澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

憲法記念日に訴える - 「憲法を活かしてこその有効なコロナ対策だ」

例年のごとく、はつなつの風薫る季節に憲法記念日である。しかし、今日吹く風にはコロナの臭気が混じっている。そのコロナ風のおかげで、メーデーも改憲反対大集会も「オンライン集会」となった。

正式な集会名は、「平和といのちと人権を!5.3憲法集会2020」。当初は有明公園での大集会を予定していたが、本日13時からの国会前集会をネット中継することに。主催者の御苦労と無念は察するが、気勢を殺がれること甚だしい。

今年も、憲法の受難を意識しながらの憲法記念日である。現行の日本国憲法を理想の憲法と持ち上げるつもりはさらさらないが、その根幹が人類の叡智の結実であることに疑いはない。天皇教の教典である大日本帝国憲法などとは、比較すべくもない。

本来なら、この根幹を大事にしつつも、より良い憲法を求めて正しい意味での「憲法改正」運動が展開されてしかるべきなのだが、如何せん革新陣営にはその力量に欠ける。保守勢力の「憲法改悪」の策動を阻止する運動を積み重ねて、ようやく日本国民はいま日本国憲法を自らのものとしつつある。

憲法の危機が叫ばれる都度、日本国民は、日本国憲法が想定する主権者として鍛えられてきた。いままた、その危機のさなかにある。考えてみれば、日本国憲法の基本精神は権力者性悪説である。もとより、近代立憲主義が権力を危険視し、危険な権力を規制しようとするものである。権力は、常に腐敗の危険を内包してというだけではなく、腐敗せぬ健全な権力も危険なのだ。

権力者から嫌われ、疎まれ、煙たがれ、何とか「改正」しようとの標的とされる憲法であってこそ、まともな近代憲法として存在価値がある。改悪阻止運動の高揚も必然となる。

治者としての権力と、被治者としての国民とは、常に緊張関係にある。憲法をはさんで、両者は対峙しているのだ。権力は憲法によって与えられた権限を最大限活用し、あわよくば暴走をしてでも国民を押さえ込もうとする。国民は憲法を武器として、危険な権力に対峙し規制しようとする。この対立の関係は永久運動である。

しかも、今権力を握っているのは、政治と行政を私物化し、嘘とごまかしの正真正銘の性悪政権、安倍内閣である。この安倍を権力に押し上げている勢力が、改憲をねらっている。日本国民が、こぞって危険な改憲阻止に立ち上がって当然なのだ。

そして、今や「新型コロナ感染対策」という「緊急事態」にあって、憲法の有効性が攻撃を受けている。もとより、感染症蔓延を阻止するための、合理的な私権の制約はありうることである。しかし、例外的な私権の制約は、合理性が確認された最低限のものでなくてはならず、国民の納得と同意がなくてはならない。また、厳密に時限的な措置でなければならず、事後の検証も不可欠である。これらは、すべて現行「日本国憲法」が当然とするところである。

特措法に基づく緊急事態宣言の効果として行政権力がなし得ることは万能ではなく限定的ではある。しかし、非常時において行政権が立法権の干渉を排し権力を行使して私権を制約し得るという「緊急事態条項」の基本形の具備は明確である。この事態での政府や自治体の暴走に対する警戒を軽視してはならない。

この事態に、「非常の事態なのだから政府の権限を強化すべきだ」「いまは権力批判のときではなく、一致して政府の施策を支持すべきだ」という類いの言論に与してはならない。非常時における国民の同調圧力に迎合してもならない。

考えてもみよ。合理的な「新型コロナ感染対策」が、強権から生まれることはあり得ない。強権の発動は施策の合理性を阻害するものでしかない。明らかに、専門家の知見を含む国民の意見の総意のみが、最も合理的な対策を形作る。そして、常に施策実行の過程は徹底した透明性を確保された検証にさらされなければならない。不十分であれば直ちに変更するためである。最も合理的な施策が、私権を制限することになることはありうる。国民が民主的に参加して合理性を確認した施策であればこそ納得が可能であり、スムーズな実行が可能となる。また、当然のことながら、全体のために個人の利益が犠牲になるときには、適正な補償が必要となる。

「現行憲法の立場でも、十分に新型コロナ蔓延の事態に対処できる」のではない。現行憲法の立場を十分に活かすことによってこそ、新型コロナ蔓延の事態に対処できる「信頼できない政権にお任せしたら、国民の命と家計は取り返しのつかないこととなる」のだ。この事態を改憲へのステップとして利用しようなどとは、見当違いも甚だしい、とんでもないこと。しっかりと眼を見開いて、危険な政権の暴走と、改憲策動に歯止めを掛ける言論が必要である。
2020年の憲法記念日。薫風心地よけれども、風波は高い。
(2020年5月3日)

「緊急事態」の名を借りた権力の集中と人権蹂躙的統制に断固反対する ― 宗教者緊急声明紹介

新型コロナウイルス対策のためとする特措法改正には、各界からの反対が強い。宗教界も例外ではない。

「信教の自由」を侵害する新型コロナウイルス対策のための特措法改正に反対する宗教者緊急声明(3月13日付)を紹介する。

呼びかけは、日本キリスト教協議会総幹事 金性済氏。緊急事態宣言の市民生活に及ぼす本質的な危険性と共に、宗教者として「信教の自由」が脅かされる危機感をもって、NCC東アジアの和解と平和委員会や「平和をつくりだす宗教者ネット」が中心となって、宗旨をこえて宗教者がこの法改定に反対する緊急声明に至ったものという。

まことに行き届いた、もっともな内容であって、このような各界からの意見表明の積み重ねが、政権の危険な意図を挫折させることになるだろう。

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「信教の自由」を侵害する新型コロナウイルス対策のための特措法改正に反対する宗教者緊急声明

私たちは、日本国憲法第9条を守りつつ、あらゆる戦争を許さない平和をつくりだすことを願い求め、共に祈り合う宗教者であります。
今、世界を揺るがす事態となった新型コロナ・ウイルス問題をめぐり、安倍晋三首相は、去る3月5日、“緊急事態宣言”発令を念頭に入れた「新型インフルエンザ等対策特別措置法」改定の準備について言明し、10日の閣議で国会上程が決定され、3月13日の国会で制定させようとしています。国会審議においては、すでに1月28日より、新型コロナ問題に関連して、緊急事態条項をもつ憲法の改定が一部国会議員たちによって言及されてきました。
かねてより自民党・与党によって提唱されてきた憲法改定案の一項目である「緊急事態宣言」は、重大な問題をはらんでいることが指摘されてきました。総理大臣を中心とする内閣が国家の緊急事態を宣言することにより、行政府が立法権をも独占してしまうならば、それは憲法秩序を停止してしまい、重大な人権侵害と立憲民主主義の秩序を破壊してしまう恐れがあることを、戦時下の日本やナチス・ドイツの歴史的経験から私たちは知っているのです。
この度の新型コロナ・ウイルスの感染拡大事態について、安倍政権が既存の法制度のもとに、迅速かつ周到な対応を怠ってしまったことを省みず、いきなり「緊急事態宣言」の手段を選択しようとする企ては、新型コロナ・ウイルス問題を奇貨としながら、憲法改定の意図まで含み持つ本末転倒的な対応というほかありません。
私たちがとりわけ憂慮することは、もしも「緊急事態宣言」が総理大臣によって発動されれば、都道府県知事に市民社会生活の広範囲にわたる行動を規制する権限が与えられ、自粛要請によって市民の外出が制限され(移動の自由を保障する憲法22条違反)、社会・教育施設などの使用が制限されることが考えられます。それはまた、宗教者が状況を慎重に見極めつつも、自主的に判断し、宗教活動を営むことさえ制約されることにつながり、「信教の自由」を侵害するものとなりえます。
安倍政権は、1月末の段階において感染症法や検疫法の下でなしうる対応が後手に回り、さらにクルーズ船(ダイヤモンド・プリンセス号)乗船者に対する対処や下船後の対応についても、適切な政策を打ち出せず、結果的に感染拡大を引き起こす失策を繰り返してきました。
このような失敗を省みず、安倍首相は3月2日、参議院予算委員会にて「新型インフルエンザ等対策特別措置法と同等の措置を講ずることが可能となる立法措置を早急に進める」と発言しました。感染問題をめぐり、安倍首相は2月27日に、専門家会議での協議や関係省庁との慎重な検討も踏まえることなく、科学的根拠もないまま、全国一斉休校「要請」措置を突然出すことにより、社会に大きな混乱をもたらしました。このような安倍政権がさらに緊急事態を宣言することに、私たちは大きな脅威と危険を覚えずにおれません。
さらに、去る3月1日の「3.1独立運動」記念式典の演説において、韓国の文在寅大統領は、日本政府に「共に危機を克服しよう」と呼び掛けたにもかかわらず、その4日後、中国と韓国からの入国を、何の外交的協議や専門家協議もなく一方的に制限する措置を発表しました。安倍政権によるこのような非情・非礼なる措置は、悪化した日韓関係の改善に向けた配慮など一顧だにしない傲慢で排外的な対応というほかありません。
私たち宗教者は、日本も世界のどの国もが協力し合い、一日も早く新型コロナ・ウイルスの感染による災いを、互いの友愛と英知と希望をもって克服していく日を迎えることを心から祈願するものであります。
そして、この人類的危機に際して、むしろ立憲民主主義の秩序を揺るがし、「緊急事態」の名を借りた権力の集中と、人権蹂躙的統制へ道を開くことに対して断固反対するものであります。

