組織に不祥事ないしはその疑惑が生じた際の対処の手法として、「第三者委員会」の利用が流行りとなっている。本来は、不祥事の原因を徹底究明して公表することによって説明責任を全うし、再発防止に資するとともに、失った信頼の回復を目的とするもの。
不祥事疑惑の解明は、当該組織自らの手ではなかなか徹底しがたい。その徹底性についての社会の信頼も得られない。だから、独立した「第三者」の手に委ねることになる。しかも、第三者が単独ではその独立性に対する信頼を確保しがたいから、複数人を選任して委員会を設置することにもなる。選任の方法・具体的な人選・調査の手法・報酬の取り決め・公表のあり方等々に、公正性を担保するための慎重な配慮を要する。
しかし、世に流行るものは、如上の慎重さを備えた本来の「第三者委員会」ではないようだ。公正を装った隠れ蓑であったり、世論の追求をかわすための時間稼ぎに使われる「似非第三者委員会」である。第三者性に疑義があり、調査の徹底にも信頼がおけない。結局は、再発の防止にも、失った信頼の回復にも役に立たないものとなる。
昨日(6月6日)公表された弁護士2名の「第三者」による疑惑調査結果の報告にもそうした疑念がつきまとう。「疑惑を抱える本人から依頼されて調査を行うことで客観性を保てるのか」。こう記者から質問された件の弁護士が、「第三者委員会とは基本的にそういうもの」と答えたと報じられているが、第三者委員会とは本来「そういうもの」ではない。そういうものであってはならない。
周知のとおり、日弁連が「企業等不祥事における第三者委員会ガイドライン」(2010年 7月15日作成、同年12月17日改定)を公表している。日弁連はけっして権威でもなく無謬でもない。当然のことながら、日弁連の言うことがみな正しいわけではない。しかし、多数弁護士の経験の集積は信頼に足りるスタンダードの提供としてハズレはすくない。このガイドラインもよくできている、と思う。
そのガイドラインの冒頭に、「第1部 基本原則」が置かれている。
「本ガイドラインが対象とする第三者委員会とは、企業や組織において、犯罪行為、法令違反、社会的非難を招くような不正・不適切な行為等(「不祥事」)が発生した場合及び発生が疑われる場合において、企業等から独立した委員のみをもって構成され、徹底した調査を実施した上で、専門家としての知見と経験に基づいて原因を分析し、必要に応じて具体的な再発防止策等を提言するタイプの委員会である。
第三者委員会は、すべてのステークホルダーのために調査を実施し、その結果をステークホルダーに公表することで、最終的には企業等の信頼と持続可能性を回復することを目的とする。」
これが、「第三者委員会」設置の本来の趣旨・目的であり、使命である。もちろん、これ以外の調査機関の設置も自由である。しかし、それは本来の「第三者委員会」とは似て非なるものであることが、十分に認識されなければならない。似て非なるものをもって、「第三者委員会とはそういうもの」と言ってはならない。
このガイドラインの前書きに当たる個所に、「経営者等自身のためではなく、すべてのステーク・ホルダーのために調査を実施し、それを対外公表することで、最終的には企業等の信頼と持続可能性を回復することを目的とするのが、この第三者委員会の使命である。」という一文がある。また、「第三者委員会の仕事は、真の依頼者が名目上の依頼者の背後にあるステーク・ホルダーである」との文言も噛みしめるべきである。
「第三者委員会」の設置者として想定されているのは、内部に不祥事を抱えた組織であって不祥事を起こした当事者本人ではない。本件の場合、東京都あるいは都議会が「第三者たる委員」を選任して委員会を設置すべきであって、不祥事の当事者である舛添本人が依頼し設置する調査チームは、「似非第三者委員会」と言わざるを得ない。「疑惑を抱える本人から依頼されて調査を行うことでは客観性を保てない」からである。
本来の「第三者委員会」は、不祥事を起こした当事者の不利益を忖度することはあり得ない。むしろ、不祥事に厳正に対処し、これを制裁し剔抉することで、組織を防衛することが期待されている。舛添個人の不祥事疑惑を容赦なく徹底追求することで、東京都の都民に対して名誉と信頼を回復することが、真の「第三者委員会」の調査の目的でなくてはならない。
しかも、ガイドラインがいみじくも述べているとおり、本来の「第三者委員会」は、「名目上の依頼者」のために仕事をするのではない。たとえ東京都から依頼を受けた場合でも、形式的な依頼者の背後にある、真の依頼者としての都民の利益のためにはたらかねばならないのだ。
6月5日付で報告書を提出した、舛添要一不祥事疑惑調査の弁護士チームをなんと呼べば適切なのか、にわかに判断しがたい。当然のことながら、「第三者委員会」とも、「第三者調査チーム」とも言えない。敢えてネーミングするなら、「チーム・舛添」「舛添不祥事レスキュー隊」くらいのところだろうか。
「チーム・舛添」は、隠し通せない明らかな不祥事には「不適切」「要是正」としつつも、「違法はない」との結果を予定して調査を請け負ったものと評価せざるを得ない。
出発点がおかしいから、調査の姿勢も内容もおかしい。到底公正な調査が行われたとは言いがたい。
報告書の冒頭に、「第1 調査の目的」が述べられている。その全文が次のとおり。
「舛添要一氏の関係する政治団体,すなわち,自由民主党東京都参議院比例区第二十八支部,新党改革比例区第四支部,舛添要―後援会,グローバルネットワーク研究会及び泰山会の政治資金の支出内容について調査した上,それらが適法になされていたか,また,適法であったとしても政治的道義的観点から適切になされていたかを判断することが目的である。」
これには、首を傾げざるを得ない。「政治資金の支出内容について適法か」という調査目的の設定そのものがおかしいのだ。政治資金規正法にしても、政党助成法にしても、「政治資金の支出内容についての違法」は原則としてないからだ。
そもそもが、法は原則として政治資金の使途を規正しない。法は、政治団体に係る政治資金の収支の公開を義務付け、公開された使途に関しての適切不適切の判断は有権者にまかせているという基本構造になっている。
政党助成法に至っては、「第4条 1項 国は、政党の政治活動の自由を尊重し、政党交付金の交付に当たっては、条件を付し、又はその使途について制限してはならない。」という明文規定を置いている。公権力は、政党の活動に介入してはならない。カネの使途を制限することで政党活動を制約してはならない。そのような自由主義的理念にもとづくもの。だから、使途の違法は原則としてない。「政治資金の支出内容について適法か」との問に対する回答は、「適法」あるいは「違法とは言えない」に決まっているのだ。
もっとも、同条2項は、「政党は、政党交付金が国民から徴収された税金その他の貴重な財源で賄われるものであることに特に留意し、その責任を自覚し、その組織及び運営については民主的かつ公正なものとするとともに、国民の信頼にもとることのないように、政党交付金を適切に使用しなければならない。」と定める。これは精神的な訓示規定。
法は、政治資金の「入り」についても、「出」についても、報告と公開の制度を設け、政治資金の動きの透明性を確保しようとしている。その報告書に記載された使途が、不適切か否かは有権者にまかせるが、報告書は正確に書かねばならない。不記載も、虚偽の記載も、違法であり犯罪となる。
だから、第三者委員会なり調査チームの調査目的は、何よりも「政治資金収支報告書の記載が正確であるか」「虚偽の記載はないか」でなくてはならない。繰り返し強調しなければならないが、虚偽記載は犯罪である。虚偽であるか否かの判断は、現実の支出内容を厳格に究明して、政治資金の支出として報告書に記載された使途との齟齬がないかを点検しなければならない。報告書を一瞥する限り、そのような視点からの検証はない。
たとえば、話題となったグローバルネットワーク研究所政治資金収支報告書上の次の記載。
「会議費用 237755円 平成25年1月3日 支出を受けた者・龍宮城スパホテル三日月 木更津し北浜町1」(現在、本年5月16日に抹消された記載となっている。)
この「会議費用」が、「組織活動費(組織対策費)」と項目別区分された、政治活動費の支出として明記されているのだ。
本来、調査は、「会議費用として平成25年1月3日237755円としての支出」という報告書の記載が虚偽ではなかったかを究明しなければならない。
この政治資金収支報告書の記載が、有権者の政治家の活動判断の材料だ。ここに虚偽が記載されていたのでは、有権者は当該政治家の活動の内容も、政治家としての資質の判断もできないことになる。有権者の判断を誤らしめるものであるか否かが、虚偽記載罪(政治資金規正法25条1項3号)成否の分かれ目である。また、それゆえに、虚偽記載罪の罪責は重い(法定刑は、5年以下の禁錮又は100万円以下の罰金)。
調査にはこの点が不可欠だが、チーム・舛添の報告書での当該部分のコメントは、以下のとおりである。
「宿泊費・飲食費について調査し検討した結果,一部に家族同伴のものなども含まれており,政治資金を支出したことが適切とは言えないものがある。」
