澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

共謀罪法案は国民の自由に敵対する危険物だ。

本日(5月23日)夕刻、仕事を切り上げて国会前に駆けつけた。5時少し過ぎころだったが、衆議院の本会議は既に終わっていた。共謀罪法案は、自民・公明・維新の保守3党の数の力で、衆議院を通過した。4野党は、論戦に力を尽くしたと思う。しかし、衆寡敵せず、数の力に押し切られた。この数の力を、自民・公明・維新の非立憲・非民主3党に与えたのは、国民自身だ。

本来、民主主義とは多数決主義ではない。討議によって国民に利益をもたらす政策を見いだし合意して決定するプロセスである。言うまでもなく、重要なのは審議時間ではなく、よりよい政策に到達すべき議論の深まりこそが重要だ。

国民の自由にかくも危険きわまる法案である。討議を通じて、その欠陥が炙り出されつつあった。当然に廃案になるか、大きく修正されるべきことが明らかとなってきていたではないか。277罪の共謀罪を作ろうという法案。1罪について4時間の議論を重ねれば1000時間が必要だ。30時間では、ようやく議論が緒に就いたばかり。熟議にはほど遠い醜態をさらしての審議打ち切りと採決の強行。

自・公・維の思惑は、「この欠陥法案は審議を重ねるほどにボロが出る。日が経つに連れ反対世論が大きくなるのだから、無理は承知で早めに審議を打ち切って成立させるに越したことはない。国民がこの法案の危険性を見抜いて、大きな反対運動が盛りあがらないうちに」というもの。そのよこしまな思惑を潰しきることができない。これが、私たちの国の民主主義成熟度の現状なのだ。

もちろん、共謀罪法案(組織犯罪処罰法改正案)は衆院を通過しただけで、まだゴールは先のことだ。ようやく、法案の危険性は国民の間に浸透しつつある。メディアも本格的な報道や論評をするようになってきた。

これまで、「テロ等準備罪」という、取って付けた法案名の印象操作が功を奏してきたのがもどかしい。「テロ制圧のためなら、多少の人権制約に行き過ぎがあっても、やむをえないじゃないか」「テロ対策は、屋上屋を重ねてもよいじゃないか」「安全のためだ。自由だの人権だのと言っておられないのでは」という、気分がありはしないか。

しかし、この法案はテロ対策を目的としたものではない。テロ防止に役に立たない。もともとは、TOC条約(パレルモ条約)の締結に必要という政府の説明だった。同条約は、マフィアやヤクザという組織暴力に対する経済面からの封殺を目的とするもので、政治的テロの予防や制圧を目的とするものではない。

しかも、277もの犯罪について実行行為着手以前の「共謀」の段階で摘発しようという無茶な法律を作ろうというのだ。犯罪の実行行為がないのに処罰の対象となるのだから、刑罰権の恣意的な発動に道を開くことになる。何が国民に禁止される行為で、何が自由になしうる行為なのかの境界が不明なる。権力は、その恣意でどんな行為も摘発しうることになる。暗い監視社会が到来しかねない。

その指摘に、政権の側はこう反論する。「それは杞憂だ。この法は、『テロリズム集団その他の組織的犯罪集団』の活動として行われる行為だけを処罰するもので、「一般人が捜査の対象になることはない」。これに欺されてはならない。

そもそも、「一般人」とは何だ。定義なしに「一般人が捜査の対象になることはない」ということはまったく無意味である。刑法は、殺人・窃盗・詐欺・放火等々の犯罪行為を定める。「犯罪を犯す者は、一般人ではない」と言えば、「全ての刑事法の全ての犯罪は、犯罪者だけを対象とするもので、一般人を対象とするものではない」ことになる。

むしろ政権は、特定のグループに属する人々を念頭において、それに属しない人々を「一般人」と言っているとの疑念を払拭できない。政権の頭の中では、国民が二分されている。処罰対象の「組織的犯罪集団たりうる、特定グループ」とそれ以外の「一般人」に。『テロリズム集団その他の組織的犯罪集団』の定義は極めて曖昧なのだ。だから、「特定のグループ」は、法の運用次第、どのようにでも構想できることになる。

1925年成立の治安維持法においては、「特定のグループ」は、法文に書きこまれていたわけではないが、明らかに共産党であった。つまり、「この法律は、共産党だけに適用します。それ以外の『一般人』が捜査の対象になることはない」「だから、『一般の方』が案ずるには及ばない」としての立法だった。

しかし、治安維持法がその後大きく育ち、共産党だけではなく、社会民主主義者にも、労働運動にも、在日の民族独立運動にも、平和運動にも、報道の自由にも、教育運動にも猛威を振るったことは周知の歴史的事実。「特定のグループ」は限りなく肥大し、「一般人」は限りなくその範囲を狭めていったのだ。

歴史的教訓として確認しなければならないことは、国民はけっして、「自分は一般人の範疇」として安閑としてはおられないということなのだ。それは、特定の人の自由を見殺しにするにとどまらず、自分が享有するものでもある自由一般を失うことにつながる。共謀罪法案とは極めて曖昧な構成要件で、日常行為が広く犯罪として摘発される危険性をもつことにある。まずは、「特定グループ」がターゲットになるのではあろうが、やがては誰をも、摘発の対象にしかねないのだ。

これからが、反対運動の本番だ。私も非力ながら、できるだけのことをしなければならない。あとになって悔やむよりは、今の苦労を選ぶべきなのだから。
(2017年5月23日)

田母神有罪からの教訓:「選対事務局長から、ご苦労様とカネを渡されても、受けとってはらない」。

本日昼過ぎ、いつものように性能の悪いラジオのスイッチを入れた。いつにもまして、受信状態がよくない。雑音に紛れて聞き取りにくいニュースが流れてきた。思いがけない内容だったが、私の耳にはこう聞こえた。

『学校法人森友学園の小学校敷地とするための国有地売買契約、および、学校法人加計学園による岡山理科大学獣医学部設立認可申請に対する認可に関して、政治家としての口利きがあったとしてあっせん利得罪に問われていた現職総理大臣に、本日東京地方裁判所は執行猶予付きの有罪判決を言い渡しました。
公訴事実は、「同被告人が国会議員として、請託を受けて政治家の権限に基づく影響力を行使して、公務員の職務上の行為をさせるようにあっせんし、国有地売買において破格の廉価による売買を成立させるよう、また腹心の友と呼ぶ知人が経営する学校法人が他の有力候補を除外して設立認可に至るよう、公務員に働きかけ、そのことに関する報酬として財産上の利益を受けた」というものです。
同被告は、「請託を受けたことも、政治家としての権限に基づく影響力を行使したことも、あっせん(口利き)をしたことも、報酬を受けたこともない」と、全面的に争って無罪を主張していましたが、判決は、「具体的客観的な経過を見れば、余りに不自然で不合理な結果が生じており、事実を隠蔽しようと画策していたこととも相まって、関係各公務員が被告人の指示や了承を得ないでことを進めたとは到底考えられない。被告人の弁明は信用できない」と斥けました。
その上で、「事案は民主主義の根幹である行政の公正さに大きな疑念を抱かせたもので、被告人は行政の最高責任者としての自覚を欠いたことにおいて厳しい非難を免れない」と指摘しました。
判決言い渡し後記者会見を開いた同被告と弁護人は、「納得のできない思い込み判決。到底承服できない。直ちに控訴して徹底して争う」と控訴の意向を明らかにしています。』

後ほど、私の聞き間違えだったことに気がついた。あのニュースは、現職総理に関連したものではなく、田母神俊雄有罪判決の報道だった。認知バイアスの作用が、私にとって望ましいように聞き間違えをさせたのだ。

実際のニュースは、次のとおりだ。
「2014年の東京都知事選挙で、運動員に報酬を渡した罪に問われた田母神俊雄元航空幕僚長(航空自衛隊トップ)に対し、本日(5月22日)東京地方裁判所は無罪の主張を退け、執行猶予のついた懲役1年10か月の有罪判決を言い渡した。
田母神被告は無罪を主張していたが、家令和典裁判長は、陣営の元幹部2人との共謀を認定。「買収を了承するだけでなく、増額も指示しており、役割は小さくない。公職の立候補者としての自覚を欠き、厳しい非難を免れない」と述べた。

判決によると、田母神被告は、陣営の元出納責任者・鈴木新(有罪確定)と共謀し、都知事選後の14年3月中旬、元選対事務局長の島本順光被告(公判中)に選挙運動を統括した報酬として現金200万円を提供。同年3月中旬~5月8日には、島本被告や元出納責任者と共謀し、運動員5人に計280万円を渡した。動いたカネは、合計480万円である。なお、金を受けとった側の運動員も全員起訴されている。要求したわけではなく、「ご苦労様」とねぎらわれて渡された金。これを受けとったがゆえの犯罪。災難と言えば、この上ない災難ではあろう。

田母神は、「現金を配ることを了承したり、指示したりしたことは一切なかった」として無罪を主張したが、判決は「報酬一覧を記載した書類に(田母神被告を指す)『会長指示』とあり、島本被告が指示や了承を得ないことは考えられない。被告自身の供述も一貫しておらず、信用できない」と斥けた。その上で「民主主義の根幹である選挙の公正さに大きな疑念を抱かせた」と指摘した。

田母神は閉廷後、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見した。
「非常に残念な判決。私は絶対に共謀などしていない。やってもいないことで有罪にされたのではかなわんな、というのが正直な気持ち。公正な裁判がなされたのか疑問がある」と納得できない様子で語った。控訴については「控訴する方向で考えているが、今後、(弁護人らと)相談して最終的に決めたい」とした。

政治とカネ、選挙とカネについての貴重な教訓を提供する事件。確認しておこう。選挙運動は飽くまで無償が原則。運動員に現金を渡せば、公職選挙法違反の運動員買収の罪に問われる。金をもらった運動員も犯罪者となる。似たような話は身近にいくつもある。

田母神が有罪となった罰条は、運動員買収である。条文を抜粋すれば以下のとおり。
「公職選挙法第221条
次に掲げる行為をした者は、3年(候補者がした場合は4年)以下の懲役若しくは禁錮又は50万円(100万円)以下の罰金に処する。
一 当選を得、若しくは得しめ又は得しめない目的をもって、選挙人又は選挙運動者に対し金銭、物品その他の財産上の利益の供与、その供与の申込み若しくは約束をしたとき。」

公選法上の買収には2種類ある。選挙人買収と運動員買収である。選挙人(有権者)を買収することは、直接に票をカネで買うことだ。運動員の買収とは票を集める人を買収すること、間接的にカネで票を買うことにほかならない。選挙運動は無償が大原則なのだから、選挙運動員にカネを渡してはならない。カネを渡せば運動員買収罪が成立する。受けとった運動員も処罰対象となる。買収だけでなく供応も同じだ。今どき、選挙人買収は滅多にない。ほとんどが運動員買収事案である。

選挙運動は、判例において「特定の選挙について、特定の候補者の当選を目的として、投票を得又は得させるために直接又は間接に必要かつ有利な行為」と定義されている。選挙運動は飽くまで、自発的な意思によって行われるべきもので報酬があってはならない。もっとも選挙運動には当たらない純粋な労務の提供や事務作業者に対しては、予め届け出た者に限って決められた範囲の額の対価を支払うことができる。気をつけなければならないのは、たとえ労務者として届出があっても、単純労務の提供の範囲を超えて「選挙運動をした者」となれば報酬を支払ってはならないということだ。

私は、2013年の暮れから14年の1月にかけて、連続33日間「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」のシリーズを書き続けた。その中で、12年暮れの都知事選における宇都宮陣営の田母神案件類似問題について、詳細に報告した。