(2020年3月17日)

「緊急事態宣言」とは、かくも危険なものである。

昨日(3月13日)、新型コロナウイルス感染症を適用対象に加える「新型インフルエンザ特措法」の改正法が成立した。3月11日の審議開始からわずか3日間での成立である。内容は、新型コロナを法の適用対象に加えるだけで、ほかの規定は変えなかった。

衆参両院の決議はいずれも全会一致ではなかった。賛成は、自民・公明・維新と、立憲民主・国民民主・社民の共同会派。共産・れいわ・碧水会・沖縄の風が反対。その他の野党の中からも数人の反対・棄権・欠席があったことがせめてもの救い。

どさくさ紛れの火事場泥棒的法改正だが、新型コロナ感染症への適用に関しては、政令で対象期間を来年(2011年)1月31日までと定めた。それまで、緊急事態宣言の発動を阻止しなければならない。

言うまでもないことだが、近代憲法とは、個人の人権を権力の侵害から擁護するために、主権者が与えた権力規制の命令体系である。憲法の命ずるところに従って、権力の行使は人権侵害のないように制約される。ところが、国家緊急の事態においては、その例外がまかり通らねばならないとする考え方がある。その例外を憲法自体に書き込む例もあり、個別の法にそのような例外を設ける例もある。2012年成立の「新型インフルエンザ特措法」は、「緊急事態宣言」時には、そのような「立憲主義の例外」を安易に認める。危険な立法と言わざるを得ない。

大日本帝国憲法には、いわゆる「国家緊急権規程」が満載であった。第14条(戒厳大権)、第8条(緊急勅令)、第31条(非常大権)、第70条(緊急財政処分)などである。条文は以下のとおりである。

第14条(戒厳大権)
1項 天皇ハ戒厳ヲ宣告ス
2項 戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム

第8条(緊急勅令)
1項 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス

第31条(非常大権)
本章(第2章 臣民権利義務)ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ

第70条(緊急財政処分)
1項 公共ノ安全ヲ保持スル為緊急ノ需用アル場合ニ於テ内外ノ情形ニ因リ政府ハ帝国議会ヲ召集スルコト能ハサルトキハ勅令ニ依リ財政上必要ノ処分ヲ為スコトヲ得

戒厳が宣告されれば、こんなことになる。
戒厳令第十四条 戒厳地境内於テハ司令官左ニ記列ノ諸件ヲ執行スルノ権ヲ有ス
但其執行ヨリ生スル損害ハ要償スルコトヲ得ス
第一 集会若クハ新聞雑誌広告等ノ時勢ニ妨害アリト認ムル者ヲ停止スルコト
第二 軍需ニ供ス可キ民有ノ諸物品ヲ調査シ又ハ時機ニ依リ其輸出ヲ禁止スルコト
第三 銃砲弾薬兵器火具其他危険ニ渉ル諸物品ヲ所有スル者アル時ハ
之ヲ検査シ時機ニ依リ押収スルコト
第四 郵便電報ヲ開緘シ出入ノ船舶及ヒ諸物品ヲ検査シ並ニ陸海通路ヲ停止スルコト
第五 戦状ニ依リ止ムヲ得サル場合ニ於テハ人民ノ動産不動産ヲ破壊燬焼スルコト
第六 合囲地境内ニ於テハ昼夜ノ別ナク
人民ノ家屋建造物船舶中ニ立入リ検察スルコト
第七 合囲地境内ニ寄宿スル者アル時ハ時機ニ依リ其地ヲ退去セシムルコト

(口語訳)戒厳令が敷かれた地域内では、通常の立法・行政・司法は停止して、司令官が以下の専権をもつ。仮に、これによって誰かに損害が生じても、賠償はしない。
1 不都合な集会や、新聞雑誌広告の発行は停止する
2 軍が必要な諸物品を調査して、その輸出を禁止する
3 銃砲弾薬兵器火具などの危険物の所在を検査して取り上げる
4 郵便電報は開封し船舶や諸物品を検査し陸海の交通路を遮断する
5 やむを得ない場合は、人民の家屋や財産を破壊し焼却する
6 昼夜の別なく人民の住居・建物・船舶に立ち入って検査する
7 必要あれば住民を追い出すこと

関東大震災直後の1923年9月3日の関東戒厳令司令官通知万世一系なにごと以下のとおりである。
(同司令部は、9月2日緊急勅令による「行政戒厳」によって設置されたもの)
一 警視総監及関係地方長官並ニ警察官ノ施行スベキ諸勤務。
1 時勢ニ妨害アリト認ムル集会若ハ新聞紙雑誌広告ノ停止。
2 兵器弾薬等其ノ他危険ニ亙ル諸物晶ノ検査押収。
3 出入ノ船舶及諸物晶ノ検査押収。
4 各要所ニ検問所ヲ設ケ
通行人ノ時勢ニ妨害アリト認ムルモノノ出入禁止又ハ時機ニ依り水陸ノ通路停止。
5 昼夜ノ別ナク人民ノ家屋建造物、船舶中ニ立入検察。
6 本命施行地域内ニ寄宿スル者ニ対シ時機ニ依リ地境外退去。
二 関係郵便局長及電信局長ハ時勢二妨害アリト認ムル郵便電信ヲ開緘ス。

また、ヒトラーが政権簒奪の手段としてまず用いたのが、以下のワイマール憲法第48条2項である。
「ドイツ国内において、公共の安全および秩序に著しい障害が生じ、またはそのおそれがあるときは、大統領は、公共の安全および秩序を回復させるために必要な措置をとることができ、必要な場合には、武装兵力を用いて介入することができる。
この目的のために、大統領は一時的に第114条(人身の自由)、第115条(住居の不可侵)、第117条(信書・郵便・電信電話の秘密)、第118条(意見表明の自由)、第123条(集会の権利)、第124条(結社の権利)、および第153条(所有権の保障)に定められている基本権の全部または一部を停止することができる。

そして、悪名高いナチスドイツの「授権法」(全権委任法)は、わずか全5条だった。これが、ヒトラー独裁の法的根拠となった。
正式名称 「民族および国家の危難を除去するための法律」1933年3月23日成立
1.ドイツ国の法律は、ドイツ政府によっても制定されうる
2.ドイツ政府によって制定された法律は、憲法に違反することができる
3.ドイツ政府によって定められた法律は、首相によって作成され、官報を通じて公布される。特殊な規定がない限り、公布の翌日からその効力を有する。
4.ドイツ国と外国との条約も、本法の有効期間においては、立法に関わる諸機関の合意を必要としない。政府はこうした条約の履行に必要な法律を発布する。
5.本法は公布の日を以て発効する。本法は1937年4月1日までの時限立法である。

