澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

舛添要一さん、まずは国旗国歌法をしっかり理解して

昨日(2月27日)舛添要一新都知事の定例記者会見が行われ、その全文の記録がネットで読める。URL配下のとおり。
http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/TEXT/2014/140227.htm

興味深いことには、知事が10・23通達や処分の問題について語っている。もちろん、知事の側から積極的に切り出したものではない。質疑応答の中で、果敢に切り込んだ記者の質問に応じてのもの。慎重な口調ながら、石原や猪瀬とは明らかに異なる対応。今回会見の発言内容には理解不足が目立つものの、もう少し事実を知ってもらえたら、もう少し教員側の意見に耳を傾けてもらえたら、またもう少し人権や民主主義の基本原則からこの問題を考えてもらえたなら、石原・猪瀬の時代とは違った舛添流教育行政となるのではないか。

舛添さんの発言のさわりをいくつか抜き出して、コメントをしたい。
【知事発言】…国旗国歌法、これは国会できちんと通りました。それから、もうご承知のように、広島の学校の校長先生が自殺するという事件があって、あの当時、国会議員だった野中広務さん含めて、これはおかしいじゃないかっていうことで、国旗国歌法を定めたと。だから、憲法のもとにある国旗国歌法、これは日本国民である限りは、それはきちんと守らないといけません。それがまず大前提で、もちろん公務員はそれを守らないといけない。

【澤藤コメント】「憲法のもとにある国旗国歌法、これは日本国民である限りは、それはきちんと守らないといけません」は、まったく意味をなさない。舛添さんも、この会見碌を読み直して、「まずいことを言っちゃった」と思っているはず。国旗国歌法は、国旗のデザイン(日章旗)を定める第1条と、国歌のメロディと歌詞(君が代)を定める第2条の2か条だけからなる法律。掲揚義務も斉唱義務も、もちろん尊重義務もない。うっかり法案に国旗国歌尊重義務などを盛り込んだら、憲法問題を生じることとなり、反対世論が昂揚して法案は成立しえない、という政府の読みがあったからだ。だから「きちんと守らないといけません」という、守るべき規範がそもそもない。おそらく、舛添さんは国旗国歌法をきちんと読み込んだことがない。
 
「日本国民である限りは、それはきちんと守らないといけません。それがまず大前提で、もちろん公務員はそれを守らないといけない」という発言は、もしかしたら、彼は法を読まずして間違った思い込みをしているのかも知れない。国旗国歌法を根拠として国民には旗と歌の尊重義務があり、公務員には強制可能なのだと。明らかな間違い。誰かが教えてあげなければならない。その機会は、都議会の質疑か、記者会見の席かということになるのだろう。

また、舛添さんの「日本国民である限りは、それはきちんと守らないといけません」という説教調が気になるところ。知事の仕事は、説教を垂れることではない。しかも、憲法遵守義務は、天皇や首相や知事自身に説くべきで、国民に説くべきものではない。さらに、言っていることが、「日本国民である限りは、国旗国歌への敬意表明はきちんと守らないといけません」に聞こえる。しかし、国旗国歌法は、日本国民の誰にも、なんの命令も要望もしていないのだ。

【知事発言】それから、…処分の中身は適当であったかどうかと、これはもう最高裁の判決があるわけですから、その判決に従うと、司法に従うということは、これは三権分立の国として当然あると思います。

【澤藤コメント】間違っていることを言っているわけではないが、行政の長の言として適切さを欠く。三権分立の理念の把握も浅薄だと言わざるを得ない。
知事発言には、権力の発動である行政処分が不当に人権を侵害することのないよう慎重な配慮を要するとの姿勢を感じ取ることができない。処分の謙抑性や慎重さではなく、積極性だけが強調されて、事後的に司法判断において違法とされればその判断に従えばよいだけだ、と言っている。
我が国の司法が、立法や行政に対する違憲審査権を持ちながら、その権限の行使に極めて消極的なことはよく知られた事実である。だから、知事としては、「いやしくも最高裁から、『違法な処分だから取り消す』という不名誉極まる判決を言い渡されることなどなきよう、慎重な配慮が必要」と部下にも都民にもいうべきなのだ。「最高裁からの違法判断の判決があれば、それに従えばよい」などというのは無責任な居直りに過ぎない。

【知事発言】それから、10.23通達含めて、これからどうするかっていうのは、これは少しまた検討課題で時間をいただきたいと思います…。その不起立懲戒処分がどうなんだろうかということについては、…重過ぎるのか低過ぎるのか…これ、もう少し事務方含めて、都教委がどういう判断であるかっていうのを直接やっぱり聞かないとわかりません。その上で、今言ったご質問にもどう対応するかを考えたいと思ってます。

【澤藤コメント】なかなかに期待を抱かせる発言ではないか。その文言のまま受けとって、10・23通達の見直し、少なくも処分濫発の見直しに期待したい。石原教育行政では、また石原後継を称する猪瀬教育行政でも、舛添さんのような率直な見解にはなり得ない。

【知事発言】私は…やはり国旗に対してきちんと敬意を払う、国歌に対してもきちんと起立して歌うということは、私は当然だと思ってますから、それ以外の解釈あるとすれば、まさにその解釈こそ、司法の場に委ねればいいと思ってますけど、ま、そういうふうに思ってます。

【澤藤コメント】おやおや、自由主義者で個人主義の理解者であるはずの舛添さんから、こんな俗論が飛び出すとは思ってもみなかった。東京オリンピックを主宰する立ち場となったから、こんな発言となったのだろうか。「私が、国旗・国歌に対して敬意を払うべし」という意見をもっていることはわかった。問題は、そのことにはない。論理がそこから幾段も飛躍するところにある。「自分だけではなく、すべての国民が国旗国歌に敬意をはらうべきが当然である」。さらに、「国旗国歌に敬意をはらうよう公権力によって強制することも当然」となっているのだ。

憲法とは、究極において国家と個人との関係をどう規律するかの規範である。少なくとも、憲法が最大の関心とするところは、権力の主体としての国家と人権主体としての個人との関係にほかならない。個人を先国家的な存在とし、国家を後個人的な存在とする憲法は、個人の国家観を当然に多様なものと認める。国家の都合で個人の国家観が制約され統制されることはあり得ない。主権者である国民個人の意思で国家がつくられたのだから、当然といえばあまりに当然。

主権者によってつくられた国家が、主権者である国民に対して、自らの象徴である国旗国歌への敬意表明を強制することは、背理であり矛盾であり、倒錯である。そんな出過ぎたことは国家に許容されてはいないのだ。

果敢な記者の質問が明らかにしてくれたことは、舛添さんは、国旗国歌法についても、また自民党の改憲草案の国旗国歌尊重義務条項についても、10・23通達についても、関連訴訟の最高裁判決についても、ほとんどご存じないようであること。是非とも、自由主義者・個人主義者としての舛添さんの本領を発揮して、頑迷固陋な国家主義が固化した石原教育行政の残滓を洗い流していただきたい。

