澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「戦後70年」と冠される年のはじめに

あらたまの初春。「戦後70年」と冠される2015年の、年の初めのブログの書き初めである。

「日記買ふ」が冬の季語で、「初日記」「日記始」が新年の季語だそうだ。一年の計を思いつつ、新しい日記の第一頁に筆を下ろす。この新鮮な気持はまた格別。手許の歳時記をめくると、その気持よく分かる、という句が並んでいる。
   まっ白な月日あふるる初日記  (山口壤邇)
   胸埋めるほどに雪降る初日記  (菅原多つを)
   新日記三百六十五日の白    (堀内 薫)
   日記まづ患者のことを書きはじむ(中台泰史)
   記すこと老いて少なき初日記  (中 火臣)
ブログとて気持は日記と同じ。さて、いったい何を初ブログに書くべきか。

この数年、さして目出度いというほどの新年ではない。とりわけ、安倍政権下の正月となってからは。しかし、世の習いにしたがって申し述べる賀詞はけっして嘘ばかりではない。70年前の正月に比べれば、なんたる「目出度さ」であろうか。

この正月、戦争もなくテロもない。空襲警報は鳴らないし敵機の来襲もない。特高警察も憲兵も、徴兵も徴用もなく、町内会が物資の供出を求めて家々を回って来るでもない。治安維持法も軍機保護法も国家総動員法もない。宮城遙拝や「天皇バンザイ」の唱和を強制されることもない。日本の軍隊が海外に展開しているでもなく、ラジオの臨時ニュースが大本営発表として戦況の放送をしているでもない。ならば、十分に中くらいは目出度いと言ってよいではないか。

これは日本国憲法が保障している平和の世の目出度さである。戦後レジームによる平和であればこそ「目出度い」と言っていられる。うっかり、戦後レジームを脱却して、「天皇を戴く国」を取り戻されたのではたまらない。「天皇を戴く国」とは、皇国史観を強制されて、精神の内奥までに権力の支配が及ぶ恐るべき「御代」にほかならない。治安維持法や軍機保護法が猛威をふるい、国民すべてにスパイの嫌疑がかけられる世の中。特高や憲兵、思想検事が巾を利かせる世の中。人種差別や民族差別が横行する社会。個人の自由ではなく、国家の存立こそが唯一価値あるものとされ、個人は国家への服従を強制される。

新年は、そのような70年前に引き戻そうとするたくらみを許してはならないと、あらためて決意を固めるべき時であろう。

亡父が生きていれば、本日が101歳の誕生日である。そのスパンで、1914年から100年前に遡ると1814年となる。日本はまだ、将軍家斉の時代。ナポレオン・ボナパルトがエルバ島に配流された年だという。

戦後70年もずいぶん長い。1945年から70年を遡ると、1875年、明治8年ではないか。西南戦争以前、江華島事件の年となる。「戦前」を、目一杯明治維新から敗戦までとしても77年間でしかない。大日本帝国憲法制定から敗戦までだと、なんと56年に過ぎない。戦後は長く続いてきた。国民に定着してきた。日々国民が選び取ってきたのだ。

この日本国憲法がもたらす平和を大切にしたい。平和をもたらす日本国憲法を大切にしなければならない。そのことに役立つようなブログを書き続けたい。それが新年の決意。

そして、今年のブログを書き始めるにあたって、「短くしよう」「読んでもらいやすくしよう」「複数のテーマを盛り込むことは止めよう」と決意している。できるだけ…ではあるが。
(2015年1月1日)

「市民の力の勝利」ー成功体験は理性ある市民の手に

「北星学園大学の植村隆さん雇用継続の決定について、各紙がそれぞれの社風で記事を書いている。東京新聞と北海道新聞がほぼ同じ内容。見出しに、「『脅迫に負けるな』支援受け」「市民の力の勝利」と文字が躍る。

この二つの見出しが事態を端的に物語っている。せめぎ合いは「卑劣な脅迫者」と「真っ当な市民」との間のものだった。最初は脅迫者側が優勢に見えたが、「脅迫に負けるな」という市民の声が大きなうねりになって結実し、「市民の力の勝利」に至ったのだ。このことの意味は極めて大きい。

道新に(東京にも)次のような感動的な一文がある。「これは市民の力の勝利だ」と述べた北星学園大学教員の名言である。
「今回、確信した。民主主義は政治家や学者によって守られるものではない。市民が納得のいかないことに声を上げ、議論をし、自らも説明責任を果たすことでしか、実現しない」
この度は、市民の側が成功体験を積み上げ自信をもった。

同じ道新に(東京にも)、次のコメントが紹介されている。
「結城洋一郎小樽商大名誉教授の話 北星大が脅迫に屈すると『あいつを気に入らないから辞めさせろ』と、あらゆる組織で同じことが起きかねない。今回の誇りある決断は、そうした風潮を抑止する。」「警察は警備を強化し、脅迫などの捜査を進めるべきだ。愉快犯であっても、厳しい態度を示すべきだ。」
不当な連中に間違った成功体験を経験させてはならないのだ。

朝日は、精神科医香山リカさんのコメントを掲載している。
「この間、…間接的に脅迫を肯定するかのような議論が、ネットを中心に一部で見られたのは大変残念だった。万一、また学問の自由や大学の自治を侵害する卑劣な行為が起きた場合、大学内部で対処せず、今回のように情報公開し、外部の支援者がスクラムを組んで大学を守る方法が有効ではないか。その意味でよい先例になったと思う。」
実に的確な指摘だと思う。(1)卑劣な行為起きた場合内部だけの問題としない。(2)情報公開し外部に訴える。(3)外部の支援者がスクラムを組んで卑劣な行為を糾弾する。香山さんは、今回の教訓をこのように定式化して、「よい先例になった」と評価しているのだ。

敢えてもう一つ付け加えるとすれば、(4)外部の犯罪行為には躊躇なく警察や検察の手を借りて取締りを依頼しよう。告訴や告発を躊躇することは、業務妨害や、脅迫・強要・名誉毀損・侮辱犯に間違ったメッセージを送ってしまうことになりかねない。北星への卑劣な脅迫者たちは、「これくらいのことはたいしたことはない」「俺たちの立場は政権や社会に支持されている」「こんなことに警察が手出しすることはないだろう」と思い込んでいたのではないか。

私が今回使った「成功体験」という言葉は、北大教授の町村泰貴さんのブログから借用したもの。便利で使いやすい言葉だ。この人のブログからは、教えられることが多い。
町村さんは、11月5日付のブログで、「北星学園大学は脅迫に屈することを選ぶ模様」と嘆いている。そのなかに、「このような形で脅迫に屈すれば、脅迫者たちの成功体験が次の脅迫を呼ぶことであろう。」という一文がある。指摘のとおり、彼らに「成功体験」をさせてはならないのだ。

町村さんは、さらにこう続けている。
「学問と言論の自由は、当然ながら、世間の反発を買うような内容の言動も含めて、その自由が保障される必要がある。もちろん内容面についての批判を受けることは甘受しなければならないのだが、それを超えて、辞職しろとか、自決しろとか、そのような脅迫を甘受する必要はないのであり、そのような脅迫は原則として取り締まりの対象となるべきである。
そして脅迫に対しては、大学は脅迫者に対する刑事告発や民事責任追及といった方法をもって対抗し、かつそれが危害を加えられるおそれに至れば、警備にコストがかかるかもしれない。そのコストは、本来脅迫者たちから損害賠償として取り立てるべき筋のお金である。」