日本国憲法には一切の緊急事態条項がない。その理由を制憲国会(第90帝国議会)における政府(担当大臣金森徳次郎)答弁は、こう語っている。

緊急勅令及ビ財政上ノ緊急処分ハ、行政当局者ニ取リマシテハ実ニ調法(重宝)ナモノデアリマス、併シナガラ調法ト云フ裏面ニ於キマシテハ、国民ノ意思ヲ或ル期間有力ニ無視シ得ル制度デアルト云フコトガ言ヘルノデアリマス、ダカラ便利ヲ尊ブカ或ハ民主政治ノ根本ノ原則ヲ尊重スルカ、斯ウ云フ分レ目ニナルノデアリマス、ソコデ若シ国家ノ伸展ノ上ニ実際上差支ヘガナイト云フ見極メガ付クナラバ、斯クノ如キ財政上ノ緊急措置或ハ緊急勅令トカ云フモノハ、ナイコトガ望マシイト思フノデアリマス

「民主政治ヲ徹底サセテ国民ノ権利ヲ十分擁護致シマス為ニハ、左様ナ場合ノ政府一存ニ於テ行ヒマスル処置ハ、極力之ヲ防止シナケレバナラヌノデアリマス言葉ヲ非常ト云フコトニ藉リテ、其ノ大イナル途ヲ残シテ置キマスナラ、ドンナニ精緻ナル憲法ヲ定メマシテモ、口実ヲ其処ニ入レテ又破壊セラレル虞絶無トハ断言シ難イト思ヒマス、随テ此ノ憲法ハ左様ナ非常ナル特例ヲ以テ――謂ハバ行政権ノ自由判断ノ余地ヲ出来ルダケ少クスルヤウニ考ヘタ訳デアリマス、随テ特殊ノ必要ガ起リマスレバ、臨時議会ヲ召集シテ之ニ応ズル処置ヲスル、又衆議院ガ解散後デアツテ処置ノ出来ナイ時ハ、参議院ノ緊急集会ヲ促シテ暫定ノ処置ヲスル、…コトガ適当デアラウト思フ訳デアリマス」

70年余以前の、この日本国憲法制定の初心を、今噛みしめる必要があるだろう。新型インフル特措法改定案に反対した山添拓議員(共産)の、昨日(3月13日)参院本会議での反対討論(要旨)を紹介しておく。

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 新型コロナウイルス感染症に、多くの人が不安を感じています。今求められているのは、感染拡大を防ぎ、検査体制と医療体制をいっそう充実させるとともに、くらしと経済を守る政治責任を果たすことです。ところが政府は、本法案を通すことを最優先にしています。
 特措法の最大の問題は、緊急事態宣言の下で行政に権力を集中させ、広範な権利制限が可能となることです。
 外出自粛の要請が可能とされます。学校や保育所、介護老人保健施設など、多くの人が利用する施設の利用の制限・停止を要請し、指示できるとされます。医療施設建設のために土地や建物を同意なく使用できるとされます。
こうした多岐にわたる措置は、憲法が保障する移動の自由、経済活動の自由、集会の自由や表現の自由などの基本的人権を制約し、くらしと経済に重大な影響を及ぼします。
 特措法は、自由と権利の制限は「必要最小限度」としていますが、その保証はありません。さまざまな措置により市民に生じる経済的な損失について、補償する仕組みもありません。
 幅広い人権制限が発動されれば、市民生活と経済活動に広範な萎縮効果が及びます。
 自由と権利の重大な制約を可能とするにもかかわらず、法律上の歯止めが曖昧です。
都道府県知事にこうした強力な権限をもたせるのが、首相による「緊急事態宣言」です。ところが、その発動要件は法律上不明確です
 「重篤」とは何か、「相当程度高い」とはどの程度か、「まん延」とは何か、これらを誰が、いかなる根拠で判断するのかの定めがありません。科学的根拠について、専門家の意見を踏まえる仕組みがありません。
 「宣言」の発動や解除に際し、国会の承認は求められていません。私権制限を一時的かつ一部とはいえ行政権に集中させるのに、国会の事前承認すら求めないのは重大です。
 さらに「宣言」下では、「指定公共機関」であるNHKに対し首相が「必要な指示をすることができる」とされ、その内容や範囲に限定はありません。これでは、政府にとって都合の悪い事実は報道させないことも可能となり、国民の知る権利を脅かしかねません。
 本法案は、衆議院で3時間、本院でも参考人質疑を含め4時間20分の質疑時間で委員会採決に至り、十分な審議すら行われていません。政府は本日の質疑でも、現状は緊急事態宣言を発する状況ではないとしています。急いで審議・採決を進める必要はありません。
 憲法改定に前のめりの安倍首相の下で、自民党議員が「緊急事態条項を改憲項目に」と発言しています。安倍政権に緊急事態宣言の発動を可能とすることは容認できません。

(2020年3月14日)

9年目の3月11日に、新型インフル特措法の改正に反対する。

昨日が3月10日、東京大空襲によって無辜の非戦闘員10万人が虐殺された日。戦争被害だからとして到底甘受しえない、あまりに巨大で悲惨な体験。それまで多くの国民にとって、戦争とは外地で行われるものであり、危険は出征した男たちが引き受けるはずのものであった。1945年のこの日は、戦争とはすべての国民に否応のない深刻極まる惨禍をもたらすものと思い知らされた日でもある。

戦争は天災ではなく人災である。起こした人がおり責任者がいる。その戦争責任の追及が求められる。中国に対しても米英に対しても、戦争を仕掛けたのは日本の側なのだから、虐殺された10万人の怨みは、戦争をたくらんだ日本の為政者・天皇制政府にも向けられなければならない。最高責任者天皇の責任を追及しなかったことが、歴史的禍根である。

そして、本日が3月11日。2011年の東日本大震災の記憶は生々しい。東北3県の2万余の人が津波でかけがえのない命を失った。天災の被害者には、哀悼の意を捧げるしかない。しかし3・11には、天災にとどまらず戦争と本質を同じくする人災がそれに続いた。福島第1原発の事故による放射線被害である。地震大国日本において原発を国策とし、しかも津波対策を怠った者の責任を不問に付してはならない。今、民事・刑事の訴訟を通じて、この大事故の責任追及が行われている。なお、当時の私の思いは、下記のブログに書き尽くしている。
http://article9.jp/wordpress/?p=4563

あの日から9年経った今、世はコロナウィルス禍に萎縮した事態にある。これも、一面は天災であり、またもう一面は人災でもある。安倍政権のコロナ対策は、納得しうる根拠に欠け、無為無策のうちに感染被害を拡大した。そして、無為無策を非難されるや、一転して根拠を示すことなく、根拠に欠けた過剰な対策をとるようになった。

その理由の一つは桜疑惑に代表される自らの不祥事の糊塗であるが、それにとどまらない。コロナ禍の蔓延を奇貨とした、改憲への国民の誘導を考えているのだ。

泥棒とは、不名誉な人物であり、あるいは行為である。火事場泥棒という言葉の語感は、単なる泥棒の比ではない。なんという忌まわしく、汚い、怪しからん、奴というイメージがある。安倍晋三がやろうとしているのは、その類である。

「火事場」とは、新型コロナウィルスの蔓延の事態をいう。国民が戦々恐々としているというだけではない。現実に多くの人の就業や営業に差し支えが生じて苦しんでいるときに、その事態を自己の野望の実現に利用しようというのだ。

「泥棒」とは、新型インフルエンザ特措法の改正をいう。盗まれようとしているのは、立憲主義にほかならない。憲法は、国民の人権を擁護するために為政者の権力行使を制約する体系として作られている。ところが、国家の緊急事態を口実に、為政者にフリーハンドを与えるという危険極まりない例外の設定が、「緊急事態」。この特措法はその危険を内包している。

