澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

憲法記念日の各紙社説に意を強くする。

憲法記念日である。政府は記念行事を行わないが、国民はこの日憲法について思いを巡らし、その存在意義を再確認する。各紙が総力をあげて、それぞれの使命や方針を読者に伝える日でもある。

手の届く範囲で各紙の憲法記事に目を通した。各紙それぞれに工夫を凝らして、憲法問題に取り組んでいる。ほぼ全紙が憲法問題についての社説を載せている。昨年同様、読売・産経の2紙を除いて圧倒的に明文改憲にも解釈改憲にも反対の論調となっている。とりわけ、立憲主義から説き起こして、軽率な明文改憲や時の政権の思惑による憲法解釈の変更を戒めているものが主流を形成している。総じて、列島全域に安倍政権への警戒感が強く滲み出ている。読売や産経は、相変わらずの安倍政権寄りの論調を掲げているが、論理において劣勢であるだけでなく、完全に少数派に転落している印象が強い。

琉球新報社説の冒頭の一節がこうなっている。
「憲法記念日が巡ってきた。今年ほど、憲法改正論議が交わされることも、憲法の意義や価値が説かれることも、かつてなかった。安倍政権は今、集団的自衛権行使に向けた解釈改憲への意欲を隠さない。だがその論理は、平和構築の上でも、民主制・法治という国の体制の面でも、不当かつ非論理的なものと言わざるを得ない。沖縄にも戦争の影が急速に兆す今、戦争放棄と交戦権否定をうたう憲法9条の価値はむしろ高まっている。その資産を守り、今こそ積極的に活用したい。」

また、北海道新聞の「きょう憲法記念日 平和主義の破壊許さない」という社説の冒頭。
「戦後日本の柱である平和憲法が危機に直面している。安倍晋三首相は歴代政権が継承してきた憲法解釈を覆し、集団的自衛権の行使を容認する「政府方針」を、今月中旬にも発表する。自衛隊の海外での武力行使に道を開くもので、専守防衛を基本とする平和主義とは相いれない。9条を実質的に放棄する政策転換と言っても過言ではない。
 首相はさらに、憲法が権力を縛る「立憲主義」を否定する。一国のリーダーが、国の最高法規をないがしろにする異常事態だ。」
以上2紙の社説が、全社説の大勢を反映しているといって良いのではないか。

今年の各紙社説の共通テーマは、「立憲主義に照らして、解釈改憲は許容しがたい」「集団的自衛権行使を容認する行政府の憲法解釈は禁じ手」「砂川判決は論拠にならない」「集団的自衛権の限定行使も容認してはならない」というもの。そして、少なからぬメディアが憲法意識の世論調査の結果を引用している。その世論調査のいずれもが、昨年と比較して、明文改憲阻止、集団的自衛権行使容認拒否の方向に劇的に動いている。安倍政権の改憲論は、世論に見はなされ孤立を深めている、と言ってよい情勢。たいへん心強い。

翻って、昨年の憲法記念日は、96条先行改正論をめぐる論議が白熱した時期であった。憲法記念日を前後する論争の盛り上がりのなかで、立憲主義の何たるかが社会に浸透し、これを大切にしなければならないとする世論が定着した。96条先行改憲論を標的として、「姑息」「裏口入学」「禁じ手」「96条先行改憲の本丸は9条改憲」と難じられ、安倍政権も96条先行改憲論をあきらめざるを得なくなった。これが第2次安倍政権改憲論争における護憲勢力の緒戦の勝利であった。

96条先行改憲の困難なことを知った安倍政権は、解釈改憲に主力を移した。内閣法制局長官の首をすげ替える露骨で強引な人事を強行し、安保法制懇答申を待って一気呵成の閣議決定を目論んだが、世論の批判は厳しく、遅滞と後退を余儀なくされている。いまは、「集団的自衛権の限定的行使容認論」。それさえも、本当にできるのか困難な情勢。加えて、2013年12月、無理に無理を重ねて成立させた特定秘密保護法強行時に幅の広い統一戦線的反対論の勢力結集を見た。ここで、保守派も含めて、安倍政権の危うさを共通認識とすることになった。加えて、行かずもがなの靖国参拝である。NHKの人事強行問題もある。

そのような事態を経ての今年憲法の日。その主要テーマである集団的自衛権論争はまさしく、昨年の96条先行改憲是非の論争の延長線上にある。96条先行改憲論に対する批判の核心は、「各議院の総議員の三分の二以上の賛成」という国会の発議要件を「各議院の総議員の過半数の賛成」に変更することが立憲主義に悖るということであった。解釈改憲は、国会内の論議を尽くすこともなく、国民に意見を求めることもなく、時の政権が恣に憲法の解釈を枉げて、実質的に憲法を改正してしまおうというのだ。立憲主義に反すること、これ以上のものはない。