「舛添氏とその家族が1月1日から3日まで宿泊した(2泊3日)。舛添氏によると,平成24年12月実施の第46回衆議院議員選挙で結果を出せなかったことを踏まえ,政治家としての今後について判断しなければならない状況にあったため,宿泊期間中,付き合いが長くかねてより相談相手としていた出版会社社長(元新聞記者)を客室に招き政治家としての今後のことについて相談したとのことであり,面談は数時間程度であったとのことである。舛添氏の説明内容を踏まえると,政治活動に無関係であるとまでは言えない。しかし,全体としてみれば家族旅行と理解するほかなく,政治資金を用いたことが適切であったと認めることはできない。」
これではダメなのだ。「不適切」で済ますのではなく、虚偽記載の有無に切り込まねばならない。これでは、政治活動として出版会社社長(元新聞記者)との面談が本当にあったとは言えない。不祥事の疑惑の当事者の言い分を鵜呑みにする「厳正な調査」はあり得ない。百歩譲って舛添の主張を信じたとしても、正月3が日のうち「数時間程度の面談」を除くその余の時間は、純粋な家族の旅行だったことになる。2泊3日分の費用の掲載は虚偽記載となるべきことについて、どうしてなんの検討もしないのか。「全体としてみれば家族旅行と理解するほかない」宿泊費をの全部を「会議費」として記載したのは、この部分だけでも虚偽記載となりうるではないか。
こんな舛添の言い分に耳を傾けるだけの調査では、真の実質的依頼者である都民の納得を得られない。調査が尽くされていないから、認定事実に具体性なく、都民の信頼を回復するどころではない。むしろ、都民の怒りの火に油を注ぐものとなって、逆効果をもたらしたというべきだろう。
件の弁護士は、「政治資金規正法違反容疑で告発されたみんなの党(解党)の渡辺喜美元代表=不起訴=の代理人や小渕優子・元経済産業相の政治資金問題の調査、現金受領問題が発覚した猪瀬直樹前都知事の弁護も担った」(朝日)と報じられている。ああ、やっぱり。なるほど、そうなのか。と、そこだけが、妙に腑に落ちて納得した。その余の納得は到底なしえない。
(2016年6月7日)
上脇博之政治資金オンブズマン共同代表(神戸学院大学教授)らが、被疑者甘利明らを告発したのが本年4月8日。同告発に対して東京地検特捜部は、5月31日付けで不起訴処分とした。
その処分通知は下記のとおりまことに素っ気ないもの。
処分通知書
平成28年5月31日
上脇博之 殿
東京地方検察庁 検察官検事 井上一朗 職印
貴殿から平成28年4月8日付けで告発のあった次の被疑事件は,下記のとおり処分したので通知します。
記
1 被疑者 甘利明,清島健一,鈴木陵允
2 罪 名 公職にある者等のあっせん行為による利得等の処罰に関する法律違反,政治資金規正法違反,公職選挙法違反
3 事件番号 平成28年検第14913? 14915号
4 処分年月日 平成28年5月31日
5 処分区分不起訴
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これに対して、本日(6月3日)付で東京検察審査会宛に、下記のとおりの審査申立がなされ、甘利の起訴の有無は、検察審会の判断に委ねられた。
この申立の代理人弁護士は49名。その代表者が大阪弁護士の阪口徳雄君。私も、ワンノブ49sである。
審査申立書
2016年6月3日
東京検察審査会 御中
別紙代理人目録記載の弁護士49名
被疑者 甘 利 明
被疑者 清 島 健 一
被疑者 鈴 木 陵 允
申立の趣旨
被疑者甘利明、清島健一および鈴木陵允らの下記被疑事実の要旨記載の各行為についてのあっせん利得処罰法および政治資金規正法に違反する告発事件について、「起訴相当」の議決を求める。
申立の理由
第1 審査申立人及び申立代理人
審査申立人:上脇博之(別紙審査申立人目録記載の通り)
申立代理人:別紙代理人目録記載のとおり
第2 罪名
あっせん利得処罰法違反及び政治資金規正法違反
第3 被疑者
甘利明、清島健一および鈴木陵允
第4 処分年月日
2016(平成28)年5月31日
第5 不起訴処分をした検察官
東京地方検察庁 検事 井上一朗
第6 被疑事実の要旨
別紙告発状記載の通り
第7 検察官の処分
不起訴処分。理由は嫌疑不十分。なお理由は処分した検察官からの電話で、代理人代表弁護士が「嫌疑不十分」と聞いただけであり、どの事実についてどのように証拠がなく、嫌疑不十分となったかの質問をしたが、それは答えられないと拒否された。従って、報道されているように「権限に基づく影響力の行使」を『いうことを聞かないと国会で取り上げる』などという違法・不当な強い圧力を行使した場合に限定した解釈をした結果不起訴になったか否かは不明である。
第8 不起訴処分の不当性
1 本件は政権の有力政治家の介入事件である
本件告発事件は、閣僚として政権の中枢にある有力政治家(被疑者甘利明)事務所が、民間建設会社の担当者からURへの口利きを依頼されて、URとのトラブルに介入して、その報酬を受領したという、あっせん利得処罰法が典型的に想定したとおりの犯罪である。同時に、口利きによる報酬であることを隠蔽するために、政治資金規正法にも違反し、不記載罪を犯した事件である。
2 あっせん利得処罰法の保護法益
あっせん利得処罰法の保護法益は、「公職にある者(衆議院議員等の政治家)の政治活動の廉潔性ならびに、その廉潔性に姑する国民の信頼」とされている。政治の廉潔性に対する国民の信頼と言い換えてもよい。本件の被疑者甘利明の行為は、政治の廉潔性に対する国民の信頼を著しく毀損したことは明白である。
しかも、通例共犯者間の秘密の掟に隠されて表面化することのない犯罪が、対抗犯側から覚悟の「メディアヘの告発」がなされ、しかも告発者側が克明に経過を記録し証拠を保存しているという稀有の事案である。世上に多くの論者が指摘しているとおり、この事件を立件できなければ、あっせん利得処罰法の適用例は永遠になく、立法が無意味だったことになろう。
被疑者らが、請託を受けたこと、したこと、URの職員にその職務上の行為をさせるようにあっせんをしたこと、さらにその報酬として財産上の利益を収受に疑問の余地はないと思われる。
3 検察の不起訴処分は政権政党の有力大臣であった者への「恣意的」で「政治的」な不起訴処分である
検察は国民の常識から見て起訴すべき事案を、もし報道されているように検察官が「権限に基づく影響力の行使」を『言うことを聞かないと国会で取り上げる』などという違法・不当な強い圧力を行使した場合に限定した解釈をしたというのであれば、その解釈は被疑者が政権政党の有力大臣であったことによる『恣意的』で『政治的』な限定解釈であると断じざるを得ない。
第1に「権限に基づく影響力の行使」を『言うことを聞かないと国会で取り上げる』などのような一般的な制限的解釈は正しくはない。条文に「その権限に基づき不当に影響力を行使」したとか言う「行為態様」に関して一切の制限をしていない。
権限に基づくという影響力の行使とは、行為態様が強いとか弱いとかいうのではなく、国会議員が有する客観的地位、権限に基づき影響力の行使を言うのであって、その影響力の行使の「態様」を制限していないのである。それをあたかも「影響力の行使」の「態様」について『言うことを聞かないと国会で取り上げる』などという制限的な態様を解釈で補充することは検察の極めて恣意的な解釈であると同時に検察の「立法」に該当する。あっせん利得処罰法の保護法益は前記に述べたように政治家はカネを貰って斡旋行為をすることを禁じた法律であり、政治家などの政治活動の廉潔性ならびに、その廉潔性に対する国民の信頼が毀損された場合は処罰する法律であって、その権限の行使態様には一切の制限がないのである。確かに一般の国会議員等が関係機関に要請した場合または口利きのみの行為を罰することは正しくない。しかし、国会議員等の要求、口利きであつてもその「行為」の報酬としてカネを貰うという「議員等とのカネでの癒着による権限に基づく影響力の行使」行為を罰するのであつて、通常の政治家の要請行為を罰するものではない。
第2に本件の場合は安倍政権の有力大臣であり政治家の「要請」行為であったからこそ、UR側は当初は補償の意思がなかったのに2億2000万円まで大幅に補償額を上乗せして支払っているのである。この結果=社会的事実は甘利大臣側がどのような言葉で要請したかではなく、安倍政権の有力政治家が有する「権限に基づく影響力の行使」という客観的な地位、権限があったからこそ、UR側は飛躍的に補償額を上乗せしたのである。『言うことを聞かないと国会で取り上げる』と言ったとか、言わなかったかの問題でなく、当時の甘利大臣の飛ぶ鳥を落とす「地位」「威力」「権限」があったからこそ、UR側も要求に応じたのである。例えが悪いが巨大な指定暴力団の有力幹部が横に座つているだけで一言も発しなくてもその「威力」に負けて要求に応じるのと同一の構造である。
