3・11の昨日は憂鬱な気持の一日だった。その夕刻に、秀逸なブログを開いて少し心が和んだ。紹介しておきたい。
タイトルが、「祝『君が代斉唱口元チェック』の中原徹大阪府教育長(橋下市長のご学友)がパワハラで辞任」ーよりによって口元チェック校長を教育長にしたりするからこうなる。http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake
多くの人の思いを代弁する、胸がすくような筆の冴え。まったくそのとおりと思わずうなずき、思わず笑みがこぼれる。私も、中原徹大阪府教育長辞任には、大いなる祝意を表したい。人権と民主主義とあるべき教育のために乾杯。しかも、この重要なタイミングでの維新の党への政治的打撃は貴重だ。
ブログ筆者の宮武嶺さん(ハンドルネーム)とは旧知の間柄。私の方が年嵩だが、ブロガーとしては彼の方が大先輩。器用に写真やデータをあしらった親しみやすいレイアウトを工夫して多数の読者に愛されているご様子。しばらくブログが途絶えていて心配したが、昨年の暮れに復活し、毎日更新を続けている。恐るべきパワー。
同ブログは、「今回弁護士による第三者委員会が2015年2月20日に公表した報告書で、中原教育長の府教委職員らに対する言動が『パワハラに該当する』と認定されていました」と、経過を丁寧に解説したうえで、こう述べている。
「2月23日から始まった府議会で、公明、自民、民主の野党3会派が、パワハラ問題を相次いで追及し、3月2日に中原氏の辞職勧告決議案を議長に提出。10日には、大阪市と堺市を除く府内41市町村教委が『毅然とした対応』を求める要望書を府教委に提出するなど、中原氏の責任を追及する声が高まり、往生際の悪かった中原氏もとうとう観念したものです。
先ほど行われた辞任会見でも、計5人もの人に対するパワハラで辞任するのに、その方々へ謝罪する前に第三者委員会の報告書にケチをつけるなど、最後まで人格劣等ぶりを見せつけました。
言っていること、やっていることがご学友の橋下市長とそっくりで、笑っちゃいけないけど笑ってしまいます。
辞任会見では「『教育改革が道半ばのまま辞任するのは残念』と言っていたそうなんですが、道半ばで良かったよ、ほんと。」
「この中原氏は橋下市長の大学時代の友人で、橋下氏の府知事時代に公募された府立和泉高校の校長を経て、2013年春に教育長に就任した人です。この人も橋下さんと同じく弁護士です。本当にすみません。
ちなみに、この中原氏は校長時代、2012年3月の卒業式では、大阪府君が代条例で起立斉唱を義務付けられた君が代を教職員が実際に歌っているか、和泉高校の教頭らに教員の口元を監視するよう指示して、まるで北朝鮮のようだと大きな批判を受けました。」
「そもそも、橋下・松井維新の会が君が代条例を作って君が代斉唱を徹底しろと教委や教育現場に言ったのがすべての始まりなのに、いざとなると教委に責任をなすりつける姿勢は、橋下氏に関してはいつもどおりなのですが、中原氏も双子のようで印象的でした。こんな調子の人ですから、中原氏が教育委員会入りして教育長になって、全校長に君が代斉唱口元チェックを指示したら、どんなに殺伐とした全体主義的な入学式・卒業式になるのだろうと暗澹たる気持ちになっていたので、中原教育長辞任万歳です。」
「およそ教育現場や教育行政にこれほど不適切な人格の人物もいないわけで、こういう人を学校長にしたり、ましてや教育長にしてきた橋下・松井両首長の任命責任は重大です。」
以上の宮武ブログの紹介だけでよいようなもの。このあとは私の蛇足。
中原徹教育長辞任を求める署名活動は、東京の教育関係集会でも活発に取り組まれていた。東京の教委がひどいことは既に天下に周知だが、下には下があるもの、と妙に感心した次第。大阪のひどさは、また東京とはひと味違っている。橋下徹を中心にした驕慢なお友だち人事の弊害の露呈ではないか。類は友を呼ぶの例えの通りである。
ところで、教育長という職には、教育委員の一人が任じられる。
教育委員会制度は、戦後教育改革の要の一つだった。戦前の極端な中央集権的教育の反省から、戦後改革は、まず教育と教育行政とを切り離した。更に教育行政の主体を国家ではなく自治体単位の教育とし、更に具体的な行政担当を首長から独立した地方教育委員会とした。しかも、教育委員は公選として出発した。
国家からも自治体の首長からも独立した公選制の教育委員会は、重責を負うことになった。しかし、残念なことに住民の公選による教育委員会制度は1956年に頓挫する。教育委員会法は廃止され、その後身として「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(地教行法)が制定されて現在に至っている。
現行法の第4条に「委員は、当該地方公共団体の長の被選挙権を有する者で、人格が高潔で、教育、学術及び文化に関し識見を有するもののうちから、地方公共団体の長が、議会の同意を得て、任命する」と規定されている。
教育委員たる者、「人格が高潔で、教育、学術及び文化に関し識見を有するもの」とされているのだ。教育をサポートする任務なのだから、当然といえば当然。人格高潔ならざる中原に務まるはずもない。
地教行法第16条は、「教育委員会に、教育長を置く」とし、「教育長は、当該教育委員会の委員である者のうちから、教育委員会が任命する」とある。その任務は、「教育長は、教育委員会の指揮監督の下に、教育委員会の権限に属するすべての事務をつかさどる」「教育長は、教育委員会のすべての会議に出席し議事について助言する」という強力な権限を与えられている。
維新府政は、よくもまあパワハラ人格を教育長に据えたものだ。責任は重大である。
なお、地教行法はこの4月1日から改正法に移行する。教育行政の責任の明確化という名目で、教育委員長と教育長を一本化した新たな責任者(新教育長)をおいて、教育長の権限は更に強くなる。法改正の失敗が施行前に表れた。
中原は、教育長と教育委員の両方の職を辞任した。これは、維新の党にとって政治的打撃が大きい。しかも、統一地方選挙直前のこの時期、さらには5月に予定されている大阪都構想の住民投票への影響も否定できない。
「中原氏は橋下徹大阪市長の大学時代からの友人で弁護士。橋下氏が知事時代に民間人校長として府立高校に着任し、卒業式での「君が代」斉唱口元チェックで批判を浴びました。2013年4月、松井知事が教育長に任用しました」(赤旗)のだから、通常の任命責任という程度のものではない。言わば、維新ぐるみ共同正犯的な関係にある。中原教育長は、維新教育政策のシンボルであり、このうえないみっともない形でのその破綻が、維新の失政でないはずはない。府政も、市政も、実態はこの程度と誰もが考えざるをえないではないか。だから、橋下も不満たらたらだ。次には自分が同じ目に遭いかねないのだから。
松井知事も府議会の維新も辞職の事態は避けようとずいぶん頑張ったようだ。しかし、報じられているところでは、自・公・民3党の追及は厳しかった。とりわけ、公明が重い処分を求める立場で一貫したことが注目される。公明の維新に対する遠慮の有無は、大阪都構想是非の住民投票に大きく影響するからだ。
朝日に、「パワハラ問題に詳しい脇田滋・龍谷大教授(労働法)」が、第三者委員会の報告を受けた段階でのコメントを寄せている。
「‥パワハラでも相当ひどい部類だろう。『どこのブラック企業か』と感じるような内容だ。反省を深めてほしい。再び起きないよう、教育委員会も組織や意思決定のあり方を見直すべきだ」というもの。松井も維新も、結局はかばいきれなかった。自業自得なのだ。
もう一点指摘しておきたい。この事態は、以下の記事のとおり、内部告発をきっかけに展開したものである。この勇気ある内部告発がなければ、中原教育長は今日も安泰で、4月には「新教育長」となり、もっと大きな権限を持つことになっただろう。中原とともに、維新も安泰であったことになる。
「◆涙の内部告発(朝日)
問題が発覚したのは10月29日。府民に公開される教育委員会議で、立川さおり教育委員(41)が中原氏から同21日に受けたとされる発言内容を公表した。府議会の教育常任委員会の打ち合わせで、府が府議会に提出した幼稚園と保育園の機能を併せ持つ『認定こども園』の定員上限を引き上げる条例改正案をめぐり、立川氏が案の内容に反対する意向を明かしたところ、中原氏が強い口調で次のように叱責したという。
