澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

山際大志郎こそ、岸田内閣を代表するにふさわしい政治家である。

(2022年8月11日)
 昨日、岸田改造内閣発足。「逆風下の組閣」「ぱっとしない顔ぶれ」「統一教会癒着隠し失敗」「派閥均衡優先人事」…等々、評判は芳しくない。内閣支持率はさらに低迷することになろう。

 この新内閣を象徴する人物は…やっぱり、山際大志郎。あなたが一番だ。岸田改造内閣というよりは、山際大志郎内閣が実は分かり易い。内閣全体の性格や雰囲気を山際がたった一人でよく語っているのだ。

 この人、統一教会との関係を指摘されながらの留任である。統一教会との腐れ縁を批判されて、降ろされた有力閣僚が何人もいるにかかわらず、なぜ。厳重な身体検査がなかったからだ。いかにも、岸田内閣のいい加減さをよく表している。

「やや日刊カルト」の報道によると、この人、2011年11月に東京都大田区の区民ホールアプリコで、国際勝共連合、世界平和連合、平和大使協議会らによる『アジアと日本の平和と安全を守る全国大会』なる集会に出席した。2018年10月には神奈川労働プラザ多目的ホールで教団フロント組織が主催・後援した『アフリカビジョンセミナー』に山本朋広・前防衛副大臣と来賓出席した。2017年10月の幕張メッセでの1万人信者集会『Peace Loving Festival KANAGAWA』にも出席していた。その事務所スタッフが統一教会から派遣されているとも指摘されている。

 この人、昨日までも、昨日からも、「新型コロナ対策担当」である。彼の記念すべき閣僚再任の日、新型コロナの猖獗は過去最高となった。この日の新規感染者は全国で新たに25万403人が確認された。1日当たりの新規感染者が25万人を上回るのは初めてである。死者は251人。重症者は前日から16人増えて597人となった。このコロナ対策の無為無策も、岸田内閣の性格をよく表している。

 恐るべきは、この山際大志郎が、経済再生担当大臣として「新しい資本主義」実現に向けての政策実行を担当するのだという。これまで何をしてきたのかよく分からず、これから何をしようというのは、さらに分からない。もとより、「新しい資本主義」がなんであるかがさっぱり分からぬものである以上、「新しい資本主義」実現に向けての政策実行がなんであるかはだれにも分からない。何かをやってる振りを続ける以外にこの人のやることはない。思えば、安倍もそうだった。

 さて、無名だったこの山際大志郎が一躍有名政治家の仲間入りをしたのは、今年7月のことである。昔のことではない。7月3日、青森県八戸市で街頭演説した際、こう言ったのだ。

「野党の人から来る話はわれわれ政府は何一つ聞かない。本当に生活を良くしたいと思うなら、自民党、与党の政治家を議員にしなくてはいけない」

 これは凄い。山際の「われわれ政府」代表としての発言。あの安倍晋三の「こんな人たちに負けるわけにはいかない」発言と兄たりがたく弟たりがたし。岸田内閣の「聞く力」とは、こういうバイアスをもったものだったのだ。山際の政府を代表しての「野党の話は政府は何一つ聞かない」宣言を岸田内閣が追認するのか、否定するのか。山際を切らない限り、「岸田内閣の耳は片耳」なのだと理解せざるを得ない。そのような事態での山際留任なのだ。岸田内閣の正体を見極めるに十分ではないか。

 それだけではない。山際大志郎には、「選挙費用の残金2962万円 全額の行方が不明」という名誉ある報道もなされている。

https://nordot.app/823399786595991552?c=776486672410263552

 資料で調査が可能な2009年以降から直近2017年までの4回の衆院選における選挙運動費用収支報告書(要旨)によると、まず、2009年選挙の際420万5177円の資金を余らせた。ところが、自らが代表を務める政治団体「自由民主党神奈川県第十八選挙区支部」などにはこの余剰金が戻された記載がなく、約420万円の使途は不明のままになっている。

 同様に2012年選挙では451万9034円、2014年選挙では308万8837円、2017年選挙では1781万5294円の選挙費用をそれぞれ余らせ、いずれもその全額の行方がふめいのままであるという。過去4回の選挙で行方不明の余剰金の総額は2962万8342円に達している。

 さらに山際は、政治資金規正法違反疑惑でも、政治資金パーティーを巡っての収支報告書に虚偽記載があったとして、同区民ら156人が2022年6月8日、政治資金規正法違反の疑いで、山際らを横浜地検に告発している。

 大した経済再生大臣である。まさしく、「われわれ政府」「われわれ岸田内閣」を代表するに、最もふさわしい政治家。しかも、よくこの人の所業を見つめ直すと、あの安倍晋三と、何とよく似ていることに驚かざるを得ない。もしかしたら山際大志郎こそ、安倍直系の政治家というべきなのかもしれない。

統一教会はなぜ名称を変更したのか。安倍政権下、下村博文はなにゆえ申請を受理し名称変更を認証したのか。

(2022年8月10日)
 同期の弁護士から興味深い書類(PDF)を送信してもらった。メールは便利だ。そして役に立つ。

 文科大臣下村博文(当時)による2015年8月26日付「宗教法人世界基督教統一神霊協会」の規則変更認証に関わる決裁文書と添付書類の写。総枚数26ページの相当のボリューム。こういうものがあると、俄然血が騒ぐ。その表紙が以下のとおり。

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衆議院議員 宮本徹議員事務所 御中

 平素より文化行政への多大なる御支援を賜り、深く御礼申し上げます。御依頼のありました以下の資料を提出いたしますので、御査収ください。

〈提出資料〉
 2015年8月に、「世界基督教統一神霊協会」から「世界平和統一家庭連合」への名称変更を認証した決裁文書

 なお、御依頼の「新管理簿:世界平和統―家庭連合、作成・取得年度:2015年、文化庁、大分類:宗教法人、中分類:認証・届出(平成27年度)」の文書ファイルは保存期間中であり、現に保有しているため、文書管理廃棄簿は作成しておりません。
 
 また、応接録につきましては、現在確認中であるため、おって御連絡させていただければと存じます。(以下略)

文化庁宗務長長

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○法人について
 法 人 名 :宗教法人「世界基督教統一神霊協会」(キリスト教系・単立)
 主たる事務所所在地:東京都渋谷区松濤(以下略)
 代表役員:徳野英治
 設立認証:昭和39年7月15日
○規則変更理由
 黒塗り(マスキング)

