澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

家計の不安を感じている方は、日本共産党に投票を。

(2022年6月25日)
 今の世は資本主義隆盛の時代です。極端に富が偏在し、経済格差にあえぐ大多数の人々にとっては、まことに生きるに厳しい社会となっています。この経済社会では、人は人として尊重されません。資本が利潤を生むための手段である労働力の提供者としてのみ重宝な存在とされ、労働力再生産過程の局面でのみ保護の対象となるに過ぎません。

 この冷徹な資本本位の経済原則を、人間尊重の理念で修正しなければ、この世は人が生きるに値しない暗黒の社会に堕してしまいます。人がその尊厳を保って暮らしていけるように資本の横暴を規制し修正する手段が民主主義の政治です。そのために、法の支配や立憲主義という大きな理念があり、種々の政党が政治活動を行っています。

 その諸政党を比較してみる視点は、富の偏在・経済格差・貧困という資本主義社会の根本的な矛盾に、誰の立場から、どのように、どの程度にまで切り込む政策をもっているのかということになります。言うまでもなく、この社会が経済的な意味での階級社会である以上、全ての人々の利害が一致することはあり得ません。基本的には、経済的な強者と弱者の対立の構造で今の世の政治は動いています。いったいどちらの側に立ってものを言うのか、が厳しく問われています。

 自民党とは、《一握りの、大資本・大金持ち》からの政治献金を受領して、その利益を代表する立場を基本とする政党です。大資本の走狗と言って差し支えありません。これに徹底して対峙し、経済的弱者の側に立つことを鮮明にしているのが、日本共産党にほかなりません。その他の諸政党は、自民党と共産党の中間にあって、自民党よりの公明・維新・国民、共産党に近い社民・立憲・れいわと位置づけることができるでしょう。

 産業革命をきっかけに資本主義が誕生して以来、その弱肉強食の冷酷さが多くの人に不幸をもたらしてきました。その経験から労働運動が勃興し革新政党も発展して、福祉国家政策が世界の常識になりました。所得や富の再分配を通じて経済的な弱者にも、人間たるに値する生活を保障し、資本主義の矛盾に対処しようという国のありかたです。

 ところが近年、資本の側の巻き返しが目立つのです。「政治や行政による資本への規制を緩和せよ撤廃せよ」「資本に、もっと利潤獲得の自由を与えよ」「資本の負担を減らせ」「資本に対する課税を減らせ。弱者に課税せよ」という、新自由主義の動きです。

 自民党は、この資本の要請にほぼ忠実に応えてきました。小泉規制改革で手を付け、アベノミクスが本格的にこれを実行して、今その破綻に至ろうとしています。押し寄せて来た物価の高騰がその破綻の一つの表れです。

 今回の参院選。物価高騰から国民生活をどう守るかが、最大争点の一つとして注目されつつあります。そして、その対策としての消費税減税が実行されるか否かが切実な具体的政策課題となっています。

 物価高騰は、けっして偶発的なウクライナ危機によるだけのものでなく、その基本的要因は、「アベノミクスによる異次元の金融緩和」にあります。これが異常円安を招き、輸入品の物価を押し上げています。しかも今、この金融緩和政策の破綻が明らかなっているのに、公定歩合引き上げなどの金融緩和政策見直しもできない窮地に陥っています。

また、自民党は労働法制の規制緩和で正社員を非正規に置き換えて、働く人を『使い捨て』にしてきました。これが日本の経済の競争力の低下の要因でもあり、多くの人の生活を苦しめてきたことも明らかです。

 財源をどうするか。大企業と大金持ちに応分の負担をしてもらえばよいだけのことです。大企業にはアベノミクスでため込んだ巨額の内部留保があります。これに課税することで、財源を確保するだけでなく、賃金を上げさせることにもなります。

 いま、賃金が上がらず、年金は下がり続け、重い教育費が家計を圧迫し続けているなかでの物価の高騰です。雇用が不安・賃金が上がらない・老後が不安・教育費の負担が不安という方は、ぜひとも共産党に投票していただきたいのです。基本は、どの政党が経済的弱者の味方なのかという視点です。

 政治の責任で賃金を上げ、社会保障と教育予算の充実をはからねばなりません。そして、まずは「消費税の引き下げ」です。消費税こそは、弱者に苛酷で金持ちに負担の軽い、「逆進性」の高い悪税と言わねばなりません。

 共産党はこう言っています。
 「消費税導入から33年、一貫して消費税反対を貫いてきた日本共産党への一票で、消費税減税を実行させよう」

「野宿者に居宅保護を!弁護団」に、最大限の敬意を!

(2021年10月31日)
 日弁連の機関誌「自由と正義」の冒頭に、「ひと筆」というコラムがある。毎回、一人の会員(弁護士)のエッセイが掲載される。面白いこともあれば面白くもないこともあるが、その最近号(2021年10月号)の大阪弁護士会・小久保哲郎さんの「一筆」をご紹介したい。

 小久保さんは、労働弁護士としても生存権弁護士としても知られる人。その「ひと筆」のタイトルは「裁判所は生きていた」、生活保護基準引き下げを違法と断じた大阪地裁判決についてのエッセイである。ここには、自分を叱咤激励した先輩弁護士として、木村達也さんと尾藤廣喜さんの名が出てくるが割愛せぜるを得ない。全3節の内の第1節「1997年10月~申請書は”落とし物”?」だけを引用させていただく。

 弁護士になって3年目の1997年10月のことだった。先輩弁護士から振られて、日本最大の日雇い労働者の街であった釜ケ崎の支援団体の相談を受けた。当時、大阪の街では、駅舎、公園、道路と至るところにホームレスの人がいて、裁判所と弁護士会前の河川敷にもブルーシートのテント小屋がぎっしりと立ち並んでいた。
 「家がないんだから生活保護が受けられて当然」と思うのだが、当時は役所に行っても「家を借りてから来い」と理不尽なことを言われて追い返されていた。路上で行き倒れれば救急搬送されて入院中だけ生活保護が適用されるが、退院すればまた路上に放逐。後で知ったことだが、大阪だけで路上で死ぬ人が年間400人いると言われていた。
 「昔のようにアパートで暮らしたい」。退院を控えたホームレスのおばあさんの願いを聴いた支援団体の人が、生活保護法の条文を読み込み、手書きの「居宅保護変更申請書」をつくって一緒に役所に持っていった。すると、職員が受け取りを拒否し、押し問答のすえ、「どうしても置いて行くなら、落とし物として扱いますっ!」と宣言したという。ウソでしょ?と思ったか、録音を聞いたら本当にそう言っていた。
 当時の私は、生活保護法の「せ」の字も知らなかったので、社会保障に詳しい同期(47期)の友人に相談し、連名で代理人として抗議の内容証明を出した。慌ててとりなす電話か来ると思ったが来ない。こちらからかけてみたら、「先生は知らんと思うけど、生活保護は本人との話し合い。代理人とか言われても話すつもりはない」と言われた。弁護士にこの対応なら、「ホームレスのおっちゃんが一人で役所に行くと虫ケラのように扱われる」と支援者の人が言っていたのは本当だと思った。
 とんでもない「無法地帯」を発見してしまった。おっちゃんたちが声をあげられないのをいいことに、ヤクザや悪質業者ではない、公務員による権利侵害がまかり通っている。“戦闘モード”のスイッチが入った私は、毎日のように担当者や上司に電話をかけまくった。そのうち、大阪市本庁にプロジェクトチームかできて、そのおばあさんは病院からアパートへの転宅(敷金支給)が認められる弟1号になった。
 支援団体から次々と相談が持ちかけられるようになり、同期の友人ら5人で「野宿者に居宅保護を!弁護団」をたち上げた。皆で手分けをして、生活保護の申請に同行したり、代理人として審査請求を申し立てたり、野宿者から直接の居宅保護(敷金支給)を求める佐藤訴訟に取り組んだりした。そして、2000年12月の近畿弁護士会連合会人権擁護大会シンポジウム「ホームレス問題と人権」を皮切りに、弁護士会もホームレス問題や生活保護の問題に取り組むようになった。   
 