第3に、本件は決して軽微な事案ではない。「週刊文春」などの報道によれば、被疑者甘利らが、本件補償交渉に介入する以前には、UR側は「補償の意思はなかった」(週刊文春)、あるいは「1600万円に過ぎなかった」とされている。ところが、被疑者らが介入して以来、その金額は1億8000万円となり、さらに2億円となり、最終的には2億2000万円となつた巨額の事件であり、甘利側が貰った金額も巨額である。今回の事件は、有力政治家の口利きが有効であることを如実に示すものであり、これを放置すると多くの業者などが、政権政党の有力大臣や有力政治家に多額のカネを払い、関係機関に「口利き」を要請する事態が跋扈することになろう。これを払拭するために、本件については厳正な捜査と処罰が必要とされている。
4 告発事実の事実関係、政治資金規正法違反について
別紙告発状記載の通り
5 結語
本件のような、政権政党の有力大臣や有力政治家による口利きがあったことが明白な事件においてあっせん利得処罰法の適用ができないということになれば、「公職にある者(国会議員等の政治家)の政治活動の廉潔性ならびに、その廉潔性に対する国民の信頼」を保護することなど到底できないことになる。そして、今後政治家による「適法な口利き」が野放しとなり、国民は政治活動の廉潔性を信頼することがなくなり、政治不信が増大することとなる。
口利きによる利益誘導型の政治が政治不信を招き、それを防止するために制定されたあっせん利得処罰法の趣旨を十分理解したうえで、検察官の不起訴処分に対して法と市民の目線の立場で「起訴相当」決議をしていただきたく審査請求をする次第である。ちなみにあっせん利得処罰法違反で500万円を受領した事件の時効は本年8月20日に満了する。早急に審査の上、起訴相当の議決をして頂きたい。
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不起訴処分と同時に、甘利の政治活動への復帰が報じられている。甘利本人にとっても、起訴は覚悟のこと、不起訴は望外の僥倖と検察に感謝しているのではないか。不起訴処分は、限りなくブラックな政治家を甦らせ、元気を与えるカンフル剤となる。それだけではない。政治家の口利きは利用するに値するもので、しかも立件されるリスクがほぼゼロに近いと世間に周知することにもなる。
これでは、あっせん利得処罰法はザル法というにとどまらない。あっせん利得容認法、ないしはあっせん利得奨励法というべきものになる。
こんなことを許してはならない。巨額のカネが動いたのは事実だ。甘利自身、薩摩興業の総務担当者から、大臣室で現金50万円、地元神奈川県大和市の甘利事務所で50万円を直接受けとっている。この金が口利き料としてはたらいたことも明らかではないか。薩摩興業は、最終的にはURから2億2000万円の補償金を得ている。この現金授受と口利きの事実、口利きの効果が立証困難ということはありえない。「知らぬ存ぜぬ」は通らない。「秘書が」の抗弁もあり得ない。
有罪判決のハードルが、もっぱら構成要件の解釈にあるのなら、当然に起訴して裁判所の判断を仰ぐべきである。有罪判決となれば、立法の趣旨が生かされる。仮に法の不備から無罪となれば、そのときには法の不備を修正する改正が必要になる。いずれにせよ、検察審査会は単に不起訴不当というだけではなく、国民目線で、起訴相当の議決をすべきである。そうでなければ、政治とカネにまつわる不祥事が永久に絶えることはないだろう。
検察審査員諸君、あなたの活躍の舞台ができた。せっかくの機会だ。このたびは、あなたが法であり、正義となる。政治の浄化のために、民主主義のために、勇躍して主権者の任務を果たしていただきたい。
(2016年6月3日)
天網恢々疎にして漏らさず(『老子』では「失わず」)、とは情けない諺。普通の理解は、「悪を捕らえる天の法網は、一見網の目が粗くて諸悪がすり抜けられそうなのだが、実は逃しはしないのだ。国法が目こぼししても、やがては天の網に捕らえられる」というくらいの含意。しかし、天の網の目を密と言わずに、疎といっている。なんとも微妙な言い回しではないか。
庶民はみんな知っている。政治家を縛る諸法はすべてザルであることを。権力には、巨悪を眠らせずにおくものか、という気迫のないことも。昔から、庶民は、「国法が見逃しても、きっと天の網が、奴らを捕らえてくれるはずさ」と、自らを慰めてきた。学のある者が、そのような民衆の気分を上手に文章にまとめたのが、「天網恢々」だ。いつかはきっと、あいつに天罰が下る。だから、怪しからんと憤ったり、ワーワー騒がなくてもよいのだ、と。
この法諺は、「天皇に道義的政治的責任はあっても、法的責任はない」「だから、東京裁判の起訴は免れた」「しかし、天網恢々…、その戦争責任をいつかは必ず天の網が裁くはず」と使われた。でもまた、誰もが知っている。結局のところはこれも願望に過ぎないことを。実際に、天皇はその後40年余も永らえて、天の網に捕らえられて裁かれたか…、誰も知らない。
「法は蜘蛛の巣だ。チョウはつかまり、カブトムシは破る」このリアリティを糊塗するための、天網恢々のたわごと。そんなことを考えざるをえないのは、今朝の朝刊に「甘利不起訴の方向」の記事を見てのこと。検察からのメディアのリークとして、根拠のない記事ではないと思っていたら、午後には「東京地検 甘利を不起訴に」の報道。
今朝の毎日の記事は、こうだ。
<甘利氏>不起訴へ 東京地検、任意で聴取 現金授受問題
「甘利明前経済再生担当相(66)=1月辞任=を巡る現金授受問題で、東京地検特捜部が甘利氏本人から任意で事情を聴いたことが分かった。甘利氏は都市再生機構(UR)が建設会社「薩摩興業」(千葉県白井市)に約2億2000万円を支払った交渉への関与などを否定したとみられる。甘利氏と元秘書2人については、あっせん利得処罰法違反などの疑いで告発状が出されているが、刑事責任を問うことは難しいとの見方が強く、特捜部は近く3人を不起訴処分とする方向で調整している。…UR関係者は『13年度中に契約を結ぶために交渉を急いでいた』と話し、甘利氏や元秘書が交渉に与えた影響を否定した。」
「同法違反での立件には、国会議員としての『権限に基づく影響力の行使』があったことを立証する必要があるが、捜査ではそうした証拠は得られなかったとみられる。」
この事件は、あっせんを請託した者が、自らの刑事訴追を覚悟して、甘利のあっせん利得処罰法違反を世間に暴露したものだ。稀有の事例と言ってよい。これで、立件できないとすれば、法はザルだ。密なる網でもなければ、疎なるザルですらない。底の抜けたバケツというべきではないか。必要性あって、せっかく作った「あっせん利得処罰法」が発動されることは今後一切あるまい。この運用で、「あっせん利得処罰法」は名前を変えざるを得ないだろう。「あっせん利得容認法」、あるいは「あっせん利得奨励法」だ。だから、政治家稼業は辞められない。
もう一度、あっせん利得処罰法の条文をよく見よう。
同法第1条(公職者あっせん利得)の構成要件は以下のとおりである。
(犯罪主体) 衆議院議員、参議院議員又は地方公共団体の議会の議員若しくは長(以下「公職にある者」という。)が、
(犯罪行為) 国若しくは地方公共団体(URを含む)が締結する売買、貸借、請負その他の契約又は特定の者に対する行政庁の処分に関し、
請託を受けて、
その権限に基づく影響力を行使して公務員(UR職員を含む)にその職務上の行為をさせるように、又はさせないようにあっせんをすること又はしたことにつき、
その報酬として財産上の利益を収受したときは、
(刑罰)三年以下の懲役に処する。
問題は、「その権限に基づく影響力を行使して」の立証の困難ということのようだ。「その権限に基づく影響力」とは、「甘利が国会議員として有している広範な権限の影響力」である。UR側が甘利事務所の口利きを無視し得ず、交渉を重ねざるを得なかったこと、甘利事務所が口利きをした保証金交渉で譲歩したのは、「その権限に基づく影響力の行使」ゆえではないか。立件し、裁判所の判断を仰ぐべきが筋であろう。
到底、天網に委ねて済む問題ではない。告発事件が不起訴の通知があれば、検察審査会への審査申し出とならざるを得ない。
(2016年5月31日)
聖書には、引用される名言が多い。「汝らのうち、罪なき者まず石をなげうて」などは、その筆頭格だろう。ヨハネによる福音書第8章なのだそうだ。現代語訳では、「イエスは立ち上がって彼らに言われた、『あなたがたのうちで罪のない者が、まず彼女に石を投げなさい』」となっている。「故事俗信ことわざ大辞典」(小学館)をひもとくと、「この言葉によって、イエスは人が人を裁く権利のないことを悟らせた」との解説が見える。また、十王伝説では、閻魔は人を裁くその罪故に、毎日溶けた銅を飲む責め苦に耐えるのだという。他人の罪をあげつらうのは、罪なき聖者以外にはなしえず、清浄なる者にとっても他人の罪を裁くことは軽々になし得ることではないというのだ。
しかし、俗世は聖書にも仏教説話にもほど遠い。舛添要一の醜態を、我先に石もてなげうつ輩ばかり。これを「目くそが鼻くそを嗤う」という。「目やにが鼻垢を笑う」という語法もあるそうだ。
目くその筆頭は、石原慎太郎であろう。次いで、猪瀬直樹。鼻くそ君にも、3分の理があり、2分のプライドもあろう。この前任者二人に対しては、「ほかの人はともかく、おまえたち二人には言われたくない」との思いが強かろう。
