(2022年11月18日)
昨日、タイのバンコックで、3年ぶりとなる日中首脳会談が実現した。「両首脳は、今後の日中関係の発展に向けて、首脳間も含めあらゆるレベルで緊密に意思疎通することで一致した」と報道されている。結構なことだ。習近平とも、プーチンとも、金正恩とも、機会があればではなく、機会を作って旺盛な対話を重ねることが大切だ。笑顔で握手できればもっとよい。懸案解決の合意ができなくても、合意の形成に向けて協議を継続すること自体が重要な意味をもつ。外交は、とにもかくにも対話から始まるのだから。
もちろん、昨日の会談が両国間の懸案を解決するものではない。穏健なNHKニュースも、「尖閣諸島をめぐる問題などの懸案が残る中、今後、関係改善を具体的に進められるかが課題となります」「岸田首相は、中国が日本のEEZ=排他的経済水域を含む日本の近海に弾道ミサイルを発射したことなど日本周辺の軍事的活動に深刻な懸念を伝えるとともに、台湾海峡の平和と安定の重要性を強調しました。」と報道している。笑顔での対話の舞台に、懸案事項解決の糸口を探らねばならない。
本日の毎日新聞朝刊トップは、もう少し突っ込んで、「首相は沖縄県・尖閣諸島を含む東シナ海情勢や、中国による弾道ミサイル発射など軍事的な活動に『深刻な懸念』を表明し『台湾海峡の平和と安定の重要性』を強調した」「岸田首相は中国での人権問題や邦人拘束事案などについて日本の立場に基づき、申し入れをした。日本産食品に対する輸入規制の早期撤廃を強く求めた。」などと報じている。日本側が中国との関係で抱える、懸案事項はいくつもあるのだ。
この会談が中国側では、どう報じられているか。中国事情に詳しい知人が「習近平・岸田文雄日中首脳会談の新華社報道」を送信してくれた。次のような添え書きがある。「今回はマイクロソフトのワードにある翻訳ソフトを利用しました。原文が先で日本語訳は後になっております。以前よりかなり進歩した翻訳結果が出ている気がします。」
ややたどたどしい日本語だが、新華社の報道の内容はほぼ分かる。驚いたのは、「習氏は」で始まる部分が圧倒的な分量で、「岸田文雄氏は」の部分は、4分の1もなさそうである。その全文(訳文のママ)が次のとおり。
「岸田文雄氏は、昨年 10 月に電話に成功し、新時代の要求に合致した日中関係の構築に合意したと述べた。現在、様々な分野での交流と協力が徐々に回復しています。 日中は隣国として、互いに脅威をもたらさず、平和に共存する必要がある。
日本の発展と繁栄は中国と不可分であり、その逆も同様である。
日本は、中国が自らの発展を通じて世界に積極的に貢献することを歓迎する。 日中協力は大きな可能性を秘めており、両国は地域及び世界の平和と繁栄に重要な責任を負っており、日本側は日中関係の健全かつ安定的な発展を達成するために中国と協力する用意がある。」
これに、主語不明の次の文章が続いて終わる。
「台湾問題については、日中共同声明で日本側が行った約束に変化はなかった。 中国との対話とコミュニケーションを強化し、日中関係の正しい方向を共にリードしたいと思います。」
これでは、日中間の懸案事項はまったく存在しないがごとくではないか。日本側の安全保障や人権問題、とりわけ台湾海峡や尖閣の問題についての切迫した問題意識は中国国民に伝わるはずもない。
一昔前のことだが、シンガポールの新聞記者で、日本語が上手な陸培春(ルー・ペイ・チュン)さんからアジア各紙のジャーナリズム事情について話を伺ったことがある。韓国・台湾・香港・タイ・インドネシアなどの話を聞いた後、「中国のジャーナリズムはどうなんでしょうか?」と聞いた。彼は怪訝そうな顔をして、「中国にジャーナリズムは存在しません」との記憶に残る一言。フーム。なるほど。
新華社の記事は党が、国民に知らせたいことだけを伝えているのだ。情報の統制によるマインドコントロールではないか。
念のために、習近平発言報道部分も、掲載しておく。これが中国流のメディアのあり方なのだ。
「習近平国家主席は現地時間 11 月 17 日午後、タイのバンコクで日本の岸田文雄首相と会談した。
習氏は、今年、中国と日本は国交正常化 50 周年を記念すると述べた。
過去 50 年間、双方は 4 つの政治文書と一連の重要な合意に達し、様々な分野での交流と協力が実りある成果を挙げ、両国の国民に重要な幸福をもたらし、地域の平和、発展、繁栄を促進した。 中国と日本は隣国であり、アジアと世界の重要な国であり、共通の利益と協力のための多くのスペースを持っています。 日中関係の重要性は変わらない。
中国は、戦略的観点から二国間関係の方向性を把握し、新時代の要求に合致した日中関係を構築するために、日本側と協力する用意がある。
習氏は、双方が誠実に接し、信頼を交わし、中国と日本の 4 つの政治文書の原則を堅持し、歴史的経験を総括し、互いの発展を客観的かつ合理的に捉え、「パートナーとして、互いに脅威を与えない」という政治的コンセンサスを政策に反映すべきであると強調した。歴史、台湾、その他の主要な原則の問題は、二国間関係の政治的基盤と基本的な信義に関係しており、その約束を堅持し、適切に対処しなければならない。