ここまでが民事訴訟法学者の言である。この示唆を受けて、あとは実務法律家が語らなければならない。「大学が、脅迫者に対する刑事告発や民事責任追及といった方法をもって対抗する」には弁護士の助力を必要とする。道の内外を問わず、多くの弁護士が北星の役に立とうと身構えている。

町村ブログの重要な示唆は民事訴訟提起の勧めである。刑事告訴や告発も辞さないというだけでなく、民事訴訟も考慮せよというのが町村教授提案ではないか。なるほど、考えてみれば、大学が警備費用など余計な出費を負担する筋合いはないのだ。この損害は、脅迫に加わった多数加害者たちの共同不法行為として構成することが可能ではないか。住所氏名が判明した脅迫行為加担者には、警備費用などのコスト分を損害として賠償請求訴訟の提起が十分に可能である。共同不法行為が成立する以上は人数割りで損害が按分されるのではない。共同不法行為加担者の一人ひとりが、損害の全額を賠償する責任を持つことになる(民法719条)のだ。この際、いくつかの実例を作っておくことが、後々のために有益ではないだろうか。

その町村さんが昨日のブログでこう書いている。
「おりしも、パキスタンではあのマララさんを襲ったグループが学校を襲って100人以上もの死者を出した事件が今日報じられている。思想も過激さも大きく異る二つのケースだが、子どもを攻撃対象とする卑劣さにおいて北星学園大学脅迫犯とパキスタンの過激派とは同根だ。こうした連中を助長し、のさばらせ、共感したりすることは有害だ。
逆に、脅迫には屈しないということを選んだ北星学園大学に、心からのリスペクトを送りたい。」
まったく同感である。
(2014年12月18日)

北星学園大学の英断に敬意ーいっそうの支援の輪を拡げよう

北海道は今日は猛吹雪とのこと。そのなかで、北星学園にだけは暖かい陽が射し、さわやかな風が吹いたようだ。言論の自由と大学の自治を蹂躙しようとした卑劣な排外主義の横暴に歯止めがかけられたのだ。

まずは、北星学園理事長と学長連名の本日付下記声明を熟読いただきたい。苦悩しつつも、理性ある社会の連帯の声に励まされながら建学の理念を貫いた、その真摯な決意を読み取ることができる。

http://www.hokusei.ac.jp/images/pdf/2014_1217.pdf

まずは、北星学園の皆さんに敬意を表しなければならない。そして、この成果獲得の過程に満ちている多くの教訓を確認しなければならない。そしてまた、これですべてが解決したわけではない。このステップを確信として、さらに大きな支援の輪を広げなくてはならないと思う。

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元朝日新聞記者である植村隆氏は、23年前に2通の従軍慰安婦問題報道の記事を書いたとして故ないバッシングの対象とされてきた。二つの記事はいずれも立派なもので、これを非難するのは「理由なく難癖をつける」に等しい。にもかかわらず、同氏に対するバッシングは、本人のみならず家族に及び、さらにその矛先は勤務先の北星学園大学に向けられた。

本年の5月以後、心ない者の扇動に乗せられた卑劣きわまりない脅迫・強要・業務妨害の電話やメールが一斉に北星学園に押し寄せた。「大学への脅迫や抗議は5月?11月半ばだけでも2千近くに上った」(道新)という。この事態は、今の時代の空気を象徴するものとして、凝視しなくてはならない。排外主義の空気がこうまで色濃くなっているという背筋が寒くなる現実があるのだ。

攻撃の標的として確かに学校は弱い。北星学園は、大学生だけでなく中高一貫の女子校を抱えている。本当に安全を守れるのか、保護者を安心させることができるのか。トラブルのある学校への進学希望者が減るのではないか、いたずら電話などに完璧な対処ができるのか、心配は尽きない。職員にも大きなストレスがかかっている。現実に警備費用の負担が大きくのしかかっているとも聞こえてくる。経営の観点だけからなら結論は単純だ。一人の非常勤講師の雇用継続を拒否した方が合理的な判断であることは間違いない。

しかし、その北星学園は最終的に毅然とした判断に至った。本日植村氏の雇用契約を来年度も継続するむねを正式に発表した。経営ではなく敢えて理念にしたがった選択をしたのだ。

その経過は、北海道新聞に手際よくまとめられている。
「同大は当初、学生や受験生の安全を優先して、雇用を打ち切る方針で検討していた。しかし、大学を運営する学校法人の理事会などで、『雇用打ち切りはキリスト教を基礎とした建学精神に反する』と反対意見が多く出された。
また市民グループ『負けるな北星!の会』が発足し、全国の弁護士380人が脅迫状事件で容疑者不詳のまま札幌地検に告発するなど、支援の動きが国内外に広がった。札幌弁護士会が『民主主義に関わる』として協力を申し出たこともあり、大学は講師の契約更新に必要な安全確保ができると判断したとみられる」

本日の学長声明では、「暴力と脅迫を許さない動きが大きく広がり、そのことについての社会的合意が広く形成されつつあり、それが卑劣な行為に対して一定の抑止力になりつつあるように思われます」と言っている。極めて率直に正直に、「北星学園ひとりの力だけでは、この事態を乗り越えられない」「多くの人の励ましを得て、この社会の声の力強い後押しがあるなら乗り越えられるだろう」というのだ。

私たちは、もっともっと支援の輪を広げ、力強い応援をしなければならない。

言うまでもないことだが、大学運営の業務の平穏は守られなければならない。この業務平穏を妨害することは犯罪である。私たちは、2度目の告発を準備中で、今度は早期の起訴にまで持ち込みたいと考えている。

北星学園に対する「電凸」を「虚偽の風説の流布による業務妨害」(刑法233条)とするもので、近々札幌地検に告発状を提出する予定。電凸という用語は私も今回初めて知ったが、これは今やネット社会の住民のいやがらせ常套手段。これを防遏する意味が大きい。

卑劣な攻撃から平穏な学園を防衛するためには、さらなる刑事告訴や告発、場合によっては民事の損害賠償も考えねばならない。それが、社会の責任であり、人権と社会正義の擁護を使命とする実務法律家の使命でもある。これを徹底してこそ、民主主義的秩序を擁護することが可能となる。

あらためて背筋が凍る思いがする。もし、北星学園が暴力と脅迫に屈して逆の結論を出していたとしたら…。暴力と脅迫はさらにエスカレートし、至るところで跋扈しかねない。非理性的な排外主義の社会的圧力が、言論の自由や学問の自由、大学の自治を蹂躙しかねない。かろうじて、そうはならなかった。その意味で、今日は良い日だったのだ。吹雪荒れる日ではあっても…。
(2014年12月17日)

「南京アトロシティ」を忘れることなく ― 総選挙の争点(その9)

12月13日、世界に「南京アトロシティ」(大虐殺)として知られた事件が勃発した日。そして、今年は明日に第47回総選挙の投票日を控えた日となった。

77年前の1937年7月に北京郊外盧溝橋での日中軍の衝突は、たちまち中国全土への戦線拡大となった。同年11月19日、日本軍は占領地の上海から当時の首都南京を目指して進軍を開始した。