 この不合理な世の中の底辺で苦しんでいる人々に手を差し伸べる仕事が本来の弁護士の業務である。だが、ホームレスや生活保護受給申請者の権利を求める訴訟の法廷には、原告側だけでなく、被告の側にも弁護士が付いているのだ。労働問題でも消費者問題でも同様だ。もちろん、人権擁護派弁護士の報酬は薄く、人権切り捨て派の弁護士には厚い。これは、経済社会の合理性がしからしむるところ。

 その献身性、その意欲、その行動力に脱帽するしかない。とうてい私には真似ができない。ここに出て来る《同期の友人でたち上げた「野宿者に居宅保護を!弁護団」》の5人こそが、弁護士の鑑である。こういう人々が、社会の弁護士に対する信頼をつなぎ止めている。私もその恩恵に与っている者の一人だ。

 この小久保さんの「ひと筆」には、人権切り捨て派弁護士には味わいがたい、人権派弁護士ならではの生き甲斐や「弁護士冥利」が語られていて実に清々しい。ニューヨークのローファームでビジネス法務に携わりたいなどという俗物根性とはひと味もふた味も違うのだ。 

コロナが突きつける問 -「国家は何のためにあるのか」

(2021年1月2日)
めでたくもないコロナ禍の正月。年末までに解雇された人が8万と報じられたが、そんな数ではあるまい。暗数は計り知れない。一方、株価の上昇は止まらない。なんというグロテスクな社会。あらためて、この国の歪み、とりわけ貧困・格差の拡大が浮き彫りになっている。

暮れから年の始めが、まことに寒い。この寒さの中での、路上生活者がイヤでも目につく。心が痛むが、痛んでも何もなしえない。積極的に具体的な支援活動をしている人々に敬意を払いつつ、なにがしかのカンパをする程度。

コロナ禍のさなかに、安倍晋三が政権を投げ出して菅義偉承継政権が発足した。その新政権の最初のメッセージが、冷たい「自助」であった。貧困と格差にあえぐ国民に対して、「自助努力」を要請したのだ。明らかに、「貧困は自己責任」という思想を前提としてのものである。

国家とは何か、何をなすべきか。今痛切に問われている。
国家はその権力によって、社会秩序を維持している。権力が維持している社会秩序とは、富の配分の不公正を容認するものである。一方に少数の富裕層を、他方に少なくない貧困層の存在を必然とする富の偏在を容認する社会秩序と言い換えてもよい。富の偏在の容認を利益とする階層は、権力を支持しその庇護を受けていることになる。

しかし、貧困と格差が容認しえぬまでに顕在化すると、権力の基盤は脆弱化する。権力の庇護を受けている富裕層の地位も不安定とならざるをえない。そこで国家は、その事態を回避して、現行秩序を維持するために、貧困や格差の顕在化を防止する手段を必要とする。

また、貧困や格差を克服すべきことは、理性ある国民の恒常的な要求である。富裕層の利益擁護を第一とする国家も、一定の譲歩はせざるを得ない。

ここに、社会福祉制度存在の理由がある。が、その制度の内容も運用も、常にせめぎ合いの渦中にある。財界・富裕層は可能な限り負担を嫌った姿勢をしめす。公権力も基本的には同じだ。しかし、貧困・格差の顕在化が誰の目にも社会の矛盾として映ってくると、事態は変わらざるを得ない。今、コロナ禍は、そのことを突きつけているのではないか。

本来、国家は国民への福祉を実現するためにこそある。今こそ、国庫からの大胆な財政支出が必要であり、その財源はこれまで国家からの庇護のもと、たっぷりと恩恵に与っていた財界・富裕層が負担すべきが当然である。富の再配分のありかたの再設定が必要なのだ。

生活保護申請者にあきらめさせ申請撤回させることを「水際作戦」と呼んできた担当窓口の姿勢も変わらざるを得ない。

この暮れ、厚労省が「生活保護は国民の権利です」と言い始めた。
「コロナ禍で迎える初めての年末年始に生活困窮者の増加が心配されるなか、厚生労働省が生活保護の積極的な利用を促す異例の呼びかけを始めた。「生活保護の申請は国民の権利です」「ためらわずにご相談ください」といったメッセージをウェブサイトに掲載し、申請を促している。」「厚労省は22日から「生活保護を申請したい方へ」と題したページを掲載し、申請を希望する人に最寄りの福祉事務所への相談を呼びかけている。」(朝日)

結構なことだが、これだけでは足りない。相も変わらぬ「自助努力」要請路線では、人々が納得することはない。昔なら、民衆の一揆・打ち壊しの実力行使が勃発するところ。幸い、われわれは、表現の自由の権利をもち、投票行動で政権を変えることもできる。

今年は、総選挙の年である。無反省な政権に大きな打撃を与えたいものである。

コロナ禍のさなかの革命記念日、国は何のためにあるかを考える。

(2020年7月14日)
本郷三丁目の皆様。また、新型コロナ感染者が増えています。たいへん憂鬱な梅雨のさなかですが、少しの間、お耳をお貸しください。

本日は7月14日、フランスの革命記念日に当たります。1789年の今日、蜂起したパリの民衆がバスティーユに押し寄せ政治犯を解放しました。これがフランス大革命の始まりとされています。

この革命でブルボン王朝は倒れ、王の政治に代わる市民の政治が始まりました。新たにできた共和国は、自由と平等を掲げた憲法を制定し、市民自身による政治を始めたのです。

しかし、必ずしも、「自由と平等」とは国民に幸せをもたらしませんでした。新しい憲法が神聖不可侵の権利としたものは、所有権の絶対でした。これは、資本主義経済における資本の活動の野放図な自由を認めるもの。結局は、一握りの持てる者が、持たざる者を搾取する社会となったのです。長時間の低賃金労働が当然のこととされました。女性労働、少年労働はとりわけ苛酷な扱いを受けました。これに抵抗する労働運動が起き、労働運動を支える社会運動や政党が生まれ、これに対する政府の弾圧が生じ、弾圧に対する激しい抵抗が起こり…。こうして、労働者の権利は、少しずつ確かなものになっていったのです。

20世紀に入って、各国の憲法は、社会国家あるいは福祉国家の理念を掲げるようになりました。資本主義経済を前提としながらも、資本の欲しいままの利益擁護を最優先の価値とはせず、国民の福祉を最優先として、これに抵触する場合は資本の利益も制約されることになりました。

国家は何のためにあるか。「朕は国家なり」という王政時代には国家は王の利益のためにありました。市民革命後は、資本の利益のために社会の秩序を擁護する国家が必要となりました。そして今は、国民一人ひとりの利益を護るために国家が必要となっているのです。

そんなことは普段意識しないことですが、コロナ禍のさなか、この危急の事態では、考えざるを得ません。私たちが主権者として、つくって運営しているこの国は、果たして何のためにあるのか。そして、その役割を果たしているのか。

憲法25条は、 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と定めています。私たちの国は、国民の暮らしの向上を最も大切なものとし、国民の豊かな生活を実現するためにこそ国はある。そう言ってよいと思います。

資本主義経済社会は、資本の利潤追求の自由を容認することで成り立っています。必然的に格差や貧困を生み出します。この国に生きる多くの人々は、格差や貧困の中に暮らさざるを得ません。

この国の政府は、資本主義経済の市場原理を尊重しつつも、格差や貧困に基づく国民の経済的な苦労を克服し、全ての国民が豊かに暮らせるよう、政治を行わなければなりません。安倍内閣は、その期待に応えているでしょうか。

コロナ禍はこの社会の経済的弱者を直撃しています。この人たちにこそ、支援が必要です。アベノマスクを各所帯に2枚ずつは確かに支給を受けました。特別支給金10万円も受領しました。しかし、焼け石に水、当然に足りません。

