澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

あの台風のなか、上野公園の路上生活者は?

昨日(9月11日)は、巨大な台風19号の襲来に、丸一日身構えていた。なすすべもなく、ひたすらに身を固くしていただけのこと。ようやく大過なく一夜が明けて、東京は抜けるような青空。まだ風は強いが、透きとおった空気に陽光がまぶしい。

被災地の皆様には申し訳ないが、まことに、野分の朝こそをかしけれ、の風情。東大本郷キャンパスの銀杏並木は、通路に散り敷いたギンナンの山。臭いがきつい。うっかり履むと足の裏の臭いがどこまでもついてくる。落ちたギンナンに履を納れてはいけない。スズカケや、タイワンモクゲンジの実も散乱している。なんとももったいない。

不忍池では、華のない蓮の葉ばかりが風に揺れている。漢語でハスを「荷」というそうだ。してみれば、「荷風」とは、今日のようなハスの葉裏を翻すさわやかな風だろうか。それとも、蓮の異名の清香を運ぶほのかなそよ風か。

ところで今朝は、路上生活者諸氏の姿が見あたらない。昨夜の雨と風を,どこでどのようにして凌いだのだろうか。避難所で安眠できただろうか。気になるところだが、毎日(デジタル)にこんな記事があった。

路上生活者、台風19号の避難所入れず 台東区「住所ないから」

台風19号の被害が拡大した12日、東京都台東区が、路上生活者などで区内の住所を提示できない人を避難所で受け入れていなかったことが、同区などへの取材で明らかになった。

台東区によると、台風19号の接近に伴って11日午後5時半以降、区内4カ所に自主避難所を開設。12日にこのうちの区立忍岡小の避難所を訪れた2人に対し、「住所がない」という理由で受け入れを拒否したという。

区災害対策課によると、自主避難所は区民対象に開設。避難者には入所時に住所や氏名を記入してもらう。12日に訪れた2人が「住所がない」と説明したため、受け入れられないと伝えたという。同課は「区民が今後来るかもしれない状況だったため、区民を優先した」と説明する。

この対応に、貧困者の支援団体などからは「路上生活者の締め出しだ」という批判が上がっているという。

一般社団法人「あじいる」代表の今川篤子さんによると12日、複数の路上生活者から「避難所に行ったが断られた」という訴えを直接聞いたという。今川さんらが忍岡小を訪れて区職員に確認したところ「住所のない人は利用させないようにと指示を受けた」と回答したという。

区広報課田畑俊典課長補佐は「結果として支援から漏れてしまったのは事実で、今回の対応に多くの批判もいただいている。住所のない人の命ををどう守るか。他の自治体などを参考に支援のあり方を検討していきたい」と話した。

あの嵐のさなかのできごと。こんな会話があったのではなかろうか。

「この避難所で、雨風をしのぎたいのですが」
「あなた、お住まいはどちらですか」
「お住まいって…。ちゃんとしたお住まいがないから、一晩だけでも…」
「ここは台東区民のための施設ですから、区内にお住まいでなくてはね」
「普段は台東区上野公園で暮らしていますが、それじゃだめでしょうか」
「住民登録がなくっちゃね」
「……」

行政としては、この状況においては、手続や形式よりも、まずは誰であれ、生身の人を尊重すべきであったろう。

「『人命』より『住民票』? ホームレス避難所拒否で見えた自治体の大きな課題」というタイトルで、本日13時40分配信の〈AERA dot.〉が、津久井進弁護士(兵庫県西宮市)のコメントを引用している。

「災害救助法では、事務取扱要領で現在地救助の原則を定めています。住民ではなくても、その人がいる現在地の自治体が対応するのが大原則。また、人命最優先を定めた災害対策基本法にも違反する。あり得ない対応です」

「災害対策が進んでいると自負していた東京都でさえ、基本原則が理解されていない現場があることが露呈した。法律の趣旨原則に通じていない自治体が次なる大災害に対処できるのか、極めて強い不安を覚えます。同時に、法律が複雑なうえ、災害救助法は1947(昭和22)年に制定された古い法律です。国も、さらなる法整備を進める必要があるでしょう」

路上生活はこの上なく厳しい。ネットを検索したら、下記のURLを見つけた。形式主義で避難受け入れを拒否する人ばかりではなく、路上生活者に手を伸ばそうと、懸命に努力している立派な人もいるのだ。何もできない自分を恥じつつも、この社会、けっして捨てたものでもないとホッとしている。

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(2019年10月13日)

参院選を、年金・税制一新の市民革命の機会に。

第25回参院選をちょうど1週間の後に控えての7月14日、フランスの革命記念日である。230年前のこの日、民衆がバスチーユを攻撃した。ルイ16世は側近から、「陛下、これは暴動ではありません、革命でございます」と聞かされたという。

当時の日本は、元号でいえば寛政期。松平定信が幕府の老中首座にあって、「白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」などと煙たがられていた。その頃に、ヨーロッパでは民衆の蜂起が成功して自由と平等を理念に掲げる近代市民社会が生まれた。

7月14日に何があったか。学び舎の中学教科書ともに学ぶ 人間の歴史」からの引用が最も適切であろう。

バスチーユを攻撃せよ-フランス革命-
《自由と平等を求めて》
1789年7月14日,パリ(フランス)の民衆が,バスチーユ監獄に押しよせました。武器・弾薬を引きわたすように,ここを守る司令官に要求しましたが,拒否されます。人びとは,はね橋を下ろしてなだれこみ,激しい銃撃戦のすえバスチーユ監獄を攻め落としました。監獄には,国王の専制政治を批判した人が捕らえられていると考えられていました。
同じころ,農村では,年貢の引き下げを求める一揆が起こってました。バスチーユでの勝利は,フランス全土に伝わります。農民たちは領主の館に押しかけ,土地の証文を焼いたり,火を放ったりしました。

国王ルイ16世は,5月に,身分ごとの会議を開いて,増税を決めようとしました。これに対して,平民代表は,「白分たちこそが,国民を代表している」と主張して,国民議会をつくりました。さらに,16世がこれを武力でおさえようとしたため,人びとはバスチーユを攻撃したのです。こうして,フランス革命がはじまりました。

《国民の権利,女性の権利,黒人の権利》
国民議会は,重い年貢を取り裁判権をにぎって,農民を支配していた領主の特権を,廃止しました。そして,自由と平等,国民主権をうたう「人権宣言」を発表しました。さらに,教会の領地や,国外に亡命した貴族の領地を,農民が買い取れるようにしました。
革命に参加した平民には,豊かな商工業者や地主と,貧しい人びとがいました。貧しいパリの民衆は,パンの値上がりに抗議し,政治への発言権を求めて,地区の集会を開きました。女性たちを先頭に、7000人が「パンをよこせ」と叫びながら、ベルサイユ宮殿まで行進しました。1792年には、民衆が王宮を攻撃し、王政を廃止させます。
そして、21才以上の男性のすべてが選挙権を得ました。しかし、女性には選挙権は認められず、政治集会への参加も禁じられました。劇作家のオランプ=ド=グ-ジュは、「女性の権利宣言」を発表し、「女性は生まれながら自由であり、男性と同等の権利をもつ」と、第1条に掲げました。グ-ジュは、黒人の地位にも関心をもち、フランス植民地だったハイチでの奴隷制度に反対する劇を上演しました。

《皇帝になったナポレオン》(略)

欄外に幾つかの資料や写真・書き込みがある。
◆まず、人権宣言の要約が次のように掲載されている。
第1条 人間は生まれながらにして、自由で平等な権利をもつ。
第2条 すべての政治的な団結の目的は、自由・所有・安全および圧制への抵抗の権利を守ることである。
第3条 すべて主権は、本来、国民にある。
第11条 思想・言論の自由な発表は、人間の最も尊い権利のひとつである。

革命前の3つの身分
聖職者・貴族・平民の3つの身分があった。革命前は,わずか2%の聖職者と貴族が,領地と農民を支配し、さまざまな特権をもち、税も免除されていた。

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さて、問題は、他人事ではない。今の日本である。フランス革命以前のアンシャンレジームとなんと似通ってはいないだろうか。
今の日本は、一方に大企業・富裕者と、その取り巻きがあり、その対極に格差貧困に沈みつつある経済弱者がいる。この固定された階層秩序は、身分制の桎梏と変わらない。

大企業・富裕者は、この社会を支配し、さまざまな特権をもち、分けても特権的優遇税制の利益を享受しているではないか。だから、事態は後世次のように語られるものとなる…のではないか。

