「イスラム国人質救援活動と特定秘密保護法」憲法学習会にて
「根津・千駄木憲法問題学習会」は、毎月1回の例会を10年間も継続していらっしゃるとのこと。その地道な活動に敬意を表します。
本日は、2月の例会に特定秘密保護法の問題点についてお話しするようお招きを受けました。自分なりに、考えていることをお話しさせていただきます。
☆本日の「毎日」新聞投書欄に『謙虚な気持ちで名誉挽回を』という60歳男性の投稿があります。
「ウクライナ東部の停戦合意…これこそ外交、これこそ政治家…。対照的なのが、イスラム過激派組織『イスラム国』人質事件での日本政府の対応のお粗末さだ。有効な手立てもなく、交渉力ゼロ、有能な政治家ゼロの実態を世界にさらけ出してしまった。安倍首相の施政方針演説も説得力に乏しく、上すべりしているように感じられる。まずは事件を総括して、非があれば隠さず、国民の批判を仰ぎ、謙虚な気持ちで名誉挽回の道を歩み出すべきだ」
日本中の誰もの思いをズバリと代弁してくれた感があります。不祥事が起こったときには、
事実検証→総括→公表→批判→政策の改善→次の選挙での審判
というサイクルが作動しなければなりません。さて今回、はたしてこのサイクルが有効に作動するでしょうか。
大切なことは、この検証の過程が国民の目に見えるよう保障すべきこと。主権者国民は、暫定的に権限を負託した政府の行為を監視し批判しなければなりません。これに、障碍として立ちふさがるのが、あらたに施行となった特定秘密保護法。これまでは、言わば机上の空論だったのですが、今回初めて現実の素材が提供されたことになります。
既に、「岸田文雄外相は2月4日の衆議院予算委員会で、中東の過激派「イスラム国」とみられるグループに日本人2人が殺害された事件について、特定秘密保護法の対象となる情報がありうるとの認識を示した」と報じられています。
改めて、この間にシリアで起きたことを思い起こして、特定秘密保護法の別表とを見比べてください。「法」別表の第1号(防衛に関する事項)はともかく、第2号(外交関連)、第3号(特定有害活動=スパイ防止)、第4号(テロ防止)のいずれにも該当する可能性は極めて大きいといわざるを得ません。しかも、そのどれに該当するかも、指定があったかも明らかにされることはないのです。
権力の源泉は情報の独占にあります。政権を担う者は、常に情報を私物化し操作したいとの衝動をもちます。だから、情報の公開を義務づけることこそが重要なので、秘密保護法制は合理的で不可欠な、厳格に最低限度のものでなくてはなりません。
特定秘密保護法の基本的な考え方は、「国民はひたすら政府を信頼していればよい」「国民には、政府が許容する情報を与えておけばよい」ということです。そして、「情報から遮断される国民」には、国会議員も裁判官も含まれるのです。
これは民主々義・立憲主義の思想ではありません。国民は、いかなる政府も猜疑の目で監視しなければなりません。とりわけ、危険な安倍政権を信頼してはなりません。
情報操作(恣意的な情報秘匿と開示)は、民意の操作として時の権力の「魔法の杖」です。満州事変・大本営発表・トンキン湾事件・沖縄密約…。歴史を見れば明白ではありませんか。
☆特定秘密保護法の前史について、おさらいしておきたいと思います。
戦前の軍機保護(防牒)関係法として、国防保安法・軍機保護法・陸軍刑法・海軍刑法・軍用資源秘密保護法・要塞地帯法などがありました。また、基本法である「刑法」の第83?86条が「通謀利敵罪」を規定していました。その他、治安維持法・出版法・治安警察法・無線電信法などが治安立法として猛威を振るいました。
ゾルゲと尾崎は、国防保安法・軍機保護法・軍用資源秘密保護法・治安維持法の4法違反に問われて死刑となりました。なかでも、「最終形態としての国防保安法」(1941)は、軍事のみならず政治・経済・財政・外交の全過程を権力中枢の「国家機密」として「治安」を維持しようとするものでした。今回の特定秘密保護法は、処罰範囲の広さにおいてこれに似ています。
戦前の軍事機密法制は、国民に「見ざる。聞かざる。言わざる」を強制するものでした。「戦争は秘密から始まる」とも、「戦争は軍機の保護とともにやって来る」と言ってもよいと思います。