金額の大小の差はあれども、宇都宮選対事務局長と選対本部長とは、田母神陣営と似たことをしている。その報告は、下記のURLでお読みいただきたい。
http://article9.jp/wordpress/?cat=6

あらためて当時のことを思い出す。本日の田母神有罪判決は、私の、宇都宮陣営における運動員買収の指摘が杞憂でなかったことを裏付けるもの。再度しっかりと確認しておきたい。選挙運動は飽くまで無償でやることなのだ、と。

田母神陣営は選対ぐるみの選挙違反として摘発され、訴追は徹底したものとなった。起訴されたものは合計10名に及ぶ。
田母神俊雄(候補者)   逮捕後起訴
島本順光(選対事務局長) 逮捕後起訴
鈴木新(会計責任者)   在宅起訴
運動員・6名       在宅起訴
ウグイス嬢・女性     略式起訴

ウイキペディアからの孫引きだが、以下は田母神出馬についての賛同者リストからの抜粋である。アベ政治の応援団とほとんど重なっている。アベ・コア人脈と言ってもよいのではないか。それでいて、なお、これだけの訴追の徹底なのだ。

政治家
石原慎太郎(元東京都知事)
土屋敬之(元東京都議会議員)
中山成彬(日本維新の会衆議院議員)
西村眞悟(無所属衆議院議員)
平沼赳夫(日本維新の会衆議院議員)
三宅博(日本維新の会衆議院議員)
松田学(日本維新の会衆議院議員)

大学教員
小堀桂一郎(東京大学名誉教授)
西部邁(元・東京大学教授)
藤岡信勝(元・東京大学教授、元・拓殖大学教授)
中西輝政(京都大学名誉教授)
荒木和博(拓殖大学教授)
小田村四郎(拓殖大学元総長)
関岡英之(拓殖大学客員教授)
石平(拓殖大学客員教授・評論家)
杉原誠四郎(武蔵野大学教授・新しい歴史教科書をつくる会会長)
西尾幹二(電気通信大学名誉教授)
渡部昇一(上智大学名誉教授・故人)

実業家
中條高徳(アサヒビール名誉顧問、日本会議代表委員)
水島総(日本文化チャンネル桜元社長)
元谷外志雄(アパグループ代表)

評論家・芸能人など
加瀬英明(外交評論家)
クライン孝子(作家)
デヴィ・スカルノ(スカルノ元大統領第3夫人)
すぎやまこういち(作曲家・日本作編曲家協会常任理事)
西村幸祐(評論家)
百田尚樹(作家)
三橋貴明(経済評論家)
上念司(経済評論家)

選挙運動に参加する者は、無償が大原則であることをわきまえよう。常に心掛けねばならない。選対本部長や事務局長から「ごくろうさまです」とカネを差し出されても、迂闊にもらってはならない。犯罪として立件される虞のある危険な事態だと心得なければならない。
(2017年5月22日)

また出た『忖度』ー「我が意の忖度不十分で不満」というパターン。

昨今おおはやりの「忖度」。またまた出てきた。今度は新バージョンだ。しかも、憲法問題として、事態は重大である。

アベ友学園事件でも、腹心の友学園事件でも、「忖度」されたとする意向の当人は、「忖度あったとの疑惑は迷惑、忖度されるような意向は断じてなかった」という否定の文脈で語っている。ところが今度は、「どうして私の意向を忖度してくれないのか」「もっと忖度あってしかるべきではないか」という文脈の語り口なのだ。これが、「新バージョン」という所以。

本日(5月21日)の毎日新聞トップ記事。「陛下・公務否定に衝撃」という大見出し。サブの見出しを拾ってみると、「有識者会議での『祈るだけでよい』」「『一代限り』に不満」そして、「『象徴』実践と不可分」「陛下の祈り 全身全霊」などというもの。

なお、デジタル版の報道には、「宮内庁幹部『生き方否定』」という見出しもつけられている。
宮内庁幹部は、有識者会議での保守派メンバーによる『祈るだけでよい』という発言に、天皇は『生き方を否定』されたと衝撃を受けている、と語っている」という文脈。

この記事、記者の署名がはいってはいるが、単なる報道ではない。内容からみて、社説に準ずる新聞社の意見と見てよかろう。その姿勢、看過し得ない。大いに問題ではないか。

記事は、一面と三面にまたがっている。三面の記事は「皇室考」という続き物の第1回という体裁。毎日新聞の、天皇の「ご意向」への忖度であふれた内容。その中に、天皇の「世間は、どうして私の意向を十分に忖度してくれないのか」との嘆きが、ことこまかく書き連ねられ、毎日が賛意を表している。さながら、不遇の天皇を支える「忠臣メディア・毎日新聞」という趣である。

一面・トップの記事を引用しておきたい。
『天皇陛下の退位を巡る政府の有識者会議で、昨年11月のヒアリングの際に保守系の専門家から「天皇は祈っているだけでよい」などの意見が出たことに、陛下が「ヒアリングで批判をされたことがショックだった」との強い不満を漏らされていたことが明らかになった。陛下の考えは宮内庁側の関係者を通じて首相官邸に伝えられた。

陛下は、有識者会議の議論が一代限りで退位を実現する方向で進んでいたことについて「一代限りでは自分のわがままと思われるのでよくない。制度化でなければならない」と語り、制度化を実現するよう求めた。「自分の意志が曲げられるとは思っていなかった」とも話していて、政府方針に不満を示したという。

宮内庁関係者は「陛下はやるせない気持ちになっていた。陛下のやってこられた活動を知らないのか」と話す。

ヒアリングでは、安倍晋三首相の意向を反映して対象に選ばれた平川祐弘東京大名誉教授や渡部昇一上智大名誉教授(故人)ら保守系の専門家が、「天皇家は続くことと祈ることに意味がある。それ以上を天皇の役割と考えるのはいかがなものか」などと発言。被災地訪問などの公務を縮小して負担を軽減し、宮中祭祀だけを続ければ退位する必要はないとの主張を展開した。陛下と個人的にも親しい関係者は「陛下に対して失礼だ」と話す。

陛下の公務は、象徴天皇制を続けていくために不可欠な国民の理解と共感を得るため、皇后さまとともに試行錯誤しながら「全身全霊」(昨年8月のおことば)で作り上げたものだ。保守系の主張は陛下の公務を不可欠ではないと位置づけた。陛下の生き方を「全否定する内容」(宮内庁幹部)だったため、陛下は強い不満を感じたとみられる。(中略)

陛下が、昨年8月に退位の意向がにじむおことばを表明したのは、憲法に規定された象徴天皇の意味を深く考え抜いた結果だ。被災地訪問など日々の公務と祈りによって、国民の理解と共感を新たにし続けなければ、天皇であり続けることはできないという強い思いがある。』
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事実関係がこの記事のとおりであるとすれば、問題はすこぶる大きい。天皇は自分の意向が法の整備に反映されて当然と考えているようなのだ。忖度不十分との不満を言える立場と思い込んでいるだけでなく、実際に宮内庁幹部(ないし「関係者」)を通じて内閣に不満を伝えている。「自分の意志が曲げられるとは思っていなかった」とまで、メディアにリークもしている。これは天皇の越権、というよりは叛乱というべきではないか。

私は、平川祐弘も渡部昇一も、虫酸が走るほどに大嫌いだ。しかし、平川も渡部も主権者たる国民の一人として、天皇制や天皇のあり方についてはどのようにも意見を述べる権利がある。国民の誰もがその意見に賛否を示し批判し反論する自由をもつが、天皇にだけはその自由がない。天皇は、国民の総意に基づいて存在する。天皇のあり方は、天皇制の廃止を含めて、すべて国民の議論にゆだねられていることを自覚しなければならない。天皇の立場で、「不満だ」「失礼だ」と言ってはならない。

もっとも、毎日のスタンスについては、原則論からではない別の角度から忖度することが可能だ。
毎日は、現天皇を護憲リベラル派の一員と見て、改憲右翼勢力の先頭にあるアベ政権と対峙させる図式を描いている。平川や渡部は、アベ政権の手先との位置づけで、その意見が批判されているのだ。

所詮天皇とは、政治の道具。幕末の西南雄藩連合と幕府方との拮抗の中で、「玉」と言われた天皇の取り込み合戦が行われた。たまたまそれに勝って、「玉」を手にした方が、「官軍」となったに過ぎない。そう考えれば、いま、リベラルな天皇という「玉」を最大限活用して、アベ改憲勢力に対峙しようとする合理性は納得できなくもない。

毎日は、この政治的プラグマティズムの視点や実践を意識的に貫いているのかも知れない。しかし、天皇制とは、そもそも民主主義にはなじまない危険物である。取り扱いはすこぶる難しい。取り扱いを誤れば、制御しきれず暴走し暴発しかねない。私は、詭道を衒わず、原則論に徹すべきだと思う。
(2017年5月21日)

私がけっして天皇主義者にならないわけ

なんとなく、ネットを検索していたら、「内田樹 私が天皇主義者になったわけ」(『月刊日本』編集部)という記事にぶつかってギョッとした。アップされた日付は、2017年5月3日とされている。これまで、気付かなかった。

内田樹については、よく知っているわけではない。しかし、悪い印象はもっていなかった。リベラルな陣営にある人との思い込みは強く、また、滑らかなよく練れた文章を書く人とも思っていた。その人が、「私が天皇主義者になったわけ」を語ろうと言うのだ。もっとも、このタイトルが内田自身のものか、それとも『月刊日本』編集部が付けたものなのかはよく分からない。

かたちは、『月刊日本』編集部のインタビュー記事である。総合タイトルが、「天皇陛下の『おことば』を受けて」というもののようだ。天皇の「8月8日メッセージ」を素材に、「弊誌としては、各界の識者にお話をうかがい、そもそも日本にとって天皇とは何かということを議論していきたいと考えています。」という企画。

「弊誌5月号に掲載した、神戸女学院大学名誉教授で思想家である内田樹氏のインタビューを紹介したいと思います。全文は5月号をご覧ください。」とのイントロで、内田は、次のように語っている。

象徴天皇の本務は「慰霊」と「慰藉」である

昨年のお言葉は天皇制の歴史の中でも画期的なものだったと思います。日本国憲法の公布から70年が経ちましたが、今の陛下は皇太子時代から日本国憲法下の象徴天皇とはいかなる存在で、何を果たすべきかについて考え続けてこられました。その年来の思索をにじませた重い「お言葉」だったと私は受け止めています。

「お言葉」の中では、「象徴」という言葉が8回使われました。特に印象的だったのは、「象徴的行為」という言葉です。よく考えると、これは論理的には矛盾した言葉です。象徴とは記号的にそこにあるだけで機能するものであって、それを裏付ける実践は要求されない。しかし、陛下は形容矛盾をあえて犯すことで、象徴天皇にはそのために果たすべき「象徴的行為」があるという新しい天皇制解釈に踏み込んだ。その象徴的行為とは「鎮魂」と「慰藉」です。

ここでの「鎮魂」とは先の大戦で斃れた人々の霊を鎮めるための祈りのことです。陛下は実際に死者がそこで息絶えた現場まで足を運び、その土に膝をついて祈りを捧げてきました。もう一つの「慰藉」とは「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」と「お言葉」では表現されていますが、さまざまな災害の被災者を訪れ、同じように床に膝をついて、傷ついた生者たちに慰めの言葉をかけることを指しています。

死者たち、傷ついた人たちのかたわらにあること、つまり「共苦すること(コンパッション)」を陛下は象徴天皇の果たすべき「象徴的行為」と定義したわけです。

憲法第七条には、天皇の国事行為として、法律の公布、国会の召集、大臣や大使の認証、外国大使公使の接受などが列挙されており、最後に「儀式を行うこと」とあります。陛下はこの「儀式」が何であるかについての新しい解釈を示されたのです。それは宮中で行う宗教的な儀礼のことに限定されず、ひろく死者を悼み、苦しむ者のかたわらに寄り添うことである、と。

