澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

ロンドンの高層公営住宅の火災に思うーこの惨事は格差社会の落とし子だ

6月14日ロンドンの高層公営住宅の大規模火災。これが、格差社会がもたらした悲惨な事故として物議を醸している。

かつての英国は、「揺りかごから墓場まで」の福祉が充実した先進国とのイメージが強かった。しかし、サッチャリズムの禍々しい旋風以来、この国も弱者に冷たい新自由主義の社会になっているようだ。

「16日夕には、ロンドン各地で地元行政や政府に抗議するデモが行われた。火災が起きた公営住宅を所有する地元の区役所には数百人が詰めかけ、責任追及を求めて『メイ首相は退陣しろ』などとシュプレヒコールをあげた。」(朝日)という。

大火になった原因が耐火性の低い安価な外壁材の使用にあった、防火設備の不備の放置もあった。これが低所得者層が多く住む公営住宅の管理の不備と指弾されている。

「発火原因が4階の冷蔵庫の爆発」で、「大火になった原因が耐火性の低い安価な外壁材の使用」との指摘が、よく分かる。安全にはコストがかかる。金をけちれば惨事につながるのだ。

下記の一文をお読み願いたい。

「 冷凍庫に限らず、各種電気製品はみな火を噴く報告例をもっている。電気行火やファンヒーターはもちろん、テレビも、パソコンも、扇風機も、冷蔵庫も火を噴くのだ。コンセントも発火源となり、コードの被覆も燃える。もちろん、製品のすべてが発火するわけではない。しかし、小さい確率でも発火事故は確実に起こり続けている。
冷蔵庫や冷凍庫の発火は、サーモスタットの小さな火花が製品内の可燃物に引火することで起こる。実は冷凍庫の断熱材ウレタンフォームが可燃物なのだ。石油でできており、庫内に石油を敷き詰めているのと変わらないという。その密閉が破綻して酸素と触れあう状態となれば発火の条件が調うことになる。安価ではあるが、危険なのだ。」

これは、ロゴス社の季刊誌『Fraternity フラタニティ』No.3 2016年8月1日号に、「私がかかわった裁判闘争・第3回」「『冷凍庫が火を噴いた』訴訟ー消費者事件の持つ意味」として、私が寄稿した記事の一部である。できれば、「フラタニティ」をご購読いただけたらありがたい。
http://logos-ui.org/fraternity.html

家人の留守の間に冷凍庫が火を噴いた。これが火元となって店舗兼居宅が全焼した。目撃者はない。1991年7月、福島県いわき市でのことである。被害者が、その被害の損害賠償を冷凍庫製造元の三洋電気に請求したというのが問題の事件の概要。この訴訟、正式には「三洋電機冷凍庫発火事故製造物責任訴訟」と呼称していた。製造物責任法(PL法)制定運動が訴訟を支援し、法運用の象徴的な事件として知られた事件。消費者運動対企業の天下分け目の大事件と注目された訴訟だった。

弁護士実務に消費者事件・消費者訴訟というジャンルがあり、弁護士会内に消費者弁護士・消費者族という一群がある。イメージは、「族議員」とさして変わらない。私は、長く消費者問題に取り組んできた消費者弁護士である。

消費者問題とはなにか。一言で言えば、商品流通の末端における消費者と事業者の矛盾である。資本主義社会では、すべての人の生活を支える消費財は、利潤獲得を目標とする商品となっている。人の生活は、企業がつくった商品や、企業が提供するサービスに依存して営まれている。最大限利潤を求める企業と、生身の生活者との利害の葛藤が不可避となる。これも、資本主義の矛盾のあらわれかたの一面。

実際、労働問題と消費者問題、労働事件と消費者事件とは似た面が多々ある。いずれも一方は営利を目的とする企業である。これに対峙する労働者も消費者も個人としてはまことに弱い存在で、保護が不可欠である。そして、労働運動や消費者運動を通じて、個別の利益を超えた権利の拡大が必要なことも共通している。

消費者事件においては、強い立場の企業(事業者)と、弱い立場の消費者の対峙がある。とりわけ、提供される商品やサービスが高度化し、消費者の側に事実上商品選択の能力が失われると、原理的に「賢い消費者像」を期待し得なくなる。「消費者よ、注意せよ」のスローガンは意味を失い、もっぱら「業者注意」を強調しなければならなくなる。

事業者と消費者との大きな力量格差を、どうすれば民事訴訟実に的確に反映させて実質的平等を実現することができるか。これが、消費者事件に取り組む、消費者弁護士の問題意識である。その典型が、PL訴訟にあらわれる。