『目立ちたいだけでしょ。単なる自己満足』『誰のおかげで教育委員でいられるのか。ほかでもない知事でしょ。その知事をいきなり刺すんですか』『罷免要求を出しますよ』?。
立川氏は会話内容をメモに書き起こし、出席者に配布して公表。メモを読む声は次第に震え始めて涙声となり、「自由に発言できない状況だった」と訴えた。
立川さんにも五分の魂があった。この魂を傷つけられるとき、人は決意してルビコンを渡る。立川さん、よくやった。
(2015年3月12日)
本日の東京新聞「平和の俳句」を心して読む。
三月十日南無十万の火の柱
70年前の今日、東京が地獄と化した惨状をつぶさに目にした古谷治さん(91歳)の鎮魂の一句。
東京新聞は、古谷さんを取材して、「黒焦げの骸 鎮魂の一句」「戦争を知る世代の使命」という記事を掲載している。その記事の中に、「古谷さんは戦後、中央官庁の役人として働き、政治家を間近で見てきた。今、戦争を知らない世代の政治家たちが国を動かすことに『坂道を転げ落ちていくような』不安を覚える。」とある。そして、古谷さん自身の次の言葉で結んでいる。
「戦争を知っているわれわれが、暴走しがちな『歯車』を歯を食いしばって止めないとどうなるのか。その使命の重大さ、平和のありがたさをかみしめて、鎮魂の一句をささげた」
日露戦争後、3月10日は陸軍記念日であった。1945年の陸軍記念日の早暁、テニアン・サイパンから飛来した325機のB29爆撃機が東京を襲った。超低高度で人家密集地に1600トンの焼夷弾の雨を降らせた。折からの春の強風が火を煽って、人と町とを焼きつくした。死者10万、消失家屋27万、被災者100万に上ったと推計されている。これが、3時間足らずのできごとである。防空法と隣組制度で逃げれば助かった多くの人命が奪われた。
東京大空襲訴訟の証言で、早乙女勝元さんが甚大な被害の理由をこう解説している。
「1番目は退路のない独特の地形です。東京の下町は荒川放水路と、隅田川に挟まれて無数の運河で刻まれた所。2番目はその夜の気象状況にあったと思います。春先の猛突風が9日の夜から吹き荒れていて、火が風を呼び、風が火を呼ぶという乱気流状態になったことが挙げられましょう。そして3番目は防空当局のミスであります。ミスといいますのは、空襲警報が鳴らないうちに空襲が始まっております。4番目は‥、昭和18年に内務省が改訂版で『時局防空必携』というのを各家庭に配りました。それを守るべしということですが、1ページ目を開きますとこう書いてあります。『私たちは御国を守る戦士です。命を投げ出して持ち場を守ります』と。国は東京都民を戦士に仕立てあげたんではないのでしょうか。そういうことが大きな人的被害を生む理由になったのではないかと考えます。」
多くの都民が、命令され洗脳されて、文字どおり「持ち場を守って命を投げ出した」のだ。
同じ証言で、早乙女さんはこうも述べている。
「3月10日の正午になりますと、焼け残りの家のラジオは大本営発表を告げました。公式の東京大空襲の記録といっていいのですが、翌日の新聞にももちろん出ております。その中でたいそう気になりますのは、次の1節であります。『都内各所に火災を生じたるも宮内省主馬寮(しゅめりょう)は2時35分其の他は8時頃までに鎮火せり』。100万人を超える罹災者とおよそ10万人の東京都民の命は、『其の他』の三文字でしかありませんでした。戦中の民間人は民草と呼ばれて、雑草並みでしかなかったと言えるかと思います。残念ながら、大本営発表の、『其の他』は戦後に引き継がれまして、今、被災者遺族の皆さんは私を含めて高齢ですけれども、旧軍人、軍属と違って、国からの補償は何もなく、今日のこの日を迎えています。国民主権の憲法下にあるまじき不条理であります。法の下に平等の実現を願っております。」
大日本帝国の公式発表は、10万の都民の命よりも皇室の馬小屋の方に関心を示したのだ。こうして、1945年の陸軍記念日は、「我が陸軍の誉れ」の終焉の日となった。それでも、この日軍楽隊のパレードは実行されたという。
無惨に生を断ち切られた10万の死者の無念、遺族の無念に、黙祷し合掌するしかない。空襲の犠牲者は、英霊と呼ばれることもなく、顕彰をされることもない。その被害が賠償されることも補償されることもない。それどころか、戦後の保守政権はこの大量殺戮の張本人であるカーチス・ルメイに勲一等を与えて、国民の神経を逆撫でにした。広島・長崎の原爆、沖縄の地上戦、そして東京大空襲‥。このような戦争の惨禍を繰り返してはならないという、国民の悲しみと祈りと怒りと理性が、平和国家日本を再生する原点となった。もちろん、近隣諸国への加害の責任の自覚もである。2度と戦争の被害者にも加害者にもなるまい。その思いが憲法9条と平和的生存権の思想に結実して今日に至っている。安倍政権がこれに背を向けた発言を繰り返していることを許してはならない。今日は10万の死者に代わってその決意を新たにすべき日にしなければならない。
たまたまドイツのメルケル首相が来日中である。共同記者会見でメルケルと安倍がならんだ。同じ敗戦国でありながら、罪を自覚し徹底した謝罪によって近隣諸国からの信頼を勝ち得た国と、しからざる国の両首相。それぞれが国旗を背負っている。
1940年、日独伊三国同盟が成立したとき、並んだ旗はハーケンクロイツと日の丸であった。戦後、ドイツは、ハーケンクロイツから黒・赤・金の三色旗に変えた。日本は、時が止まったごとくに70年前の「日の丸」のままである。変えた旗と変えない旗。この旗の差が、日独両国の歴史への対峙の姿勢の差を物語っている。
さて、東京大空襲70年後のこの事態である。火の柱となった十万の魂は鎮まっておられるのだろうか。
(2015年3月10日)
昨年(2014年)2月の選挙で舛添要一都政が発足して1年が経過し、今初めての舛添予算案が都議会に上程されて審議を受けている。メディアからの評判はなかなかのものとなっている。産経の記事が「共産党も高評価」と見出しを打った。酷すぎた石原慎太郎・猪瀬直樹都政に較べれば多少はマシになった、というレベルを超えた積極評価がなされている。
自・公の推薦を受けた候補者ではあったが、都議会内各派とはそれぞれに折れ合いは良いようだ。何よりも、不必要に居丈高で威圧的だった石原・猪瀬に較べて、人と接する姿勢のソフトさに好感が持てる。
着任早々の定例記者会見で、記者に対して次のように呼びかけたことが話題となった。
「みなさん(記者)も、都民、国民の代表として、外からごらんになっていただいているんで、いつも申し上げるように、どんな質問でも全く構わないんで、自由に、この会見の場で意見をいただくということが、都民の声を反映することになると思いますので、ぜひ、そのことをお願いしたいと思います」
知事本人による、「私は、石原・猪瀬とは違う」という意識的アピールとみるべきだろう。
また、次のような発言も各紙が話題にした。
「初登庁して一日仕事をしただけで、この役所は大丈夫か、とんでもないことになっているのではないかと、心配が先立ってきた。
都庁では、職員が恐る恐る知事に説明に伺ってもよいかと、私に不安げに尋ねてきた。これは驚きで、知事に対する説明などは当然行うべきである。‥これまでの知事たちが、どういう職務姿勢であったのかが、よく分かる。週に2?3回しか職場に来ないのなら、職員からレクを受ける機会も少なくなるであろうし、重要な来客とのアポも入れられないであろう。まともな仕事もせずに、権威主義的に怒鳴り散らしていたのではないかと想像してしまう。これでは、部下の士気も減退するであろう。」
(「現代ビジネス 舛添レポート」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38397?page=2)
言うまでもなく、「まともな仕事もせずに権威主義的に怒鳴り散らして、この役所をトンデモナイものにしてしまった」のは、石原・猪瀬の前任者である。舛添はこれをまともな役所にする、と宣言したわけだ。
その後も、「ぬるま湯につかった過去3代の知事の20年間は忘れていただきたい。トップがサボっていると職員に感染しますね」(昨年5月9日)や、「終わった人のことをいろいろ言う暇があったら都民のために一歩でも都政を前に進める、そういう思いでいる」(12月16日、引退を表明した石原元知事について)などの記者会見発言が続いた。
こうして舛添都政1年。公平な目で、功罪の「功」が優るというべきだろう。