この南京攻略作戦は、中支那方面軍司令官の松井石根(陸軍大将・東京裁判でA級戦犯として死刑)が参謀本部の統制に従わずにしたものとされ、無理な作戦計画が糧秣の現地調達方針となって、進軍の途中での略奪や暴行などが頻発したとされる。

その進軍の到達地首都南京開城が12月13日。城内外が、その後3か月にわたるアトロシティの舞台となった。日本軍は、逃げ遅れた中国兵や子ども・女性を含む一般市民を虐殺し、強姦、略奪、放火などを行った。加害・被害の規模や詳細は推定するしかないが、死者数「十数万以上、それも20万人近いかあるいはそれ以上」(笠原十九司著『南京事件』岩波新書)と推測されている。

「南京アトロシティ」は、当時現地にいたジャーナリストや民間外国人から発信されて世界を震撼させた。しかし、情報管理下にあったわが国の国民がこれを知ったのは、戦後東京裁判においてのことである。その東京裁判では、老幼婦女子を含む非戦闘員・捕虜11万5000人が殺害されたとし、南京軍事法廷(1946年に国民党政府によって開かれた戦犯裁判)は30万人が殺されたとしている。

小学館「昭和の歴史・日中全面戦争」(藤原彰)に、次の記述がある。
「当時の外務省東亜局長石射猪太郎の回想録には、『南京アトロシティ』という節を設け、現地の日本人外交官からの報告にもとづき、局長自身、陸軍省軍務局長にたいして、また広田外相から杉山陸将にたいして、日本軍の残虐行為について警告したと書かれている。実数は不明だが、膨大な件数の日本軍による残虐行為が行われ、世界の世論をわきたたせたことは、明らかな事実なのである。」

「それはまさに、日本の歴史にとって一大汚点であるとともに、中国民衆の心のなかに、永久に消すことのできぬ怒りと恨みを残していることを、日本人はけっして忘れてはならない。」「この南京大虐殺、特に中国女性に対する陵辱行為は、中国民衆の対日敵愾心をわきたたせ、中国の対日抵抗戦力の源泉ともなった。」
もって、肝に銘すべきである。

日本国憲法は、過ぐる大戦における戦争の惨禍への深刻な反省から生まれた。戦争の惨禍とは、自国民の被害だけを指すものではなく、近隣諸国民衆の被害をも含むものと解さなければならない。日本国民は、決して戦争に負けたことを反省したのではない。無謀な戦争を反省して、この次は国力を増強して用意周到な準備の下、頼りになる同盟国と組んでの戦勝を決意したのでもない。戦争そのものを非人道的なものとしてなくす決意をしたのだ。だから、日本国民の戦争被害だけではなく、加害の事実にも真摯に向き合わねばならない。

日本人にとって、戦争被害の典型が広島・長崎の原爆であり、沖縄の地上戦であり、東京大空襲であろう。加害の典型が、占領地での南京アトロシティであり、731部隊・平頂山事件・捕虜虐待であり、また従軍慰安婦であろう。

幸いに、日本の戦争被害について、これを「でっち上げだ」という声は聞かない。にもかかわらず、安倍政権誕生以来、戦争における加害の事実を否定しようとする歴史修正主義者の跋扈が目に余る。自国に不都合なものであっても歴史的真実から目を背けてはならない。

歴史修正主義は、必然的に日本国憲法への敵対的な姿勢となる。あの戦争についての反省を拒否することは、憲法の成り立ちを否定し、とりわけ国際協調と平和主義を否定することになるのだ。

安倍政権がまさしくその立場である。これに鼓舞され追随して、ヘイトスピーチの横行があり、朝日バッシングがある。北星学園への卑劣な脅迫や一連のいやがらせもこれにつながるものである。

ことは、保守か革新かのレベルではないように見える。歴史に真摯に向き合うか否かは、保革の分水嶺ではない。加害の戦争責任を認める立場は、むしろ保守本流の立場であったはずではないか。

明日の投票日に、是非とも危険な安倍自民とこれへの追随勢力に、国民のノーの審判をしていただきたいものと思う。「この道しかない」と、あの忌まわしい「いつかきた道」に再び連れ込まれることのないように。
(2014年12月13日)

植村隆の「慰安婦問題」反撃手記に共感

本日(12月10日)発売の「文藝春秋・新年号」に、「慰安婦問題『捏造記者』と呼ばれて」と題する朝日新聞植村隆元記者の「独占手記」が掲載されている。

私が普段この雑誌を購入することはない。が、今号だけは別。さっそく買って読んでみた。素晴らしい記事になっている。「週刊金曜日」・「月刊創」・ニューヨークタイムズ・東京新聞(こちら特報部)に続いて、ようやく出た本人自身の本格的な反論。

タイミングが実によい。明日(12月11日)が北星学園の理事会だと報じられている。この手記は、学園の平穏を維持する立場から植村講師雇用継続拒否もやむを得ないと考える立場の理事に、再考を促すだけのパワーをもっている。

手記は、植村バッシングが実はなんの根拠ももってはいないこと、にもかかわらず右翼メディアと右翼勢力とが理不尽極まる人身攻撃を行っていること、この異様な事態にジャーナリズムの主流が萎縮して必要な発言をしていないことを綿密に語っている。

これは今の世に現実に起きている恐るべき悪夢である。マッカーシズムにおける「赤狩り」とはこんな状況だったのであろう。あるいは天皇制下の「非国民狩り」もかくや。今何が起こっているのか、何がその原因なのか、そしてどうすればこの状況を克服できるのか。理性と良識ある者の衆知と力を結集しなければならないと思う。

植村手記はその最終章で、「頑張れ北星」「負けるな植村」の声が高まりつつあるとして希望を語っている。そして、自分を励ます言葉で結ばれている。まだまだ、救いの余地は十分にある。我々が声を上げさえすれば…。

手記は全27頁に及ぶ。時系列とテーマで、「手記その?」?「手記その?」の7章から成る。それぞれが読み応え十分な内容となっている。これまでの経緯を述べて、文春・読売・西岡力らのバッシングに対する全面的な反論になっている。

その手記に前置して、「我々はなぜこの手記を掲載したのか」という編集部の2頁におよぶコメントが付けられている。これはいただけない。文春編集部の懐の狭さを自白するお粗末な内容。しかし、それを割り引いても、植村手記にこれだけのスペースを割いたのは立派なもの。営業政策としての成功も期待したい。朝日バッシングの重要な一側面をなす植村問題について語るには、今後はこの手記を基本資料としなければならない。文春を購入して多くの人にこの記事を読んでもらいたいと思う。ただ読み流すだけでなく、徹底して読み込むところから反撃を開始しよう。

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植村手記に前置された文春編集部のリードは、あからさまな植村批判の内容となっている。読者には白紙の状態で手記を読ませたくないという姿勢をありありと見せているのだ。編集部なりの要約にもとづく植村への批判を先に読ませて、その色眼鏡を掛けさせてから手記本文を読ませようという訳だ。

