澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

改憲阻止の闘志を燃やそう アベ政権の改憲策動に負けることなく

新聞投書欄は百花繚乱の趣き。多種多様で玉石混淆なところが面白い。時に、短い文章で深く共感する投書に出会うことがある。例えば、1月14日毎日新聞投書欄の「首相発言に闘志が湧いてくる」(会社員岡島芳彦)。「闘志が湧いてくる」が素晴らしい。多くの読む人を励ます内容となっているではないか。

「安倍晋三首相が年頭の記者会見などで、今夏の参院選で憲法改正を訴えると発言している。首相は、具体的に憲法のどこをどのように改正するのかという点までは言及してはいないようだが、特定秘密保護法で国民の知る権利を制限し、気に入らない報道には見境なく介入し、安全保障法制で憲法9条を骨抜きにした政府与党が目指す憲法がどのようなものかは、おおよそ察しがつく。」

「憲法改正を訴えるとは言うものの、具体的に憲法のどこをどのように改正するのかということは言わない」。この指摘は実は重要ではないか。「どこをどのように改正する」ことを言わずに、「どこでもよい。とにもかくにも、憲法を変える」という発言は、無責任でオカシイのだ。アベは、憲法の条文にも理念にも、頭から尻尾まですべてに反対なのだ。できることなら、日本国憲法を総否定することで「戦後レジームから脱却」し、大日本帝国憲法と同じ条文に変えることによって「日本を取り戻そう」としているのだ。しかし、それは望んでもできることではない。小ずるいアベは、次善の策として「どこでもよい。少しでも変えることのできるところから、憲法を変えていこう」と虎視眈々というわけなのだ。

これまでアベ政権のやってきたことは、何から何まで非立憲で反民主、そして反平和主義、人権軽視の最悪政治。この政権と与党が目指す改正憲法が、リベラルで民主的で平和を指向するものであるはずがない。そのダーティーな内容は、誰にも「おおよそ察しが」つこうというもの。

「80年ほど前、ドイツでは、ベルサイユ体制からの脱却をスローガンに掲げ、大規模な公共事業で失業者数を減らすことに成功したナチスが、熱狂的な支持を得て合法的にワイマール憲法を葬り去ったが、その手口を学ぶべきだったのは、安倍首相よりもむしろ我々国民の方だったのかもしれない。」

おっしゃるとおりだ。日本国民は、いまやナチスが政権を取ったその手口をよく学び心に刻まなければならない。「ベルサイユ体制からの脱却」とは、ドイツを取り囲む戦勝国への敵意を剥き出しに、報復をなし遂げることにほかならない。アベの歴史修正主義の信条にぴったりではないか。

ナチスは大規模な公共事業で失業者数を劇的に減らすことに成功したのだ。取り上げたユダヤ人の財産の配分という実益も小さくなかった。こうして、ドイツ国民は熱狂的にナチスを支持した。かつての臣民が、熱狂して天皇と軍部を支持した如くにである。そして、3度の選挙と国会放火という謀略で、全権委任法を成立されることによって、ワイマール憲法を葬り去った。この手口は、アベノミクスで国民の集団的自衛権を取り付け、緊急事態条項を憲法に入れることによって憲法の構造を変えてしまうことによって、模倣が可能となる。われわれは、ドイツの歴史に学んでその轍を踏むことのないよう国民全体が賢くならねばならない。

「首相は先日、『批判を受ければ受けるほど闘志が湧いてくる』と発言していたが、私は『戦後レジームからの脱却』『憲法改正』という首相の発言を闘けば聞くほど、闘志が湧いてくる。」

よくぞ、言ってくれた。アベが改憲の闘志を湧かすなら、国民の側はそれにもまして改憲阻止の闘志を燃やそう。立憲主義、民主主義、平和主義、そして人権尊重の日本を創るために、アベとその取り巻きに負けない闘志を燃やし続けよう。

さて、闘志を燃やして、どう行動に移すか。投書子は、毎日新聞に投稿した。どんな場でも、黙っていないで「改憲阻止」「反アベ政治」を口に出そう。文章に綴ろう。果敢に人に伝えよう。集会にも足を運ぼう。そして、明日からは宜野湾市長選挙だ。八王子市長選もある。全国からの選挙支援の具体的方法はいくつもある。闘志さえあれば。
(2016年1月16日)