安倍晋三は、「緊急事態宣言」をやってみたいのだ。その実績が、次には憲法改正につながるとのではないか魂胆あればこそ。しかし、緊急事態条項は、憲法レベルでも、法律レベルでも、危険極まりない。国政を私物化し、嘘とごまかし、公文書の隠匿改竄を日常とする安倍政権にこんな危険なオモチャを与えてはならない。
(2020年3月11日)

コロナ蔓延を奇貨とする「インフルエンザ特措法」改正に警戒を

「新型インフルエンザ等対策特別措置法」という法律がある。この特措法は、2012年に鳥インフルエンザ禍を機に民主党政権下で制定されたもの。新型コロナへの対応をめぐって、この法律の改正問題が急浮上している。転んでもただでは起きない、安倍晋三流の危険なたくらみである。

この法律は、緊急事態法制の一態様である。首相が「緊急事態」を宣言することで、公権力による人権の制約が容認される。普段は手厚く保護されているはずの人権が、例外的に公権力の行使に道を譲らなければならなくなる。とりわけ、人権擁護のために権力行使に要請される慎重な手続きが省かれる。人権よりは公益の擁護が尊重され、公益擁護のための簡易迅速な公権力の発動が可能とされる。感染症対策のためとして、人権が危うくなる。信頼できない政権下においては、恐るべき事態を招きかねない。

この法律では、政府が国民生活に重大な影響が生じると判断した場合に、首相が「緊急事態」を宣言。すると、都道府県知事が不要不急の外出の自粛、学校や映画館など人が集まる施設の使用制限、イベントの開催自粛などを要請できると定める。さらに、知事は医薬品や食品の売り渡しや保管の命令も可能で、応じない場合は罰則の適用もある。病院が足りない場合、土地や建物を借りて臨時の医療施設を設置。所有者が正当な理由なく同意しない時は強制的に使用もできる。

公権力に強い権限を認めることは、人権保障を脆弱化させることである。人権の制約は常に必要最小限のものでなくてはならないが、この法律にはその配慮が欠けている。その公権力濫用のおそれが、下記の日弁連会長声明に要領よく指摘されている。

〔2012年3月22日 新型インフルエンザ等対策特別措置法案に反対する日弁連会長声明〕

http://hatarakikata.net/modules/data/details.php?bid=2513

現行特措法が、「新型コロナ」に適用あるか否か。政府・自民党はこれまで慎重であった。むしろ、立民や国民などが積極姿勢を見せていた。法文上はどうか。

インフルエンザとは異なるコロナウィルス症を、特措法の適用対象に取り込むためには、法2条の定義規定のうち、感染症法第8条9項に定められている「新感染症(全国的かつ急速なまん延のおそれのあるものに限る。)」に該当すると言わねばならない。

「新感染症」の定義は、「人から人に伝染すると認められる疾病であって、既に知られている感染性の疾病とその病状又は治療の結果が明らかに異なるもので、当該疾病にかかった場合の病状の程度が重篤であり、かつ、当該疾病のまん延により国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがあると認められるものをいう。」とされる。

「何が原因か分からないものがあるための『新感染症』という規定だ。今回は新型コロナウイルスだと分かっており『新感染症』ではない」(加藤勝信厚労大臣)というのが、政府説明である。そこで、首相は3月2日の参院予算委員会で、新型コロナウイルス感染拡大に備えた法整備について、既存の新型インフルエンザ等対策特別措置法を改正する方向で検討していることを明らかにした。

現行の特措法は、人権制約のオンパレードであり、政府関係者自身「国民の権利制限に直結する項目をずらっと並べた法律」と指摘している〔3月3日毎日〕とされるが、本法施行後、実際の適用例は存在していないという。その理由の一つとして、当時野党であった自民党自身がこの法律の成立時には、ブレーキ役を果たしていたという事情が関係しているようである。

現行特措法は、民主党、公明党などの賛成多数で可決されたが、共産党は「国民的な議論が不足している」「人権を制限する」との理由で反対し、また、自民党は採決を欠席している。その自民党自身の要望で、成立に際しては、緊急事態宣言を恣意的に行わないことなどを求める付帯決議がついたという。

政権の思惑はこんなところであろう。
使いやすい感染症対策法が必要だ。そこには、「緊急事態宣言」によって人権を制約し、公権力がなんでもできる内容が盛り込まれなければならない。要件はできるだけ曖昧にして、緊急性を根拠に公権力ができる範囲はできるだけ広いものでなくてはならない。そうすれば、国民は「緊急事態」における人権制約に慣れてくれる。感染症蔓延の事態であれば、世論は「緊急事態宣言」における人権制限に違和感をもたないのではないか。これはチャンスだ。この国民の慣れと寛容は、次には、憲法の緊急事態条項新設につながる。

現に、下村博文ら自民党幹部から、コロナウィルスの蔓延にかこつけて『憲法に緊急事態条項を』という改憲議論が発信されている。改憲論議だけでなく、公権力の権限を一層拡大するための「特措法改正」の意図には、厳しく対応しなければならない。

安倍晋三のやることだ真っ当な提案であるはずはない、というにとどまらない。新型コロナウィルスの蔓延を奇貨とする「緊急事態条項」法案の整備は危険極まりない。
(2020年3月4日)

「子年には政権交代が起こる」…に違いない。

「自己実現する予言」あるいは「予言の自己成就」という社会学上の概念がある。社会に発信されなければ実現するはずのない「予言」が、多くの人に共有され、多くの人の確信になることによって、その予言が成就する現象を言う。

今年(2020年)は十二支の始まりの子年(ねどし)である。「子年には政権交代が起こる」は、根拠のない単なるジンクスに過ぎない。しかし、このジンクスが、多くの人に語られ共有され、「子年なのだから、今年はきっと政権交代が起こる」とみんなが思うようになれば、安倍政権が崩壊することも起こりうる。

毎日新聞のネット版「デジタル毎日」に、『政治プレミア』というサイトがある。なかなかの充実ぶりで、読み応えがある。
https://mainichi.jp/premier/politics/

昨日(2月16日)、そのサイトに『荒れる子年 起きるか安倍退陣と奪権闘争』という記事がアップされた。筆者は、中川佳昭・編集委員。このタイトルだから、目を通さずにはおられない。

子年は12年に1度やって来るが、必ず「荒れる」年になるという。戦後の子年は今年で7回目となるが、これまで「戦後の子年は例外なく、内閣の交代、奪権闘争が起きている。」のだそうだ。その記事によると次のとおりである。

 1948年=芦田均内閣→第2次吉田茂内閣、
 1960年=第2次岸信介内閣→第1次池田勇人内閣、
 1972年=第3次佐藤栄作内閣→第1次田中角栄内閣、
 1984年=第2次中曽根康弘内閣下での二階堂進自民党副総裁擁立未遂、
 1996年=村山富市内閣→橋本龍太郎内閣、
 2008年=福田康夫内閣→麻生太郎内閣

なるほど、確かに、「子年は荒れる」「子年には政変が起きる確率が限りなく高い」。さて、今年はどうなるのであろうか。

このネット記事の中で、過去の子年政変の典型である「岸→池田の1960年」を振り返るところが興味深い。

 1960年、岸首相は国民的反対の強かった安保改定をやり終え、退陣する。…退陣した岸は池田、そして弟の佐藤が自分の亜流として、岸がなし得なかった憲法改正を実現してくれるだろうと期待していた。ところが池田は側近の前尾繁三郎や大平、宮沢喜一らの進言で「寛容と忍耐」をキャッチフレーズに打ち出し、憲法改正など見向きもしなかった。佐藤栄作は池田の後、1964年に首相になり、7年8カ月の長期政権を打ち立てるが、「沖縄返還」一色で、憲法改正を完全にお蔵入りにしてしまった。

「岸信介証言録」(毎日新聞社、2003年)に、次の岸の発言があるという。

 「もういっぺん私が総理になってだ、憲法改正を政府としてやるんだという方針を打ち出したいと考えたんです。池田および私の弟(佐藤)が『憲法はもはや定着しつつあるから改正はやらん』というようなことを言っていたんでね。私が戦後の政界に復帰したのは、日本立て直しの上において憲法改正がいかに必要かということを痛感しておったためなんです」