中国は他国の内政に干渉せず、いかなる口実で中国の内政に干渉も受け入れない。
習氏は、中国と日本の社会システムや国情は異なっており、双方は互いに尊重し、疑念を払拭すべきであると強調した。
海洋・領土紛争については、合意された原則的な合意を堅持し、政治的知恵を示し、相違を適切に管理するための責任を担うべきである。双方は、地理的近接性、人的交流、政府、政党、議会、地方、その他のチャネル間の交流と交流、特に長期的な視点で青少年交流を積極的に行い、相互の客観的かつ前向きな認識を醸成し、人々の心と心の共通性を促進するべきである。
習氏は、両国の経済相互依存は高く、デジタル経済、グリーン開発、金融・金融、医療、年金、産業チェーンの安定的かつ円滑な運営の維持など、対話と協力を強化し、相互利益とウィンウィンの状況を実現する必要があると指摘した。
両国は、それぞれの長期的な利益と地域共通の利益に焦点を当て、戦略的自律性、良好な隣人関係、紛争との対立に抵抗し、真の多国間主義を実践し、地域統合プロセスを促進し、アジアを発展させ、構築し、地球規模の課題に共同で取り組むべきである。」
(2022年11月17日)
安倍晋三元首相の「国葬」を検証する衆院各派代表者による協議会が、14日、会合を開き、参考人の意見を聴取した。
川上和久麗澤大教授、西田亮介東工大リベラルアーツ研究教育院准教授、そして、宮間純一中央大教授が意見陳述をした。
その席で、宮間教授は、今後の国葬実施の「基準づくり」ではなく、「国葬自体の是非が議論されてしかるべきだ」「一人の人間の死を国家が権威付けする理由や目的が不明瞭だ。現代の自由な思想、価値観、多様性を重んじる日本社会の中で、特に価値の是非が分かれる政治家の国葬が必要なのか根本的に疑問だ」と述べたという。
さらに、「戦前の国葬は大日本帝国憲法下で天皇から下賜され、民衆の思想・言論を抑圧する装置として機能し、「植民地支配や戦争へ国民を動員することに利用された儀式だ」と指摘し、「日本国憲法下ではそのまま使い回すことはできない」「戦前とどう違うのか国会で本格的に議論されることなく吉田茂元首相の国葬が強行され、『安倍国葬儀』も国葬と何が違うのか不明確なまま実施され、混乱を招いている」とも主張。(以上、主として赤旗による)まったくそのとおりだ。
そもそも「国葬」なんて、国家主義時代の遺物。安倍国葬で終わりにしなければならない。国葬は、本質的な矛盾をはらんでいる。国家・国民の総意としての弔意表明なくしては、「国葬」も「国葬儀」も成立し得ない。さりとて、国民個人には、思想・良心の自由が保障されている。弔意の強制は憲法上許されない。
結局は、「形式上強制は避けつつも、自主的な弔意の表明を要請する」という形で、事実上の弔意の強制が行われることになる。社会的同調圧力という権力のもつ武器が有効に働いて、「事実上の強制」がまかり通ることになる。
なお、常識的に「国葬」といえば、国民の圧倒的な多数が敬愛する人物を対象とする。国民的な敬意と弔意を確認することによって、全国民の一体感を高揚させるに足りる人物。多くの場合には、国葬を通じて偉大な被葬者の意思に沿った国家運営の正当性を確認し、国民を鼓舞することを目指すことにもなる。
安倍晋三は、そのような国葬対象者像とは対極にある。遠慮した物言いでも、毀誉褒貶定まらない人物。そして、人格的な問題を指摘されこそすれ、けっして尊敬される人格者ではない。しかも、政治家稼業三代目のボンボン。庶民の苦労とは無縁でもある。とうてい国民の圧倒的な多数が敬愛する人物ではない。この人物の葬儀を通じて、国民の一体感を確認し高揚することなど、夢想だにしえない。
安倍晋三に限らず、「自由な思想、価値観、多様性を重んじる日本社会」に、国葬にふさわしい人物がいるとは考え難い。国家が特定の個人を、国を挙げて弔意を表するという必要がどこにあるだろうか。
天皇や皇族も含めて、一切の国葬を廃絶しよう。弔意の強制なぞまっぴらご免だ。
(2022年11月16日)
東京都内の公立校教職員のすべてが、卒業式や入学式において、国歌斉唱の式次第の際には、「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱せよ」という職務命令を受ける。違反者には懲戒処分が科せられる。懲戒処分には、諸々の不利益が附随して生じる。個人の尊厳や自由、多様な考え方の尊重を軽視し、国家が重要で愛国心を育む教育が重要とする、時代錯誤の教育を象徴する風景である。
もちろん、昔からこうであったわけではない。とりわけ、都立高校は、「都立の自由」を誇っていた。卒業式には、日の丸も君が代もなかった。ごく一部の「ヘンな校長」が、式次第に「国歌斉唱」を盛り込むことはあっても、大部分の教職員が起立斉唱をすることはなかった。強制などは思いもよらぬこと。
この事態を一変させたのが、「10・23通達」である。日の丸・君が代に対する起立斉唱を強制し、違反者には懲戒処分を科すとするもの。これを強行したのは、右翼にして国家主義者の、石原慎太郎という知事だった。石原は既に亡い。しかし、「10・23通達」は生き続けて今日に至っている。何とかして、東京都の教育に自由を取り戻さねばならない。