平時には必ずしも自明とは気付かされない国家の責務が、国民生活が逼迫して生存権が危うくなっているこの危急の事態に浮かび上がっています。はたして政権は、国家の基本的な責務を全うしているだろうか。

7月14日、革命記念日に、私たちの国は何のために存在し、何をすべきであるのか、そしてなすべきことをしているのかを考えたいと思います。

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「本郷・湯島九条の会」石井 彰

小雨のなか、お疲れさまでした。きょうは6人の方々が参加されコロナ禍での安倍政権、都政の無策を糾弾しました。

コロナ危機を体験している今のわたしたちはこれまで気づかなかった多くのこと知らされている現実を訴えました。とりわけ生活格差です。憲法25条を文字通り実現させることの大切さを語り、2項に書かれている「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなけばならない」。
まさにこんにちのコロナ禍を国は全力で対処する責務があります。
国家とは何か。権力者ためにあるのか、国民のためにあるのか、この訴えは赤信号で待っている人々に届いているようでした。何人もの方が頷いていました。

「黒川前検事長不起訴、検察許すも、国民許さん」「東京だってゼロメートル地帯、防災対策を」「イージス・アショアの失敗、虫の良すぎる敵基地攻撃準備、憲法違反」といったプラスターを持っていると路ゆく人々が見入っている姿も多く見られました。

途中で電池が切れるというアクシデントもありましたが、戦後75年、2度と戦争させないわたしたちの行動は続きます。

次回8月は11日(火)です。広島・長崎への原爆投下、敗戦と続く月です。

あの台風のなか、上野公園の路上生活者は?

昨日(9月11日)は、巨大な台風19号の襲来に、丸一日身構えていた。なすすべもなく、ひたすらに身を固くしていただけのこと。ようやく大過なく一夜が明けて、東京は抜けるような青空。まだ風は強いが、透きとおった空気に陽光がまぶしい。

被災地の皆様には申し訳ないが、まことに、野分の朝こそをかしけれ、の風情。東大本郷キャンパスの銀杏並木は、通路に散り敷いたギンナンの山。臭いがきつい。うっかり履むと足の裏の臭いがどこまでもついてくる。落ちたギンナンに履を納れてはいけない。スズカケや、タイワンモクゲンジの実も散乱している。なんとももったいない。

不忍池では、華のない蓮の葉ばかりが風に揺れている。漢語でハスを「荷」というそうだ。してみれば、「荷風」とは、今日のようなハスの葉裏を翻すさわやかな風だろうか。それとも、蓮の異名の清香を運ぶほのかなそよ風か。

ところで今朝は、路上生活者諸氏の姿が見あたらない。昨夜の雨と風を,どこでどのようにして凌いだのだろうか。避難所で安眠できただろうか。気になるところだが、毎日(デジタル)にこんな記事があった。

路上生活者、台風19号の避難所入れず 台東区「住所ないから」

台風19号の被害が拡大した12日、東京都台東区が、路上生活者などで区内の住所を提示できない人を避難所で受け入れていなかったことが、同区などへの取材で明らかになった。

台東区によると、台風19号の接近に伴って11日午後5時半以降、区内4カ所に自主避難所を開設。12日にこのうちの区立忍岡小の避難所を訪れた2人に対し、「住所がない」という理由で受け入れを拒否したという。

区災害対策課によると、自主避難所は区民対象に開設。避難者には入所時に住所や氏名を記入してもらう。12日に訪れた2人が「住所がない」と説明したため、受け入れられないと伝えたという。同課は「区民が今後来るかもしれない状況だったため、区民を優先した」と説明する。

この対応に、貧困者の支援団体などからは「路上生活者の締め出しだ」という批判が上がっているという。

一般社団法人「あじいる」代表の今川篤子さんによると12日、複数の路上生活者から「避難所に行ったが断られた」という訴えを直接聞いたという。今川さんらが忍岡小を訪れて区職員に確認したところ「住所のない人は利用させないようにと指示を受けた」と回答したという。

区広報課田畑俊典課長補佐は「結果として支援から漏れてしまったのは事実で、今回の対応に多くの批判もいただいている。住所のない人の命ををどう守るか。他の自治体などを参考に支援のあり方を検討していきたい」と話した。

あの嵐のさなかのできごと。こんな会話があったのではなかろうか。

「この避難所で、雨風をしのぎたいのですが」
「あなた、お住まいはどちらですか」
「お住まいって…。ちゃんとしたお住まいがないから、一晩だけでも…」
「ここは台東区民のための施設ですから、区内にお住まいでなくてはね」
「普段は台東区上野公園で暮らしていますが、それじゃだめでしょうか」
「住民登録がなくっちゃね」
「……」

行政としては、この状況においては、手続や形式よりも、まずは誰であれ、生身の人を尊重すべきであったろう。

「『人命』より『住民票』? ホームレス避難所拒否で見えた自治体の大きな課題」というタイトルで、本日13時40分配信の〈AERA dot.〉が、津久井進弁護士(兵庫県西宮市)のコメントを引用している。

「災害救助法では、事務取扱要領で現在地救助の原則を定めています。住民ではなくても、その人がいる現在地の自治体が対応するのが大原則。また、人命最優先を定めた災害対策基本法にも違反する。あり得ない対応です」

「災害対策が進んでいると自負していた東京都でさえ、基本原則が理解されていない現場があることが露呈した。法律の趣旨原則に通じていない自治体が次なる大災害に対処できるのか、極めて強い不安を覚えます。同時に、法律が複雑なうえ、災害救助法は1947(昭和22)年に制定された古い法律です。国も、さらなる法整備を進める必要があるでしょう」

路上生活はこの上なく厳しい。ネットを検索したら、下記のURLを見つけた。形式主義で避難受け入れを拒否する人ばかりではなく、路上生活者に手を伸ばそうと、懸命に努力している立派な人もいるのだ。何もできない自分を恥じつつも、この社会、けっして捨てたものでもないとホッとしている。

寝る場所がないとき:東京の無料宿泊施設情報
https://bigissue.or.jp/action/guide/tokyo_shelter/
(2019年10月13日)

参院選を、年金・税制一新の市民革命の機会に。

第25回参院選をちょうど1週間の後に控えての7月14日、フランスの革命記念日である。230年前のこの日、民衆がバスチーユを攻撃した。ルイ16世は側近から、「陛下、これは暴動ではありません、革命でございます」と聞かされたという。

当時の日本は、元号でいえば寛政期。松平定信が幕府の老中首座にあって、「白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」などと煙たがられていた。その頃に、ヨーロッパでは民衆の蜂起が成功して自由と平等を理念に掲げる近代市民社会が生まれた。

7月14日に何があったか。学び舎の中学教科書ともに学ぶ 人間の歴史」からの引用が最も適切であろう。

バスチーユを攻撃せよ-フランス革命-
《自由と平等を求めて》
1789年7月14日,パリ(フランス)の民衆が,バスチーユ監獄に押しよせました。武器・弾薬を引きわたすように,ここを守る司令官に要求しましたが,拒否されます。人びとは,はね橋を下ろしてなだれこみ,激しい銃撃戦のすえバスチーユ監獄を攻め落としました。監獄には,国王の専制政治を批判した人が捕らえられていると考えられていました。
同じころ,農村では,年貢の引き下げを求める一揆が起こってました。バスチーユでの勝利は,フランス全土に伝わります。農民たちは領主の館に押しかけ,土地の証文を焼いたり,火を放ったりしました。

国王ルイ16世は,5月に,身分ごとの会議を開いて,増税を決めようとしました。これに対して,平民代表は,「白分たちこそが,国民を代表している」と主張して,国民議会をつくりました。さらに,16世がこれを武力でおさえようとしたため,人びとはバスチーユを攻撃したのです。こうして,フランス革命がはじまりました。