憲法第1条は天皇は「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」であると定義していますが、この「象徴」という言葉が何を意味するのか、日本国民はそれほど深く考えてきませんでした。天皇は存在するだけで、象徴の機能は果たせる。それ以上何か特別なことを天皇に期待すべきではないと思っていた。

けれど、陛下は「お言葉」を通じて、「儀式」の新たな解釈を提示することで、そのような因習的な天皇制理解を刷新された。天皇制は「いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくか」という陛下の久しい宿題への、これが回答だったと私は思っています。

「象徴的行為」という表現を通じて、陛下は「象徴天皇には果たすべき具体的な行為があり、それは死者と苦しむもののかたわらに寄り添う鎮魂と慰藉の旅のことである」という「儀式」の新たな解釈を採られた。そして、それが飛行機に乗り、電車に乗って移動する具体的な旅である以上、それなりの身体的な負荷がかかる。だからこそ、高齢となった陛下には「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくこと」が困難になったという実感があった。

「お言葉」についてのコメントを求められた識者の中には、国事行為を軽減すればいいというようなお門違いなことを言った者がおりましたけれど、「お言葉」をきちんと読んだ上の発言とはとても思えない。国会の召集や大臣の認証や大使の接受について「全身全霊をもって」というような言葉を使うはずがないでしょう。「全身全霊をもって」というのは「自分の命を削っても」という意味です。それは鎮魂と慰藉の旅のこと以外ではありえません。

天皇の第一義的な役割は祖霊の祭祀と国民の安寧と幸福を祈願すること、これは古代から変わりません。陛下はその伝統に則った上でさらに一歩を進め、象徴天皇の本務は死者たちの鎮魂と苦しむものの慰藉であるという「新解釈」を付け加えられた。これを明言したのは天皇制史上初めてのことです。現代における天皇制の本義をこれほどはっきりと示した言葉はないと思います。何より天皇陛下ご自身が天皇制の果たすべき本質的な役割について明確な定義を行ったというのは、前代未聞のことです。私が「画期的」と言うのはその意味においてです。……

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内田樹に聞いてみたい。

あなたのお考えでは、象徴天皇は、その本務として天皇の戦争責任にどう向き合うべきなのか。どうして、象徴天皇が、父親である昭和天皇の戦争責任を抜きにして他人事のように戦死者を「鎮魂」する資格があると考えられるのか。天皇の名の下の戦争で天皇に殺されたと考えている少なからぬ人々に、「謝罪」でなく「鎮魂」で済まされると本気で思っているのか。

象徴天皇の本務として、侵略戦争の被害国民や、被植民地支配国民への謝罪は考えないのか。天皇制警察の蛮行により虐殺された小林多喜二ほか、あるいは大逆罪、不敬罪の被告人とされた被害者やその家族も、象徴天皇の本務たる「鎮魂」と「慰霊」「慰謝」の対象なのか。また、東条英機ほかの戦争指導者についても、現天皇は鎮魂してきたというのか。

上記内田の一文は、文化史的な天皇論と、憲法上の天皇論が未整理に混在していてまとまりが悪い。文化史的な論述は自由ではあろうが、憲法論としては、トンデモ説と酷評せざるを得ない。

内田の結論は、「現代における天皇制の本義をこれほどはっきりと示した言葉はないと思います。何より天皇陛下ご自身が天皇制の果たすべき本質的な役割について明確な定義を行ったというのは、前代未聞のことです。私が『画期的』と言うのはその意味においてです。」というもの。これは、天皇の違憲行為の容認である。容認というよりは、むしろ称揚であり称賛でもある。天皇が、憲法上の天皇の役割を定義する権限はない。してはならないのだ。天皇の権限拡大を厳格にいましめたのが現行憲法にほかならない。

象徴天皇とは何か。一言で分かりやすく言えば、ロボットなのだ。AI時代のロボットではなく、カレル・チャペックが造語した当時のイメージのままのロボット。戦争の惨禍をもたらした戦前の体制への反省の一端として、天皇をなんの権限も権能ももたず、内閣の助言と承認でのみ動く機関と定めたのだ。

戦後の憲法解釈を良くも悪くもリードしたのは宮沢俊義(東大教授)である。彼の「全訂日本国憲法」(全訂第2版・芦部信喜補訂)74ページにこう記されている。
「天皇の国事行為に対して、内閣の助言と承認を必要とし、天皇は、それに拘束される、とすることは、実際において、天皇を何らの実質的な権力をもたず、ただ内閣の指示にしたがって、機械的に『めくら判』をおすだけのロボット的存在にすることを意味する。そして、これがまさに本条(憲法3条)の意味するところである」

この「天皇≒ロボット」説が、表現はともかく、憲法体系を整合的に考察しての通説。ごく当たり前の考え方。内田のように、天皇自身に憲法を自分流に解釈して行動する余地を認めたのでは、「まさに憲法の意味するところ」を没却することになる。内田説は、天皇に絶対の禁じ手を称揚するもの。贔屓の引き倒しというほかはない。

戦前の右翼は、美濃部達吉の「天皇機関説」を不敬として攻撃した。戦後は、さすがに宮沢の「天皇≒ロボット」説を不敬と攻撃する声は聞かない。代わって、内田流の「天皇非ロボット説」、あるいは天皇自身の憲法新解釈褒めそやし説が登場しているのだ。天皇批判を封じる効果をねらう点において、戦前右翼と内田説とは変わるところがない。

ことは、靖国問題として論じられてきたものとよく似ている。内田は、「憲法第7条には、天皇の国事行為として、…最後に『儀式を行うこと』とあります。陛下はこの『儀式』が何であるかについての新しい解釈を示されたのです。それは宮中で行う宗教的な儀礼のことに限定されず、ひろく死者を悼み、苦しむ者のかたわらに寄り添うことである、と。」

既述のとおり、天皇には「新しい憲法解釈を示」す権限はいささかもない。のみならず、天皇の行う『儀式』が宗教色をもつものであってはならない。「宮中で行う宗教的な儀礼」は、純粋に私的な行為としてのみ許容される。憲法7条の国事行為は、厳格な政教分離の原則に乗っ取って、一切の宗教色を排除したものでなくてはならない。天皇の行う『儀式』の中に、「祈り」や「鎮魂」「慰霊」を含めてはならない。世俗的に死者を悼む気持を儀礼化した追悼の行事は世俗的なものとして、天皇のなし得る「儀式」に含まれよう。しかし、死者の霊魂の存在という宗教的観念を前提とした鎮魂、慰霊は、政教分離違反の疑義がある。「祈り」も同様である。

いたずらに、形式的なことをあげつらっているのではない。天皇の、政治的・軍事的権力の基底に、天皇の宗教的権威が存在していたのである。天皇制の強権的政治支配の危険性の根源に、天皇の宗教的な権威があったことが重要なのだ。戦前の軍国主義も、植民地支配も、臣民に対する八紘一宇の洗脳教育も、神なる天皇の宗教的権威があったからこそ可能となったものであることを忘れてはならない。天皇に「鎮魂」や「祈り」を許容することで、再びの宗教的権威付をしてはならないのだ。

日本国憲法は、天皇に再び権力や権威を与えてはならないと、反省と警戒をしている。内田の説示が天皇礼賛一色で、何の警戒色もないことに、驚かざるを得ない。
(2017月5月20日)

衆議院法務委員会における共謀罪法案の採決強行に抗議する声明

2017年5月19日
 共謀罪法案に反対する法律家団体連絡会
  社会文化法律センター 代表理事 宮里邦雄
  自由法曹団      団長 荒井新二
  青年法律家協会弁護士学者合同部会 議長 原和良
  日本国際法律家協会  会長 大熊政一
  日本反核法律家協会  会長 佐々木猛也
  日本民主法律家協会  理事長 森英樹
  日本労働弁護団    会長  徳住堅治
  明日の自由を守る若手弁護士の会
             共同代表 神保大地・黒澤いつき
本日,衆院法務委員会において、共謀罪(「テロ等準備罪」)法案を含む組織犯罪処罰法改正案の採決が強行された。来週にも本会議への上程を計画していると伝えられる。私たちは,この暴挙に対し,満腔の怒りをもって強く抗議する。

そもそも、刑法は、どの行為が犯罪とされるかを定めているが、裏返せば、犯罪とされずに自由に行動できる範囲を定めているといえる。犯罪とは人の生命や身体自由名誉財産に被害を及ぼす行為と説明され、法益の侵害又はその現実の危険性が生じて初めて事後的に国家権力が発動されるというシステムは,我々の社会の自由を守るための制度の根幹である。
約300もの多くの犯罪について共謀の段階から処罰できることとする共謀罪法案は、既遂処罰を基本としてきた我が国の刑法体系を覆し、人々の自由な行動を制限し、国家が市民社会に介入する際の境界線を、大きく引き下げるものである。
私たちは沖縄ですでに弾圧の道具に使われている威力業務妨害罪の共謀罪が法案化されていることに警鐘を鳴らしたい。1999年に制定された組織犯罪処罰法によって、組織的威力業務妨害罪、組織的強要罪、組織的信用毀損罪が作られ、法定刑が長期3年から5年に引き上げられ、廃案となった2003年法案で共謀罪の対象犯罪とされた。これらの犯罪は、もともと構成要件があいまいで、労働運動などの弾圧法規として使われてきた問題のある犯罪である。この共謀罪はひとつだけでも治安維持法に匹敵する著しい危険性を持っている。自民党の2007年小委員会案では、これらの犯罪は共謀罪の対象から外されていたのに、これを何が何でも共謀罪の対象としようとしている安倍政権には、市民の異議申し立て活動に対する一網打尽的弾圧の意図を疑わざるを得ない。

「組織犯罪集団」の関与と「準備行為」を要件としても、法案の適用範囲を厳しく限定したものとは評価できない。首相は、一般人は処罰の対象にならないと説明しているが、同法案では、原発反対運動や基地建設反対運動などに適用され得る組織的威力業務妨害罪や、楽譜のコピー(著作権法違反)や節税(所得税法違反)など市民が普通の生活の中で行う行為が犯罪に問われかねないものも,対象犯罪に含まれている。そもそも、同法案には一般人を対象としないなどという文言はなく、「計画」と「準備行為」があれば、条文解釈上、誰でもが処罰対象となり得る規定となっている。現在の審議状況では、到底、私たち市民が納得できるだけの充分な説明が尽くされたとは言えない。警察は今でも,市民運動に関わる人の情報を収集したり,イスラム教徒だというだけで調査の対象とするなどの違法なプライバシー侵害を繰り返しているが,共謀罪が制定されれば、今以上に,市民の行動や,人と人との会話、目配せ、メール、LINEなど、人の合意のためのコミュニケーションそのものが広く監視対象とされる可能性が高い。政府は,共謀罪の制定が国連越境組織犯罪防止条約(TOC条約)の批准のために不可欠であるかのように主張するが,諸外国の例を踏まえれば、このような広範な共謀罪法案を成立させることなく国連条約を批准しても、国際的な問題は全く起きるものではない。また,この条約の目的はマフィアなどの経済的な組織犯罪集団対策であり、テロ対策ではない。日本は、国連の13主要テロ対策条約についてその批准と国内法化を完了している。法案には「テロリズム集団その他の組織犯罪集団」という言葉は入れられたものの、テロリズムの定義もなく、法の適用範囲を限定する意味はない。
共謀罪法案をめぐる衆議院法務委員会の審議・運営は,政府が野党議員の質問にまともに答える姿勢を放棄して「一般市民は捜査の対象にもならない」など根拠のない答弁を機械的に繰り返したり,野党議員が大臣に答弁を求めたにもかかわらず政府職員が勝手に答弁するなど,異常かつ非民主的という他ないものであった。5月17日,野党議員が金田法務大臣の解任決議案を提出したことは,道理にかなったものである。こうした異常な審議の挙句,いまだ審議すべき重要問題が多数積み残されたまま,本日,採決が強行されたことは,暴挙といわざるを得ない。