○主な変更内容
 宗教法人の名称の変更。
○参照条文:宗教法人法(昭和26年法律第126号)(抄)

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 本年7月26日に文化庁宗務課長から日本共産党宮本徹議員に開示された「決裁文書」と添付資料。今、世の関心を集めている統一教会の名称変更認証手続についてのもの。おそらくは、8月5日の野党合同ヒアリングでの前川喜平に対する質疑の準備として入手したものだろう。

 8月6日付赤旗報道での前川発言は以下のとおり。

 「私は、文部科学大臣だった下村博文さんの意思が働いたことは100%間違いないと思っているが、誰が圧力をかけたのかということは分からない」「統一協会の名称変更の手続きについての(決裁文書に関連する)議事録や応接録は残っているだろうと思う」「(名称変更について)大臣のところまで説明したら、記録は普通残っている。廃棄しない限り、存在していたと思う」

 また、認証申請を受理後、名称変更を断ることはできるのかと問われて、前川は「断れる」と答えている。

 霊感商法で悪名を馳せた統一教会は、前歴隠しに宗教法人名の変更をはかった。多くの人がそう思い、私もそう確信している。正式名称の変更は、「世界基督教統一神霊協会」から「世界平和統一家庭連合」へ、というもの。変更前の「世界基督教統一神霊協会」の名称の中に、「基督教」があり「神霊」がある。だれが聞いても、これは宗教団体の名前である。しかし、変更後の「世界平和統一家庭連合」には、宗教色を感じさせる用語が一切ない。ことさらに、宗教団体ではないというイメージを狙っての改称と考えるよりほかはない。安倍晋三流の言葉づかいでは、印象操作を狙っての名称変更の申請だったと考えられて当然なのだ。

 しかし、この名称変更の実現は容易ではなかった。行政現場での抵抗に遭遇したからである。まだ安倍晋三政権ができる以前、官僚が健全だった時代のこと。忖度という政治文化は育っていない。悪名あまりにも高い統一教会の名称変更申請である。問題がないはずはない。霊感商法の悪名の高まりの対抗策として、前歴隠しを企んだのだろうと考えて理の当然。

 1997年、旧統一教会側から名称変更の相談が寄せられた際、担当の文化庁宗務課長だったのが前川喜平。これも神のお導きだったのかも知れない。前川は「宗務課の中で議論した結果、実態が変わっていないのに名前だけ変えることはできないとして、認証できないと伝え、『申請は出さないでください』という対応をした。相手も納得していたと記憶している」と述べている。これは、行政指導の手法。統一教会側もこれを受け容れた。

 だが、安倍政権の時代に事態は変わる。18年後の2015年6月に、教会側は名称変更申請の手続をし、行政はこれを受理した。当時、前川喜平は文部科学審議官、大臣、次官の次に位置する、省内ナンバー3という立場。当時の宗務課長から意見を聞かれて、認証すべきでないという考えを伝えた。にもかかわらず、下村博文は名称変更の認証をした。下村博文と言えば、安倍の側近として知られる、同じ穴の右翼政治家。前川がこの経緯を「『認証できないから申請を受理しない』という方針を一転し、受理して認証したので、前例を踏襲する役所の仕事からすると、何らか外部からの力が働いたとしか考えられない」「下村博文の意思が働いたことは100%間違いない」と言うことには説得力がある。

 宗教法人の名称の変更は、宗教法人法28条1項の「規則」(会社の定款に相当)の変更として、文科大臣の認証を必要とする。認証には審査があり、可否両様の決定がありうる。

 結論が正しかったか否かもさることながら、一連の経緯を明らかにしなければならない。安倍なきあとまで、安倍政治の負の遺産をまかり通らせてはならない。

 まずは、不可解極まる「名称変更理由の全部マスキング」である。当面は、このマスンキングを外せという要求が重要である。本日の統一教会幹部の説明を聞いてもさっぱり分からないのだから。そして、議事録や応接録を全て公開していただきたい。

 岸田改造内閣の、新文科大臣は永岡桂子だとか。馴染みのない方だが、是非、国民の政治への信頼をつなぐために、積極的な情報開示をお願いしたい。

「安倍国葬」は9条改憲への道、戦争に通じる道。

(2022年8月9日)
 皆さま、私が最後にお話しをさせていただきます。炎天下の真昼間ですが、もう少しの時間、耳をお貸しください。

 政府は安倍晋三の国葬を行うことを決めました。閣議決定で日程は9月27日とされています。えっ? あの安倍晋三を国葬? 冗談も休み休みにしてもらいたい。これが、冗談ではなく本気というなら、「絶対反対」「国葬決定を取り消せ」と怒りの声を上げるしかありません。

 そもそも葬儀とは、死者を悼む人たちが営む敬虔な儀式です。国葬とは、国が死者に弔意を捧げる儀式。とは言え、国には人の死を悼む心はありません。人の死を悲しむ感情も、死者に惜別を告げる言葉も、流す涙の一粒ももちあわせてはいません。それでもなお、なぜ国に葬儀をさせようとするのでしょうか。

 それは、国を支配する者に魂胆があるからです。国が死者を悼むわけはなく、実は国民みんながこぞって、ある特定の死者を悼むという形を作ろうというのが国葬です。少なくとも国民の大部分が、この死者を悼む気持ちがあるというかたちづくり。そのような優れた人の生前の行いを讃え、国民こぞってその人の遺志を継ぎ、その優れた人が望んでいた国を作る決意を国民的な規模で再確認しよう。為政者がそんなことを企んだときに、ある人の死が、政治的に利用されます。それが国葬です。

 とは言え、よりによって安倍晋三の国葬だとは。ばかばかしいにもほどある。こんな人が国葬にふさわしいはずはない。皆さん、安倍晋三とは何者であったか、安倍政治とはいったい何であったか、本当に、国葬に値する人物であったか、国葬に値する業績を残したのか。冷静に考えてみようではありませんか。

 内政外交に安倍晋三が遺した業績は皆無と言ってよいでしょう。アベノミクスで格差と貧困を拡げ、アベノマスクで無能無策をさらけ出し、ウラディーミルのお友達としてどこまでも駆けて駆けて駆け抜けた人。