《国民の権利,女性の権利,黒人の権利》
国民議会は,重い年貢を取り裁判権をにぎって,農民を支配していた領主の特権を,廃止しました。そして,自由と平等,国民主権をうたう「人権宣言」を発表しました。さらに,教会の領地や,国外に亡命した貴族の領地を,農民が買い取れるようにしました。
革命に参加した平民には,豊かな商工業者や地主と,貧しい人びとがいました。貧しいパリの民衆は,パンの値上がりに抗議し,政治への発言権を求めて,地区の集会を開きました。女性たちを先頭に、7000人が「パンをよこせ」と叫びながら、ベルサイユ宮殿まで行進しました。1792年には、民衆が王宮を攻撃し、王政を廃止させます。
そして、21才以上の男性のすべてが選挙権を得ました。しかし、女性には選挙権は認められず、政治集会への参加も禁じられました。劇作家のオランプ=ド=グ-ジュは、「女性の権利宣言」を発表し、「女性は生まれながら自由であり、男性と同等の権利をもつ」と、第1条に掲げました。グ-ジュは、黒人の地位にも関心をもち、フランス植民地だったハイチでの奴隷制度に反対する劇を上演しました。

《皇帝になったナポレオン》(略)

欄外に幾つかの資料や写真・書き込みがある。
◆まず、人権宣言の要約が次のように掲載されている。
第1条 人間は生まれながらにして、自由で平等な権利をもつ。
第2条 すべての政治的な団結の目的は、自由・所有・安全および圧制への抵抗の権利を守ることである。
第3条 すべて主権は、本来、国民にある。
第11条 思想・言論の自由な発表は、人間の最も尊い権利のひとつである。

革命前の3つの身分
聖職者・貴族・平民の3つの身分があった。革命前は,わずか2%の聖職者と貴族が,領地と農民を支配し、さまざまな特権をもち、税も免除されていた。

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さて、問題は、他人事ではない。今の日本である。フランス革命以前のアンシャンレジームとなんと似通ってはいないだろうか。
今の日本は、一方に大企業・富裕者と、その取り巻きがあり、その対極に格差貧困に沈みつつある経済弱者がいる。この固定された階層秩序は、身分制の桎梏と変わらない。

大企業・富裕者は、この社会を支配し、さまざまな特権をもち、分けても特権的優遇税制の利益を享受しているではないか。だから、事態は後世次のように語られるものとなる…のではないか。

首相官邸を攻撃せよ-2019年金・税制革命-
《経済的平等と生存の保障を求めて》
2019年7月21日,日本中の民衆が,一斉に投票所に押しよせました。人びとは、消費税の値上げに反対し、人生100年を安心して過ごせる年金を要求してきましたが、権力者アベに拒否されます。
そこで、人びとは各地の投票所になだれこみ、熱い思いで投票用紙に反アベの候補者と政党名を書き込むことによって、増税をたくらんでいたアベ官邸を攻め落としました。この日、アベは、側近から「これは、単なる選挙の敗北ではありません。革命が起きたのです」と聞かされたと言います。
アベ官邸には,この社会の格差を押し広げている、大企業・富裕者の代理人たちが、百鬼夜行さながらに棲息していると考えられていました。
同じころ,農村でも漁村でも商店でも税や年金の改革が叫ばれ、同時に会社や工場では、賃金引き上げを求める運動が巻き起こっていました。首相官邸陥落の報は,たちまち日本全土に伝わります。各地で、デモやストや、民衆の集会が続きました。そして消費税増税は阻止され、さらに消費税そのものが廃止されました。大企業や富裕層の特権はすべて取りあげられ、累進制に基づく真の応能主義が貫徹されることになり、国会は、自由だけでなく、経済上の実質的平等,政府に対する格差貧困撲滅の義務をうたう「新人権宣言」を発表しました。
この活動を通じて、革命に参加した人びとは、自分たちがこの国の主人公であることを強く自覚し、自らの手で税制も年金の設計も行うようになったのです。
こうして、フランスに遅れること230年にして、日本にも、自由・平等・博愛・福祉をスローガンとする革命がなし遂げられました。230年前には、王ルイ16世も王妃マリーアントワネットも、民衆の怒りによって断頭台の露と消えました。しかし、2019年の日本革命では、そのような野蛮なことは行われず、民衆はアベとその妻をよく説諭し、改心した夫婦にはきちんと年金の保障もしたということです。
(2019年7月14日)

この参院選を、《年金一揆》に、《税制一揆》に。

普段はご無沙汰ばかりで、選挙になると、とたんに親しげな顔をして折り入ってのお願い。評判の悪いことは承知ですが、やっぱり今回も恒例の「折り入ってのお願い」です。

今回の参院選挙は、いつもの選挙とはひと味違う大事な選挙なんです。ええ、もしかしたらこの前も同じことを言ったかも知れませんが、今度こそ、本当に大切な選挙。日本国憲法の命運がかかっています。

もしこの選挙で、安倍自民党とその下駄の雪や取り巻きの連中が勝って、参議院の3分の2の議席を占め続けるようなことになると、本当に憲法があぶない。憲法改悪の手続が始まってしまうことになりかねません。

74年前に、310万人もの日本人が犠牲になった、あの忌まわしい戦争が終わりました。その戦場は海外でした。日本の侵略戦争だったのですら、当然といえば当然のこと。侵略軍である日本軍によって殺された近隣諸国の死者は日本人犠牲者よりも遙かに多数で、2000万人に及ぶとされています。

この戦争の惨禍を経て、日本人は決意しました。「勝とうと負けようと、二度とこの戦争の悲惨を繰り返してはならない」。新生日本は、「けっして再び、戦争はしない」と世界に誓い、この誓いを平和憲法として確定しました。日本国憲法は戦後日本の世界に対する平和の公約であり宣誓でした。これをなし崩しに変えてしまうことは、世界の歴史に対する裏切りというべきではありませんか。

自民党という保守政党は本来幅の広い国民政党でした。そのなかには、けっして戦争を繰り返してはならないとする大きな潮流があったはずです。ところが、いつしか自民党は変わってしまいました。どういうわけか、安倍晋三という右翼の政治家が、自民党を取り仕切るご時世になり、平和憲法を危うくしています。憲法9条の改悪に手を付けようというのが、安倍自民党の公約。けっして、これを許してはなりません。

もう一つ、今回の選挙は年金消費増税をめぐる選挙にもなっています。
私は、税制や社会保障政策というものは、富の再分配のあり方をどう決めるかに尽きるものと考えています。だから、立場によってあるべき政策が違ってきます。言わば、国民が所得や富の再分配をめぐって綱引きをしているのです。大きな綱の片方の端を少数の大企業と大金持ちが持ち、もう片方の端を無数の年金生活者・労働者・中小企業者が握っている。こうして、壮大な全国民的綱引きが行われているのですが、どうもいま、大企業・大金持ち派の勢いが強い。この綱引きのバランスを、年金生活者・労働者・中小企業者の側に戻さなくてはなりません。そのための選挙でもあります。

 今、私たちは、資本主義の世に生きています。資本主義社会は、身分制度の不合理を克服しましたが、けっして人を幸福にする制度でも社会でもありません。むしろ、冷徹な資本の論理が生身の人を搾取し収奪して、大きな格差や貧困を生み出す不条理な制度と言わねばなりません。この資本主義という暴れ馬を制御して乗りこなせるようにしようというのが、福祉国家思想と言ってよいと思います。

制御のない裸の資本主義とは、資本の衝動のままに資本の横暴の振る舞いを許す社会です。所得と富は、限りなく一極に集中し、その対極に非人間的な貧困が積み重なる社会。誰にも明らかなこの資本主義の矛盾を制御する手段が、政治的民主主義なのです。

国家という権力機構を、社会的強者の手から解放し、社会的弱者を有権者として構成される立法機関を中心とした民主的な権力機構を通じて、裸の資本の横暴を統御しようということです。

資本の横暴は、労働法規として、あるいは消費者保護法制として、あるいは公正取引ルールとして、規制の対象となりますが、今問題となっているのは、税や年金を通じての所得と富の再分配のありかたです。