続いて目立った目くそは、橋下徹、萩生田光一といったところ。萩生田光一(東京都第24区選出衆議院議員・内閣官房副長官)については、首を傾げる向きもあろうか。「安保関連法賛成議員の落選運動を支援する弁護士・研究者の会」が、4月28日付で東京地方検察庁に政治資金規正法違反で告発している御仁で、明らかに目くそというに相応しいお一人。
http://rakusen-sien.com/rakusengiin/5625.html
この目くそ君。5月13日の舛添会見後、「(家族と会議?)それ嘘だろ! うさんくさいねえ。オレが記者なら追いかけるよ。これ以上のイメージダウンは勘弁願いたいね」と言っている(週刊文春)。目くそが鼻くそを嗤うの典型パターン。
鼻くそを嗤うのは楽だ。水に落ちた犬を叩くのはたやすい。正義は我にありとして、力を失った者を叩き続けるメディアに真のジャーナリズム魂があるのだろうか。
目くそにはなりたくない。目くそと呼ばれたくもない。ジャーナリスト諸君よ。鼻くそではなく、目くその方を追わないか。石原慎太郎の所業をもう一度洗い出さないか。政権で涼しい顔をしている連中とカネの問題を徹底して洗い出さないか。権力の座にある者、強い立場にある者、権威をひけらかしている者を批判してこそのジャーナリズムではないか。目くそ連中と一緒くたにされて本望か。
しかしだ。もう一段深く考えてみると、視点も変わる。諸々の目くそ君たちよ。目くそと言われて怯んではならない。自分のことは棚に上げて、大いに鼻くその非をあげつらえ。目くそと鼻くそは、実はいつでも交替可能な関係だ。昨日の鼻くそも、今日の目くそとなる。それでよいのだ。権力にある者の不正を批判することに資格は要らない。たとえ自分が汚くても、仮に自分に非があったとしても、権力者の不正批判は社会に有益なのだ。
だから、「汝らのうち権力の不正を目にした者、誰も躊躇なく石をなげうて」なのだ。「我が振り直す前に、権力者の振りに石をなげうて」なのだ。道徳の教えるところと、世俗の政治社会のありようとはかくも違う。
私は道徳にも宗教にも関心はないが、舛添叩きへの加担にいささかの躊躇がある。舛添潰しはもはや政権への打撃にならないのだ。のみならず、舛添後の都知事に最悪の候補者が出てくることにならないかという心配もある。
舛添叩きに加担することに躊躇しつつ、やっぱり舛添告発の代理人の一人となった。政治とカネの汚いつながりを断つために、目くその側に連なったのだ。
(2016/05/21)
2年前(2014年)の2月、舛添都知事誕生の際には、ひそかに期待するところがあった。あの石原暗黒都政から脱却の展望が開けるだろうという思いである。石原は、2012年都知事選では舛添を支援することなく、こともあろうに田母神の応援に走った。こうして、舛添は石原後継の軛に縛られることのない好位置を占めたうえ、保守中道と公明票を集めて210万を越える大量得票で圧勝した。
舛添は、保守ではあるがリベラルに親和性をもつ位置に立つ。日の丸や君が代が好きなはずはない。よもや愛国心強制教育に固執するようなことはあるまい。石原アンシャンレジームに責任を負わない立場の舛添であればこそ、脱却も是正もできるのではないか。教育委員のメンバーも少しはマシになって、異常な教育行政は改善されるのではないか。そう考えたのは、甘かった。
舛添就任から1年経過しても、都教委の姿勢におよそ変化の兆しがみえない。彼の記者会見の発言を聞くうちに、「どうもこの人ダメなようだ」と思わずにはおられなくなった。この人、教育行政の実態をほとんど知らない。知ろうとする意欲がない。頭の中は、オリンピックのことだけでいっぱいなのだ。
2年待って、見切りを付けた。もう、舛添に期待するのはやめよう。舛添も闘うべき相手と見極めなければならない。そう考えを決めたころから、この人の公費の浪費や公私混同の話題が出てきた。私は何の躊躇もなく原則のとおりに批判した。
海外出張の大名旅行ぶりの指摘を受けて、この人は「トップが二流のビジネスホテルに泊まりますか?」「恥ずかしいでしょう」と居直った。おや、こういう人だったのか、と認識をあらためた。相手の批判を極端にねじ曲げたうえでの反論は理性ある人の対応ではない。批判者の誰も、「二流のビジネスホテルに泊まるべきだ」と求めてはいない。都の出張規程の上限である一泊42000円のホテルで十分ではないか。それを20万円に近いスイートに宿泊する必要はなかろうとの批判を真摯に受け止めようとしないのだ。
さらに、公用車での湯河原別荘通いが暴かれた。メデイアへの匿名内部告発が報道の発端だという。問題発覚以後の「ルールに則っているから問題ない」というこの人の姿勢に、これはダメだとあらためて思った。自分の利益のためなら、ルール最大限活用主義者なのだ。
そして、公私混同の極み。家族旅行費用を政治団体の資金から支出し、ホテルからの領収証を「会議費」とさせて、政治資金収支報告書に虚偽記載しているという報道。これまでのところ、この報道内容の信憑性は高い。これは重大問題だ。倫理や道義の問題ではなく、刑事制裁の対象となる事件だからだ。ことは、知事の座がかかる事態に発展しかねない。
公私混同よりも、政治団体のカネの流用よりも、政治資金規正法に基づく収支報告書への虚偽記載がポイントである。これは、逃れ方が難しい。
政治資金規正法第1条の(目的)規定を掲記する。ぜひ、目を通していただきたい。
第1条 この法律は、議会制民主政治の下における政党その他の政治団体の機能の重要性及び公職の候補者の責務の重要性にかんがみ、政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため、政治団体の届出、政治団体に係る政治資金の収支の公開並びに政治団体及び公職の候補者に係る政治資金の授受の規正その他の措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、もつて民主政治の健全な発達に寄与することを目的とする。
「議会制民主主義下の政治活動は、国民の不断の監視と批判の下に行われなければならない」。その監視と批判を可能とすべく「政治資金の収支の公開」を制度として整える。その厳格な収支の公開を主権者の目に晒すことによって、「政治活動の公明と公正を確保し、もつて民主政治の健全な発達に寄与することを目的」とすると言っている。この法律による制度の中核をなしているものは「政治資金の収支の公開」という手法である。もとより、この公開は正確でなくてはならない。虚偽の公開は、国民の不断の監視と批判を妨げることから、政治活動の公明と公正を毀損し、民主政治の健全な発達を阻害する犯罪行為とされるのだ。
その趣旨を、同法25条1項3号は、「政治資金収支報告書…に虚偽の記入をした者」は、「五年以下の禁錮又は百万円以下の罰金に処する」と定める。
もっとも、政治資金規正法25条は、会計責任者の身分犯であって、直接には会計責任者の罪科が問われることになる。会計責任者は法27条2項「重大な過失により、…第25条第1項の罪を犯した者も、これを処罰する」によって、故意がなかったというだけでは免責されない。
そこで、虚偽記載罪については一般に、会計責任者が「殿のために」すべてをかぶって、「殿の与り知らぬこと」となし得るが、本件の場合にはそうはいかない。
家族旅行のホテル代の領収証取得には、会計責任者は関与していない。舛添の指示のとおりに、会計責任者が報告書に虚偽の記載をしたものと考えざるをえない。しかも、正月に「会議」などあり得ないことは会計責任者の分かること。結局は、舛添と会計責任者の共同正犯(刑法60条)が成立し、身分のない舛添も処罰対象となる(刑法65条1項)可能性が限りなく高い。
それだけでない。法28条は、公民権停止を定める。
第28条 (第25条の)罪を犯し罰金の刑に処せられた者は、その裁判が確定した日から五年間(刑の執行猶予の言渡しを受けた者については、その裁判が確定した日から刑の執行を受けることがなくなるまでの間)、公職選挙法 に規定する選挙権及び被選挙権を有しない。
公民権を失うとどうなるか。
地方自治法第143条 普通地方公共団体の長が、被選挙権を有しなくなつたとき…は、その職を失う。
のである。
公職選挙法違反でも政治資金規正法違反でも、特定の犯罪で有罪になった者には、公職にある資格がないとされる。舛添の政治資金収支報告書虚偽記載罪はそのような類型の犯罪なのだ。
なお、政治資金規正法第2条は、次のように(基本理念)を掲げている。
第2条 この法律は、政治資金が民主政治の健全な発達を希求して拠出される国民の浄財であることにかんがみ、その収支の状況を明らかにすることを旨とし、これに対する判断は国民にゆだね、いやしくも政治資金の拠出に関する国民の自発的意思を抑制することのないように、適切に運用されなければならない。
政治資金はすべて国民が拠出した浄財である。任意の拠出資金だけではなく、税金から支出された政党助成金も含まれている。この浄財の公と私の財布とのケジメを無視したことは、国民が拠出した浄財をクスネたということになる。
このことによって、多くの国民が「政治資金をカンパしても、結局こんな使われ方で終わってしまう」。「馬鹿馬鹿しくってカンパなどやっていられるか」ということになってしまう。このように「政治資金の拠出に関する国民の自発的意思を抑制した」点において、舛添知事の責任は大きい。