その手立ての一つとして、国際機関への訴えが、今、功を奏しつつある。国連の機関が、人権後進国の日本に「日の丸・君が代強制」の是正を勧告しているのだ。
一昨日(11月14日)の午後、《「日の丸・君が代」ILO/ユネスコ勧告実施市民会議》と、《アイム’89東京教育労働者組合》は、合同で東京都教育委員会(教育長)に申し入れを行う機会を得た。冒頭に、私が以下のように申し入れの趣旨を述べた。
「セアート第14会期最終報告」ならびに「自由権規約委員会第7回 対日審査総括所見」に基づく申入を行います。
まず、「申し入れの趣旨」を申しあげます。
「東京都教育委員会は、国際機関の是正勧告を真摯に受け止め、直ちに10・23通達を廃し、国歌の起立斉唱の強制をやめることを求めます」
「申し入れの理由」をお聞きいただきたい。
教員に対する国歌起立斉唱の強制に対し、2つの国際機関が是正を求める勧告を行っています。いずれも、形式上は国に対する勧告ですが、実質は都教委宛のものです。都教委が、国際機関から、叱責を受けているのです。
セアート(ILO/ュネスコ教職員勧告適用合同専門家委員会)第13会期最終報告は、東京都で教員に対して行われている国旗の起立斉唱の強制が市民的権利を侵害しているとして、是正を求める勧告を行った。これに対し、日本政府及び東京都教育委員会は、是正をしないまま、起立斉唱の強制を続けている。
セアートは2021年10月第14回委員会において、再度の勧告を行うことを採択し、2022年6月にはILOがこの勧告を承認・公表した。
セアートは、第14会期最終報告において、「加盟国が全員一致で採択した規範的文書という地位は、1966年勧告に重要な政治的道徳的迫力を与えている。」とし、教員の地位勧告の重要性を示している。そして、加盟国でありながら、国歌起立斉唱の強制を是正しない日本政府に対し、強制の是正に向けた具体的措置をとることを求めたのです。
さらに、11月3日には国連自由権規約委員会第7回対日審査総括所見が出されています。
「締約国(日本)は、思想及び良心の自由の効果的な行使を保障し、また、規約第18条により許容される、限定的に解釈される制限事由を超えて当該自由を制限することのあるいかなる行動も控えるべきである。締約国は、自国の法令及び実務を規約第18条に適合させるべきである。」と明言しています。
その過程の2022年10月14日自由権規約第7回審査において、スペインのゴメス委員から日本政府代表に、要旨以下の質問が出されています。
「2003年以降、東京都教育委員会は毎年都立学校の教員が国旗掲揚の際、起立し国歌を斉唱することを通達している。起立斉唱しなかった484人の教員に対して処罰が科される。 規約18条で保障されている思想・良心の自由とどのような整合性があるのか伺いたい。」
以上のとおり、東京都教育委員会が行っている、国旗起立国歌斉唱の強制について2つの国際機関から3度の是正勧告が出されています。東京都教育委員会は、これらの国際勧告を真摯に受け止め、直ちに10・23通達を廃し、国歌の起立斉唱の強制をやめなければなりません。そのことを厳重に申し入れます。
(2022年11月15日)
ジャーナリスト有田芳生が「統一教会―銃撃・北朝鮮・自民党―」と表題したパンフを作成している。編集・発行は立憲フォーラム、頒価100円。今起きている問題の整理に手頃な内容。
その冒頭に、「有田芳生×与良正男」の「30年の放置繰り返すな」と題する対談が掲載されている。毎日新聞9月2日夕刊記事の転載。その中で、有田はこう詳しく語っている。
有田 一連のオウム事件が裁判の局面に移った95年秋のことです。警察庁と警視庁の幹部に呼ばれ、統一教会についてレクチャーしてほしいと頼まれたんです。当日、全国から集まった目の鋭い男性たちの前で教団の歴史や霊感商法の手口などを話しました。終了後、両庁の幹部に聞くと、「オウム事件はほぽ決着がついた。次は統一教会の摘発を準備している」と言うのです。
与良 ところが、その後も摘発は行われませんでした。
有田 10年たった2005年、警視庁公安部の幹部2人と居酒屋で飲む機会がありました。「統一教会をやると言っていたけど、何もなかったじゃないですか」と聞いたら、「政治の力だ」と。それ以上は言わないんですが、警察に太いパイプを持つ政治家が動いたとしか考えられませんでした。実際、07年の教団の内部資料を見ると、「対策費」という名目で毎月1億円の予算がついている。その一部は「警察に強い国会議員の対策」と関係者から聞きました。おそらく領収書のあるようなお金ではないので、どこへどう流れたかは確認しようがない。ですが、こうした資料から推測すると、95年以降、警察の動きを察知した教団が政界への働きかけを図っていた可能性が浮かんできます。
この対談は8月下旬と思われるが、そのときにはこのような発言が問題となるとは思いもよらなかっただろう。
有田は8月18日には、テレビ朝日「モーニングショー」に出演し、旧統一教会に関連して要約以下の発言をしている。