5月16日報道された朝日新聞の世論調査では、共謀罪法案を今国会で成立させる必要はないという意見は64%に達し、必要とする意見18%を大きく上回った。共謀罪法案反対の世論は急速に広がっており,国民の多数は、この間の審議を通じて浮かび上がってきた法案の多くの問題点について,審議を深めることを願っている。私たち共謀罪法案に反対する法律家団体連絡会は、我が国の人権保障と民主主義の未来に大きな禍根を残す共謀罪法案の成立を阻止するため、引き続き全力を尽くす決意である。
以上
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以上の声明の「超訳ver.」が発表されている。「明日の自由を守る若手弁護士の会」の文責になるもの。これも、ご紹介しておきたい。

今日、衆議院の委員会で、共謀罪をつくる法律案が無理やり通されました。来週にも、衆議院の本会議にかけられる計画だと報じられています。私たちは、心のどん底から怒ってるので抗議のシャウトをします。

刑法という法律は、どういうことをすれば犯罪になるか、どういう行為は自由にしていいのかを決めています。人の命や身体、財産などを傷つけたり、傷つける危険性があってはじめて、国家権力が動く、というシステムになっています。そうでないと、私たち自由に行動できないからです。共謀罪の法案は、約300もの犯罪について、話し合っただけのときから刑罰をあたえることができるとしています。この法案は、命などの危険があってはじめて罰されるというシステムをひっくり返し、私たちが自由に行動できないようにし、国家が市民の行動に簡単に口を出せるようにするものです。沖縄では、「威力業務妨害罪」という犯罪がすでに、市民の行動を取り締まるための『名目』に使われてしまっています。今回の法案では、その「威力業務妨害罪」も話し合えば共謀罪になるとされているので、めちゃくちゃ危険です。「組織的威力業務妨害罪」という犯罪は、もともと「何をすれば犯罪になるのか」があいまいで、労働組合の活動などをつぶすために使われてきたので、大問題です。これひとつとっても、戦前の治安維持法と同じレベルでキケンな法律なのです。自民党は、2007年の党内の議論では「組織的威力業務妨害罪」などは共謀罪に入れていなかったのに、安倍政権は、なにがなんでも話し合っただけで犯罪にしようとしています。「物言う市民」を手当たり次第に取り締まるつもりだとしか思えません。首相は、イッパンジンは処罰されないと言っています。でも、「組織的威力業務妨害罪」は、原発反対や米軍基地反対の活動に使われかねません。楽譜のコピーは著作権法違反になりますし、節税も所得税法違反と疑われかねません。こういった行為は、市民が普通にやっていることなのに、話し合っただけで犯罪になりえるのです。だいたい、「イッパンジンは処罰されない」なんて、法案のどこにも書いてありません。「計画」して「準備行為」があったとされれば、誰でも処罰される可能性があるのです。全然納得できません。警察は今でも、犯罪をしていない人の個人情報を集めたり、イスラム教徒だというだけで尾行したりして、プライバシーを侵害しています。共謀罪ができれば、今以上に、私たちの行動や会話、目線、メール、LINEなど、コミュニケーションそのものが監視されるおそれがあります。政府は、「共謀罪を制定しないとTOC条約を批准できない」と言っていますが、諸外国を見てみても、こんな広範な共謀罪法案を作らずに条約を批准しても、問題ありません。そもそもTOC条約はマフィア対策のもので、テロ対策ではありません。日本はすでに国連の13個のテロ対策条約を批准しているし国内にもバッチリ適用できています。共謀罪法案にはとってつけたように「テロリズム集団その他の組織犯罪集団」って言葉は入っていますが、テロリズムの定義もなく、あたかも「テロ対策」っぼく見せるためだけのものです。
衆議院法務委員会では、政府は野党議員の質問にまっっったくまともに答えず、「一般市民は捜査の対象にならない」と根拠レスな答弁をただただ繰り返したり、野党議員が大臣の答弁を求めているのに政府の職員が勝手に答弁したり、異常としか言いようがなく、民主主義を踏みにじるものでした。5月17日に野党議員が金田法務大臣の解任決議案を提出したのは、当たり前すぎるほど当たり前のことです。こんなめちゃくちゃな審議のあげく、まだまだ審議しなければならない問題は山ほどあるのに、今日、強行採決されたことは、「暴挙」以外の何者でもありません。

5月16日に報じられた朝日新聞の世論調査では、「共謀罪法案を今国会で成立させる必要はない」という声は64%に達し、「必要」という声(18%)を大きく上回りました。共謀罪法案に反対する声は猛烈なスピードで広がっていて、多くの国民が、衆議院での審議を通じて浮かび上がってきたこの法案の「ヤバさ」について、もっと審議してよと願っています。私たち共謀罪法案に反対する法律家団体連絡会は、日本の人権保障と民主主義の未来を大きくゆがめるであろう共謀罪法案の成立を食い止めるため、これからも全力を尽くします。
以上

風雲急を告げるなかでの、地域の『共謀罪』反対集会

ただいま、大谷昇文京春闘共闘会議議長から「STOP共謀罪、安倍暴走政治を許さない! 5・18 文京区民集会」の主催者としての開会のご挨拶がありました。引き続いて共謀罪法案審議の内容についての報告と学習に移ります。

主催者のご挨拶にもありましたように、はからずも風雲急を告げる事態での共謀罪反対集会となりました。本集会には、特別ゲストとして、暴走する安倍内閣の暴走法務大臣金田勝年さんをお招きいたしております。野党や市民からは「歴史に先例のない無能な法務大臣」と酷評されながら、数の力で救われてホッとしておられる金田法務大臣から、上程されている「共謀罪法案」の内容について、ご説明をいただきたいとの企画です。

ご紹介申しあげます。こちらが金田法務大臣です。実は、澤藤大河弁護士が法務大臣になりきって、共謀罪についてのご質問をいただき、ホンモノの法務大臣よりはるかに上手に、分かり易く共謀罪法案について、解説してもらいます。

もっとも、金田法務大臣は「共謀罪法案」という言葉を使いません、正確には「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律案」なのですが、どういうわけかこの法案を、提案者である内閣は「テロ等準備罪法案」と略称しているのです。政府の言い分がいかにインチキであるか、法務大臣自らに語っていただくことにいたします。

この金田法務大臣から説明を引き出す質問者役には、結束して共謀罪法案の廃案をめざす立場にある4野党の中から、日本共産党の福手ゆう子さんにお願いいたしました。実は、4月15日にも、同じ会場でよく似たシナリオで、福手さんに法務委員会での質問者役をお引き受けいただいたのです。これが、大変好評でしたので地元の大規模な集会に本日もう一度の登場をお願いした次第です。

その質問と回答のあと、金田法務大臣ご自身が、パワーポイントを駆使して、共謀罪の危険な本質と政権のねらいを解説します。そして、若干の質疑や意見交換のあと、集会アピールを採択して、デモ行進に移ることにいたします。

なお、皆様ご存じのとおり、共謀罪法案は3月21日閣議決定を経て国会上程され、衆議院法務委員会で審議が続いています。本日5月18日、つまり今日が法務委員会の強行採決かとの観測が報じられておりましたが、昨日17日に4野党共同の金田法務大臣不信任決議案が提出されて、現在審議がストップしております。

本日、午後1時開会の衆院本会議で同不信任決議案の審議が行われ、提案理由、賛成討議、反対討議を経て、先ほど残念ながら否決されました。場合によっては、明19日に法務委員会で自民・公明・維新の3党が強行採決し、週明けの23日にも、衆院通過となるかも知れないとの報道が飛びかっています。

是非とも、本集会で共謀罪の危険性を確認し、法案阻止の決意を固めようではありませんか。

では、質疑をお二人にお任せかせしますので、どうぞ。

Q 日本共産党の福手ゆう子でございます。
本日は、金田法務大臣には、わざわざ地域の共謀罪反対集会にご出席いただきありがとうございます。
最初にお伺いしますが、まだまだ議論が煮詰まらない法案審議ではありせんか。民主主義の常識から言えば、明日の強行採決などあってはならないこととと思いますが、大臣のお考えを聞かせてください。
A 審議が煮詰まったか否かは、私ではなく、法務委員会の委員長と、理事の皆さんが決めることですから、責任あるお答えは控えさせていただきます。
でも、ここは国会ではないから、本音をしゃべらせてもらえば、まあ、いつまでもだらだらと質疑を繰り返していてもしょうがない。衆議院では、30時間の審議があれば採決してもいいだろうとは思っています。委員会審議時間はもう26時間を超えていますから、30時間までは、もう少しの我慢と辛抱。それが過ぎたら、もう、こっちのもの。

Q なるほど、呆れたお考え。不信任決議案の中に、あなたのことを「国務大臣としての資質の欠如ぶりは、憲政史上例を見ないものと言っても過言でない」といっていることが、まことに的確であることがよく分かりました。
時間がありませんので、本論に移ります。大臣。なぜ、今、共謀罪の新設が必要なのでしょうか。
この共謀罪法案が成立すれば、広範な犯罪について、実行行為がなくとも共謀あるいは準備行為の段階で刑罰を科すことが可能になります。当然に、捜査も可能となります。つまりは犯罪の着手がなくとも、常に一般の市民に逮捕や捜索の危険が生じることになります。私たちの生活が、常に捜査機関の監視のもとにおかれることにもなりかねない。
とりわけ、政府が好もしいと思わない団体の行動については、恣意的に監視し取り締まることができるようになってしまいます。つまり、治安立法として、また弾圧法規として利用される危険な法案ではありませんか。だから、国民の強い反対を受けて、過去に3度も提案されながら、その都度廃案に追い込まれてきたではありませんか。
にもかかわらず、今回、4度目の法案提出となったその理由を明確に述べていただきたい。
A お答えのまえに、一言申しあげます。
今、あなたのご質問に「共謀罪法案」という法案名が出てきました。しかし、「共謀罪法案」ではございません。正確には「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律案」でありまして、これを提案者である内閣は「テロ等準備罪法案」と略称しているわけででございます。
法律の名称は、正確におっしゃっていただきたい。あなた方は、すぐにレッテルを貼りたがるが、これまで3度廃案となった「共謀罪法案」と今回提案の「テロ等準備罪法案」とはまったく違うものであることを最初に申しあげておきます。

Q えっ? では、これまで3度廃案となった「共謀罪」と、今回提案の内閣が「テロ等準備罪法案」という法案が、どう違うのか。そこから、ご説明をいただきましょうか。
A まず、分かり易いところでは、テロ等準備罪の対象となる犯罪の数が違います。
共謀罪法案では、実行行為への着手がなくても共謀の段階で処罰される犯罪の数は、676もあったのです。今回は、これをわずか91本の法律の、たった277罪に絞り込んだのです。どうです。676を277ですよ。全然違うでしょう。

Q 数の違いは大したことではありません。これこそ現代版「五十歩百歩」というべきでしょう。刑法や憲法の大原則を崩していることが問題なのではありませんか。
A いや、もちろん数だけというわけではありません。何が犯罪で、何が犯罪ではないかかが大変明瞭になったのです。
ご存じのとおり、「共謀罪」という罪を新たにつくろうということではありません。277の今ある罪を、「共謀」の段階でつかまえようと言うことです。具体的には、今ある組織的犯罪処罰法という法律に、6条の2という、分かり易い条文を新設することにしました。どんなに分かり易いか、その新設条文を読み上げてみましょう。