気をつけようーあなたのお賽銭が改憲運動の資金になる

この正月、あなたは初詣に出かけただろうか。そして、神社にお賽銭を上げてはいないか。本来賽銭とは「祈願成就の際にお礼の意をもって神に奉る金銭のうち少額のもの」(「神道の基礎知識と基礎問題」小野祖教)なのだそうだ。つまりは、神と参拝者との間の「祈願契約」関係においては、神の側に祈願成就の先履行義務があり、賽銭奉納はあと払いという考え方。しかし、今日の善男善女はそうは考えていない。祈願成就には、先払いでお賽銭の奉納が必要というのが常識的感覚だろう。

だからあなたは神社に詣でて、家内安全・無病息災・就活成功・リストラ回避・国際平和・野党協力・アベ政権打倒・改憲阻止等々を祈願して、願いごとの成就を待たずにその場で、先払いのお賽銭を神に捧げたのだと思う。ところが、あなたは神に捧げたつもりでも、神に金銭を受領する能力はない。もちろん、その金銭を使う能力もない。では、あなたの捧げたお賽銭は、誰がどのように使うことになるのか。外からは見えないが、そのうちの幾分かは確実に憲法改正運動の資金にまわったと推察される。アベ・ビリケン(非立憲)政治の存続につながる運動の支援に使われるのだ。決して、改憲阻止のための資金にはまわらないことを心得ねばならない。

神社新報の年頭論説を同紙のホームページで読むことができる。
  http://www.jinja.co.jp/news/news_008544.html

これをお読みいただけば、多くの人の神社や神社本庁、そして神職神官に対するイメージが大きく変容することと思う。もしかしたら、神や神道そのものに対しても見方が変わるかも知れない。神社とは、宗教団体であるよりは政治団体なのだ。少なくとも、偏頗なイデオロギー集団である。こんなところに、初詣だの七五三だの、お参りはよしたがよい。お賽銭など決してくれてやってはならないと思う。

神社新報は、もともとが神社本庁の機関紙として発足したもの。そのホームページでは、「本紙が、神社本庁の機関紙でありながら、別の組織として存在することの意義について、…全国の神社関係者は改めて本庁設立当時に立ち返り、思ひを致すべきであらう。」という。「日本の神社人神道人たるの自覚」を訴えるその意義は、部外者にはよく分からないが、神社新報が神社本庁の機関紙ないし広報紙であることだけはよく分かる。

その神社新報年頭論説(2016年1月11日付)には、神社本庁の「国際情勢認識」と「国内政治状況認識」そして、「政治方針」が述べられている。原文に小見出しはないが、私が小見出しを付けて抜粋してみる。

「国際情勢認識ー世界は物騒で不安定だ」
 広く世界に目を向ければ、これまでの既存の国際秩序を覆し、新たな勢力配分を要求して世界の平和と安定を脅かす国や出来事が後を絶たない。このやうな物騒で不安定な国際状況の下では、いづれの国も身構へざるを得なくなる。
 ロシアは一昨年、ウクライナのクリミアを強引に併合した。EU諸国とは人と経済の面で制裁戦が続いてをり、日本もこれに関はってゐる。また共産党支配の中国の勢力拡大は、アジア共通の脅威だ。有無を言はさず南沙諸島を自国のものとして軍事拠点化し、その勢ひは東シナ海にも及び、わが国の海上輸送路を脅かしつつある。
 中東では、過激派組織ISがイラクとシリアにまたがる地域を支配し、仏露英米などと戦争状態が継続。世界各地で無差別テロを引き起こし、日本もその標的とされてゐる。
そのシリアでは百万人を超える難民が発生してをり、受け入れが大きな問題となってゐる。かうした世界の変動と不安定化は、軍事超大国の米国が「世界の警察官」としての役割否定を宣言したことから始まってゐるのである。

「国内政治状況認識ーまともな安倍内閣、非常識な民主党・共産党」
 国際社会では、力の強弱のバランスが崩れたとき、平和も崩れるといふのが常識だ。昨年、安倍内閣が一連の平和安全法制を構築し、日米安保の協力深化によってわが国の生存と安全をより確かなものにしようとしたのも、かういった国際情勢を見据ゑてのことだ。「戦争法」反対などと叫び、いまだに憲法違反を口実に廃棄を目指すなどと主張してゐる民主党や共産党は、もっとまともな国際常識に基づき変動する世界の厳しい現実を直視すべきではないか。