「1995年秋に警察庁と警視庁の幹部の依頼で、対象者を聞かずに20?30人を相手にレクチャーを行い、その際に、「統一教会の摘発」を視野に入れていると聞いたと明かした。
そのうえで、その10年後のこととして「幹部2人と話をした時に、10年たって、今だから言えることを教えてくれって聞いたんですよ。なんでダメだったんですか。一言ですよ。『政治の力』だったって。圧力」
8月19日放送の日本テレビ番組「スッキリ」でも同趣旨の発言がなされている。
そして、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)は、10月27日に至って有田と日本テレビを被告として、名誉毀損訴訟を東京地裁に提起した。請求金額は2200万円である。典型的なスラップ訴訟といってよい。
報道によると、「スッキリ」で有田がした教団についての発言内容は、以下のとおりである。
「一時期距離を置いていた国会議員達も、もう一度あの今のような関係を造ってしまったっていうその二つの問題があるということを思うんですが、どうすればいいかっていうのは、やはりあの、もう霊感商法をやってきた反社会的集団だって言うのは警察庁ももう認めているわけですから、そういう団体とは今回の問題をきっかけに、一切関係をもたないと、そういうことをあのスッキリ言わなきゃだめだと思うんですけどね」
要約すれば、「霊感商法をやってきた反社会的集団だっていうのは警察庁ももう認めている」という内容。これが名誉毀損文言であると主張されている。
とすれば、この訴訟は比較的単純な事実摘示型名誉毀損訴訟である。報道が正確なものだったとして、有田の「霊感商法をやってきた反社会的集団だっていうのは警察庁ももう認めている」という発言が、統一教会の社会的評価を低下させるに十分な名誉毀損文言に当たることは論を待たない。
訴訟では、被告の側の抗弁として、公共性・公益性・真実性(または相当性)を挙証しなければならないことになる。名誉毀損訴訟の実務において、公共性と公益性の立証のハードルはさして高いものではない。問題は、事実上真実性(または真実と信じたことについての相当性)の立証如何に絞られる。
被告は2名だが、日テレ側が有田発言の真実性の立証に格別の役割を果たすことは考え難い。被告有田自身が真実性や相当性の立証活動に奔走しなければならないことになる。軽々には言えないが、スラップの提起そのものを違法とした反訴の提起にも期待したい。
(2022年11月14日)
DHCが身売りするという。その買い手はオリックス。事業は承継されるが、吉田嘉明は経営から手を引き、ブランド力を強化するという。DHCmなんぼかマシになるのだろう。吉田嘉明が経営から脱しさえすれば、それだけでマイナスイメージが薄められ、ブランド力は向上する。
消費者がその力量を発揮してDHCを追い込んだという構図ではなさそうなことが少々は残念だが、デマとヘイトとスラップの元兇と目されてきた吉田嘉明退任だけでも、良いニュースと捉えよう。
少し考えさせられる。私が、DHC・吉田嘉明とスラップ訴訟を闘っているときであったら、どうなっていただろうか。訴訟継続の是非は、新経営陣の判断に任されたであろう。そのときには、どのような訴訟終了の選択がなされただろうか。
もっと早期に吉田嘉明が経営から手を引いていれば、私が被告とされることはなかったのに、と思わないでもない。こういう傍迷惑な問題経営者がのさばっているのは、社会の歪みである。DHCには、まずは早期に、純粋な経済合理性に基づく企業活動のできる会社への変身を期待したい。
その後は、コンプライアンスに遺漏なく、企業倫理を弁えたDHCへの成長を期待したい。吉田嘉明さえいなければ可能であろう。
さて、このDHCの身売りの事情については、いつもながらリテラの報道が、詳しいし、的確である。下記URLを参照されたい
オリックスDHC買収で「虎ノ門ニュース」だけでなくヘイトデマ垂れ流しの「DHC テレビ」も解体の動き 問われる吉田会長の責任
https://lite-ra.com/2022/11/post-6244.html
以下何か所か、引用させていただく。
今月7日、DHCテレビジョンが制作するネット配信番組『真相深入り!虎ノ門ニュース』が11月18日をもって終了すると発表された。『虎ノ門ニュース』といえば、百田尚樹氏や有本香氏、ケント・ギルバート氏、竹田恒泰氏などといった安倍政権応援団がコメンテーターとして勢揃いし、ヘイトと陰謀論、フェイクを撒き散らかしてきた“ネトウヨの巣窟”的番組。それが7年8カ月の歴史に幕を下ろすと公表され、歓迎の声の一方で「いったいなぜ」と憶測を呼んでいたのだが、その理由が明らかになった。
11日にオリックスが、DHCテレビの親会社であるDHCを、事業継承目的で買収すると発表したのだ。
オリックスはDHC創業者でDHCテレビの代表取締役会長でもある吉田嘉明・DHC会長兼社長から全株式を買い取り、吉田会長兼社長は株式譲渡完了後に退任する。
オリックスによる買収にともなうかたちで、DHCを冠にしたヘイトメディアは消滅する可能性はかなり高いと思われるが、そのことを手放しで喜ぶことはできない。このままでは、オリックスの事業継承によって、吉田会長やDHCテレビが喧伝してきた犯罪的なヘイト・陰謀論などがなかったことにされ、問題自体がフェードアウトしてしまう恐れがあるからだ。