これを踏まえて、中川編集委員はこう言う。
「60年政権移動によって生み出された岸の欲求不満。60年たった2020年今日、首相返り咲きを果たし、今年8月には佐藤の連続在任記録を抜き、名実ともに首相在任最長となる安倍氏にしっかり受け継がれている。

この記事の基調に同感である。保守ないし自民党も、一色ではない。一方に、「憲法はもはや定着しつつあるから改正はやらん」という勢力があり、もう一方に「日本立て直しの上において憲法改正がいかに必要か」を強調する勢力がある。

池田・佐藤・前尾・大平・宮沢らが前者で、岸と安倍とが後者である。2020年子年の政変は、保守から革新への政権移行でなくてもよい。せめては、「積極改憲保守」から「改憲はやらん保守」への政権移行でよいのだ。

「子年だから政変が起こる」「子年の政変を起こそう」と言い続けることによって、これを「自己成就」させたいものである。
(2020年2月16日)

「れいわ新選組のポスター貼らせてください」と言われて。

夕刻に近い時刻にチャイムが鳴った。はて何の配達かと扉を開けると、玄関前に見慣れぬ女性お一人と自転車が一台。

臆するところなく、「れいわ新選組の活動をしているボランティアです。ポスターを貼らせていただけませんか」とおっしゃる。凛としたその口調は、正しいことをしているという自信に満ちている。言外に、「当然貼らせていただけますよね」という響きがある。立派なものだ。私にはこういう振る舞いはできない。

2週間ほど前にも、れいわ新選組の若者の訪問があった。あのときは男女3人組だったが、今回はお一人。礼儀正しく、不愉快な若者たちではない。前回と同様のことを申しあげて結局はお引き取りいただいた。

 「山本太郎さんに不快感は持っていませんが、『れいわ新選組』というネーミングに、たいへん違和感をもっています。このネーミングが最悪。とうてい真面目な活動をしていこうという政治団体の名前ではない」

「えっ? どうしてですか」

「まずは『令和』。これが最低で最悪。国民主権尊重のセンスがあれば『令和』を党名に付けるはずがない。押し付けられて渋々使うならともかく、積極的にこんな名前を選ぶのは、天皇制におもねる保守政党宣言としか考えられない」「そういえば、山本太郎さんは、天皇への直訴をしようとして話題になったよね。ああいうセンスには、到底付いていけない」

「うーん、そうですかね」

「『新選組』もいただけない。これは幕末の右翼テロ集団でしょう。ふざけたネーミングとしか思えない」

「見方によっては、そういう風にも言えるんでしょうかね」

「えっ? そうでない見方もできるの?」

「歴史の見方は、いろいろだと思いますが」

「私には、『令和・新選組』という組み合わせは、親天皇制のアナクロニズムで、しかも狂信的なテロ集団というイメージ」「ふざけたネーミングとしか思えない。もっと真面目にやっていただきたい」「そういう意見があったと、お仲間にお伝えください」

「分かりました」

「でも、自民党や公明党、維新なんかよりはずっとマシだと思っていますよ。消費税はなくして、税金は大企業や金持ちから取ればよいという主張には大賛成ですし、障がいのある方を議会に送り込んだのも評価できる。もし、7月の都知事選に山本太郎さんが野党統一候補として出馬することになるなら、応援しますよ」

「そうですか。そうなればよろしくお願いします」

ともかく、対話は成立した。

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1年以上も前のことだが、東京2区で立候補を予定している立憲民主党の松尾明弘の運動員が来たことがある。やはり、ポスターを貼らせてくれという戸別訪問。こちらはボランティアではなく、事務所の雇われ人の男性だった。若者とはいいがたい齢の人柄良さそうな方。

かなりの時間対応した覚えがある。「ダメだよ。立憲民主党には違和感ないけど、松尾明弘だけは絶対にダメ」「彼は隠れ改憲派じゃないか」「主要紙の候補者アンケートに、堂々と改憲賛成・9条改憲賛成と言っている。原発再稼働にも賛成だ」「自民党並みか、それ以下だ」「こんな候補者を野党の共闘候補として推せるわけがない」「この人には、切実に訴えるものがない。なぜ、選挙に出たいのか、さっぱり理解できない」

私一人がしゃべって、対話にはならなかった。

この人に関しては、過去何度か当ブログに取りあげている。詳しくは、下記URLを参照いただきたい。

市民と野党の共闘候補に「隠れ改憲派」はふさわしくない。
http://article9.jp/wordpress/?p=9523

「隠れ改憲派」松尾明弘は、野党共闘候補としてふさわしくない。

「隠れ改憲派」松尾明弘は、野党共闘候補としてふさわしくない。

もちろん、松尾は、堂々と9条改憲の持論を述べればよい。改憲論者であることは、罪でも恥でもない。しかし、有権者を誤解させることは、罪が深い。改憲論者が立憲民主党から立候補し、あまつさえ野党共闘候補者となって、9条改憲反対の善男善女の票を掠めとろうとすることが怪しからんのだ。

念のため、松尾明弘の政策をネットで検索してみた。この人、自分の政策を練り直す情熱は持ち合わせていないようだ。うすうすの政策羅列の第8項に次のように記載されている。
https://www.matsuoakihiro.jp/message/

8. 憲法 ~憲法を尊重し、21世紀の日本にふさわしい憲法について広く議論を進めます。
・「憲法によって権力の濫用を防止する」という立憲主義の理念を守ります。
・従前の司法手続きで解決できない憲法上の問題(自衛権、解散権、1票の格差等)について、国民とともに積極的に議論します。

「平和憲法を守ります」も、「護憲」も、「改憲阻止」も、「安倍9条改憲阻止」もない。「9条死守」とまでは言わずとも、「安倍改憲反対」くらいは言うべきだろうが、それすらないのだ。あるのは、「21世紀の日本にふさわしい憲法について広く議論を進めます」なのだ。これは改憲派のメッセージである。現行の日本国憲法が「21世紀の日本にふさわしい憲法」ではないと宣言しているに等しい。

「従前の司法手続きで解決できない憲法上の問題(自衛権、解散権、1票の格差等)について、国民とともに積極的に議論します。」とは、現行憲法では、「自衛権、解散権、1票の格差等について解決できないから、積極的に改憲議論を開始します」という宣言にほかならない。

ホスターをはさんで、至るところで意見交換が盛り上がることを期待したい。
(2020年2月12日)

連続更新2500日目、あらためて自民党「憲法改正草案」を斬る。

当「憲法日記」の掲載は、2013年4月1日に毎日連続更新を広言して始めた。以来、連続更新を続けて、本日が2500日目となる。節目の日にふさわしいテーマを探して、「自民党憲法改正草案批判」とした。これまでも批判はしてきたが、今の時点での厳しい批判を試みたい。

自民党のホームページに、下記のコーナーがある。ここに、自民党「改憲草案」の総括的な解説が掲載されており、総括的な批判に便宜である。

「憲法改正草案」を発表(平成24年4月)
https://www.jimin.jp/activity/colum/116667.html

自民党「憲法改正草案」は2012年4月27日に発表された。同党が、民主党に敗れて政権の座を明け渡している間のことである。無防備にホンネを語ったものとして、貴重な資料である。以下の赤字は自民党の記事青字が私の批判である。

「自主憲法の制定」は自民党の使命
 わが党は、結党以来、「憲法の自主的改正」を「党の使命」に掲げてきました。占領体制から脱却し、日本を主権国家にふさわしい国にするため、自民党は、これまでも憲法改正に向けた多くの提言を発表してきました。