首相官邸を攻撃せよ-2019年金・税制革命-
《経済的平等と生存の保障を求めて》
2019年7月21日,日本中の民衆が,一斉に投票所に押しよせました。人びとは、消費税の値上げに反対し、人生100年を安心して過ごせる年金を要求してきましたが、権力者アベに拒否されます。
そこで、人びとは各地の投票所になだれこみ、熱い思いで投票用紙に反アベの候補者と政党名を書き込むことによって、増税をたくらんでいたアベ官邸を攻め落としました。この日、アベは、側近から「これは、単なる選挙の敗北ではありません。革命が起きたのです」と聞かされたと言います。
アベ官邸には,この社会の格差を押し広げている、大企業・富裕者の代理人たちが、百鬼夜行さながらに棲息していると考えられていました。
同じころ,農村でも漁村でも商店でも税や年金の改革が叫ばれ、同時に会社や工場では、賃金引き上げを求める運動が巻き起こっていました。首相官邸陥落の報は,たちまち日本全土に伝わります。各地で、デモやストや、民衆の集会が続きました。そして消費税増税は阻止され、さらに消費税そのものが廃止されました。大企業や富裕層の特権はすべて取りあげられ、累進制に基づく真の応能主義が貫徹されることになり、国会は、自由だけでなく、経済上の実質的平等,政府に対する格差貧困撲滅の義務をうたう「新人権宣言」を発表しました。
この活動を通じて、革命に参加した人びとは、自分たちがこの国の主人公であることを強く自覚し、自らの手で税制も年金の設計も行うようになったのです。
こうして、フランスに遅れること230年にして、日本にも、自由・平等・博愛・福祉をスローガンとする革命がなし遂げられました。230年前には、王ルイ16世も王妃マリーアントワネットも、民衆の怒りによって断頭台の露と消えました。しかし、2019年の日本革命では、そのような野蛮なことは行われず、民衆はアベとその妻をよく説諭し、改心した夫婦にはきちんと年金の保障もしたということです。
(2019年7月14日)

この参院選を、《年金一揆》に、《税制一揆》に。

普段はご無沙汰ばかりで、選挙になると、とたんに親しげな顔をして折り入ってのお願い。評判の悪いことは承知ですが、やっぱり今回も恒例の「折り入ってのお願い」です。

今回の参院選挙は、いつもの選挙とはひと味違う大事な選挙なんです。ええ、もしかしたらこの前も同じことを言ったかも知れませんが、今度こそ、本当に大切な選挙。日本国憲法の命運がかかっています。

もしこの選挙で、安倍自民党とその下駄の雪や取り巻きの連中が勝って、参議院の3分の2の議席を占め続けるようなことになると、本当に憲法があぶない。憲法改悪の手続が始まってしまうことになりかねません。

74年前に、310万人もの日本人が犠牲になった、あの忌まわしい戦争が終わりました。その戦場は海外でした。日本の侵略戦争だったのですら、当然といえば当然のこと。侵略軍である日本軍によって殺された近隣諸国の死者は日本人犠牲者よりも遙かに多数で、2000万人に及ぶとされています。

この戦争の惨禍を経て、日本人は決意しました。「勝とうと負けようと、二度とこの戦争の悲惨を繰り返してはならない」。新生日本は、「けっして再び、戦争はしない」と世界に誓い、この誓いを平和憲法として確定しました。日本国憲法は戦後日本の世界に対する平和の公約であり宣誓でした。これをなし崩しに変えてしまうことは、世界の歴史に対する裏切りというべきではありませんか。

自民党という保守政党は本来幅の広い国民政党でした。そのなかには、けっして戦争を繰り返してはならないとする大きな潮流があったはずです。ところが、いつしか自民党は変わってしまいました。どういうわけか、安倍晋三という右翼の政治家が、自民党を取り仕切るご時世になり、平和憲法を危うくしています。憲法9条の改悪に手を付けようというのが、安倍自民党の公約。けっして、これを許してはなりません。

もう一つ、今回の選挙は年金消費増税をめぐる選挙にもなっています。
私は、税制や社会保障政策というものは、富の再分配のあり方をどう決めるかに尽きるものと考えています。だから、立場によってあるべき政策が違ってきます。言わば、国民が所得や富の再分配をめぐって綱引きをしているのです。大きな綱の片方の端を少数の大企業と大金持ちが持ち、もう片方の端を無数の年金生活者・労働者・中小企業者が握っている。こうして、壮大な全国民的綱引きが行われているのですが、どうもいま、大企業・大金持ち派の勢いが強い。この綱引きのバランスを、年金生活者・労働者・中小企業者の側に戻さなくてはなりません。そのための選挙でもあります。

 今、私たちは、資本主義の世に生きています。資本主義社会は、身分制度の不合理を克服しましたが、けっして人を幸福にする制度でも社会でもありません。むしろ、冷徹な資本の論理が生身の人を搾取し収奪して、大きな格差や貧困を生み出す不条理な制度と言わねばなりません。この資本主義という暴れ馬を制御して乗りこなせるようにしようというのが、福祉国家思想と言ってよいと思います。

制御のない裸の資本主義とは、資本の衝動のままに資本の横暴の振る舞いを許す社会です。所得と富は、限りなく一極に集中し、その対極に非人間的な貧困が積み重なる社会。誰にも明らかなこの資本主義の矛盾を制御する手段が、政治的民主主義なのです。

国家という権力機構を、社会的強者の手から解放し、社会的弱者を有権者として構成される立法機関を中心とした民主的な権力機構を通じて、裸の資本の横暴を統御しようということです。

資本の横暴は、労働法規として、あるいは消費者保護法制として、あるいは公正取引ルールとして、規制の対象となりますが、今問題となっているのは、税や年金を通じての所得と富の再分配のありかたです。

安倍晋三は、大企業や大金持ちの代弁者として、最近よくこう口にします。
「年金制度の批判は簡単だが打出の小槌はない。具体的対案もなく不安を煽る無責任議論はいけない」「野党の皆さんは、『保険料は減らせ、受給額は増やせ』とおっしゃるが、そんな財源はない。消費税を上げてしっかり財源を作らなければならない」

打ち出の小槌でも手品でもない。財源の多寡は、所得と富の再分配をどこまでやるのかということできまります。これは政治的民主主義の制度においては、有権者が決めること。大企業優遇の租税特別措置法で、実効税率を下げてやる必要はない。累進度を緩和し続けてきた所得税率を元に戻す。方法はいくらでもあるではありませんか。要は、大企業と大金持ち優遇の税制にどこまで切り込むかの政治的決断なのです。

資本の論理に対抗するのは、人間の尊厳の論理です。人権の論理と言ってもよい。もともと、資本の論理を貫徹させた所得も、その集積としての富も、公正なものではありません。改めて、人権の論理に基づいて、公正に所得と富の再配分を実行させようではありませんか。その手段が、税と社会保障の制度の徹底した見直しです。どこまで徹底するか、それは有権者の意思次第。あなたの投票が決めます。

安倍政権が続く限り、抜本的な年金改革も、税制改革もあり得ません。どうでしょうか。今度の選挙を、年金一揆、税制改革一揆としませんか。
それなら、ふつふつと投票の意欲も、選挙運動の意欲も湧くことになりませんか。
(2019年7月7日)

冷酷な統計が示す、これが平均的国民の老後年金生活。

昨日(7月2日)、厚労省が2018年の「国民生活基礎調査の概況」を公表した。下記の両URLで、その報告を見ることができる。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa18/dl/09.pdf

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa18/dl/10.pdf
同報告は、特に【調査結果のポイント】として、次の点を挙げている。
・1世帯当たり平均所得金額は551 万6 千円 <前年560 万2 千円>
・生活意識が「苦しい」とした世帯は57.7% <前年55.8%>
(注:生活意識は、5段階の選択肢であり、「苦しい」は「大変苦しい」「やや苦しい」の合計)

1年前に比較した国民生活は、客観的に所得が減って、主観的には生活意識を苦しいものとしている。そのことが、統計に表れている。これが、アベノミクス6年目の「前年比成果」なのだ。わずか1年で、所得は「9万円」の減、生活苦は「2%」の変動である。

折しも、参院選直前である。「年金選挙」の様相を帯びてきたこの選挙の争点に関わるものとして、この統計も「老後」の「年金問題」との関連で注目された。

この点について、同報告は、次のように特記している。

「高齢者世帯(65歳以上の者のみで構成するか、又はこれに18歳未満の未婚の者が加わった世帯)では「公的年金・恩給」が61.1%、「稼働所得」が25.4%となっている」
「公的年金・恩給を受給している高齢者世帯のなかで「公的年金・恩給の総所得に占める割合が100%の世帯」は51.1%となっている」

つまり、年金受給者の多くが、ほぼ年金だけに頼って暮らしている。稼働所得は、微々たるものに過ぎない。まったく年金だけに頼って暮らしている人も過半数に及ぶ。

さて、公的年金受給者全体の半数を上回る51.1%が、ハッピーに公的年金だけで悠々と老後の生活を楽しんでいるのか。あるいは生活費に不足ではあるが公的年金以外の収入を得ることができないアンハッピーな状態なのか。統計は、直接にその点に切り込んではいない。

しかし、高齢者世帯の「平均公的年金・恩給」受給額は、年間204万5000円であるという。この金額で、「1.5人」(高齢者世帯は、夫婦構成と単独構成とほぼ半々。所帯人員数の平均は、「1.5人」でよいと思う)が暮らしていけるはずはない。一人あたり月額にすると、11万円程度に過ぎないのだから。

また、同報告によると高齢者世帯総所得金額の「中央値」は、年額260万円である。204万円が年金、その余の年間50万円余が稼働収入ということになる。これが平均的国民の老後だ。「年金だけでは生活は成り立たず」、さりとて「働こうとして真っ当な稼働収入を得るあてもない」と覚悟しなければならない。

消費増税をしてさらに経済弱者を痛めつけたり、F35を買ったり、イージスアショアに莫大な金を注ぎ込む余裕など、この国にはないことを悟らなければならない。

毎日新聞は、老後所得『年金のみ』半数 生活苦しい55%(7月3日朝刊)との見出しで、下記のとおり簡潔に報じている。

65歳以上の高齢者世帯のうち、働いて得られる収入がなく、総所得が公的年金・恩給のみの世帯が半数に上ることが2日、厚生労働省の2018年国民生活基礎調査で分かった。生活への意識を質問したところ、高齢者世帯で「苦しい」と答えた割合は55・1%に上り、前年から0・9ポイント増加した。