「次の各号に掲げる罪に当たる行為で、テロリズム集団その他の組織的犯罪集団(団体のうち、その結合関係の基礎としての共同の目的が別表第三に掲げる罪を実行することにあるものをいう。次項において同じ。)の団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を二人以上で計画した者は、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。
一 別表第四に掲げる罪のうち、死刑又は無期若しくは長期十年を超える懲役若しくは禁錮の刑が定められているもの 五年以下の懲役又は禁錮
二 別表第四に掲げる罪のうち、長期四年以上十年以下の懲役又は禁錮の刑が定められているもの 二年以下の懲役又は禁錮」

どうです。分かり易いでしょう。あとは、別表四と、別表三に書いてある277の罪のリストを探し、条文をよく読めばよいのです。しかも、捜査機関が濫用しないよう、厳格にいくつもの縛りがかけられていることがよくお分かりでしょう。

Q よくお分かりでしようと言われても、ちっとも、分からない。
「人を殺す」「人を傷つける」「財物を窃取(せっしゅ)する」という条文の記載なら、分かり易い。この共謀罪はことさらに分かりにくく作られているではありせんか。こんな条文がどう使われるのか、不安でなりません。
本筋に戻って、いったいなぜ、いま4度目の法案提出となったのかその理由をお聞かせください。

A これは、国際組織犯罪防止条約の批准のために必要な法案であると考えております。
この法案が成立すれば、条約の批准ができます。そうすることで、効果的に国際的な組織犯罪を防止し,テロをも防止することができます。
この条約は平成15年9月に発効しています。この条約については,同年5月にその締結について国会の承認を得ておりますが、我が国としても,早期に批准することが必要です。我が国も,国際社会の一員として,この条約を早期に批准し,国際社会と協力して,一層効果的に国際的な組織犯罪を防止するため,この条約が義務付けるところに従い,「テロ等準備罪」を新設する必要があることをご理解ください。

Q 国際組織犯罪防止条約、これはテロ対策とは無関係でしょう。だいたい何年に締結された条約ですか。
A 平成12年です。

Q 西暦2000年ですね。2001年の9・11事件の前年のことじゃないですか。テロが国際的な関心事になる前の条約ですよ。この条約はパレルモという都市で締結されて、パレルモ条約とも呼ばれているわけですが、パレルモとは、イタリア、シチリア島の最大都市でマフィアの本拠地といわれているところ。マフィアやヤクザ、そういう組織犯罪を対象にした条約ではありませんか。経済的なマネーロンダリングを防止することを主たる目的とした条約であって、政治的なテロを対象にした条約ではないことをお認めいただきたい。
A あなたは、よく勉強なさっているようですが、組織的な犯罪に対する対応は、経済的なマネーロンダリング防止だけではなく、この際、今や待ったなしのテロ対策を盛りこんだ方がよいに決まっていると考えています。

Q 新たな刑罰法規を作ろうというのですから、差し迫った必要性がなくてはならないわけです。我が国に、テロが差し迫っているというのでしようか。日本がテロの脅威にさらされているという具体的な根拠をお示しください。
A 世界中で、不安定な地域がたくさんあります。これだけ安全保障体制が揺らいでおるわけでありまして、先進諸国、たとえばアメリカでの9・11事件、イギリス・ロンドンでの連続爆破テロ、フランス・パリでの出版社襲撃事件などが起こっているわけです。
日本だけが、これらの事件に目を背けていていいのでしょうか。自由と民主主義・人権という共通の価値を守るために、憎むべきテロリストとの戦いに、日本だけが安穏としていることはできないのです。

Q 世界の情勢を聞いているのではありません。立法事実として、つまり、新たな法律を作らなければならない根拠として、日本にテロの具体的な危険があるかとお聞きしています。
A それはいろいろな考え方がありえます。日本人が、イラクやシリアで誘拐され、殺害される事件も起こっている。

Q 日本でのテロが差し迫っている状況にあるのかと聞いています。
A 我々は、テロの脅威から、国民を守るべき責務を負っております。常に備えなければならないのです。オリンピックも迫っております。安全なオリンピックを開催するためにも、どうしてもテロ等準備罪は必要なのです。

Q 日本にテロが迫っていると、あなたですら言えないような状態で、どうして包括的な共謀罪が必要と言えるでしょうか。
国連のテロ防止関連条約は13件あり、日本はすべてその批准を終え、それに対応した国内法の整備もできているではありませんか。たとえば、「テロリズム資金供与防止条約」「プラスチック爆薬探知条約」「核物質の防護に関する条約」「空港不法行為防止議定書」「海洋航行不法行為防止条約」「プラスチック爆薬探知条約」「爆弾テロ防止条約」などなど。テロ対策の法整備はきちんとされており、共謀罪法案が成立しなければテロ対策がされていない訳ではありません。
どうして、屋上屋を重ねるような、「共謀罪」の新設が必要でしょうか。
A 政府といたしましては、国民をテロから守る責務を負うものです。何重に屋を重ねても、念には念を入れて、国民の安全を守る法律を作ろうとしているわけでございます。

Q 問題は、不必要な法律というだけのものではなく、国民の人権を侵害する有害な法律であるということなのです。この共謀罪法案、もし成立してしまったら、犯罪の実行とは無関係に、ただ話し合っただけで処罰されてしまうのではありませんか。
A そういう印象操作はやめていただきたい。絶対にそんなことは、ないのであります。先ほど読み上げた条文に書いてあったとおり、まずは、組織的犯罪集団の団体の活動でなければ、処罰されることはありません。しかも、共謀が成立しただけ、つまり計画しただけでは犯罪が成立しないことは、法文上明らかであります。「準備行為」が必要なのです。一般の方が話しているだけで犯罪者になるなど、絶対にあり得ません。

Q では「組織的犯罪集団」から、お伺いします。労働組合や、市民団体が組織的犯罪集団に当たることはないのでしょうか。
A 組織的犯罪集団だけしか、対象とならないことは、明文で規定しております。
適法な活動をしている労働組合や、その他の団体は、その目的が犯罪はないのですから、当然対象とはなりません。繰り返しますが、この法律はテロリズム集団その他の組織的犯罪集団を取り締まるのが目的で、一般の方には無関係なのです。

Q 更にお尋ねします。既に存在する適法な団体の目的が、ある時点から犯罪目的に変化したと認定することはあり得ないのですか。
A 一般論としてお答えすると、この法律は組織的犯罪集団の組織的行為だけを処罰対象とし、一般人は対象とならないことは申しあげたとおりです。しかし、もしこれまでは合法的な活動をしていた団体が、ある時点から犯罪を企む集団となったとすれば、すでにその集団の構成員は一般人ではないのです。適法な団体の目的が、ある時点から犯罪目的に変化することがないとは言えません。

Q おや、大変な答弁が出た。つまり、「この法律が罰するのは、一般国民ではない」という意味は、「この法律が罰するときには、既に一般人ではないからだ」と、こういうことではありませんか。これでは、何の縛りにもならないではありませんか。
A あなたの解釈は、あまりに一方的で偏っているのではないでしょうか。重大犯罪を目的とする団体に、それと知って属しているということは、一般国民の目から見て、一般人とは呼べないことは通常の感覚ではないですか。

Q 企業でも、市民団体・労働組合、サークルでも、適法な通常の団体が、ある時点から犯罪目的だと認定されることはありうるのだから、国民誰でも、共謀罪の犯罪者になり得るということじゃないですか。
A 重大な犯罪を計画している団体に属して、具体的な重大犯罪を計画していたらできるだけ早期に、摘発せられるべきは当然ではありませんか。

Q ついに、国民の誰もが共謀罪適用の対象になりうることが分かりました。しかも、犯罪目的があるかどうか、計画があるかどうか、捜査段階では、判断するのは、裁判所ではなく、捜査機関。つまりは警察になるわけです。その結果、警察が、国民生活に監視の目を光らせ、あらゆる団体が犯罪目的をもっていないかを調べる。これは、まさに現在の治安維持法ではないか。
A 全くそうではございません。
治安維持法は、私有財産制を否定し、国体を変革しようとするという、思想そのもの、つまり、犯罪とは切り離して、特定思想を有する団体を結成すること、加入することを処罰する法律でございます。
今回の、テロ等準備罪は、思想のみを処罰するのものではありません。準備行為という外に表れた具体的行為の存在を要求しています。

Q いったい、その準備行為とは、どのようなものだというのですか。
A 先ほど、分かり易い条文を朗読したなかに書いてあったじゃありませんか。もう一度その部分だけを読見上げて見ましょう。
「資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為」というものです。

Q 「資金又は物品の手配」と言えば、ATMから現金を下ろすこと、コンビニで買い物をすること、日常の行為じゃないですか。「関係場所の下見」と言えば、散歩も花見も含まれる。これじゃ誰もがつかまるじゃないですか。

A だから、一般人か、怪しい奴か、常日頃から警察が監視しておけばよいのですよ。監視を徹底させておきさえすれば、きのこ狩りでも、双眼鏡をもって花見をしても、一般人は安心なのです。怪しいやつだけをつかまえるのです。

Q 結局は怪しいか怪しくないかは、捜査機関が判断する。政府に批判的な活動をしていると、犯罪を行っているとして、捜査の対象とされかねない。しかも、計画と準備で犯罪が成立するのだから、団体監視を常に行うことが主たる捜査方法になることは明白ではありませんか。団体に対する警察の監視、団体内部でも密告を恐れて活動が萎縮する。これこそ治安維持法そのものではないですか。
A あなたは、少し感情的になっておられる。お答えしたとおり、一般人が処罰されることはないのです。
治安維持法だって、一般人は処罰されることはなかったわけですよ。天皇制を否定したり、社会革命をたくらむような、当時の国賊・非国民を取り締まったわけで、けっして善良な一般人が取り締まりの対象となったわけではないのです。

Q 具体例でお伺いしましょう。
労働組合が、団体交渉での使用者側の姿勢が不誠実だ、のらりくらりの回答でいっこうに進展しない。もう我慢できない。みんなで社長をカンヅメにしててつやの交渉をやろうと相談をした。徹夜になりかねないから、おにぎりを買っておこうとコンビニで買い物をした。つまり、物品の手配です。
277の対象犯罪の一つに、組織的監禁罪がはいっています。すると、おにぎり購入の時点で、共謀罪が成立し、その後交渉は急転妥結して徹夜交渉にはならなかった。それでも犯罪は成立するということになりませんか。
A 乱暴な組合員たちですね。日常的な監視が必要だとは思いますが、共謀罪で処罰できるかどうか、「テロ等準備罪」として処罰可能かどうか、なんともお答えのしようがない。

Q つまり、犯罪が成立しうるから検討が必要だということですね。
A それはそのとおり。犯罪が成立するか否かは、常に微妙な事実の問題を含んで諸般の事情をよく調べなければなりません。

Q 諸般の事情をよく調べるとは、つまり、とりあえず逮捕や家宅捜査をしなければならないと言うことではありませんか。
A それは、そのとおりであることもあれば、そうではないこともある。一概には申しあげられないところです。