2020年オリンピック準備では、「招致段階から施設整備費が大幅に膨らむことが分かり、舛添知事は『都民の理解が得られない』と競技会場計画の見直しに着手。三施設の新設を中止して既存施設の活用などを決めた。一時は4584億円に上った試算から「2千億円を削減した」と話す。」(東京)と報じられている。これは都民に好意的に迎えられている。
産経の記事を紹介しておきたい。
「舛添知事が熱心に取り組み、独自色が鮮明になったものの一つとして『都市外交』が挙げられる。これまで6回の海外出張をこなし、計5カ国に訪問。五輪への協力要請などに取り組んだ。
ただ、就任直後から続いた外遊の連続に、昨年9月の都議会本会議で、自民党の村上英子幹事長は『知事の海外出張が、それほど優先順位が高いとは思えない』と苦言を呈した。北京、ソウルの訪問では歴史認識に関する発言への対応をめぐり、『なぜ地方自治体が外交をやるのか』と都に2万件を超える意見が寄せられ、その大半が批判的となるなど、独自色がむしろ“裏目”に出る事態を招いた。
舛添知事が初めて編成を手がけた来年度の当初予算案についても、共産党が重視する非正規雇用の正社員転換や保育・介護分野の拡充に向けた予算付けがされたことから、共産は大型開発などを一部批判しつつも、『都民の要求を反映した施策の拡充が図られている』とするコメントを出した。『共産からこれほど前向きなコメントが出るのは異例だ』と、議会事務局のベテラン職員も驚くほどの内容という。」
右派メディアが右からの批判をおこなっている。最も気になるのは、知事の北京・ソウルへの訪問を、安倍政権の外交失策を補う自治体外交としての輝かしい成果と評価せず、「裏目に出た事態」としていることだ。「2万件を超える意見」の殆どは、嫌韓・嫌中を掲げる排外主義右派の組織的な運動によるものであったろうが、これを口実に自らの見解としては言いにくいことを記事にしているのだ。この点、リベラル側からの都知事応援のメッセージがもっとあってしかるべきだったと思う。わたしも都政に関心を持つ者の一人として反省しなければならない。
このところ、護憲勢力は、野中広務(国旗国歌法制定の立役者)、古賀誠(元・みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会会長、天皇の靖国参拝推進論者)、山崎拓(元自民党副総裁)、小林節(「憲法守って国亡ぶ」の著者)など保守派との共闘に熱心である。自民党改憲草案を明確に批判している舛添だって十分に改憲反対の共闘者として考慮の余地がありそうではないか。賛否いずれにせよ、誰か真剣に論じてみてはいかがか。
さて、私が最も関心を持つのは、東京都の教育行政である。とりわけ、都立校の教科書採択問題と「日の丸・君が代」強制について。明らかに、石原慎太郎という極右の政治家が知事になって東京都の教育を変えてしまった。舛添知事に交替して、正常な事態に戻る兆しがあるか。残念ながら、今のところ良くも悪くもこの点についての知事の積極的発言はなく、教育現場に目に見える変化はない。
2月24日都議会本会議の共産党代表質問で、松村友昭都議が「日の丸・君が代」強制問題を取り上げた。10・23通達に基づく教職員の大量処分についての最高裁判決が、「起立・斉唱を強制する職務命令が間接的にではあれ思想良心の制約となっていることを認め、減給と停職処分を取り消す判決を言い渡している。また、異例のこととして多くの裁判官の補足意見が都教委に対して、自由で闊達な教育現場を取り戻すよう要望を述べている」と指摘したうえ、「この最高裁判決と補足意見をどう受け止めるか」と舛添知事に見解をただした。
これに対して、知事は答弁しなかった。逃げたと言ってよい。比留間英人教育長が知事に代わって答弁し、「最高裁判決で職務命令は違憲とは言えないとされた。国旗・国歌の指導は教職員の責務だ」と強弁した。いかにも噛み合わない無理な答弁。都教委は少しも変わっていないことを印象づけた。松村都議はこの答弁に納得せず、再質問で再び知事の答弁を求めたが、またもや比留間教育長が同じ答弁を繰り返すだけで終わった。
傍聴者の報告によると、居眠りしていた保守派の都議が、教育長答弁の時だけ、にわかに活気づいて大きな拍手を送っていたという。この点について継続的に都政をウォッチしている元教員らの意見だと、舛添知事自身には「日の丸・君が代」強制の意図はなさそうだが、敢えて自民党都議団との衝突を覚悟しての「10・23通達」体制見直しの意図はなさそうだという。知事の最関心事はオリンピックの成功にあって、そのためには自民党都議団との摩擦を招く政策はとり得ないのだという解説。なるほど、そんなものか。
結局は都民の責任なのだ。石原に308万票を投じて驕らせたことが「10・23通達」を発出させた。今は、保守派の自民党都議に票を投じて、教育現場の自由闊達はなくてもよいとしているようだ。地道に世論を変えていく試みを継続する以外に、王道も抜け道もなさそうである。そうすれば、次の教育委員人事や教育長人事では、少しはマシな人物に交替できるかも知れない。あるいは、その次の次にでも‥。
石原教育行政が「10・23通達」を発したのは、初当選から4年半経ってのことだった。舛添都政における教育行政の変化ももう少し長い目で見るべきだろう。それを見極めて、私の舛添都政に対する最終評価をしたい。
(2015年3月9日)
思い切りよく2月のカレンダーを破り捨てて、冷たい雨の日ではあるが今日から3月である。本日は、「3・1ビキニデー」であり、韓国での「三一節」でもある。核廃絶に思いをいたし、我が国の植民地支配の歴史を痛恨の思いで省みるべき日。
私的なことだが、本日は当「憲法日記」700日連続更新という節目の日となった。多少の感慨を禁じ得ない。当「憲法日記」が日民協の軒先間借りから独立して、一人前のブログの体裁となり、新装開店第1号記事を発信したのが2013年4月1日。以来、途切れることなく毎日更新を続けて、本日(2015年3月1日)のブログで700回を重ねた。この期間が、第2次安倍政権暴走の時期とほぼ重なる。安倍内閣の終焉を見ることなく当ブログを擱筆することはできない。連続第700号を通過点として当ブログは今後も続くことになる。
日民協ホームページを間借りしていた当時には植民地支配を受けていた、などとは言わない。しかし、店子という立場は肩身が狭い。遠慮しながら配慮しながらの、当たり障りのないブログではわざわざ時間をかけて書く意味がない。ある人たちにとっては確実に不愉快な内容であっても、敢えて書くことに意味がある。むしろ、物議を醸すようなブログでなければ存在価値はない。「一国一城望むじゃないが、せめて持ちたや自前のブログ」である。このブログが私の表現の手段であり、私を、憲法(21条)が保障する表現の自由の主体としてくれている。
私のブログが、安倍政権、財界、企業、原発産業、右翼メディア、皇室、靖国、都教委、大阪府市、ネトウヨ…等々の耳に快いはずはない。いや、不愉快でなかろうはずはない。そのような仮借のない批判が必要だ。私は人権・平和・民主主義を大切にする革新の立場に立つ。しかし、同じ違法があった場合に、保守の行為だけを厳しく批判し、革新陣営の違法行為には目をつぶるというダブルスタンダードは取らない。そうでなくては、批判の切れ味を保っておくことができないからだ。
なお、600回のときに、次のように書いた。
「ときに『もの言えばくちびる寒し』と思わぬこともないではない。しかし、常に感じるのは、『もの言わぬは腹ふくるるわざ』の方である」
「当ブログの論評に対する宇都宮陣営(及びその付和雷同者)からの舌足らずな批判や、DHCとこれに類する輩からの過剰な反応も、それなりの彩りである。思いがけなくも、批判よりは、激励や連帯のエールを得ている。ありがたいことだ。そのような反応に接して、いささかの充実感を得ている」
この気持はまったく変わらない。実は「彩り」は、このほかにもいくつかあるが、「彩り」も、にぎわいのうちだ。
さて、700回の積み重ねを省みなければならない。権力や権威を批判する姿勢については変えようもないが、読者への配慮は大いに必要だと思う。以前から言われているとおり、「文章が長過ぎる」「1ブログ1テーマに押さえよ」「冗長で分かりにくい」「写真も絵もなく、親しみにくい」…。これをほんの少しは改めたいと思う。読んでいただだかねば書く意味がない。少しは短めに、もう少しは読みやすく分かり易い、こなれた文章を心掛けよう。あれっ…600回のときも同じことを書いたっけ?
