昭和の日に戦死の意味を考える ー「犬死」でもなく「英霊」でもなく
本日4月29日は、祝日法上の「昭和の日」。昔は天長節であったが、戦後「天皇誕生日」となり、昭和天皇没後は「緑の日」を経て、右派の議員立法によって2007年からは昭和の日となった。
祝日法は、昭和の日の趣旨を「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」としている。しかし私は、「天皇の名において起こされた戦争の加害と被害の惨禍を悼み、その反省と責任の所在に思いをいたす」日とすべきだと思う。とりわけ、天皇の名における戦争によって強いられた夥しい内外の民衆の死の意味について、深く考えるべき日としなければならない。
4月29日が天長節であった20年間は、戦争に次ぐ戦争の時代であった。若き天皇は積極的にこれを推進して厖大な死者を出し敗戦を迎えた。政治と軍の最高責任者であっただけでなく、宗教的道徳的権威としても臣民に君臨し聖戦を唱導した天皇であったが敗戦の責任をとることはなかった。2000万人の隣国の犠牲、310万人の我が国の死者に対する責任を、人間裕仁は内心どう考えていたのだろう。
「戦場で『天皇陛下万歳』と言って死ぬ兵はない。本当は、最期の言葉はみんな『お母さん』なんだ」とも聞かされるが、夥しい数の若者が「天皇が唱導する戦争」の犠牲となった。自分の名における戦争の犠牲者を、天皇はおろそかにはできない。名誉ある戦死として、その死を意味づけなければならない。戦没者の死を意味づけたいとする願望において、実は遺族の心情もまったく同質である。ここに、奇妙な加害者天皇と被害者遺族との同盟関係が成立する。
遺族は、常に死者の名誉を重んじ、その死の意義あらんことを願う。その遺族の気持の痛切たることは誰にも諒解可能であって、遺族の気持ちを逆撫でするような死者の名誉の冒涜はなしがたい。そこが陥穽である。
歴史を真摯に見つめれば、皇軍は紛れもない侵略軍であった。侵略された側の抗戦には大義も名分もあり、その戦没者には「救国の英雄」の名誉はあり得よう。しかし、敗戦の侵略軍には大義も名分もなく、その戦没者には本来的に名誉はない。
とはいうものの、侵略軍の兵であったとはいえ、一人ひとりの兵士が積極的に望んだ従軍ではない。その同胞の死を「犬死(いぬじに)」と貶めることは、まことに辛くなし得ることではない。できることなら、その死を何らかの名誉で飾りたいと願うのは、遺族ならではの当然の心情。ここに、「英霊」への賛美が生ずる基盤がある。
遺族にしてみれば、死者を「犬死」と貶めるのではなく、「英霊」と称えてくれることの快さははかりしれない。しかもこれには巨額の軍人恩給という実利も連動する仕組みができている。
遺族は願う。その死が敵前逃亡の末の不名誉な死であったり、上官からのリンチや上官抗命での刑死ではないことを。また、餓死や戦病死ではないことも。さらに願わくは、死者の従軍した軍隊と戦争に大義があったことを。五族協和、大東亜解放、そして自尊自衛の聖戦などというスローガンが本物であったことを。軍人勅諭と戦陣訓の教えのとおりに天皇の権威が守られんことを。
天皇が神として神聖であり、皇軍の戦争が聖戦であるならば、天皇のための死は犬死ではなく、英霊と称えられるにふさわしい。この考えを論理において攻撃することは容易だが、情においては忍びない。これが、靖国問題の本質といえよう。私の係累にも、護国の神と祀られている人は少なくない。もちろんその遺族もいる。その人たちに、とても「犬死」呼ばわりはできようはずもない。とはいえ、死者を「英霊」とする国家の遺族感情の利用を許容することはさらにできない。
戦没者の評価は、「犬死」か「英霊」かの二者択一ではない。戦争犠牲者の死を「犬死」と蔑んではならない。他人事と無関心を決めこむこともあってはならない。戦争がもたらす死とその死がもたらす巨大な不幸を真摯な姿勢で受けとめなければ、戦争の悲劇を再び繰り返さないという誓いそのものが出てこない。
また、天皇の軍隊の死者を天皇への忠誠の故に、「英霊」としてはならない。死んだ天皇の亡霊をして、戦争と戦死の意味づけをさせてはならない。
戦争による死者と遺族の無念の気持を敬虔に受けとめて不再戦の誓いを実行すること、これが死者を「犬死」から救い、「英霊」という死者の利用を許さない道であろう。
佐藤昭夫先生から、こんな詞があったと紹介を受けた。
犬死ではない証拠にや
新憲法のどこかにか
死んだ息子の 血が通う
そう。日本国憲法は、怨みをのんで戦争で亡くなった人とその遺族、そして多くの心ある国民の不再戦の決意の結晶なのだ。再び天皇を神格化してはならない。憲法の全体を守り育て、血肉化しなければならない。もし、ずるずると改憲を許せば、それこそ戦没者を「犬死」させてしまうことになりかねない。「昭和の日」には、憲法の擁護を決意しなければならない。