それにしても、である。先に、田母神が逮捕された。次いで、舛添も刑事責任を追求されかねない。他の候補者・陣営は安泰なのだろうか。そして、舛添の失職と新たな都知事選があるのだろうか。風雲は急を告げている。
(2016年5月12日)
田母神俊雄が逮捕された。一瞬驚いたが、所詮は政権とは無縁の人。甘利逮捕ならビッグニュースだが、田母神逮捕ではさしたるニュースバリューはないのかも知れない。それでも、田母神を応援した石原慎太郎や百田尚樹らの言を聞きたいところ。
政治的影響はともかく、政治とカネ、選挙とカネについての貴重な教訓を提供する事件だ。選挙運動は無償だ。これにカネを支払えば犯罪となるとの警鐘として心しなければならない。似たような話は身近にいくつもある。
田母神逮捕の被疑事実は公職選挙法の運動員買収である。条文を抜粋すれば以下のとおり。
第221条(買収)「次に掲げる行為をした者は、3年(候補者がした場合は4年)以下の懲役若しくは禁錮又は50万円(100万円)以下の罰金に処する。
一 当選を得、若しくは得しめ又は得しめない目的をもって、選挙人又は選挙運動者に対し金銭、物品その他の財産上の利益の供与、その供与の申込み若しくは約束をしたとき。」
公選法上の買収には2種類ある。選挙人買収と運動員買収である。選挙人(有権者)を買収することは、直接に票をカネで買うことだ。運動員の買収はカネで票を集めること、間接的にカネで票を買うことにほかならない。選挙運動は無償が大原則なのだから、選挙運動員にカネを渡してはならない。カネを渡せば運動員買収罪が成立する。受けとった運動員も処罰対象となる。買収だけでなく供応も同じだ。
田母神の被疑事実は、「都知事選後の14年3月中旬ごろ、東京都内の事務所で、事務を統括し選挙運動をしたことへの報酬として島本順光元事務局長に200万円を支払ったほか、島本元事務局長らと共謀し、同3月中旬?5月上旬、同事務所などで運動員だった5人に対し、投票を呼びかけて練り歩いたことなどに対する報酬として、現金計280万円を供与したと」と報道されている。
候補者であった田母神だけでなく、島本順光元事務局長も逮捕された。島本は、5人の運動員買収について田母神との共犯(共同正犯)とされたほか、自らが田母神から200万円を受領したことが別の独立した犯罪とされている。
選挙運動は、判例において「特定の選挙について、特定の候補者の当選を目的として、投票を得又は得させるために直接又は間接に必要かつ有利な行為」と定義されている。選挙運動は飽くまで、自発的な意思によって行われるべきもので、報酬はない。選挙運動は無償が原則である。選挙運動者に報酬を支払えば、運動員買収として処罰対象となるのだ。もっとも選挙運動には当たらない純粋な労務の提供や事務作業者に対しては、予め届け出た者に限って決められた範囲の額の対価を支払うことができる。気をつけなければならないのは、たとえ労務者として届出があっても、単純労務の提供の範囲を超えて「選挙運動をした者」となれば報酬を支払ってはならないということだ。
私は、2013年の暮れから14年の1月にかけて、連続33日間「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」のシリーズを書き続けた。その中で、12年暮れの都知事選における宇都宮陣営の田母神類似問題について、詳細に報告した。
金額の大小の差はあれども、宇都宮選対事務局長と選対本部長とは、田母神陣営と似たことをしている。この報告は、下記のURLでお読みいただきたい。
https://article9.jp/wordpress/?cat=6
この私の指摘に対して、宇都宮陣営の3人の弁護士が連名で「反論」している。2014年1月5日付(公表は6日)の「澤藤統一郎氏の公選法違反等の主張に対する法的見解」というもの。公平に見て、駄文の域を出ないものであるが、そのなかに、見過ごせない次の一文がある。
「澤藤氏は、『公職選挙法の定めでは、選挙運動は無償(ボランティア)であることを原則としています。』とか『市民選挙における選挙カンパとは、選対事務局員への報酬へのカンパではないはずと思うのです。』との一方的な思い込みに基づく論理で、あたかも選対事務局員に公選法違反の報酬が支払われたかのごとき主張をなしているのである。これらの支払いは単純労働への対価の支払であり、何らの違法性もないものである。」
この文章の非論理はともかく、これを普通の読み方をすれば、「公職選挙法の定めでは、選挙運動は無償(ボランティア)であることを原則としています」という私の指摘を、「一方的な思い込みに基づく論理」として非難するものにほかならない。これは、恐るべき認識というほかはない。この文章が書かれたのは、2014年都知事選の直前のこと。14年都知事選での宇都宮陣営は、「選挙運動は無償(ボランティア)であることを原則としています」という指摘を真剣に受け止めることなく、選挙戦に突入したと考えるほかはない。この3弁護士の「論理」で選挙運動をしたのでは、田母神陣営と同様の違法を犯した可能性を否定し得ない。
革新陣営の選挙に参集する選挙運動者に対しては、飽くまで「選挙運動は無償(ボランティア)でするもの」と確認し強調しなければならない。これを「一方的な思い込みに基づく論理」などと揶揄するようでは、田母神陣営の感覚と変わるところがない。14年選挙についての違法は可能性しか指摘できないが、12年選挙に選対事務局長や選対本部長の違法があったことは、既述のとおりである。
このような感覚だから、12年選挙における宇都宮選対の打ち上げの「会食費」が政治資金収支報告書に計上されたり、宴席で突然に「労務者報酬」が配られたりするようなことになる。このようなやり方で、善意の選挙運動参加者を違法行為に巻き込んだ選対事務局長の責任はとりわけ大きい。
その他の反論は、「宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその17」をお読みいただきたい。
https://article9.jp/wordpress/?p=1834
あらためて当時のことを思い出す。今回の田母神逮捕は、私の運動員買収の指摘が杞憂でなかったことを裏付けるもの。再度しっかりと確認しておきたい。選挙運動は飽くまで無償でやることなのだ、と。
(2016年4月14日)
東京地検特捜部は、一昨日(4月8日)甘利明前経済再生担当相の金銭授受問題で、あっせん利得処罰法違反の疑いで、千葉県印西市にある都市再生機構(UR)の千葉業務部と、甘利側に現金を提供した千葉県白井市の建設会社「薩摩興業」、同社の元総務担当だった一色武の自宅を家宅捜索した。捜索は、8日の午後から9日の明け方まで続けられた。なお、今回の捜索対象に甘利氏の事務所や自宅は含まれていないという。
特捜は、これまで既に甘利の元公設第1秘書(清島健一)からも任意で事情を聴いていると報道されていたが、いよいよ強制捜査に踏み切ったのだ。週刊文集のスクープ報道以来、大きな話題となったこの事件。特捜も動かざるを得なくなったということだが、果たしてどこまでの本気度なのかは必ずしも明らかではない。
報道では、被疑罪名はあっせん利得処罰法違反と特定されているが、誰を被疑者としての強制捜査なのか、明らかにされていない。被疑者として可能性のあるのは、甘利明、公設秘書清島健一、政策秘書鈴木陵允、一色武であるが、事件の本命がアベ政権の中枢にあってこれを支えていた「有力政治家・甘利明」であることは明白である。既に切られたトカゲの尻尾の処罰で一件落着着としてはならない。
URとの補償交渉に難航していた薩摩興業(千葉県白井市)が、交渉を有利に運びたいととして有力政治家甘利明(事務所所在地は神奈川県相模原市)に目を付け、これに口利きを依頼して、その見返りとして報酬を支払った。これが事件の大筋であり骨格でもある。有力政治家甘利明の存在あればこその、これを頼っての口利きの依頼である。その口利きは交渉相手において無視し得ず、一定の効果を期待しうるのだ。
要するに、本件ではカネで有力政治家が動いて行政に準ずる団体に口利きをした。その結果として利得するものがあり、その利得の一部が対価として政治家に支払われた。被害者は税金を負担する国民であり、損なわれたものは政治や行政の廉潔性に対する国民の信頼である。政権に近い有力政治家は、かくして汚いカネをくわえ込んで太り、さらに影響力を拡大する。
そのようなカネと政治家との汚い関係が明るみに出たのだ。徹底して、事態を解明し膿を摘出しなければならない。類似の事件はどこにもありそうなことながら、ことの性質上闇に葬られて表には出て来ない。この事件は稀有なこととして、政治家にカネを渡した当事者が自分も罪に服することを覚悟して、事件を明るみに出し証拠をぶちまけたのだ。
もう一つ、稀有なことがあった。普通は秘書レベルで済まされている金銭の授受に、本件では政治家本人が直接関与していたことだ。現金50万円が2度にわたって、一色から直接甘利に手渡されている。しかも、そのうちの1回は大臣室でのこと。これで、甘利を立件できなければ、せっかくの「あっせん利得処罰法」がザル法であることを証明することになる。検察の権威にも関わることにもなりかねない。