安倍晋三は、大企業や大金持ちの代弁者として、最近よくこう口にします。
「年金制度の批判は簡単だが打出の小槌はない。具体的対案もなく不安を煽る無責任議論はいけない」「野党の皆さんは、『保険料は減らせ、受給額は増やせ』とおっしゃるが、そんな財源はない。消費税を上げてしっかり財源を作らなければならない」

打ち出の小槌でも手品でもない。財源の多寡は、所得と富の再分配をどこまでやるのかということできまります。これは政治的民主主義の制度においては、有権者が決めること。大企業優遇の租税特別措置法で、実効税率を下げてやる必要はない。累進度を緩和し続けてきた所得税率を元に戻す。方法はいくらでもあるではありませんか。要は、大企業と大金持ち優遇の税制にどこまで切り込むかの政治的決断なのです。

資本の論理に対抗するのは、人間の尊厳の論理です。人権の論理と言ってもよい。もともと、資本の論理を貫徹させた所得も、その集積としての富も、公正なものではありません。改めて、人権の論理に基づいて、公正に所得と富の再配分を実行させようではありませんか。その手段が、税と社会保障の制度の徹底した見直しです。どこまで徹底するか、それは有権者の意思次第。あなたの投票が決めます。

安倍政権が続く限り、抜本的な年金改革も、税制改革もあり得ません。どうでしょうか。今度の選挙を、年金一揆、税制改革一揆としませんか。
それなら、ふつふつと投票の意欲も、選挙運動の意欲も湧くことになりませんか。
(2019年7月7日)

冷酷な統計が示す、これが平均的国民の老後年金生活。

昨日(7月2日)、厚労省が2018年の「国民生活基礎調査の概況」を公表した。下記の両URLで、その報告を見ることができる。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa18/dl/09.pdf

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa18/dl/10.pdf
同報告は、特に【調査結果のポイント】として、次の点を挙げている。
・1世帯当たり平均所得金額は551 万6 千円 <前年560 万2 千円>
・生活意識が「苦しい」とした世帯は57.7% <前年55.8%>
(注:生活意識は、5段階の選択肢であり、「苦しい」は「大変苦しい」「やや苦しい」の合計)

1年前に比較した国民生活は、客観的に所得が減って、主観的には生活意識を苦しいものとしている。そのことが、統計に表れている。これが、アベノミクス6年目の「前年比成果」なのだ。わずか1年で、所得は「9万円」の減、生活苦は「2%」の変動である。

折しも、参院選直前である。「年金選挙」の様相を帯びてきたこの選挙の争点に関わるものとして、この統計も「老後」の「年金問題」との関連で注目された。

この点について、同報告は、次のように特記している。

「高齢者世帯(65歳以上の者のみで構成するか、又はこれに18歳未満の未婚の者が加わった世帯)では「公的年金・恩給」が61.1%、「稼働所得」が25.4%となっている」
「公的年金・恩給を受給している高齢者世帯のなかで「公的年金・恩給の総所得に占める割合が100%の世帯」は51.1%となっている」

つまり、年金受給者の多くが、ほぼ年金だけに頼って暮らしている。稼働所得は、微々たるものに過ぎない。まったく年金だけに頼って暮らしている人も過半数に及ぶ。

さて、公的年金受給者全体の半数を上回る51.1%が、ハッピーに公的年金だけで悠々と老後の生活を楽しんでいるのか。あるいは生活費に不足ではあるが公的年金以外の収入を得ることができないアンハッピーな状態なのか。統計は、直接にその点に切り込んではいない。

しかし、高齢者世帯の「平均公的年金・恩給」受給額は、年間204万5000円であるという。この金額で、「1.5人」(高齢者世帯は、夫婦構成と単独構成とほぼ半々。所帯人員数の平均は、「1.5人」でよいと思う)が暮らしていけるはずはない。一人あたり月額にすると、11万円程度に過ぎないのだから。

また、同報告によると高齢者世帯総所得金額の「中央値」は、年額260万円である。204万円が年金、その余の年間50万円余が稼働収入ということになる。これが平均的国民の老後だ。「年金だけでは生活は成り立たず」、さりとて「働こうとして真っ当な稼働収入を得るあてもない」と覚悟しなければならない。

消費増税をしてさらに経済弱者を痛めつけたり、F35を買ったり、イージスアショアに莫大な金を注ぎ込む余裕など、この国にはないことを悟らなければならない。

毎日新聞は、老後所得『年金のみ』半数 生活苦しい55%(7月3日朝刊)との見出しで、下記のとおり簡潔に報じている。

65歳以上の高齢者世帯のうち、働いて得られる収入がなく、総所得が公的年金・恩給のみの世帯が半数に上ることが2日、厚生労働省の2018年国民生活基礎調査で分かった。生活への意識を質問したところ、高齢者世帯で「苦しい」と答えた割合は55・1%に上り、前年から0・9ポイント増加した。

無年金の人らを除く高齢者世帯のうち総所得に占める公的年金・恩給の割合が100%の世帯は51・1%。この割合が50%を超える傾向は1990年代から続く。1世帯当たりの平均所得(17年)を見ると、高齢者世帯は334万9000円。所得の内訳は「公的年金・恩給」61・1%、「稼働所得」25・4%--など。

また、時事通信はこう伝えている。

収入「年金のみ」が半数=高齢者、生活の支え-国民生活基礎調査
厚生労働省は2日、2018年の国民生活基礎調査の結果を発表した。年金や恩給をもらっている高齢者世帯について、これらの収入が総所得の100%を占めると答えた割合は51.1%と約半数だった。恩給の受給者はごく限られるため、収入源が年金のみの高齢者世帯が相当数を占めるとみられる。

17年の割合は52.2%。過去増減はあるが、13年の57.8%から微減傾向が続いている。働く高齢者が増えたことが影響しているとみられる。
老後の資金をめぐっては、公的年金以外に2000万円の蓄えが必要と指摘した金融庁報告書が注目を集めている。老後への不安が広がる中、高齢者世帯の多くが年金を支えに生活費を確保している実態が改めて浮き彫りとなった。

時事がいう「働く高齢者が増えた」のは、明らかに不十分な年金では暮らせないことの結果である。割りの悪い仕事でもやらざるを得ないのだ。年金は増やさない。いや、マクロ経済スライドで、着実に減らしていく。これが、政権の老人「反福祉」基本構想なのだ。

若者が、これを他人ごとと見過ごしてはならない。生活を「苦しい」と感じているのは、「児童のいる世帯」では、62.1%【前年58.7%】と高齢者所帯より高い。また、年代別で世帯人員1人当たり平均所得金額をみると、最も低いのが「30~39 歳」の179 万6 000円なのだ。しかも、若者が年金受給年齢に達する頃、マクロ経済スライドは今の水準には及びもつかない低年金受給額となっているのだ。

若者よ、あなたがたの老後は、さらに厳しい。あなたが、投票所に足を運んで、この政権にノーを突きつけない限りは。
(2019年7月3日)

「マクロ経済スライド」を廃止して、減らない年金とすることがバカげた提案か。これを続けることがバカげた政策か。

昨日(6月19日)の党首討論。正確には、「国家基本政策委員会合同審査会」というそうだ。メディアは注目しなかったが、志位和夫(共産党委員長)と安倍晋三との「討論」を振り返ってみたい。
以下が、その「討論」の議事速報(未定稿)からの引用である。本日の赤旗紙面には、おそらく発言のとおりの、もっと詳細な文字起こしが掲載されている。これによれば、安倍晋三の発言は、この議事速報のように滑らかなものではない。つっかえ、つっかえのよれよれ発言。