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ところで、本日の「しんぶん赤旗」主張(社説)が、「『君が代』の強制ーいったい誰のための式なのか」を掲載している。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2015-03-01/2015030102_01_1.html
3月の初め、卒業式シーズンの幕開けに際しての「主張」掲載。赤旗らしく、品のよい主張となっている。「いったい誰のための卒業式なのか」という切り口も、本質を衝くものとしてなかなかのもの。
政党とは政権を目指すもの。一歩一歩有権者の支持を固めていかねばならない。そのためには選挙に勝たねばならない。有権者の耳にはいることを言わねばならない。有権者の気分を見据えて、反感を持たれるような主張は避けねばならないこともある。民主主義とはそんなリアリスティックな側面をもっている。
だから、共産党の機関誌である赤旗は、天皇制批判や、ナショナリズム、国旗国歌問題への言及に慎重であるように見受けられる。
もちろん、この問題を赤旗の主張が取り上げたのは初めてではない。調べた限りでは以下のとおり春の主張の定番となっていたが、ここ3年は途絶えていた。
2007年3月6日「日の丸・君が代」/強制は教育の営みを台無しに
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-03-06/2007030602_01_0.html
2008年3月3日「強制おかしい」が国民の合意
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-03-03/2008030302_01_0.html
2009年3月31日「日の丸・君が代」処分/教育は命令では達成できない
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-03-31/2009033102_01_0.html
2010年3月7日「日の丸・君が代」/鳩山政権は強制方針を見直せ
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2010-03-07/2010030702_01_1.html
2011年2月2日「日の丸・君が代」判決/強制を続けていいはずがない
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2011-02-02/2011020201_05_1.html
4年ぶりの社説での言及はありがたい。「多様な思想良心の自由」と「教育の自由」を根拠に、「異常な強制」を批判して、「強制はただちにやめるべきです」ときっぱりしている。全文を紹介しておきたい。
「卒業式のシーズンがきました。子どもたちが自らの成長を確かめ合い、新しい旅立ちへと決意を新たにするときです。その門出をみんなで祝う式にしたいものです。
■子どもの思いを台無しに
「日の丸・君が代」への起立・斉唱の異常な強制によって、子どもたちの思いが押しつぶされ、教職員が監視され萎縮するような事態が、各地で起きています。
卒業生と在校生、保護者、教職員が向き合い、壇上には卒業生の作品が飾られる。そんな卒業式が、東京都では教育委員会の2003年の通達で認められなくなりました。壇上には「日の丸」を掲げ、全員がそちらを向かなければならないというのです。
異常な強制は他の地方にも広がりました。大阪府では府教委が13年に、校長らが卒業生をそっちのけにして、教職員が「君が代」を歌っているか口元を確認するよう通知しています。北海道では道教委が、「君が代」を「他の歌と同様」の大声で歌うよう子どもたちに指導しろと校長らに命じています。いったい何のため、誰のための式なのでしょうか。
「日の丸・君が代」については多様な意見がありますが、それらが侵略戦争に突き進んだ日本のシンボルであったことは歴史的事実です。起立したくない、歌いたくないという教職員や子どもは当然います。宗教上の理由で「君が代」は歌えないという人、日本の侵略を受けたアジア諸国出身の人もいます。
政府は1999年の国旗・国歌法制定時に「強制はしない」としていました。「日の丸・君が代」の歴史やそれに対するさまざまな思いを考えると重要なことです。だから03年以前は、式の前に「君が代」斉唱について、「内心の自由がある」ので強制ではないことを子どもや保護者に説明する学校がありました。ところが都教委はこれも禁止してしまいました。
「君が代」斉唱のさいに起立せず処分された東京都の教職員が起こした裁判では、12年1月の最高裁判決以来、減給・停職の処分は重すぎるとして、取り消す判断が続いています。これらの判決は、強制を「合憲」とし、戒告処分を容認しているという問題はありますが、起立しなかったのはそれぞれの「歴史観・世界観」によるものだということを認め、自らの信念に従って誠実に行動する教職員を重い処分で追い詰めるやり方に、一定の歯止めをかけています。
ところが都教委は、裁判で減給などの処分を取り消された教職員に対して、改めて戒告処分を出して、執拗に強制を続ける姿勢をとり続けています。その執念深さは尋常ではありません。都教委は一連の裁判の結果を真摯に受け止めるべきです。
■教育に自由な雰囲気を
教育は人間的ふれあいを通じて営まれるべきもので、自由な雰囲気が欠かせません。そのかけがえのない自由を奪うことは許されません。卒業式や入学式は、それぞれの学校で子ども・保護者・教職員が話し合って、子どもたちの新たな出発にふさわしいものにすることが本来のあり方です。
憲法や子どもの権利条約が保障する思想・良心の自由、表現の自由、信教の自由を侵し、子どもたちのための式を台無しにする強制は、直ちにやめるべきです。」
なお、2011年2月2日付主張「強制を続けていいはずがない」の中に、「個性豊かな教育のために」と小見出しを付した次の一節がある。
「『日の丸・君が代』の強制は、今では生徒にも及びはじめています。挙手採決さえ禁じられた都立学校の職員会議では自由な雰囲気が影をひそめ、形式主義や事なかれがはびころうとしています。都立校は個性豊かな卒業生を世に送りだしてきました。そのひとりである歌手の忌野清志郎さんは、遅刻の多い自分を困った顔をしながら叱ってくれた先生らしくない恩師を、名曲『ぼくの好きな先生』で歌いました。強制の果てには『ぼくの好きな先生』の居場所がありません。その道を続けていいのか、考える時です」
確かに、『ぼくの好きな先生』の居場所はもうなかろう。なるほど、このような「主張」の書き方であれば、「日の丸・君が代」を語って多くの有権者からの共感と支持とを獲得することができるに違いない。見習いたいと思う。
(2015年3月1日)
弁護団の澤藤です。お集まりの皆さまに、弁護団を代表して冒頭のご挨拶を申しあげます。
石原慎太郎第2期都政下で、「10・23通達」が発出されたのが2003年。希望の春が憂鬱な春に変わった最初の卒業式が2004年春でした。それから年を重ねて今年は12回目の重苦しい春を迎えることになります。この間、闘い続けて来られた皆さまに心からの敬意を表明いたします。
この間、法廷の闘いでは予防訴訟があり、再発防止研修執行停止申立があり、人事委員会審理を経て4次にわたる取消訴訟があり、再雇用拒否を違法とする一連の訴訟がありました。難波判決や大橋判決があり、いくつかの最高裁判決が積み重ねられて、今日に至っています。
法廷闘争は一定の成果をあげてきました。都教委が設計した累積過重の思想転向強要システムは不発に終わり、原則として戒告を超える懲戒処分はできなくなっています。しかし、法廷闘争の成果は一定のもの以上ではありません。起立・斉唱・伴奏命令自体が違憲であるとの私たちの主張は判決に結実してはいません。戒告に限れば、懲戒処分は判決で認められてしまっています。
また、何度かの都知事選で、知事を変え都政を変えることが教育行政も変えることになるという意気込みで選挙戦に取り組みましたが、この試みも高いハードルを実感するばかりで実現にはいたっていません。
しかし、闘いは終わりません。都教委の違憲違法、教育への不当な支配が続く限り、現場での闘いは続き、現場での闘いが続く限り法廷闘争も終わることはありません。今、判決はやや膠着した状況にありますが、弁護団はこれを打破するための飽くなき試みを続けているところです。
法廷で目ざすところは、これまでの最高裁の思想良心の自由保障に関する判断枠組みを転換して、憲法学界が積み上げてきた厳格な違憲審査基準を適用して、明確な違憲判断を勝ち取ることです。まだ、1件も大法廷判決はないのですから、事件を大法廷で審査して、あらたな判例を作ることはけっして不可能ではありません。
また、憲法19条違反だけでなく、子どもの教育を受ける権利を規定した26条や教員の教授の自由を掲げた23条を根拠にした違憲・違法の判決も目ざしています。国民に対する国旗国歌への敬意表明強制はそもそも立憲主義に違反しているという主張についても裁判所の理解を得たい、そう考えています。
現在の最高裁判決の水準は、意に沿わない外的行為の強制が内心の思想・良心を傷つけることを認め、起立斉唱の強制は思想良心の間接的な制約にはなることを認めています。最高裁は、「間接的な制約に過ぎないのだから、厳格な違憲判断の必要はない」というのですが、「間接的にもせよ思想良心の制約に当たるのだから、軽々に合憲と認めてはならない」と言ってもよいのです。卒業式や入学式に「日の丸・君が代」を持ち出す合理性や必要性の不存在をもう一度丁寧に証明したいと思います。
また、違憲とは言わないまでも、大橋判決のように、「真摯な動機からの不起立・不斉唱・不伴奏に対する懲戒処分は、戒告といえども懲戒権の逸脱・濫用に当たり違法」とする手法も考えられます。弁護団は、裁判所に憲法の理念にしたがった判決を出すよう、説得を続けたいと覚悟を決めています。
ところで、この10年余の闘いを続けて思うことは多々あります。最も、印象に強くあることは、闘うことの積極的な意義です。私たちは、先人が作ってくれた近代憲法のシステムの中で権利を享受しているだけではなく、具体的な権利の拡大の運動をしているのです。