しかも、DHCテレビがなくなっても、もっとも酷いかたちで復活する可能性もある。前述したように、今回の買収総額は3000億円程度と言われており、吉田会長は莫大な金を手に入れることになる。新たなメディアを立ち上げることはもちろん、巨額の資金をバックに政界に進出しても、何ら不思議はない。
こういった暴挙を許さないためにも、DHCの名の下に吉田会長が垂れ流してきた差別、DHCテレビが流布してきたデマやヘイトをなかったことにせず、その犯罪性を改めて徹底的に糾弾していく必要がある。
そしてもちろん、DHCを買収し、吉田会長に巨額の金を払うことになるオリックスもその社会的責任が問われるべきだ。
オリックスは、メディアの取材に「人種などによるあらゆる差別を容認しない」という通り一遍のコメントを出しただけで、ネット上では「差別を容認しないなら、なぜそんな会社を買うのか」と批判を受けているが、たしかに、この程度の対応でお茶を濁していいはずがない。
少なくとも、DHCの事業を引き継ぐ以上、その代表、会社および関連会社がやってきた行為についてきちんと総括したうえで、吉田会長をきちんと名指ししてヘイトを批判し、社会や被害者に対して真摯に謝罪する必要があるはずだ。
まことに、そのとおり。カネは、凶器になるのだ。カネモチは、危険なある。ある。
(2022年11月13日)
先週日曜日(11月6日)の毎日新聞朝刊トップに、「旧統一教会教祖の発言録が流出 『安倍派を中心に』浮かぶ政界工作」という大見出し。
統一教会(現名称は「世界平和統一家庭連合」)は、意識的に「安倍派」を手掛かりに「政界工作」を行うという構想を持っていたという記事。今や、常識に属することだが、教団側の資料が生々しくそのことを物語っている。
教祖・文鮮明の厖大な韓国語説教録が残されているという。「文鮮明先生マルスム(御言)選集」と題されたもので、各巻300?400ページ、実に615巻に及ぶ。毎日新聞は、その全部がネットに「流出」していることを把握し、内容の信憑性を確認して、日本語に翻訳した。
その中で、毎日が注目したのは、この「選集」に記された統一教会と日本政界との関わりである。文が1989年に韓国で行った説教では、「自民党の安倍晋太郎(元外相)が当時会長を務めていた保守系派閥「安倍派」(清和会)を中心に国会議員との関係強化を図るよう信者に語っていた」という。
選集468巻264ページによると、文は04年9月16日の説教の中で「岸首相(の時)から私が(日本の政界に)手を出した」と振り返り、自ら岸氏に接近したことを示唆している。
以下、毎日記事記事の、要約引用である。
「これに続けて『中曽根の時に130人の国会議員を当選させた』とも語った。教団系政治団体「国際勝共連合」が発行する「思想新聞」は、中曽根政権下で行われた86年7月の衆参同日選で、当選した638人のうち130人について『勝共推進議員』と報じており、文氏は教団の支援によって多くの当選者を輩出したと強調したとみられる。
思想新聞によれば、晋太郎氏は88年2月の勝共連合の懇親会で『皆さんには我が党同志をはじめ大変お世話になっている』とあいさつしたといい、晋太郎氏ら自民党の保守系議員と教団との関係が深まっていたことがうかがわれる。この後、文氏は安倍派を中心とした更なる関係強化を口にする。
『国会議員の秘書を輩出する』
192巻250?251ページの記述によると、文氏は89年7月4日、日本の政治をテーマに韓国で行った説教の中で「国会議員との関係強化」に言及し「そのようにして、国会内で教会をつくる」「そこで原理を教育することなどで、全てのことが可能になる」と語った。
加えて「国会議員の秘書を輩出する」「体制の形成を国会内を中心としてやる。そのような組織体制を整えなければならないだろう」「そして、自民党の安倍派などを中心にして、クボキを中心に超党派的にそうした議員たちを結成し、その数を徐々に増やしていかないといけない。分かるよな?」と語った。
クボキは、日本の教団本体と勝共連合で初代会長を務めた久保木修己氏を指すとみられる。
さらに「行動結束と挙国だ。挙国とは国を挙げて一致団結することだ」「日本の中央の国会議員たちだけではなく、地方もそうだ。地方には皆さんがいるよね? 分かるだろ?」と地方政界にも言及した。」
岸氏、晋太郎氏と「親子2代」の関係を築いた文氏は、岸派を源流とする安倍派との関係を強化することで、日本政界への影響力を高めようとしたとみられる。実際、晋三氏が率いていた現在の安倍派を中心とした議員に教団との接点が次々と明らかになっており、清和会との関係強化を訴えた文氏の発言が今につながっているとみることもできる。」
また、毎日は、元信者で教団関連の「世界日報」記者だった金沢大の仲正昌樹教授(政治思想史)の次の言葉を紹介している。
「教団はいろんな議員にアプローチする中で結果的に『反共』の議員が集まる清和会との関係強化に狙いを絞ったのではないか。」