日本の国民は、敗戦によって身に沁みて知ることになりました。国民には正確な情報を知る権利がなければなりません。日本国憲法は、「表現の自由(憲法21条)」を保障しました。これはメディアの「自由に取材と報道ができる権利」だけでなく、国民の「真実を知る権利」を保障したものであります。
民主主義の政治過程は「選挙⇒立法⇒行政⇒司法」というサイクルをもっていますが、民意を反映すべき選挙の前提として、あるべき民意の形成が必要です。そのためには、国民が正確な情報を知らなければなりません。主権者たる国民を対象とした情報操作は民主主義の拠って立つ土台を揺るがします。戦前のNHKは、その積極的共犯者でした。
戦後の保守政治は、憲法改正を願望としただけでなく、戦前への復帰の一環として、防諜法制の立法化を企図し続けました。
たとえば、1958年自民党治安対策特別委員会「諜報活動取締法案大綱」、1961年「刑法改正準備草案」スパイ罪復活案、そして1985年国家秘密法(スパイ防止法)案上程の経過があります。国家秘密法案は、国民的な反撃でこれを廃案に追い込みましたが、その後の作土は続きました。
そして、特定秘密保護法制定の動きにつながります。2011年8月8日の「秘密保全のための法制の在り方に関する有識者会議報告」が発端となりました。第二次安倍政権が、これを法案化して上程、2013年12月6日に強行採決して成立に持ち込みます。そして、2014年12月10日施行となりました。
☆特定秘密保護法は、戦前の軍事機密法・治安法の役割を果たすものです。
問題点として指摘されるのは、重罰化、広範な処罰、要件の不明確、秘密取扱者の適性評価などです。
何よりも、重罰による「三猿化」強制強化が狙いです。内部告発の抑止ともなります。
これまでの国家(地方)公務員法違反(秘密漏示)の最高刑が懲役1年です。自衛隊法の防衛秘密漏洩罪でも懲役5年。これに対して、特定秘密保護法違反の最高刑は懲役10年。しかも、未遂も過失も処罰します。共謀・教唆・扇動も処罰対象です。将来、更に法改正で重罰化の可能性もあります。
気骨あるジャーナリストの公務員に対する夜討ち朝駆け取材攻勢は、秘密の暴露に成功しなくても、未遂で終わっても、犯罪となり得ます。民主主義にとって恐ろしいのは、「何が秘密かはヒミツ」の制度では、時の政府に不都合な情報はすべて特定秘密として、隠蔽できることです。国民はこれを検証する手段をもちません。国会も、裁判所もです。
さらに、国民にとって恐ろしいのは、「何が秘密かはヒミツ」という秘密保護法制に宿命的な罪刑法定主義(あらかじめ何が犯罪かが明示されていなければならない)との矛盾です。地雷は踏んで爆発して始めてその所在が分かります。国民にとって秘密保護法もまったく同じ。起訴されてはじめて、秘密に触れていたことが分かるのです。
国がもつ国政に関する情報は本来国民のものであって、主権者である国民に秘匿することは、行政の背信行為であり、民主々義の政治過程そのものを侵害する行為であります。これを許しておけば、議会制民主々義が危うくなります。裁判所への秘匿は、刑事事件における弁護権を侵害します。人権が危うくなります。
法律は、国会で改正も廃止もできます。超党派の議員での特定秘密保護法廃止法案は昨年(2014年)11月に国会に提出されています。これを支援する国民運動の展開が期待されます。小選挙区下での現行の国会情勢では直ぐには実現できないかも知れません。しかし、訴え続け、運動を継続していくことが大切で、その運動次第で、運用は変わってくるはずです。ジャーナリストが最前線に立たされていますが、国民運動はその背中を押し、支えて励ますことによって確実に萎縮を減殺することができるはずです。
ジャーナリストの萎縮は、国の運命を左右する最重要な情報について、国民の知る権利を侵害することになり、国民に取り返しのつかない被害をもたらすことになりかねません。
まずは、学ぶことから、そして考え話し合うことから始めようではありませんか。
(2015年2月18日)