政治とカネ、カネと政治家の汚い関係の一角に光が当たって、闇の世界から浮かびあがったこの事件を、けっしてうやむやにしてはならない。秘書や情報提供者だけを立件して幕引きということがあってはならない。
薩摩興業から甘利事務所に動いたカネは、一色の言として1200万円とされている。甘利の秘書が口をきいて、URから薩摩興業に渡ったカネは、2億2000万円と報道されている。UR側は、当初1600万円を適正額としていたが、甘利事務所が介入してからは、1億8000万円に跳ね上がり、さらに2億円となり、最終的には2億2000万なのだ。このままでは、「1200万円程度は安いもの」「政治家は利用のしがいがある」との「教訓」を残したままとなるではないか。
この事件では、2件の告発がある。1件は、社会文化法律センターのものだが、私には告発状を読むことができない。もう1件は、「落選運動を支援する会」によるもの。「甘利明前経済産業大臣(神奈川13区)を次期衆議院選挙における落選対象議員第1号として告発しました」という趣旨での告発である。長文のものだが下記のURLで読むことができる。私も代理人の一人で起案にも関与している。
http://rakusen-sien.com/topics/5281.html
この種の告発は、報道された事実を整理して法的に再構成するものではあるが、それなりの迫力をもつものとなっている。さらに、告発をしておくことは、万が一被告発人甘利に対する立件が見送られた場合に検察審査会への審査申立ができることに大きな意味がある。
あっせん利得処罰法の内容を確認しておきたい。「あっせん」とは、政治家あるいはその秘書の「行政への口利き行為」をいう。同法第1条は政治家(国会議員)が、あっせん(口利き)行為に関して財産上の利益を収受することを犯罪としている。第2条では政治家秘書についての規定。
同法第1条(公職者あっせん利得)1項の構成要件は以下のとおりである。
(犯罪主体) 衆議院議員、参議院議員又は地方公共団体の議会の議員若しくは長(以下「公職にある者」という。)が、
(犯罪行為) 国若しくは地方公共団体が締結する売買、貸借、請負その他の契約又は特定の者に対する行政庁の処分に関し、
請託を受けて、
その権限に基づく影響力を行使して
公務員にその職務上の行為をさせるように、又はさせないようにあっせんをすること又はしたことにつき、
その報酬として財産上の利益を収受したときは、
(刑罰)三年以下の懲役に処する。
また、同条2項は、第1項の「国又は地方公共団体」だけでなく、「国又は地方公共団体が資本金の二分の一以上を出資している法人」に対象を拡大して、「前項と同様とする。」と定めている。本件の場合のURはこれに当たるわけだ。
各要件の該当性吟味は、告発状をお読みいただきたい。外形的には構成要件該当性は十分に立証可能である。もちろん、共謀の態様や具体的な故意の有無内容など、捜査を遂げなければ詰め切れないことは多々残る。しかし、それでも、甘利についての立件見送りはあり得ないというべきだろう。
国会では、甘利が交渉をリードしたTPP承認案に関する審議が衆院の特別委員会で始まったばかり。当然に国会審議にも影響するだろうし、4月24日投開票の衆院北海道5区補選への影響もあるだろう。しかし、そんなことで検察が捜査を躊躇することは許されない。公訴時効を徒過することなく、厳正な捜査と立件をされるよう、しっかりと見守りたい。
(2016年4月10日)
第83回自由民主党々大会にあたり、党総裁としてごあいさつを申し上げます。
大変お忙しい中、こうしてたくさんのおカネをいただいているスポンサーのみなさまにお集まりいただきました。党を代表して厚く厚くお礼を申し上げます。
厳しい時も困難な時も、我が党をカネで支え続けていただいたみなさまのお力でわれわれは昨年60年の歴史を刻むことができました。そのことを決して忘れずに、スポンサーの信頼あっての我が党であることを胸に刻み、これからも国民には上から目線で説明が足りないなどと批判はされようとも、スポンサーの皆さまには謙虚にしっかりと寄り添って歩みを進めて参ります。
先ほど友党の代表から、温かいごあいさつをいただきました。本当にありがとうございます。風雪に耐えた、我が党と御党の連立政権の基盤の上に今後も着実に財界奉仕と憲法破壊の実績を積み重ねてまいりましょう。
そしてスポンサーを代表して今年も、経団連の榊原会長から力強いごあいさつをいただきました。本当にいつもありがとうございます。末永く、持ちつ持たれつ。ますますのご支援をお願いするとともに、前もってのお礼を申し上げたい(会場:笑)、こう思う次第です。
昨年は敗戦から70年の節目の年でありました。先の大戦では、帝国の行く末を案じ皇室の弥栄を念じつつ、300万余の日本人が尊い犠牲となりました。この尊い犠牲の上に、現在の私たちの平和と繁栄があります。近隣諸国の民衆の死については、私がとやかく申しあげる立場ではございません。我が党は、けっして自虐史観には立たないのです。私は靖國に合祀されている死者の無念をかみしめ、靖國の神々の言葉に耳を傾けて、再び日本人の命と幸せな暮らし、日本の領土と領空、そして美しい海を、敵の手から守り抜いていくという大きな責任を再確認しなければなりません。そのための平和安全法制であり、戦争準備法制なのです。
日米安全保障条約改定時、またPKO法制定時、昨年の平和安全法制制定時には、相も変わらず「日本は戦争に巻き込まれる」「徴兵制が始まる」などという無責任な批判が展開されました。しかし、皆さん、私はけっして「日本が戦争に巻き込まれる」事態にはならないことをお約束します。巻き込まれるは、受動的に、心ならずも戦争に参加するという意味ではありませせんか。私は、必要なときには主体的に、そして積極的に、果敢に勇躍して戦争を始めることを躊躇しません。それが、1億総国民の命と安全に責任を持つ指導者のありかたであると確信いたします。
政財界の皆さまのなかには、我が党の議論にお詳しい人ほど、「徴兵制が復活するのではないか」「そんなことになったら、身内の者にも赤紙が来る」とご心配あるやに伺っていますが、けっして、徴兵制の復活はあり得ません。私が保障します。
広く知られているとおり、我が党の経済政策は、国民に格差と貧困を甘受させるものです。幸いに、日本国民は「格差と貧困」の進展にさしたる違和感なく、我が党の支持率は落ちていません。制度としての徴兵制を敷くことなくとも、格差と貧困の底辺には、必ずや軍役で糊口を凌ごうという十分な兵役希望の予備軍が沈殿しているのです。兵役に従事するものは、この層から十分にリクルートが可能なのです。けっして、我が党のスポンサーの皆さま方の大切なご子息を戦場に送るような愚をおかすことはありません。党総裁のワタクシが、完全にブロックすることを明言申しあげます。
なお、率直に反省の気持を込めて申し上げます。これまで私たちの先輩方は、毅然として日本国憲法の平和主義を壊滅させることに不十分でした。憲法を壊そうとして国民の抵抗に遭って果たせず、十全の戦争体制を構築することにおいて不徹底の誹りは免れません。そのため、日本国憲法は70年間一字も手を付けることができないまま生き残り、これを支持する国民世論も健在です。ですから、残念ながらいまだに我が国は、主権国家として戦争の一つもできない状態が続いているのです。これでは近隣諸国から侮られてもやむを得ないではありませんか。平和安全法制という名の戦争法が制定されても然りなのであります。
それでも、先般北朝鮮が弾道ミサイルを発射した際、日米は従来よりも増して緊密にしっかりと連携して対応することができました。戦争準備もやむなしとする世論も多少は大きくなったような気がして心強い限りです。北の指導者には、よいタイミングで行動を起こしていただいたことに、御礼を言いたい気持なのであります。
日本を守るためにお互いが助け合うことができる日米の軍事同盟は、その絆を間違いなく強くしたんです。この平和安全法制を、民主党は共産党とともに廃止しようとしています。みなさまご承知のように、共産党が一番悪い。共産党が諸悪の根源なのです。ナンデモハンタイ、キョーサントー。
共産党は、平和を守るなどと言います。けっして戦争はしない。そのために、軍隊の存在は危険だ、などと平気で口にします。「憲法9条は非武装中立を求めている」「安保条約は軍事同盟だから、日本をアメリカの戦争に巻き込む危険がある」などと、彼らの主張はとんでもないことなのです。それだけではありません。格差も貧困もあってはならないなどと、これも本気になって危険なことを口走っています。こんな危険な政党と、民主党は野党共闘をしようというのです。
共産党の目標は自衛隊の解散です。直ちに解散という方針はもっていないようですが、自衛隊は存在する間は活用しつつも、いずれは災害援助隊などに再編成していく方針ではありませんか。量的にも質的にも軍事力を拡大強化しようという我が党の方針とは明らかに真逆な立場です。そして、共産党は日米安保条約を廃棄しようというのです。その上で、軍事同盟ではない、対等平等で平和な日米関係を構築しようなどと怪しからんことを言っています。