 それだけではなく、彼は政治を私物化したとして悪名高い人物です。彼は、忖度という政治文化を蔓延させました。安倍政治とは、公文書の偽造・隠匿・改竄、ウソとゴマカシで特徴付けられ、彼はその民主主義後進国の小さな独裁者でした。国会答弁では明らかなウソを繰り返してきました。ウソつき晋三が国葬にふさわしいはずはありません。そして何よりも、彼は改憲論者でした。日本国憲法を敵視し、とりわけその平和主義をせせら笑って攻撃し、核共有論さえ語っていた人物です。とうてい、国民こぞってその死を悼むことのできる人物ではありません。

 極端な保守や右翼と言われる人々の中には、心から安倍晋三の死を悼む気持ちをお持ちの方もいるでしょう。安倍晋三のお友達として本来あり得ない優遇を受けた人々の中には、安倍晋三の死を心底惜しむ人がいても不思議はありません。同志的な連帯意識をもって、日本の軍事大国化に邁進していた人たちや、安倍晋三いればこそ予算も取れたという防衛産業の幹部らなど、安倍晋三の死を悼み、惜しむ人々が集うて、心のこもった葬儀を行えばよいことではありませんか。国葬として、全国民に安倍晋三の死への弔意を強制することが許されてはなりません。

 私は民主主義者ですから、社会の変革は国民の意識改革と選挙を通じて行われるべきと確信しています。暴力でてっとり早く政治を変えようという立場を決してとりません。政治的テロを厳しく拒否します。しかし、安倍晋三の死を政治的に利用しようというたくらみを許容することはできません。どのような死に方をしようとも、安倍晋三の生前の所業をごまかしてはならない。ウソつき晋三を国葬という化粧で塗り込め、その罪を覆い隠すことは、決して許されません。

 安倍国葬は、安倍晋三の政治路線を美化しようというたくらみです。国民こぞって、非業の死を遂げた安倍晋三の遺志を継いで日本国憲法の改正を実現しよう、などという見透いた策動に乗せられぬよう街頭から「安倍国葬反対」と呼びかけて、ここ本郷三丁目交差点での本郷湯島九条の会の訴えを終わります。

臆して批判を控えてはならない。安倍晋三が遺した巨大な負のレガシーを清算するために。

(2022年8月8日)
 安倍晋三銃撃という衝撃から1か月である。この事件、当初は政権政党に有利な風を起こすかに見えた。安倍晋三に「テロの犠牲者となった悲劇の政治家」「遊説中に凶弾に倒れた民主主義の犠牲者」などの虚像・虚名を冠して、その死が政治的に利用し尽くされることになるだろう、だれもがそう考えた。

 国民が悲劇の安倍晋三を悼み、その死の政治的利用を可能とする風が一瞬だが確かに吹いた。その一瞬の間に参院選の投票が行われ、自民党が勝ち、野党が大敗した。さらに政権はこの風を頼みに安倍国葬を決めた。この風を大きく煽ろうという魂胆が見え見えである。この風を利しての改憲さえ可能と思ったのではないか。

 しかし、その風は一瞬にして止んだ。本件の犯行は典型的な政治的テロではなく、安倍を撃った銃弾は、特定の政治思想を狙ったものでも、民主主義を撃ち抜くものでもなかった。銃撃犯と安倍晋三との関係は、政治的な確執でも思想的な対立でもなかった。

 そもそもこの事件、犯人と被害者とを直接に結ぶ関係はない。銃撃犯と安倍晋三との間には、統一教会という反社会性顕著な反共団体が介在していた。これまで明らかにされている限りでのことだが、犯人は統一教会を徹底して怨み、統一教会と関連密接な存在としての安倍を銃撃したのだ。常識的にはわかりにくい構図だが、やや時を経て、世論はこの構図を理解した。そのことによって、保守勢力への順風が止んだのだ。世論のこの構図の理解の深まりは、風向きを変えつつある。国葬反対の世論の高揚が、岸田内閣支持率の低迷を招いている。

 銃撃犯と統一教会と安倍晋三。この3者の関係図のうち、まず犯人と統一教会との関係が、分かりやすいものとして世論の理解を得た。統一教会とは、人をマインドコントロールして精神を支配し徹底した経済的収奪に躊躇しない憎むべき組織。犯人は、統一教会によって家庭を破壊され不幸に陥らしめられた哀れな被害者。そのように世論が理解するに難しいところはない。

 問題は、統一教会と安倍との関係である。岸信介以来の自民党右派が反共という共通項で、統一教会・勝共連合と深い癒着関係を築いてきたことが、明らかにされつつある。そして、今参院選の候補者調整においてなお、安倍は統一教会の組織票と動員力を自分の手駒にして、党内政治における支配力を行使しているのだ。

 統一教会と安倍との関係というピースがピタリと嵌まらないと、安倍銃撃の必然性は見えてこない。その全容はまだ十分に明らかとは言えない。しかし、安倍と安倍派が、永年にわたって、あの反社会的な教団と、こんなにもズブズブに癒着していたのかという衝撃は世論を大きく動かしている。「勝共連合」と自民、改憲草案に多くの一致点との指摘もある。

 世論は既に安倍を「悲劇の政治家」と見ていない。山上徹也も「憎むべき民主主義の敵」ではなくなっている。安倍国葬は、却って現政権の安倍政治美化の思惑を炙り出し、安倍の数々の悪行を思い起こさせる動機となっている。「安倍晋三とは、本当に国葬に値する政治家だったのか。安倍政治とは、国葬に値するものなのか」と、立ち止まって考えざるを得ないからだ。

 反論できない死者を批判することは、死者を鞭打つに等しく社会常識を弁えた大人のすべきことではないとされる。だからこそ、安倍の死は現政権にとって政治的利用が可能だと思われた。しかし、生死の如何にかかわらず、批判すべきはきちんと批判しなければならない。今は、そのような真っ当な雰囲気が世に戻っている。

 たとえば、一昨日(8月6日)の毎日朝刊政治面の大型コラム「時の在りか」。 論説委員伊藤智永の「家業としての安倍政治批判」などはその典型であろう。
安倍政治を「家業」として捉える視点からのまことに辛口の批判である。さすがに筆を抑えての書きぶりではあるが、読みようによっては、安倍晋三とはこんなに軽薄で政治的には無能で嫌な人物と言わんばかり。事件の直後では、とてもこうは書けなかっただろう。

https://mainichi.jp/articles/20220806/ddm/005/070/006000c

 その最後は、こう結ばれている。

 「晋三氏の死は理不尽な遭難に違いない。だが、父祖伝来の縁ある宗教組織に自分の元秘書官の選挙応援を頼み、就職氷河期世代に逆恨みされた因果は、理解不能な不合理というだけでは済まされないわだかまりを私たちに残した。」