安全であるはずの食品やサプリメントで中毒事故を起こした。薬品の副作用で半身不随となった。テレビが火を噴いて子どもが火傷した。自動車のブレーキが効かず人身事故を起こした。走行中自転車の車輪がはずれて路上に投げ出された。化粧品で顔が真っ黒になった。赤ちゃんがベビーベッドの隙間に挟まれて大けがをした。草刈り機の刃こぼれが飛んできて失明した。ハシゴが折れて転倒し骨折した。シロアリ駆除剤で人間がまいってしまった……。身近な「製品事故」は、枚挙にいとまがない。深刻な被害も少なくない。しかし、伝統的な損害賠償法制では、被害を受けた消費者は加害企業の過失を立証しなければ損害賠償を受けられない。この過失の立証が消費者に大きな壁となって立ちはだかっていた。

企業の利益に優越して生活の安全を重視する社会の要求が、製品に起因する事故で損害が生じた場合には、企業に無過失でも賠償の責任があってしかるべきだという法原則転換の要求となる。これが不法行為責任一般とは区別された意味での「製造物責任」である。

消費者の声が産業界の反対を押し切る形で、ようやく1995年7月1日の製造物責任法(通称PL法)施行にこぎ着けた。この日以後に出荷された商品については、PL訴訟に過失の立証は不要となった。商品に事故の原因となった「欠陥」さえあれば、メーカーは無過失でも責任を負う。「欠陥」とは「商品が通常有すべき安全性を欠いていること」と条文に定義されている。つまり、消費者がふつうの使い方をしていて事故が起これば、その商品には欠陥があったことになり、製造業者に被害の賠償責任が生じるのだ。

さて、可燃性断熱材の使用が悲劇の原因となったロンドン公営住宅の大規模火災。被害の把握の視点に、PL訴訟との共通点を見ることができる。その理念は、弱者の保護である。

PL事故被害の消費者と、住宅の安全性欠如によって被害を被った居住者と。いずれも、この資本主義社会が構造的に生みだした事故の犠牲者として保護されなければならない。日本国憲法の条文を引けば、憲法25条(生存権の保障)であり、13条(個人の尊厳の確保)であろう。

現代憲法は、国民に国家からの自由を保障しただけでなく、国家に対して国民への福祉政策の実現を命じている。PL法による製品の安全も、住環境の安全も、日本国憲法はその実現を目指すべく命じている。資本主義経済原則が国民にもたらす災厄を防止し救済する福祉政策の実現こそが憲法の生存権規定の目指すところ。

可燃性の断熱材がもたらす火災は、あるときはPL事故として、またあるときは建築被害として、憲法の命じる生存権保障ないしは福祉政策の理念から、救済対象とされ防止対策が施されなければならない。
(2017年6月17日)

格差社会の中の「我らがパラダイス」

最近、毎日新聞の連載小説「我らがパラダイス」(林真理子)が朝の楽しみ。ストーリーは、いよいよ佳境。真っ先にここから読み始める。

何年か前の同じ著者の「下流の宴」も面白かった。こちらもテーマは社会の格差。経済格差が学歴格差と重なる実態を描きつつ、「下流」の心意気と「上流」の虚栄とを描いて痛快だった。

実直に働いている沖縄出身の高卒女性が、恋人の母親から結婚に反対される。そのときのセリフが、「ウチは医者の家系なのよ」というものだった。これに、この若い女性が猛反発する。「医者って、そんなにえらいんですか」「私医者になってみせる」。

ここからが、作家の力量だ。日本で一番はいりやすい医学部を特定して、その入試に合格するために、どのように勉強するか。ノウハウの提供者が現れて、彼女の勉強ぶりがリアルに描かれる。本人の努力や恋人の助力もあって目出度く合格する。しかし、その合格によって幸せがつかめるかどうか…、これはまた別のはなし。

ともかく、「医者って、そんなにえらいんですか」の名セリフは、いろいろに置き換えられる。
「大学出って、そんなにえらいんですか」「東大卒って、本当にえらいんですか」「金持ちって、そんなに立派なことですか」「社長ってなんぼのものですか」「上司って、そんなに威張れる身分ですか」「政治家って、どうしてそんなに大きな顔ができるんですか」「皇族って、なぜ税金で暮らせるんですか」…。

「医者」に置き換えられるものは無限にある。「日本人」「尊属」「男性」「公務員」「正社員」「健常者」「都会人」「アスリート」…。もろもろの差別構造の優越者に対する「下流」からの告発。私も気をつけよう。「弁護士さんって、どうして依頼者の気持ちが分からないのですか」と言われぬように。

「下流の宴」では、「下流」の側が「上流」に対して、一寸の虫にも五分の魂があることを見事に示して共感を呼んだ。が、下流の闘いは個人レベルのもので終わっている。それに比較して、「我らがパラダイス」は、高齢者介護における格差をテーマに、もっと社会性を意識した作品となっている。