先に私は、国会で民主党議員に、「ニッキョーソ」「日教組はどうした」と野次を飛ばして、世の顰蹙を買いました。しかし、それくらいのことに怯む私ではありません。今度は民主党議員に「キョーサントー」「キミは共産党か」と、悪口を言ってやりたいと思っています。
ホントのことを言うと、野党共闘が成立したら、我が党に脅威であることは誰が見てもお分かりのこと。我が党は、スポンサーの皆さまとその息のかかった方々にはウケがよろしいのですが、広範な勤労者や農漁業者、経済的苦境にある地方、ママの会などの女性にはまことに評判が悪うございます。ですから、常に薄氷を踏むが思いで、どうしても野党共闘を切り崩さねばなりません。そのための切り札として、私自身が反共攻撃の先頭に立つことをお誓いいたします。
たとえば、こんなふうではいかがでしょうか。
(拳を振り上げて)「選挙のためだったら何でもする。誰とも組む。こんな無責任な勢力に私たちはみなさん、負けるわけにはいかないんです。」(拍手)
今年の戦いの構図は固まりつつあります。軍備を整えて戦争も躊躇することのない気概を内外に示すことで国家と国民を守ろうという「自・公連立政権」と、近隣諸国との友好関係を発展させて平和を守ろうなどと甘いことを言っている「民共の野党勢力」との戦いなのです。
昨年の9月時点では、我が党も内閣も、大きく支持率を下げてヒヤッとしましたが、何よりも賢い国民の忘却と無関心が我が党の強い味方。なんとか持ち直しそうではありませんか。
最後に強調しておきたいと思います。今年18歳、19歳の若いみなさんが、初めて1票を投じます。この若い皆さんたちご自身の未来のために、戦争も軍役も辞さない覚悟をさせることができるのは、私たち、自由民主党だけなのであります(大きな拍手)。ともにがんばろうではありませんか。
(2016年3月14日)
アメリカ大統領選挙の予備選挙から目が離せない。2月9日のニューハンプシャー州予備選開票結果が、ひときわ興味津々たるものとなった。
まずは共和党。
「9日夜、支持者の前で勝利宣言したトランプ氏は開口一番、『なんて素晴らしいんだ。我々は偉大な米国を取り戻しつつある』と誇らしげに語った。トランプ氏が掲げるスローガンは、『偉大な米国を取り戻す』。政治経験はなく、イスラム教徒入国禁止や全不法移民の即時強制送還など、過激で現実離れした主張が目立つが、政治家としての『経験』よりも『変化』を望む共和党支持層に浸透した。」(読売)
ならず者トランプのスローガンは、「偉大な米国を取り戻す」なのだ。いま、「偉大な米国」は、何者かによって奪われ、失われている。その認識を前提に、奪われた「偉大な米国」を「何者かの手から」取り戻さねばならない。そう、大衆のナショナリズムの感性に訴えて、支持を獲得しているのだ。反知性の「にわか政治家」が、反知性の大衆に語りかけるには、「偉大な米国」を「取り戻す」という論法がうってつけだというわけだ。
「偉大なアメリカ」を「美しい日本」に置き換えれば、安倍晋三の論法そのままである。「活力ある大阪」に置き換えれば橋下流だ。「偉大なアーリア人国家」を「ユダヤ人の手から取り戻せ」といえば、ナチスのスローガン。すべて、兄たりがたく弟たりがたし。
そして、真っ当な政治戦で歴史的な開票結果となった民主党。
「サンダース氏は9日夜、大歓声をあげる支持者を前に笑顔で手を振り、『偉大な我が国の政府は、一握りの裕福な選挙資金提供者のものでなく、すべての人々に属するものだ』と強調。同氏はウォール街など一部富裕層と政治の癒着を指摘。ウォール街への課税強化や貧富の格差是正、公立大授業料無償化、国民皆保険導入などを訴え、この日も「勝利は、まさに『政治革命』の始まりに他ならない」と訴えた。」(朝日)
さすがサンダース。政治とカネの真髄を語っている。「一部富裕層と政治の癒着」こそが諸悪の根源なのである。クリントンは「一部富裕層と癒着した政治の担い手」として、この選挙に敗れたのだ。この意味は、とてつもなく大きい。まさに、革命的というべきではないか。
政治資金と賄賂、本質的にその差はない。人が政治にカネを注ぎ込むのは、政治からの見返りを求めてのことである。政党や政治家がカネを受けとれば、スポンサーに利益を還元する政策を実行しなければならない。だから、「一握りの裕福な選挙資金提供者」はウォール街に利益をもたらす政治を求めて、莫大な政治資金を提供するのだ。大企業が累進課税に抵抗し逆進性の高い消費増税を求めて、企業献金をしているのだ。アベ政権がそれに応えて、貧乏人への増税で財源を捻出し、大企業と大金持ちに減税しているではないか。企業経営者が、企業への規制緩和の政治を求めて巨額の裏金を提供している例もある。
古今東西を問わず、カネをもらえば縛られる。カネを出したら報われる。スポンサーと政治家の持ちつ持たれつの醜悪な関係が結局政治のあり方を決めてきた。アメリカ大統領選挙こそ、資金力が当落を決め、スポンサーを潤す政治が行われた典型例として怪しまれなかったではないか。
サンダースの選挙はこれまでの常識を逆転した。政治資金の潤沢は、「一握りの裕福な選挙資金提供者との癒着の証明」となった。企業や富裕層からの支持は、マイナスイメージに暗転した。社会を貧富対立の階級構造から見る立場からすれば、当たり前のことだが、今までなかったことが実現したのだ。
これから先、クリントンの巻き返しを予想する声も高い。それでもなお、ニューハンプシャーの開票結果は、持たざる陣営に限りない希望を与えるものとなった。富裕層からのカネで買われない候補者が、格差や貧困をなくする政治を実現する希望である。がんばれサンダース、熟年の星。
ところで、本日の東京新聞「こちら特報部」の欄で、「高校生未来会議」なる存在を初めて知った。明らかにシールズ対抗を意識した体制派動員組織。というよりは、アベお手盛り組織。こちらの方に、文科省や教育委員会がいちゃもん付けることはないのだろう。
3月に全国から150人を集めて2泊3日の「全国高校生未来会議」なる合宿イベントを行うという。場所は、衆議院第一議員会館。見逃せないのは、「交通費も宿泊費も支給する」と明言していること。その金の出所は企業の寄付金なのだ。要するに、紐のついた金で、金をもらうことに抵抗感のない無自覚な高校生をあつめて、アベ流の政治教育をしようというのだ。
サンダースが、カネに綺麗なことでアメリカの若者にアピールしている一方で、日本の若者が体制派に金で釣られようとしている。日本の若者よ、サンダースを見よ。サンダースを支持しているアメリカの若者たちを見据えよ。
「全国高校生未来会議」に集おうとしている高校生諸君に言いたい。
キミたち、格好悪いぞ。キミたち意地汚いぞ。キミたち、みっともないぞ。精神が貧しいぞ。
そして、忠告しておきたい。金をもらえば縛られるのだ。高校生未来会議なんぞに関わると未来が失われる。人生の大損をするぞ。
人の精神は若いときほど自由でしなやかなのだ。キミたちは、いま何ものにもとらわれず、自由に誰の意見をも等距離で聞いて自分を形成することができる。当然に反体制、反アベの選択も自由。実はこれが、若さの大きな特権なのだ。年を経るにしたがって、人は次第にしがらみを身につけていく。このしがらみは、精神の自由をも奪う。考え方も表現や行動も自由でなくなるのだ。現にあるこの社会の体制に適合せざるを得ないと自ら自由を捨てることが、多くの人にとって大人になるということだ。悲しいがそれが現実だ。キミたちは貴重な精神の自由を謳歌せよ。安倍晋三ごとき者の策略に乗って、金をもらって縛られる愚挙をやめよ。歴史修正主義として名高く、自ら「私を右翼の軍国主義者と呼びたいなら、そう呼んでいただきたい」などという人物の手の内で躍ることをいさぎよしとしてはならない。
安倍晋三の反知性ではなく、サンダースのカネに綺麗な格好良さを学ぼうではないか。
(2016年2月10日)
明日(1月28日)が、私自身が訴えられているDHCスラップ訴訟の控訴審判決。
係属裁判所は、東京高裁第2民事部(柴田寛之裁判長)。
時刻は、午後3時。
法廷は、東京高裁822号法廷(庁舎8階)。
司法記者クラブで、5時からの記者会見が予定されている。
私のブログでの表現は、吉田嘉明の人身攻撃にわたるものではなく、彼自身が手記で語った行為に対する批判である。私の表現は、典型的な「公共に関わる事項に関して、もっぱら公益を目的とする」言論であり、前提とする事実の真実性にいささかの疑問もない。だから、私のブログによって、いかに吉田嘉明とDHCの名誉が傷つけられようと、私のブログは、「表現の自由」の旗に守られているのだ。吉田とDHCは「身から出たサビ」として、名誉の侵害を甘受せざるを得ない。表現の自由とは、人畜無害の表現を保障するだけのものであるだけなら、憲法にわざわざ規定するだけの意味に乏しい。一審判決はこのことを認めた。その一審判決の認定が覆ることは、万に一つもあり得ない。
注目すべきは、私の控訴審判決が、実にタイムリーな時期に巡り合わせたということである。この事件は、憲法上の表現の自由をめぐる裁判であるが、問題とされている私の表現の内容は、「政治とカネ」「規制緩和」「消費者」「サプリメント」そして、「スラップ」に関わる問題提起である。各テーマが、今つぎつぎと話題になっているではないか。
