気をつけようーあなたのお賽銭が改憲運動の資金になる
この正月、あなたは初詣に出かけただろうか。そして、神社にお賽銭を上げてはいないか。本来賽銭とは「祈願成就の際にお礼の意をもって神に奉る金銭のうち少額のもの」(「神道の基礎知識と基礎問題」小野祖教)なのだそうだ。つまりは、神と参拝者との間の「祈願契約」関係においては、神の側に祈願成就の先履行義務があり、賽銭奉納はあと払いという考え方。しかし、今日の善男善女はそうは考えていない。祈願成就には、先払いでお賽銭の奉納が必要というのが常識的感覚だろう。
だからあなたは神社に詣でて、家内安全・無病息災・就活成功・リストラ回避・国際平和・野党協力・アベ政権打倒・改憲阻止等々を祈願して、願いごとの成就を待たずにその場で、先払いのお賽銭を神に捧げたのだと思う。ところが、あなたは神に捧げたつもりでも、神に金銭を受領する能力はない。もちろん、その金銭を使う能力もない。では、あなたの捧げたお賽銭は、誰がどのように使うことになるのか。外からは見えないが、そのうちの幾分かは確実に憲法改正運動の資金にまわったと推察される。アベ・ビリケン(非立憲)政治の存続につながる運動の支援に使われるのだ。決して、改憲阻止のための資金にはまわらないことを心得ねばならない。
神社新報の年頭論説を同紙のホームページで読むことができる。
http://www.jinja.co.jp/news/news_008544.html
これをお読みいただけば、多くの人の神社や神社本庁、そして神職神官に対するイメージが大きく変容することと思う。もしかしたら、神や神道そのものに対しても見方が変わるかも知れない。神社とは、宗教団体であるよりは政治団体なのだ。少なくとも、偏頗なイデオロギー集団である。こんなところに、初詣だの七五三だの、お参りはよしたがよい。お賽銭など決してくれてやってはならないと思う。
神社新報は、もともとが神社本庁の機関紙として発足したもの。そのホームページでは、「本紙が、神社本庁の機関紙でありながら、別の組織として存在することの意義について、…全国の神社関係者は改めて本庁設立当時に立ち返り、思ひを致すべきであらう。」という。「日本の神社人神道人たるの自覚」を訴えるその意義は、部外者にはよく分からないが、神社新報が神社本庁の機関紙ないし広報紙であることだけはよく分かる。
その神社新報年頭論説(2016年1月11日付)には、神社本庁の「国際情勢認識」と「国内政治状況認識」そして、「政治方針」が述べられている。原文に小見出しはないが、私が小見出しを付けて抜粋してみる。
「国際情勢認識ー世界は物騒で不安定だ」
広く世界に目を向ければ、これまでの既存の国際秩序を覆し、新たな勢力配分を要求して世界の平和と安定を脅かす国や出来事が後を絶たない。このやうな物騒で不安定な国際状況の下では、いづれの国も身構へざるを得なくなる。
ロシアは一昨年、ウクライナのクリミアを強引に併合した。EU諸国とは人と経済の面で制裁戦が続いてをり、日本もこれに関はってゐる。また共産党支配の中国の勢力拡大は、アジア共通の脅威だ。有無を言はさず南沙諸島を自国のものとして軍事拠点化し、その勢ひは東シナ海にも及び、わが国の海上輸送路を脅かしつつある。
中東では、過激派組織ISがイラクとシリアにまたがる地域を支配し、仏露英米などと戦争状態が継続。世界各地で無差別テロを引き起こし、日本もその標的とされてゐる。
そのシリアでは百万人を超える難民が発生してをり、受け入れが大きな問題となってゐる。かうした世界の変動と不安定化は、軍事超大国の米国が「世界の警察官」としての役割否定を宣言したことから始まってゐるのである。
「国内政治状況認識ーまともな安倍内閣、非常識な民主党・共産党」
国際社会では、力の強弱のバランスが崩れたとき、平和も崩れるといふのが常識だ。昨年、安倍内閣が一連の平和安全法制を構築し、日米安保の協力深化によってわが国の生存と安全をより確かなものにしようとしたのも、かういった国際情勢を見据ゑてのことだ。「戦争法」反対などと叫び、いまだに憲法違反を口実に廃棄を目指すなどと主張してゐる民主党や共産党は、もっとまともな国際常識に基づき変動する世界の厳しい現実を直視すべきではないか。
「政治方針ー悲願の憲法改正実現のために安倍自民党の大躍進を」
今夏の参院選がこれからのわが国の進路を決定づける極めて大事なものとなる。それは我々の目指す憲法改正の条項や内容が、どの程度まで実現可能となるのかにも繋がってくるからである。憲法改正の早期実現のためには、何としても安倍首相の自民党に大躍進を果たしてもらひ、他の改憲指向政党とあはせて三分の二の議席に少しでも近づける努力をしてもらはねばならない。
また次の参院選からは、改憲に際しての国民投票と同様に、十八歳からの若い人たちが投票に参加する。この若者たちに政治に関心を向けさせ、憲法改正の必要性と大事さを分かり易く説いて導く工夫も重要だ。我々は昨年十一月の武道館での一万人大会の成功で弾みをつけた憲法改正の国民運動を引き続き強化拡大し、所期の目標達成に全力を注がねばならない。
これはまともな宗教団体の年頭の辞ではない。極右政党か右翼団体、あるいはアベ自民党下部組織の言ではないか。私は、国家神道とは、天皇制と神道との人為的結合システムだと理解してきた。明治政府によって、神道が利用されたという図式を考えていたのだ。だから、天皇制との関係を遮断すれば、神道は純粋な宗教に戻るのではないかと考えてきた。
だが、どうやらそれは間違っているようだ。神社本庁に参集する8万と言われる全国の神社と神職たちは、根っからの国粋主義者の如くである。アベ政治とまことにウマが合うようなのだ。やや大人げない気もするが、こんな神社への参拝はやめよう、縁起物を買ったり、賽銭を上げるなど金輪際すべきではない。憲法を大切に思う立場からは。
(2016年1月13日)