それぞれに自分の親の介護問題に深刻に悩む3人の女性が、超高級老人ホームに勤務する。ここで至れり尽くせりの入居者を見ているうちに、自分の親にも同じようなケアを受けさせたいとの思いが募ってくる。そして、それぞれの親をこっそりとこの施設の空き部屋にいれての「親孝行」を実行する。このくわだては、単独にはできない。仲間の協力を得てのこと。

しかし、このくわだての束の間の成功と幸福は続かない。ことは露見して、「ここは貧乏人の来るところではない」と罵倒される。この3人は追い詰められて一矢報いようと決意する。「上流の走狗」二人を人質に、施設の一角にバリケードを築いての立て籠もりを始めようというのだ。

この3人の「決起」に、他の「下流」が連帯する。「上流」に属する入居者の中からも協力者が出てくる。バリケードの組み方を指導する学生運動の元闘士まで現れる。この連帯が、前作にはないところ。さて、これからどうなることか。

本日(12月1日)のストーリー展開は、籠城のための食糧確保だ。3人のうちのひとりが厨房に駆け込んでチーフに依頼する。ここで、次のように「下流同士の連帯」が描かれる。

「食べ物を分けてくれない。二、三日分」
「そっちは何人いるんだ」
「えーと、みんな合わせて十五人ぐらいかな」
「オッケー、パンと乾麺、冷凍のもん、いろいろ持ってきな。上の階には確か電子レンジとガスコンロあるはずだよ」
あまりにもあっさりと承諾してくれたので、さつきはとまどってしまったほどだ。
「オレが上に運んでやってもいいよ。なんだか面白そうだし」
「いや、いや、チーフに迷惑はかけられない。それにエレベーターも階段も封鎖してる。今裏口のエレベーターだけが使えるけど、そこもすぐに封鎖するって」
「なんだか本格的だねえ」
チーフはうきうきとした口調になった。
「よし、オレが段ボールに入れてここに置いとく。すぐに取りに来な」

さあ、明日からの展開が目を離せない。格差社会の中の「我らがパラダイス」は、束の間のバリケード内にとどまるのだろうか。それとも、バリケードの外まで拡がりをもつことになるのだろうか。

この小説は、確実にこの社会の断面を鋭く抉っている。格差社会の下流には、不満のマグマが渦を巻いている。このマグマは、いつかは噴出することになる。地震と同じでいつとは言いがたく、その規模も予想しがたい。しかし、年金をカットし、介護保険料を上げ、金持減税・庶民増税を繰り返していては、確実にその噴出の時期は早まるばかり。そしてその噴出のマグニチュードは大きくなる。心してあれ、「上流」の諸君。そして自・公・維の走狗たちよ。
(2016年12月1日)

「議論段階から社会実験へ」ヨーロッパでのベーシックインカム事情

本日の東京新聞「暮らし」欄(17面)に、興味深い解説記事が出ている。
「ベーシックインカム(BI)」「『全ての人にお金』で脱貧困?」という大きな見出し。続く中見出が、読者の目を惹く。

「欧州で来年から社会実験」
「フィンランド 25~58歳に月7万円程度」
「オランダ 5条件に分け就労分析」

つまり、「ヨーロッパではいよいよベーシックインカムの制度導入本格化のための社会実験が始まる。フィンランドでは、25~58歳の国民すべてに月7万円程度の支給を想定しての実験となる模様。オランダでは、給付対象者を5条件に分類して月額12万円ほどを支給してその効果を分析する」というのだ。なんと魅力的な実験ではないか。

ベーシックインカムのなんたるかについては、〈働く能力や意欲、収入、資産にかかわらず、個人に平等に基礎所得を支給する構想。誰もが対象となり受給へのちゅうちょが生じにくいほか、年金や生活保護、雇用保険などの統合や簡素化ができる。〉と、メリットずくめの解説が付いている。

ベーシックインカム導入論は我が国では少数意見であり、議論自体が寡少である。リベラル派からも無視ないし冷淡視されてきた。しかし、ヨーロッパの一部では、制度導入のための社会実験実施まできているというのが、この記事。

こんなリードがつけられている。記者の肯定的思い入れたっぷりの内容。
「貧困をなくすために政府がすべての人に生活に最低限必要なお金を配る『ベーシックインカム』(BI、基礎所得保障)制度の導入に向け、欧州がかじを切り始めた。スイスはことし6月、世界初の国民投票を実施、フィンランドやオランダでは来年から社会実験が始まる。背景にあるのは格差拡大といった社会保障制度の行き詰まりだ。」