このリードは、「植村隆氏が寄せた手記は、日本人に大きな問題を突きつけている」と始まる。読み間違ってはいけない。大きな問題とは、植村の言論に対するバッシングという手記執筆以前の異常な現象をさしているのではなく、この文章の文意のとおり、「手記」自体が問題だと言っているのだ。問題の具体的内容は、「(1)ジャーリズムの危機」、と「(2)社会の危機」だという。もう一度、間違ってはいけないと念を押さねばならない。「(1)ジャーリズムの危機」とは、23年前の記事に対する現今のメディアの執拗な攻撃のことではない。植村の手記に表れているジャーナリストとしての姿勢にあるのだという。植村が「真実を見極めるべきジャーナリズムの仕事にふさわしくなく、(従軍慰安婦)として被害にあったと主張する人に『寄り添う』と言っていること」を、危機だというのだ。これには驚いた。

次いで、「(2)社会の危機」とは、「植村氏とその家族に向けられたいやがらせ、脅迫の数々」を言っている。しかし、この明白な犯罪行為を含む卑劣な諸行為は、文春自身を含む、朝日バッシングに加担したメディアが主導して作りだした社会の雰囲気によって起こされたものではないか。そのことについての自省の弁はない。

ちなみに、数えてみたところ、「(1)ジャーリズムの危機」に関する記事は63行であるのに対して、「(2)社会の危機」に関する記事は9行に過ぎない。

もっとも、誰が読んでも、文春のリードの書き方はおざなりで切れ味にも迫力にも乏しい。91年当時の植村署名記事や今回の植村手記を、本気で批判しているとは思えない。「ジャーナリズムの危機」などという大袈裟な言葉が空回りしている。植村手記掲載に対する右翼からの批判を予想し、先回りして弁解の予防線を張っておこうという姿勢なのだろう。文春自身がジャーナリズムの萎縮の一つの態様を見せているのだ。

そんなことを割り引いても、植村手記掲載は月刊文藝春秋編集部の英断といって差し支えない。これが、植村バッシング終息への第一歩となりうるのではないか。

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「手記その?慰安婦捏造記者と書かれてー西岡力氏への反論」や、「手記その?バッシングの日々ー大学の雇用契約も解消された」を読むと、この社会は異常な心理状態にあると薄ら寒さを感じる。国賊や売国奴、反日の輩を探し出して天誅を加えなければならないとする勢力が跋扈しているのだ。このような排外主義者にメディアの商業主義が調子を合わせ、扇動的な言論を売っているという構図ではないか。

植村手記は押さえた筆で書いているが、「週刊文春」、「フラッシュ」、「週刊新潮」、「週刊ポスト」の名を挙げて、取材姿勢や記事の内容の問題点を具体的に指摘している。さらに、「読売の取材姿勢」については、小見出しを作って問題にしている。

これらのメディアの報道に追随して、無数の匿名のブログやツイッターが悪乗りのバッシングを競い合っている。その標的は最も高い効果を狙って、弱いところに集中する。今攻撃対象となっているのは植村氏の家族であり、北星学園なのだ。その卑劣な無数の言動のなかには、少なくない業務妨害や名誉毀損、侮辱、脅迫、強要などの明らかな犯罪行為が含まれている。

文藝春秋社や小学館などは、堂々たる主流の出版メディアではないか。まだ遅くない。その見識を示して、このような異様な現状を修復することに意を尽くすべきではないか。

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最終章「手記その?『負けるな植村!』ー私の何が悪かったのか」は、窮状を訴えつつも感動的な決意の表明であり、国民への呼びかけともなっている。「負けるな植村!」は、自身に対する激励である。91年に慰安婦問題の記事を書いた当時の32歳の植村が、今56歳になった北星学園講師の植村へのエールでもある。

「歴史の暗部を見つめようとする人々を攻撃し、ひるませようとする勢力が2014年の日本にいる。それには屈しないと声を上げる人々もいる。お前も一緒に立ち向かえと、若き日の自分から発破をかけられているのだ。」
「私は『捏造記者』ではない。不当なバッシングに屈する訳にはいかない」

これが結びの言葉だ。私たちが、この言葉を受け止め、呼応する決意をつなげなければならない。

手記の文中に「『慰安婦問題』を書くと攻撃を受けるという認識が朝日新聞自体にも広がっているようだ。記者たちの萎縮が進んでいるように思える」「そこが私を攻撃する勢力の『狙い』なのではないか」「松蔭、帝塚山に続いて、北星も脅しに屈したら、歯止めが利かなくなる」とある。私たち一人ひとりに、このような萎縮と闘うことが求められている。

まずは、この手記を徹底して読みこもう。そして、植村氏と北星を激励しよう。さらに、自らの課題として「歴史の暗部を見つめようとする人々を攻撃しひるませようとする勢力」に屈しない決意を固めよう。他人事ではないのだ。
(2014年12月10日)

「試されているのは一人ひとりの当事者意識と覚悟」?北星学園「応援」を自らの課題に

本日(11月29日)の毎日新聞・オピニオン面の「メディア時評欄」に目が留まった。筆者は阪井宏、その肩書は「北星学園大教授(ジャーナリズム倫理)」。

標題が、「大学脅迫問題、問われるのは『覚悟』」とある。これを読んで、心強く思うとともに、あらためて私自身の覚悟も問われていることを自覚した。具体的な行動を起こさねばならない。

阪井論文は、次のように状況を説明する。
「朝日の慰安婦報道にかかわった元記者が教壇に立つ大学が、相次いで脅迫を受けた。脅されたのは、帝塚山学院大学(大阪狭山市)と、私の勤める北星学園大学だ。両大学は今春以降、文書、電話、メールで脅迫を受けた。『辞めさせなければ、学生に痛い目に遭ってもらう』と学生への危害をほのめかす文書もあった。」
「帝塚山の元記者は自ら辞職した。北星は当初、脅しに屈しない姿勢を示した。全国から応援の声が寄せられた。市民団体『負けるな北星!の会(通称・マケルナ会)』が東京と札幌で生まれた。大学教員、ジャーナリスト、弁護士らが名を連ね、学生5000人足らずの私大がにわかに注目の的となった。」
「しかし10月31日、学長が元記者の本年度での雇い止め方針を表明すると、空気が変わった。報道には弱腰の大学を嘆くかのようなニュアンスも漂う。」

これが時代の空気なのだろうか。卑劣な輩が群れをなして、弱いところを狙って理不尽な攻撃を仕掛けているのだ。大学は学生の安全に配慮しなければならない立場。文書、電話、メールでの脅迫には弱い。「学生に痛い目に遭ってもらう」などという脅迫を無視することなど到底できない。大学の苦境はよく分かる。経営陣も、第一線の職員も、そして学生も、不安でもあろうし面倒でもあろう。学生の家族の憂慮もさぞかしと思われる。学長の「元記者の本年度での雇い止め方針を表明」も、現実的な対応として、深く悩んだ末のことであったろう。(その後、この学長の方針表明は、決して確定的なものではないとされている)

この状況を踏まえての阪井宏意見に耳を澄まさねばならない。
「毎日は今月8日、全国の弁護士380人が脅迫の容疑者を本人不詳のまま刑事告発するという動きを社会面準トップで取り上げた。地元紙はマケルナ会のシンポジウムを紹介し、『大学が間違った選択をしないよう応援する』との北大教授の発言を伝えた。ありがたい応援である。ただ、この事件は北星だけの頑張りで済む話ではない。あらゆる組織が、いつ何時、同様の脅迫によって活動を阻害されるかも分からない。ところがそんな事態の深刻さが報道からは伝わってこない。」