「政治方針ー悲願の憲法改正実現のために安倍自民党の大躍進を」
 今夏の参院選がこれからのわが国の進路を決定づける極めて大事なものとなる。それは我々の目指す憲法改正の条項や内容が、どの程度まで実現可能となるのかにも繋がってくるからである。憲法改正の早期実現のためには、何としても安倍首相の自民党に大躍進を果たしてもらひ、他の改憲指向政党とあはせて三分の二の議席に少しでも近づける努力をしてもらはねばならない。
 また次の参院選からは、改憲に際しての国民投票と同様に、十八歳からの若い人たちが投票に参加する。この若者たちに政治に関心を向けさせ、憲法改正の必要性と大事さを分かり易く説いて導く工夫も重要だ。我々は昨年十一月の武道館での一万人大会の成功で弾みをつけた憲法改正の国民運動を引き続き強化拡大し、所期の目標達成に全力を注がねばならない。

これはまともな宗教団体の年頭の辞ではない。極右政党か右翼団体、あるいはアベ自民党下部組織の言ではないか。私は、国家神道とは、天皇制と神道との人為的結合システムだと理解してきた。明治政府によって、神道が利用されたという図式を考えていたのだ。だから、天皇制との関係を遮断すれば、神道は純粋な宗教に戻るのではないかと考えてきた。

だが、どうやらそれは間違っているようだ。神社本庁に参集する8万と言われる全国の神社と神職たちは、根っからの国粋主義者の如くである。アベ政治とまことにウマが合うようなのだ。やや大人げない気もするが、こんな神社への参拝はやめよう、縁起物を買ったり、賽銭を上げるなど金輪際すべきではない。憲法を大切に思う立場からは。
(2016年1月13日)

憲法問題に関する年頭の辞「アベ政治 対 立憲主義・民主主義・平和主義」

年末には「本郷・湯島9条の会」紙へ原稿を届けたが、年始に「文京9条の会」の機関紙「坂のまちだより」から「年頭の辞」の執筆依頼をいただいた。
「2016年の年頭にあたって、思われることなどありましたら、なんでも結構です。内容はお任せしますので宜しくお願いいたします。」とのこと。近々、根津憲法学習会でも今年の憲法情勢に関して報告しなければならない。さて、「憲法」とりわけ「9条」に関して、年頭に何を語り、何を書くべきだろうか。

日本国憲法とりわけ9条にとって、2015年は重大な試練の年となった。安倍政権と自公両党による解釈改憲の動きの進展は、前代未聞の95日の会期延長の末、違憲の戦争法を成立せしめた。その強引な立法手続によって、憲法9条は大きく傷ついた。残念でならない。しかしその反面、この違憲立法に反対する国民運動が大きな盛り上がりを見せた。そして、「アベ政治を許さない」「野党は共闘」の声が、議事堂を揺るがせた。「立憲主義の危機」「立憲主義の回復」が広く自覚的な国民の共通認識となり、共通のスローガンとなった。これは憲法と平和への光明である。

2016年は、憲法への試練と光明の両側面がさらに厳しくせめぎ合うことになりそうだ。安倍政権は、けっして解釈改憲では満足しない。違憲立法の成功に味をしめ、さらなる軍事大国化と戦後レジームからの脱却を目指した明文改憲が目論まれることになるだろう。国会に改憲派の議席多数のいまこそ明文改憲のまたとないチャンスだと虎視眈々なのだ。

安部晋三は官邸での年頭の記者会見で、「憲法改正については、これまで同様、参議院選挙でしっかりと訴えていくことになります。同時に、そうした訴えを通じて国民的な議論を深めていきたいと考えています」と明言している。そのために、衆参両院の憲法審査会がフル稼働することになるだろうし、そこでの喫緊の焦点は緊急事態条項の新設ということになりそうだ。

他方、立憲主義を取り戻そうとする自覚した国民の側の運動も大きくなりそうだ。「戦争法の廃止を求める2000万人署名」の活動を軸に、多くの市民運動の大同団結が昨年に引き続いて発展している。その運動が背中を押す形で、戦争法廃止・立憲主義の回復・明文改憲阻止のための野党の共闘は、少しずつ形ができようとしている。安全保障をめぐっては、沖縄県民がオール沖縄の団結で安倍政権と激しく対峙している。全国からの支援が沖縄に集中し、全国が沖縄に学ぼうとしている。