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      滝の氷柱よさようなら、春の凱旋行進曲のお通りだい
今年、にわかの雪国となってしまった関東地方では、慣れない雪と氷に嫌というほど苦しめられた。それでも一昨日あたりから、気温が上昇して一息ついている。春めいたと喜んでいる人もいるけれど、雪を楽しむ余裕のある北国では、気温が上がって美しい景色が台無しになって残念がっている人もいる。青森県西目屋村の「乳穂ケ滝(におがたき)」では25日朝、滝が高さ33メートルの氷柱になって地面に到達した。しかし、午後には暖気でその氷柱は崩落してしまった。同村の観測によると氷柱の命はたった5時間だったそうだ。

岩手県花巻市石鳥谷町の「たろし滝」(13メートル)も一度地面に届いた氷柱が、雨で崩落してしまった(2月11日)。「たろし」は「垂氷(たるひ)」が変化したもので「つらら」の意味。両方の滝は地元の保存会が毎年、氷柱の太さを測って、その年の米の作柄を占っている。毎年氷柱ができるわけではなく、やっとできた氷柱の命も短い。関係者はハラハラしながら見守っている。楽しみなお祭りでもあり、観光行事でもある。ここに限らず、北国の各地には、雪や氷の美しい造形をお国自慢にしているところがたくさんあるに違いない。

しかし季節はめぐり、さしもの冬将軍も春のほほえみの前にはしぶしぶながら退席を覚悟したようだ。例年どおり、伊豆の河津川は濃いピンクの河津桜と黄色い菜の花の花づなで華やかに飾られた。カレル・チャペックは春の喜びを次のように語っている。

「『それ!』というあの神秘な掛け声が鳴りわたったらしい。朝のうちはまだかたい襁褓(むつき)につつまれていた芽が、柔らかい葉先をおしだして、レンギョウのしなやかな枝にきらりと小さな金の星がひかり、梨のふっくりした芽がすこしひらき、何の芽かわからないが、その先にみどりをおびた金色の蕾がかがやいていた。ねばねばした鱗片からは、若々しいみどりが顔を出し、ふとった芽がひらきかかって小さな葉脈と小さなたたみ目のやさしい透かし細工が押し合って出ようとしていた。赤くなってはにかむことはないのだ。たたんだ扇を開くがいい。うぶ毛をはやしてねむっている芽よ、目を覚ませ。スタートの命令がもう出たのだ。楽譜にのらない行進曲の、はなやかなラッパを吹き鳴らすがいい!日をうけて光れ、金色の金管楽器。とどろけ、太鼓。吹け、フリュート。幾百万のヴァイオリンたちよ、おまえたちのしぶき雨をまきちらすがいい。茶色と緑のしずかな庭が凱旋行進曲を始めたのだ」(「園芸家12カ月」カレル・チャペック)

冬の寒さに閉じこもって、今年も壮大な氷雪の美しさをみすみす見逃してしまったけれど、めぐりきた春のさそいなら、うけて立てそうだ。コートを脱ぎ捨てて、お花見に行こう。おっとその前に、NHKの籾井さん、百田さん、長谷川さんおやめなさい。花見の酒がまずくなる。
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      NHKに対する「安倍首相お友だち人事」への抗議を
☆抗議先は以下のとおり
 ※郵便の場合
  〒150-8001(住所記入不要)NHK放送センター ハートプラザ行
 ※電話の場合 0570-066-066(NHKふれあいセンター)
 ※ファクスの場合 03-5453-4000
 ※メールの場合 http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.htmlに送信書式
☆抗議内容の大綱は
 *籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
 *経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
 *百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
 *経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任を勧告せよ。
よろしくお願いします。
(2014年2月28日)

長谷川三千子NHK経営委員の「NHKが回心するまで不払ひをつづけるつもりでをります」の実践に学ぼう

本日の毎日朝刊社会面に思いもかけない記事。正確には、有益で学ぶに値する行為についての記事。長谷川三千子NHK経営委員が、かつてNHKの報道姿勢を不満として、「NHKが回心するまでの不払ひ」を実行していたというのだ。この姿勢を見倣おう。遠慮することはない。「長谷川三千子辞任によってNHKの回心確認までは受信料支払い留保」という運動を巻き起こそうではないか。

長谷川三千子こそ、安倍晋三の分身の一人として、安倍のメディア乗っ取り作戦の尖兵。安倍晋三の首相再任を要望した「民間人有志の会」の代表幹事として名を連ね、現在も安倍応援団を自認している。そして、憲法の個人の尊厳を攻撃し、男女の役割固定に固執し、公共放送の経営陣に最もふさわしからぬ人。右翼による朝日新聞社襲撃に関連して、「彼の行為によって我が国の今上陛下は人間宣言が何と言おうが憲法に何と書かれていようが再び現御神となられた」と宣うて話題となったお人。

これまで、「この人が辞めるまでは受信料支払いを留保を」という検討の対象とされていたその当人が、「NHKの姿勢に不満なら受信料不払いを」、という戦術の実践者だった。その姿勢、その果敢さを、大いに見倣わねばならない。

右翼誌「正論」(05年7月号)に引用された長谷川の手紙は2通あるそうだ。最初のものが、「『クローズアップ現代』 国旗国歌・卒業式で何が起きているのか」の放映に関して、「本当に酷うございましたね。…ちやうど自動振替が切れましたので、NHKが回心するまで不払ひをつづけるつもりでをります」というもの。そして、都教委側がNHKに抗議し、NHK側は「公平、公正な番組内容」と反論すると、これを受けて、長谷川は2通目の手紙で「受信料支払ひはまだまだ先のことになりさうでございます」と不満を示している。

長谷川が問題視した番組が「日の丸・君が代」強制問題だったということ、しかもその報道姿勢が必ずしも強制を是とする立ち場ではなかったということが、大きな問題である。長谷川が経営委員である限り、NHKは国旗国歌問題を同様の姿勢で取りあげることができなくなるであろう。

その番組はビデオで私も観ている。確かに、都教委の言い分をそのまま是とする報道姿勢ではない。客観的な姿勢で、「日の丸・君が代」を強制する側、強制される側の両者に目配りした取材態度だった。ジャーナリズムの在り方としては至極当然のこと。この真っ当さが、長谷川の目には、「本当に酷うございましたね。」となる。やっぱりこの人、経営委員としてはアウトだ。どうしてもNHKに留めておくことはできない。

クローズアップ現代のこの番組放映の前に、東京新聞の世論調査の興味深い結果が出ていた。日の丸・君が代を国旗国歌と認めるという回答は4分の3を超えていた。しかし、国旗国歌を強制することに反対という意見が、ほぼ3分の2に達するものとなっていた。世論の大勢は、「日の丸・君が代を国旗国歌と認めるが、強制はよくない」というものだったろう。今も、大きくは変わらないと思う。

NHKの「『クローズアップ現代』 国旗国歌・卒業式で何が起きているのか」の報道姿勢は、まさしくこのような世論の大勢に則ったものでもあった。これをしも、許せないというのが長谷川の心性。籾井といい、百田といい、そして長谷川といい、どうして、こんなに極端な体制派をよりもよって、不偏不党、公正中立を旨とする公共放送の経営陣に送り込んだのだろう。

