澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

IR(カジノ)とは「共食い」である。松井一郎よ、吉村洋文よ、立ち止まれ。そして「引き返す勇気」を持て。

(2022年5月9日)
 本日の毎日新聞夕刊に、「『共食い』はごめんだ」という永山悦子論説委員の、IRに関する解説記事。『共食い』=「カリバニズム」は、まことに嫌な語感。指摘されてみると、賭博・博打・カジノは、まさしく『共食い』=「カリバニズム」そのものではないか。イヤーな語感も共通だ。さらに、IRは別の意味の深刻な「共食い」の舞台にもなるという。

 「カリバニズム」と言わずに、「カニバリゼーション」というと、語感が変わるようだ。マーケッティング業界のテクニカルタームとして定着しているらしい。同じ企業の似たような製品同士が、購買層を「喰い合う」現象などをさすのだという。

 永山の解説では、「米国では、カジノの経済的影響の一つに『カニバリゼーション』が挙げられる。日本語で共食いの意味だ。カジノへの支出が増えると、その分、同じ地域内の経済活動や消費への支出が減る。『カジノの繁栄はその周辺の経済活動を犠牲にしたもの』(鳥畑与一「カジノ幻想」)」という。カジノが、参加者同士の「共食い」であるだけでなく、地域経済における「共食い」でもあるという指摘なのだ。

 大阪府・市が手を挙げた、人工島「夢洲」に計画されているカジノを含む統合型リゾート(IR)。このIRの経済的効果については、これまでは「こんな根拠薄弱な収支計画は絵に描いた餅、うまく行くはずがない」「破綻して、府民・市民に大きな負担をかけることになる」という悲観論の批判が強かった。

 ところが、「仮に、こんな杜撰な収支計画が絵に描いた餅とならず、破綻なく順調に経営されてしまった場合」には、もっと大きな問題が出てくると言うのだ。それが、囲い込まれた夢洲IRが近隣の大阪商圏を喰ってしまうという「カニバリゼーション」。そのカラクリがこう説明されている。

 「IRは、カジノだけでなく、エンタメ施設、ホテル、レストラン、国際会議場などを複合する巨大施設を指す。そこを訪れれば、だれもが仕事も娯楽も満足できるというコンセプトだ」「IRでは、カジノが利益の約8割を担う。カジノへ落とされるカネが経営を支えるから、IR側はカジノで長い時間を過ごさせたい。海外のカジノには『コンプ』という仕組みがある。コンプは、カジノのもうけを利用し、カジノを使う人にホテルや飲食などを格安で提供するサービスだ」「ただでさえIR内で用事が済むところ、コンプのようなサービスがあると、訪問者はIRに囲い込まれてしまう。施設外のホテルなどよりも安かったり、便利なサービスがあったりすれば、IRを選ぶ人も増える。地域産業は、とても太刀打ちできまい」

 なるほど。これは、説得力がある。IRというビジネスモデルが成立するのは、収益の核としての大規模な「カジノ=賭場」があるからなのだ。健全な経済社会には存在し得ない「カジノ=賭場」とセットになっていればこそ、併設されているホテルも食堂も格安にできる。経営者はそのカジノの付属設備の魅力で客を吸収し、囲い込もうとする。真っ当な経済社会にある地域産業はとても太刀打ちできない。つまりは、客層はIRに吸い寄せられ囲い込まれて、喰われてしまうことになる。

 現実に、「米国では、あちこちでカジノ周辺の産業が衰退に追い込まれている。『カジノは地域を壊す』と言われるゆえんだ。それは、誘致自治体が思い描く『地域の経済振興』とは正反対の姿」だという。大阪市民よ、府民よ。本当にこのままでよいのか。

 永山は、この現象を、「人間同士の『共食い』」と表現して、「国や自治体が、『共食い』を推進するのは、どう考えてもおかしい」「立ち止まるのは、今からでも遅くない」と締めくくっている。

 毎日だけではない。大阪府と「包括連携協定」を結んだ読売新聞までが、5月4日の社説で、「カジノ誘致 収益に頼る地域振興は適切か」と疑問を投げかけている。もちろん、「適切ではない」と言いたいのだ。但し、理由は少し違う角度。

「大阪府と大阪市は開業後、カジノの売り上げや入場料から、それぞれ年500億円以上が入ると見込んでいる。しかし、訪日客が順調に回復するとは限らず、過大な期待だと言わざるを得ない。

 そもそも、来場者がカジノで失った賭け金を地域振興に使う成長戦略は適切なのか。国や自治体はギャンブル依存症の対策を進めるとしながら、カジノの収益に期待する姿勢は矛盾している。

 当初は認定を最大3か所と定め、地域間で競わせる想定だったが、その思惑はすでに外れている。国や自治体は、IR事業の実現ありきではなく、その必要性を再検討する時期ではないか。」

 もっとはっきり言うべきだろう。読売は大阪に、「カジノはもう止めた方がよい」と言いたいのだ。

この点は、朝日も同様である。
4月28日付の社説が「カジノ計画 このまま走る気なのか」という表題。「まさか、このまま突っ走る気ではないだろうね」という含意。

 「今後、巨額の建設費が住民負担となってはね返る恐れはないか、仮に事業者が撤退した場合、誰がどう責任をとるのかなど、納税者の視点からの慎重な吟味が必要だ。

 既にパチンコや競輪、競馬などの公営賭博があり、カジノ解禁がギャンブル依存症の患者をさらに増やすとの懸念は強い。地域の活性化とは何か。そのためにどんな施策を講じるべきか。腰を据えて考えるよう、社説は繰り返し訴えてきた。」

 そして最後は大阪府・市に、こううながしている。
 「『求められるのは、立ち止まり、引き返す勇気だ』。和歌山県が3月に開いたIRに関する公聴会で、公述人の一人はそう述べた。政府がいま、耳を傾けるべき至言である」

 そう。今なら、まだ浅い傷で引き返せる。松井も、吉村も、取り返しがつかなくなる前に、「引き返す勇気」を持て。

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Published in 月曜日, 5月 9th, 2022, at 19:06, and filed under 維新.

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