○志位和夫君
 金融庁が、夫婦の老後資金として公的年金以外に三十年で二千万円が必要との報告書を公表したことが年金への不安を広げております。年金への不安は、これにとどまるものではありません。マクロ経済スライドによる給付水準の引下げという大問題があります。
 直近の公的年金の財政見通しによれば、マクロ経済スライドは、現在四十一歳の人が六十五歳で年金を受け取れるようになるまで続き、これによって、受け取れる年金の水準は、平均的な高齢夫婦世帯で月額四万三千円、三十年間で約一千六百万円も減らされます。
 先日の参院決算委員会で、我が党の小池晃議員がマクロ経済スライドはやめるべきだと求めたのに対し、総理は、年金は給付と負担のバランスで成り立っている、やめてしまうというのは無責任でばかげた政策と言いました。
 しかし、今でさえ老後の生活を支えられない貧しい年金を、マクロ経済スライドを続けて更に貧しい年金にしてしまうことこそ、私は無責任でばかげた政策と言わなければなりません。
 マクロ経済スライドを中止しても、給付と負担のバランスをとる手だては幾つもあります。私は、その手だての一つとして、高額所得者優遇の保険料のあり方を正すことを、きょうは具体的に提案いたします。
 今の年金保険料は、月収六十二万円、ボーナスを含め年収で約一千万円を超えますと、保険料負担がふえない仕組みになっています。年収が約一千万円の上限額を超えますと、二千万円の人も、一億円の人も、みんな保険料は同じ、年間九十五万五千円です。
 そこで、提案でありますが、約一千万円のこの上限額を、健康保険と同じ約二千万円まで引き上げる。そのことによって、約一・六兆円の保険料収入がふえます。その際、アメリカでやっているように、高額所得者の年金給付の伸びを抑制する仕組みを入れる。そうすれば、それによる給付増分を差し引いても、毎年約一兆円の保険料収入をふやすことができます。この一兆円を、マクロ経済スライドをやめ、減らない年金にする財源に充てる、これが私たちの提案であります。
 総理に端的に伺います。
 年収一千万円を超えますと、保険料がふえなくなる高額所得者優遇の保険料のあり方、これは正すべきではないですか。端的にお答えください、正すかどうか。

 問題点の指摘、制度改正の提案、そして質問の内容。すべて、明瞭で具体的である。要約すれば、「給付額不十分な年金制度をさらに切り下げるのがマクロ経済スライド。これを廃止して金額が下がらない年金給付とすべきだ。マクロ経済スライドの廃止に代わる財源確保措置として、現行の高額所得者優遇の保険料のあり方について見直しを提案する。(高額所得者優遇の保険料のあり方)を正すか、どうか。」ということ。時間がない中で「質問に、端的にお答えください」は当然のこと。

保険料を納付し給付を受ける立場の全国民が、こぞって耳を傾けたくなる質問ではないか。これに対する安倍の回答は、いく通りか考えられる。

想定回答その1は、「現行の高額所得者優遇の保険料のあり方は、やはり問題があると思いますので、正します」というもの。こうすれば、安倍政権の人気は急上昇の可能性があった。別に、高額所得者に犠牲を強いるという策ではない。高額所得者優遇措置を改めるというだけ。その結果として「非高額所得者層」の年金給付額を増やす(あるいは減らさない)ことができるのだ。

想定回答その2は、「現行の高額所得者優遇の保険料のあり方は変更することなく維持します」というもの。こうすれば、安倍内閣の人気は落ちるが、自ずと、政治姿勢や基本理念の対決点が明らかになる。ここを議論の出発点として、意見交換が始まることになる。

あるいは、どちらとも明確にせず、曖昧なままとする想定回答その3もありうる。たとえば、「政策の理念には賛同しますが、階層間の利害の調整は容易なことではありません。今後の課題として検討させていただきます」など。いわゆる、リップサービスだけの実質ゼロ回答。

さて、安倍の回答は、以上の想定回答のどのパターンだったか。驚くべし。どれでもないのだ。聞かれたことに答えない、いつもの不誠実極まる安倍晋三流。

内閣総理大臣(安倍晋三君) この議論で大変残念なのは、先ほどの党首の議論で、年金のいわば積立金が枯渇するというときに拍手が起こったことであります。
私は、そういう議論はすべきではないですし…
…(発言する者あり)
○会長(佐藤勉君) お静かにお願いします。
内閣総理大臣(安倍晋三君) テレビを見ている方々がおられますから……(発言する者あり)
○会長(佐藤勉君) 静かにしてください。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 大切なことも述べなければいけないわけでありまして、基礎年金の運用については、四十四兆円プラスになっているということははっきりと申し上げておきたいと思いますし、マクロ経済スライドについての御質問でございますが、マクロ経済スライドについても、先ほど来お話をさせていただいておりますように、これは平均寿命が延びていきますから、給付はふえていく。そして、生産年齢人口が、ふえていきますから、当然、これは被保険者は減っていく。その分を調整していく、そうしたファクターを調整していく数字によって、将来の受給者の所得代替率を五割を確保していくというものでありまして、それが今発動されて、しかも、それが〇・九から〇・二になったということは、まさに改善したということを申し上げているわけでありまして、先ほどさんざん毀損されましたが、そのことをはっきりと申し上げておきたいと思います。
その上において、共産党の主張は、マクロ経済スライドを廃止して、その上で、なおかつ将来の受給者の給付が減らないようにする上においては、これは七兆円の財源が必要でございます。皆さんはその財源がある、こうおっしゃっています。七兆円というのは巨大な財源であります。巨大な財源があるというのは、これはかつて聞いたことがあるような話でございますが、それはそう簡単には出てこないわけでございます。
いずれにいたしましても、私たちは、このマクロ経済スライドという形において、今の形で、マクロ経済スライドの形において、それを発動させていくことによって今の受給者と将来の受給者のバランスを図っていく、あるいは将来の給付と負担のバランスを図っていきたい、こう考えておりますが、今、志位委員がおっしゃった御提案については、これはまずはちゃんと検証しなければ、その数字は明らかでないわけでありますし、一兆数千億円で賄えるものではなくて、七兆円という、全く枠が違うわけでありますから。
いずれにいたしましても、マクロ経済スライドをやめてしまうという考え方は、もう一度申し上げますが、これはばかげた案だと思います。
会長(佐藤勉君) 時間が参っておりますので、簡潔にお願いいたします。

こりゃなんじゃ。「端的にお答えください」とされた質問は、「高額所得者優遇の保険料のあり方を正すのか、どうか」ということ。これにはまったく答えようとせずに、他党党首との論争を持ち込み、「マクロ経済スライドをやめてしまうという考え方は、これはばかげた案だと思います。」と締めている。あ~あ。議論するのが虚しくなる手合いなのだ。時間がない。最後の志位発言は次のとおりである。

志位和夫君  私は、減らない年金にするための具体的提案をやった。それに対するお答えは一切ありません。七兆円というのは、私たちの暮らしを応援する政策のパッケージでやる財源の問題なんです。この問題……
○会長(佐藤勉君) 時間が参っておりますので、終わりにしてください。
志位和夫君 マクロ経済スライドをやるということは、今の年金の水準を六割から五割に、現役世代との所得代替率を減らすわけでしょう。これは減っていくんですよ。
○会長(佐藤勉君) 時間です。
○志位和夫君 私は、今政治に求められているのは、貧しい年金の現実を直視して、安心の年金に変えるための責任を果たすことだ、報告書を隠蔽することじゃないということを申し上げて、終わります。
会長(佐藤勉君) これにて志位君の発言は終了いたしました。

安倍晋三という人物。まともな議論をする能力のないことを、政治家としての強みとしているのだ。

それでも、短い時間に、これだけは浮き彫りになった。

「今でさえ老後の生活を支えられない貧しい年金を、マクロ経済スライドを続けて更に貧しい年金にしてしまうことこそ、私は無責任でばかげた政策」というのが、志位和夫の共産党。

「自動的に年金給付額を減らす『マクロ経済スライド』を廃止せよ。そのための財源を真剣に検討せよ」という提案を「もう一度申し上げますが、これはばかげた案だと思います。」というのが安倍晋三。