不払いの助長は長谷川自身の責任。不払いの戦術は、長谷川にはじめて教えられたという人もあるだろう。世の中には、かつての長谷川のように不払いを試みたいという人が多かろう。声を大にして、深い決意とともに、長谷川を見倣おうと申し上げたい。
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(2014年2月27日)

被告人安倍晋三・12の大罪・7つの被害

2012年12月16日総選挙で、安倍晋三政権が誕生してから1年と2か月。この政権は、従来の保守政権とは明らかに様相を異にする。旧来の保守本流に位置していた人たちからも、その極端な危うさを指摘する声が高い。

いま、安倍政権が、比較的高い支持率で「安泰」なのは、アベノミクス効果と喧伝される経済政策によるものである。しかし、そのメッキも剥がれ始めたとする、説得力のある論説が目につくようになってきた。

アベノミクス崩壊以前に、被告人安倍晋三の大罪を俯瞰しておきたい。一応、「12の大罪・7つの被害」としてみた。別の視点もあるだろうし、見落としもあろう。それでも、安倍政権、いつまでも続けさせておくわけにはいかない。

第1の罪 明文改憲の罪
 明文改憲によって、国防軍創設・天皇元首化・基本的人権の抑え込みをたくらむほか、96条先行改憲論に象徴される立憲主義への飽くなき攻撃こそ最大の罪。

第2の罪 解釈改憲の罪
 集団的自衛権行使容認の強行や武器輸出解禁の姿勢に表れているとおり、改憲手続きを迂回して憲法の理念を実質的に破壊する罪は重い。

第3の罪 特定秘密保護法制定の罪
 国民の知る権利を奪って民主主義の基盤を破壊するだけでなく、立法にも司法にも、秘密保護の枷をはめて三権分立を形骸化する大きな罪だ。

第4の罪 靖国神社参拝の罪
 国家神道否定のための政教分離原則を蹂躙して軍国神社に額ずくことは、戦後の国際秩序への挑戦としても、罪は限りなく深い。
 
第5の罪 教育破壊の罪
 教育基本法改悪の前科に続いての再犯。政治や行政から独立していなければならない教育を、権力の下僕にしてしまおうという執念の教育委員会制度改革の罪。

第6の罪 NHKともだち人事の罪
 自らの分身をNHKに送り込み、公共放送を意のままに乗っ取ろうという、天の許さざる露骨な悪事。

第7の罪 原発再稼動と輸出の罪
 3・11で顕在化した恐怖、利権構造、政策決定過程の密室性は、脱原発の澎湃たる天の声を呼び起こした。再稼動と輸出とは、人類の未来に対する大罪である。

第8の罪 労働法制改悪の罪
 限りなく大企業・財界の思惑を偏重した労働法制は、限りなく労働者の貧困化を招くばかり。不安定雇傭の創出は、日本社会を暗黒化する重罪である。

第9の罪 福祉切り捨ての罪
 すべての人に対する人としての生活の保障こそが、国家と政治の存在理由である。容赦なく福祉を削ることは政治の基本と人倫に背く罪である。

第10の罪 TPP交渉参加の罪
 農業や漁業を潰し、外国企業のために消費者利益も、国民の裁判を受ける権利すらも売り渡そうとする交渉に、公約に反して参加した罪は深い。

第11の罪 消費税増税の罪
 大企業と金持ちに大幅な減税、庶民には大幅増税。税制がもつ富の再分配機能を否定して逆進性顕著な消費増税の強行には怨嗟の声が世に満ちる。

第12の罪 辺野古新基地建設強行の罪
 沖縄県民の立ち場でアメリカと交渉するのではなく、アメリカの立ち場で沖縄に基地を押し付け、新たな基地被害をつくり出す重罪。

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            安倍晋三による国民の7つの被害
※危うくされたものは平和
  近隣諸国を敵視し国民を煽って緊張を高め、それを口実に軍備を増強をたくらむ。安倍政権が続く限り、平和が危うい。

※傷つけられたものは歴史の真実
  侵略戦争と植民地支配に対する反省を欠き、破廉恥な歴史の修正を厭わない。その結果、歴史の真実が傷つけられている。

※奪われたものは民主主義
  特定秘密保護法案の審議過程で明らかになったものは、国民の知る権利にだけでなく、民主主義そのものに対する敵視の姿勢。いま、民主主義が奪われている。

※損なわれたものは国際的信用
  原発の放射線被害は、「コントロール下にあり、ブロックされている」と平気で嘘をついた。靖国神社参拝も歴史修正主義も国際的な信用を損なっている。

※痛めつけられたものは国民の生活
  消費増税・福祉切り捨て・労働者の切り捨ては、国民生活を痛めつけ格差と貧困を拡大している。

※害されるものは国内の産業
TPP交渉で、獲得しようとしているのは工業製品の売り込み先。切り捨てようとしているのが、農漁業と消費者利益。

※断ち切られたものは日本の未来
  「教育再生」の名による教育の破壊は、洋々たる青少年の未来を、戦争の危険と貧困格差そして不安な社会という絶望に変える。

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(2014年2月26日)

会長辞職までNHK受信料支払い凍結論議のお勧め

2月22日(土)に、「緊急集会NHKの危機ー今、何が必要か~籾井会長発言が問いかけるもの」を主催したのは、「放送を語る会」。

同会のホームページには、その成り立ちを次のとおり説明している。
「『放送を語る会』は、視聴者市民、放送研究者、放送労働者の三つの立場の人びとが、放送について語り合い、研究し、発言する場を作ろうという趣旨で、1990年8月に発足した団体です。
 会が生まれたきっかけは、1988年の「天皇報道」でした。この業務に従事した労働者の中から、放送メディアのあり方や、放送現場の状況について批判的に検討しようという動きが生まれ、翌1989年に、NHKで働く放送労働者有志が研究と実践のためのサークルを立ち上げたのが会の始まりです。
 1990年、有志は、視聴者市民、メディア研究者、民放関係者、ジャーナリストに呼びかけて第1回の市民集会を開催しました。この集会以降、『放送を語る会』という名で活動を開始、現在では、さまざまな立場の人びとが放送について考え、研究、発言する視聴者団体の一つとなっています。」

2月22日緊急集会に、主催者側が用意していた運動提起案は、次の3点だった。
 ※ 「籾井会長辞任せよ」の声を緊急にNHKに集約すること
 ※ 短期的な会長辞任・会長罷免要求の統一署名運動
 ※ 長期展望のNHK機構改革(放送法改正)運動と署名活動

「放送を語る会」の集会としては、受信料支払い停止や留保の提案の用意はしていなかった。その始まりが「NHKで働く放送労働者有志が研究と実践のためのサークルとして立ち上げた会」であれば、当然のことだろう。NHK内部の良心的な現場職員と連携し励ますという観点からは、受信料不払いという方針は出てこない。

パネラーの報告では、現場の番組制作スタッフの良心が傷つけられながらも、いかに頑張っているかが語られた。資本の論理や権力の論理とは異なる次元での公共放送を求める立ち場が大きな前提となる。東電や三菱重工に対して不買運動を提起するなどとは、明らかに事情が異なるのだ。