昨年に引き続く試練と光明、そのボルテージの高いせめぎ合いが今年7月の参院選で激突する。3分の1の壁をめぐっての攻防である。その結果が今後の憲法状況を占うことになる。アベ政権の改憲野望を挫くか。改憲路線を勢いづかせるか。3月施行となる戦争法の具体的な運用や、自衛隊海外派遣の規模や態様にも大きな影響をもたらすことになる。そして、その前哨戦が1月17日告示24日投開票の宜野湾市長選挙。そして4月の衆院北海道5区補欠選挙。

2015年選挙のない年に、国民は政治を動かす主人公は自分自身なのだということを学んだ。そして、16年には選挙で直接に国政を動かすことができる。仮に7月参院選が総選挙とのダブル選挙となれば、まさしく直接にこの国の方向を決めることになる。

せめぎ合う主要なテーマは、昨年に続いて立憲主義・民主主義・平和主義である。明文改憲でその総体が問われることになる。その明文改憲の突破口が緊急事態条項。来たるべき参院選はまことに重大な位置を占めることになる。7月参院選の闘いは既に始まっている。遠慮せず、臆せず、言論の発信を続けよう。違憲の戦争法を強行したアベの手口を思い起こすだけでなく、口にしよう。黙っていては人を説得出来ない、状況を変えることもできない。憲法擁護を言葉に発しよう。平和の尊さを、民主主義の大切さを語ろう、そして文章に綴ろう。ハガキでも、封書でも、メールでも、ツイッターでも。言論の自由を最大限有効に活用して、ビリケン(非立憲)アベ政権による改憲の野望を打ち砕こう。

こんな骨子を与えられた字数にまとめることにしよう。
(2016年1月9日)

初詣「欺され初め」にご用心

今年の初詣に、ちょっとした異変があったという。相当数の神社の境内で署名活動が行われていたというのだ。神社と署名活動。これだけでも不似合いだが、署名活動の内容は、「私は憲法改正に賛成します」というもの。なんとも場違いで、正月気分を殺ぐこと甚だしい。神社がこんなことをしていては、善男善女の神社離れを起こし、結局は自分の首を絞めることになるだろう。

しかも、この署名簿。「私は憲法改正に賛成します」とだけ書いてあって、どのような憲法に改正すべきかの趣旨の記載も説明もない。「憲法改正に反対します」なら、その意味は一義的に定まるが、「憲法改正に賛成」では、いかなる改正を求めているのか分からない。

何を隠そう、実はこの私も、本当のところは「憲法改正に賛成」なのだ。天皇制をなくすこと。自衛隊を憲法違反と明記すること。いかなる国とも軍事同盟を結ばないとすること。税金は累進課税とし、貧困者からはとらないこと。教育と医療はすべて無料とすること。人種や民族の差別を一切なくし外国籍の居住者にも選挙権・被選挙権を認めること。同性婚を認めること…。そんなことが「本来の憲法改正」なのだ。天皇の元首化や、人権規定の形骸化、戦争のできる国への明文化などは、「改正」ではなく「改悪」といわねばならない。

また、署名といえば、普通は「改憲反対」「憲法守れ」なのだから、「私は憲法改正に賛成します」だけの署名用紙では、護憲派の署名運動と勘違いして署名に応じた人も多いのではないだろうか。

この署名は、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」なる組織が、「1000万人賛同署名」を目標に取り組んでいるもの。署名用紙には、「私は憲法改正に賛成します」という文言だけで、目指す改正案の内容の記載がない。神社の境内では分からない。ネットの検索を丹念に続けて、いったんはあきらめかけて、ようやく見つけた。

ようやく見つけたとはいうものの、実は内容確定していないのだ。「美しい日本の憲法をつくる国民の会」のホームページに、ようやく「具体的に、どのような点を改正する必要があるのですか?」という問を見つけた。このような問があるのは、改憲目標の草案がないということなのだ。改憲草案なしの憲法改正運動、ってそりゃいったいなんなのだ。なんともしまりのない「1000万人署名」。「なんといい加減な」と呆れるか、「さすがに大らか」と褒めるか、あるいは「これが神さまのすることか」と怒ってもよさそうだ。