これが、一握りの「高額所得者層」と、圧倒的多数の「非高額所得者層」との、それぞれの利益代表の「討論」なのだ。どちらに軍配を上げるべきかは、有権者の選択となる。自分に不利な政党選択をすることのなきよう、お間違えなく。
(2019年6月20日)

「防衛費の異常な増加に抗議し、教育と社会保障の充実を求める声明」

本日(12月21日)、幾つかの紙面朝刊に、「おや、お久しぶり」。徳岡宏一朗さんのお顔が。日本外国特派員協会での申ヘボン(しん・へぼん)青山学院大教授と並んでの記者会見の写真。

この会見は、「防衛費の異常な増加に抗議し、教育と社会保障への優先的な公的支出を求める声明」という、やや長い標題の声明発表記者会見。いま、防衛大綱が発表され、来年度予算案の閣議決定が話題となっている。誰の目にも、青天井の防衛費によって福祉・教育の予算が圧迫され侵蝕されている構図が明らかとなっている。これを、国際人権の視点から批判したのがこの声明。「研究者・実務家有志一同」による声明だが、18人の呼びかけ人に、220人が賛同した形。私も、18人の呼びかけ人の一人となっている。

この記者会見の報道は、東京新聞が最も大きく紙幅を割いている。「防衛費増大に抗議声明 大学教授ら『人権規約に反する』」という見出し。

 米国製兵器の輸入拡大で防衛費が毎年増加している問題で、申惠ボン(しんへぼん)青山学院大教授(国際人権法)らが20日、東京・丸の内の日本外国特派員協会で会見し「政府が米国などから莫大な額の兵器を買い込む一方で、生活保護費や年金の切り下げ、貧弱な教育予算を放置することは、憲法の平和主義、人権保障だけでなく、国際人権規約に反する」との抗議声明を発表した。

 声明は申さんら18人の大学教員や弁護士が呼び掛け、東京大大学院の高橋哲哉教授(哲学)、小林節慶応大名誉教授(憲法学)、伊藤真弁護士ら約210人が賛同者に名を連ねた。
 声明では、安倍政権は史上最高規模の防衛予算を支出し、その補填として補正予算も使っているのは、憲法の財政民主主義に反すると指摘。「主要先進国で最悪の財政状況にある日本にとって、米国の赤字解消のため借金を重ねて巨額の予算を費やすのは常軌を逸している」と批判している。
 一方で「政府は生活保護費の減額で予算削減を見込んでいるが、米国からの野放図な兵器購入を抑えれば必要なかった」と指摘。「社会保障や適切な生活水準の権利の実現を後退させることは、国際人権規約に反する」とした。

 申さんは会見で「巨額の武器を米国の言い値でローンまで組んで買うのが問題。貧困・格差が広がっており、財政破綻しないように限られた予算をどれだけ防衛費に割くか、真剣に考えないと。中国が軍事力を増やすからと張り合えば、際限のない軍拡競争。十九世紀に逆戻りだ」と話した。 

 徳岡さんは、この声明の独自性を、「財政赤字の中、福祉・教育予算にしわ寄せして、防衛費だけ異常に増大させることは国際人権規約(社会権規約)に違反すると明言した」ところにあると言っている。また、この声明が「なぜ成功したか」というと、「憲法などの法律の専門家だけではなく、国際人権法、社会保障、教育、財政法など様々な専門家と実務家が結集できる内容だったから」とも言っている。人脈は貴重だ。

下記に、やや長いが、声明の全文を掲載しておきたい。呼びかけ人や賛同者たちのの危機感が伝わってくると思う。
(2018年12月21日)
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防衛費の異常な増加に抗議し、教育と社会保障への
優先的な公的支出を求める声明

2018年12月20日 研究者・実務家有志一同

声明の趣旨

世界的にも最悪の水準の債務を抱える中、巨額の兵器購入を続け、他方では生活保護や年金を引き下げ教育への公的支出を怠る日本政府の政策は、憲法と国際人権法に違反し、早急に是正されるべきである。

1.安倍政権は一般予算で史上最高規模の防衛予算を支出しているだけでなく、補填として補正予算も使い、しかも後年度予算(ローン)で米国から巨額の兵器を購入しており、これは日本国憲法の財政民主主義に反する。

2.米国の対日貿易赤字削減をも目的とした米国からの兵器「爆買い」で、国際的にも最悪の状態にある我が国の財政赤字はさらにひっ迫している。

3.他方で、生活保護費や年金の相次ぐ切り下げなど、福祉予算の大幅削減により、国民生活は圧迫され貧困が広がっている。

4.また、学生が多額の借金を負う奨学金問題や大学交付金削減に象徴されるように、我が国の教育予算は先進国の中でも最も貧弱なままである。

5.このように福祉を切り捨て教育予算を削減する一方で、巨額の予算を兵器購入に充てる政策は、憲法の社会権規定に反するだけでなく、国際人権社会権規約にも反する。

以下、具体的に理由を述べる。

1 莫大な防衛費増加と予算の使い込み
現在、安倍政権の下で防衛費は顕著に増加し続け(2013年度から6年連続増加)、2016年度予算からは、本予算単独でも5兆円を突破している。加えて、防衛省は、本来は自然災害や不況対策などに使われる補正予算を、本予算だけでは賄いきれない高額な米国製兵器購入の抜け道に使い、2014年度以降は毎年2,000億円前後の補正予算を計上して、戦闘機や輸送機オスプレイ、ミサイルなどを、米側の提示する法外な価格で購入している。
しかも、これには後年度負担つまり次年度以降へのつけ回しの「ローン」で買っているものが含まれ、国産兵器購入の分を合わせると、国が抱えている兵器ローンの残高は2018年度予算で約5兆800億円と、防衛予算そのものに匹敵する額に膨れ上がっている(2019年度は5兆3,000億円)。米国へのローン支払いが嵩む結果、防衛省が国内の防衛企業に対する装備品代金の支払いの延期を要請するという異例の事態まで起きている(「兵器ローン残高5兆円突破」「兵器予算 補正で穴埋め 兵器購入『第二の財布』」「膨らむ予算『裏抜』駆使」「防衛省 支払い延期要請 防衛業界 戸惑い、反発」東京新聞2018年10月29日、11月1日、24日、29日記事参照)。毎会計年度の予算は国会の議決を経なければならないとしている財政民主主義の大原則(憲法86条)を空洞化する事態である。
防衛省の試算によれば、米国から購入し又は購入を予定している5種の兵器(戦闘機「F35」42機、オスプレイ17機、イージス・アショア2基など)だけで、廃棄までの20~30年間の維持整備費は2兆7,000億円を超える(「米製兵器維持費2兆7,000億円」東京新聞11月2日)。さらに、これに輪をかけるように、政府は、「F35」を米国から100機追加取得する方向で検討しており、取得額は1機100億円超で計1兆円以上になる見込みである(2018年11月27日日本経済新聞)。

2 米国のための高額兵器購入による財政逼迫
このような防衛費の異常な膨張について、根源的な問題の一つは、米国からの高額の兵器購入が、トランプ政権の要請も受け、米国の対日貿易赤字を解消する一助として行われていることである。
歳入のうち国債依存度が約35%を占め、国と地方の抱える長期債務残高が2018年度末で1,107兆円(対GDP比196%)に途するという、「主要先進国の中で最悪の水準」(財務省「日本の財政関係資料」2018年3月)の財政状況にある日本にとって、他国の赤字解消のために、さらなる借金を重ねてまで兵器購入に巨額の予算を費やすことは、国政の基盤をなす財政の運営として常軌を逸したものと言わざるを得ない。
また、導入されている兵器の中には、最新鋭ステルス戦闘機「F35」のような攻撃型兵器が多数含まれている。戦闘機が離着陸できるよう海上自衛隊の護衛艦「いずも」を事実上「空母化」する方針も示されている。これらは専守防衛の原則を逸脱する恐れが強い。
政府は北朝鮮情勢や中国の軍備増強を防衛力増強の理由として挙げるが、朝鮮半島ではむしろ緊張緩和の動きが活発化しているし、近隣国を仮想敵国として際限なく軍拡に走ることも、武力による威嚇を禁じ紛争の平和的解決を旨とする現代の国際法の大原則に合致せず、それ自体が近隣国の警戒感を高める、かえって危険な政策というべきである。