まずは、「政治とカネ」である。甘利明の「1200万円賄賂収受疑惑問題」が沸騰した時点での判決。「吉田・渡辺8億円授受」と、「甘利・S興業1200万円授受」事件、その薄汚さにおいて、それぞれが兄たりがたく弟たりがたし、である。もう一度、「吉田嘉明・渡辺喜美8億円授受事件」の記憶を整理して思い出してもらうのに絶好のタイミング。私は、「吉田が資金規正法を僣脱する巨額の『裏金』を政治家に提供して『カネの力で政治を買おうとした』ことを批判した。このような批判が封じられてよかろうはずがない。
それだけでない。吉田嘉明は週刊新潮に寄せた自らの手記に、経営者の立場でありながら自らの事業に対する主務官庁(厚労省)の規制を「煩わしい」と無邪気に広言している。通常の国語解読能力を持つ読者が、普通の感覚でこれを読めば、吉田嘉明は行政規制の緩和ないし撤廃を求めて8億円の「裏金」を提供した動機を語っていると理解できる。経営者が、行政規制からの経営の自由を求めて政治に介入したことを、私は批判した。
15人が亡くなった、傷ましい長野県での夜行バス事故は、行政規制遵守に徹しようとしない業者の姿勢から生じた。「廃棄カツ横流し」に端を発した「“ごみ”が“食べ物”に逆戻り」の事態も、コンプライアンス軽視の姿勢が批判されている。吉田嘉明は、コンプライアンス対象の規制自体を緩和ないし撤廃しようと広言しているのだ。誰の目にも、私の批判の真っ当さが明らかではないか。
さらに、吉田嘉明の規制緩和要求は、口に入れるサプリメントと肌に塗る化粧品を製造販売する事業者の言として、とうてい看過できない。行政規制を煩わしいとする行動原理を持つ経営者は消費者にとってとてつもなく危なっかしい。その姿勢は、消費者被害に直結するものとして批判されて当然ではないか。
これについても、「サプリメントカフェイン過剰摂取死亡事故」が現実に生じ、内閣府食品安全委員会が「『健康食品』の検討に関する報告書」を発表したばかりのタイミングである。機能性表示食品制度など、健康食品・サプリメントの規制緩和が健康被害に及ぼす具体的警告のインパクトは大きいが、その内容は、私の吉田への批判そのものと重なる。
そして、「スラップ訴訟」問題である。DHC吉田の貢献もあって、スラップ訴訟という用語とイメージが、ようやく人口に膾炙し、社会に浸透してきた。いま、スラップ訴訟は社会に蔓延しその弊害が話題となっている。私が取材される機会も増えてきた。ドールフーズからスラップ訴訟を仕掛けられた顛末をドキュメントとしたスウェーデン映画『バナナの逆襲』もこれから封切られる。
この絶好のタイミングで、DHCスラップ訴訟は、明日(1月28日)控訴審判決言い渡しとなる。乞うご期待、である。
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明日(1月28日)の「DHCスラップ訴訟」控訴審判決。私自身が被告とされ、いまは被控訴人となっている名誉毀損損害賠償請求訴訟の判決です。
関心のある方は、ぜひ傍聴にお越しください。
ただし、これまで毎回欠かさず行ってきた報告集会は省略いたします。1回結審(12月24日)で、判決日が1月28日。この間の日程があまりに短く、集会参加が困難なことと、場所の確保ができません。しかも、当日は在京の三会とも弁護士会の役員選挙期間中とあって、会議室は全部選挙事務のために塞がっています。ご了解ください。
報告集会に代えて、近くの待合室で簡単なご報告を申しあげ、希望者には直ちに判決書きをご送付いたしますので、メールアドレスかファクス番号を登録してください。
なお、少し日をおいて、十分な準備のもとに、スラップ訴訟撲滅を目指すシンポジウムを開きたいと思います。ご期待ください。
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なお、これまでの経過の概略は以下のとおりです。
《DHCスラップ訴訟経過の概略》
参照 https://article9.jp/wordpress/?cat=12
2014年3月31日 違法とされたブログ(1)
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
2014年4月2日 違法とされたブログ(2)
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
2014年4月8日 違法とされたブログ(3)
政治資金の動きはガラス張りでなければならない
同年4月16日 原告ら提訴(当時 石栗正子裁判長)
5月16日 訴状送達(2000万円の損害賠償請求+謝罪要求)
6月11日 第1回期日(被告欠席・答弁書擬制陳述)
7月11日 進行協議(第1回期日の持ち方について協議)
7月13日 ブログに、「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズ開始
第1弾「いけません 口封じ目的の濫訴」
14日 第2弾「万国のブロガー団結せよ」
15日 第3弾「言っちゃった カネで政治を買ってると」
16日 第4弾「弁護士が被告になって」
以下本日(1月27日)の第68弾まで
8月20日 705号法廷 第2回(実質第1回)弁論期日。
8月29日 原告 請求の拡張(6000万円の請求に増額) 書面提出
新たに下記の2ブログ記事が名誉毀損だとされる。
7月13日の「第1弾」ー違法とされたブログ(4)
「いけません 口封じ目的の濫訴」
8月8日「第15弾」ー違法とされたブログ(5)
「政治とカネ」その監視と批判は主権者の任務
2015年7月 1日 第8回(実質第7回)弁論 結審(阪本勝裁判長)
2015年9月2日 請求棄却判決言い渡し 被告(澤藤)全面勝訴
9月15日 DHC・吉田控訴状提出
11月 2日 控訴理由書提出
12月17日 控訴答弁書提出
12月24日 控訴審第1回口頭弁論 同日結審
2016年1月28日 控訴審判決言い渡し(予定)
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訴訟の概要は以下のとおりです。
株式会社DHCと吉田嘉明(DHC会長)の両名が、当ブログでの私の吉田嘉明批判の記事を気に入らぬとして、私を被告として6000万円の損害賠償請求の裁判を起こした。正確に言えば、当初の提訴における請求額は2000万円だった。不当な提訴に怒った私が、この提訴を許されざる「スラップ訴訟」として、提訴自体が違法・不当と弾劾を開始した。要するに、「黙れ」と言われた私が「黙るものか」と反撃したのだ。そしたら、2000万円の請求額が、3倍の6000万円に増額された。「『黙るものか』とは怪しからん」というわけだ。なんという無茶苦茶な輩。なんという無茶苦茶な提訴。
一審判決は、「(澤藤の)本件各記述は,いずれも意見ないし論評の表明であり,公共の利害に関する事実に係り,その目的が専ら公益を図ることにあって,その前提事実の重要な部分について真実であることの証明がされており,前提事実と意見ないし論評との間に論理的関連性も認められ,人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものということはできない」。だから、DHC・吉田の名誉を毀損しても違法性を欠く、として不法行為の成立を否定した。
おそらくは、控訴審判決も同じ判断になるだろう。
スラップの訳語は定着していないが、「恫喝訴訟」「いやがらせ裁判」「萎縮効果期待提訴」「トンデモ裁判」「無理筋裁判」…。裁判には印紙代も弁護士費用もかかる。普通は、この費用負担が濫訴の歯止めとなるのだが、金に糸目をつけないという連中には、濫訴の歯止めがきかない。スラップ防止には、何らかの制裁措置にもとづく、別の歯止めが必要だ。たとえば、高額の相手方弁護士費用の負担をさせるとか、スラップ常連弁護士の懲戒などを考えなければならない。この判決が確定したあとに、私はこの件について徹底してDHC吉田の責任を追及し、そのことを通じて社会的な強者によるスラップの撲滅のために、問題提起を続けていこうと思う。
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《仮にもし、一審判決が私の敗訴だったら…》
私の言論について、いささかでも違法の要素ありと判断されるようなことがあれば、およそ政治批判の言論は成り立たなくなります。原告吉田を模倣した、本件のごときスラップ訴訟が乱発され、社会的な強者が自分に対する批判を嫌っての濫訴が横行する事態を招くことになるでしょう。そのとき、市民の言論は萎縮し、権力者や経済的強者への断固たる批判の言論は、後退を余儀なくされるでしょう。そのことは、権力と経済力が社会を恣に支配することを意味します。言論の自由と、言論の自由に支えられた民主主義政治の危機というほかはありません。スラップに成功体験をさせてはならないのです。
何度でも繰り返さなければなりません。
「スラップに成功体験をさせてはならない」と。
(2016年1月27日)