なるほど、「統一教会」と「安倍派」、似た者同士。反共という赤い糸で結ばれた切っても切れない間柄。お互いに、利用価値があったに違いない。「安倍派」は「統一教会」に選挙協力を求めた。「統一教会」が、「安倍派」に求めた見返りとは、文のいう「国会議員との関係強化」⇒「そのようにして、国会内で教会をつくる」⇒「そこで原理を教育することなどで、全てのことが可能になる」という構想の実現のごとくである。
この文脈の中では、「安倍派」の「統一教会」への見返りの提供のなかに、霊感商法取締りへの手心が含まれていたとしても不思議ではない。このことについての今後の徹底解明が望まれる。
(2022年11月12日)
安倍晋三が選挙演説中に銃撃されて亡くなったのが本年7月8日のできごと。あれから、参院選挙があり、安倍国葬が行われ、統一教会批判の世論が澎湃として起こり、岸田内閣の支持率が大きく低下した。臨時国会は、「統一教会問題国会」となって政権は防戦一方の体である。岸田が手にしたかに見えた、「黄金の3年間」は完全に潰えた。
山上徹也の一発の銃弾が時代の状況を転換したと言えなくもない。が、実のところ、マグマは十分にたまっていたのだ。小さな一穴は、噴火を引き起こすきっかけに過ぎなかった。まさしく、蟻の一穴が堤防を崩して洪水をもたらした。
政権はカルトとの癒着によって腐敗し悪臭を放ってはいた。が、薄皮一枚の「臭いものへの蓋」で人目に触れなかった。鋭敏な人を例外として、その悪臭の漏れには気付かなかった。
安倍晋三の死は、当初政治的テロによるものと疑われたが、間もなくそうではないことが明らかとなった。統一教会と癒着し一体化していた政治家として、安倍晋三は「統一教会二世」の憎悪の標的とされたのだ。ようやく薄皮一枚の蓋が取れ、政権腐敗の実態が明らかにされた。そのことの報道は、世の人々を驚かせただけでなく、安倍晋三批判、自民党批判の高いボルテージとなった。にもかかわらず、敢えてした安倍国葬が岸田政権への批判となった。
今なお、アベ政治の虚飾を剥ぎ取り、腐敗にまみれたその実態を明らかにする作業が進行中である。その徹底のために、なおメディアの奮闘に期待したい。が、もう一つ注目すべきは、山上徹也の刑事公判である。カルトが人を不幸にする典型例を語る彼の肉声のインパクトはこの上なく強い。公開の法廷での彼の言い分に耳を傾けたい。
殺人事件である。その弁護方針は、徹底して動機を解明することを主軸とする。その動機は、統一教会がもたらした彼の生育歴における悲惨さと、彼に不幸をもたらした統一教会と安倍晋三の一体性の立証を柱とすることになるだろう。弁護団の活動に期待したい。
また、被疑者段階では3名に制約された弁護人が、被疑者本人と十分な意思疎通に怠りないことと思う。しかるべき時期に、被疑者本人を代弁した社会に対しての発信があってしかるべきだと思う。そのことも、弁護人の任務の一端ではないか。
その被疑者山上徹也は、今鑑定留置とされている。事情を知らない我々には、鑑定留置とすべき理由の存否について軽々に言及しがたい。その期間は7月25日から始まって、11月29日までと報じられている。彼が犯行直前まで発信してきたとされる1147件のツィート分析によれば、彼が精神的な疾患を有していることはほぼあり得ない。鑑定留置期間満了後、間もなくして彼は起訴となるだろう。
その頃、また世の中が安倍の死を思い起こし、安倍の死の意味を考えさせられることになる。またあらためて、岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三と三代続いたお騒がせ政治家家系と統一教会との関わりを突きつけられて、底の浅い日本の民主主義の成熟度を嘆くことにもなる。
一時は、山上の行為が連鎖するのではないかと恐れたが、幸いに杞憂に過ぎなかったようだ。人権を語る者は、死刑囚の人権にも配慮しなければならない。安倍晋三についても同様である。「善人なおもて人権をもつ いわんや悪人においてをや」なのである。
それだけではない。今の世に、政治的テロはけっして成功し得ない。テロの標的とされた人物を美化し、神格化さえすることになって、テロの目的に反する政治的な効果をもたらすからだ。山上の安倍晋三襲撃の動機が政治的イデオロギーにもとづくものであったとすれば、殉教者安倍晋三は死して大きな政治的影響力をもつ存在となったであろう。たまたまそうではなかったが、けっして暴力による政治活動を許してはならない。迂遠に見えても、政治は言論によって変えていくしかない。山上の銃撃に賛意を表してはならない。
(2022年11月11日)
葉梨康弘という政治家が話題の人となった。本日辞表提出とのことで、メディアを賑わせている。これまで知らなかったお名前だが、彼の望み通りに、突然に有名政治家となった。「失言」によってではなく、「本音」を吐露したことによってである。
東京都三鷹市出身で、教駒を経て東大法学部卒業。警察官僚から政治家に転身して宏池会に所属。衆院選に6回当選して本年8月初入閣し法務大臣となった。ご多分に漏れず、茨城3区を地盤とする世襲3代目議員だという。絵に書いたような官僚出身自民党政治家の典型人物。