紹介されているのは、フィンランド、オランダそしてスイス3国の事情。
◆フィンランド 
フィンランドのユハ・シピラ首相は昨年5月、国レベルでBIの社会実験を試行すると表明した。2017年中に始め、2年間実施。過去にカナダの自治体で試みはあったが、制度導入が実現すれば世界初だ。
BIは無条件に一律に支給されるため、社会保障制度をスリム化し、行政コスト削減が期待される。昨年10月から政府の調査チームが実験手法の研究を始め、月55~600ユーロ(6万4千~7万円程度)の給付を検討。25~58歳の約7千人を選び、19年に結果を分析する。

調査チームの代表で、社会保険庁のオッリ・カンガス氏によると、大きな目的の一つは「貧困のわな」の解消だ。公的扶助の受給者が働き始めると、援助が削られるため一定の給与がないと所得は増えず、就労に後ろ向きになる。給与を得ても減額されないBIは、働けば所得が上乗せされるため「働く意欲を喚起する解決策になるのではないか」と語る。
貧困層だけでなく起業への挑戦や、柔軟な働き方も期待できる。経済低迷が長引き、失業率が10%前後で推移していることも検討の背景にある。

カンガス氏によると、世論調査ではBI導入の賛成意見は70%に上るというが、批判も根強い。
首都ヘルシンキ在住の調理員メルヤ・レヒトさん(52)は「絶対に反対です」。制度の簡素化は歓迎だが、「なぜ富裕層にも一律に支給されないといけないのか。一体誰がその負担をするのでしょう。働くことに積極的になるどころか、もっと受け身になる人が増える」と疑問を呈する。

◆オランダ 5条件に分け就労分析
オランダでは、約20の自治体がBIの社会実験を計画。最終的には政府の認可が必要だが、17年にも始まる見通しだ。BI議論を主導してきた自治体の一つで国内第4の都市ユトレヒトは、500人規模での実施を計画。対象を公的扶助の受給者に限る点では、フィンランドとは異なる。
給付はBIの理念通り、無条件。職探しの努力といった条件を課さないことで、受給を終えて長期の仕事に就けるかを調べる。2年間、少ない条件付きも含めた5グループに分け、月1000ユーロ(11万7000円)程度の給付を予定。職探しの意欲、実際の就労にどんな違いが生じるかを分析する。
担当者は「福祉制度はシンプルであるべきだ。実験することで、伝統的な仕事がなくなり、新しい職業が生まれる将来の経済・雇用環境の変化にも備えられる」と説明する。

◆スイス
スイスは6月、BI導入を巡り世界初の国民投票を実施したが、76.9%の反対で否決された。政府は、大人1人月2500スイス・フラン(27万円)、子ども月625スイス・フラン程度の給付に膨大な予算が必要だとして反対していた。ただ、推進派の市民は「ゼロから始めて23%の賛成を得た。議論を広める目的は達成した」と強調する。

記事は以上である。続報がほしい。いったいどれだけの予算が組まれているのか。その予算捻出を決定する過程でどのような議論があったのか。どのような政治勢力が推進しているのか。また、反対しているのか。世論の動向はどうか。流入する移民にたいする給付についての議論はどうなのか。大国であるドイツやフランスでは議論がないのか。そして、成功への期待をもってこの実験の成りゆきに注目したい。

ベーシックインカム論は資本主義の世の中では夢物語ではないかとの思いが強かった。ところが、このヨーロッパ各国の試みは、ベーシックインカムの制度実現が夢でも幻でもないことを実証しつつあるのではないか。人類は、既にすべての人を貧困から解放すべき生産力を手に入れているのだ。貧困と格差を放置しておくことを、いかなる理由においても正当化してはならない。富と生産を公平に配分する方法として、ベーシックインカムは極めて魅力ある制度である。人類史上に大きく刻まれるべき、とてつもない実験が始まっているというわくわく感を禁じ得ない。

日本国憲法25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」は、ベーシックインカムの導入をズバリ想定し、これを求めていると読むこともできよう。世論が成熟し、「怠惰な国民をつくる制度」としてのとらえ方を克服して、「貧困を追放しすべての人に生存の基本を保障する制度」として賛意を得たとき、平和的な民主々義的手続によって富者の横暴を押さえた新たな制度を作りうるのではないか。

なお、ベーシックインカムについての議論状況を知りたい方には、「ベーシックインカムの可能性ー今こそ被災生存権所得を!」(村岡到編)をお勧めする。
  http://logos-ui.org/book/book-12.html

帯に、「新自由主義エコノミスト・原田泰、社会主義者・村岡到、長野県中川村村長・曽我逸郎らがベーシックインカムを説く!」という混沌さが魅力。
(2016年9月6日)

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