歴史的に、思想・良心の自由も、信仰の自由も、表現の自由も、始めからあったわけではありません。文字どおり、血のにじむ闘いがあって、勝ち取られた歴史があるのです。私たちは、今まさしくそのような歴史に参加しているのです。また、憲法に書かれている条文が、現実の社会生活での具体的な権利として生きるためには、それぞれの現場での闘いが必要なのです。
私たちは、国家と対決し、国家に絡め取られることのない思想・良心の自由を勝ち取るべく闘っています。これは国民主権原理を支える重大な闘いだと思います。それだけではなく、次の世代の主権者を育てるに相応しい教育を守り、作り上げる闘いもしているのだと思います。教育を、国家の僕にしてはなりません。国旗と国歌を中心に据えた卒業式とは、生徒一人ひとりではなく国家こそが教育の主人公であることを象徴するものと言わざるを得ません。
闘うことを恐れ、安穏を求めて、長いものに巻かれるままに声をひそめれば、権力が思うような教育を許してしまうことになってしまいます。苦しくとも、不当と闘うことが、誠実に生きようとする者の努めであり、教育に関わる立場にある人の矜持でもあろうと思います。
私たち弁護団も、法律家として同様の気持で、皆さまと意義のある闘いをご一緒いたします。今年の卒業式・入学式にも、できるだけの法的なご支援をする弁護団の意思を表明してご挨拶といたします。
(2015年2月14日)
私は、「東京君が代訴訟」弁護団の弁護士として、文科省でこの問題を担当しておられる11人の皆様に一言申しあげたい。
先ほどから、国旗の掲揚や国歌の斉唱の指導は、「児童生徒の内心にまで立ち入って強制しようとする趣旨のものではない」という、あなた方の説明の文言をめぐっての応酬が膠着状態に陥っている。教育現場にいる人たちから見れば、「実際のところ内心にまで立ち入って強制しているではないか」「言っていることとやっていることがまったく違う」と言いたいのだ。私もそのとおりだと思う。
これから私が申しあげることは少し違う角度からのものだ。あなた方は、「国旗の掲揚や国歌の斉唱の指導は、児童生徒の内心にまで立ち入って強制しようとする趣旨のものではなく、あくまで教育指導上の課題だ」という。しかし、それはあなた方の独善的な立場においての主観的な言い分に過ぎない。問題は、あなた方がどのような意図や趣旨で指導をおこなっているかではない。国旗や国歌を強制される児童・生徒およびその保護者の側がどのようにとらえるかなのだ。精神的自由にかかわる人権侵害という微妙な問題の有無を考えるにあたって、学校や教委、国は加害者としての当事者だ。生徒が、被害者としてもう一方の当事者となっている。加害者側の意図や趣旨がどうであるかは、実はさしたる問題ではない。あくまで思想・良心・信仰を傷つけられたとする被害者の側に立って問題を考えなければならない。これは、いじめの問題と同じ構造だ。いじめの有無は何よりもまず、いじめられたとする被害者の声に真摯に耳を傾けなければならない。今、あなた方はいじめの加害者側なのだ。自分の意図や趣旨だけを語って済む問題ではない。
よく知られているとおり、神戸高専剣道授業拒否事件においては、最高裁はこのことを明らかにした。確かに、剣道の授業を受けさせようという学校側に、一般論として生徒の思想・良心・信仰を抑圧する意図や趣旨があったとは考えられるところではない。しかし、ある信仰を持つ生徒の側に立てば、問題はまったく違って見える。信仰に反する行為の強制として到底受け入れがたいのだ。学校側の意図や趣旨がどのようなものであろうとも、強制される生徒側の思想・良心・信仰が傷つけられることは珍しくなくあるのだ。
この事件で最高裁は、剣道の授業を強制した学校の行為を、生徒の信仰と相容れない行為を強制したものとして違法だと認めた。「日の丸・君が代」の強制もまったく同じ構造で問題を考えることができる。しかも、最高裁は、「日の丸・君が代」の強制が間接的にもせよ強制される者の思想・良心を侵害するものであることまでは認めたのだ。もっとも、最高裁は司法消極主義の立場から、違憲の判断にまでは踏み込まなかった。懲戒が実害のない戒告を超えて減給以上の現実的な不利益を伴う処分となれば過酷に失するとして違法、取り消すというにとどまっている。これは、ひとえに行政権に対する司法の遠慮でしかない。
文科省が、「児童生徒の内心にまで立ち入って強制しようとする趣旨のものではない」と言っても、児童生徒の側から見れば、内心にまで立ち入っての強制として、思想・良心・信仰を侵害されることは大いにあり得ることなのだ。被害者がいじめを訴え、加害者が「これはいじめではない。愛のムチによる指導だ」と開き直っているのと変りがない。あなた方の説明は、児童・生徒の立場に立ってものを見る姿勢が見られない。おそよ配慮に欠けているとの批判を免れない。
あなた方が、本当に「内心にまで立ち入って強制しようとする趣旨のものではない」というのなら、そしてそのことを信用して欲しいというのなら、児童生徒やその保護者に対して、「日の丸・君が代」に対する起立・斉唱はけっして強制ではないことを周知徹底すべきではないか。これが最低限必要な配慮だ。
憲法における至高の価値は、一人ひとりの個人の尊厳なのだということを児童生徒にも保護者にも周知しなければならない。個人が不本意にも国旗国歌への敬意表明を強制される事態があってはならないと国も真剣に考えていることを明らかにしなければならない。個人の尊厳の方が、国旗国歌が象徴する国よりも、あるいは社会よりも大切なのだということを教え、実践しなければならない。私たちの社会は、一人ひとりの思想・良心・信仰の自由を保障している。しかも、国家による強制からの自由を保障しているのだ。だから、けっして国家への忠誠や敬意表明が強制されてはならない。国家を象徴する国旗や国歌への敬意表明が強制されることはあり得ない、と徹底して教えなくてはならない。国旗国歌を儀式に持ち込むとしても、「強制をしようとする趣旨でない」というからには、誤解を招かぬよう、そこまで周知徹底しなければ論理は貫徹しない。
自由主義社会とは、全体主義や国家主義、軍国主義とは違うのだ。戦前の天皇制日本やナチスドイツなどのように、国旗国歌に対する敬礼によって国家への忠誠や団結を誓うような国にしてはならない。
是非とも、個人の尊厳や自由の尊さを教育の根幹に据えていただきたい。そのためにはまず、国旗国歌強制は国の立場ではないことを明確にすることだ。一部の自治体が行っている強制は、本来あってはならない違憲違法なことと明らかにしていただきたい。
本日(1月29日)午後参議院議員会館で行われた、「『日の丸・君が代』強制に反対し、国連勧告実現を求める院内集会」での、文科省の出席者11人に対しての私の発言。もっとも、私の発言予定はなく、とっさのことだったので、こんなに整理された内容ではなかったが、趣旨は変わらない。
(2015年1月29日)
本日は赤旗記事の紹介。同紙には、他紙にないニュースも解説も調査記事もあることを認めざるを得ない。そのような記事の二つを転載する。
まずは、本日(1月20日)の赤旗6面「おはよう ニュース問答」欄に「東京『君が代』3次訴訟で一部勝訴したね」という記事がある。子(のぼる)が発問し、父(晴男)が答える問答形式での解説。実に要領よく、事件と判決内容の解説がされている。私が書くと、どうしても事情をよく知らない読者にはわかりにくい文章になってしまう。この赤旗解説記事は、読者にわかってもらおうとの配慮が行き届いている。執筆記者に敬意を表したい。なお、文中にある二つの小見出し「賠償請求は棄却」「都教委は謝罪」は省略した。
「のぼる 東京地裁が、東京「君が代」3次訴訟で、都立学校の教職員26人、31件の停職・減給処分を取り消したっていうけど、お父さん、どういう裁判なの?
晴男 卒業式や入学式などで「君が代」斉唱時に起立せず、各校長の職務命令に従わなかったとして、東京都教育委員会から戒告や減給、停職処分をうけた都立学校の教職員50人が処分取り消しと精神的苦痛に対する損害賠償を求めた裁判だよ。
のぼる 「一部勝訴」ってあるけど、どういうことかな?
晴男 戒告処分25件については取り消しを認めず、原告らの精神的苦痛には一切触れることなく、都教委に国家賠償法上の過失はないとして賠償請求も棄却したんだ。
のぼる 処分取り消しを求める裁判は、いつから始まっているの?
晴男 2004年に懲戒処分を受けた173人が、処分取り消しを求めて2007年2月に提訴したのが始まりだよ。
のぼる 職務命令や懲戒処分が「思想及び良心の自由」「信教の自由」など憲法に違反するか、懲戒処分が都教委の裁量権逸脱らん用になるかが争点となったわけだね。
晴男 都教委が2003年秋、「教職員は指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱」「式典会場は、児童・生徒が正面を向いて着席するように設営」など細部まで規定した実施指針通りの式を強制し、従わない教職員を処分するという通達をだした。「10・23通達」といわれている。その違憲性も争点になった。
のぼる 判決では、違憲の主張は認めなかったけど、『減給以上の処分では、事案の性質等を踏まえた慎重な考慮が必要』とし、減給・停職は違法としているね。
晴男 3年前の東京「君が代」裁判1次訴訟の最高裁判決の内容を維持したもので、3次訴訟原告団・弁護団は「『国旗・国歌強制システム』を断罪し、都教委の暴走に歯止めをかける判断として評価」としているね。
のぼる 違法な懲戒処分をした都教委は謝罪し、反省すべきだね。子どもたちのために自由かったつで自主的な教育を取り戻すたたかいに注目していきたいな。」
もう一つの記事は、4面の「橋下市長は憲法違反 『思想調査』裁判結審 原告が陳述 大阪地裁」という記事。
大阪版では扱いが大きいのかも知れないが東京版では小さい。この訴訟、その後どうなったかと気になっていたが、昨日(1月19日)結審し、3月30日が判決言い渡しだという。他紙の報道にない、私には貴重な情報。