しかし、パネラーの一人である、元NHKディレクターからも、あり得る有効な運動形態として受信料支払いの一時的な凍結が話題に上った。また、会場から、「個人的な受信料支払い拒絶はあり得る。既に実行している人もいる」という発言もあった。籾井が辞めるまでの間の、一時的な受信料支払い凍結や留保という形の運動提起はあり得るのではないだろうか。

スローガンは、「籾井・百田・長谷川の3名に辞任を要求する。その要求が実現するまでは、受信料の支払いを拒否する」ということになろう。これを広く呼び掛ける運動形態は大いに魅力的ではないか。大きなひろがりをもちうるし、現実的な有効性をもった運動として成立しうる。成立しうるとは、世論やNHK現場の支持を得て、この3人を辞めさせる展望を持ち得る、ということ。

仮に運動として取り組むとした場合。辞任要求対象は籾井一人に絞るか、それも百田・長谷川を含む3名にするか。「受信料支払い拒否」の具体的内容は、単に支払いを停止ないしは凍結して辞任の目的達成の時点で未払い分は遡って支払うとするのか。あるいは、その間の分はそもそも請求権がなかったものとして、支払いはしないとするのか。

また、運動としてやるとすれば、NHKは中心メンバーを狙い撃ちに提訴してくるだろう。その応訴の体制も備えておかねばならない。その体制が組めるか。

安倍の「お友だち人事」によるNHK支配とは、安倍が自らの分身を使っての公共放送乗っ取りにほかならない。安倍政権による国家主義的メディア統制を許すのか、有効な抵抗運動をどう作るかのせめぎ合いである。

いたるところでの、籾井らの辞任を求める運動の有効な対抗策の工夫があってしかるべきだ。会長辞任までの受信料拒否も凍結も当然に検討されなければならない。その戦術について、煮詰めた議論とその発表とを歓迎したい。
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よろしくお願いします。
(2014年2月25日)

第五福竜丸ビキニ被曝60周年記念行事にご参加を

1945年8月6日。世界で初めて核爆弾が人の住む街で爆発し、一瞬にして10万余の人を殺した。人類史はこの日を永遠に忘れることができない。この日、人類は、自殺の能力を自らのものとしたことを自覚したのだ。

さらに、1954年3月1日。ヒロシマ型ウラン爆弾の1000倍の破壊力をもつ水素爆弾が南太平洋ビキニ環礁で爆発した。その近くでマグロ漁に従事していた第五福竜丸の乗組員23人が死の灰を浴びて被曝し、そのうちの一人、無線長だった久保山愛吉さんがその半年後の9月23日に亡くなった。この3月1日も、けっして忘れてはならない。人類は何千回も自殺できる。爆発だけでなく、放射能汚染でも滅亡しうるのだ。

その日から、今週の土曜日3月1日でちょうど60年。当時、私は小学4年生だった。第五福竜丸母港の焼津にほど近い清水市内に住んでいた。ガイガー計数管の測定で放射能に汚染された「原爆マグロ」は廃棄された。放射能の雨にあたらぬように注意され、たいへん不安な思いをしたことを憶えている。

我が国の国民的な原水爆禁止運動は、広島・長崎の被爆直後から起こったものではない。ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験によって日本漁船の乗組員が被曝した、この事件をきっかけに始まり、大きく盛りあがった。このときに、核爆発の破壊力への恐怖ばかりではなく、放射線への恐怖が多くの人の意識の底に沈潜した。それが今、反原発運動の原点となっている。

1954年のうちに、東宝が「ゴジラ」をつくって、空前の大当たりとなった。国民の反原水爆感情へのフィットがあったからだろう。また、5年後の1959年には、新藤兼人が『第五福竜丸』という映画をつくっている。久保山愛吉役を宇野重吉が演じて、作品の評価は高かった。

公益財団法人第五福竜丸平和協会は、被曝60周年を迎えるに際して、次のようにメッセージを発している。
「第五福竜丸。皆さんはこの船の名をご存知ですか?
60年前の3月1日、太平洋ビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験で吹き上げられた「死の灰」により、第五福竜丸乗組員やマーシャル諸島の人々が被ばくし、さらに多数の船舶に被害を与え、広範な海洋・大気が放射能で汚染されました。
ビキニ水爆被災事件は、原水爆の脅威と地球規模の環境破壊の危険を明らかにしました。それから60年を迎えるいま、私たちは福島第一原子力発電所事故がもたらした危険にも直面しています。
 ビキニ事件を機に人びとは、広島・長崎の被爆体験にも根ざした原水爆反対の世論と国民的運動を大きく高揚させ、それは世界へとひろがり国際的な潮流となりました。「ラッセル=アインシュタイン宣言」に示された警告にこたえ、戦争も兵器もない世界を作り出す努力がさまざまな形でつづけられてきましたが、人類はいまだに核の脅威から解き放たれてはいません。
 ビキニ水爆被災から60年。この事件が問いかける意義を今日に活かし、核による惨禍とその非人道性・違法性に対する理解をいっそう深め、放射能被害の課題と向き合い、明日への希望につなげることを切に願うものです。
『知らない人には、心から伝えよう。忘れかけている人には、そっと思い起こさせよう』。船を残そうとの呼びかけが多くの人びとを動かしました。それは、核なき未来を希求する合言葉です。私たちの希望がかなうその日まで……第五福竜丸は航海をつづけます。」

私は、同公益財団法人の監事を務めている。皆様に、協会が行う「60年記念プロジェクト」へのご賛同とご協力をお願いしたい。

<3・1ビキニ 第五福竜丸60記念のつどい>
日時:2014年3月1日(土)
   午後2時開演(開場1時30分、終演4時30分)
会場:日本青年館・中ホール
入場料:2000円(学生1000円、中学生以下無料)
■記念コンサート「第五福竜丸の記憶のために」
作曲家・ピアニスト 三宅榛名さん…「第五福竜丸の記憶のために」と題された自作の新曲演奏。
■記念講演会「宇宙的視点から考える-ヒトと地球と空と核」
天文学者 池内了さん…水爆実験による放射線被ばくにピリオドを打つべく人びとは声を上げる。核なき明日への希望を…宇宙的視野から考える。
◇チケットのお申込みは第五福竜丸平和協会まで。
電話03-3521-8494、メールでもOK。
http://d5f.org/kinkyou.htm#1391757264_19682
お誘い合わせて、ご来場ください。

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 ※郵便の場合 〒150-8001(住所記入不要)NHK放送センター ハートプラザ行
 ※電話の場合 0570-066-066(NHKふれあいセンター)
 ※ファクスの場合 03-5453-4000
 ※メールの場合 http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.htmlに送信書式
☆抗議内容の大綱は
 *籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
 *経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
 *百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
 *経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任を勧告せよ。
よろしくお願いします。
(2014年2月24日)

美術館は、クレームを口実に展示作品を撤去してはならない

東京に、いまだ残雪。しかし、季節は確かな「光りの春」。湯島から上野の界隈には、梅やマンサクが咲き、カンザクラまで開いていた。不忍池周辺では柳が芽を吹き、春はもうすぐの風情。