無年金の人らを除く高齢者世帯のうち総所得に占める公的年金・恩給の割合が100%の世帯は51・1%。この割合が50%を超える傾向は1990年代から続く。1世帯当たりの平均所得(17年)を見ると、高齢者世帯は334万9000円。所得の内訳は「公的年金・恩給」61・1%、「稼働所得」25・4%--など。

また、時事通信はこう伝えている。

収入「年金のみ」が半数=高齢者、生活の支え-国民生活基礎調査
厚生労働省は2日、2018年の国民生活基礎調査の結果を発表した。年金や恩給をもらっている高齢者世帯について、これらの収入が総所得の100%を占めると答えた割合は51.1%と約半数だった。恩給の受給者はごく限られるため、収入源が年金のみの高齢者世帯が相当数を占めるとみられる。

17年の割合は52.2%。過去増減はあるが、13年の57.8%から微減傾向が続いている。働く高齢者が増えたことが影響しているとみられる。
老後の資金をめぐっては、公的年金以外に2000万円の蓄えが必要と指摘した金融庁報告書が注目を集めている。老後への不安が広がる中、高齢者世帯の多くが年金を支えに生活費を確保している実態が改めて浮き彫りとなった。

時事がいう「働く高齢者が増えた」のは、明らかに不十分な年金では暮らせないことの結果である。割りの悪い仕事でもやらざるを得ないのだ。年金は増やさない。いや、マクロ経済スライドで、着実に減らしていく。これが、政権の老人「反福祉」基本構想なのだ。

若者が、これを他人ごとと見過ごしてはならない。生活を「苦しい」と感じているのは、「児童のいる世帯」では、62.1%【前年58.7%】と高齢者所帯より高い。また、年代別で世帯人員1人当たり平均所得金額をみると、最も低いのが「30~39 歳」の179 万6 000円なのだ。しかも、若者が年金受給年齢に達する頃、マクロ経済スライドは今の水準には及びもつかない低年金受給額となっているのだ。

若者よ、あなたがたの老後は、さらに厳しい。あなたが、投票所に足を運んで、この政権にノーを突きつけない限りは。
(2019年7月3日)

「マクロ経済スライド」を廃止して、減らない年金とすることがバカげた提案か。これを続けることがバカげた政策か。

昨日(6月19日)の党首討論。正確には、「国家基本政策委員会合同審査会」というそうだ。メディアは注目しなかったが、志位和夫(共産党委員長)と安倍晋三との「討論」を振り返ってみたい。
以下が、その「討論」の議事速報(未定稿)からの引用である。本日の赤旗紙面には、おそらく発言のとおりの、もっと詳細な文字起こしが掲載されている。これによれば、安倍晋三の発言は、この議事速報のように滑らかなものではない。つっかえ、つっかえのよれよれ発言。

○志位和夫君
 金融庁が、夫婦の老後資金として公的年金以外に三十年で二千万円が必要との報告書を公表したことが年金への不安を広げております。年金への不安は、これにとどまるものではありません。マクロ経済スライドによる給付水準の引下げという大問題があります。
 直近の公的年金の財政見通しによれば、マクロ経済スライドは、現在四十一歳の人が六十五歳で年金を受け取れるようになるまで続き、これによって、受け取れる年金の水準は、平均的な高齢夫婦世帯で月額四万三千円、三十年間で約一千六百万円も減らされます。
 先日の参院決算委員会で、我が党の小池晃議員がマクロ経済スライドはやめるべきだと求めたのに対し、総理は、年金は給付と負担のバランスで成り立っている、やめてしまうというのは無責任でばかげた政策と言いました。
 しかし、今でさえ老後の生活を支えられない貧しい年金を、マクロ経済スライドを続けて更に貧しい年金にしてしまうことこそ、私は無責任でばかげた政策と言わなければなりません。
 マクロ経済スライドを中止しても、給付と負担のバランスをとる手だては幾つもあります。私は、その手だての一つとして、高額所得者優遇の保険料のあり方を正すことを、きょうは具体的に提案いたします。
 今の年金保険料は、月収六十二万円、ボーナスを含め年収で約一千万円を超えますと、保険料負担がふえない仕組みになっています。年収が約一千万円の上限額を超えますと、二千万円の人も、一億円の人も、みんな保険料は同じ、年間九十五万五千円です。
 そこで、提案でありますが、約一千万円のこの上限額を、健康保険と同じ約二千万円まで引き上げる。そのことによって、約一・六兆円の保険料収入がふえます。その際、アメリカでやっているように、高額所得者の年金給付の伸びを抑制する仕組みを入れる。そうすれば、それによる給付増分を差し引いても、毎年約一兆円の保険料収入をふやすことができます。この一兆円を、マクロ経済スライドをやめ、減らない年金にする財源に充てる、これが私たちの提案であります。
 総理に端的に伺います。
 年収一千万円を超えますと、保険料がふえなくなる高額所得者優遇の保険料のあり方、これは正すべきではないですか。端的にお答えください、正すかどうか。

 問題点の指摘、制度改正の提案、そして質問の内容。すべて、明瞭で具体的である。要約すれば、「給付額不十分な年金制度をさらに切り下げるのがマクロ経済スライド。これを廃止して金額が下がらない年金給付とすべきだ。マクロ経済スライドの廃止に代わる財源確保措置として、現行の高額所得者優遇の保険料のあり方について見直しを提案する。(高額所得者優遇の保険料のあり方)を正すか、どうか。」ということ。時間がない中で「質問に、端的にお答えください」は当然のこと。

保険料を納付し給付を受ける立場の全国民が、こぞって耳を傾けたくなる質問ではないか。これに対する安倍の回答は、いく通りか考えられる。

想定回答その1は、「現行の高額所得者優遇の保険料のあり方は、やはり問題があると思いますので、正します」というもの。こうすれば、安倍政権の人気は急上昇の可能性があった。別に、高額所得者に犠牲を強いるという策ではない。高額所得者優遇措置を改めるというだけ。その結果として「非高額所得者層」の年金給付額を増やす(あるいは減らさない)ことができるのだ。

想定回答その2は、「現行の高額所得者優遇の保険料のあり方は変更することなく維持します」というもの。こうすれば、安倍内閣の人気は落ちるが、自ずと、政治姿勢や基本理念の対決点が明らかになる。ここを議論の出発点として、意見交換が始まることになる。

あるいは、どちらとも明確にせず、曖昧なままとする想定回答その3もありうる。たとえば、「政策の理念には賛同しますが、階層間の利害の調整は容易なことではありません。今後の課題として検討させていただきます」など。いわゆる、リップサービスだけの実質ゼロ回答。

さて、安倍の回答は、以上の想定回答のどのパターンだったか。驚くべし。どれでもないのだ。聞かれたことに答えない、いつもの不誠実極まる安倍晋三流。

内閣総理大臣(安倍晋三君) この議論で大変残念なのは、先ほどの党首の議論で、年金のいわば積立金が枯渇するというときに拍手が起こったことであります。
私は、そういう議論はすべきではないですし…
…(発言する者あり)
○会長(佐藤勉君) お静かにお願いします。
内閣総理大臣(安倍晋三君) テレビを見ている方々がおられますから……(発言する者あり)
○会長(佐藤勉君) 静かにしてください。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 大切なことも述べなければいけないわけでありまして、基礎年金の運用については、四十四兆円プラスになっているということははっきりと申し上げておきたいと思いますし、マクロ経済スライドについての御質問でございますが、マクロ経済スライドについても、先ほど来お話をさせていただいておりますように、これは平均寿命が延びていきますから、給付はふえていく。そして、生産年齢人口が、ふえていきますから、当然、これは被保険者は減っていく。その分を調整していく、そうしたファクターを調整していく数字によって、将来の受給者の所得代替率を五割を確保していくというものでありまして、それが今発動されて、しかも、それが〇・九から〇・二になったということは、まさに改善したということを申し上げているわけでありまして、先ほどさんざん毀損されましたが、そのことをはっきりと申し上げておきたいと思います。
その上において、共産党の主張は、マクロ経済スライドを廃止して、その上で、なおかつ将来の受給者の給付が減らないようにする上においては、これは七兆円の財源が必要でございます。皆さんはその財源がある、こうおっしゃっています。七兆円というのは巨大な財源であります。巨大な財源があるというのは、これはかつて聞いたことがあるような話でございますが、それはそう簡単には出てこないわけでございます。
いずれにいたしましても、私たちは、このマクロ経済スライドという形において、今の形で、マクロ経済スライドの形において、それを発動させていくことによって今の受給者と将来の受給者のバランスを図っていく、あるいは将来の給付と負担のバランスを図っていきたい、こう考えておりますが、今、志位委員がおっしゃった御提案については、これはまずはちゃんと検証しなければ、その数字は明らかでないわけでありますし、一兆数千億円で賄えるものではなくて、七兆円という、全く枠が違うわけでありますから。
いずれにいたしましても、マクロ経済スライドをやめてしまうという考え方は、もう一度申し上げますが、これはばかげた案だと思います。
会長(佐藤勉君) 時間が参っておりますので、簡潔にお願いいたします。