これまでの彼の政治姿勢などネットで検索してみて、少し考え込んでしまった。この人、けっしてアホでもなければ、ワルでもない。保守ではあっても頑迷ではない。人権が大切などという教育は、十分に受けてきたはずの人。それが、どうして冗談交じりで軽々しく死刑執行を語ることができるのだろうか。
もしかしたら、これは葉梨一人の問題ではなく、日本の中等教育、大学教育の根本的な欠陥を露呈する深刻な問題ではないだろうか。受験競争を勝ち抜いた高学歴層に人権というものが理解されていない。それは、紙の上に書かれた文字、せいぜいが法的概念でしかない。身に沁みた、血肉化されたものとはなっていないのだ。凶悪犯人の人権など彼の脳裏には存在しないのかも知れない。有名進学高の教員たちも東大法学部の教員も、これでいいのか、どうすれば良いのか、考えなおさねばならないのでは。
批判されている彼の発言はいくつもあるが、何よりも、法務大臣の身で、「朝、死刑(執行)のはんこを押して、昼のニュースのトップになるのは、そういう時だけという地味な役職」と述べたことである。
軽薄極まるということもさることながら、明らかに人権感覚の欠如を物語っている。人間の尊厳に対する畏敬の念がないのだ。人権を侵害された人、人権侵害の危機にある人の思いへの共感能力に欠けているのだ。現代の教育は、こういう高学歴の欠陥人間を大量に生み出してきたのではないか。
公権力が、人間の命を奪うということへの疑問も、その仕事に携わる心の痛みのかけらもない。思い出す。海部内閣の時代に左藤恵という法務大臣がいた。この人、真宗大谷派の僧侶でもあり、真っ当な弁護士でもあった。その信念に従って、法相在任中には、死刑執行命令書に署名しなかった。もちろん、賛否は分かれたが、自民党政権にも、このような気骨ある大臣がいたのだ。
また、民主党政権で法務大臣を千葉景子氏は、命令書に署名した死刑の執行に立ち会った。その後、東京拘置所の刑場を報道機関に公開し、制度の存否を含めた議論を呼びかけてもいる。この人も弁護士である。
葉梨康弘の発言は、この人の人権感覚の欠落を露呈したものとして撤回に馴染まない。謝罪すべき対象もない。さすがに、岸田首相もこのような人物を法務大臣として閣内に留めるわけにはいかなかったようだ。
あらためて思う。はたしてその資質において閣内に置くベからざる閣僚は彼一人であろうか。じつは、多数の「葉梨康弘」がひしめいているのではないだろうか。
(2022年11月10日)
昨日、東京地裁で興味深い名誉毀損事件判決が言い渡された。共同通信は、「産経新聞と門田隆将氏に賠償命令 森友記事、2議員名誉毀損」との分かり易い見出しで報じている。
原告の2議員とは、立憲の小西洋之、杉尾秀哉両参院議員。この見出しのとおり、被告は産経新聞と門田隆将、メディアとライターである。請求は880万円、認容額は220万円であった。
朝日の報道が的確な内容となっているが、その見出しは「『国会議員が職員つるし上げ』表現めぐり産経新聞と門田氏に賠償命令」というもの。この見出しは、不正確とまでは言えないが、ややミスリードではないか。「つるし上げ」という表現が問題になったわけではない。記事の日本語としての文意の理解如何が問題となった。朝日の報道は以下のとおりである。
「学校法人森友学園への国有地売却をめぐる財務省の公文書改ざん問題を取り上げた、産経新聞への寄稿記事で名誉を傷つけられたとして、立憲民主党の小西洋之、杉尾秀哉両参院議員が、産経新聞社と筆者でジャーナリストの門田隆将氏に計880万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決が9日、東京地裁(大嶋洋志裁判長)であった。判決は名誉毀損を認め、産経新聞社と門田氏に計220万円の支払いを命じた。
記事は2020年10月25日付の朝刊に掲載。18年3月に財務省近畿財務局の職員が自殺した件に言及し「(両議員は)財務省に乗り込み、約1時間、職員をつるし上げている。当該職員の自殺は翌日だった」と記載した。一方、両議員が訪れたのは東京の本省で、自殺した職員には面会していなかった。
判決は、『当該』との単語が使われ、連続した2文で構成されたこの文章を読めば『読者は、両議員が自殺前日にこの職員を集団的に批判、問責し、自殺の要因になったと理解する』と判断し…名誉毀損を認めた。」
森友学園の決裁文書について、命じられた改ざん実行を苦に自殺した近畿財務局の元職員赤木俊夫さんの死をめぐる門田隆将の産経寄稿記事のなかに国会議員に対する名誉毀損表現があったとされて、訴訟になった。
原告となった両議員が、門田の産経寄稿記事における名誉毀損表現として特定したのは、「(両議員が)財務省に乗り込み、約1時間、職員をつるし上げている。当該職員の自殺は翌日だった」という文章。原告両議員は訴訟で「この記事は我々が赤木さんをつるし上げ自殺に追いやったとする内容だ」「それゆえ、この記事は両議員の議員としての名誉を著しく毀損するもの」と主張。これに対し、被告両名は「つるし上げを受けた職員と自殺した職員が別人であることは、容易に理解できる」と反論した。