日曜の午後。作品撤去要請問題で話題となった、「現代日本彫刻作家展」を観ようと、東京都美術館に足を運んだ。しかし、展示期間は一昨日(2月21日)で終了していた。残念。

東京新聞の1月19日朝刊報道によれば、事件の顛末は以下のとおり。
『東京都美術館(東京都台東区上野公園)で展示中の造形作品が政治的だとして、美術館側が作家に作品の撤去や手直しを求めていたことが分かった。作家は手直しに応じざるを得ず「表現の自由を侵す行為で、民主主義の危機だ」と強く反発している。
 撤去を求められたのは、神奈川県海老名市の造形作家中垣克久さん(70歳)の作品「時代(とき)の肖像-絶滅危惧種」。…特定秘密保護法の新聞の切り抜きや、「憲法九条を守り、靖国神社参拝の愚を認め、現政権の右傾化を阻止」などと書いた紙を貼り付けた。代表を務める「現代日本彫刻作家連盟」の定期展として15日、都美術館地下のギャラリーに展示した。
 美術館の小室明子副館長が作品撤去を求めたのは翌16日朝。都の運営要綱は「特定の政党・宗教を支持、または反対する場合は使用させないことができる」と定めており、靖国参拝への批判などが該当すると判断したという。中垣さんが自筆の紙を取り外したため、会期が終わる21日までの会場使用は認めたが、観客からの苦情があれば撤去を求める方針という。
 小室副館長は取材に「こういう考えを美術館として認めるのか、とクレームがつくことが心配だった」と話す。定期展は今回で7回目だが、来年以降、内容によっては使用許可を出さないことも検討するという。』

美術や芸術を一面的に定義づけて、政治や宗教と切り離そうとすることに無理がある。政治も宗教も、そして芸術も、人間の存在の根源と深く関わるが故に、相互に分かちがたく結びつき切り離しがたい。作家の個性こそが美術や芸術の本質なのだから、行政が個々の作品について「政治的」「宗教的」とレッテルを貼ることは、それ自体が作家の表現活動への不当な制約となろう。ましてや、それ故に展示を拒否することは、公権力の違法な行使とならざるをえない。

古来、平和を願い戦争を憎む芸術は、明らかに政治的メッセージ性を有するが、同時に人間存在の根源と結びつくものとして、その芸術性を疑うものはない。たとえば「ゲルニカ」や「原爆の図」は、作者の反戦の政治的メッセージと芸術的個性とが融合したものとして受け容れられている。「政治的であるが故に非芸術」などという愚かな批判はない。

現代の日本社会に生きる作家の個性が、時代の危険な空気を敏感に察知して、自分の作品に平和の危機を象徴するメッセージを書き付けることがあっても、事情はまったく同様である。行政が、「政治的であるが故に非芸術」などと言ってはならない。「政治的」というレッテルを張ることこそ、真の意味で「極めて政治的」な行為なのだ。

また、「靖国神社参拝の愚」「憲法九条を守り」「現政権の右傾化を阻止」などのメッセージが、「特定の政党を支持、または反対する場合」に該当する訳がない。

東京新聞の取材のとおり、美術館側の本音は、「クレームがつくことが心配だった」ということにある。これが時代の空気であり、皮肉なことに、作品の撤去を求められた作家の感覚の的確さを裏付けるものとなった。

しかし、行政は、「クレームがつくことが心配だった。だから作品の撤去を求める」と言ってはならない。「クレームがつくことが心配だった。だから万全の配慮で作品を守る措置を講じる」と言わねばならなかった。

教員組合や労働組合が主催する集会に関して、各地の地方公共団体が右翼の襲撃等のおそれがあるとして会場の使用不許可処分を行うことがある。自治体が組合を嫌悪しているわけではない。「クレームがつくことが心配」だというのだ。しかし、最高裁は、これらの処分を原則違法としている。行政には、実力で言論を封じようという右翼の襲撃から集会を防御して、憲法21条の表現の自由を擁護すべき責任があるのだ。

その典型判例が、上尾市福祉会館使用許可事件最高裁判決(1996年3月15日)。最高裁はこう言っている。

「主催者が集会を平穏に行おうとしているのに、その集会の目的や主催者の思想、信条等に反対する者らが、これを実力で阻止し、妨害しようとして紛争を起こすおそれがあることを理由に公の施設の利用を拒むことができるのは、前示のような公の施設の利用関係の性質に照らせば、警察の警備等によってもなお混乱を防止することができないなど特別な事情がある場合に限られるものというべきである。ところが、前記の事実関係によっては、右のような特別な事情があるということはできない。なお、警察の警備等によりその他の施設の利用客に多少の不安が生ずることが会館の管理上支障が生ずるとの事態に当たるものでないことはいうまでもない。」

当該の作品展示に対して、右翼的心情をもつ来館者からクレームがつく「多少の不安」が生ずることは予想されるところ。これが、作品撤去の口実に使われてはならないことは、いうまでもない。是非とも、東京都美術館にも、そのような気概を堅持していただきたい。
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                上野公園花便り
なかなか最高気温が10度に届かない。まだまだ寒い。雪も融けずにあちこちに残っている。

けれども、公園には子どもたちの声がはじけている。日が長くなって、春はもうすぐだ。「不忍池」のまわりのシダレヤナギの木が全体に黄緑色になってけむってきた。枝を手元に引き寄せて、仔細に眺めてみれば、ふしふしに若芽が膨らんでいる。春を運ぶ樹液が枝枝のすみずみまで行き渡るトクトクという音が聞こえるようだ。

紅梅も白梅もちょうどいい五分咲きだ。メジロが花粉にまみれて、枝から枝へと遊び回っている。おや、「上野動物園の入り口」あたりに、桜も咲いている。薄いピンクの五弁のカンザクラだ。

「五条神社」の境内にはフクジュソウの花が太陽のようにキラキラ咲いている。クリスマスローズの花も咲いた。梅もほどよく香っている。「清水寺の舞台」の下にはマンサクの黄色い花も満開だ。クラッカーがはじけたように、細長い花弁が外に向かって飛び出している。春になると「マンズサク」花で、雪国の人が待ち望んでいる気持ちがよく分かる。

「湯島天神」の梅は何だか精彩がない。まだ蕾が多くて五分咲きで、まさに見頃だが、梅の花より人が多い。受験シーズンのかき入れ時。いたるところ合格祈願、合格御礼の絵馬が山のようにぶら下がっている。さすが梅の木にではなく所定の場所に。昔は梅の枝にビッシリとオミクジが結びつけられていたが、今はオミクジは売られていない。あまりの人混みで、梅の香りはしなくて、たこ焼きの臭いが充満している。ここ湯島天神の春は受験の悲喜こもごもの思いと混ざり合ってやってくる。
(2014年2月23日)