「橋下徹大阪市長による市職員への憲法違反の「思想調査アンケート」(市職員への労使関係アンケート調査)で「精神的苦痛をうけた」として、職員59人が市に損害賠償を求めた裁判が19日、大阪地裁で結審しました。判決は3月30日。
同アンケートは2012年2月、橋下市長の業務命令として全職員に実施。労働組合への参加や、街頭演説を含む特定の政治家を応援する活動への参加、それらを誘った人の名前まで回答を求めるものです。
結審では原告団長の永谷孝代さんが最終陳述し、多くの原告が、回答しなければ懲戒免職を含む重大な処分もあり得ると思い、その上で、憲法を守るべき自治体労働者が憲法違反でも回答すべきかと葛藤し、悩み苦しんだと強調。アンケート実施後、多くの職員が心を閉ざし物が言えない職場になったとし、「業務命令と処分で職員を牛耳り、民主主義や働きがいを奪っていったアンケートが憲法違反であることを公正に認めていただきたい」と訴えました。
同アンケートをめぐっては昨年6月、中央労働委員会が不当労働行為と認定する命令を出しました。橋下市長が同7月、中労委命令の取り消しを求める提訴議案を市議会に提出しましたが、野党4会派などが否決。中労委命令が確定しています。」
東京における教育現場での「10・23通達」との闘いと、大阪市の「思想調査アンケート」との闘いが同根・同質のものであることがよくわかる。いずれも、民主主義の原理をわきまえない横暴なトンデモ首長が問題を引き起こした。
いつの世にも、果敢に闘わずして民主主義の確立も人権の擁護もあり得ないのだ。
(2015年1月20日)
いかなるもの、いかなることについても、好悪や意味づけは人それぞれに自由である。貴重なものとして価値を認めるか否か、神聖なものとして尊ぶか否か、敬意を表すべきものとして畏れいるか否か、その判断や選択は完全に個人の自由の問題であって、これを何人からも強制される筋合いはない。スカル・アンド・クロスボーンズの海賊旗が好きでも嫌いでもよい。ワグナーがお気に入りでもよし、あれだけは勘弁してくれと言ってもよい。まったく同様に、日の丸のデザインも、君が代の歌詞やメロディも、大好きであってもかまわないし、虫酸が走るくらいに大嫌いであってもけっこうなのだ。
ところが、自分の好悪や価値観を他人に押しつけようというお節介な圧力が、やっかいな問題を引き起こす。「日の丸・君が代は、すべての日本国民が敬愛すべきもの」とするお節介族こそが問題の元凶なのだ。
このお節介族は、二種類に分かれる。確信犯派と付和雷同派とである。
この社会において、国家的秩序の構築に利益を見だしている体制派にとっては、「日の丸・君が代」は国民統合の機能をもつ重要なシンボルである。天皇や元号とセットになって、国家や国民の一体感を形成し、アイデンティティー形成のための重要な小道具としての役割が期待されている。その考えからは、すべての国民に「日の丸・君が代」を尊重すべきものと刷り込んでおかなくてはならないことになる。自民党改憲草案などには、その方向が色濃く出ている。
もう一つは、付和雷同派である。この人たちにさしたる「考え」があるわけではない。しかし、「感性」のレベルでのナショナリズムを前提とした国旗国歌への愛着があり、マナーとしての「日の丸・君が代」尊重姿勢をもっている。この人たちには、「良識ある国民は『国旗国歌=日の丸・君が代』に敬意を表すべきだ」という観念が刷り込まれている。これがやっかいなのだ。
確信犯派は一握りに過ぎない。それが、付和雷同派をリードしている。その結果、この世の多数派には、「日の丸・君が代」は日本という国のシンボルとして敬意を表されてしかるべきだ、という抜きがたい先入観念がある。マインドコントロール後遺症である。これが社会的同調圧力を形成している。
この多数派の社会的同調圧力が基礎にあって、これに乗っかるかたちで国旗国歌法というものが成立した。1999年小渕内閣が野中官房長官主導で国旗国歌法案を国会提案したとき、私は共産党が組織を上げて徹底抗戦するかと思ったが、それはなかった。社共が反対し、民主党が完全に半々に割れて半分は反対したが、粛々と審議は進行し法案は成立した。「一般国民に国旗国歌が強制されることはない」と、審議の過程では首相も文相も繰り返したが、教育現場に「日の丸・君が代」が浸透してくるだろうとは誰もが予想し、予想は当たった。
かくして、社会的同調圧力は法律上の根拠を得て、行政通達や職務命令と懲戒処分を通じて教員への権力的強制の手段を獲得した。公教育を通じて、全国民への「日の丸・君が代敬愛刷り込み」の道が拓かれたことになる。国民の自由の幅が切り縮められたのだ。
その先頭に立ったのが、右翼石原慎太郎都政下の東京都教委であった。10・23通達と附属の「卒業式等の実施指針」を出した。これにもとづく起立・斉唱・ピアノ伴奏の職務命令と、その違反を根拠とする懲戒処分の濫発とで、公立校の教員に対する「国旗国歌への敬意表明の強制」が実行されて10年となった。
「日の丸・君が代」への好悪と、「日の丸・君が代」強制の是非に関する見解とは、まったく別の問題である。「日の丸・君が代」好悪の感情分布如何はさしたる大事ではない。教育の場に「日の丸・君が代」の強制は相応しくないという意見が圧倒的多数であったことが重要である。東京の教員の総意が10・23通達には反対だったと言って間違いではない。
当時東京新聞が都民にアンケート調査をしている。学校での「日の丸・君が代」強制には反対という意見は実に都民の7割に近い数字だった。しかし、石原都政とその提灯持ちとなった都教委のメンバーは、異様な情熱を傾けて、「日の丸・君が代」強制を実行し徹底した。
それでも、「自分が自分であるためには、日の丸・君が代の強制にはどうしても服することができない」という人たちがいる。また、「自分が選択した教師という職責を真摯に果たすためには、どうしても日の丸・君が代強制に屈することはできない」とする人々もいる。
不服従を貫いて懲戒処分を受けた教員は、これまで延べ463名に上っている。実は、不服従を貫いた人はこれよりも遙かに多い。また、このような学校の状況に絶望して職を辞した人も少なくない。この人たちは、真面目に思想や良心、あるいは信仰ということを考えた人、教育者としての使命を真摯に考え抜いた人々である。教育委員会だけを見ると日本の教育には絶望せざるを得ない。しかし、処分された教員を見ていると、日本の教育にも希望が見えてくる。
「日の丸・君が代」強制拒否の理由は実に多岐に及ぶ。本来は類型化に馴染まないのであろうが、敢えて典型的なものを挙げれば次のようなものと言えようか。
まずは、日の丸・君が代ではなく、国家のシンボルとしての国旗国歌に着目して、国家シンボルへの敬意の表明の強制があってはならない、との見解は多くの人に見られる。国旗が日の丸ではなく、国歌が君が代でなくなっても、起立も斉唱も強制されてはならないとの考えである。国家が個人を凌駕する地位をもってはならないとする、個人主義思想の表れである。
そして、「日の丸・君が代」の歴史性を問題にする人はもっと多い。「日の丸・君が代」は、まぎれもなく旧天皇制日本のシンボルとして、旧体制の理念と余りに深く結びついた。天皇主権、国民の軽視、軍国主義、排外主義、侵略主義、非知性、差別と監視の社会、思想弾圧、宗教弾圧。「日の丸・君が代」は、まぎれもなく「日本国憲法へのアンチテーゼ」と余りに緊密に結びついている。
日本の現代史は、敗戦と日本国憲法の制定によって断絶し、新たな原理の社会が再生したはずなのだ。ところが、この社会は旧悪を引きずっている。天皇制の残滓や元号の使用、そして「日の丸・君が代」である。自民党改憲草案のごとき先祖返りがたくらまれたり、政権にある人物が「戦後レジームを払拭して」「日本を取り戻す」などと叫んでいる現実がある。国も社会も本当には、生まれ変わってはいないのではないか。多くの日本人が自分の意識のなかで旧天皇制社会の名残としての「日の丸・君が代」を払拭し清算し切れていないのだ。主権を天皇から奪い取ったはずの国民が、抵抗感なく「天皇の御代の栄えいつまでも」と口を揃えて唱って怪しまれない、生ぬるい空気に満たされた社会なのだ。
戦前の日本は奇妙な宗教国家であった。明治維新を推進した政治家のプランニングによって、意識的に天皇の宗教的権威が再構成され誇張された。この天皇教は全国津々浦々の小学校を布教所として臣民をマインドコントロールし、恐るべき軍国主義的宗教国家を誕生させた。「日の丸・君が代」は、その宗教国家の生成過程で作られた宗教的シンボルでもある。日の丸とは、天皇の祖先神である日の神・アマテラスの象形、君が代とは、現人神である天皇の御代の永続を寿ぐ頌歌である。信仰を持つ者の視点からは、自らの信仰と相容れない強い宗教的シンボルである。無神論者からも到底受け入れられる余地はない。
問題は、以上のごとき思想・良心・信仰上の理由が、公務員である教員に対する「日の丸・君が代」への起立斉唱命令を拒否する理由となりうるかである。
この理は3局面において考えられる。
公権力行使の矢印を頭に浮かべていただきたい。その根元が教育委員会から発して、その先端が教員に到達する矢印を。この矢印は、職務命令と懲戒処分のセットで出来ている。もっとも、職務命令は形式的には校長が発するものだが、実質的には教委が通達に基づいて校長に強制している。この「日の丸君が代の起立・斉唱・伴奏強制」を矢印でイメージしていただけたら、その矢印の先端が鋭く教員の思想・良心に突き刺さっていることがおわかりいただけるだろう。
第一の局面はその「矢印の先」、人権が具体的に侵害されている局面である。誰もが想定する局面で、誰にも分かり易い。「日の丸・君が代」強制拒否訴訟では、最初から現在に至るまで、主要な論争局面である。
教委と教員とは、上級と下級の公務員関係にある。一般論としては、上級が下級に職務命令を発し、それに従わなければ懲戒処分を発することが可能である。それなくして、効率的な公務員秩序の形成と運用はあり得ない。しかし、矢印の先にある公務員とは実は生身の人間である。公務員という属性をもった人権主体なのであって、公務員という属性に向けられた公権力の行使が、不可避的に人権を侵害する場合には、公権力の行使が違法となり得る。具体的には公務員としての属性に対する「日の丸・君が代」強制が、人権主体である当該公務員の思想・良心・信仰の自由を侵害することになる。このような場合には、人権侵害から当該公務員を防御するために当該の公権力の行使の効果は抑制されなればならない。あるいは、公務員として上級の指示に従う義務が免除されなければならない。