こりゃなんじゃ。「端的にお答えください」とされた質問は、「高額所得者優遇の保険料のあり方を正すのか、どうか」ということ。これにはまったく答えようとせずに、他党党首との論争を持ち込み、「マクロ経済スライドをやめてしまうという考え方は、これはばかげた案だと思います。」と締めている。あ~あ。議論するのが虚しくなる手合いなのだ。時間がない。最後の志位発言は次のとおりである。

志位和夫君  私は、減らない年金にするための具体的提案をやった。それに対するお答えは一切ありません。七兆円というのは、私たちの暮らしを応援する政策のパッケージでやる財源の問題なんです。この問題……
○会長(佐藤勉君) 時間が参っておりますので、終わりにしてください。
志位和夫君 マクロ経済スライドをやるということは、今の年金の水準を六割から五割に、現役世代との所得代替率を減らすわけでしょう。これは減っていくんですよ。
○会長(佐藤勉君) 時間です。
○志位和夫君 私は、今政治に求められているのは、貧しい年金の現実を直視して、安心の年金に変えるための責任を果たすことだ、報告書を隠蔽することじゃないということを申し上げて、終わります。
会長(佐藤勉君) これにて志位君の発言は終了いたしました。

安倍晋三という人物。まともな議論をする能力のないことを、政治家としての強みとしているのだ。

それでも、短い時間に、これだけは浮き彫りになった。

「今でさえ老後の生活を支えられない貧しい年金を、マクロ経済スライドを続けて更に貧しい年金にしてしまうことこそ、私は無責任でばかげた政策」というのが、志位和夫の共産党。

「自動的に年金給付額を減らす『マクロ経済スライド』を廃止せよ。そのための財源を真剣に検討せよ」という提案を「もう一度申し上げますが、これはばかげた案だと思います。」というのが安倍晋三。

これが、一握りの「高額所得者層」と、圧倒的多数の「非高額所得者層」との、それぞれの利益代表の「討論」なのだ。どちらに軍配を上げるべきかは、有権者の選択となる。自分に不利な政党選択をすることのなきよう、お間違えなく。
(2019年6月20日)

「防衛費の異常な増加に抗議し、教育と社会保障の充実を求める声明」

本日(12月21日)、幾つかの紙面朝刊に、「おや、お久しぶり」。徳岡宏一朗さんのお顔が。日本外国特派員協会での申ヘボン(しん・へぼん)青山学院大教授と並んでの記者会見の写真。

この会見は、「防衛費の異常な増加に抗議し、教育と社会保障への優先的な公的支出を求める声明」という、やや長い標題の声明発表記者会見。いま、防衛大綱が発表され、来年度予算案の閣議決定が話題となっている。誰の目にも、青天井の防衛費によって福祉・教育の予算が圧迫され侵蝕されている構図が明らかとなっている。これを、国際人権の視点から批判したのがこの声明。「研究者・実務家有志一同」による声明だが、18人の呼びかけ人に、220人が賛同した形。私も、18人の呼びかけ人の一人となっている。

この記者会見の報道は、東京新聞が最も大きく紙幅を割いている。「防衛費増大に抗議声明 大学教授ら『人権規約に反する』」という見出し。

 米国製兵器の輸入拡大で防衛費が毎年増加している問題で、申惠ボン(しんへぼん)青山学院大教授(国際人権法)らが20日、東京・丸の内の日本外国特派員協会で会見し「政府が米国などから莫大な額の兵器を買い込む一方で、生活保護費や年金の切り下げ、貧弱な教育予算を放置することは、憲法の平和主義、人権保障だけでなく、国際人権規約に反する」との抗議声明を発表した。

 声明は申さんら18人の大学教員や弁護士が呼び掛け、東京大大学院の高橋哲哉教授(哲学)、小林節慶応大名誉教授(憲法学)、伊藤真弁護士ら約210人が賛同者に名を連ねた。
 声明では、安倍政権は史上最高規模の防衛予算を支出し、その補填として補正予算も使っているのは、憲法の財政民主主義に反すると指摘。「主要先進国で最悪の財政状況にある日本にとって、米国の赤字解消のため借金を重ねて巨額の予算を費やすのは常軌を逸している」と批判している。
 一方で「政府は生活保護費の減額で予算削減を見込んでいるが、米国からの野放図な兵器購入を抑えれば必要なかった」と指摘。「社会保障や適切な生活水準の権利の実現を後退させることは、国際人権規約に反する」とした。

 申さんは会見で「巨額の武器を米国の言い値でローンまで組んで買うのが問題。貧困・格差が広がっており、財政破綻しないように限られた予算をどれだけ防衛費に割くか、真剣に考えないと。中国が軍事力を増やすからと張り合えば、際限のない軍拡競争。十九世紀に逆戻りだ」と話した。 

 徳岡さんは、この声明の独自性を、「財政赤字の中、福祉・教育予算にしわ寄せして、防衛費だけ異常に増大させることは国際人権規約(社会権規約)に違反すると明言した」ところにあると言っている。また、この声明が「なぜ成功したか」というと、「憲法などの法律の専門家だけではなく、国際人権法、社会保障、教育、財政法など様々な専門家と実務家が結集できる内容だったから」とも言っている。人脈は貴重だ。

下記に、やや長いが、声明の全文を掲載しておきたい。呼びかけ人や賛同者たちのの危機感が伝わってくると思う。
(2018年12月21日)
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防衛費の異常な増加に抗議し、教育と社会保障への
優先的な公的支出を求める声明

2018年12月20日 研究者・実務家有志一同

声明の趣旨

世界的にも最悪の水準の債務を抱える中、巨額の兵器購入を続け、他方では生活保護や年金を引き下げ教育への公的支出を怠る日本政府の政策は、憲法と国際人権法に違反し、早急に是正されるべきである。

1.安倍政権は一般予算で史上最高規模の防衛予算を支出しているだけでなく、補填として補正予算も使い、しかも後年度予算(ローン)で米国から巨額の兵器を購入しており、これは日本国憲法の財政民主主義に反する。

2.米国の対日貿易赤字削減をも目的とした米国からの兵器「爆買い」で、国際的にも最悪の状態にある我が国の財政赤字はさらにひっ迫している。

3.他方で、生活保護費や年金の相次ぐ切り下げなど、福祉予算の大幅削減により、国民生活は圧迫され貧困が広がっている。

4.また、学生が多額の借金を負う奨学金問題や大学交付金削減に象徴されるように、我が国の教育予算は先進国の中でも最も貧弱なままである。

5.このように福祉を切り捨て教育予算を削減する一方で、巨額の予算を兵器購入に充てる政策は、憲法の社会権規定に反するだけでなく、国際人権社会権規約にも反する。

以下、具体的に理由を述べる。

1 莫大な防衛費増加と予算の使い込み
現在、安倍政権の下で防衛費は顕著に増加し続け(2013年度から6年連続増加)、2016年度予算からは、本予算単独でも5兆円を突破している。加えて、防衛省は、本来は自然災害や不況対策などに使われる補正予算を、本予算だけでは賄いきれない高額な米国製兵器購入の抜け道に使い、2014年度以降は毎年2,000億円前後の補正予算を計上して、戦闘機や輸送機オスプレイ、ミサイルなどを、米側の提示する法外な価格で購入している。
しかも、これには後年度負担つまり次年度以降へのつけ回しの「ローン」で買っているものが含まれ、国産兵器購入の分を合わせると、国が抱えている兵器ローンの残高は2018年度予算で約5兆800億円と、防衛予算そのものに匹敵する額に膨れ上がっている(2019年度は5兆3,000億円)。米国へのローン支払いが嵩む結果、防衛省が国内の防衛企業に対する装備品代金の支払いの延期を要請するという異例の事態まで起きている(「兵器ローン残高5兆円突破」「兵器予算 補正で穴埋め 兵器購入『第二の財布』」「膨らむ予算『裏抜』駆使」「防衛省 支払い延期要請 防衛業界 戸惑い、反発」東京新聞2018年10月29日、11月1日、24日、29日記事参照)。毎会計年度の予算は国会の議決を経なければならないとしている財政民主主義の大原則(憲法86条)を空洞化する事態である。
防衛省の試算によれば、米国から購入し又は購入を予定している5種の兵器(戦闘機「F35」42機、オスプレイ17機、イージス・アショア2基など)だけで、廃棄までの20~30年間の維持整備費は2兆7,000億円を超える(「米製兵器維持費2兆7,000億円」東京新聞11月2日)。さらに、これに輪をかけるように、政府は、「F35」を米国から100機追加取得する方向で検討しており、取得額は1機100億円超で計1兆円以上になる見込みである(2018年11月27日日本経済新聞)。