この「問」に対する回答では、冒頭「次のような点の改正が必要だと考えられます。」といって、7点を挙げている。「前文」「元首」「9条」「環境」「家族」「緊急事態」そして「96条」である。なるほど、すべて右翼・右派が言いそうなこと。しかし、飽くまで、改正個所の指摘にとどまり、どう改正すべきかの具体案を欠いている。以下にその7点を吟味してみたい。

1.「前文」…美しい日本の文化伝統を明記すること
自らの国の安全と生存を、「平和を愛する諸国民の公正に信頼」して委ねるという、他人任せな規定を見直す必要があります。また、前文には、建国以来2千年の歴史をもつ、わが国の美しい伝統・文化を明記することや、世界平和に積極的に貢献する、国民の決意を表明することも大切です。

前文の改正具体案を作らず、「美しい日本の文化伝統を明記すること」とは、無責任でもあり、本気度を疑いたくもなる。要するに、平和主義がお嫌い。軍備増強に金をかけ軍国主義の危険を冒しても、国の政策として戦争という選択肢を作ろうとおっしゃるのだ。「わが国の美しい伝統・文化を明記」とは、なんともいじましい姿勢。「世界平和に積極的に貢献する国民の決意」は、積極的平和主義をとなえる安倍晋三の応援団。こんなのを、「お里が知れる」というのだろう。

2.「元首」…国の代表は誰かを明記すること
国際社会では、天皇は日本国の元首として扱われています。しかし、国内では、「天皇は単なる象徴にすぎない」とか、「元首は首相だ、国会議長だ」という憲法論議が絶えません。国家元首は一体誰なのか、憲法に明記する必要があります。

「天皇は単なる象徴にすぎない」からこそ、憲法での存在を認められている。これを元首にしようというのは、天皇制を危険に晒すことと知るべきである。また、天皇の元首化は一昔、二昔の話し。今はもう、流行らない。初詣に出かけて、「天皇を元首にしましょう。ぜひ署名を」ということが、笑い話ではなく、現実に起きていることの不気味さを警戒しなければならない。

3.「9条」…平和条項とともに自衛隊の規定を明記すること
自衛隊は国防の要であり、さらに世界の平和貢献活動や大規模災害支援にも大きな役割を果たしています。しかし、憲法上「違憲」の疑義があると指摘され、自衛隊の憲法上の根拠はあいまいです。9条1項の平和主義を堅持するとともに、9条2項を改正して、自衛隊の国軍としての位置づけを明確する必要があります。

軍事力は、他国を刺激して軍拡競争の負のスパイラルに陥る危険を常に秘めています。また、治安出動をして国民運動に対する弾圧装置としての役割も負っています。平和貢献活動は軍事に限る必要はありませんし、大規模災害支援には自衛隊ではなく専門組織を作った方が効率のよいことは明らかです。明らかに違憲の自衛隊を存続させなければならない根拠はあいまいです。少なくとも、9条改憲の必要はまったくありません。

4.「環境」…世界的規模の環境問題に対応する規定を明記すること
古来より、日本人は自然への敬意をいだき自然環境の保全に努めてきました。地球規模の環境破壊が進む中、自然との共存、環境保全は世界的課題であり、環境規定は喫緊の現代的課題です。

環境は大切。辺野古の美ら海を埋め立てて新基地を作らせてはならない。原発も、戦争も、環境の立場からも許してはならない。しかし、環境権を突破口に改憲を実現しようというのが、一貫した改憲派策動の手口。環境権規定は新設せずとも、13条が保障する新しい人権として認め、立法で対応することで十分なのだ。

5.「家族」…国家・社会の基礎となる家族保護の規定を
家族は、国家社会の基礎をなす共同体です。社会の発展、子弟の教育などを支える家族の保護育成は、世界各国でも憲法に規定されている重要な項目です。

家族には2面性がある。かつて、「家」が個人を圧迫し、とりわけ女性の自立を妨げた。家族共同体の強調は個人の自立を妨げる側面を持つ。ここでも、現行の24条が「我が国の醇風美俗を破壊している」という保守派の論理を押し通そうというものになっている。

6.「緊急事態」…大規模災害などに対応できる緊急事態対処の規定を
東日本大震災は、1,000年に一度という想定できない大惨事を招きましたが、緊急事態対処の憲法規定があれば、多くの国民を災害から守ることができました。来るべき大災害に対処しうる憲法規定が必要となっています。