 その自白のとおり、自民党は日本国憲法が大嫌い。何とか変えてしまいたいのだ。どこが嫌いか。国民主権も、平和主義も、人権の尊重も大嫌い。できればなくしたい。今の世にそれは無理だが、現行憲法の理念をできるだけ薄めたものにしてしまいたい。
 では、自民党はどんな憲法が好きなのか。一つは、大日本帝国憲法である。天皇を押し戴き、強い軍隊を持って、億兆心を一つにした統制のとれた国家を肯定する憲法。そして、もう一つが、企業が何の規制もなく恣に行動の自由を謳歌できる憲法である。権威主義と大国主義、それに新自由主義がないまぜにされた憲法イデオロギー。それが自民党が目指す方向なのだ。
 永く臣民と貶められていた日本の国民は、敗戦によって天皇制の桎梏からようやくにして抜け出し、日本国憲法を手にした。自民党は、この憲法を「占領体制によって押し付けられた憲法」というのだ。「占領体制から脱却」とは、再び「日本を旧体制に戻す」こと。これを「主権国家にふさわしい国」と言っているのだ。だから、自民党のいう憲法「改正」とは、極端な「改悪」にほかならない。

サンフランシスコ講和条約から60年、憲法改正草案を発表
 わが国が主権を回復したサンフランシスコ講和条約から60年になる本年(平成24年)4月、自民党は、新たに日本にふさわしい「日本国憲法改正草案」を発表しました。
 次期総選挙においても、「憲法改正案」の内容を世に問うていきます。今の民主党には、新しい憲法による新しい国のかたちを国民に提示することなど永遠にできません。また、それ以外の政党を見渡しても、憲法問題を正面から、しかも体系的に取り扱っているところは見当たりません。我々は、過去も未来も、憲法を、そして、この国のあり方を提示するフロントランナーなのです。

 日本国憲法は、近代憲法の大原則を踏まえ、さらに現代憲法としての特質をも備えた、普遍性の高い憲法である。言わば、人類の叡智をその核心としている。自民党は、それが面白くない。普遍性を排斥して、「日本にふさわしい」憲法草案を作ったと、手柄顔をしているのだ。他党にたいする「新しい憲法による新しい国のかたちを国民に提示することなど永遠にできません」との批判は滑稽極まる。自民党こそは、「過去も未来も、立憲主義と近代憲法・現代憲法の理念を徹底して攻撃し、国民の基本権と、国民主権・平和主義をないがしろにし続ける張本人であり、頭目でもある」のだ。

諸外国の戦後の憲法改正(平成24年4月現在)
 世界の国々は、時代の要請に即した形で憲法を改正し、新たな課題に対応しています。主要国を見ても、戦後の改正回数は、アメリカが6回、フランスが27回、第2次世界大戦で同じく敗戦したイタリアは15回、ドイツに至っては58回も憲法改正を行っています。しかし、日本は戦後一度として改正していません。

 これこそ、安倍晋三得意の「印象捜査」である。これではまるで、憲法を改正することがよいことで、改正しないことが怪しからんような言い回し。
 諸国の「改正」は、片々たる些事についてのもので、日本では憲法を変えることなく、法律の改正で間に合うようなものばかり。なによりも、その「改正」の中身を吟味することなく、回数のみをあげつらうことは無意味である。自民党がたくらんでいるのは、「時代の要請に即した形での憲法改正」ではない。復古的な保守イデオロギーと、大資本の利潤追求の自由の要請なのだ。
 日本国憲法は、日本国民の意思として、戦後一度として改正させなかったことを誇るべきなのだ。保守化してきた時代の潮流に流されず,超大国アメリカや日本の保守勢力の恫喝や要請に抗して、これまで改憲を阻止してきた。これからも、自民党の望む方向の改憲を許してはならない。

日本らしさを踏まえ、自らが作る日本国憲法
 「日本国憲法改正草案」は、前文から補則まで現行憲法の全ての条項を見直し、全体で11章、 110カ条(現行憲法は10章及び第11章の補則で103カ条)の構成としています。 自民党の憲法改正草案が国民投票によって成立すれば、戦後初めての憲法改正であり、まさに日本国民自らの手で作った真の自主憲法となります。
 草案は、前文の全てを書き換え、日本の歴史や文化、和を尊び家族や社会が互いに助け合って国家が成り立っていることなどを述べています。
 主要な改正点については、国旗・国歌の規定、自衛権の明記や緊急事態条項の新設、家族の尊重、環境保全の責務、財政の健全性の確保、憲法改正発議要件の緩和など、時代の要請、新たな課題に対応した憲法改正草案となっています。

 この表題が不正確だ。正確には、「天皇制国家へのノスタルジーを踏まえ、保守イデオロギーが作った、時代遅れ憲法」と言わねばならない。
 草案は、「前文の全てを書き換え」たという。日本国憲法前文の格調はなくなった。「日本の歴史や文化」の強調は、普遍的な憲法理念攻撃の言い訳である。保守派独特の「和を尊び」は、「毒にも薬にもならない」と看過してはならない。民主主義にとって明らかな「毒」なのだ。「家族や社会が互いに助け合って国家が成り立っている」は、まさしく清算したはずの封建イデオロギーそのものではないか。
 「国旗・国歌の強制」「自衛権の明記」「緊急事態条項の新設」「家族の尊重」「憲法改正発議要件の緩和」は、どれもこれも明らかな「憲法改悪」である。「環境保全の責務」「財政の健全性の確保」は、憲法改正を待つまでもない。すぐにでもね法律の制定をすればよいだけのこと。

「日本国憲法改正草案」の概要
(前文)
国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三つの原則を継承しつつ、日本国の歴史や文化、国や郷土を自ら守る気概などを表明。

「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三つの原則を継承」は、実はそうなっていない。「国民主権」は、天皇の元首化と、天皇の憲法遵守義務を排除した点で、大きく揺らいでいる。「基本的人権の尊重」は、公共の福祉を強調したことによって大きく損なわれた。「平和主義」は、国防軍の保持を明記した点で潰えている。
しかも、この草案は、憲法のなんたるか、立憲主義のなんたるかを理解していない。国民に「国や郷土を自ら守る」責務を説いている点で、訳の分からぬのとなっている。

(第1章 天皇)
・天皇は元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴。
・国旗は日章旗、国歌は君が代とし、元号の規定も新設。

「天皇は元首」だと? まっぴらご免だ。「日の丸」「君が代」「元号」は天皇制を支える小道具なのだ。これを憲法に書き込ませてはならない。

(第2章 安全保障)
・平和主義は継承するとともに、自衛権を明記し、国防軍の保持を規定。
・領土の保全等の規定を新設。

古来、軍隊も戦争も、「平和を守るため」と称された。どの国も、平和のために軍隊を持ち、平和のためにやむを得ずとする戦争を繰り返してきた。その愚を断ち切ろうというのが、日本国憲法の平和主義であり9条である。自民党改憲草案は、この平和主義を全面否定しようということなのだ。

(第3章 国民の権利及び義務)
・選挙権(地方選挙を含む)について国籍要件を規定。
・家族の尊重、家族は互いに助け合うことを規定。
・環境保全の責務、在外国民の保護、犯罪被害者等への配慮を新たに規定。

「選挙権(地方選挙を含む)について国籍要件を規定」は、排外主義以外のなにものでもない。同じ土地に暮らし、同じく税の負担をする人びとを国籍で差別しようという、自民党の一番厭な差別主義を露呈している。
「家族の尊重」とは、家の復活のことである。家父長制が国家の礎となった、あの時代の悪夢の再来というしかない。
「環境保全の責務」「在外国民の保護」「犯罪被害者等への配慮」は、積極的に立法すべき課題。これをダシに改憲しようとは、さもしき根性。

(第4章 国会)
・選挙区は人口を基本とし、行政区画等を総合的に勘案して定める。

国政選挙における一票の重みの平等の実現は完全比例代表制で実現できる。選挙方法の工夫を抜きに、改憲の道具とすることを許してはならない。

(第5章 内閣)
・内閣総理大臣が欠けた場合の権限代行を規定。
・内閣総理大臣の権限として、衆議院の解散決定権、行政各部の指揮監督権、国防軍の指揮権を規定。

こんなつまらぬことを口実に、軽々に改憲など許されるはずがない。

(第6章 司法)
・裁判官の報酬を減額できる条項を規定。

自民党は裁判官の独立が嫌い。権力的干渉の足がかりを作っておきたいのだ。

(第7章 財政)
・財政の健全性の確保を規定。

赤字国債垂れ流しの張本人が、その防止のためとして憲法改憲を目論む。これは、ブラックジョークだ。

(第8章 地方自治)
・国及び地方自治体の協力関係を規定。

あってもなくても条文。こになことを口実に、軽々に改憲など許されるはずがない。

(第9章 緊急事態)
・外部からの武力攻撃、地震等による大規模な自然災害などの法律で定める緊急事態において、内閣総理大臣が緊急事態を宣言し、これに伴う措置を行えることを規定

これは、あってはならない邪悪で危険な条文。こんな憲法改悪は、絶対に許してはならない。

第10章 改正)
・憲法改正の発議要件を衆参それぞれの過半数に緩和。

硬性憲法を、こんなに柔らかくしてしまってはならない。これでは、憲法が憲法でなくなってしまう。

(第11章 最高法規)
・憲法は国の最高法規であることを規定。

えっ? これまでは、憲法は国の最高法規でなかったとでも言うの? 現行憲法には国の最高法規性が規定されていないとでも言うの?