籾井勝人NHK会長の辞職を要求する

本日午後「放送を語る会」が主催した「緊急集会NHKの危機 今、何が必要か~籾井会長発言が問いかけるもの」に参加した。立錐の余地のない盛会。最高のパネラー5氏を得て、実に充実した有益な集会だった。もっとも、集会の盛会も、参加者の熱気も、時代の危機感の表れ。喜んでよいのやら。

現状認識ではほぼ共通の危機意識が確認できるが、さて、どう対応するか。やや長期的には公共放送についての制度的な改革の国民運動の提起が必要であり、短期的には籾井会長辞任を求める要請運動が必要。多くの運動や団体を横に連ねた連帯をつくっての署名運動が提起されたが、それ以外でもできることから手を付けようと語られた。また、最も影響の大きな視聴者の対抗手段として、「受信料支払いの留保」の提案について複数の発言者があった。

まずは、直ちに誰にでもできる正攻法の手段として、NHKに意見を寄せよう。NHKの人事や報道姿勢についての意見の申立は、郵便・電話・メール・ファクスの4方法で可能。つぎのURLを開くと、意見申立先の一覧が表示されている。
http://www.nhk.or.jp/css/communication/heartplaza.html

※郵便の場合 〒150-8001(住所記入不要)NHK放送センター ハートプラザ行
※電話の場合 0570-066-066(NHKふれあいセンター)
 あるいは、 050-3786-5000
※ファクスの場合 03-5453-4000
※メールの場合 http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.html に送信書式

これを存分に使って、NHKに、国民の声を届けよう。当面大切な意見の内容は、
  籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
  経営委員会は籾井勝人会長を罷免せよ。
  百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
  経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任を勧告せよ。
という4点でよいのではないか。

私は、本日下記の意見を送信した。メールの書式では「400字まで」とされているので、冒頭部分だけとなった。改めて全文をファクス送信した。長文は郵便かファクスでということになる。
なお、下記の内容は、「放送を語る会」のアピール文モデルに従ったものであることをお断りして、参考にしていただきたい。

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私は、以下の4点を強く要請いたします。
(1) 籾井勝人会長に対して、即時その職を辞任することを求めます。
(2) 経営委員会に対して、籾井勝人会長を罷免することを求めます。
(3) 経営委員である百田尚樹・長谷川三千子両氏に対して、即時その職を辞任することを求めます。
(4) 経営委員会にたいして、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任勧告することを求めます。

その理由は以下のとおりです。
安倍晋三政権が、日本国憲法を強く嫌悪する立ち場から、軍事・外交・教育などの諸分野で、これまでの保守政権とは明らかに異なる国家主義的な統制色を露わにしていることを憂慮せざるをえません。その安倍政権が、マスメディアの国家主義的統制に乗り出したと考えざるを得ないできごとが、昨年の特定秘密保護法の制定であり、そしてNHK経営陣に対する「お友だち人事」にほかなりません。

安倍政権の露骨な「お友だち人事」の中で、その不適切さにおいて際立っているのが、籾井勝人氏の会長人事と、百田尚樹・長谷川三千子両氏の経営委員人事です。この3名については、不適切人事であることが明確である以上、速やかに職を辞していただくよう、強く要請いたします。

大きく話題となったとおり、籾井勝人NHK新会長は、1月25日の就任記者会見で、「従軍慰安婦は戦争地域にはどこにでもあった」「韓国は日本だけが強制連行したみたいなことを言うからややこしい」など、問題発言を繰り返しました。その見識の不足に、呆れはてるとともに、怒りを感じないではいられません。
この籾井発言は、放送に不偏不党を保障するとした放送法の精神に違反しています。籾井氏の日本軍『慰安婦』に関する発言は、「狭義の強制はなかった」として、河野談話の見直しを目指す安倍政権の主張と軌を一にしています。安倍首相が賛同者だった米国での意見広告は、日本軍「慰安婦」は公娼制度のもとで行われたもの、と主張しましたが、籾井発言はこの主張とも重なります。籾井氏の会長就任は、安倍政権の意を受けての人事と考えざるをえません。

また、同じ会見で、籾井氏は、「政府が右と言うことを左と言うわけにいかない」「(NHKの姿勢が)日本政府とかけ離れたものであってはならない」とも述ぺています。しかし、NHKは、国営報道機関でも、国策報道機関でもありません。政府から自立した公共放送機関として、本来「政府がなんと言おうと影響を受けることなく、NHKは真実を語る」と言わなければならないはずではありませんか。

さらに、同会見では、「現場の制作報道で会長の意見と食い違う意見が出た場合、どう対応するか」という質問を受けて、籾井氏は「最終的に会長が決めるわけですから、私の了解を取ってもらわなくては困る」と回答しています。結局は、安倍政権の考え方を代弁する人物が、その姿勢でNHKの番組を統制することを公言したのです。本来あるべき、NHKの自主自立・不偏不党のあり方を突き崩す恐るべき事態というほかはありません。このような会長の姿勢は、多様な思想信条に基づく番組制作を抑圧し、現場を委縮させその活力を奪う危険を持っています。

あまりにも不見識な発言をした人物が、NHKのトップにとどまることは、NHKで働く人ぴとによって積み重ねられた視聴者の信頼を掘り崩すものとならざるを得ません。一刻も早い、自主的な辞任を求めます。

不適切極まりない会長を任命したことについては、経営委員会の責任も問われることが当然です。会長への注意だけで済まそうとする経営委員会の姿勢には、とうてい納得できません。

放送法第55条では、経営委員会において、「会長がその職務の執行の任に堪えないと認めるとき」、または「会長たるに適しない非行があると認めるとき」には、罷免することができると規定しています。もし籾井氏が自ら辞任しないときは、この規定にしたがって、経営委員会は会長を罷免すべきだと考え、このことを強く要請いたします。

百田尚樹氏は、先の都知事選挙で、自衛隊出身の田母神俊雄氏を応援し、『南京虐殺はなかった』などと演説しました。また田母神候補以外の候補を『人間のクズ』などと攻撃しました。氏の発言は、過去の戦争でアジア諸国に多大な犠牲と痛苦を与えた、とする大多数の日本人の認識と異なり、アジア諸国の強い反発を招くものです。すでに、在日米国大使館は百田氏の一連の発言を『非常識』だとして、NHKの取材に難色を示したと伝えられています。百田氏が経営委員にとどまることで、NHKの内外での業務に支障が出る恐れがあることは重大です。

長谷川三千子氏は、朝日新聞本社でピストル自殺した右翼運動家をたたえる追悼文を書いたことが明らかになりました。この姿勢は異様と言わざるを得ません。氏は、天皇が統治する「国体」を称揚し、主権在民を定めた現行憲法を攻撃することでも知られています。1月22日、参議院内で開かれた集会で、「私は安倍首相の応援団」と公言しました。

こうした二人の経営委員の言動は、放送に不偏不党を保障し、放送による表現の自由を確保する、という放送法の精神に抵触し、国民のNHKに対する信頼を損なう行為です。両氏が経営委員であること自体が、放送の不偏不党にとって脅威となるものです。