2 米国のための高額兵器購入による財政逼迫
このような防衛費の異常な膨張について、根源的な問題の一つは、米国からの高額の兵器購入が、トランプ政権の要請も受け、米国の対日貿易赤字を解消する一助として行われていることである。
歳入のうち国債依存度が約35%を占め、国と地方の抱える長期債務残高が2018年度末で1,107兆円(対GDP比196%)に途するという、「主要先進国の中で最悪の水準」(財務省「日本の財政関係資料」2018年3月)の財政状況にある日本にとって、他国の赤字解消のために、さらなる借金を重ねてまで兵器購入に巨額の予算を費やすことは、国政の基盤をなす財政の運営として常軌を逸したものと言わざるを得ない。
また、導入されている兵器の中には、最新鋭ステルス戦闘機「F35」のような攻撃型兵器が多数含まれている。戦闘機が離着陸できるよう海上自衛隊の護衛艦「いずも」を事実上「空母化」する方針も示されている。これらは専守防衛の原則を逸脱する恐れが強い。
政府は北朝鮮情勢や中国の軍備増強を防衛力増強の理由として挙げるが、朝鮮半島ではむしろ緊張緩和の動きが活発化しているし、近隣国を仮想敵国として際限なく軍拡に走ることも、武力による威嚇を禁じ紛争の平和的解決を旨とする現代の国際法の大原則に合致せず、それ自体が近隣国の警戒感を高める、かえって危険な政策というべきである。

3 福祉切り捨ての現状
このように防衛費が破格の扱いで膨張する一方、政府は、生活保護費や年金の受給額を相次いで引き下げている。
生活保護については、2013年からの大幅引き下げに続き、今年10月からは新たに、食費など生活費にあてる生活扶助を最大で5%、3年間かけて引き下げることとされ、これにより、生活保護世帯の約7割の生活扶助費が減額となる。
しかし、削減にあたってば、減額された保護費が最低限の生活保障の基準を満たすのかどうかにっいての十分な検討がされておらず、厚生労働省の生活保護基準部会の報告書がこの点で提起した疑問は反映されていない。特に大きな影響を受ける母子世帯や高齢者世帯を含め、受給当事者の意見を聴取することも一切されていない。
生活保護基準は、最低賃金や住民税非課税限度額など様々な制度の基準になっているため、引き下げによる国民生活への悪影響は多方面にわたる。
また、年金については、2013年からの老齢基礎年金・厚生年金支給額の減額に続き、長期にわたり自動的に支給額が削減される「マクロ経済スライド」が2015年から発動されており、高齢者世帯の貧困状況は悪化している。
政府は生活保護減額によって160億円の予算削減を見込んでいるが、そもそも、国家財政を全体としてみた場合、この削減は、青天井に増加している防衛費の増加、とりわけ米国からの野放図な兵器購入を抑えれば、全く必要がなかったものである。
日本の国家財政は、米国の兵器産業における雇用の剔出iと維持のために用いられるべきものではない。国民の生存権よりも同盟国からの兵器購入を優先するような財政運営は根本的に間違っている。

4 主要国で最も貧弱な日本の教育予算
日本は、GDPに占める教育への公的支出割合が、主要国の中で例年最下位である。特に、日本は「高等教育の授業料が、データのあるOECD加盟国の中で最も高い国の一つであり、過去10年、授業料は上がり続けている。「高等教育機関は多くを私費負担に頼っている。日本では、高等教育段階では68%の支出が家計によって負担されており、この割合は、OECD加盟国平均30%の2借を超える」(OECD.Educalion at a Glance 2018)。
給付型奨学金は2017年にようやく導入されたものの、対象は住民税非課税世帯に限られ、学生数は各学年わずか2万人、給付額は月2~4万円にすぎない。大学生の75%は私立大学で学んでいるが、国の私学助成が少ないため家計の負担が大きいところ、私大新入生のうち無利子奨学金を借りられるのは15%にすぎず(東京私大教連調査)、多くの卒業生は奨学金という名のローン返済に苦しんでいる。「卒業時に抱える平均負債額は32,170ドルで、返済には学士課程の学生で最大15年を要する。これは、データのあるOECD加盟国の中で最も多い負債の一つである」(OECD,supra)。2011年から2016年の5年間で延べ15,338入が、奨学金にからんで自己破産している(「奨学金破産、過去5年で延べ1万5千人 親子連鎖広がる」朝日新聞デジタル2018年2月12日)。
国立大学法人化後、その基盤経費となる運営費交付金も年々削減され(2004年から2016年までで実質1,000債円以上。文部科学省調査)、任期付き教員の増加など大学の教育・研究に支障をきたしている(「土台から崩れゆく日本の科学、疲弊する若手研究者たち これが『科学技術立国』の足元」Wedge Infinity2017年11月27日)。
高等教育だけではない。教育予算が全体としてきわめて貧弱であり人員が少ないため、公立の小・中・高等学校では半数以上の教員が過労死レベルで働いている(「過労死ライン超えの教員、公立校で半数 仕事持ち帰りも」朝日新聞デジタル2018年10月18日)。
教育に予算を支出しない国に未来はあるだろうか。納税者から託された税金を何にどう用いるかという財政政策において、教育を受ける権利の実現は最優先事項の一つでなければならない。

5 日本は社会権規約に違反している
憲法25条は国民の生存権を保障している。また、日本が批准している「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」(社会権規約)は、社会保障についての権利(9条)、適切な生活水準についての権利(11条1項)を認め、国はこれらの権利の実現のために、利用可能な資源を最大限に用いて措置を取る義務があるとしている(2条1項)。
権利を認め、その実現に向けて措置を取る義務を負った以上は、権利の実現を後退させる措置を取ることは規約の趣旨に反する(後退禁止原則)。社会権規約の下で設置されている社会権規約委員会は「一般的意見」で、「いかなる意図的な後退的措置が取られる場合にも、国は、それがすべての選択肢を最大限慎重に検討した後に導入されたものであること、及び、国の利用可能な最大限の資源の完全な利用に照らして、規約に規定された権利全体との関連によってそれが正当化されること、を証明する責任を負う」としている。
このような観点から委員会は、日本に対する2013年の「総括所見」で、社会保障予算の大幅な削減に懸念を示している。また、日本の最低賃金の平均水準が最低生存水準及び生活保護水準を下回っていることや、無年金又は低年金の高齢者の聞で貧困が広がっていることにも懸念を表明した(外務省ウェブサイト「国際人権規約」参照)。
今年(2018年)5月には、10月からの生活保護引き下げについて、「極度の貧困に関する特別報告者」を含む国連人権理事会の特別報告者ら4名が連名で、引き下げは日本の国際法上の義務に違反するという声明を発表し政府に送る事態となった。「日本のような豊かな先進国におけるこのような措置は、貧困層の人々が尊厳をもって生きる権利を直接に掘り崩す、意図的な政治的決定を反映している。」「貧困層の人権に与える影響を慎重に検討しないで取られたこのような緊縮措置は、日本が国際的に負っている義務に違反している」。
また社会権規約は、国はすべての者に教育の権利を認め、中等教育と高等教育については、無償教育を漸進的に導入することにより、すべての人に均等に機会が与えられるようにすることと規定している。適切な奨学金制度を設立することも定めている(13条2項)。
教育に対する日本の公的支出の貧弱さはこれらを遵守したものになっていない。

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 後年度負担まで組んで莫大な額の兵器を買い込み国家財政を逼迫させる一方で、十分な検討も経ずに生活保護を引き下げることや、きわめて貧弱な教育予算を放置し又は削減することは、憲法の平和主義、人権保障及び財政上の原則のみならず、国際法上の義務である社会権規約(及び、同様の規定をもつ子どもの権利条約や障害者権利条約など)に違反している。我々は、安倍政権による防衛予算の異常な運営に抗議し反対の意を表明するとともに、教育と社会保障の分野に適切に予算を振り向けることを強く求めるものである。

<呼びかけ人>(五十音順、*発起人)
荒牧 重人(山梨学院大学教授、憲法学・子ども法)
井上 英夫(金沢大学名誉教授・佛教大学客員教授、人権論・社会保障法学)
大久保 賢一(弁護士)
小久保 哲郎(弁護士、生活保護問題対策全国会議事務局長)
今野 久子(弁護士)
澤藤 統一郎(弁護士、日本民主法律家協会元事務局長・日本弁護士連合会元消費者委員会委員長)
*申 ホンヘ(青山学院大学教授、国際人権法学会前理事長、国際人権法学)
田中 俊(弁護士)
谷口 真由美(大阪国際大学准教授、国際人権法学)
角田 由紀子(弁護士)
*徳岡 宏一朗(弁護士)
戸室 健作(千葉商科大学専任講師、社会政策論)
根森 健(神奈川大学特任教授、新潟大学・埼玉大学名誉教授、憲法学)
尾藤 廣喜(弁護士、生活保護問題対策全国会議代表幹事)
藤田 早苗(エセックス大学研究員、国際人権法学)
藤原 精吾(弁護士・日本反核法律家協会副会長・日本弁護士連合会元副会長)
吉田 雄大(弁護士)

沿岸漁民の暮らしと資源を守る政策を― JCFU沿岸漁業フォーラム案内

明日(9月1日)午後、参議院議員会館1階講堂で、全国沿岸漁民連絡協議会(JCFU)がシンポジウムを開催する。その趣旨は、以下のとおりだ。

■開催趣旨:家族漁業・小規模漁業を営む沿岸漁業就業者は漁民全体の96%。まさに日本漁業の主人公です。全国津々浦々の漁村の自然と経済を守るこの家族漁業・小規模漁業の繁栄無くしては「地方創生」などありえません。ここでは、沿岸漁民の暮らしと資源、法制度をめぐる問題をとりあげ、日本の漁業政策のあり方をさぐります。