「緊急事態対処の憲法規定があれば、東日本大震災で多くの国民を災害から守ることができました。」というのは、まったくのデマ。安倍晋三ですら、そんなことを言っていない。緊急事態条項の真のねらいは、緊急事態を口実にした、人権・民主主義の制約規定を置くこと。こんな危険なことにうかうか乗せられてはならない。

7.「96条」…憲法改正へ国民参加のための条件緩和を
我が国の憲法は、国民大多数が憲法改正を求めても、国会議員の3分の1が反対すれば改正できない、世界で最も厳しい改正要件になっています。憲法改正への国民参加を実現するため、憲法改正要件の緩和が求められます。

これこそが、改憲派が欲しくて手に入れることのできない魔法の杖。第2次安倍内閣が、96条先行改憲を目論んで、世論の袋だたきに遭って引っ込めたもの。これを蒸し返そうというのだ。

初詣の善男善女の皆さま。
オレオレ詐欺みたいな、こんな署名活動に引っかかってはいけません。
初詣に出かけて、こんな署名をさせられたのでは、正月気分も目出度さもすっかり失せてしまいます。せっかくのお正月、欺され初めは避けましょう。
「残念、もう遅かった」という方は、来年からは神社への初詣をやめましょう。
そして、お口直しに「戦争法の廃止を求める2000万人統一署名」の方をどうぞ。
こちらは、各署名用紙ごとに請願の趣旨が明記されていますから。
(2016年1月5日)

公布70周年?日本国憲法の試練は続く

戦後70周年の旧年(2015年)に続いて、憲法公布70周年の新しい年(2016年)の始動である。本日、首相の年頭記者会見があり、通常国会が召集され、アベノミクスの成否を占う東証の大発会もあった。解釈改憲の旧年から明文改憲の新年となりかねない、危うさを感じる。

首相年頭記者会の全文が官邸のホームページに掲載されている。
質疑前の首相のコメントは、我田引水の他愛のないもの。「昨年は、平和安全法制が成立し、私たちの子や孫の世代に平和な日本を引き渡していく基盤を築くことができました。」などという牽強付会のトーンの一色。

質疑応答なければそれだけのこと。幹事社からの質問が2問あった。そのうち1問が選挙情勢と改憲に関わる質問。その問と回答を掲載する。

(記者)
幹事社の西日本新聞です。今年は夏に最大の政治決戦となる参議院選があります。現在は自民党が115議席、公明党の20議席を加えて過半数に達しているような状況です。これを夏の参議院選では自民党単独で過半数を目指すのか、それとも、自民・公明におおさか維新の会などを含めたいわゆる改憲勢力で3分の2を目指すのか、勝敗ラインについてはどのように考えていらっしゃいますか。
それと、改めて参議院選の争点についてはどのように考えていらっしゃいますか。
また、更に衆院解散による同日選の可能性についてもお聞かせください。

(安倍総理)
まず、自由民主党と公明党の連立政権、この連立政権は風雪に耐えた、強固な連立政権と言ってもいいと思います。この安定した政治基盤の上に、「一億総活躍」への「挑戦」を初め、内政・外交の課題に決して逃げることなく、真正面から「挑戦」し続けていきたいと考えています。
参議院選挙においては、全ての候補者の当選を目指していくことは当然のことであり、それが自由民主党総裁の責務であろうと思います。その上で、自公での連立政権の下、安定した政治を前に進めるため、参議院において自公で過半数を確保したいと考えています。その勝利を勝ち取るために全力を尽くしていく考えであります。
憲法改正については、これまで同様、参議院選挙でしっかりと訴えていくことになります。同時に、そうした訴えを通じて国民的な議論を深めていきたいと考えています。
なお、衆議院の解散については、何度も同じことを申し上げて恐縮でございますが、全く考えていないということであります。
参議院の選挙のテーマは様々でありますが、3年間の安倍政権の実績に対する評価、そして、今、私たちが進めようとしている「一億総活躍社会」について、国民の審判をいただきたいと思っております。

これにどう見出しを付けるか、各紙のセンスが問われる。
朝日は、平板に「参院選『自公で過半数確保』 安倍首相が年頭会見」>とした。読売も「参院選『自公で過半数確保』…年頭会見で首相」。両紙とも、「改憲」の文字が出て来ない。