Q 結局、共謀罪は成立しうる、少なくとも、絶対に共謀罪が成立しないわけではないということを確認しました。
共謀罪は、国民の自由な団体活動のみならず、表現の大幅な萎縮を生み出し、思想・信条の自由を侵害する、違憲なものであることが明白になりました。けっして成立させるわけにはいきません。
戦前の悪名高い治安維持法で大弾圧を受けたのは、共産党だけではありせん。出版人も、労働組合員も、平和運動も、教育運動も、宗教家もでした。
私たちは、日本国の主権者として、絶対にこのような弾圧法規の成立を許しせん。あくまで、この法案の廃案を求める国民運動の先頭に立つ覚悟を述べて、締めくくりの言葉とさせていただきます。会場の皆様のうちで、共謀罪の廃案にご賛同いただける方には拍手を
A お答えのまえに、一言申しあげます。
今、あなたのご質問に「共謀罪法案」という法案名が出てきました。しかし、「共謀罪法案」ではございません。正確には「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律案」でありまして、これを提案者である内閣は「テロ等準備罪法案」と略称しているわけででございます。
法律の名称は、正確におっしゃっていただきたい。あなた方は、すぐにレッテルを貼りたがるが、これまで3度廃案となった「共謀罪法案」と今回提案の「テロ等準備罪法案」とはまったく違うものであることを最初に申しあげておきます。

Q えっ? では、これまで3度廃案となった「共謀罪」と、今回提案の内閣が「テロ等準備罪法案」という法案が、どう違うのか。そこから、ご説明をいただきましょうか。
A まず、分かり易いところでは、テロ等準備罪の対象となる犯罪の数が違います。
共謀罪法案では、実行行為への着手がなくても共謀の段階で処罰される犯罪の数は、676もあったのです。今回は、これをわずか91本の法律の、たった277罪に絞り込んだのです。どうです。676を277ですよ。全然違うでしょう。

Q 数の違いは大したことではありません。これこそ現代版「五十歩百歩」というべきでしょう。刑法や憲法の大原則を崩していることが問題なのではありませんか。
A いや、もちろん数だけというわけではありません。何が犯罪で、何が犯罪ではないかかが大変明瞭になったのです。
ご存じのとおり、「共謀罪」という罪を新たにつくろうということではありません。277の今ある罪を、「共謀」の段階でつかまえようと言うことです。具体的には、今ある組織的犯罪処罰法という法律に、6条の2という、分かり易い条文を新設することにしました。どんなに分かり易いか、その新設条文を読み上げてみましょう。

「次の各号に掲げる罪に当たる行為で、テロリズム集団その他の組織的犯罪集団(団体のうち、その結合関係の基礎としての共同の目的が別表第三に掲げる罪を実行することにあるものをいう。次項において同じ。)の団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を二人以上で計画した者は、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。
一 別表第四に掲げる罪のうち、死刑又は無期若しくは長期十年を超える懲役若しくは禁錮の刑が定められているもの 五年以下の懲役又は禁錮
二 別表第四に掲げる罪のうち、長期四年以上十年以下の懲役又は禁錮の刑が定められているもの 二年以下の懲役又は禁錮」

どうです。分かり易いでしょう。あとは、別表四と、別表三に書いてある277の罪のリストを探し、条文をよく読めばよいのです。しかも、捜査機関が濫用しないよう、厳格にいくつもの縛りがかけられていることがよくお分かりでしょう。

Q よくお分かりでしようと言われても、ちっとも、分からない。
「人を殺す」「人を傷つける」「財物を窃取(せっしゅ)する」という条文の記載なら、分かり易い。この共謀罪はことさらに分かりにくく作られているではありせんか。こんな条文がどう使われるのか、不安でなりません。
本筋に戻って、いったいなぜ、いま4度目の法案提出となったのかその理由をお聞かせください。

A これは、国際組織犯罪防止条約の批准のために必要な法案であると考えております。
この法案が成立すれば、条約の批准ができます。そうすることで、効果的に国際的な組織犯罪を防止し,テロをも防止することができます。
この条約は平成15年9月に発効しています。この条約については,同年5月にその締結について国会の承認を得ておりますが、我が国としても,早期に批准することが必要です。我が国も,国際社会の一員として,この条約を早期に批准し,国際社会と協力して,一層効果的に国際的な組織犯罪を防止するため,この条約が義務付けるところに従い,「テロ等準備罪」を新設する必要があることをご理解ください。

Q 国際組織犯罪防止条約、これはテロ対策とは無関係でしょう。だいたい何年に締結された条約ですか。
A 平成12年です。

Q 西暦2000年ですね。2001年の9・11事件の前年のことじゃないですか。テロが国際的な関心事になる前の条約ですよ。この条約はパレルモという都市で締結されて、パレルモ条約とも呼ばれているわけですが、パレルモとは、イタリア、シチリア島の最大都市でマフィアの本拠地といわれているところ。マフィアやヤクザ、そういう組織犯罪を対象にした条約ではありませんか。経済的なマネーロンダリングを防止することを主たる目的とした条約であって、政治的なテロを対象にした条約ではないことをお認めいただきたい。
A あなたは、よく勉強なさっているようですが、組織的な犯罪に対する対応は、経済的なマネーロンダリング防止だけではなく、この際、今や待ったなしのテロ対策を盛りこんだ方がよいに決まっていると考えています。

Q 新たな刑罰法規を作ろうというのですから、差し迫った必要性がなくてはならないわけです。我が国に、テロが差し迫っているというのでしようか。日本がテロの脅威にさらされているという具体的な根拠をお示しください。
A 世界中で、不安定な地域がたくさんあります。これだけ安全保障体制が揺らいでおるわけでありまして、先進諸国、たとえばアメリカでの9・11事件、イギリス・ロンドンでの連続爆破テロ、フランス・パリでの出版社襲撃事件などが起こっているわけです。
日本だけが、これらの事件に目を背けていていいのでしょうか。自由と民主主義・人権という共通の価値を守るために、憎むべきテロリストとの戦いに、日本だけが安穏としていることはできないのです。

Q 世界の情勢を聞いているのではありません。立法事実として、つまり、新たな法律を作らなければならない根拠として、日本にテロの具体的な危険があるかとお聞きしています。
A それはいろいろな考え方がありえます。日本人が、イラクやシリアで誘拐され、殺害される事件も起こっている。

Q 日本でのテロが差し迫っている状況にあるのかと聞いています。
A 我々は、テロの脅威から、国民を守るべき責務を負っております。常に備えなければならないのです。オリンピックも迫っております。安全なオリンピックを開催するためにも、どうしてもテロ等準備罪は必要なのです。

Q 日本にテロが迫っていると、あなたですら言えないような状態で、どうして包括的な共謀罪が必要と言えるでしょうか。
国連のテロ防止関連条約は13件あり、日本はすべてその批准を終え、それに対応した国内法の整備もできているではありませんか。たとえば、「テロリズム資金供与防止条約」「プラスチック爆薬探知条約」「核物質の防護に関する条約」「空港不法行為防止議定書」「海洋航行不法行為防止条約」「プラスチック爆薬探知条約」「爆弾テロ防止条約」などなど。テロ対策の法整備はきちんとされており、共謀罪法案が成立しなければテロ対策がされていない訳ではありません。
どうして、屋上屋を重ねるような、「共謀罪」の新設が必要でしょうか。
A 政府といたしましては、国民をテロから守る責務を負うものです。何重に屋を重ねても、念には念を入れて、国民の安全を守る法律を作ろうとしているわけでございます。

Q 問題は、不必要な法律というだけのものではなく、国民の人権を侵害する有害な法律であるということなのです。この共謀罪法案、もし成立してしまったら、犯罪の実行とは無関係に、ただ話し合っただけで処罰されてしまうのではありませんか。
A そういう印象操作はやめていただきたい。絶対にそんなことは、ないのであります。先ほど読み上げた条文に書いてあったとおり、まずは、組織的犯罪集団の団体の活動でなければ、処罰されることはありません。しかも、共謀が成立しただけ、つまり計画しただけでは犯罪が成立しないことは、法文上明らかであります。「準備行為」が必要なのです。一般の方が話しているだけで犯罪者になるなど、絶対にあり得ません。

Q では「組織的犯罪集団」から、お伺いします。労働組合や、市民団体が組織的犯罪集団に当たることはないのでしょうか。
A 組織的犯罪集団だけしか、対象とならないことは、明文で規定しております。
適法な活動をしている労働組合や、その他の団体は、その目的が犯罪はないのですから、当然対象とはなりません。繰り返しますが、この法律はテロリズム集団その他の組織的犯罪集団を取り締まるのが目的で、一般の方には無関係なのです。

Q 更にお尋ねします。既に存在する適法な団体の目的が、ある時点から犯罪目的に変化したと認定することはあり得ないのですか。
A 一般論としてお答えすると、この法律は組織的犯罪集団の組織的行為だけを処罰対象とし、一般人は対象とならないことは申しあげたとおりです。しかし、もしこれまでは合法的な活動をしていた団体が、ある時点から犯罪を企む集団となったとすれば、すでにその集団の構成員は一般人ではないのです。適法な団体の目的が、ある時点から犯罪目的に変化することがないとは言えません。

Q おや、大変な答弁が出た。つまり、「この法律が罰するのは、一般国民ではない」という意味は、「この法律が罰するときには、既に一般人ではないからだ」と、こういうことではありませんか。これでは、何の縛りにもならないではありませんか。
A あなたの解釈は、あまりに一方的で偏っているのではないでしょうか。重大犯罪を目的とする団体に、それと知って属しているということは、一般国民の目から見て、一般人とは呼べないことは通常の感覚ではないですか。

Q 企業でも、市民団体・労働組合、サークルでも、適法な通常の団体が、ある時点から犯罪目的だと認定されることはありうるのだから、国民誰でも、共謀罪の犯罪者になり得るということじゃないですか。
A 重大な犯罪を計画している団体に属して、具体的な重大犯罪を計画していたらできるだけ早期に、摘発せられるべきは当然ではありませんか。

Q ついに、国民の誰もが共謀罪適用の対象になりうることが分かりました。しかも、犯罪目的があるかどうか、計画があるかどうか、捜査段階では、判断するのは、裁判所ではなく、捜査機関。つまりは警察になるわけです。その結果、警察が、国民生活に監視の目を光らせ、あらゆる団体が犯罪目的をもっていないかを調べる。これは、まさに現在の治安維持法ではないか。
A 全くそうではございません。
治安維持法は、私有財産制を否定し、国体を変革しようとするという、思想そのもの、つまり、犯罪とは切り離して、特定思想を有する団体を結成すること、加入することを処罰する法律でございます。
今回の、テロ等準備罪は、思想のみを処罰するのものではありません。準備行為という外に表れた具体的行為の存在を要求しています。

Q いったい、その準備行為とは、どのようなものだというのですか。
A 先ほど、分かり易い条文を朗読したなかに書いてあったじゃありませんか。もう一度その部分だけを読見上げて見ましょう。
「資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為」というものです。

Q 「資金又は物品の手配」と言えば、ATMから現金を下ろすこと、コンビニで買い物をすること、日常の行為じゃないですか。「関係場所の下見」と言えば、散歩も花見も含まれる。これじゃ誰もがつかまるじゃないですか。

A だから、一般人か、怪しい奴か、常日頃から警察が監視しておけばよいのですよ。監視を徹底させておきさえすれば、きのこ狩りでも、双眼鏡をもって花見をしても、一般人は安心なのです。怪しいやつだけをつかまえるのです。

Q 結局は怪しいか怪しくないかは、捜査機関が判断する。政府に批判的な活動をしていると、犯罪を行っているとして、捜査の対象とされかねない。しかも、計画と準備で犯罪が成立するのだから、団体監視を常に行うことが主たる捜査方法になることは明白ではありませんか。団体に対する警察の監視、団体内部でも密告を恐れて活動が萎縮する。これこそ治安維持法そのものではないですか。
A あなたは、少し感情的になっておられる。お答えしたとおり、一般人が処罰されることはないのです。
治安維持法だって、一般人は処罰されることはなかったわけですよ。天皇制を否定したり、社会革命をたくらむような、当時の国賊・非国民を取り締まったわけで、けっして善良な一般人が取り締まりの対象となったわけではないのです。