自民党は「憲法改正原案」の国会提出を目指しています。
 「国民投票法」の施行に伴い、「憲法改正案」を国会に提出することが可能となりました。わが党は、国民の理解を得る努力を積み重ね、「憲法改正原案」の国会提出を実現し、憲法改正に向けて全力で取り組みます。

日本国民は「憲法改正原案」の国会提出をけっして認めません。
 まだまだ「国民投票法」は使える内容になっていません。今のような環境で「憲法改正案」を国会に提出することなどは到底考えられません。理性ある国民は、自民党を説得する努力を積み重ね、「憲法改正原案」の国会提出を決して許さず、憲法改正阻止に向けて全力で取り組みます。人権と民主主義と平和を守るために。

(2020年2月4日・連続更新2500 日)

新型肺炎の蔓延Iに便乗した「緊急事態条項新設の改憲」論議に最大限の警戒を

「火事場泥棒」とは最大限の悪罵である。災害に乗じて私利をむさぼろうという、さもしい性根が非難の的となる。「火事場泥棒」にとっては、被害者の不幸は眼中になく、火事は大きければ大きいほど好都合なのだ。

言うまでもなく、「火事」は新型コロナウィルス肺炎の蔓延であり、火事場からの盗取がたくまれているものは「緊急事態条項新設の改憲」である。そして、下記の方々に「火事場泥棒」という称号をたてまつりたい。

伊吹文明・元衆院議長、鈴木俊一・自民党総務会長、小泉進次郎・環境相、松川るい・自民党参院議員、中谷元・元防衛相、下村博文・自民党選対委員長、馬場伸幸・日本維新の会幹事長、百地章・国士舘大学特任教授。

彼らの言は、「憲法改正の大きな実験台と考えた方がいいかもしれない」「憲法に緊急事態条項があればこんなことにはなっていない!」「憲法に緊急事態条項があれば!」という類のもの。とりわけ、小泉進次郎のこの言を記憶にとどめておきたい。

「私は憲法改正論者だ。社会全体の公益と人権のバランスを含めて国家としてどう対応するか、問い直されている局面だ」

上記のリストに安倍晋三を加えるべきかどうか、躊躇と逡巡がある。彼は予算委員会での答弁では、新型肺炎についての言及は避け、「今後想定される巨大地震や津波等に迅速に対処する観点から憲法に緊急事態をどう位置付けられるかは大いに議論すべきものだ」と述べている。安倍晋三も、火事場のどさくさでの一働きを狙ってはいるのだが、さすがにまだ、自らは口も手も出せないのだ。

現行憲法が感染症対策に支障となっているとは、言いがかりも甚だしい。明らかに現行法制で十分に対応可能である。問題は、現行の法制が十分に使いこなせていないところにある。安倍内閣は後手後手の対応で危機管理能力の欠如を露わにしてきた。今、安倍晋三の取り巻きたちが、その失策を憲法の不備に責任転嫁し、人びとの困惑に乗じて、改憲の突破口を作ろうというのだ。これは、「悪用」「悪乗り」というレベルではなく、まさしく「火事場泥棒」と言わざるを得ない。

もともと、「緊急事態条項」とは、戦争や内乱あるいは大規模災害などの国家の《緊急事態》を想定し、国に対処の権限を集中させて、国民の基本権の制約を認める規定である。独裁国家ないし強権国家が悪用してきた歴史の教訓を踏まえて、日本国憲法にはまったく存在しない。人権擁護派は日本国憲法を当然とし、国家主義者はこれを不備とする。自民党の改憲草案には,次のように詳細な規定が盛り込まれている。

緊急事態に関する自民党憲法改正草案(要旨)
98条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、緊急事態の宣言を発することができる」
99条1項 緊急事態の宣言が発せられたときは、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
同条3項 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。」

さすがに現在自民党はこの改憲草案を表だって主張していない。現在の「安倍改憲改憲4項目」の内の緊急事態条項は、現在の憲法第4章「国会」の末尾に次の1か条を付け加えるというだけのものである。

第64条の2 大地震その他の異常かつ大規模な災害により、衆議院議員の総選挙又は参議院議員の通常選挙の適正な実施が困難であると認めるときは、国会は、法律で定めるところにより、各議院の出席議員の3分の2以上の多数で、その任期の特例を定めることができる。」

これでは、感染症対策とは無関係だ。しばらくは鳴りを潜めていた、自民党憲法改正草案の緊急事態条項案がまたぞろ、引っ張り出される危険性が高い。新型肺炎の蔓延に最大限の注意をしなければならないが、同時にこれに便乗した改憲論議にも、最大限の警戒をしなければならない。

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4年も前の、「緊急事態条項」に関する私の学習会レジメの抜粋を掲載しておきたい。参考になるところもあろうかと思う。
なお、詳細は、下記URLを参照されたい。
http://article9.jp/wordpress/?p=6656

訴えの骨格は、次の諸点。
☆今、安倍政権は、解釈改憲を不満足として明文改憲をたくらんでいる。
☆その突破口が「緊急事態条項」とされている。
☆しかし、緊急事態条項は必要ない。
☆いや、緊急事態条項(=国家緊急権条項)はきわめて危険だ。
☆現行憲法に緊急事態条項がないのは欠陥ではない。
憲法制定者は緊急事態条項を危険なものとして意識的に取り除いたのだ。
☆意識的に取り除いたのは、戦前の旧憲法下の教訓から。
☆それだけでなく、ナチスがワイマール憲法を崩壊させた歴史の教訓からだ。
☆緊急事態条項(=国家緊急権条項)は、
整然たる憲法秩序をたった一枚でぶちこわすジョーカーなのだ。

レジメ《緊急事態条項は、かくも危険だ》

レジメの構成 同じことを3回繰り返す。骨格→肉付→化粧

第1章 スローガン編 ビラの見出しに、マイクでの呼びかけに。
第2章 肉付編 確信をもって改憲派と切り結ぶために。
第3章 資料編 資料を使いこなして説得力を

第1章 スローガン編
いま、緊急事態条項が明文改憲の突破口にされようとしている。
しかし、緊急事態条項は不要だ。「緊急事態条項が必要」はデマだ。
緊急事態条項は不要と言うだけではない。危険この上ない。
緊急事態条項の導入を「お試し改憲」などと軽視してはならない。
自民党改憲草案9章(98条・99条)が安倍改憲の緊急事態条項。
98条が緊急事態宣告の要件。99条が緊急事態宣告の効果。
緊急事態条項は、立憲主義を突き崩す。人権・民主々義・平和を壊す。
緊急事態とは、何よりも「戦時」のことである。⇒戦時の法制を想定している。
「内乱等社会秩序の維持」の治安対策である。⇒大衆運動弾圧を想定している。
緊急事態においては、内閣が国会を乗っ取る。政令が法律の役割を果たす。
⇒議会制民主主義が失われる。独裁への道を開く。
緊急事態条項は、国家緊急権を明文化したもの。
国家緊急権は、それ一枚で整然たる憲法秩序を切り崩すジョーカーだ。
国家緊急権は、天皇主権の明治憲法には充実していた。
その典型が天皇の戒厳大権であり、緊急勅令(⇒行政戒厳)であった。
ナチスも、国家緊急権を最大限に活用した。
ヒトラー内閣はワイマール憲法48条で共産党を弾圧して議会を制圧し、
制圧した議会で、悪名高い授権法(全権委任法)を成立させた。
授権法は、国会から立法権を剥奪し、独裁を完成させた。
最も恐るべきは、緊急事態条項が憲法を停止し、
緊急時の一時的「例外」状況が後戻りできなくなることだ。

