澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

1925年「治安維持法」と、2017年「共謀罪法案」への賛成討論。ーその虚実の皮膜

私は、歴史に記憶さるべき本日1925年3月7日のこの日、第50帝国議会通常会の衆議院本会議において、ただいま議題となりました治安維持法案について、賛成の立場から討論いたします。(拍手)

治安維持法案については、国民の一部から、とりわけ無産政党の諸君から、これは政府の恣意的な刑罰権の発動を許すことにつながる弾圧立法である、ひいては思想そのものを取り締まるもので近代刑法の原則を逸脱するなどという、いわれのない非難が浴びせられています。しかし、本法案は、国民の不安や懸念を払拭するのに十分な処罰範囲の限定と明確化が図られていることを、まずもって申し述べます。

まずは、構成要件が厳格に規定されている点です。
法案は、わずか7箇条。極めて簡明な条文となっています。その中心をなす第一条の条文を朗読いたします。
「國体ヲ變革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス」「前項ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス」極めて明確ではありませんか。

この構成要件における行為は、「結社を組織すること」または「情を知って結社に加入する」ことです。しかし、全ての結社が違法となり禁止されるはずはありません。本罪はこれを限定し、目的犯として「國体ヲ變革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的」とする結社のみが、違法とされるのです。「國体ヲ變革」しようという皇国臣民にあるまじき目的、また「私有財産制度ヲ否認」という唾棄すべき共産主義や無産主義者だけを処罰するものであることが、法文上明確に限定されています。畏れおおくも、皇室の尊厳を否定しようと言うがごとき、非国民や一部の極端な主義者だけが、処罰対象で、さらに、主義そのものを処罰するのではなく、「結社」や「加入」という外部に明らかな行為があって初めて処罰が可能となるのですから、内心の自由を害するのではないかとの懸念も払拭されております。このような何重もの限定により、これらの非国民集団との関わりを持たない一般の善良な国民が処罰されることはなく、まったく心配する必要のないことを強調しておきたいと思います。

次に、本法案が成立した際の運用面に関し申し述べます。
法案審議の中で、一般の方々が捜査の対象になるのではないかとの懸念が示されました。しかし、捜査は、任意捜査、強制捜査を問わず、「國体ヲ變革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トスル結社」の成員に限定されている以上、これとかかわりのない一般の方々に犯罪の嫌疑が発生する余地はなく、捜査の対象になることは考えられません。

また、本法案の成立により一億総監視社会になるとか、戦争に近づくとか、「政府の悪口も言えなくなる治安維持法」などといった批判、主張がありました。しかし、本法案は、手続法ではなく実体法の制定であって、治安維持法の成立は現在の捜査のあり方に何ら影響を与えるものでもありません。しかも、捜査機関が一億人を常時監視するのにどれはどのコストとマンパワーが必要になるのか。余りに非現実的な主張であります。

法的根拠に基づかないレッテル張りによって国民の不安をあおり、その自由な言動、活動を萎縮される暴挙を行っているのは一体誰なのか。一部の野党、とりわけ無産政党の諸君には猛省を促すものであります。

なお、ことさらに捜査機関が本法の濫用をするであろうという荒唐無稽な主張もありました。しかし、わが帝国は、法治国家であります。文明国でもあります。国体を変革することを目的とした結社を処罰すること以上に、その執行において拷問や司法手続を経ない身柄の拘束などする必要は毫もありません。

大日本帝国憲法によって、行政手続は法定され、大審院以下の司法制度も整い、臣民の自由と権利は憲法上保障されているではありませんか。立憲主義は、あまねく帝国に満ち、新聞や雑誌、あるいはラジオなどの報道機関の監視が行き届いている現在、捜査機関の権限の濫用の問題が生じる可能性は皆無です。不見識きわまりない主張であると断じざるを得ません。

原案のとおり、すみやかなる法の成立を求めるものであります。

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第193通常国会 衆院本会議2017年5月23日における共謀罪法案賛成討論

公明党の吉田宣弘です。
私は、ただいま議題となりました組織的犯罪処罰法改正案、いわゆるテロ等準備罪処罰法案並びに自由民主党、公明党及び日本維新の会の共同提出による修正案について、賛成の立場から討論いたします。(拍手)

テロ等準備法案は、国民の不安や懸念を払拭するのに十分な処罰範囲の限定と明確化が図られていることを申し述べます。
一点目は、構成要件が厳格に規定されている点です。
まず、犯罪主体を、重大な犯罪の実行を結合の目的とする組織的犯罪集団に法文で明確に限定しています。そして、行為は、具体的、現実的な計画と、それに基づく準備行為を必要としています。

この三重の限定により、組織的犯罪集団とのかかわりのない一般の方々が処罰されることはなく、従前政府が提出した共謀罪に対し示された、内心の自由を害するのではないかとの懸念も払拭されております。
ニ点目は、本法案は、我が党の意見も踏まえ、対象犯罪を、六百七十六から、組織的犯罪集団が関与することが現実的に想定される二百七十七の罪に限定されている点です。

次に、本法案の運用面に関し申し述べます。
法案審議の中で、一般の方々が捜査の対象になるのではないかとの懸念が示されました。しかし、捜査は、任意捜査、強制捜査を問わず、組織的犯罪集団に限定されている以上、これとかかわりのない一般の方々に犯罪の嫌疑が発生する余地はなく、捜査の対象になることは考えられません。

また、本法案の成立により一億総監視社会になるとか、LINEもできない共謀罪などといった批判、主張がありました。しかし、テロ等準備罪は通信傍受洗の対象犯罪ではなく、LINEやメールが本罪の嫌疑を理由に傍受されることはありません。また、本法案は、手続法ではなく実体法の改正であって、テロ等準備罪の新設は現在の捜査のあり方に何ら影響を与えるものでもありません。しかも、捜査機関が一億人を常時監視するのにどれはどのコストとマンパワーが必要になるのか。余りに非現実的な主張であります。

法的根拠に基づかないレッテル張りによって国民の不安をあおり、その自由な言動、活動を萎縮される暴挙を行っているのは一体誰なのか。一部の野党諸君には猛省を促すものであります。

なお、本法案を治安維持法と同視するような荒唐無稽な主張もありました。しかし、治安維持法は、国体を変革することを目的とした結社を処罰し、その執行において拷問や司法手続を経ない拘束までもが行われた悪法です。本法案とぞの内容が根本的に異なります。しかも、治安維持法の問題は、旧憲法下での制度、戦時体制が前提となっています。成熟した民主主義と司法手続、マスコミ等により監視が行き届いている現在、治安維持法と同様の問題が生じる可能性は皆無です。不見識きわまりない主張であると断じざるを得ません。

よって、すみやかなる法の成立を求めるものであります。
(2017年5月25日)

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