その趣旨や良し。経済の目的は効率でも生産性でもない。ましてや、市場での支配者に過剰な利益を与えるためのものでもない。多くの人々が安心して、健康で文化的な生活を持続していくことではないか。漁業にあっては、「全国津々浦々の漁村の自然と漁民の生計」を守らねばならない。漁民の暮らしを支える「家族漁業・小規模漁業の繁栄」が必要なのだ。そのためには、漁民一人ひとりの営業が成り立ち、後継者が育つ展望が持てなければならない。そのための、行政でなくてはならず、その目的に適う経済政策でなくてはならない。

大資本や中央資本の規制改革に対決する局面では、漁協も漁連も自治体も極めて重要である。しかし、漁協も漁連も自治体も、それ自体が価値を持つものではない。漁民を代表し、漁民に奉仕する存在であることが、その発言権や正当性の根拠である。漁協は飽くまでも漁民に奉仕する立場の存在である。漁民あっての漁協であって、漁協のための漁民ではない。漁協の経営のためとして、漁民を切り捨てるようなことは絶対にあってはならない。いま、岩手県の水産行政は、この倒錯の事態にある。

沿岸漁業フォーラムのプログラムと、岩手からの報告「サケの定置網独占と沿岸漁民の権利」のレジメをご紹介する。

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■JCFU沿岸漁業フォーラム■
「規制改革会議と漁業権を考える」―沿岸漁民の暮らしと資源を守る政策を

共 催: JCFU全国沿岸漁民連絡協議会・NPO法人21世紀の水産を考える会
と  き: 2017年9月1日(金)13:00~17:00
ところ: 参議院議員会館1階講堂

コーディネーター:二平 章(茨城大学人文学部客員研究員)
山本浩一(21世紀の水産を考える会理事長)

<プログラム>
●特別講演
「亡国の漁業権開放論~資源・地域・国土の崩壊」
鈴木宣弘 (すずき・のぶひろ)
(東京大学大学院農学生命科学研究科国際環境経済学 教授

●第2部 「各地の沿岸漁民の生活と権利をめぐる諸問題」              
1 クロマグロの漁獲規制と漁民の生活権   
  高松幸彦  (北海道留萌海区漁業調整委員会委員)
  宇津井千可志(長崎県対馬市曳き縄漁業協議会会長)
  本吉政吉  (千葉県沿岸小型漁協副組合長)
2.沿岸カツオ漁業の危機と熱帯まき網漁獲規制
  杉本武雄(和歌山県漁業調整委員会委員・和歌山東漁協副組合長)
  福田 仁(ジャーナリスト・高知新聞)
3.サケの定置網独占と沿岸漁民の権利
    澤藤大河(弁護士:岩手県「浜の一揆訴訟」弁護団)
4.震災復興と水産特区の問題点        
    綱島不二雄(復旧・復興支援みやぎ県民センター代表世話人)
5.原発事故後の福島漁業と汚染水問題
    林 薫平 (福島大学特任准教授)
6.「開門」は有明海漁業の生命線
    堀 良一(弁護士:よみがえれ!有明訴訟弁護団)

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                                                              2017年9月1日
「サケの定置網漁独占と沿岸漁民の権利」ー岩手からの報告
                                                        報告者 弁護士 澤藤大河
1.「漁協・漁業権」の二面性
基調講演のテーマが、草案段階では、「危機にさらされる漁協・漁業権」となっていました。当然に「漁協・漁業権」擁護の趣旨。ところが、三陸の沿岸漁民が起こしている行政訴訟では、被告岩手県知事側が、「漁協・漁業権」を擁護する立場から零細漁民にはサケ刺し網漁を禁じるとして一歩も引きません。「漁協・漁業権」が、零細漁業者の経営を圧迫しているのです。
三陸の沿岸漁民は、けっして漁協や漁業権を敵視しているわけではありません。しかし、漁協の存立や漁業権漁業の収益確保を絶対視して、零細漁民の権利を認めないとなれば、「漁協・漁業権」に譲歩を要求せざるを得ません。
「漁協・漁業権」の二面性を見極めなければならないと思います。横暴な大資本や国と向かい合う局面では、漁民を代表する組織としてしっかりと漁協・漁業権を擁護しなければなりません。しかし、組合員個人、個別の零細漁民と向かい合う局面では漁協は強者です。零細漁民の利益と対立するのです。
言うまでもなく、漁協は漁民に奉仕するための組織です。漁民の利益を代表してこその漁協であり、漁民の生業と共存してこその漁業権であることを再確認する必要があります。それが、私たちの基本的な立場であることをご理解ください。

2.「浜の一揆」訴訟の概要
岩手の河川を秋に遡上するサケは岩手沿岸における漁業の主力魚種です。「県の魚」に指定されてもいます。
ところが、現在の三陸沿岸の漁民は、県の水産行政によって、厳格にサケの捕獲を禁じられています。うっかりサケを網にかけると、最高刑懲役6月となります。岩手の漁民の多くが、この不合理を不満として、長年県政にサケ捕獲の許可を働きかけてきました。とりわけ、3・11の被災後はこの不合理を耐えがたいものと感じることとなり、請願や陳情を重ねてきました。しかし、なんの進展も見ることができなかったのです。
そのため、2015年11月100人の沿岸漁民が岩手県(知事)を被告として、盛岡地裁に行政訴訟を提起しました。要求は「固定式刺し網によるサケ漁を認めよ」「漁獲高は無制限である必要はない。各漁民について年間10トンを上限として」。原告らは、これを「浜の一揆」訴訟と呼んでいます。苛斂誅求の封建領主に対する抵抗運動と根は同じだと考えているからです。
訴訟の進行は、最終盤に近づいています。本年6月22日の法廷で、原告4名と県職員1名の尋問が行われ、次回9月8日には、原被告がそれぞれ申請した学者証人お二人が証言します。おそらく、年内に結審して、来春判決言い渡しの見通しです。

3.何が争われているのかー本日のテーマに即して
☆現状
* 三陸沿岸の海の恵みであるサケは、主として各漁協が自営する大型の定置網漁によって漁獲されています。漁協は定置漁業権を得て、定置漁業を行っています。
* 原告ら漁民はサケ漁から閉め出されています。サケの延縄漁は可能なのですが、とうていペイしません。「刺し網によるサケ漁を認めろ」というのが、原告らの切実な要求ですが、漁協の自営定置漁業に影響あるからとして、許可されません。
* 原告ら漁民は、漁協や漁連の民主的運営には懐疑的な立場です。社会的強者と一体となった、零細漁民に冷たい県政への挑戦として、「浜の一揆」の心意気なのです。
☆法的構造
* 三陸沿岸を泳ぐサケは無主物であり、そもそも誰が採るのも自由。これが原則であり、議論の出発点です。
* 憲法22条1項は営業の自由を保障しています。漁民がサケの漁をすることは原則として自由(憲法上の権利)なのです。
* とはいえ、営業の自由も無制限ではあり得ません。合理性・必要性に支えられた理由があれば、その制約は可能です。このことは、合理性・必要性に支えられた理由がなければ制約できないということでもあります。
* 具体的には、
漁業法65条1項は、「漁業調整」の必要あれば、
水産資源保護法4条1項は、「水産資源の保護培養」の必要あれば、
特定の漁には、「知事の許可を受けなければならない」とすることができます。
* これを受けた岩手県漁業調整規則は、サケの刺し網漁には知事の許可を要すると定めたうえ、「知事は、『漁業調整』又は『水産資源の保護培養』のため必要があると認める場合は、漁業の許可をしない。」と定めています。
* ということは、申請があれば許可が原則です。不許可には、県知事が「漁業調整」または「水産資源の保護培養」の必要性の具体的な事由を提示しなければなりません。
☆キーワードは「漁業調整」と「水産資源の保護培養」です。
* 「水産資源の保護培養の必要」は、科学的論争として問題はありません。
本件許可をしても、水産資源の保護培養に影響はあり得ません。
* 問題は、極めて不明瞭な「漁業調整の必要」です。そもそも何を言っているのさえよく分かりません。

4.漁協優先主義は漁民の利益を制約しうるか
☆定置網漁業者の過半は漁協です。被告の主張は、「漁協が自営する定置営業保護のために、漁民個人の固定式刺し網によるサケ漁は禁止しなければならない」ということに尽きるものです。県政は、これを「漁業調整の必要」というのです。
☆ しかし、「漁業調整の必要」は、漁業法第1条が、この法律は…漁業の民主化を図ることを目的とする」という、法の視点から判断をしなければなりません。
弱い立場の、零細漁民の立場に配慮することこそが「漁業の民主化」であって、漁協の利益確保のために、漁民の営業を圧迫することは「民主化」への逆行です。
☆ 漁民あっての漁協であって、漁協あっての漁民ではない。
主客の転倒は、お国のための滅私奉公と同様の全体主義的発想ではないでしょうか。
☆ 被告岩手県は、最近になってこんなことを言い出しています。
・各地漁協などが多大な費用と労力を投じた孵化放流事業により形成されたサケ資源をこれに寄与していない者が先取りする結果となり、漁業調整上の問題が大きい
・解禁に伴い膨大な漁業者が参入し一挙に資源が枯渇するなどの問題が生じる
☆ これは、定置網漁業完全擁護の立論です。少しでも、定置網漁業の利益を損なってはならないとする、行政にあるまじき偏頗きわまる立論と言わねばなりません。
☆ 「漁協が孵化事業の主力になっているから、成魚の独占権がある」というのは、暴論です。むしろ、孵化事業の大半は公金の補助でまかなわれているのですから、その成果を独占する権利は誰にもありません。漁協も漁民も。定置も刺し網も。そして漁果を得た者は平等に応分の負担を。というのが、あるべき姿です。
☆ 軽々に、漁民の切実な漁の自由(憲法22条の経済的基本権)が奪われてはならないのです。
(2017年8月31日)