以上の趣旨を反映した社説はたくさんある。典型例は、「揺らぐ憲法ー立憲主義の本旨再確認を」という河北新報社説。以下のとおり、立憲主義の本旨に触れての本格的な論説となっている。
「集団的自衛権をめぐる問題は、容認の是非もさることながら、立憲主義の本旨と衝突する側面も軽視できない。事実上、政府の一存で「実質的な改憲」を行うならば、憲法自体への信頼性を深く傷付けよう。憲法は強大な「国家権力」を縛り、国民一人一人の「権利」「自由」を守る最高法規だ。閣議で都合良く解釈を変更し、自衛隊の運用などは別途、法改正で対応するというのであれば、権力の暴走を招きかねない。」

また、安保法制懇という私的な諮問機関を使う手法についても、手厳しい批判がある。たとえば沖縄タイムスの「岐路に立つ憲法ー戦争の足音が聞こえる」という深刻な標題を掲げた社説の次の一節。
「首相は、解釈の変更によって集団的自衛権の行使容認を実現しようとしている。その理論的支柱となっているのが安保法制懇である。長年にわたり積み重ねてきた政府答弁を、何の法的根拠もない私的懇談会の報告書を基に内閣の解釈変更で覆すことができるなら立憲主義、民主主義の否定につながり、9条の法規範としての意味が失われる。」
そのとおり。安保法制懇は、何の権限ももたず、何の権威もない。時の政権の意を体する人物たちが国会のなすべきことを掠めとろうとしているだけの話しではないか。

砂川事件大法廷判決が、解釈改憲の論拠にはならないとする社説も多い。中国新聞は標題に「憲法の解釈変更 砂川判決 論拠にならぬ」とする社説を掲げて、自民党高村正彦氏の論旨を批判し、さらに、この判決がアメリカの圧力によるものである疑惑濃厚であることから、論拠として引用するにふさわしいものでない趣旨を述べている。

また、限定的にせよ、集団的自衛権行使容認と原則を替えることの危険性を説く社説も多い。原則を放棄すれば、限定の歯止めがなくなるのは必定という指摘と、以下のとおり海外出兵の要請を断れなくなるとするものがある。
「ベトナム戦争の際、集団的自衛権の行使で韓国軍が派遣され多数の死者が出た。イラク戦争に英国は集団的自衛権を行使して兵士を送り込み、米国に次ぐ死者を出した。日本は、戦争終結後に人道復興支援で陸自を派遣したが、一人の犠牲者もなく民間人を傷つけることもなかった。9条が歯止めとして機能したからだ。あの時日本が集団的自衛権の行使が可能だったら、米国からの戦闘派遣要請を断れなかっただろう。」(沖縄タイムス)

また、毎日、朝日、日経、NHK、北海道新聞、沖縄タイムス、琉球新報などが、世論調査を発表し、あるいは直近の調査を引用している。

特筆すべきは、毎日の調査結果。「9条改正反対51%ー前年比14ポイント増」というもの。
「毎日新聞が3日の憲法記念日を前に行った全国世論調査によると、憲法9条を「改正すべきだと思わない」との回答は51%と半数を超え、「思う」の36%を15ポイント上回った。昨年4月の調査では、同じ質問に対し「思う」46%、「思わない」37%だった。安倍晋三首相が改憲ではなく憲法解釈変更によって集団的自衛権の行使を認めようとしていることも影響したとみられる。
 9条の改正反対はすべての年代で賛成を上回った。安倍内閣支持層では改正賛成51%、反対36%だったのに対し、不支持層では反対が75%に達し、賛成は18%にとどまった。集団的自衛権の行使を認めるべきではないと考える層では、改正反対が79%と圧倒的。認めるべきだと考える層(全面的と限定的の合計)は賛成が54%だったが、反対も36%を占めた。」

つまり、「9条改正賛成派」対「9条改正反対派」の比率は、
 昨年の調査では、46%対37%で、改正賛成派が多数だった。その差9ポイント。
 今年の調査では、36%対51%で、反対派が逆転した。しかも、その差は15ポイントである。
9条改正反対派は、1年で実に14%増えたのである。賛成派は10%も減らした。こと、憲法問題に関する限り、「安倍ノー」の世論が圧倒しているといって良い。ものを書き、口にし、語りかけることは無意味ではない。確実に世論を動かし得る。自信を持とう。
(2014年5月3日)

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Published in 土曜日, 5月 3rd, 2014, at 23:57, and filed under 未分類.

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