このことは、経営委員にも思想信条の自由があるかどうか、という問題ではありません。経営委員はNHKの役員であり、その地位にある間は、定められた規範に従わねばなりません。放送法に基く、「経営委員会委員の服務に関する準則」は、「委員は、放送が公正、不偏不党な立場に立って国民文化の向上と健全な民主主義の発達に資するとともに、国民に最大の効用と福祉とをもたらすべき使命を負うものであることを自覚し、誠実にその職責を果たさなければならない」としています。両氏はこの服務準則に明らかに違反しています。

また、経営委員は「公共の福祉に関し公正な判断をすることができ、広い経験と知識を有する者」から選ぶとする放送法の規定から言っても、適格な人物とは言えないことは明らかです。

以上の理由から、百田尚樹氏、長谷川三千子の両氏は自ら、その職を辞するべきですし、仮にその意向がなければ、NHK経営委員会において両氏に辞任を勧告するよう強く要請いたします。

(2014年2月22日)

新知事の就任で都教委は変わるだろうか

悪名高い都教委の10・23通達。その通達に基づいた、教員への「日の丸・君が代」強制はまだ終わりを見ない。既に処分件数は457件だが、まだまだ続きそう。そして、この強権行政に対する闘いも終わらない。

本日は、東京都人事委員会での口頭公開審理。2010年~12年に処分されて人事委員会に審査請求している教員のうち8人が意見陳述を行った。それぞれが極めて個性豊かに、「日の丸・君が代」の強制に服することができない理由を語った。教育者としての信念や真摯さが、痛いほどに伝わってくる。とりわけ、障がい児教育、定時制あるいは「荒れた」生徒に向かいあう教師たちの陳述が胸を打つ。

また、異口同音に語られたのは、10・23通達後10年の教育の荒廃である。校長も教員も、教育を語らなくなった。ただただ、上命下服の行政だけが語られている。卒業式の主人公は生徒ではなくなった。その座は「日の丸・君が代」が象徴する国家に取って代わられている。都教委の監視下に、管理職はなによりも「日の丸・君が代」強制の貫徹を最重要の課題としている。不服従の教員には、徹底した嫌がらせが行われる。「もはや都教委が行政としての正常な感覚を失い、民間でいうところの『ブラック企業』に身を落としている」とまで言われた。

そして幾人もが、改憲と教育破壊を志向する、安倍政権の動向を憂れえた。「再び教え子を戦争に送ってはならない。それが自分の教員としての出発点だった。今こそ、初心に返って、子どもの将来を守るために、この危険な動向と対峙しなければならない」と決意が語られた。みんなが、他の人では語れない自分の言葉で語った。

さらに、教育行政による教育への露骨な支配・介入が語られた。ある教員の陳述書には、「話し合おうとしない人たちへ」というタイトルが付されていた。「話し合おうとしない人たち」とは東京都教育委員のことである。「話し合うということは、とりわけ教育の世界では大切なこと。話し合うことのできる人間を育てることが教育のおおきな目標と言ってもよい。話し合うことが、争い解決の唯一の手段なのですから」という立ち場からの問題提起。

「学校では、たとえ生徒の稚拙な論理であってもじっと耳を傾け、一緒に考え、理解しあう努力をしなければなりません。一方的な強制は、生徒の人間としての成長には良い影響をもたらしません。かつての教育現場は、卒業式に限らず学校行事の企画・運営については教職員の間で実にさまざまな意見が出され、充実した話し合いがなされてきました」

「ところが、10・23通達以来の10年間、学校現場では、職員会議での賛否を問うことすら禁止され、ひたすら上意下達の徹底が図られ、話し合うということが無くなりました。話し合いに代わるものが、教育の世界にあるまじき問答無用の命令と服従なのです」

「10・23通達とは、現場での話し合いを拒否して、問答無用で行政が教育に介入しようというもの。まさしく教育基本法のいう「不当な支配」そのものです。教育に携わる者が権力に支配されてはならない。権力をもつ者が直接的に教育を支配することの危険性は、歴史からいやというほど学んだではありませんか」

「正しいことでも間達った内容でも、権力が教育に介入することは絶対に避けなければならないことです。まして、10・23通達のように、独断にもとづき、話し合いすら否定するものは、現代の社会においては認めてはなりません」

また、石原慎太郎やその後継をもって任じた猪瀬直樹の罪の深さに触れつつ、こんな陳述もなされた。

「新しい都知事を迎えて、教育委員会は今までどおりの教育行政を惰性的に継続するのでしょうか。人事委員会は私たちへの処分をこのまま認めるのでしょうか。誤りを糺すよい機会ではありませんか」

舛添要一新都知事についての教育現場からの評価は、まだ定まっていない。少なくも、石原のような極右ではなさそうだ。猪瀬のように石原都政に縛られる立ち場でもない。教育の自由や、教育行政の謙抑性や、公権力がイデオロギーを持ってはならない、という常識くらいは弁えていよう。市民的な思想・良心の自由尊重の姿勢も、石原・安倍よりは、ずっとマシなのではないか。もしかしたら、「ブラック官庁・都教委」の変身のチャンスなのかも知れない。

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           ラン(藍)藻が作るバイオプラスチック
プラスチックを作る藻があるなんて、植物好きには見逃せない。2月20日の毎日は、理化学研究所(理研)が、ラン藻の遺伝子を改変して、従来の10倍も効率のよいバイオマスプラスチック生産に成功したと報じた。

「ラン藻」とは植物ではないらしい。藍色っぽい緑色をしたバクテリアで、植物のように、葉緑体が光と二酸化炭素から酸素を発生して光合成を行う。もとは植物の藻類に分類されていたので、名前に藻がつく。単細胞生物は植物であるか動物であるかの区別が難しい。

日本では1960年代頃からプラスチック製品が日用品として使われるようになり、今では身近にあふれかえっている。塩ビ製の雨樋、水道管、ペットボトル、ポリエチレン製の袋、家電製品やコンピューターの外枠など。大変便利なものだが、大きな問題を抱えてもいる。これらプラスチック製品は有限な石油から作られる。また、腐敗しないので廃棄が難しい。

そこで追及されたのが、石油ではなく生物から合成される「バイオマスプラスチック」や自然に分解される「生分解性プラスチック」だ。ところが、強度や耐熱、耐久性が低い。加工が難しい。原料(生ゴミ、稲わら、海藻、サトウキビ、トウモロコシなど)が高価だ。ポリマー化が難しい。これらが原因となって、石油からできるプラスチックに較べると価格が3~5倍になり、太刀打ちができない。

そこに登場したのが、バイオマスプラスチックの原料となるポリヒドロキシ酪酸(PHB)である。「ラン藻」が光とCO²を使ってPHBを光合成してくれる。そうなればCO²が削減できる。自然に腐って水と有機物になるので、廃棄物処理も容易である。ダイオキシンの発生もない。頭の痛い地球規模の環境問題の一端が解決できる。

今回の理研の発表によれば、この「ラン藻」培養には、栄養もわずかの酢酸だけでよく、「『ラン藻』の乾燥重量の14パーセントに相当する量のプラスチックを合成した」(2月20日毎日)という。今話題のSTAP細胞にも酢が使われている。理研の研究成果には酢が付きもののようだ。