 もちろん論者の本意ではないが、この結論はこうも読めるのだ。「晋三氏の死は本当に理不尽な遭難なのだろうか。父祖伝来の縁ある宗教組織に自分の元秘書官の選挙応援を頼んで就職氷河期世代に逆恨みされたという因果は、十分に理解可能というべきではないか」

 あらためて思う。安倍晋三が遺した巨大な負のレガシーを徹底して見つめ直し、その清算をするところから、民主主義の再生をはからなければならない。今、それを可能とする風が吹き始めている。

都教委は、学校への「半旗掲揚依頼」を拒絶する防波堤でなければならない。

(2022年8月7日)
 昨日(8月6日)の東京新聞朝刊トップ記事が、「都教委も半旗掲揚依頼 安倍元首相葬儀 都立255校に文書送信」の大見出し。のみならず、22面と23面の「こちら特報部」に詳細な関連記事。その見出しを連ねてみる。

《安倍氏葬儀に都教委が半旗依頼 「政治的中立に反する行為」背景は?》
《弔意の「強制」 日の丸・君が代問題と同根》
《「教員、生徒たちへの刷り込み心配」》
《「特定の政党を支持してはならない」 教育基本法に明記しているのに》
《教育行政への侵食 安倍政権下で進行》

ネット記事では、もう少し見出しが増える。
《複数校が掲げる》
《都の担当者「強制したつもりはない」》
《政治的中立求める教育基本法に反する恐れ》
《東京以外にも相次ぎ判明》
《国の関与を疑う声も》
《「不当な支配」国が都合よく解釈し、介入》

https://www.tokyo-np.co.jp/article/194182
https://www.tokyo-np.co.jp/article/194189

 一面トップの記事のリードは以下のとおり
 「東京都教育委員会が先月12日の安倍晋三元首相の葬儀に合わせ、半旗を掲揚するよう求める文書を都立学校全255校に送り、現実に複数校がこれに応じて半旗を掲揚して学校として安倍氏に対する弔意を表明していた掲揚していたことが分かった。専門家は「政治的中立を求める教育基本法に反する恐れがある」と指摘。同様の依頼は川崎、福岡市などでも判明している。」

 「特報部」のリードは以下のとおり。

 「首都・東京の教育委員会が、安倍晋三元首相の葬儀の日に半旗掲揚を求めていたことが判明した。教育基本法の「政治的中立」に反する恐れを専門家は指摘するが、少なくとも全国7自治体の教委も同様の要請を行っていた。「弔意は強制していない」と口をそろえる様子から浮かぶのは、子どもや教師の権利に無頓着な教育行政の姿だ。こんな状態で、世論を二分する「国葬」を行って大丈夫なのか。

 以上の見出しとリードで、この記事の言わんとするところは十分に通じる。教育の本質に切り込んだ報道として高く評価しなければならない。東京新聞に敬意を表したい。蛇足ながら、東京新聞の見出しをつなげてみるとこんなところだ。

 安倍晋三の葬儀というまったくの私的な行事に合わせて、東京都教育委員会が全都立学校に半旗を掲揚するよう依頼の通知を発し、現実にこれに従って複数の学校が半旗を掲げて安倍に対する弔意を表明したことが分かった。
 安倍晋三と言えば、特定政党の特定政治主張に旗幟鮮明な復古主義政治家である。このような毀誉褒貶激しい政治家の私的な葬儀に学校が公的に弔意を表するのは、本来的に教育に要請されている政治的中立性に明らかに反する違法な行為である。教育基本法14条2項が「学校は特定の政党を支持してはならない」と明記しているのにどうしてこんなことになってしまっているのだろうか。

 この都教委による学校現場に対する要請は、当局は否定しているが、事実上の「弔意の強制」にほかならない。生徒・教員の思想・良心の自由をないがしろにしている点で、同じ都教委が生徒・教員に、国家への敬意表明を強制し続けている「日の丸・君が代」問題と、同根と言わねばならない。

 このような「教育行政が教育を侵食する本来あってはならない現象」は、安倍政権下で進行してきたもので、現場の教員は、あたかも安倍氏やその政治路線が正しいものであるような、学校という教育装置を違法に使っての生徒たちへの刷り込みの効果を心配している。

 もとより教育は特定政治勢力によって支配されてはならず政治一般から独立しなければならない。また、教育が特定の政党や政治家を支持したり支援するようなことは絶対にしてはならない。そのことは、教育基本法に明記されているのに、教育は本来のあり方から、大きくねじ曲げらた現状にある。これは、政治が教育行政に大きく侵食してきた結果であって、このことは安倍政権下で進行してきた憂うべき現象である。同様のことが、都教委にとどまらず全国で生じているということから、国の関与を疑う声もある。教育基本法によって禁じられている「不当な支配」を、国が都合よく解釈して、「政治が行政に介入し、行政が教育に介入する」ということが常態化してしまっているのではないか。

何が最大の問題か。
 通夜があった7月11日に都総務局が作った「事務連絡」は、半旗掲揚について「特段の配慮をお願いしたい」とし、11、12日の掲揚を依頼したものだという。これが、教育庁を含む各部署にメールで送られ、教育庁(都教委事務局)が都立高校や特別支援学校に転送した。
 このことについて、都教委の担当者は「事務連絡を転送しただけで、掲揚するかは各校の校長に任せた。弔意を強制したつもりはない」と言う。この都教委の弁解に最大の問題点が表れている。いったい何が問題なのか、都教委はまったく分かっていないようなのだ。

 教育委員会は自らが教育に介入することは厳に慎まなければならないというだけではない。その重要な任務として、教育を支配し介入しようという外部勢力からの防波堤となって教育を擁護しなければならない。

 都の総務局が安倍の葬儀に半旗をという発想も批判されなければならないが、教育庁の特殊性を考慮せずに他と同様のメールを送信したことは不見識甚だしい。そして、これを各学校に転送した都教委は、明らかに任務違反である。これに従った校長の責任も厳しく問われなければならない。なんとまあ、この世には、忖度がはびこったものか。その元兇は、安倍晋三なのだが。