渦中にある人でこその言葉である。多数の弁護士や他大学教授らの行動に対して「ありがたい応援」と敬意を払ってはいる。しかし、「大学(北星)が間違った選択をしないよう応援する」という姿勢に苛立ちが感じられる。「自分のこととしてとらえきれていないのではないか」という鋭い指摘と読み取らねばならない。

阪井が当事者としては言いにくいことを私なりに解釈すれば、「この事件は北星だけの頑張りで済む話ではない。この時代に、人権や平和を語ろうとするあらゆる組織が、いつ何時、同様の脅迫によって活動を阻害されるかも分からない。それぞれにとって、自分自身の問題なのだ。その深刻な事態をみんな良くわかっていないのではないか。『応援する』『頑張れ』というだけでは、自分の問題としてとらえたことにならない。この事態の困難さを、少しずつでも、自ら引き受ける覚悟が必要ではないのか」ということなのだ。

そこで、阪井は次のように具体的な提案をする。
「志ある大学教員に提案したい。自らが勤務する大学に、元記者を講師として招く授業をぜひ検討してほしい。マスコミ各社にもお願いしたい。多彩なカルチャー講座の一コマに、元記者を呼んではどうか。市民の方々にも問いたい。集会所の会議室を借り、元記者と語る手があるではないかと。」

そのとおりだ。匿名性に隠れて卑劣な脅迫状を送りつけ、インターネットで記者の家族を誹謗する輩、そして歴史を偽ろうとする者とは果敢に闘わねばならない。いま、北星学園が余儀なくされている孤立した闘いに具体的な援助が必要なのだ。まずは警察や司法当局の本腰を上げての真剣な対応が必要だが、それだけではない。これまで北星学園独りが前面に立って受けている圧力を分散することを考えなければならない。元記者と北星支援の声を全国で上げようではないか。それは、北星への卑劣な攻撃を許さないとする大きな世論があることを示すことでもあり、またさらに大きな世論を形成する運動でもある。

「自らのフィールドでテロと戦う。その決断は口で言うほどたやすくはない。単独ではきつい。しかし、大きなうねりとなれば話は別だ。元記者を招く動きが全国に広がれば、脅迫者は的を絞れない。」

集会を組織することは、右翼の標的になることかも知れない。だから、「自らのフィールドでテロと戦う」決断が必要ということになる。だからこそ、いま、北星学園ひとりが標的となって孤立している「テロとの戦い」の一部を引き受ける意味がある。阪井は、「応援する」と口先だけで言うのではなく、「テロとの戦い」の一部を自ら引き受けよ、その覚悟を示せ、と具体案を提示しているのだ。

阪井は、最後を次のように結んでいる。
「この国の民主主義を人任せにしてはいけない。試されているのは我々一人ひとりの当事者意識と覚悟だろう。」

私も、全国の弁護士380人とともに脅迫の容疑者を本人不詳のまま威力業務妨害罪で刑事告発したひとりだ。告発人となった弁護士団の共同代表の一人でもある。これまで「頑張れ北星」と言っては来た。しかし、指摘されてみれば、なるほどそれでは足りない。提案の通り、東京で「集会所の会議室を借り、元記者と語る市民集会」を周囲に呼び掛け企画したいと思う。

もう、「元記者」などと言わなくてもよいだろう。北星学園大学講師の植村隆氏のスケジュールを管理し調整する手立てを講じてもらいたいと思う。「負けるな北星!の会(通称・マケルナ会)」のホームページが適当てはないか。マケルナ会で具体的な招請方法を練っていただき、募集していただきたい。私は、仲間を語らって必ず応募する。
(2014年11月29日)

吉田清治証言紹介記事取り消しー朝日・赤旗・道新を評価する

北海道新聞が11月17日の朝刊1面に「『吉田証言』報道をおわびします」と題して社告を掲載し、2ページにわたって検証記事を特集した。

毎日の同日夕刊が要領よく報道している。
「従軍慰安婦報道を巡り北海道新聞社(村田正敏社長)は17日朝刊で、朝鮮人女性を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の証言を報じた記事について『信憑性が薄いと判断した』として取り消した。同紙は1面で『検証が遅れ、記事をそのままにしてきたことを読者の皆さまにおわびし、記事を取り消します』としている。

北海道新聞によると、吉田氏の証言に関する記事を1991年11月22日朝刊以降、93年9月まで8回掲載(1本は共同通信の配信記事)した。このうち今回取り消した1回目は、吉田氏を直接取材し『朝鮮人従軍慰安婦の強制連行「まるで奴隷狩りだった」』との見出しで報じた。この記事は韓国紙の東亜日報に紹介された。他の7本は、吉田氏の国会招致の動きなど事実関係を報じた内容のため『取り消しようがない』としている」

吉田証言紹介記事の取り消しは、本年8月5日の朝日、9月27日の赤旗に続いて、道新が3紙目となる。もちろん、この3紙だけでなく、当時は各紙とも記事にした。先んじて、検証の上取り消し謝罪した3紙の誠実さは評価されなければならない。
これに続く他紙の対応が注目される。とりわけ、産経と読売である。

以下は、本年8月5日付け朝日の検証記事の一節。まずは、産経の報道について。
「韓国・済州島での『慰安婦狩り』を証言していた吉田氏。同氏を取り上げた朝日新聞の過去の報道を批判してきた産経新聞は、大阪本社版の夕刊で1993年に『人権考』と題した連載で、吉田氏を大きく取り上げた。連載のテーマは、『最大の人権侵害である戦争を、「証言者たち」とともに考え、問い直す』というものだ。
 同年9月1日の紙面で、『加害 終わらぬ謝罪行脚』の見出しで、吉田氏が元慰安婦の金学順さんに謝罪している写真を掲載。『韓国・済州島で約千人以上の女性を従軍慰安婦に連行したことを明らかにした「証言者」』だと紹介。『(証言の)信ぴょう性に疑問をとなえる声があがり始めた』としつつも、『被害証言がなくとも、それで強制連行がなかったともいえない。吉田さんが、証言者として重要なかぎを握っていることは確かだ』と報じた。
 この連載は、関西を拠点とした優れた報道に与えられる『第1回坂田記念ジャーナリズム賞』を受賞。94年には解放出版社から書籍化されている。」
当時の産経は、実に真っ当な報道姿勢をもっていたのだ。

次いで、読売はどうだったのか。
「読売新聞も92年8月15日の夕刊で吉田氏を取り上げている。『慰安婦問題がテーマ「戦争犠牲者」考える集会』との見出しの記事。『山口県労務報国会下関支部の動員部長だった吉田清治さん』が、『「病院の洗濯や炊事など雑役婦の仕事で、いい給料になる」と言って、百人の朝鮮人女性を海南島に連行したことなどを話した』などと伝えている」

当時の読売には、「吉田さんは『病院の洗濯や炊事など雑役婦の仕事で、いい給料になる』と言って、百人の朝鮮人女性を海南島に連行したことなどを話した」「『暴力で、国家の権力で、幼児のいる母親も連行した。今世紀最大最悪の人権侵害だった』などと述べた」などの記事もあったという。