ロンドンの高層公営住宅の火災に思うーこの惨事は格差社会の落とし子だ

6月14日ロンドンの高層公営住宅の大規模火災。これが、格差社会がもたらした悲惨な事故として物議を醸している。

かつての英国は、「揺りかごから墓場まで」の福祉が充実した先進国とのイメージが強かった。しかし、サッチャリズムの禍々しい旋風以来、この国も弱者に冷たい新自由主義の社会になっているようだ。

「16日夕には、ロンドン各地で地元行政や政府に抗議するデモが行われた。火災が起きた公営住宅を所有する地元の区役所には数百人が詰めかけ、責任追及を求めて『メイ首相は退陣しろ』などとシュプレヒコールをあげた。」(朝日)という。

大火になった原因が耐火性の低い安価な外壁材の使用にあった、防火設備の不備の放置もあった。これが低所得者層が多く住む公営住宅の管理の不備と指弾されている。

「発火原因が4階の冷蔵庫の爆発」で、「大火になった原因が耐火性の低い安価な外壁材の使用」との指摘が、よく分かる。安全にはコストがかかる。金をけちれば惨事につながるのだ。

下記の一文をお読み願いたい。

「 冷凍庫に限らず、各種電気製品はみな火を噴く報告例をもっている。電気行火やファンヒーターはもちろん、テレビも、パソコンも、扇風機も、冷蔵庫も火を噴くのだ。コンセントも発火源となり、コードの被覆も燃える。もちろん、製品のすべてが発火するわけではない。しかし、小さい確率でも発火事故は確実に起こり続けている。
冷蔵庫や冷凍庫の発火は、サーモスタットの小さな火花が製品内の可燃物に引火することで起こる。実は冷凍庫の断熱材ウレタンフォームが可燃物なのだ。石油でできており、庫内に石油を敷き詰めているのと変わらないという。その密閉が破綻して酸素と触れあう状態となれば発火の条件が調うことになる。安価ではあるが、危険なのだ。」

これは、ロゴス社の季刊誌『Fraternity フラタニティ』No.3 2016年8月1日号に、「私がかかわった裁判闘争・第3回」「『冷凍庫が火を噴いた』訴訟ー消費者事件の持つ意味」として、私が寄稿した記事の一部である。できれば、「フラタニティ」をご購読いただけたらありがたい。
http://logos-ui.org/fraternity.html

家人の留守の間に冷凍庫が火を噴いた。これが火元となって店舗兼居宅が全焼した。目撃者はない。1991年7月、福島県いわき市でのことである。被害者が、その被害の損害賠償を冷凍庫製造元の三洋電気に請求したというのが問題の事件の概要。この訴訟、正式には「三洋電機冷凍庫発火事故製造物責任訴訟」と呼称していた。製造物責任法(PL法)制定運動が訴訟を支援し、法運用の象徴的な事件として知られた事件。消費者運動対企業の天下分け目の大事件と注目された訴訟だった。

弁護士実務に消費者事件・消費者訴訟というジャンルがあり、弁護士会内に消費者弁護士・消費者族という一群がある。イメージは、「族議員」とさして変わらない。私は、長く消費者問題に取り組んできた消費者弁護士である。

消費者問題とはなにか。一言で言えば、商品流通の末端における消費者と事業者の矛盾である。資本主義社会では、すべての人の生活を支える消費財は、利潤獲得を目標とする商品となっている。人の生活は、企業がつくった商品や、企業が提供するサービスに依存して営まれている。最大限利潤を求める企業と、生身の生活者との利害の葛藤が不可避となる。これも、資本主義の矛盾のあらわれかたの一面。

実際、労働問題と消費者問題、労働事件と消費者事件とは似た面が多々ある。いずれも一方は営利を目的とする企業である。これに対峙する労働者も消費者も個人としてはまことに弱い存在で、保護が不可欠である。そして、労働運動や消費者運動を通じて、個別の利益を超えた権利の拡大が必要なことも共通している。

消費者事件においては、強い立場の企業(事業者)と、弱い立場の消費者の対峙がある。とりわけ、提供される商品やサービスが高度化し、消費者の側に事実上商品選択の能力が失われると、原理的に「賢い消費者像」を期待し得なくなる。「消費者よ、注意せよ」のスローガンは意味を失い、もっぱら「業者注意」を強調しなければならなくなる。

事業者と消費者との大きな力量格差を、どうすれば民事訴訟実に的確に反映させて実質的平等を実現することができるか。これが、消費者事件に取り組む、消費者弁護士の問題意識である。その典型が、PL訴訟にあらわれる。

安全であるはずの食品やサプリメントで中毒事故を起こした。薬品の副作用で半身不随となった。テレビが火を噴いて子どもが火傷した。自動車のブレーキが効かず人身事故を起こした。走行中自転車の車輪がはずれて路上に投げ出された。化粧品で顔が真っ黒になった。赤ちゃんがベビーベッドの隙間に挟まれて大けがをした。草刈り機の刃こぼれが飛んできて失明した。ハシゴが折れて転倒し骨折した。シロアリ駆除剤で人間がまいってしまった……。身近な「製品事故」は、枚挙にいとまがない。深刻な被害も少なくない。しかし、伝統的な損害賠償法制では、被害を受けた消費者は加害企業の過失を立証しなければ損害賠償を受けられない。この過失の立証が消費者に大きな壁となって立ちはだかっていた。

企業の利益に優越して生活の安全を重視する社会の要求が、製品に起因する事故で損害が生じた場合には、企業に無過失でも賠償の責任があってしかるべきだという法原則転換の要求となる。これが不法行為責任一般とは区別された意味での「製造物責任」である。

消費者の声が産業界の反対を押し切る形で、ようやく1995年7月1日の製造物責任法(通称PL法)施行にこぎ着けた。この日以後に出荷された商品については、PL訴訟に過失の立証は不要となった。商品に事故の原因となった「欠陥」さえあれば、メーカーは無過失でも責任を負う。「欠陥」とは「商品が通常有すべき安全性を欠いていること」と条文に定義されている。つまり、消費者がふつうの使い方をしていて事故が起これば、その商品には欠陥があったことになり、製造業者に被害の賠償責任が生じるのだ。

さて、可燃性断熱材の使用が悲劇の原因となったロンドン公営住宅の大規模火災。被害の把握の視点に、PL訴訟との共通点を見ることができる。その理念は、弱者の保護である。

PL事故被害の消費者と、住宅の安全性欠如によって被害を被った居住者と。いずれも、この資本主義社会が構造的に生みだした事故の犠牲者として保護されなければならない。日本国憲法の条文を引けば、憲法25条(生存権の保障)であり、13条(個人の尊厳の確保)であろう。

現代憲法は、国民に国家からの自由を保障しただけでなく、国家に対して国民への福祉政策の実現を命じている。PL法による製品の安全も、住環境の安全も、日本国憲法はその実現を目指すべく命じている。資本主義経済原則が国民にもたらす災厄を防止し救済する福祉政策の実現こそが憲法の生存権規定の目指すところ。

可燃性の断熱材がもたらす火災は、あるときはPL事故として、またあるときは建築被害として、憲法の命じる生存権保障ないしは福祉政策の理念から、救済対象とされ防止対策が施されなければならない。
(2017年6月17日)

格差社会の中の「我らがパラダイス」

最近、毎日新聞の連載小説「我らがパラダイス」(林真理子)が朝の楽しみ。ストーリーは、いよいよ佳境。真っ先にここから読み始める。

何年か前の同じ著者の「下流の宴」も面白かった。こちらもテーマは社会の格差。経済格差が学歴格差と重なる実態を描きつつ、「下流」の心意気と「上流」の虚栄とを描いて痛快だった。

実直に働いている沖縄出身の高卒女性が、恋人の母親から結婚に反対される。そのときのセリフが、「ウチは医者の家系なのよ」というものだった。これに、この若い女性が猛反発する。「医者って、そんなにえらいんですか」「私医者になってみせる」。

ここからが、作家の力量だ。日本で一番はいりやすい医学部を特定して、その入試に合格するために、どのように勉強するか。ノウハウの提供者が現れて、彼女の勉強ぶりがリアルに描かれる。本人の努力や恋人の助力もあって目出度く合格する。しかし、その合格によって幸せがつかめるかどうか…、これはまた別のはなし。

ともかく、「医者って、そんなにえらいんですか」の名セリフは、いろいろに置き換えられる。
「大学出って、そんなにえらいんですか」「東大卒って、本当にえらいんですか」「金持ちって、そんなに立派なことですか」「社長ってなんぼのものですか」「上司って、そんなに威張れる身分ですか」「政治家って、どうしてそんなに大きな顔ができるんですか」「皇族って、なぜ税金で暮らせるんですか」…。

「医者」に置き換えられるものは無限にある。「日本人」「尊属」「男性」「公務員」「正社員」「健常者」「都会人」「アスリート」…。もろもろの差別構造の優越者に対する「下流」からの告発。私も気をつけよう。「弁護士さんって、どうして依頼者の気持ちが分からないのですか」と言われぬように。