「核の脅威に対する唯一の解決策は核兵器を一切持たないこと」ー グテーレス

(2022年8月6日)
 8月6日。「広島原爆の日」である。77年前の今日、広島市民の頭上で原子爆弾が炸裂した。人類史上最大規模の残虐な殺戮行為である。広島が軍都であったにせよ、明らかに過剰な民間人に対する虐殺と破壊。余りにも大きな「人間の悲劇」が今になお続いている。

 季語では「原爆忌」。怒り・悲しみ・祈りの句が詠まれる。本日の東京新聞「平和の俳句」欄に、黒田杏子選の次の一句。

 ノーモア ヒロシマ ナガサキ ウクライナ (冨田清継・名古屋市)

 これまでは、「ノーモア ヒロシマ ナガサキ ビキニの悲劇」であったが、今や「ウクライナ」なのだ。「ウクライナ」(実は、プーチンのロシア)が、差し迫った核の脅威の象徴となっている。ウクライナに限らず、世界は核をめぐる緊張の中にある。日本の国内にさえ、「核共有」論者が現れている現状。

 その緊張の中で、恒例の「広島・平和祈念式典」が開かれた。注目は、岸田文雄首相とグテーレス国連事務総長の「挨拶」。端的に言えば、この2人の核廃絶に対する熱意の落差だ。世界の良識が核廃絶を求める本気度に比較して、日本の政権の核廃絶に対する熱意のなさがいかに浮き彫りになるのかという関心である。

 原爆投下時刻の午前8時15分に参列者が黙禱を捧げたあと、松井一実市長が平和宣言で「一刻も早く、すべての核のボタンを無用のものにしなくてはならない」と訴えた。ほかならぬロシアの文豪トルストイが残したとされる「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない」という言葉を引用して、核保有国の傲慢を批判した。注目されたのは、核兵器禁止条約に否定的な日本政府に対する批判に言及したこと。岸田首相を目の前にして、来年の第2回締約国会議への参加や、条約への署名・批准を求めた。

 岸田文雄のあいさつ要旨は以下の通り。

 「あの日の惨禍を決して繰り返してはならない。これは唯一の戦争被爆国であるわが国の責務であり、被爆地広島出身の首相としての誓いです。
 核兵器による威嚇が行われ、核兵器の使用すらも現実の問題として顕在化し、「核兵器のない世界」への機運が後退していると言われている今こそ、広島の地から「核兵器使用の惨禍を繰り返してはならない」と世界の人々に訴えます。
 いかに難しかろうとも、核兵器のない世界への道のりを歩みます。非核三原則を堅持しつつ、厳しい安全保障環境という「現実」を核兵器のない世界という「理想」に結びつける努力をします。
 私は先日、核拡散防止条約(NPT)再検討会議に日本の首相として初めて参加し、世界の平和を支えたNPTを国際社会が結束して維持・強化すべきだと訴えました。
 来年は広島で主要7カ国首脳会議(G7サミット)を開催します。G7首脳と共に、平和のモニュメントの前で、自由、民主主義といった普遍的な価値観を守るために結束していくことを確認したいと考えています。
 核兵器のない世界の実現に向けた歩みを支えるのは世代や国境を越えて惨禍を語り伝え、記憶を継承する取り組みです。」

 聞いていて、訴えるところがない。まことに平板で熱意の感じられないあいさつであった。核禁条約には頑なにまで触れない。何かしら、特別の裏事情でもあるのだろうか。

さて、注目のグテーレスである。
 立派な演説だった。核禁条約を「希望の光」として、今年6月の第1回核兵器禁止条約の締約国会議の意義を強調した。そして、「広島の恐怖を常に心に留め、核の脅威に対する唯一の解決策は核兵器を一切持たないことだ」と、核抑止力を明確に否定した。これが、世界の良識なのだ。以下、抜粋して要約する。

 「新たな軍拡競争が加速しています。世界の指導者たちは毎年数千億ドルもの資金を費やして、兵器の備蓄を強化しています。世界では約13,000発の核兵器が保有されています。そして深刻な核の脅威が、中東から、朝鮮半島へ、そしてロシアによるウクライナ侵攻へと、世界各地で急速に広がっています。

 核兵器保有国が、核戦争の可能性を認めることは、断じて許容できません。人類は、実弾が込められた銃で遊んでいるのです。

 希望の光はあります。
 6月には核兵器禁止条約の締約国が初めて集い、終末兵器のない世界に向けたロードマップを策定しました。そしてまさに今、ニューヨークでは、核兵器不拡散条約の第10回運用検討会議が開催されています。

 本日、私は、この神聖な場所から、この条約の締約国に対し、私たちの未来を脅かす兵器の備蓄を廃絶するために緊急に努力するよう呼びかけます。
 核兵器保有国は、核兵器の「先制不使用」を約束しなければなりません。また、非核兵器保有国に対しては核兵器を使用しないこと、あるいは使用すると脅迫しないことを保証するべきです。さらに、核兵器保有国はあらゆる面において透明性を確保しなければなりません。

 私たちは、広島の恐怖を常に心に留め、核の脅威に対する唯一の解決策は核兵器を一切持たないことだと認識しなければなりません。」

「もう二度と、広島の悲劇を引き起こさないでください。
 もう二度と、長崎の惨禍を繰り返さないでください。」

国葬・銃撃・安倍晋三という三題噺

(2022年8月5日)
 突然に、沖縄タイムスからのメールが入ってきた。「安倍元首相の国葬に関するアンケ―ト」への協力依頼だという。下記の説明文が付されている。

 政府は、街頭演説中に銃撃され死去した安倍晋三元首相の国葬を9月に実施すると閣議決定しました。国葬に関する賛否と今回の銃撃事件について、みなさまのご意見をお聞かせください。締め切りは8月7日(日)とさせていただきます。なお、寄せられたご意見は、沖縄タイムスの紙面とウェブで掲載いたします。ご協力よろしくお願いいたします。

 慎重にバイアスを避けた文章である。そして、設問は下記のとおり。

? 安倍元首相の国葬を実施することについて、賛否をお聞かせください。
□賛成
□どちらかと言えば賛成
□反対
□どちらかと言えば反対
□どちらとも言えない

? ?の理由を教えてください。

? 今回の銃撃事件について、あなたの率直な意見をお聞かせください。

? 安倍元首相の評価について、お聞かせください。
□評価する
□どちらかと言えば評価する
□評価しない
□どちらかと言えば評価しない
□どちらとも言えない

? ?の理由を教えてください。

 ?以下の設問は、回答者の属性を問うもので省略する。回答者の個人名も職業も聞いていない。個人の特定につながるような設問は一切ない。

 ものを考えさせてくれるせっかくの機会。しかも産経からではなく沖縄タイムスからの「協力依頼」。私は、真面目に回答した。そのうちの記述部分についての回答を再現してみたい。送信したものより、少しふくらましたところもあるかも知れないが。

