表現の自由に対する脅迫行為に抗議し,権力者の介入を許さない声明(自由法曹団)
1 本年8月1日に開幕した国内最大規模の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の企画展の一つである「表現の不自由展・その後」が,テロ予告や脅迫,公権力の介入により,わずか3日で中止に追い込まれた。
そして,中止から1ヵ月が経過した現在も展示再開の目途は立っていない。「表現の不自由展・その後」は,「慰安婦」問題,天皇と戦争,植民地支配,憲法9条,政権批判など,2015年の「表現の不自由展」で扱った作品の「その後」に加え,同年以降,新たに公立美術館などで展示不許可になった作品を,当時いかにして「排除」されたのか,実際に展示不許可になった理由とともに展示する企画であり,愛知県美術館で本年10月14日まで開催される予定であった。ところが,日本軍「慰安婦」を題材にした少女像や昭和天皇の写真を使った作品などの展示が公表されると,テロ予告や脅迫を含むファックスや電話が祭典実行委員会や愛知県庁などに殺到したため,本年8月3日に企画を中止せざるをえなくなったのである。
2 多様な考えを持つ人々の存在を前提とする民主主義社会を維持・発展させるためには,各人が自由に自らの思想・意見を表明できることが必要であり,憲法21条で保障された表現の自由は,その手段を保障するものとして不可欠なものである。とりわけ政治的表現の自由を保障することは重要であり,どのような表現であっても,当該表現それ自体が犯罪となる場合等を除いて,原則として保障されなければならず,表現に対する批判は言論・表現行為でなされるべきである。今回のようにテロ予告や脅迫という犯罪行為を用いて,表現の自由を脅かしたことは許されないことである。
3 また,公権力を担うべき者が展示内容に介入する発言を行っていることも看過することはできない。河村たかし名古屋市長は本年8月2日,展示を視察した後,少女像の展示について「日本国民の心をふみにじるもの」「税金を使った場で展示すべきでない。」などと述べ大村知事に即時中止を求める公文書を送付した。また,菅義偉官房長官は同日の記者会見で,芸術祭が文化庁の助成事業となっていることに言及し,「補助金交付の決定にあたっては,事実関係を確認,精査して,適切に対応していきたい。」と発言した。その他にも「税金投入してやるべき展示会ではなかった。表現の自由とはいえ,たんなる誹謗中傷的な作品展示はふさわしくない。慰安婦はデマ」(松井一郎大阪市長),展示内容は「明らかに反日プロパガンダ。」(吉村洋文大阪府知事),「表現の自由から逸脱しており,もし神奈川県で同じことがあったとしたら絶対に開催を認めない」(黒岩祐治神奈川県知事)などと展示内容を批判する首長の発言が相次いでいる。前記のとおり,表現の自由は民主主義社会に不可欠なものとして,憲法21条で保障されており,その裏返しとして,国や自治体は憲法上,表現の自由を保障する責務を負っている。また,憲法21条2項は,戦前の日本で政府が芸術・文化や学問・研究の内容を検閲し,多様な価値観を抑圧して民主主義を窒息させ,国民を戦争に動員したことへの反省に立って,公権力による検閲を絶対的に禁止している。河村市長らの上記発言は,表現の自由を保障する責務を負うべき立場にある者が,表現内容に介入して,気にくわない表現は禁止,抑制しようとするものであり,憲法尊重擁護義務(憲法99条)に反し,検閲を彷彿させるものである。大村愛知県知事が,河村市長の上記発言を「検閲ととられても仕方がない。憲法違反の疑いが濃厚だ」と批判したのも当然である。4 自由法曹団は,表現の自由に対する脅迫行為に抗議するとともに,公権力を担う者が表現内容に介入したことに抗議し,発言の撤回を求める。
そして,一日も早い展示の再開を望むものである。
2019年9月5日
自由法曹団団長 船 尾 徹
? **************************************************************************
以上が、あいトレの企画展「表現の不自由展・その後」中止問題に関する、本日付の自由法曹団声明である。問題点がよく整理されていると思う。
自由法曹団は、戦前からある老舗の弁護士団体で、「基本的人権をまもり民主主義をつよめ、平和で独立した民主日本の実現に寄与すること」を目的としている。もちろん、私も、登録以来の自由法曹団団員弁護士である。
この声明が述べているとおり、大きな問題が二つある。
一つは、表現の自由に対する脅迫行為を許してはならないということである。この企画展に展示された16点の作品は、いずれもその展示に不自由を強いられた経歴を持つものばかりである。すべての人に心地よい創作というわけではない。これに対する批判はあろう。批判の見解をもつことも、批判の言論を表明することも自由である。しかし、制作者や展示に関わるものを脅迫して、展示を妨害することは許されない。
展示の妨害は、行為の態様次第で、脅迫罪にも強要罪にも、威力業務妨害罪にもなり得る。また、展示の妨害を煽ってはならないことはもちろん、企画展の威力による妨害を傍観しているのも感心した態度ではない。教室でのイジメ行為を見て見ぬふりの傍観者と同じく、消極的な違法行為加担者というべきなのだ。
二つ目は、権力を有する立場の者が、表現の自由抑圧に加担し介入してはならないということである。この点は、上記の声明に詳しい。ここに名の出た、河村たかし名古屋市長・菅義偉官房長官・松井一郎大阪市長・吉村洋文大阪府知事・黒岩祐治神奈川県知事らは、その不明・不名誉を恥じなければならない。
私は強調したい。表現の自由の保障を最も手厚く受けるべきは、時の権力から疎まれ憎まれる内容の表現である。あるいは時の多数派が嫌う内容の表現である。まさしく、「表現の不自由展・その後」に展示されたこの16点こそが、その典型である。権力に迎合し、社会の多数派に快い表現は、その表現の妨害に遭うことは考えがたく、ことさらに自由を保障する必要がない。そのような少数意見こそが貴重なのだ。行政が公金を用いて、貴重な少数意見の発表の場を作ることに何の問題もない。行政は、そのような環境整備に徹するべきで、「金は出しても、口は出さない」姿勢を貫かねばならない。
戦前の日本には、表現の自由はなかった。時の権力や社会の多数派が神聖なものとする、天皇や天皇制を批判する言論の自由がなかった。その反省から、日本国憲法21条が生まれた。しかし今なお、「戦前」は今につながっているということなのだろうか。
自由法曹団声明の結語のとおり、私も、強く「一日も早い展示の再開を望む」ものである。
(2019年9月5日)