これがこの局面での私たちの主張の概要だが、最高裁は結論としてこれをどうしても認めない。「日の丸・君が代」強制の公権力行使は、当該教員の思想良心の自由に対する「間接的な制約にはなる」ことまでは認めた。しかし「間接的な制約にしか過ぎない」から、厳格な違憲審査基準の適用は必要がない。「公権力の行使に一応の合理性・必要性があれば強制を認めてよい」と大きくハードルを下げて、違憲・違法の主張を斥けている。もちろん、反論が積みかさねられ、論争は継続している。
第二の局面は「矢印の根元」、そもそもそのような公権力を発することができるのだろうか、という問題設定である。
第一の局面では、個別的なそれぞれの公務員の具体的な思想・良心・信仰の内容が問題となり、これと抵触する限りにおいて公権力が制約されることになるが、第二の局面では、公権力の行使それ自体が無効にならないかという問題設定なのだから、誰に対する関係でも、その公務員の思想や良心の如何にかかわらず、違法あるいは無効となる。
第二の局面における「公権力の発動そのものが違憲・違法」だという根拠は、まさしく国旗国歌という国家シンボルを、国民の上に置くところにある。本来、国民の意思によって、便宜こしらえられている立場にあるに過ぎない国家が、国民に対して「我に敬意を表明せよ」と強制することを認めるのは、立憲主義の大原則からは倒錯であり背理であるということなのだ。
また、第二の局面の重要な柱として、教育行政は教育の内容に原則として介入してはならないとする近代憲法の大原則に依拠した主張が積み重ねられてもいる。
しかし、これに対して、まだ最高裁はなんとも答がない。
そして、今、第三の局面の議論を始めている。矢印の先にある人権侵害を問題とするのではなく、また、矢印の根元で発令を認めないとするものでもない。謂わば矢印の全体を考察の対象とし、総合的な全体像を考慮することによる違憲の根拠を構成しようという発想。
たとえば、「教員の職責」論を取り入れようという提案が検討されている。教員の職責は、主観的に決まるものではない。子どもの教育を受ける権利に奉仕するための職責として客観的に内容が決まるものであろう。その職責の中には、無批判に「日の丸・君が代」への敬意表明を肯定することに疑問を呈するべきことも含まれているはずではないか。
関連して、専門職としての教員の矜持の侵害という側面の強調すべきではないかという研究者の提言もある。
またたとえば、思想統制あるいは管理体制強化という「教育委員会の真の目的」をあぶり出す議論なども憲法論に取り込むべきではないか。
最高裁は、「判例変更」には抵抗感が強い。しかし、局面を変え、視点を変え、まだ判断していないことについての新たな問題提起としてであれば、最高裁も耳を傾けやすいのではないか。あらゆる方法を考えてみたい。
(2015年1月17日)
本日(1月16日)は、東京「君が代」裁判・3次訴訟(東京地裁民事11部)の判決期日。原告50名が、56件の懲戒処分(戒告25件、減給29件、停職2件)の取り消しと、慰謝料の支払いを求めた訴訟。
いつものことながら、判決言い渡しの前は緊張する。広い103号法廷が水を打ったように静かになって、裁判長の主文朗読に耳を傾ける。
「原告らの請求をいずれも棄却する」なら全面敗訴だが、そうではない。朗読は、「東京都教育委員会が別紙『懲戒処分等一覧表』の…」と始まった。少なくとも全面敗訴ではない。処分が取消される原告の氏名が次々と読み上げられる。指折り人数を数えるが、26人の名前で止まった。そして「…の各原告に対してした各懲戒処分をいずれも取り消す」という。結局、50人の原告のうちの26人について31件の減給・停職処分が判決で取消された。
しかし、ここまで。その余の戒告処分者の取り消しはなかった。減給・停職の処分を取り消された原告についても、国家賠償としての慰謝料請求は棄却された。これまでの最高裁判例の枠内での判決。ということは、憲法論については進展がないということだ。
法廷の緊張は解けた。裁判官3名はそそくさと退廷する。満員の傍聴席から、ため息やらつぶやきやらが聞こえてくる。「最高裁判決へのヒラメか」「裁判官はどこを見てるんだ」「裁判所がしっかりしないから、都教委がつけあがる」…。
とは言え、獲得したものもけっして小さくはない。前進の期待があっただけに落胆が前面に出た本日の判決だが、都教委は処分を違法として取り消されたことの重大性を知るべきである。しかも、26人についての31件の処分取り消しである。
行政が、司法から「違法に人権を侵害した」と糾弾を受けているのだ。まずは真摯に謝罪しなければならない。そして、責任をあきらかにせよ、さらにしっかりと再発防止策を策定せよ。その第一歩が、控訴の放棄でなくてはならない。
やがて判決正本と謄本が届いて、弁護団が分担して解読を始める。「素晴らしい判決だ…」「ここが使える…」などという声は出て来ない。弁護団見解まとめ役の植竹和弘弁護士は、「最高裁判決の枠組みから一歩の前進もない判決」「控訴理由書が書きやすい判決」との総括的評価。
で、原告団・弁護団連名の声明は、次のようなものとなった。やや悲観的、否定的なトーンが見て取れるだろう。
「都教委は、2003年10月23日通達及びこれに基づく職務命令により、卒業式等における国旗掲揚・国歌起立斉唱を教職員に義務付け、命令に従えない教職員に対し、1回目は戒告、2、3回目は原則減給、4回目以降は原則停職と、回を重ねるごとに累積加重する懲戒処分を繰り返し、さらに「思想・良心・信仰」が不起立・不斉唱の動機であることを表明している者に対しても反省を迫り実質的に思想転向を迫る「服務事故再発防止研修」を強要するなどの「国旗・国歌の起立斉唱の強制」システムを実施してきた。
2012年1月16日、最高裁判所第一小法廷は、これらの処分のうち、「戒告」にとどまる限りは懲戒権の逸脱・濫用とはいえないものの、「戒告を超えてより重い減給以上の処分を選択することについては,本件事案の性質等を踏まえた慎重な考慮が必要となる」とし、原則として社会通念上著しく妥当を欠き、懲戒権の範囲を逸脱・濫用しており違法であるとした。本判決は、この最高裁判決の内容を維持したものである。本判決が、原告ら教職員の受けた減給以上の懲戒処分を違法としたことは最高裁に引き続き、「国旗・国歌強制システム」を断罪したものであって、都教委の暴走に歯止めをかける判断として評価される。
しかしながら、2006年度の規則改訂により、2007年度以降に戒告処分を受けた本訴原告らは、2006年以前に減給処分を受けた場合以上の金銭的な損害を受けているのであり、その実質的な検討をしないまま、形式的に2012年最高裁判決に従った判断を下したことは真に遺憾である。
更に、本判決は、10・23通達・職務命令・懲戒処分が、憲法19条、20条、13条、23条、26条に各違反し、教育基本法16条(不当な支配の禁止)にも該当して違憲違法であるという原告ら教職員の主張については、従前の判決を踏襲してこれを認めなかった。また、原告らの予備的主張(国家シンボルの強制自体の違憲性)には何ら言及しないまま合憲と結論づけている。さらに、原告らの精神的苦痛には一切触れることなく、都教委に国賠法上の過失はないとして、国家賠償請求も棄却した。これらの点は事案の本質を見誤るものであり、きわめて遺憾というほかはない。」
少し、噛み砕いて説明しておきたい。
10・23通達とこれにもとづく職務命令・懲戒処分によって、教職員に、国旗・国歌への起立・斉唱およびピアノ伴奏を強制することについては、これまで、「予防訴訟」、「君が代」裁判、同2次訴訟という大型集団訴訟において争われ、最高裁は一応の判断を示している。「懲戒処分の違憲性は否定しつつも、戒告を超えてより重い減給以上の処分を選択することについては,事案の性質等を踏まえた慎重な考慮が必要となる」とした。原則として「減給」及び「停職」処分は重きに失して社会通念上著しく妥当を欠き、懲戒権の範囲を逸脱・濫用するものとし、原則違法として取り消してきた。
本件の審理もこの点に集中し、「戒告を超える処分についてこれを正当化する特別の事情があるか」が攻撃防御の焦点となった。結果的には、すべてそのような特別の事情はないとされて、31件の減給・停職事案全部が取り消された、その成果は強調されてしかるべきである。
3次訴訟で最も注目されたのは、戒告処分を受けた原告の懲戒権逸脱濫用の違法がないかということである。実は、規則の変更によって、1次・2次訴訟の減給処分者よりも、3次訴訟の戒告処分者の方が経済的不利益が大きいという逆転が生じていたのだ。
最高裁は、1次・2次訴訟の減給処分者の経済的不利益に着目して「重きに失する」とし、それゆえ「減給は処分権の逸脱または濫用に当る」と判断したのだ。ならば、それ以上の経済的不利益を科されている3次訴訟の戒告処分者についても処分権の逸脱または濫用と判断されるべきが当然ではないか。
これについて、本日の判決は次のように言っている。
「確かに,本件規則改訂の結果,本件規則改訂後においては,戒告処分により,昇給及び勤勉手当について,本件規則改訂前に減給処分を受けた場合よりも大きな不利益を受けていることが認められる。
しかしながら,これらの昇給及び勤勉手当の不利益は,戒告処分自体による不利益ではなく昇給及び勤勉手当について定めた規則上の取扱いによるものであり,当該事情が,戒告処分の選択に係る都教委の裁量権の逸脱・濫用を基礎付けるものとはいえないことは,本件規則改訂前と同様であり,これに反する原告らの前記主張は採用することができない。」
なんという冷たい形式論であろうか。権利濫用論とは、可能な限りのあらゆることを考慮要素とした実質的な総合判断でなければならない。規範的に除外すべき考慮要素がありうるとしても、被処分者に不利益となる経済的事情を除外してよいはずはない。これでは教委のお手盛りで、いかようにも戒告処分の不利益を過酷化できることになるではないか。
