平和のために、今こそ「九条守れ」の声を高く。
(2022年5月10日)
ご近所にお住まいの皆様、ご通行中の皆様。しばらく、お耳を拝借いたします。こちらは「本郷・湯島九条の会」です。私たちは、日本国憲法の徹底した平和主義をこよなく大切なものと考え、長く「九条守れ」の活動を続けてまいりました。
そして今、ロシアがウクライナに軍事侵攻を開始したという深刻な事態の中で、常にも増して、今こそ「九条を守れ」「九条による平和を」と、声を挙げなければならないと決意を固めています。
皆さん、戦争とはいったいなんでしょうか。それは、大量の殺人行為です。大規模な強盗です。放火でもあり、建造物損壊でもあります。これ以上なく多くの人に不幸をもたらす野蛮な犯罪と言わねばなりません。歴史上、権力を手にした多くの為政者が、罪のない多くの人の不幸を無視して、より大きな権力と富を求めて戦争を繰り返してきました。しかし同時に、文明は何とかして戦争を止めさせたいと願い続け考えつづけてもきました。
そして、19世紀から20世紀にかけて、人類は戦争を違法なものと確認する営みを継続してきました。最初は捕虜に対する非人道的な行為や残虐な武器の使用を禁じ、やがて侵略戦争を違法とし、第二次大戦のあとには国連憲章が、例外を残しながらも戦争一般を違法なものとして禁止しました。
その流れをさらに一歩進めて、日本国憲法九条は、例外のない全ての戦争を放棄し、その保障として戦力の不保持を宣言しました。人類の叡智の貴重な到達点と言わねばなりません。
ウクライナに侵略した現在のロシアは、軍国主義・侵略主義をひた走った戦前の日本の姿です。日本は、侵略戦争を繰り返す中で、台湾・朝鮮を自国の領土とし、さらには満州を占領し、国際連盟で孤立しました。それでも中国にまで侵略の手を伸ばして泥沼に陥いり、世界から経済制裁を受けて行き詰まるや、米・英・蘭にも戦争を仕掛け…、そして壊滅的な敗戦を迎えました。
それが内外にどんな悲惨な災禍をもたらしたか、ご存じのとおりです。これを身に沁みた日本国民は、平和憲法を制定し、二度と戦争はしない、いかなる名目でも戦争は絶対にしないこと、そしてその保障として戦力を持たないことを憲法に明記したのです。これは、日本が世界に向かってした誓約にほかなりません。
しかし、今、ことさらに「九条は無力だ」「敵基地攻撃能力が大切だ」「非核三原則を見直そう」と、声高に語る人がいます。予てから、戦争の準備が必要だと発言していた人たちです。火事場泥棒同然にこの機会に乗じた、「防衛力を増強しよう」「軍事予算を増やそう」などという煽動に乗せられてはなりません。ましてや、「九条改憲」「核共有」などもってのほか、危険極まりないといわねばなりません。
憲法9条本来の理念は、他国を武力によって威嚇する防衛思想を放棄し、国際的な信頼関係を醸成することによって、平和を築き戦争を予防しようということです。単に戦争を予防するだけでなく、信頼と協調で結ばれた平和な世界を創ろうということにほかなりません。本来、日本はそのような外交努力に邁進すべきなのです。
そのとき、なによりも大切なものは、信頼の獲得です。強大な武力を持つ国ではなく、戦争を放棄し戦力を持たない平和主義に徹した国であればこそ、世界のどの国からも、誰からも信頼してもらえます。その信頼に基づいた平和外交が可能となるのです。
戦争の原因となる相互不信の原因や、国際的な格差や飢餓や、搾取や不平等を解きほぐし信頼関係を構築するには、九条というソフトパワーは、強力なツールであり権威の源泉というべきです。
残念ながら今、日本は世界有数の軍事力を持ち、アメリカとの軍事同盟に縛られている現状で、九条はその力を十分に発揮してはいません。それでも、九条は、少なくとも専守防衛に徹することの歯止めとしての役割を果たしています。この歯止めがはずれた場合の恐るべき事態を防止しなければなりません。
これ以上、自衛隊を強化し、防衛予算を増やし、米軍の基地を増強し、さらには核共有までの議論を始めるとなれば、日本は、平和を望む諸国と人々に対する、国際的な信頼と権威をさらに失墜し、却って危険を招くことになるでしょう。
そうならないように、火事場泥棒に警戒を怠らず、ともに「今こそ九条を守れ」と声を挙げていただくよう、お願いいたします。日本と世界の平和のために。