「下流の宴」では、「下流」の側が「上流」に対して、一寸の虫にも五分の魂があることを見事に示して共感を呼んだ。が、下流の闘いは個人レベルのもので終わっている。それに比較して、「我らがパラダイス」は、高齢者介護における格差をテーマに、もっと社会性を意識した作品となっている。

それぞれに自分の親の介護問題に深刻に悩む3人の女性が、超高級老人ホームに勤務する。ここで至れり尽くせりの入居者を見ているうちに、自分の親にも同じようなケアを受けさせたいとの思いが募ってくる。そして、それぞれの親をこっそりとこの施設の空き部屋にいれての「親孝行」を実行する。このくわだては、単独にはできない。仲間の協力を得てのこと。

しかし、このくわだての束の間の成功と幸福は続かない。ことは露見して、「ここは貧乏人の来るところではない」と罵倒される。この3人は追い詰められて一矢報いようと決意する。「上流の走狗」二人を人質に、施設の一角にバリケードを築いての立て籠もりを始めようというのだ。

この3人の「決起」に、他の「下流」が連帯する。「上流」に属する入居者の中からも協力者が出てくる。バリケードの組み方を指導する学生運動の元闘士まで現れる。この連帯が、前作にはないところ。さて、これからどうなることか。

本日(12月1日)のストーリー展開は、籠城のための食糧確保だ。3人のうちのひとりが厨房に駆け込んでチーフに依頼する。ここで、次のように「下流同士の連帯」が描かれる。

「食べ物を分けてくれない。二、三日分」
「そっちは何人いるんだ」
「えーと、みんな合わせて十五人ぐらいかな」
「オッケー、パンと乾麺、冷凍のもん、いろいろ持ってきな。上の階には確か電子レンジとガスコンロあるはずだよ」
あまりにもあっさりと承諾してくれたので、さつきはとまどってしまったほどだ。
「オレが上に運んでやってもいいよ。なんだか面白そうだし」
「いや、いや、チーフに迷惑はかけられない。それにエレベーターも階段も封鎖してる。今裏口のエレベーターだけが使えるけど、そこもすぐに封鎖するって」
「なんだか本格的だねえ」
チーフはうきうきとした口調になった。
「よし、オレが段ボールに入れてここに置いとく。すぐに取りに来な」

さあ、明日からの展開が目を離せない。格差社会の中の「我らがパラダイス」は、束の間のバリケード内にとどまるのだろうか。それとも、バリケードの外まで拡がりをもつことになるのだろうか。

この小説は、確実にこの社会の断面を鋭く抉っている。格差社会の下流には、不満のマグマが渦を巻いている。このマグマは、いつかは噴出することになる。地震と同じでいつとは言いがたく、その規模も予想しがたい。しかし、年金をカットし、介護保険料を上げ、金持減税・庶民増税を繰り返していては、確実にその噴出の時期は早まるばかり。そしてその噴出のマグニチュードは大きくなる。心してあれ、「上流」の諸君。そして自・公・維の走狗たちよ。
(2016年12月1日)

「議論段階から社会実験へ」ヨーロッパでのベーシックインカム事情

本日の東京新聞「暮らし」欄(17面)に、興味深い解説記事が出ている。
「ベーシックインカム(BI)」「『全ての人にお金』で脱貧困?」という大きな見出し。続く中見出が、読者の目を惹く。

「欧州で来年から社会実験」
「フィンランド 25~58歳に月7万円程度」
「オランダ 5条件に分け就労分析」

つまり、「ヨーロッパではいよいよベーシックインカムの制度導入本格化のための社会実験が始まる。フィンランドでは、25~58歳の国民すべてに月7万円程度の支給を想定しての実験となる模様。オランダでは、給付対象者を5条件に分類して月額12万円ほどを支給してその効果を分析する」というのだ。なんと魅力的な実験ではないか。

ベーシックインカムのなんたるかについては、〈働く能力や意欲、収入、資産にかかわらず、個人に平等に基礎所得を支給する構想。誰もが対象となり受給へのちゅうちょが生じにくいほか、年金や生活保護、雇用保険などの統合や簡素化ができる。〉と、メリットずくめの解説が付いている。

ベーシックインカム導入論は我が国では少数意見であり、議論自体が寡少である。リベラル派からも無視ないし冷淡視されてきた。しかし、ヨーロッパの一部では、制度導入のための社会実験実施まできているというのが、この記事。

こんなリードがつけられている。記者の肯定的思い入れたっぷりの内容。
「貧困をなくすために政府がすべての人に生活に最低限必要なお金を配る『ベーシックインカム』(BI、基礎所得保障)制度の導入に向け、欧州がかじを切り始めた。スイスはことし6月、世界初の国民投票を実施、フィンランドやオランダでは来年から社会実験が始まる。背景にあるのは格差拡大といった社会保障制度の行き詰まりだ。」

紹介されているのは、フィンランド、オランダそしてスイス3国の事情。
◆フィンランド 
フィンランドのユハ・シピラ首相は昨年5月、国レベルでBIの社会実験を試行すると表明した。2017年中に始め、2年間実施。過去にカナダの自治体で試みはあったが、制度導入が実現すれば世界初だ。
BIは無条件に一律に支給されるため、社会保障制度をスリム化し、行政コスト削減が期待される。昨年10月から政府の調査チームが実験手法の研究を始め、月55~600ユーロ(6万4千~7万円程度)の給付を検討。25~58歳の約7千人を選び、19年に結果を分析する。

調査チームの代表で、社会保険庁のオッリ・カンガス氏によると、大きな目的の一つは「貧困のわな」の解消だ。公的扶助の受給者が働き始めると、援助が削られるため一定の給与がないと所得は増えず、就労に後ろ向きになる。給与を得ても減額されないBIは、働けば所得が上乗せされるため「働く意欲を喚起する解決策になるのではないか」と語る。
貧困層だけでなく起業への挑戦や、柔軟な働き方も期待できる。経済低迷が長引き、失業率が10%前後で推移していることも検討の背景にある。

カンガス氏によると、世論調査ではBI導入の賛成意見は70%に上るというが、批判も根強い。
首都ヘルシンキ在住の調理員メルヤ・レヒトさん(52)は「絶対に反対です」。制度の簡素化は歓迎だが、「なぜ富裕層にも一律に支給されないといけないのか。一体誰がその負担をするのでしょう。働くことに積極的になるどころか、もっと受け身になる人が増える」と疑問を呈する。

◆オランダ 5条件に分け就労分析
オランダでは、約20の自治体がBIの社会実験を計画。最終的には政府の認可が必要だが、17年にも始まる見通しだ。BI議論を主導してきた自治体の一つで国内第4の都市ユトレヒトは、500人規模での実施を計画。対象を公的扶助の受給者に限る点では、フィンランドとは異なる。
給付はBIの理念通り、無条件。職探しの努力といった条件を課さないことで、受給を終えて長期の仕事に就けるかを調べる。2年間、少ない条件付きも含めた5グループに分け、月1000ユーロ(11万7000円)程度の給付を予定。職探しの意欲、実際の就労にどんな違いが生じるかを分析する。
担当者は「福祉制度はシンプルであるべきだ。実験することで、伝統的な仕事がなくなり、新しい職業が生まれる将来の経済・雇用環境の変化にも備えられる」と説明する。

◆スイス
スイスは6月、BI導入を巡り世界初の国民投票を実施したが、76.9%の反対で否決された。政府は、大人1人月2500スイス・フラン(27万円)、子ども月625スイス・フラン程度の給付に膨大な予算が必要だとして反対していた。ただ、推進派の市民は「ゼロから始めて23%の賛成を得た。議論を広める目的は達成した」と強調する。

記事は以上である。続報がほしい。いったいどれだけの予算が組まれているのか。その予算捻出を決定する過程でどのような議論があったのか。どのような政治勢力が推進しているのか。また、反対しているのか。世論の動向はどうか。流入する移民にたいする給付についての議論はどうなのか。大国であるドイツやフランスでは議論がないのか。そして、成功への期待をもってこの実験の成りゆきに注目したい。

ベーシックインカム論は資本主義の世の中では夢物語ではないかとの思いが強かった。ところが、このヨーロッパ各国の試みは、ベーシックインカムの制度実現が夢でも幻でもないことを実証しつつあるのではないか。人類は、既にすべての人を貧困から解放すべき生産力を手に入れているのだ。貧困と格差を放置しておくことを、いかなる理由においても正当化してはならない。富と生産を公平に配分する方法として、ベーシックインカムは極めて魅力ある制度である。人類史上に大きく刻まれるべき、とてつもない実験が始まっているというわくわく感を禁じ得ない。

日本国憲法25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」は、ベーシックインカムの導入をズバリ想定し、これを求めていると読むこともできよう。世論が成熟し、「怠惰な国民をつくる制度」としてのとらえ方を克服して、「貧困を追放しすべての人に生存の基本を保障する制度」として賛意を得たとき、平和的な民主々義的手続によって富者の横暴を押さえた新たな制度を作りうるのではないか。

なお、ベーシックインカムについての議論状況を知りたい方には、「ベーシックインカムの可能性ー今こそ被災生存権所得を!」(村岡到編)をお勧めする。
  http://logos-ui.org/book/book-12.html

帯に、「新自由主義エコノミスト・原田泰、社会主義者・村岡到、長野県中川村村長・曽我逸郎らがベーシックインカムを説く!」という混沌さが魅力。
(2016年9月6日)

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