《問? あなたが国葬に反対する理由を教えてください》
 国葬とは、国家が特定の死者への弔意を表明する儀式です。もとより、国家が弔意をもつはずはありませんから、国家は国民の総意に基づくとして弔意を表明することになります。しかし、この国民の総意はフィクションです。端的に言えば、ウソなのです。本来、葬儀は死者の近親者や知人が敬虔な弔意を献じる儀式ですが、それを超えて、一人の国民の死を国民全体が悼むなどということはあり得ません。
 それを承知で、国葬とは国民の総意を騙ることといわざるを得ません。必ず国民の総意の僭称を不本意とする国民に対しては、弔意の強制を伴います。これは国民一人ひとりの精神の自由を保障した日本国憲法に違反するものと考えざるを得ません。ましてや、毀誉褒貶激しい安倍晋三元首相の国葬ではありませんか。過半の国民の思想・良心を踏みにじるもの。
 
 また、安倍晋三元首相は、極端な右翼的政治思想の持ち主で、性急に改憲を事としてきた人物。政治を私物化してきた人物でもあります。言わば、最も国葬にふさわしからぬ人。そんな人の国葬は、安倍晋三の政治路線や姿勢を美化しようという思惑での、あからさまな政治家の死の政治利用というべきで、岸田首相の罪は重く、こんな前例をつくってはならないと考えます。

《問? 今回の銃撃事件について、あなたの率直な意見をお聞かせください》
 いま巷には、「安倍晋三の死は自業自得」「岸信介以来安倍家三代にわたる統一教会との癒着・腐れ縁こそが、安倍を死に追いやった主原因」「銃撃犯は格差貧困の自己責任社会に反撃した。安倍晋三こそ、そのような社会を作った象徴的人物ではないか」という危うい言論が溢れています。ややもすると、安倍晋三がつくった矛盾に満ちた社会を変革するのに、面倒な民主主義的手続の尊重よりは、直接行動が効果的と言わんばかり。安倍晋三に対する否定的評価は当然としても、その銃撃を許容する社会の雰囲気を危険で警戒しなければならないと思います。 

《問? あなたが安倍元首相を評価しない理由を教えてください》
 安倍晋三こそは、無為無策無能の政治家。内政外交、政治姿勢において評価できるものは皆無。遺したものは、醜悪な忖度の政治文化と未解決不祥事オンパレードの負のレガシーのみ。

私たちは、人権後進国に住んでいる。行政は国連機関が説く国際スタンダードに耳を傾けていただきたい。

(2022年8月4日)
 本日、第一衆議院議員会館の会議室で、「日の丸・君が代」強制問題についての、対文科省交渉が行われた。テーマは、セアート第14会期最終報告における勧告の取り扱い。予め提出していた質問事項に対する回答を求め、これを糺すという交渉内容。

 このブログに以前にも書いたが、国連はいくつもの専門機関を擁して、多様な人権課題に精力的に取り組んでいる。労働分野では、ILO(国際労働機関)が世界標準の労働者の権利を確認し、その実現に大きな実績を上げてきた。また、おなじみのユネスコ(国際教育科学文化機関)が、教育分野で旺盛な活動を展開している。

 その両機関の活動領域の重なるところ、労働問題でもあり教育問題でもある分野、あるいは教育労働者(教職員)に固有の問題については、ILOとユネスコの合同委員会が作られて、その権利擁護を担当している。この合同委員会が「セアート(CEART)」である。日本語に置き換えると「ILO・ユネスコ教職員勧告適用合同専門家委員会」という。名前が長ったらしく面倒なので、以下は「セアート」と呼ぶ。

 2019年3月セアートは、その第13回会期で日本の教職員に対する「日の丸・君が代強制」問題を取りあげた。その最終報告書の結論として次の内容がある。

110.合同委員会(セアート)は、ILO理事会とユネスコ執行委員会が日本政府に対して次のことを促すよう勧告する。
(a) 愛国的な式典に関する規則に関して教員団体と対話する機会を設けること。このような対話は、そのような式典に関する教員の義務について合意することを目的とし、また国旗掲揚および国歌斉唱に参加したくない教員にも対応できるようなものとする。
(b) 消極的で混乱をもたらさない不服従の行為に対する懲罰を避ける目的で、懲戒手続について教員団体と対話する機会を設けること。

 この勧告は、形式的には文科省に対して、実質的には都教委に対して発出されたものだが、文科省も都教委もほぼこれを無視した。この国は、国連から人権後進国であることを指摘され是正の勧告を受けながら、これに誠実な対応をしようとしない。居直りと言おうか、開き直りというべきか。不誠実極まりない。

 教職員側は、この日本政府の怠慢をセアートに報告。2021年10月第13期セアートは、あらためての再勧告案を採択。2022年6月ILOとユネスコはこれを正式に承認した。そのセアート再勧告の結論となる重要部分を抜粋する。

173. 合同委員会は、ILO理事会とユネスコ執行委員会に対し、日本政府が以下のことを行うよう促すことを勧告する。
(a) 本申立に関して、意見の相違と1966年勧告の理解の相違を乗り越える目的で、必要に応じ政府および地方レベルで、教員団体との労使対話に資する環境を作る。
(b) 教員団体と協力し、本申立に関連する合同委員会の見解や勧告の日本語版を作成する。
(c) 本申立に関して1966年勧告の原則がどうしたら最大限に適用され促進されるか、この日本語版と併せ、適切な指導を地方当局と共有する。
(d) 懲戒のしくみや方針、および愛国的式典に関する規則に関する勧告を含め、本申立に関して合同委員会が行ったこれまでの勧告に十分に配慮する。
(e) 上に挙げたこれまでの勧告に関する努力を合同委員会に逐次知らせる。

 13期と14期の2期にわたる勧告。日本国には誠実に対応する責務がある。さあ、文科省どうする? この件に関して、末松信介文部科学大臣に宛てた教職員組合と市民運動体の質問書の内容は以下のとおりである。