第2章 肉付編
1 憲法状況・政権が目指すもの
☆解釈改憲(閣議決定による集団的自衛権行使容認から戦争法成立へ)だけでは、
政権は満足し得ない。
彼らにとって、戦争法は必ずしも軍事大国化に十分な立法ではない。
⇒現行憲法の制約が桎梏となっている。⇒明文改憲が必要だ。
☆第二次アベ政権の明文改憲路線は、概ね以下のとおり。
96条改憲論⇒立ち消え(解釈改憲に専念)⇒復活・緊急事態条項から
改憲手続(国民投票)法の整備⇒完了 各院に憲法審議会
そして最近は9条2項にも言及するようになってきている。

2 なぜ、緊急事態条項が明文改憲の突破口とされているのか。
☆東日本大震災のインパクトを利用
「憲法に緊急事態条項がないから適切な対応が出来なかった」
☆「緊急事態への定めないのは現行憲法の欠陥だ」
仮に、衆院が構成がないときに「緊急事態」が生じたら、
☆政権側の緊急事態必要の宣伝は、「衆院解散時に緊急事態発生した場合の不備」に尽きる。「解散権の制限」や「任期の延長」規程がないのは欠陥という論法。
しかし、現行憲法54条2項但し書き(参議院の緊急集会)の手当で十分。
☆それでも「お試し改憲」(自・公・民・大維の賛意が期待できる)としての意味。
☆あわよくば、人権制約制限条項を入れたい。

3 政権のホンネ
☆国家緊急権(規程)は、支配層にとって喉から手の出るほど欲しいもの
大江志乃夫著「戒厳令」(岩波新書)の前書に次の趣旨が。
「緊急事態法制は1枚のジョーカーに似ている。
他の52枚のカードが形づくる整然たる秩序をこの一枚がぶちこわす」
☆自由とは権力からの自由と言うこと。人権尊重理念の敵が、強い権力である。
人権を擁護するために、権力を規制してその強大化を抑制するのが立憲主義。
立憲主義を崩壊せしめて強大な権力を作るための恰好の武器が国家緊急権。
☆戦時・自然災害・その他の際に、憲法の例外体系を形づくって
立憲主義を崩壊させようというもの。

4 天皇制日本とナチスドイツの国家緊急権
☆明治憲法には、戒厳大権・非常大権・緊急勅令・緊急財政処分権限などの
国家緊急権制度が手厚く明文化されていた。
☆最も民主的で進歩的なワイマール憲法に、大統領の緊急権限条項があった。
ナチス政権以前に、この条項は250回も濫発されていた。
☆ナチス政権は、この緊急事態法を活用して共産党の81議席を奪い、
授権法(全権委任法)を制定して国会を死滅させた。
☆その反省から、日本国憲法は、国家緊急権(条項)の一切を排除した。
戦争放棄⇒戦時の憲法体系を想定する必要がない。
徹底した人権保障システム⇒例外をおくことで壊さない

5 自民党改憲草案「第9章 緊急事態」の危険性
☆旧天皇制政府の戒厳・非常大権規程が欲しい⇔「戦後レジームからの脱却」
ナチスの授権法があったらいいな⇔「ナチスの経験に学びたい」
しかも、緊急事態に出動して治安の維持にあたるのは「国防軍」である。
☆自民党改憲草案による「緊急事態」条項は
濫用なくても、「戦争する国家」「強力な権力」「治安維持法体制」をもたらす。
しかも、濫用の歯止めなく、その危険は立憲主義崩壊につながる。
☆草案では、内閣が国会を乗っ取り、政令が法律の代わりを務める。
内閣が、人身の自由、表現の自由を制約する政令を発することができる。
予算措置もできることになる。

6 まずは、徹底した「緊急事態条項必要ない」の訴えと
次いで、「旧憲法時代やナチスドイツの経験から、きわめて危険」の主張を

(2020年2月2日・連続更新2498日)

覚えておこう、安倍晋三が語るべくして語らなかったこと。

昨日(1月20日)、第201回通常国会が開会した。さあ、いよいよウソとゴマカシの安倍政権に引導を渡して、改憲断念の駄目を押す機会だ。

それにしても、「無内容」、「薄っぺら」、「我田引水」、「つまみ食い」、「手前勝手」、「厚顔無恥」と悪評のみ高い施政方針演説だった。

印象に残るのは、随所にオリンピックへの言及が繰り返されたこと。安倍が引用する2020オリンピックなのだから、薄汚いに決まっている。ますます、東京オリンピック(安倍は、「日本オリンピック」と言った)の印象が悪くなる。嫌いになる。

そして最後に、何の論理の脈絡もなく、唐突に「憲法改正」が叫ばれる。この部分を官邸のホームページから引用しておこう。

七 おわりに
 「人類は四年ごとに夢をみる」
  一九六四年の記録映画は、この言葉で締めくくられています。新しい時代をどのような時代としていくのか。その夢の実現は、今を生きる私たちの行動にかかっています。
  社会保障をはじめ、国のかたちに関わる大改革を進めていく。令和の新しい時代が始まり、オリンピック・パラリンピックを控え、未来への躍動感にあふれた今こそ、実行の時です。先送りでは、次の世代への責任を果たすことはできません。
  国のかたちを語るもの。それは憲法です。未来に向かってどのような国を目指すのか。その案を示すのは、私たち国会議員の責任ではないでしょうか。新たな時代を迎えた今こそ、未来を見つめ、歴史的な使命を果たすため、憲法審査会の場で、共に、その責任を果たしていこうではありませんか。
  世界の真ん中で輝く日本、希望にあふれ誇りある日本を創り上げる。その大きな夢に向かって、この七年間、全力を尽くしてきました。夢を夢のままで終わらせてはならない。新しい時代の日本を創るため、今日、ここから、皆さん、共に、スタートを切ろうではありませんか。
  御清聴ありがとうございました。

 何ともアホラシくも、出来の悪いシラけた演説。論理でも情念でも、聞く人に訴える内容をもっていない。オリンピックが改憲のダシに使われるのなら、人類は四年ごとに悪夢をみる」というしかない。その悪夢実現阻止の成否は、自立し自覚した主権者国民の行動にかかっている。安倍ごときの、浅薄きわまる煽動に乗せられてはならない。

言うまでもないことだが、憲法99条は、天皇と内閣総理大臣を筆頭とする公務員に憲法尊重擁護義務を課している。安倍晋三は、憲法を擁護しなければならない。彼は、施政方針演説において、主権者から命じられるとおり、憲法に準拠して、憲法を拳拳服膺する姿勢を見せなければならない。

にも拘わらず、令和の新しい時代が始まり、オリンピック・パラリンピックを控えた今こそ、改憲審議を実行すべき時」と敢えて言うのだ。憲法に対する理解を欠いた行政府の長、内閣総理大臣として不適格も甚だしい。

「令和」やオリパラについては、明るい話題として取りあげながら、彼は不都合なことは語らない。安倍に不都合なことは、憲法と民主主義に大切なことなのだ。語られるべくして語られぬことを、しっかりと確認しておかねばならない。

忘れちゃならない、もり・かけ・さくら、テストにカジノ。辺野古にイランと中東派兵。環境破壊と原発推進。大事な文書は隠匿・改竄・廃棄して、丁寧に丁寧に、何も説明しないこと。それに加えて菅原一秀・河井克行・河井案里のやったこと。
(2020年1月21日)

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