Q 具体例でお伺いしましょう。
労働組合が、団体交渉での使用者側の姿勢が不誠実だ、のらりくらりの回答でいっこうに進展しない。もう我慢できない。みんなで社長をカンヅメにしててつやの交渉をやろうと相談をした。徹夜になりかねないから、おにぎりを買っておこうとコンビニで買い物をした。つまり、物品の手配です。
277の対象犯罪の一つに、組織的監禁罪がはいっています。すると、おにぎり購入の時点で、共謀罪が成立し、その後交渉は急転妥結して徹夜交渉にはならなかった。それでも犯罪は成立するということになりませんか。
A 乱暴な組合員たちですね。日常的な監視が必要だとは思いますが、共謀罪で処罰できるかどうか、「テロ等準備罪」として処罰可能かどうか、なんともお答えのしようがない。

Q つまり、犯罪が成立しうるから検討が必要だということですね。
A それはそのとおり。犯罪が成立するか否かは、常に微妙な事実の問題を含んで諸般の事情をよく調べなければなりません。

Q 諸般の事情をよく調べるとは、つまり、とりあえず逮捕や家宅捜査をしなければならないと言うことではありませんか。
A それは、そのとおりであることもあれば、そうではないこともある。一概には申しあげられないところです。

Q 結局、共謀罪は成立しうる、少なくとも、絶対に共謀罪が成立しないわけではないということを確認しました。
共謀罪は、国民の自由な団体活動のみならず、表現の大幅な萎縮を生み出し、思想・信条の自由を侵害する、違憲なものであることが明白になりました。けっして成立させるわけにはいきません。
戦前の悪名高い治安維持法で大弾圧を受けたのは、共産党だけではありせん。出版人も、労働組合員も、平和運動も、教育運動も、宗教家もでした。
私たちは、日本国の主権者として、絶対にこのような弾圧法規の成立を許しせん。あくまで、この法案の廃案を求める国民運動の先頭に立つ覚悟を述べて、私の質問を終わります。

お願いいたします。

盛大な拍手をありがとうございました。

(2017年5月18日)

 

 

 

 

 

 

「共謀罪は今すぐハイアン」「アベ内閣は今すぐタイジン」

国会議員会館前の通路を人が埋めつくしている。連日行われている共謀罪法案反対の抗議行動。正午から1時間が集会。13時30分から16時まで座り込み。そして、18時30分から1時間の集会。これが連日のスケジュール。

昼休みの1時間。各団体の幟旗が林立し、思い思いのプラカードを持った人々が集まってくる。野党の議員が審議の内容を報告する。沖縄からの訴えがある。出版人からのアピールが行われる。見込み捜査に対する警告の発言がある。
そして、コール。

 共謀罪は絶対ハイアン
 今すぐハイアン
 強行採決絶対ハンタイ
 審議を尽くせ
 採決するな
 憲法守らぬ内閣イラナイ
 アベ内閣はイラナイイラナイ
 アベ内閣は今すぐタイジン
 タイジン タイジン

さらに、「一般人が処罰対象になることはない」という法相のインチキ答弁に対する怒りのスピーチが繰り返される。

詭弁というものがある。「白馬非馬(白馬は馬にあらず)」論がその典型。白馬は白い、馬は白いとは限らない、ならば白馬と馬とは違うものだ。だから、白馬は馬ではないという論法。
「一般人は共謀罪の処罰対象にならない」論も、白馬非馬に劣らない新型詭弁。一般人とは違法なことをしない人、違法なことをするのは一般人ではない。処罰されるのは違法なことをした人だけだ。だから、一般人が処罰対象になることはない。バカバカしい「論理」。これぞ、詭弁。

馬への課税を逃れるための論法としての「白馬非馬」論は、現実の役には立たなかったと伝えられている。「一般人は共謀罪の処罰対象にならない」論も、共謀罪成立後の現実において、人権侵害の防止になんの役にも立たない。共謀罪成立までの方便。まさしく、これぞ詭弁。

こんな詭弁論争で、衆議院法務委員会での共謀罪法案審議が深まりを見せないまま、強行採決日程が噂されている。6月18日の予定は延びたものの、「週末にも」「来週冒頭にも」などと報じられている。議論の内容ではなく、数の力だけがものをいう世界となってしまっている。これは、議会制民主主義の衰弱であり、危機と言ってもよい。

ところで、今朝(5月16日)の朝刊。政府広報紙の読売・産経だけでなく、毎日までがトップを皇族の婚約記事とした。これが大きなニュースか。これが国民に伝えるべきトップニュースなのか。共謀罪審議で国会が揺れ、アベ友学園事件追及に新展開があり、加計学園事件に新資料も出てきた。トランプのアメリカもEUも多難、報じなければならないことは山積しているこの今において、である。これがめでたいニュースか。祝意の強制は迷惑千万。こんなことをおめでたがっている国民こそがオメデタイ。

とんでもない時代になりそうな元凶の一つは小選挙区制、加えて政党助成金である。比較第一党の自民が不当に多数の議席を獲得し、少数野党の議席数が不当に少ない。そして、派閥ではなく党中央に権力が集中する。このようにしたのは小選挙区効果であり、政党助成金効果にほかならない。こうして、アベ一強体制ができ、特定秘密保護法に戦争法の強行が続き、さらにいま共謀罪なのだ。
だから、心の底から思う。

 憲法守らぬ内閣イラナイ
 アベ内閣はイラナイイラナイ
 アベ内閣は今すぐタイジン
 タイジン タイジン
(2017年5月17日)

「改めて憲法の意義を確認し、立憲主義を堅持しよう。」ー日弁連定期総会宣言案

5月26日、日本弁護士連合会は2017年度の定期総会を開催する。以下が、その総会で付議され採択予定の宣言案である。「改めて憲法の意義を確認し、立憲主義を堅持する」との表題が付せられている。

「日本国憲法が施行されて、今年で70年を迎えた。今日、国家による自由への介入の強化、恒久平和主義に反する集団的自衛権の行使を可能とした安保法制など立憲主義の危機ともいえる状況が生じている。今こそ、70年の歴史を振り返り、また、人権侵害と戦争をもたらした戦前への深い反省の下、この憲法が、近代立憲主義を継承し、先駆的な規定を設けたことの意義と、市民の取組のよりどころとしての役割を果たしてきたことを、未来に向けての指針として、この危機を乗り越えていくことが求められている。

この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものであり、私たち一人ひとりが、不断の努力により自由と権利を保持し、立憲主義を堅持する責務を負っていることを確認することが、何よりも重要である。

当連合会は、改めて基本原理である基本的人権の尊重、国民主権、恒久平和主義と、それらを支える理念である立憲主義の意義を確認し堅持するため、今後も市民と共にたゆまぬ努力を続ける決意である。」

実は、昨年(2016年)10月の人権擁護大会でも、日弁連は「憲法の恒久平和主義を堅持し、立憲主義・民主主義を回復するための宣言」を採択している。2005年の同大会でも、「立憲主義の堅持と日本国憲法の基本原理の尊重を求める宣言」である。このところ、「立憲主義の堅持ないし回復」が重ねての意見表明を必要とする大きな課題として意識されている。「立憲主義」が揺らいでいる。あるいは危機が忍びよっているということなのだ。

堅持あるいは回復の宣言を重ねなければならない「立憲主義」とは何であるか。その説明を日弁連自身が次のように述べている。
「国民が制定した憲法によって国家権力を制限し、人権保障をはかることを『立憲主義』といい、憲法について最も基本的で大切な考え方です。」

したがって、立憲主義が揺らいでいる、あるいは危機にあるということは、憲法によって制限されているはずの国家権力が制約から外れて暴走しているということだ。憲法が、国家権力を縛りつけておく力量を喪失しつつあると危惧せざるを得ない事態なのだ。

その傾向は、安倍政権誕生以来著しい。あるいは、立憲主義が危うくなる時代状況が安倍政権を生み出したのかも知れない。いずれにせよ、安倍内閣と立憲主義は、相容れない関係にある。したがって本来は、暴走する安倍政権に警告を発すべきが筋である。あるいは、安倍政権を支えている諸勢力に、立憲主義尊重を突きつけなければならない。

しかし、弁護士全員の強制加盟団体である日弁連である。まさか安倍退陣を迫るなどできようはずもない。結局のところ宣言は、「私たち一人ひとりが、不断の努力により自由と権利を保持し、立憲主義を堅持する責務を負っていることを確認する」「当連合会は、改めて立憲主義の意義を確認し堅持するため、今後も市民と共にたゆまぬ努力を続ける決意である」として、「私たち一人ひとり」と「当連合会の努力」の課題にとどめている。

とはいえ、宣言案には、職能集団である日弁連の危機意識も相当強く滲み出ている。
「今日、国家による自由への介入の強化、恒久平和主義に反する集団的自衛権の行使を可能とした安保法制など立憲主義の危機ともいえる状況が生じている。」というのだ。

「国家による自由への介入の強化」の最たるものが、共謀罪創設のたくらみであろう。特定秘密保護法もしかり。総務大臣の電波メディアへの「停波恫喝」もしかり。沖縄での平和運動への暴力的介入もしかりである。

「恒久平和主義に反する集団的自衛権の行使を可能とした安保法制」も、立憲主義危機の顕著な徴表である。何しろ、憲法に縛られるはずの内閣が、「気に入らない憲法だから、解釈を変えてしまえ」と、閣議決定で憲法解釈を覆してしまったのだ。明文改憲ができないから、閣議決定で「壊憲」に及んだというべき事態である。

「今こそ、人権侵害と戦争をもたらした戦前への深い反省の下」も、含蓄が深い。対峙しているのが、「戦後レジームからの脱却」を呼号し、「(伝統の)日本を取り戻す」とスローガンを掲げる現政権なのだから。

「この憲法を…未来に向けての指針として、この危機を乗り越えていくことが求められている。」というのは、断固現行憲法を擁護するという宣言である。私は、その点でこの宣言案を支持する。

「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものであり、私たち一人ひとりが、不断の努力により自由と権利を保持し、立憲主義を堅持する責務を負っていることを確認することが、何よりも重要である。」は、明らかに憲法97条を下敷きにした文章。周知のとおり、自民党の改憲草案は同条の全文削除を提案している。ここにも、日弁連の日本国憲法堅持の姿勢を見て取ることができる。

権力には絶えざる批判が必要である。しかし、権力は、批判をきらい、社会の全てを支配し膝下におこうという衝動を常にもつ。そのような権力に、一歩も引くことなく対峙すべきことを使命とする幾つかの部門がある。ジャーナリズムがそうであり、大学がそうだ。けっして権力の支配に組み込まれてはならず、権力から距離を持ち、独立していなければならない。司法もそうだ。とりわけ、在野法曹は権力から独立し、必要な批判を怠ってはならない。今こそ、在野性に徹した権力批判が必要なときなのだ。
(2017年5月16日)

小池都知事の教育観は、「『君が代』ファースト」だ。

国政も国際情勢も慌ただしいが、身近なところで都議選が近い。人も車も動き出した。候補者の声が聞こえる。ポスターもにぎやかになってきた。

「改憲と共謀罪にノー」という勢力に、都政でも大きく伸びてもらいたい。自民・公明・維新の保守ブロックと、公明との連携を明確にした「都民ファーストの会」(以下、「都ファ」)には、小さく縮んでもらいたい。

何が都議選のテーマか。話題になるのは、まずは築地市場の移転の是非。築地を建て直すことでいいじゃないか派と、新設豊洲への早期移転派の角逐。後者は実のところは、都政を財界に売り渡し、大規模再開発推進第一の立場なのだ。もちろん、食の安全も絡んでいる。今のところ、自公の豊洲移転促進と、共産の築地でいいじゃないかの対立の図式。都ファは、この最大関心事にまだ態度未定という。知事派でありながら、信じがたいこの無責任。