問1 日本語訳に関して
(1) 我々は第14会期最終報告パラグラフ169、パラグラフ173(b)を尊重し、文部科学省とともに第13会期、第14会期最終報告の日本語訳を作成したいと考えている。日本語訳を我々と共同で行うことに関して、貴省の考えを伺う。

(2) 2022年6月29日の「東京新聞」朝刊(こちら特報部)によれば、取材を受けた文部科学省初等中等教育企画課の小林寛和氏は「日本語訳を作るかどうかも含め、対応を検討している」と回答している。検討した結果を明らかにされたい。

(3) 最終報告の日本語訳をどのような手順で進めていくか、貴省の考えを伺う。
我々は当方が訳した日本語版を提示する用意があるので、それを土台にして、貴省から訳に同意できない部分を示していただき、両者で意見交換しながら共通の日本語訳を完成させるという形で進めたいと考えているが、貴省の考えを伺う。

問2 地方教育委員会への送付に関して
(1) 第14会期最終報告は東京都・大阪府・大阪市に送付済みか。他の地方公共団体へは送付済か。いずれかの地方公共団体に送付していた場合、それは英語版、日本語版のどちらか。又は両方か。
また、最終報告とともに送付した文書などがあれば、明らかにされたい。

(2) 文部科学省は第14会期最終報告パラグラフ172及び173(c)を尊重して、最終報告を適切に理解できるような注釈を作成して地方公共団体と共有するか。

(3) セアートは東京都や大阪府・市に限らず、地方公共団体と共有するように勧告している。
貴省は今後、地方公共団体の担当部署との間で、なんらかの形で最終報告を共有することを考えているのか。その計画を明らかにされたい。

(4) 「世界人権宣言」「市民的及び政治的権利に関する国際規約」を踏まえたセアートの判断を尊重して、「教員の地位に関する勧告」パラグラフ80に反する起立斉唱の強制を是正するように、地方公共団体に対して指導・助言を行うか。

 文部科学省からの担当官の回答を逐一叙述する必要はない。全て「検討中」だという。質問は、『問1 日本語訳に関して』と、『問2 地方教育委員会への送付』だけに限った簡明なものである。これに対しての回答が全て「検討中」だというのだ。「いったい、いつまで検討しようというのか」「いつになったら回答が得られるのか」という更問には、「答えられない」を繰り返す。「日本語訳作成という単純な作業を行うのに、いったい何をどう検討しているのか」という問には、「日本語訳の作成が各省庁や自治体にどのような影響を及ぼすことになるのか、十分に検討が必要だと考えている」という。場合によっては、ネグレクトもあり得るという開き直り。

 なるほど、確かに私たちは人権後進国に住んでいるのだ。一人ひとりの思想・良心の自由よりは、愛国が大切だという、国家優先主義でもあるこの国。文科省よ、せめて、開き直らずに、誠実に国連機関が言う「国際基準」に耳を傾けていただきたい。

NPTと核禁条約の落差 ー NPT再検討会議岸田演説が明るみに出したもの

(2022年8月3日)
 7年ぶりとなったNPT(核兵器不拡散条約)運用再検討会議。8月1日の岸田首相一般討論演説(日本語)が、官邸ホームペーに全文掲載されている。

https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/statement/2022/0801enzetsu.html

 この演説、被爆者や原水禁活動家の間ではすこぶる評判が悪い。新聞の見出しに「NPT会議 首相演説、核禁条約を無視」「『核廃絶へもっと強いメッセージを』 首相NPT演説に被爆地の声」「被爆者ら冷ややか 『核禁条約無視した』『廃絶の思い本心か』 NPT会議首相演説」という具合。赤旗は「首相演説 憤る被爆者」と見出しを打った。何よりも、この時期最も重要な核禁条約に一言も触れていないことが致命傷。「核廃絶の思い本気か」「言ってることは本心なのか」と疑問視されて、当然といえば当然。

 被爆者や原水禁活動家の核廃絶を願う思いの深さ、真剣さからみれば、岸田の言葉の軽さに不満が募るのは当然なのだ。東京生まれで東京で育ちながら、「広島出身」をウリにしている岸田である。「一番大切な核兵器禁止条約について、一言も触れなかった」「そのことの重要性を知らないはずはないのにことさらに無視した」という不満は大きい。

 だが、この演説にとるべきところがないわけではない。少なくとも、「核共有」などと口走っていた安倍晋三などと比較すれば、ずっと真面目だとは言える。安倍晋三なんぞと比較してどうするという叱責を覚悟で、まだましというべきであろう。何しろ、日本の首相として初めてこの会議に出席したのだから。

 以下、重要部分を抜粋して意見を述べておきたい。なお、小見出しは、原文にはなく、私が付けたもの。

《現状認識(現実)》
 国際社会の分断は更に深まっています。特に、ロシアによるウクライナ侵略の中で核による威嚇が行われ、核兵器の惨禍が再び繰り返されるのではないかと世界が深刻に懸念しています。
 「核兵器のない世界」への道のりは一層厳しくなっていると言わざるを得ません。

《目標(理想)》
 しかし、諦めるわけにはいきません。被爆地広島出身の総理大臣として、いかに道のりが厳しいものであったとしても、「核兵器のない世界」に向け、現実的な歩みを一歩ずつ進めていかなくてはならないと考えます。

《NPTの位置付け》
 そして、その原点こそがNPTなのです。NPTは、軍縮・不拡散体制の礎石として、国際社会の平和と安全の維持をもたらしてきました。NPT体制を維持・強化することは、国際社会全体にとっての利益です。この会議が意義ある成果を収めるため、協力しようではありませんか。我が国は、ここにいる皆様と共に、NPTの守護者として、NPTをしっかりと守り抜いてまいります。

 以上の《現状認識(現実)》《目標(理想)》はともかく、《NPTの位置づけ》はまことに物足りない。NPTは、5大国には核保有を認めて、それ以外の諸国への核拡散を防止することを主内容とする。もちろん核保有国には核軍縮の義務を定めるが、不公平甚だしい。

 これに反して、核兵器禁止条約は、核兵器の開発、保有、使用の全てを違法とし、これを禁じる内容である。被爆国である日本がNPTを持ち上げ、「NPTをしっかりと守り抜いてまいります」というのは、積極的に核兵器禁止条約に背を向け、核の温存をはかろうというに等しい。

