都教委の卑劣な「思想転向強要システム」の破綻について
(2020年7月12日)
本日(7月12日)の東京新聞「こちら特報部」に、おや、見覚えのある方のお顔。もと、国立二小の教員だった佐藤美和子さん。「日の丸・君が代強制に反対」の思いを込めたブルーリボンを手にしての一枚。
「こちら特報部」の記事は、「黒川氏『訓告』甘すぎる」「「日の丸・君が代」で「懲戒」も」「思想の自由教えただけなのに」と見出しを付けられたもの。そのリードは、以下のとおり。
コロナ禍の真っただ中に新聞記者と賭けマージャンをした前東京高検検事長・黒川弘務氏の訓告処分が「甘過ぎる」と、批判を強めている人たちがいる。かつて「日の丸・君が代」の問題で処分された学校関係者だ。式典での国歌斉唱などの際、思想や信仰の自由を貫いただけで、減給や停職とされた人もいる。「犯罪行為の賭博が、なぜこんなに軽いのか」と、国や東京都に説明を求めている。
佐藤さんは、「たったこれだけ。私はこれ(ブルーリボン)を胸に着けていただけなのに、職務に専念していないと見なされて訓告処分を受けました」という。佐藤さんが、「日の丸・君が代」強制を受け入れがたいとする理由の根幹には、信仰と歴史観の問題がある。
佐藤さんは父親と母方の祖父が牧師。戦時中、キリストではなく天皇を神としてあがめるよう強制された話を聞かされた。朝鮮、台湾といった植民地での皇民化教育にも使われ、軍国主義の歴史が色濃い日の丸・君が代は受け入れられなかった。
それだけではない。教員として、子どもたちに思想の自由を教えながら、「日の丸・君が代」の強制を受け入れてはならないという思いも強かった。
式の一週間ほど前には、6年生の授業で君が代を扱ったばかり。歌詞の意味や賛否両方の意見を教えつつ「世の中には歌いたい人も、歌いたくない人もいる。その選択はみんなの自由で、憲法で保障されている。決して強制されるようなものではない」と伝えていた。
信仰と歴史観、そして教員としての良心に従った佐藤さん。佐藤さんは、教員としてあるべき姿を貫いたのではないか。しかし「訓告」。一方、常習賭博にも当たる、賭けマージャンの黒川が同じく「訓告」。誰が考えてもおかしくはないか。
念のために申し上げれば、00年3月の国立二小の卒業式の式次第には、国歌斉唱のプログラムも、起立斉唱の号令もない。式場に日の丸もなかった。「日の丸・君が代」なしに、創意工夫をこらした感動的なフロア対面形式の卒業式が行われている。ただ、それまで、「日の丸」とも「君が代」ともまったく無縁だった国立二小校舎の屋上に、校長が独断で「日の丸」を立てたのだ。佐藤さんのブルーリボンは、そのことへの抗議だった。
その後03年10月23日に、悪名高き「10・23通達」が発出されて、事態は昏迷することになる。あの石原慎太郎2期目の都政でのことである。この年の4月13日都知事選で、石原は308万票(得票率70%)を獲得した。ここから、石原の暴走が始まる。この右翼政治家に308万票を献じた都民の責任は大きい。
いつもながら、東京新聞「こちら特報部」は、立派な記事を書いてくれた。だが、一点気になるところがある。「10・23通達」後の、国歌斉唱時の不起立による処分の問題。記事には、こう書いてある。
都教委は2000年代から統制を強め、卒業式や入学式の国歌斉唱時に起立しないことなどへの処分が続出した。03年度以降、訓告は数人、より重い懲戒処分は延べ約480人に上る。不起立1回目は戒告で、1回増えるたびに減給1、3、6ヵ月、停職1、3、6ヵ月と重くなる。
都教委の意図は「特報部」記事のとおりであった。現実に、都教委は最高裁判決が出るまで、この累積加重の処分を重ねてきた。卒入学式での国歌斉唱時における不起立1回目は戒告。2回目は減給(10分の1・1か月)、3回目目は減給(10分の1・6か月)、4回目は停職(1か月)、5回目は停職(3か月)、6回目は停職(6か月)…というもの。このあとは、懲戒解雇しかなくなる。
不起立の回数が増える度に、懲戒処分の量定を重くし、自らの思想・良心・信仰を曲げなければ教壇を追われることになるという二律背反。この深刻な事態に、良心的な教員を追い込もうという卑劣なやり口。これをわれわれは、「思想転向強要システム」と呼んだ。
さすがに、最高裁もこの邪悪なたくらみを許さなかった。不起立と、それによる処分が累積しても、認められる懲戒処分の量定は戒告限り。減給も、停職も認められないというのが現在の最高裁の態度である。都教委がたくらんだ、思想転向強要システムは破綻している。このことは、もっと広く知られねばならない。