次いで、住民福祉だ。保育園と特養問題。そして、良くも悪くもオリンピック。開発が伴うことから資本が群がるが、都民の側から見れば浪費と疑惑にまみれた、時代錯誤の大イベント。今さら中止は難しかろうが、狂騒とコストを最小限に抑えなければならない。防災問題もある。中小企業支援も…。

教育問題も注視しなければならない。従来からの小池百合子という政治家の国家主義的姿勢を懸念せざるを得ない。この点では、舛添さんの方が、はるかにマシだった。

5月11日の朝日が次のように報道している。
「この春、東京都内にある七つの都立看護専門学校の入学式は、いつもと少し様子が違った。小池百合子・都知事が議会で『要望』したのを受けて、今回から式典に国歌斉唱を採り入れたからだ。小池氏の狙いとは。

『国歌斉唱。ご起立ください』。都立広尾看護専門学校(渋谷区)で4月10日にあった入学式。『君が代』の演奏が流れ、新入生と在校生が歌い出した。都によると、他の看護専門学校でも国歌斉唱があった。今回が初という。

知事の発言『忖度』
きっかけは、小池氏の(議会での)発言だった。3月の都議会で自民都議の質問に答える形で『グローバル人材の育成の観点からも、国旗や国歌を大切にする心を育むことこそ重要』などとし、看護専門学校や首都大学東京の入学・卒業式での国歌斉唱を『望んでいきたい』と述べた。

その月末。関係者によると、看護専門学校の校長が集まる会議で、入学式で君が代を歌うことを申し合わせたという。都の関係者は『知事が答弁したことなので。まあ、今はやりの「忖度(そんたく)」なのかもしれませんけど』と言う。」

あの石原慎太郎都知事の時代に、教育長名の悪名高き「10・23通達」が発出されて、都内の都立高校と特別支援学校、そして公立中学校・小学校は、例外なく苛烈に「日の丸・君が代」の強制が実行された。しかし、石原の時代にも、石原後継知事の時代にも、都立看護専門学校に「日の丸・君が代」は持ち込まれなかったのだ。看護師と「日の丸」、医療と「君が代」。どう考えても、似つかわしくない。それが、小池都政1期目で、全看護専門学校の入学式に「日の丸・君が代」である。

朝日の記事にある、「3月の都議会で自民都議の質問」というのが、以下のとおりである。質問者が、自民党の松田康将(板橋)、元は下村博文の秘書だったという人物。下記のとおりのお先棒担ぎ。

○松田  …都立の学校教育施設であっても、福祉保健局所管の都立の看護学校七校では、国旗掲揚はされているものの、国歌の斉唱はありません。また、独立行政法人ではありますが、公立大学首都大学東京の入学式、卒業式においても同様であると伺っております。
平成二十七年六月には、当時の下村博文文部科学大臣が、国立大学長を集めた会議で、各大学の自主判断としながらも、…事実上の実施要請をしたことによって、今年度の入学式では、新たに六校で国歌斉唱が行われました。
都立の看護学校、首都大学東京と、どちらも学習指導要領の法的拘束力が及ばない教育施設ではありますが、…入学式、卒業式において、国歌斉唱をされるのは自然であると考えますが、小池知事の見解を伺います。

○小池 教育に関してのご質問でございます。国旗・国歌、国民の自覚と誇りを呼び起こすものとして、いずれの国でも尊重されていると、このように認識しております。また、グローバル人材の育成の観点からも、国旗や国歌を大切にする心を育むということこそ重要かと考えます。
…今ご指摘がございました都立の看護専門学校、そして、首都大学東京でございますが、ご指摘のとおり学習指導要領の適用が及ばないことにはなります。しかしながら、いわゆる国旗・国歌法の趣旨を踏まえますと、例えば、都立の看護専門学校におきましては、国旗掲揚は行われているが、国歌の斉唱は行われていない、しかしながら、国歌の斉唱を進めることを望みたいと思います。それから、首都大学東京におきましても、国旗の掲揚は行われているけれども、国歌の斉唱については行われていないという報告を受けておりますが、これも国歌斉唱についても行うよう望んでいきたいと思っております。

○松田 保守政治家としての小池百合子都知事、さすがです。ありがとうございます。

なんとも自民党内右派と相性抜群の小池都政なのだ。こんな知事を持ち上げてはならない。

「『日の丸・君が代』不当処分撤回を求める被処分者の会」事務局の近藤徹さんから、下記のコメントをいただいた。

「小池都知事は日本会議国会議員懇談会副会長の『実績』の持ち主。教育観は、「都民ファースト」どころか「『君が代』ファースト」だ。「日の丸・君が代」を強制する10・23通達(2003年)に基づく延べ480人もの教職員の大量処分に象徴される権力的教育行政を見直そうという「気配」もない。
今年度より厚労省の保育所の運営指針、文科省の幼稚園の教育要綱に「国旗・国歌に親しむ」と明記され、小中高校で「日の丸・君が代」が強制され、学習指導要領に「指導するものとする」とされ、それを専門学校・大学まで広げ、幼児から大学生まで「日の丸・君が代」で染め上げようというのだ。
安倍政権の『教育勅語』や「ヒットラーの『わが闘争』の教材化容認の閣議決定は、つい最近のこと。そして安倍首相の『2020年までに改憲を』の発言。その先にあるものは、「日の丸・君が代」強制を道具にして『お国(天皇)のためにいのちを投げ出せ』ということだ。悲惨な痛恨の歴史を繰り返してはならない。『子どもたちを戦場に送るな』の誓いを新たにしよう。」

まったく同感である。都議選では、「自・公・維+都ファ」が、全て都民福祉と民主主義教育の敵だ。
(2017年5月15日)

「天皇の退位特例法案(要綱)」に、物申す。

5月11日の毎日新聞朝刊に「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案要綱 全文」が掲載されている。伝えられているところでは、ほぼこのとおりに法案が作成され、19日に閣議決定されて国会に提出されるという。これを読みながら考えた。

「吾輩は猫である」は、一人称の話者が猫という動物の範疇に属する個体であることを意味している。「である」は断定を表しているが、必ずしもなくても意味が通じる。しかし、文豪が「である」を選んだのだ。「吾輩は猫だ」「吾輩は猫なり」「猫なるぞ」「猫なのだ」「猫よ」「猫なの」「猫なのよ」「猫なのだ」とは違った、「である」特有のニュアンスを読みとらねばならない。なくても意味が通じるとは言えども、重要な役割を担っている。

やや格式張った「である」が、滑稽味十分に活用されている。これが、「吾輩は猫であるのである」「吾輩は猫なのであるのである」と言えば、おふざけの文章になる。あるいは知性に欠けた一昔前の政治家の演説。いまどき、こんな言い回しはあるまいと思われようが、お目にかかった。「であるのである」調に。この要綱案にに出てくるのであるのである。おそらくは諧謔味を多分に盛りこんで、読者を退屈させない工夫なのであるのであろう。

「退位した天皇は、上皇とするものとすること。」
「上皇の敬称は、陛下とするものとすること。」
「上皇のきさきは、上皇后とするものとすること。」
「皇嗣職が置かれている間は、東宮職を置かないものとするものとすること。」
などなど…。まさか、このまま法律になるはずもないものとするものではあろうが、この特例法全体の文章には、まったくしまりがない。

第1条になる「趣旨」は以下のとおり。
「この法律は、天皇陛下が、昭和64年1月7日のご即位以来28年を超える長期にわたり、国事行為のほか、全国各地へのご訪問、被災地のお見舞いをはじめとする象徴としての公的なご活動に精励してこられた中、83歳とご高齢になられ、今後これらのご活動を天皇として自ら続けられることが困難となることを深く案じておられること、これに対し、国民は、ご高齢に至るまでこれらのご活動に精励されている天皇陛下を深く敬愛し、この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感していること、さらに皇嗣である皇太子殿下は57歳となられ、これまで国事行為の臨時代行等のご公務に長期にわたり精勤されておられることという現下の状況に鑑み、皇室典範第4条の規定の特例として天皇陛下の退位及び皇嗣の即位を実現するとともに、天皇陛下の退位後の地位その他の退位に伴い必要となる事項を定めるものとすること。」

文意をとりやすいように、段落をつけてみる。
「この法律は、
(1) 天皇陛下が、昭和64(1989)年1月7日の御即位以来28年を超える長期にわたり、国事行為のほか、全国各地への御訪問、被災地のお見舞いをはじめとする象徴としての公的な御活動に精励してこられた中、83歳と御高齢になられ、今後これらの御活動を天皇として自ら続けられることが困難となることを深く案じておられること、
(2) これに対し、国民は、御高齢に至るまでこれらの御活動に精励されている天皇陛下を深く敬愛し、この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感していること、
(3) さらに、皇嗣である皇太子殿下は、57歳となられ、これまで国事行為の臨時代行等の御公務に長期にわたり精勤されておられること
という現下の状況に鑑み、
皇室典範第4条の規定の特例として、
天皇陛下の退位及び皇嗣の即位を実現するとともに、
天皇陛下の退位後の地位その他の退位に伴い必要となる事項を定めるものとする。」

大意は、「特例として、天皇の退位及び皇嗣の即位を実現する」ということ。その特例を認める趣旨ないし理由が、もったいぶった「現下の状況」として、上記(1) (2) (3)に書きこまれている。

(1) は現天皇(明仁)の事情である。高齢のため、「国事行為」と「象徴としての公的な活動」の継続が困難になったことを「案じている」という。

(2) は国民の側の事情である。天皇を敬愛し、天皇の気持ちを理解し共感している、という。

(3) は皇太子(徳仁)の事情である。57歳になり、国事行為の臨時代行等の経験がある、という。

だから、「生前退位の特例を認めてもよかろう」という趣旨なのだが、問題山積といわねばならない。

(1) は、天皇(明仁)の強い意向を忖度して、わざわざ立法するということだ。天皇の意向を忖度し尊重するとは、いまどき天皇の威光を認めるということではないか。なんの権限も権能も持たず、持ってはならない天皇の意向の扱いとして、明らかに憲法の趣旨に反する。

高齢のため、「国事行為」に支障をきたせば摂政を置けばよい。「象徴としての公的な活動」はもともとが憲法違反なのだから、しないに越したことはない。この特例法が、天皇の「象徴としての公的な活動」を公的に認めることは、違憲の疑い濃厚な大問題である。

(2) は、越権甚だしい。天皇を敬愛し理解し共感する国民もいるだろう。しかし、敬も愛もせず、理解や共感とも無縁な国民も現実に存在する。けっして少なくはないこのような人々に、敬愛や理解・共感を押しつけてはならない。仮に天皇を敬愛しない者がたった一人であったとしても、このような価値観に関わる問題について、国民を一括りにしてはならない。国民一人ひとりに、思想・良心の自由があり、その表現の自由がある。全国民が天皇を敬愛しているなどとの表現は、厳に慎まなければならない。法律に書き込んではならないのだ。

(3) はさっぱり訳が分からない。忖度すれば、「皇太子も、もう歳も歳だし、これまでの経験もあるから、天皇の役割が務まるだろう」ということのようだ。こんなことを法律に書き込むのは、当人にはまことに失礼ではないか。もっとも、天皇とは憲法上決められた形式的な事項を行うだけの存在で、何ら資質や能力を要求されない。だから、わざわざ(3)を書く必要はまったくない。

天皇とは、憲法上の存在ではあるが、主要なアクターではない。その存在を可及的に小さくすることが、憲法本来の要請である。いささかも国民主権の障害物となってはならない。権威や威光を認めてはならない。生前退位を認めるために、法律に余計なことを仰々しく書き込むには及ばないのだ。
(2017年5月14日)

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