私自身には吉田調書の信憑性を判断して虚偽と断定する能力はない。「第1次サハリン裁判」で吉田清治が証言をした証言調書の抜粋が日本YWCAのパンフレットに掲載されているが、その証言を虚偽だと見抜くのは容易なことではない。当時の各紙の記者が信じ込んだのも無理からぬところ。先行して検証の上記事を取り消した3紙の姿勢を評価し、その他の各紙が次に続くことを期待したい。

その場合に望まれるのは「懺悔」ではなく、「自己検証」の充実である。どうして吉田証言を真実と軽信したのか、どうして訂正記事がこんなに遅れたのか、どうしたら同様の過誤の再発を防止できるのか。是非ともその作業を通じて、国民のジャーナリズムへの信頼を深める努力をしていただきたい。
(2014年11月18日)

弁護士380名が北星学園大学への脅迫者を告発

本日(7日)午後2時45分、全国の弁護士有志380名(道外弁護士199名、道内弁護士181名)が、本年5月と7月と2度にわたって行われた氏名不詳者の北星学園大学に対する文書による脅迫行為について、威力業務妨害罪に当たるものとして下記の告発状を札幌地検に提出した。同地検では特別刑事部長が対応して「受領」となった。

同日午後3時から、札幌と東京とで同時に記者会見をしたあと、告発人代表が北星学園と面会し経過を報告して同学園を激励し、不当な社会的圧力によって大学の自治や学問の自由が侵されることのない環境を整備することに協力することを申し入れた。

告発人らは、「基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」弁護士として卑劣な行為によって大学の自治、学問の自由、言論の自由が損なわれる事態を傍観し得ず、今回の告発に至った。卑劣な犯行は時代の空気が誘発したのではないかとの危惧を払拭できない。捜査機関の厳正な捜査によって、自治や自由を十全に行使できる環境が整うよう期待したい。

私も、告発人共同代表のひとりとして、東京での記者会見に出席した。この問題は根が深い。卑劣な脅迫者やその予備軍に、脅迫の意図は成就しないことを知らしめなければならない。

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                 告   発   状
                    2014年(平成26年)11月7日
札幌地方検察庁 御中
        告発人共同代表  弁護士 阪口徳雄(大阪弁護士会)
        告発人共同代表  弁護士 中山武敏(第二東京弁護士会)
        告発人共同代表  弁護士 澤藤統一郎(東京弁護士会)
        告発人共同代表  弁護士 梓澤沢和幸(東京弁護士会)
        告発人共同代表  弁護士 郷路征記(札幌弁護士会)
        上記代表を含む別紙告発人目録記載の弁護士(380名)

           被告発人(1) 氏 名 不 詳
           被告発人(2) 氏 名 不 詳

第一 告発の趣旨
住所氏名不詳の各被告発人の下記各行為は、刑法234条(威力業務妨害罪)に該当することが明らかと考えられるので、早急に被告発人らに対する捜査を遂げ厳正な処罰をされたく、告発する。

第二 告発事実
第1 被告発人(1)は、元朝日新聞記者である植村隆氏(以下「植村氏」という)を失職させる目的のもと、2014年(平成26年)5月某日、同人が非常勤講師として勤務する北星学園大学(札幌市厚別区大谷地西2丁目3番1号所在、運営主体は学校法人北星学園・理事長大山綱夫)の田村信一学長あてに、「植村をなぶり殺しにしてやる」「(植村氏を)辞めさせろ。辞めさせなければ、学生を傷めつけてやる」「くぎ入りガスボンベ爆弾を仕掛ける」などの趣旨を記載した文書を郵送し、同月29日、同学長に上記文書を閲読させ、同学長及び同学長から当該文書の内容の伝達を受けた学校法人北星学園大山綱夫理事長らをして、同法人従業員らに警察署等と連携し各種情報収集や情報交換のほか、日常的な巡回と緊急時の対応支援を要請するなどの態勢を構築させ、また、不測の事態に備えて、危機管理コンサルティング会社や弁護士などの外部専門家と連携した危機管理態勢を構築させ、さらに、植村氏の講義実施にあたり警備態勢等を取らせる等の対応を余儀なくさせ、これらに従事した同法人従業員らにおいて通常行うべき同社の業務の遂行を妨げ、もって威力を用いて同法人の業務を妨害した。

第2 被告発人(2)は、上記植村氏を失職させる目的のもと、2014年(平成26年)7月某日、同人が非常勤講師として勤務する札幌市厚別区大谷地西2丁目3番1号所在の北星学園大学(運営主体は学校法人北星学園・理事長大山綱夫)の田村信一学長あてに、「植村をなぶり殺しにしてやる。」「(植村氏を)辞めさせろ。辞めさせなければ、学生を傷めつけてやる」「くぎ入りガスボンベ爆弾を仕掛ける」などの趣旨を記載した文書を郵送し、同月28日、同学長に上記文書を閲読させ、同学長及び同学長から当該文書の内容の伝達を受けた学校法人北星学園大山綱夫理事長らをして、同法人従業員らに警察署等と連携し各種情報収集や情報交換のほか、日常的な巡回と緊急時の対応支援を要請するなどの態勢を構築させ、また、不測の事態に備えて、危機管理コンサルティング会社や弁護士などの外部専門家と連携した危機管理態勢を構築させ、さらに、植村氏の講義実施にあたり警備態勢等を取らせる等の対応を余儀なくさせ、これらに従事した同法人従業員らにおいて通常行うべき同社の業務の遂行を妨げ、もって威力を用いて同法人の業務を妨害した。