判決は、「(この文章の)読者は、両議員が自殺前日にこの職員を集団的に批判、問責し、自殺の要因になったと理解する」と判断した。記事内のつるし上げられた職員と自殺した職員は同じ人物を示していると読み取れると認定。「国会議員としての社会的評価を低下させたのは明らか」と結論付けた。
以下は、判決後の門田のツィッターである。悔しさが滲んでいるが、具体性に欠け、判決批判になっていない。
「添付の私のコラムを読んで頂きたい。自殺した近畿財務局職員の上司に関する新聞の意図的報道を取り上げたものだ。これに何と“我々への名誉毀損”と訴えてきたのが立憲の小西洋之&杉尾秀哉両議員。どこが名誉毀損?と門前払いと思ったら司法は彼らの訴えを認めた。唖然…左傾化し正義を捨てた日本の司法」
この判決をもって「左傾化し正義を捨てた日本の司法」とする悪罵に、「唖然…」とするしかない。
2022年10月25日産経朝刊への門田寄稿の問題箇所は以下のとおりである。
「国会で野党が安倍晋三首相や、佐川宣寿理財局長を糾弾し、同時に公開ヒアリングと称して官僚が吊るし上げられていたことを思い出してほしい。平成30年3月5日、福島瑞穂氏(社民)、森裕子氏(自由)ら野党は近畿財務局に乗り込み、数時間も居座り、押し問答を続けた。また東京では、翌6日、民進党の杉尾秀哉、小西洋之両氏が財務省に乗り込み、約1時間職員を吊るし上げている。当該職員の自殺はその翌日の7日だった。」
この内の「また東京では、翌6日、民進党の杉尾秀哉、小西洋之両氏が財務省に乗り込み、約1時間職員を吊るし上げている。当該職員の自殺はその翌日の7日だった。」という文章をどう読むべきか。「6日、両議員は約1時間職員を吊るし上げている。当該職員の自殺はその翌日の7日だった。」という文章を素直に読めば、「6日に両議員が約1時間職員を吊るし上げ、吊し上げられた当該職員が翌日の7日に自殺した」という文意に読みとるしかないと思われる。
判例は、一定の記事の内容が事実に反し名誉を毀損すべき意味のものかどうかについては、繰り返して「一般読者の普通の注意と読み方とを基準として判断すべきである」と判示している。
昨日の東京地裁判決も、「一般読者の普通の注意と読み方とを基準として判断」して、門田の文章を『一般読者は、両議員が自殺前日にこの職員を集団的に批判、問責し、自殺の要因になったと理解する』と判断して…名誉毀損を認めたのだ。
物書きに思い込みは禁物である。自分の文章を「一般読者の普通の注意と読み方とを基準として」どう理解されるかを弁えなければならない。「どこが名誉毀損?」「唖然…左傾化し正義を捨てた日本の司法」などと責任転嫁する以前に、である。
(2022年11月9日)
内閣支持率は低ければ低いほど良い。なまじ高支持率の内閣は傲慢となって、その奇っ怪な本性を現す。少しでもマシな政策を実行させるためには、支持率を低くしておくに限る。
世論調査における岸田内閣の支持率低下に歯止めがかからない。結構なことだ。何とか手を打たなくてはならないとの思いからであろう。岸田は昨日突然に、統一教会の被害者救済新法の成立に本腰を入れることを表明した。今国会での法案提出に最大限努力するという。内閣支持率低迷も、被害者救済新法成立見通しも結構なことではないか。
具体的な岸田の言は、「政府として、今国会を視野にできる限り早く提出すべく最大限の努力を行う」というもの。これに先立つて、公明党の山口那津男代表と官邸で会談。新法の主な内容について合意したという。これで、統一教会被害者救済新法は、議員立法でなく政府案として国会提出される見通しとなった。
自民党議員とりわけ安倍派と教団との癒着を背景に、及び腰に見える取り組みが世論の離反を招いたため、岸田が態度を変えて厳しく対処する姿勢を押し出した、と報じられている。
昨日首相は記者団に対し、新法の内容として、
(1) 社会的に許容しがたい悪質な寄付の勧誘行為を禁止、
(2) 悪質な勧誘行為に基づく寄付の取消しや損害賠償請求を可能とする、
(3) 子や配偶者に生じた被害の救済を可能とする
―の3点を挙げた。
異存はない。早期の法案化を期待したい。
もっとも、この急進展歓迎の一色ではない。先月24日に、迅速で適切な対応を求める声明を出した宗教研究者有志の代表で、北海道大大学院の桜井義秀教授(宗教社会学)は、被害者救済を急ぐ必要性を指摘しながらも、「旧統一教会の統制目的で、他の宗教団体に影響が及んでは意味がない」「宗教団体の組織存続の要は寄付や献金、布施であり、さまざまな団体が納得する形にするべきだ」と発言している。このような貴重な意見も踏まえて、法案はバランスの取れたものになるだろう。
なお、首相は「私自身、旧統一教会の被害者の方々と内々にお会いし、凄惨(せいさん)な経験を直接お伺いした」と教団被害者に既に直接面会したと明らかにし、「政治家として胸が引き裂かれる思いがした」と言及。「政府として被害者救済と再発防止のために、更にペースを速め、範囲を広げて新たな法制度の実現に取り組む決意をした」と語った。政府関係者によると、首相は被害者3人と面会し、約1時間半にわたり話を聞いたという。揶揄することなく、「首相の言や良し」というべきである。これも、低支持率の賜物。