3 福祉切り捨ての現状
このように防衛費が破格の扱いで膨張する一方、政府は、生活保護費や年金の受給額を相次いで引き下げている。
生活保護については、2013年からの大幅引き下げに続き、今年10月からは新たに、食費など生活費にあてる生活扶助を最大で5%、3年間かけて引き下げることとされ、これにより、生活保護世帯の約7割の生活扶助費が減額となる。
しかし、削減にあたってば、減額された保護費が最低限の生活保障の基準を満たすのかどうかにっいての十分な検討がされておらず、厚生労働省の生活保護基準部会の報告書がこの点で提起した疑問は反映されていない。特に大きな影響を受ける母子世帯や高齢者世帯を含め、受給当事者の意見を聴取することも一切されていない。
生活保護基準は、最低賃金や住民税非課税限度額など様々な制度の基準になっているため、引き下げによる国民生活への悪影響は多方面にわたる。
また、年金については、2013年からの老齢基礎年金・厚生年金支給額の減額に続き、長期にわたり自動的に支給額が削減される「マクロ経済スライド」が2015年から発動されており、高齢者世帯の貧困状況は悪化している。
政府は生活保護減額によって160億円の予算削減を見込んでいるが、そもそも、国家財政を全体としてみた場合、この削減は、青天井に増加している防衛費の増加、とりわけ米国からの野放図な兵器購入を抑えれば、全く必要がなかったものである。
日本の国家財政は、米国の兵器産業における雇用の剔出iと維持のために用いられるべきものではない。国民の生存権よりも同盟国からの兵器購入を優先するような財政運営は根本的に間違っている。

4 主要国で最も貧弱な日本の教育予算
日本は、GDPに占める教育への公的支出割合が、主要国の中で例年最下位である。特に、日本は「高等教育の授業料が、データのあるOECD加盟国の中で最も高い国の一つであり、過去10年、授業料は上がり続けている。「高等教育機関は多くを私費負担に頼っている。日本では、高等教育段階では68%の支出が家計によって負担されており、この割合は、OECD加盟国平均30%の2借を超える」(OECD.Educalion at a Glance 2018)。
給付型奨学金は2017年にようやく導入されたものの、対象は住民税非課税世帯に限られ、学生数は各学年わずか2万人、給付額は月2~4万円にすぎない。大学生の75%は私立大学で学んでいるが、国の私学助成が少ないため家計の負担が大きいところ、私大新入生のうち無利子奨学金を借りられるのは15%にすぎず(東京私大教連調査)、多くの卒業生は奨学金という名のローン返済に苦しんでいる。「卒業時に抱える平均負債額は32,170ドルで、返済には学士課程の学生で最大15年を要する。これは、データのあるOECD加盟国の中で最も多い負債の一つである」(OECD,supra)。2011年から2016年の5年間で延べ15,338入が、奨学金にからんで自己破産している(「奨学金破産、過去5年で延べ1万5千人 親子連鎖広がる」朝日新聞デジタル2018年2月12日)。
国立大学法人化後、その基盤経費となる運営費交付金も年々削減され(2004年から2016年までで実質1,000債円以上。文部科学省調査)、任期付き教員の増加など大学の教育・研究に支障をきたしている(「土台から崩れゆく日本の科学、疲弊する若手研究者たち これが『科学技術立国』の足元」Wedge Infinity2017年11月27日)。
高等教育だけではない。教育予算が全体としてきわめて貧弱であり人員が少ないため、公立の小・中・高等学校では半数以上の教員が過労死レベルで働いている(「過労死ライン超えの教員、公立校で半数 仕事持ち帰りも」朝日新聞デジタル2018年10月18日)。
教育に予算を支出しない国に未来はあるだろうか。納税者から託された税金を何にどう用いるかという財政政策において、教育を受ける権利の実現は最優先事項の一つでなければならない。

5 日本は社会権規約に違反している
憲法25条は国民の生存権を保障している。また、日本が批准している「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」(社会権規約)は、社会保障についての権利(9条)、適切な生活水準についての権利(11条1項)を認め、国はこれらの権利の実現のために、利用可能な資源を最大限に用いて措置を取る義務があるとしている(2条1項)。
権利を認め、その実現に向けて措置を取る義務を負った以上は、権利の実現を後退させる措置を取ることは規約の趣旨に反する(後退禁止原則)。社会権規約の下で設置されている社会権規約委員会は「一般的意見」で、「いかなる意図的な後退的措置が取られる場合にも、国は、それがすべての選択肢を最大限慎重に検討した後に導入されたものであること、及び、国の利用可能な最大限の資源の完全な利用に照らして、規約に規定された権利全体との関連によってそれが正当化されること、を証明する責任を負う」としている。
このような観点から委員会は、日本に対する2013年の「総括所見」で、社会保障予算の大幅な削減に懸念を示している。また、日本の最低賃金の平均水準が最低生存水準及び生活保護水準を下回っていることや、無年金又は低年金の高齢者の聞で貧困が広がっていることにも懸念を表明した(外務省ウェブサイト「国際人権規約」参照)。
今年(2018年)5月には、10月からの生活保護引き下げについて、「極度の貧困に関する特別報告者」を含む国連人権理事会の特別報告者ら4名が連名で、引き下げは日本の国際法上の義務に違反するという声明を発表し政府に送る事態となった。「日本のような豊かな先進国におけるこのような措置は、貧困層の人々が尊厳をもって生きる権利を直接に掘り崩す、意図的な政治的決定を反映している。」「貧困層の人権に与える影響を慎重に検討しないで取られたこのような緊縮措置は、日本が国際的に負っている義務に違反している」。
また社会権規約は、国はすべての者に教育の権利を認め、中等教育と高等教育については、無償教育を漸進的に導入することにより、すべての人に均等に機会が与えられるようにすることと規定している。適切な奨学金制度を設立することも定めている(13条2項)。
教育に対する日本の公的支出の貧弱さはこれらを遵守したものになっていない。

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 後年度負担まで組んで莫大な額の兵器を買い込み国家財政を逼迫させる一方で、十分な検討も経ずに生活保護を引き下げることや、きわめて貧弱な教育予算を放置し又は削減することは、憲法の平和主義、人権保障及び財政上の原則のみならず、国際法上の義務である社会権規約(及び、同様の規定をもつ子どもの権利条約や障害者権利条約など)に違反している。我々は、安倍政権による防衛予算の異常な運営に抗議し反対の意を表明するとともに、教育と社会保障の分野に適切に予算を振り向けることを強く求めるものである。

<呼びかけ人>(五十音順、*発起人)
荒牧 重人(山梨学院大学教授、憲法学・子ども法)
井上 英夫(金沢大学名誉教授・佛教大学客員教授、人権論・社会保障法学)
大久保 賢一(弁護士)
小久保 哲郎(弁護士、生活保護問題対策全国会議事務局長)
今野 久子(弁護士)
澤藤 統一郎(弁護士、日本民主法律家協会元事務局長・日本弁護士連合会元消費者委員会委員長)
*申 ホンヘ(青山学院大学教授、国際人権法学会前理事長、国際人権法学)
田中 俊(弁護士)
谷口 真由美(大阪国際大学准教授、国際人権法学)
角田 由紀子(弁護士)
*徳岡 宏一朗(弁護士)
戸室 健作(千葉商科大学専任講師、社会政策論)
根森 健(神奈川大学特任教授、新潟大学・埼玉大学名誉教授、憲法学)
尾藤 廣喜(弁護士、生活保護問題対策全国会議代表幹事)
藤田 早苗(エセックス大学研究員、国際人権法学)
藤原 精吾(弁護士・日本反核法律家協会副会長・日本弁護士連合会元副会長)
吉田 雄大(弁護士)

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