基地のない平和を願う日本国民の戦後の平和運動である。

アメリカにおもねりつつ、9条改憲をねらっていた岸政権を倒した60年安保闘争が、あの時期の改憲を阻止した。そしていま、また安倍政権が、9条改憲をねらっており、その背後にはこれまでのようにアメリカがある。

末浪報告で、戦後の歴史の骨格が見えてきたように思える。詳細は、「機密解禁文書にみる日米同盟-アメリカ国立公文書館からの報告」(末浪靖司・高文研)を参照されたい。
(2016年2月5日)

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