 それでも、岸田演説を全面否定し得ないというのは、以下の具体的な提案があるからだ。

《理想と現実を結ぶロードマップ》
 「核兵器のない世界」という「理想」と「厳しい安全保障環境」という「現実」を結びつけるための現実的なロードマップの第一歩として、核リスク低減に取り組みつつ、次の5つの行動を基礎とする「ヒロシマ・アクション・プラン」にまずは取り組んでいきます。

(1) まず、核兵器不使用の継続の重要性を共有すべきであることを訴えます。ロシアの行ったような核兵器による威嚇、ましてや使用はあってはなりません。長崎を最後の被爆地にしなければなりません。
(2) 次に、核戦力の透明性の向上を呼びかけます。とりわけ、核兵器用核分裂性物質の生産状況に関する情報開示を求めます。これはFMCT(核兵器用核分裂性物質生産禁止条約)の交渉開始に向けたモメンタムを得る上で重要な一歩であると考えます。
(3) 第三に、核兵器数の減少傾向を維持することです。「核兵器のない世界」に歩みを進める上で、この減少傾向を継続することは極めて重要です。全核兵器国の責任ある関与を求めます。
 この観点から、CTBT(包括的核実験禁止条約)やFMCTの議論を、今一度呼び戻します。CTBTの発効を促進する機運を醸成すべく、9月の国連総会に合わせて、私は、CTBTフレンズ会合を首脳級で主催します。また、FMCTの交渉の早期開始を改めて呼びかけます。
(4) 第四に、核兵器の不拡散を確かなものとし、その上で、原子力の平和的利用を促進していくことです。
 原子力の平和的利用は、原子力安全と共に進めるべきものです。この度のロシアによる原子力関連施設への攻撃は決して許されるものではありません。日本は、2011年の事故の教訓を基に、被災地復興や廃炉に関連する様々な課題に取り組みます。国際原子力機関始め国際社会と協力し、内外の安全性基準に従った透明な取組を進めます。
(5) 第五に、各国の指導者等による被爆地訪問の促進を通じ、被爆の実相に対する正確な認識を世界に広げていきます。この観点から、グテーレス国連事務総長が8月6日に広島を訪問することを歓迎します。
 また、国連に1千万ドルを拠出して「ユース非核リーダー基金」を設け、未来のリーダーを日本に招き、被爆の実相に触れてもらい、核廃絶に向けた若い世代のグローバルなネットワークを作っていきます。
 「核兵器のない世界」に向けた国際的な機運を高めるため、各国の現・元政治リーダーの関与も得ながら、「国際賢人会議」の第一回会合を11月23日に広島で開催します。
 また、2023年には被爆地である広島でG7サミットを開催します。広島の地から、核兵器の惨禍を二度と起こさないとの力強いコミットメントを世界に示したいと思います。

 以上の(1)と(2)は具体性に欠けるお題目に過ぎず、(4)は原発再稼働のたくらみとして用心しなければならないが、(3)と(5)には具体的な実行課題の設定が見える。これだけでも、安倍晋三なんぞよりはずっとマシだ。「広島を選挙区とする政治家」として、せめてこれくらいは実行していただきたい。さすれば、落ち込んだ支持率のいささかの回復も見込めよう。

DHC製品は買わないが、この本は買って損はない ー 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第203弾

(2022年8月2日)
 ある人のメルマガに下記の記事。私の知る限りの書籍「DHCスラップ訴訟」の書評第1号である。この方、DHC製品は決して買わない人だが、本書は購入したという。「購入し一読して損はない」と言ってくれた。何ともありがたい。

 『DHCスラップ訴訟・スラップされた弁護士の反撃そして全面勝利』(澤藤統一郎・日本評論社・220730)
 
 化粧品、サプリメント(健康食品)、語学教材などの製造販売メーカーである?ディーエイチシー(DHC)に、いやがらせ名誉毀損の6000万円スラップ訴訟を起こされて被告になった著者の勝利記録。

 スラップとは、個人・市民団体・ジャーナリストによる批判や反対運動を封じ込めるため、企業・政府・自治体が起こす、恫喝訴訟・威圧的訴訟。

 第一章 ある日私は被告になった。第二章 そして私は原告になった。第三章 DHCスラップ訴訟から見えてきたもの。各章に解説が付され、判りやすい。

 資料編には、「主なスラップ訴訟」などが記載されています。DHCはHP上で、代表取締役会長吉田嘉明によるヘイトスピーチを拡散するなど、最低最悪の厚化粧企業。最後に著者は、「私は決して屈しない」「私は決して黙らにない」と宣言されています。

 DHCは不買ですが、本は購入して一読しました。損はありません。

 [参考]DHCスラップ訴訟に至る詳細は、ブログ「澤藤統一郎の憲法日記・分類・DHCスラップ訴訟」に入ってみてください。
  https://article9.jp/wordpress/?cat=12

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DHCスラップ訴訟 スラップされた弁護士の反撃そして全面勝利

著者名:澤藤統一郎
出版社名:日本評論社
発行年月:2022年07月30日

≪内容情報≫
批判封じと威圧のためにDHCから名誉毀損で訴えられた弁護士が表現の自由のために闘い、完全勝訴するまでの経緯を克明に語る。

【目次】
はじめに
第一章 ある日私は被告になった
1 えっ? 私が被告?
2 裁判の準備はひと仕事
3 スラップ批判のブログを開始
4 第一回の法廷で
5 えっ? 六〇〇〇万円を支払えだと?
6 「DHCスラップ訴訟」審理の争点
7 関連スラップでみごとな負けっぷりのDHC
8 DHCスラップ訴訟での勝訴判決
9 消化試合となった控訴審
10 勝算なきDHCの上告受理申立て
【第1章解説】
DHCスラップ訴訟の争点と獲得した判決の評価 光前幸一

第2章 そして私は原告になった
1 今度は「反撃」訴訟……なのだが
2 えっ? また私が被告に?
3 「反撃」訴訟が始まった
4 今度も早かった控訴審の審理
5 感動的な控訴審「秋吉判決」のスラップ違法論
【第2章解説】
DHCスラップ「反撃」訴訟の争点と獲得判決の意義 光前幸一

第3章 DHCスラップ訴訟から見えてきたもの
1 スラップの害悪
2 スラップと「政治とカネ」
3 スラップと消費者問題
4 DHCスラップ関連訴訟一〇件の顛末
5 積み残した課題
6 スラップをなくすために
【第3章解説】
スラップ訴訟の現状と今後 光前幸一

あとがき
資料(主なスラップ事例・参考資料等)

澤藤統一郎の憲法日記 © 2022. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.