さすが東京新聞は「年頭会見、参院選で改憲争点化 首相、自公過半数目指す」とし、毎日は「首相年頭会見 改憲 参院選で訴える『国民的議論を』」と打った。「改憲争点化」「改憲 参院選で訴える」をアピールポイントとしたのだ。

ちなみに、産経は「『未来へ挑戦する1年に』『参院選で憲法改正訴える』『同日選は考えていない』」というもの。右派の立場で、右派なりに改憲に敏感なのだ。

それにしても、幹事社の質問がこれで終わりなのがもの足りない。
「参院選でしっかりと訴えることになる改憲のテーマは、どんなものをお考えですか」「憲法9条改憲については参院選の争点としますか」「昨年9月安保関連法成立時に、総理は『国民の皆様の理解が更に得られるよう、政府としてこれからも丁寧に説明する努力を続けていきたいと考えております』と言われました。あの説明はどうなりましたか」「まず、この点についての丁寧な説明なければ、憲法に関する国民的な議論は深まらないのではありませんか」「今年の参院選で改憲賛成の議席が3分の2に達しなければ総理在任中の改憲はあきらめざるを得ないと思いますが、いったいどの勢力を改憲賛成派とお考えですか」などと、突っ込んでもらいたかった。

さて、第190回通常国会が本日開会した。会期は6月1日までの150日間。参院選の日程から、会期の延長はないと言われている。問題は山積だ。が、今日のところの私の関心は、もっぱら共産党議員団が初めて開会式に出席したこと。玉座の天皇を見上げ、他党の議員たちと同様に、おとなしく「(お)ことば」を聞いたという。

私は、「日の丸・君が代」強制を受け入れがたいとする教員たちの訴訟を担当している。自らの思想、教員としての良心に忠実であろうとして、不利益を覚悟して起立・斉唱を命じる職務命令に毅然と不服従を貫いている尊敬すべき教員たち。その教員たちにとって、これまでは共産党こそが最も頼りになる支援の政治勢力であった。スジを通す、原則に忠実、けっしてぶれない、その姿勢を貫く共産党であればこそ、躊躇することなく懲戒処分を受けた教員の側に立って都教委を批判してきた。教員たちからの厚い信頼を勝ち得てもきた。共産党の「スタンド・バイ・ミー」の姿勢は今後も変わらないのだろうか。一抹の不安なきにしもあらずである。党勢拡大や国民連合政府構想推進のためとする大所高所に立っての天皇制やナショナリズムへの妥協。残念と言わざるを得ない。

憲法公布70周年(11月3日)を迎える今年。情勢は険しくも複雑である。その中での明文改憲をめぐるせめぎ合いは一層熾烈になるものと覚悟しなければならない。
(2016年1月4日)

アベ政権の「緊急事態条項」は、ナチスの「全権委任法」にそっくりではないか

2015年は憲法に大きな傷を負わせた解釈改憲の年だった。明けて16年は、明文改憲が話題の年となりそうな雲行きである。毎日新聞元日号のトップ記事が、「改憲へ緊急事態条項 議員任期特例 安倍政権方針」。そして2面に、「透ける『お試し改憲』 緊急事態条項 他党支持得やすく」という解説記事。見出しだけで内容がよく分かる。改憲勢力にとっても、阻止勢力にとっても、せめぎ合いの正念場が近づきつつあるという緊迫感を持たざるを得ない事態なのだ。

毎日新聞の記事は、「安倍政権は、大規模災害を想定した『緊急事態条項』の追加を憲法改正の出発点にする方針を固めた。」「安倍晋三首相は今年夏の参院選の結果、参院で改憲勢力の議席が3分の2を超えることを前提に、2018年9月までの任期中に改憲の実現を目指す」と、断定調。おそらくそのとおりなのだろう。

政権が目指す改憲の内容は、「衆院選が災害と重なった場合、国会に議員の『空白』が生じるため、特例で任期延長を認める必要があると判断した」というもの。このテーマなら、「与野党を超えて合意を得やすいという期待もある」という。

ニュースソースは「政権幹部」。その政治家が、「首相の描く改憲構想を明らかにした」「首相は在任中に9条を改正できるとは考えていない」「首相は自身が繰り返し述べてきた『国民の理解』を得やすい分野から改憲に着手するとの見通しを示した」という。