第三 告発の事情と告発目的
植村氏は、1991年(平成3年)8月11日付の朝日新聞大阪本社版朝刊で韓国の元慰安婦の証言を他紙に先んじて報じ、同年12月には、この女性からの詳細な聞き書きを報じた。
これに対し、植村氏の妻の母親が韓国の「太平洋戦争犠牲者遺族会」の幹部であることを指摘し、身内を利するため、捏造した事実を含む記事を書いたとする批判が繰り返されてきた。
植村氏への中傷が激しくなる中、朝日新聞は本年8月5日付朝刊の特集においてこの問題に言及し、植村氏の記事の中に「慰安婦」と「女子挺身隊」との誤用があったことを認めた上で、記事に「意図的な事実のねじ曲げなどはありません」「縁戚関係を利用して特別な情報を得たことはありませんでした」と結論づけた。朝日新聞による上記特集紙面の結論の妥当性については、第三者委員会で検証されることが決まっている。
朝日新聞の姿勢や、植村氏の報じた記事の内容に疑義があるとする者においては、言論をもって批判し反論すべきが民主主義社会における当然のルールでありマナーでもある。しかし、インターネットが登場し、容易に誰でも匿名で情報を発信できることになって以来、匿名性に隠れて「言論」の領域から逸脱し、故ない誹謗、中傷が繰り広げられ、刑法上の名誉棄損罪、強要罪、脅迫罪、強要罪などの違法行為となる言説がネット上で飛び交うことさえ見受けられる。時に、ネット空間の一部が、いわば自分たちの気に入らない、または自己の主義主張に反する者に対する公然たる私的制裁行為=リンチの場に化している実態がある。
今回の植村氏の件では、インターネット上で、植村氏の実名を挙げ、憎悪をあおる言葉で個人攻撃が繰り返され、同人の高校生の長女の氏名、写真までさらされる事態となっている。「反日」「売国奴」などと罵倒し、まさしく同人及び家族に対する私的制裁行為=リンチ行為の場と化している。その中では名誉棄損罪、強要罪、脅迫罪などに該当する違法行為も公然と行われている。
このような風潮の中で、集団による私的制裁行為の一端として植村氏が非常勤講師を務める北星学園大学へ上述のような脅迫文が届いたのである。
加えて、2014年(平成26年)9月12日夕方ころには、被告発人らとは別人と考えられる人物が、植村氏を失職させる目的のもと、所在不明の電話器から、北星学園大学の代表電話番号(011?891?2731)に電話をかけ、電話を取った男性警備員に対して、「(植村氏を)まだ雇っているのか。ふざけるな。爆弾を仕掛けるぞ」などと脅し、最近、威力業務妨害罪で逮捕に至った事件も発生している。上記脅迫電話の件については、北海道警察の捜査に敬意を表するものである。
これらの脅迫文や電話での脅迫行為に関しては、大きく報道されて国民的関心事となっている。国民が強い関心を寄せたのは、本件の手段があまりに卑劣であるだけでなく、そのことによって奪われようとしている価値があまりに大きなものだからである。
自らは闇に身を隠し刑事責任も民事責任も免れることを確信しながら、植村氏を社会的に抹殺するという不当な目的を、同氏の言論とは何の関係もない、勤務先であるに過ぎない大学に対して、大学に学ぶ学生を傷つけるという害悪の告知を行うことによって、達成しようとしているのである。卑劣このうえない手段というべきである。
万が一にも、被告発人らの思惑どおり、脅迫や威力妨害の効果として、植村氏の失職が現実のものとなるようなことがあれば、犯罪者の脅迫行為が目論み達成のために有効なものとなる「実績」が作られることになる。このことは、言論の自由や学問の自由という民主主義社会にとって至高の価値が「暴力」に屈して危機に瀕する事態となることを意味している。
意に沿わない記事を書いた元新聞記者の失職を目論み、勤務先に匿名の脅迫文を送付するという被告発人らの違法行為は、言論封じのテロというべき卑劣な行為であり、捜査機関は、特段の努力を傾注して、速やかに被告発人らを特定し、処罰しなければならない。捜査機関がこのような違法状態を放置するようなことがあれば、言論の自由や学問の自由が危険にさらされ、「私的リンチ行為」が公然と横行し、法治国家としての理念も秩序も崩壊しかねない。それは多くの国民、市民が安心して生活できない「私的制裁=リンチ社会」に道を開く危険な事態といわねばならない。
告発人らは、「基本的人権を擁護し、社会正義を実現すること」を使命とする弁護士として事態を傍観し得ず、以上の立場から本件告発を行うものである。

第四 捜査の要請
雑誌やインターネット上において、植村氏並びに家族に対する名誉棄損、侮辱(いずれも親告罪)などの違法行為が堂々とまかり通っている。このような違法行為の放置は、法治国家において断じてあってはならない。
告発人らは、植村氏及び家族らからの告訴の委任を受けている者ではなく、名誉毀損、侮辱について告訴をなす権限はない。しかし、植村氏らの告訴があった場合には、捜査機関においては直ちに捜査に着手し、各犯罪行為者を厳罰に処するよう強く要請する。
また、親告罪ではない強要・脅迫(本件脅迫状によるものを含む)などについては告訴を待つことなく、厳正に捜査をされるよう要請する。

第五 立証方法
1 資料1 インターネット記事
     (どうしんウェブ 北海道新聞) 
2 資料2 北星学園大学学長名義の文書
     「本学学生及び保護者の皆様へ」
3 資料3 毎日新聞
4 資料4 新聞記事
                               以上
(2014年11月7日)
         

今日は「憲法公布記念日」

1946年11月3日に、日本国憲法は公布された。今日が、68年目の憲法の誕生日となる。その憲法の第100条に、「この憲法は、公布の日から起算して六箇月を経過した日から、これを施行する」との定めがあって、翌47年5月3日が施行の日となった。「憲法記念日」として国民の祝日とされたのはこちらの施行日である。

憲法公布の日として特に11月3日が選ばれたのは、この日が明治節(明治天皇睦仁の生前には天長節)だったから。旧時代の遺物を払拭し切れていない「新憲法」の中途半端さを象徴する日取りの設定である。もっとも、当初は紀元節(2月11日)を憲法施行記念日とすることが吉田内閣の腹案だったようだ。ところが、政権議会が意外に長引いたため、明治節の公布という日取りを選んだとされている。

たまたま、ウィキペディアで、入江俊郎『日本国憲法成立の経緯原稿』の次の抜粋を目にした。
「新憲法は昭和二十一年十一月三日に公布された。 この公布の日については二十一年十月二十九日の閣議でいろいろ論議があつた。公布の日は結局施行の日を確定することになるが、一体何日から新憲法を施行することがよかろうかというので、大体五月一日とすれば十一月一日に公布することになる。併し五月一日はメーデーであつて、新憲法施行をこの日にえらぶことは実際上面白くない。では五月五日はどうか。これは節句の日で、日本人には覚えやすい日であるが、これは男子の節句で女子の節句でないということ、男女平等の新憲法としてはどうか。それとたんごの節句は武のまつりのいみがあるので戦争放棄の新憲法としてはどうであろうか。それでは五月三日ということにして、公布を十一月三日にしたらどうか、公布を十一月三日にするということは、閣議でも吉田総理、幣原国務相、木村法相、一松逓相等は賛成のようであつたが、明治節に公布するということ自体、司令部の思惑はどうかという一抹の不安もないでもなかつた。併し、結局施行日が五月一日も五月五日も適当でないということになれば、五月三日として、公布は自然十一月三日となるということで、ゆく方針がきめられた。
公布の上諭文は十月二十九日の閣議で決定、十月三十一日のひるに吉田総理より上奏御裁可を得た。」

さて、この文書がどれほど真実に近いか、私は検証の能力を持たない。しかし、「公布は自然十一月三日となる」というこの文章の弁解がましさに注目されるべきだろう。実は積極的に11月3日を選んだのだが、その選択は消極的だったと弁明を試みているように思える。入江自身のこの文章によっても、メーデーの日は「実際上面白くない」と意識的にさけられている。5月5日を避ける理由は薄弱である。5月2日、4日、6日は検討もされていない。まさか、4月29日はあるまいが、30日の検討もない。11月3日公布は、4月29日(天長節)や2月11(紀元節)に次ぐ、保守政権のホンネの選択肢だったのではないだろうか。

なお、日本国憲法の制定は、以下の大日本帝国憲法73条の改正手続きを経る形式を借りて行われた。
1項 将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ
2項 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス

要するに、憲法改正の発議権は天皇にのみあり、改正の議決をする議会が成立するためには議員数の3分の2以上の出席を要し、貴衆両院で出席議員の3分の2以上の賛成を要するとされていた。国民投票の制度はないが、普通選挙制度の下ではなかなかの硬性憲法と言ってよい。

