澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

踏みにじられた香港の民主主義と、踏みにじった中国の非道を忘れない

(2021年3月30日)
 毎日新聞が、「香港『1国2制度』事実上終わる 全人代、選挙制度の見直し決定」と伝えている。なんということだ。香港に花開いた民主主義は、中国の野蛮な暴力に押し潰されたというのだ。文明の敗北であり、歴史の後退と嘆かざるを得ない。

 「中国の全国人民代表大会(全人代=国会)常務委員会は30日、香港の選挙制度見直しに関する議案を全会一致で可決した。香港政府トップの行政長官と立法会(議会)議員の選挙で民主派を徹底排除する内容で、次回の選挙から導入される見通し。中国の習近平指導部による香港への統制強化は区切りを迎え、香港の高度な自治を認めた『1国2制度』は事実上、終わりを告げた形だ。」

 予てから知られているとおり、中国に三権分立はなく、司法の独立もない。さらには地方自治の観念もない。そもそも人権思想がなく、民主主義の観念もない。だから、権力を縛るものがない。一党専制という権力は、何者にも掣肘されることなく、好き勝手にやり放題なのだ。そして、国外にある文明世界からの批判には、「内政干渉だ」と聞く耳を持たない。

 それゆえに、中国共産党という権力は、平然と香港の選挙制度を骨抜きにできるのだ。この蛮行は、民主主義の根幹をなす選挙制度の大骨も小骨も抜いてしまった。骨を抜かれて残ったグロテスクなものは、もはや「選挙」の骸ですらない。醜悪な権力の手先の任命手続でしかない。この、香港の民主主義に対する死の宣告が、「全会一致で可決した」ことに戦慄せざるを得ない。

「今回の制度見直しで、当局が愛国者と認めた人物しか選挙に出馬できなくなり、政治も完全に統制下に置いたといえる。新制度では、共産党や政府の方針に従う「愛国者」であるのかを基準に、立候補の可否を審査する委員会を設ける。」

 選挙とは本来、主権者人民が権力を形成する営みである。少なくも、主権者の意思を集約して権力に反映する手続でなくてはならない。だから、選挙制度設計の基本思想は、可及的に正確な人民の意思の集約と集約された意思のその議会への正確な反映である。自由な政党が存在し、自由な選挙運動が保障され、自由で平等な選挙権・被選挙権が保障されなければならない。秘密投票の徹底も必要である。

 ところが、今回の選挙制度の見直しは、その正反対なのだ。権力が人民の意思の正確な表出を、徹底的に歪めてしまおうというのだ。もちろん、権力の望む方向にである。予め選別した権力に迎合する人物だけを候補者として認め、不都合な人物には被選挙権を与えない。これは、「似非民主主義」とも、「擬似民主主義」とも言わない。専制支配というほかはない。

 ここで、権力の好悪の基準とされているものが、「愛国」である。「愛国」とは、共産党や政府の方針に従うことである。人民の意思で、党・権力を形成するのではなく、党・権力に追随する者のみを議員として取り込もうという発想。だからこそ、このようなグロテスクな「選挙制度」の議案が、全会一致で可決されるのだ。

 細かい仕組みについての改悪の説明は省く。要するに、行政長官選挙も、立法会議員選挙も、「愛国者」ではない民主派を徹底して押さえ込む制度となったのだ。「愛国者」という言葉の、なんという薄汚なさであろうか。「愛国」とは、権力による民衆操作のキーワードであり、他国民や国内少数派に対する差別用語でもある。

 人民の政治参加の王道は選挙にあり、路上での政治行動がこれに次ぐ。中国共産党は、路上の抗議行動を徹底して弾圧しただけでなく、選挙制度をへし曲げて人民の政治参加を妨害したのだ。

毎日新聞の記事は、「全人代は、香港住民に約束した内容をほごにした格好だ。欧米諸国が制度見直しへの批判を強めるのは必至とみられる。」と結んでいる。

 われわれも、非力ながらもせめては、途切れることなく声を上げ続けよう。香港の民主主義を支持し、中国の横暴を非難する発言を続けよう。現地で声を封じられた人たちを思いつつ。

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