今は亡き弟、35歳での労組支部長就任挨拶
(2021年11月12日)
弟・明の急逝が本年8月12日。葬儀が同月の15日だった。本日が、3度目の月命日となる。喪失感は、まだ癒えない。
先月12日の当ブログに、亡弟についての記事を書いたところ、元毎日新聞労働組合本部書記長を務めた福島清さんから、ご親切に弟の組合活動に関する資料をお送りいただいた。厖大な資料の中から探していただいたであろうことに、感謝に堪えない。
送っていただいた資料の中に、毎日労組西日本支部の機関紙「いぶき」のコピーがあった。1983年10月4日号の一面が「第37回定期支部大会」を報じている。その大会で、弟は支部長に選任されている。
その紙面に、「39期澤藤執行部がスタート」という見出しで、下記の澤藤明新支部長の挨拶が掲載されている。「1人1人手携え」「前途多難 乗り越える努力」という表題が付けられ、いかにも若々しい、弟の顔写真が添えられている。当時、弟は35歳。
やや長文で、掲載は抜粋にしようと思ったが、どうしても削れない。全文を掲載させていただく。
「今責任の重さに身が打ちひしがれそうな状態です。西部支部760人の生活と権利を守っていく戦いのトップに立たねばならない。自分の器でやれるのだろうか。若くて未熟な私がやって本当によいのだろうか。正直言ってこんな疑問を自分自身にぶつけながらの支部長就任でした。
推薦委員会からの推薦を受け職場(整理部)の仲間から尻をたたかれるような『激励』の波に洗われているうちに、山口支局時代に取材した自衛官合祀訴訟の原告中谷康子さんの言葉をふと思い出しました。中谷さんの夫は自衛官として在職中に死亡。その霊を自衛隊が護国神社に合祀したことにクリスチャンである中谷さんが反発、合祀を取り下げるように求めました。憲法の「信教の自由」を真っ正面から問う訴訟の取材に伺ったのは第一審判決の直前の頃でした。
私が「こんな大きな訴訟を女手一つで戦ってこられた原動力は何ですか」と問うと、中谷さんは、聖書の中の一節を示してくれました。それは「神はその人の力に能(あた)わざる試練は与え給わず」という言葉でした。「人生にはいろんな試練が次から次に降りかかってくるものです。でも、澤藤さん。どんな難事に見えることでも、必ずその人の力で乗り越えられるものなのよ」と中谷さんは笑顔で解説してくれました。
実際、中谷さんは、一審、二審とも勝訴し、見事に試練に耐え抜き、勝利を掴んでいます。
西部支部支部長という自分に課された試練の重さを改めて思うにつけ、あの時中谷さんが示してくれた聖書の言葉の深い意味が実感されます。私は35年間、どちらかと言うと淡々とした道を歩いてきました。長という肩書きがついた仕事は小学校の時学級委員長というのをやったくらい。人の世話をしたり、人を引っ張っていくといった仕事には無縁でしたし、今後も縁がないだろうと思っていました。
それだけに、中谷さんの言葉を一つの励みとし「自分の力でこの試練は乗り切ることが出来る」と自分自身に言い聞かせながら、歩を進めていきたいと決意しております。
試練に立たされているのは私一人ではありません。組合員一人一人であり、新執行部であり、会社という組織全体でもあるわけです。一人一人と手を携えて試練に立ち向かっていきましょう。
また中谷さんを取材した時の話になりますが、「聖書の言葉だけが、あなたの導きだったのですか」と問うと、「それだけではありません」と言って、押入れの中からダンボール二箱にいっぱい詰まった全国からの激励の手紙を見せてくれました。小学生からのたどたどしい文字の手紙、お年寄りからの手紙、「お小遣いを貯めましたので」と書き添えられたカンパ……。「この一つ一つの支援の声がなかったら、私は途中で投げ出していたでしょう」と中谷さんは正直に話してくれました。
組合の執行部は、リーダーシップを発揮せねばならない立場にあります。しかし中谷さんと同じように、多くの人の支えがなければ、この難局を乗り越えていくことはできません。生まれたばかりの新執行部に絶大な支援をお願いしてやみません。」
いかにも、若い頃の弟らしい、穏やかで柔らかい発言。ああ、弟はこうして懸命に生きていたのだ、という感慨一入である。