50年間、明治憲法は一度の改正を経ることもなかった。最初から天皇制に不都合にはできていなかったからでもあり、そもそも憲法とはフレキシブルなものだからでもある。

この条文に則って、4月17日天皇の詔書の形で、「帝国憲法改正案」が発表され、同日枢密院に諮詢。6月3日枢密院の可決を経て、衆議院上程は6月25日だった。衆院が政府原案を修正可決したのが8月24日。貴族院に回付された修正案は、ここでも追加修正があって、再度衆議院に回付されて、10月8日衆議院で可決成立。しかし、これだけでは手続きは終わらない。再度枢密院への諮詢を経て、ようやく11月3日の公布となった。

天皇の「憲法改正案」発議に対して、貴衆両院(3分の2の特別決議)だけでなく、枢密院を含めた3機関全部が修正同意してようやく成立となったのだ。衆議院も貴族院も、それなりの独自性を発揮している。政権議会の議論は活発だった。議論の質の水準も高かった。しかし、それでも、11月3日の天皇による公布が象徴するとおりの中途半端さは否定し得ない。国民主権と天皇主権との狭間における中途半端である。

この中途半端な「日本国憲法」という存在を、国民主権・人権・平和の方向に解釈を進めて生かすのか、その反対方向へ後退させてしまうのか。天皇の権威を復活し、国家主義や軍国主義の「日本を取り戻す」動きを許すのか、阻止するのか。日々の「憲法の再選択」が国民の課題となっている。11月3日は、そのような課題を再確認すべき日だと思う。
(2014年11月3日)

「本郷・湯島九条の会」の街宣活動

本郷三丁目交差点をご通行中の皆様。素晴らしい秋晴れの昼休みのひとときに、やや不粋な街頭宣伝ですが、少しだけ耳をお貸しください。

私たちは、「本郷・湯島九条の会」の者です。この近所に住んでいる者が、憲法九条を大切にしよう、憲法九条に盛り込まれている平和の理念を守り抜こうと寄り集まって作っている小さな会です。

ご存じのとおり、「九条の会」は全国組織です。ちょうど10年前2004年の7月に、大江健三郎さんや井上ひさしさんなど九人によって結成されました。「九条の会」は、全国の地域、職場、学園、あらゆる場に無数の「九条の会」の結成を呼び掛けました。私たちの会もこれに呼応して、作られた全国7500もの「九条の会」のひとつです。「本郷・湯島九条の会」は、「ご近所九条の会」です。会長は、私が住んでいる町の町会長さんが務めています。

「九条の会」はこの10月を行動月間とすることを申し合わせました。「集団的自衛権行使容認の閣議決定に抗議し、いまこそ主権者の声を全国の草の根から」というスローガンで、10月を集団的自衛権行使容認に反対する行動をおこす「月間」としたのです。

「本郷湯島九条の会」はこの申し合わせに応じて、10月は毎週の火曜日に街頭宣伝活動を重ねてまいりました。今日は、その最後の日となります。来月からは、毎月第2火曜日だけの街宣活動を予定しています。

10月を行動月間と申し合わせたのは、7月1日に「集団的自衛権行使容認の閣議決定」があり、秋の臨時国会において閣議決定に基づく多くの諸法案が提案される危険を考えてのことです。いまのところ、日本を海外で戦争のできる国にするための具体的な法案の提出は行われていません。しかし、事態が好転したわけではありません。安倍政権は、世論の動向を見ながら法案提出を先送りしているだけのことです。来年の通常国会が本格的な決戦の場となるものと考えられます。

戦後69年。私たちは戦争のない世の中を当たり前のものと考えて過ごしてきました。しかし、安倍政権成立以来事態は大きく動いています。安倍政権ができてからろくなことはありません。武器輸出3原則の撤廃、河野談話見直しの動き、特定秘密保護法、靖国参拝、NHK人事、国家安全保障会議の設置、そして集団的自衛権行使容認の閣議決定です。さらに日米ガイドラインを改訂し、道徳教育にまで手を付けようとしています。危なっかしいことこのうえないといわねばなりません。

そのほか、安倍政権がやろうとしていることは、原発再稼働であり、原発輸出であり、派遣労働を恒久化する労働法制の大改悪であり、福祉の切り捨てであり、大企業減税と庶民大増税ではありませんか。庶民にとって良いことは何にもない。これまでは、「アベノミクスの効果は、今のところは大企業と株屋だけに利益をもたらしていますが、いずれ地方にも家計にもおこぼれがまわってきます。それまで我慢してくだい」と言われてきました。それが嘘だということにようやくみんなが気付き始めました。「放射能は完全にブロックされています」という嘘と同様に、この男は自信ありげに嘘を言うのです。最近の世論調査では、軒並み安倍内閣の支持率の低下が報道されています。とりわけ、経済政策の破綻が世論調査に表れています。

憲法九条は、武力による平和を否定する思想に基づくものです。右手に銃を構えながら、左手で握手をしようということではないのです。平和は、何よりも近隣諸国との信頼関係の醸成によって打ち立てられ維持されるべきものです。双方お互いに信頼関係を形成する努力を求められているのですが、私たちは、まずは自分たちの国から、平和のサインを発信すべきものと考えます。

鎌倉時代の元寇を最後に、日本が近隣諸国から侵略される危機を感じた経験は絶えてありません。この500年間の近隣諸国との戦争は、2度にわたる朝鮮侵略、明治維新後の台湾出兵、朝鮮や満蒙を支配するための日清・日露戦争、第一次大戦における山東出兵、シベリア出兵、そして、朝鮮の植民地化、日中15年戦争、そして太平洋戦争‥。私たちの国が、近隣諸国の民衆の足を踏み続けてきたことは覆い隠すことのできない歴史の真実ではありませんか。

近隣諸国との平和のためには、私たちこそが、侵略戦争や植民地支配を真摯に反省していることを近隣諸国の民衆によく分かってもらう努力が必要なのだと思います。まず、足を踏んだ側が、平和・友好の態度を示さねばならないことは当然のことです。

にもかかわらず、日本国内では、民族差別を公然と口にするヘイトスピーチデモが横行し、河野談話見直しの尖兵だった危険な政治家が首相になって靖国神社参拝まで強行し、さらには従軍慰安婦報道に熱心だった朝日新聞に対する嵐の如きバッシングが行われています。このようなことを見せつけられた近隣諸国の民衆は、日本は本当に先の戦争の反省をしているのだろうか。戦争を繰り返さず、平和を大切にしようとする意思があるのだろうか。そう疑念を持たざるを得ないのではないでしょうか。

一点の疑念が、疑念拡大の悪循環の出発点となり得ます。相互の不信の交換は、不信を増幅させ不信に基づく武力拡大のエスカレートを呼ぶことになりかねません。そのような緊張関係が、偶発的に戦争の勃発につながることを危惧せざるを得ません。

安倍政権の動向は、近隣諸国をいたずらに刺激し重大な事態にいたる危うさに満ちていると言わざるを得ません。この暴走内閣を辞めさせ、もう少しマシな、戦争への危険を感じさせないまっとうな政権に取って替わらせるよう、力を合わせようではありませんか。取り返しのつかなくなる前に。
(2014年10月28日)

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