また、自民党の保岡興治衆院憲法審査会長が「今後は緊急事態条項が改憲論議の中心になる」と報告したのに対し、首相は「与野党で議論を尽くしてほしい」と応じたこともあげ、「衆院憲法審査会では、衆参両院議員の任期延長や選挙の延期を例外的に認める条項の検討が進む見通しだ」ともいう。

もっとも、毎日のこの記事、ややミスリードの気味もないわけではない。実害あって問題なのは、「一時的な私権の制限」が盛り込まれることで、「政治空白の回避策」(緊急事態における国会議員の任期延長)だけであれば、緊急事態条項提案の合理性を当然の前提としているように読めることである。実は「お試し改憲」などと安閑とはしておられない事態なのではないか。この点、大いに警戒を要する。

毎日の報道は、「自民党の改憲推進派は『最初の改憲で失敗すれば、二度と改憲に着手できなくなる』と懸念しており、首相も国会の議論を見極めながら、改憲を提起するタイミングを慎重に計るとみられる」というもの。これは、誇張ではない常識的な情勢の見方だが、このような情勢判断を含む毎日の記事全体が、政権の観測記事であろうということ。産経や読売ではなく、毎日へのリークであることに意味がある。おそらく、政権はこのような記事への世間の反応を見ているのだろう。

毎日の記事では、緊急事態の内容を《「政治空白の回避策」(緊急事態における国会議員の任期延長》と《「一時的な私権の制限」》とに二分し、前者であれば人畜無害の「お試し改憲」、後者なら「実質的な人権制約改憲」としている。

「政治空白の回避策」とは、衆院が解散後総選挙を経ての国会召集までの間に緊急事態が生じた場合、空っぽの衆院が緊急事態に対応できないではないか、という問題提起への対応策。なに、たいしたことではない。半数ずつ改選の参院が空っぽになることはない。二院制の存在理由の一つはここにある。憲法54条2項但し書きの「内閣は、国に緊急の必要あるときは、参議院の緊急集会を求めることができる」を活用すればよいだけのこと。こんなテーマで、ことさら憲法改正の必要があるわけはない。

憲法は、硬く安定しているところに値打ちがある。現行の規定のままでは耐えがたい不都合が生じており、どうしても条文を変更しなければ不都合を解消できない場合以外には、軽々に変更をすべきではない。東日本大震災においても、事態への対応に憲法が桎梏となった事実はなかった。仮にあの事故が衆院解散中のものであったとしても、事情は変わらない。「54条だけでは大規模災害時の国会対応が不十分になる」という立論は、ためにするものとしか考えられない。要するに、改憲の立法事実が存在しないのだ。

自民党改憲の狙いは、もっと実質的な人権制約にある。「自民党改憲草案」(2012年4月)は、現行憲法にはない「第9章 緊急事態」を設けようと具体的な提案をしている。

そのさわりは、以下のとおりである。

「第98条(緊急事態の宣言)1項 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。

第99条(緊急事態の宣言の効果)1項 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
3項 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、…国その他公の機関の指示に従わなければならない。」

法は「要件」と「効果」で書かれている。緊急事態の要件は、戦争・内乱・政府批判の大行動・自然災害…だけではない。国会で議席の過半数を占めた与党が、「法律の定めるところ」としてどこまでも広げる可能性を残しているのだ。そして、緊急事態の効果。政府の思惑で国民の人権を制約できるのだ。政権にとって、こんなステキな魅力的な魔法のカードはない。

悪名高いヒトラー・ナチスの全権委任法(授権法)は、国会放火事件を口実とする「民族と国家防衛のための緊急大統領令」に続いて登場した、緊急事態に備えての時限立法であった。その第1条「ドイツ国の法律は、憲法に規定されている手続き以外に、ドイツ政府によっても制定されうる」と、アベ・自民党の「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」の近似性に驚かざるを得ない。

大江志乃夫さんはその著「戒厳令」(岩波新書)の前書きで、次の趣旨を述べている。
「緊急事態法制は1枚のジョーカーに似ている。他の48枚のカードが形づくっている整然たる秩序をこの一枚がぶちこわす」

日本国憲法が形づくる、人権と民主主義の整然たる秩序の体系。これを根底からひっくり返すジョーカーが緊急事態条項なのだ。こんな物騒な緊急事態条項改憲を、危険なアベ政権の手に委ねてはならない。後戻りできない、不可逆的な効果を持ちかねないのだから。

さて、明日から始まる通常国会に目を離せない。
(2016年1月3日)

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