また、期待されていたのが、国家賠償請求の認容である。処分取消の違法よりは国家賠償の違法のハードルは高いとされている。それでも、停職処分取消とともに慰謝料の支払いが命じられた前例がある。2件の停職処分取り消しとともに、55万円の慰謝料請求の認容があってしかるべきだった。
これを否定して、判決は次のように言っている。
「原告らは,違法な本件各処分を受けたことにより精神的苦痛を披ったとして,これに対する国家賠償法1条1項に基づく慰謝料の支払を求めている。しかしながら,本件各処分のうち,戒告処分については,前述のとおりこれを違法であると認めることはできない。また,減給処分以上の本件各処分については,…それらについての処分量定に係る評価・判断に問題のあることを確実に認識したのは本件各処分のされた後であると考えられること等からすれば,減給処分以上の本件各処分を行った時点において,都教委がこれらの本件各処分を選択したことについて,職務上尽くすべき注意義務を怠ったものと評価することは相当ではなく,この点について都教委に国家賠償法上の過失があったとは認められない。」
この判断も納得しがたい。国賠法1条1項は、「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる」と定めている。
賠償の責任が生じるためには、「違法性」と「故意又は過失」が必要とされているところ、判決は「過失がない」(もちろん故意もない)と言って切って捨てたわけだ。
過失とは、注意義務違反ということである。都教委には管轄下にある教員に対して、各教員がそれぞれの思想や良心・信仰を貫徹することができるように環境を整え、各教員に「自分の思想や良心あるいは信念や信仰を貫徹すること」と「職務命令違反としての処分の不利益を免れること」との二律背反に陥って葛藤することのないよう十分な配慮をすべき注意義務があるのに、これを怠った。と言えばよいだけのことなのだ。「最高裁判決を知ったあとでなければ過失がない」などと言うことはあり得ない。「最高裁判決で違法を知ったあとでの減給以上の処分」があれば、過失ではなく故意が成立するというべきであろう。
憲法論のレベルではまったく見るべきもののない判決となった。この点、最高裁の呪縛下の下級審裁判官は、管理者に縛られて自由や裁量を剥奪されている教員の悲哀に思いをいたして判決を書くことができなかったのだろうか。
「日の丸・君が代」訴訟は、まだまだ続く。4次訴訟も係属中であるし、5次訴訟も予定されている。都教委の違憲違法な教育支配の続く限り、闘いも訴訟も続いていくことになる。
(2015年1月16日)
今回の準備書面では,国旗国歌に関する一連の最高裁判決について批判的に論じました。代理人の白井から、その要点を口頭で陳述いたします。
最高裁の各判決は「事案の把握」をしています。「原審の適法に確定した事実関係等の概要」に続く部分です。「『日の丸』・『君が代』の果たした役割に関する上告人ら自身の歴史観・世界観を理由に起立斉唱命令を拒否した事案である」そのように最高裁は事案を把握しました。
個人の歴史観等と職務命令とが対置されています。この二つの対置おいて事案を把握しているのです。
このように事案を把握したからでしょう。最高裁判決は,思想良心の自由に対する制約かどうかを判断するにあたっても,個人の歴史観等と職務命令とを対置させて,両者の関係を論じました。そして,起立斉唱命令は個人の歴史観等を直接に制約するものではないとしました。そのうえで、直接の制約ではない、「間接的な制約」という判断枠組を示しました。
しかし,対置されるものが,個人の歴史観等ではなく,ほかの別のものであれば,直接の制約かどうかの判断も変わるものと考えられます。
2007年2月27日の最高裁ピアノ判決に付した反対意見で,藤田宙靖裁判官は,こう述べています。「君が代」を否定的に評価するかどうかにかかわらず,「公的儀式においてその斉唱を強制することについては,そのこと自体に対して強く反対するという考え方も有り得る」と。そして,この考えは,「(多数意見がまとめた)歴史観ないし世界観とは理論的には一応区別された一つの信念・信条であるということができ,このような信念・信条を抱く者に対して公的儀式における斉唱への協力を強制することが,当人の信条・信念そのものに対する直接的抑圧となることは,明白である」と。
職務命令と何を対置させて事案を把握するのかによって,直接的な制約になる場合もありうるはずですし,そうすれば判断枠組も変わるはずなのです。
本件がどのような事案であるのかを考えるうえで,職務命令と個人の歴史観等とを単純に対置させるのは間違いです。それでは,事案を的確に把握したことにはなりません。
2011年3月10日,東京高裁第2民事部の判決は,10・23通達関係の167名全員の懲戒処分を取り消しました。「大橋判決」と呼ばれています。大橋判決は,職務命令と個人の歴史観等とを単純に対置させてはいません。
もちろん,大橋判決も,「日の丸」・「君が代」の果たした役割に関する個人の歴史観等を無視したわけではありません。しかし,それとは区別される別の側面が,教職員の思いの中にあることを指摘しています。同判決は控訴人らの主張をこう整理しました。
「?日本の近代の侵略の歴史において日の丸,君が代が果たした役割等といった歴史認識から,かつての天皇制国家の象徴である日の丸・君が代を日本国の象徴とすることに賛成できない,
?これまでの教育実践の中で,正義を貫くこと,自主的判断の大切さを強調していたのに,これに反する行動はできないなどの思いから,国旗に向かって起立し,国歌を斉唱できないという信念を有するものである」
そして,?の方を「教職員としての職業経験から生じた信条」と表現しました。
さらに、こう判示しています。
「控訴人らの不起立行為等は,自己の個人的利益や快楽の実現を目的としたものでも,職務怠慢や注意義務違反によるものでもなく,破廉恥行為や犯罪行為でもなく,生徒に対し正しい教育を行いたいなどという前記のとおりの内容の歴史観ないし世界観又は信条及びこれに由来する社会生活上の信念等に基づく真摯な動機によるものであり,少なくとも控訴人らにとっては,やむにやまれぬ行動であったということができる」
大橋判決が明らかにしたものは,最高裁による「事案の把握」とは,明らかに異なります。「生徒に対し正しい教育をおこないたい」という側面に光が当てられています。
最高裁が職務命令に対置させたものは,個々人の歴史観・世界観です。大橋判決はそうではありません。教育条理に従って教育をおこない,学校における自らの教師としての言動のひとつひとつを教育条理に従って考えるということです。教職員としての職責意識と呼ぶべきものです。
大橋判決は,教職員らの思いのなかに,「日の丸」「君が代」に関する歴史観等の側面があることは肯定しつつ,それとは異なる,もうひとつの別の側面として,誠実で強烈な職責意識があることを鮮やかに指摘したのです。
最高裁が描いたのは、職務上の義務に対して自己の自由を主張する人たちの事案です。これに対し大橋判決が明らかにしたのは,自身が教職員であることの意味を突き詰めて考え,その職責意識ゆえに上司の命令に従うことのできなかった人たちの事案です。
ひらたく言いなおせば,最高裁が描くのは,「やりたくないことをやらなかった」人たちです。大橋判決が明らかにしたのは,「教員としてやってはならないことをやれと言われて悩み苦み,できなかった」人たちなのです。
この訴訟で原告らが主張するものは,前者ではなく後者です。
本件がどのような事案であるのか。職務命令と何を対置させるべきなのか。裁判所には,ぜひ原告らの主張に充分に耳を傾け,的確に事案を把握していただきたいと思います。そのことをくれぐれもお願いして,本日の代理人弁論といたします。
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「日の丸・君が代」強制の違憲性をどのように把握するか。常識的には、まず強制される個人の基本権の侵害ととらえることになる。憲法19条で保障させる思想良心の自由が、公権力によって侵害されている。この侵害された権利の救済を求めるとするシンプルな構成が、最も分かり易い。
ことは、「日の丸・君が代」への敬意表明の強制である。国家観・歴史観・世界観に関わる重要なテーマである。むしろ、憲法が最も関心をもつテーマではないか。日本国憲法は、大日本帝国憲法体制への反省から、そのアンチテーゼとして生まれた。「日の丸・君が代」とは、大日本帝国憲法体制のシンボルである。日本国憲法は、国民に「日の丸・君が代」の強制はあってはならないとする自明の前提でできている。憲法19条の「思想良心の自由」とは、当然に「日の丸・君が代を強制されない権利」のことであるはず。
しかし最高裁は、苦労のすえに、「国旗国歌への敬意を表せよという公務員に対する職務命令は、思想良心に抵触することは否定し得ないが、間接制約に過ぎない」との「理論」を編み出し、躊躇しつつも違憲ではないとした。この最高裁の躊躇は、「実害を伴わない戒告は許容されるが、減給以上の処分は裁量権の逸脱濫用として違法」となって生きている。
もちろん、我々はこれで満足できない。なんとかして、違憲の最高裁判決を獲得したい。本日の4次訴訟の法廷は、その試みの一端である。
最高裁は、本件を「公権力」対「私人の精神的自由権」の対峙と把握した。その論理的な帰結が、間接制約論を媒介とした、緩やかな違憲審査基準を適用しての違憲論排斥となった。 ならば、本件の「事案の把握」の観点を変え、別の側面に光を当ててみよう。「公権力」と対峙し、公権力によって侵害されているものは、私人の自由だけではなく、「教員としての職責」「教員としての職業倫理としての良心」ではないのか。主観的な思想良心ではなく、法体系が客観的なものとして教員に課している職責というべきではないか。
白井剣弁護士渾身の弁論は、「東京君が代裁判」弁護団の現時点での到達点の一端である。
(2014年11月21日)