小さな記事だが、ワクワクする報道ではないか。この際、日本は原発につぎ込む助成金などやめて、国を挙げて「ラン藻」研究をしてみてはどうだろう。サステナビリティは「ラン藻」から。原発に代えて、ラン藻プラスチックとその技術を世界中へ輸出すのだ。そうすれば、「自国の繁栄のために地球を破滅に導いた国」との汚名から逃れることができる。いやむしろ、「破滅から地球を救った国」として人類史に名を残せる…かも知れない。
(2014年2月21日)

多喜二虐殺から81年

今日、2月20日は小林多喜二の命日。命日という言葉は穏やかに過ぎる。天皇制の手先である思想警察によって虐殺された日である。1933年の今日、多喜二は、スパイの手引きで特高警察に街頭で格闘の末に身体を拘束され、拉致された築地警察署内で、その日のうちに拷問によって虐殺された。

スパイの名は三船留吉。多喜二殺害の責任者は特高警察部長安倍源基。その手を虐殺の血で染めたのは、特高課長毛利基、特高係長中川成夫、警部山県為三らである。多喜二は満29歳と4か月であった。

以下は赤旗の記事『戦前でも、拷問は禁止されており、虐殺に関与した特高警察官は殺人罪により「死刑又は無期懲役」で罰せられて当然でした。しかし、警察も検察も報道もグルになってこれを隠し、逆に、天皇は、虐殺の主犯格である安倍警視庁特高部長、配下で直接の下手人である毛利特高課長、中川、山県両警部らに叙勲を与え、新聞は「赤禍撲滅の勇士へ叙勲・賜杯の御沙汰」と報じたのです。1976年1月30日に不破書記局長(当時)が国会で追及しましたが、拷問の事実を認めず、「答弁いたしたくない」(稲葉法相)と答弁しており、これはいまの政府に引き継がれています。』

共産党員であること自体を犯罪としたのは、悪名高い治安維持法である。治安維持法が、どのように思想弾圧に猛威を振るったか。以下は、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の対政府請願要旨の抜粋である。

『戦前、天皇制政治の下で主権在民を唱え、侵略戦争に反対したために、治安維持法で弾圧され、多くの国民が犠牲を被った。治安維持法が制定された1925年から廃止されるまでの20年間に、逮捕者数十万人、送検された人7万5681人、虐殺された人90人、拷問、虐待などによる獄死1600人余、実刑5162人に上っている。戦後、治安維持法は、日本がポツダム宣言を受諾したことにより、政治的自由の弾圧と人道に反する悪法として廃止されたが、その犠牲者に対して政府は謝罪も賠償もしていない。ドイツでは連邦補償法で、ナチスの犠牲者に謝罪し賠償している。イタリアでも、国家賠償法で反ファシスト政治犯に終身年金を支給している。アメリカやカナダでも、第二次世界大戦中、強制収容した日系市民に対し、1988年に市民的自由法を制定し約2万ドルないし2万1000ドルを支払い、大統領や政府が謝罪している。韓国では、治安維持法犠牲者を愛国者として表彰し、犠牲者に年金を支給している。』

よく知られているとおり、1925年治安維持法第1条は、「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」というもの。

天皇制打倒、資本主義否定という「悪い思想」で結社をつくってはならないという弾圧法規。これが後に「改正」されて、最高刑は死刑となる。のみならず、「結社の目的遂行の為にする行為」までが処罰されるようになって猛威を振るった。党の活動に少しでも協力すれば犯罪とされ、共産党員に少しでも関わればしょっぴかれるという、現実的な危険が生じたのだ。共産党員と親しいと思われることは恐いこと。触らぬ神に祟りなし。共産党には近づかないに限る。こういう庶民の「知恵」が、「お上に逆らう共産党は恐い」と固まっていく。宗教者や自由主義者も、そして反戦の思想も、民主主義も弾圧の対象とされた。多喜二虐殺はその象徴。

昨年の秋、築地署を見てきた。その裏門近くには、多喜二の死亡診断書を書いた前田医院が残っていた。そして、今日は「多喜二祭」に足を運んだ。メインの講演は、ノーマ・フィールドさん。多喜二の活動から、今の世を照射して、オプティミズムを語ろうというお話だったが、全体の骨格が良く見えてこなかった。

今、多喜二と治安維持法を語るには、自民党改憲草案に触れざるをえない。

自民党案は、表現の自由を保障した、21条「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。」に次の第2項を付け加えようという。
「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。」
これは、恐るべき暴挙だ。「公益及び公の秩序」に何を盛り込むか次第で、現代に治安維持法をよみがえらせることが可能となる。

さらに、拷問の禁止に触れた現行の第36条は「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」となっている。自民党改憲草案は、この「絶対に」の3文字を取ってしまおうというのだ。

36条を起案した人の脳裏には、多喜二虐殺のことがあったに違いない。「絶対に」の3文字に力が込められている。自民党案は、今わざわざ、「絶対に」を抜いてしまおうというのだ。多喜二の命日に、虐殺された多喜二に代わって叫ぼう。そんなことは許さない。絶対に。
(2014年2月20日)

頑張れ 清水勉さん

昨年暮れの特定秘密保護法案審議の最終盤では、「こんなにも広範囲の秘密・秘密では、国民の目の届かないところで行政が暴走しかねないではないか」という批判が巻き起こった。この批判をかわすために、安倍政権は「チェック機関創設の大盤振る舞い」をした。まずは、「保全監視委員会」「独立公文書管理監」「情報保全観察室」(いずれも仮称)なるものだったが、さっぱり何をするのか分からない。しかも、そのいずれもが行政内部の機関であって、ムジナにタヌキの監視をさせるようなもの。その評判の悪さに、安倍が最後の切り札として「第三者機関をつくる」と言いだしたのが、参院での採決強行の前日、12月5日。こうして、行政の外の第三者機関としての「情報保全諮問会議」が発足した。

出自からしてまことに怪しい組織。国民的に盛りあがった秘密法批判をかわすための「イチジクの葉」であることは歴然。成立した特定秘密保護法に、民主的な化粧のひとはけを施す茶番劇の小劇場という趣である。

諮問会議は、法の適正な運用のため内閣総理大臣に対し意見を述べることが役割で、会議のメンバーは下記の7名。
  宇賀克也・東京大学大学院教授
  塩入みほも・駒澤大学准教授
  清水勉・日本弁護士連合会情報問題対策委員
  住田裕子・弁護士
  (主査)永野秀雄・法政大学教授
  南場智子・株式会社ディー・エヌ・エー取締役
  (座長)渡辺恒雄・読売新聞
渡辺恒雄が座長なのだから、この会議がどう動くことになるかは推して知るべし。

ただ、日弁連から清水勉弁護士が加わっているのが目を引く。彼は、特定秘密保護法の成立に最も鋭く反対した一人。それでも敢えて、この茶番に付き合おうという。私は、その意気を買いたいと思う。

特定秘密保護法は、「運用宜しきを得る」ことでなんとかなるしろものではあるまい。細部の修正ではなく、法の廃止を求めるのが筋だ。おそらく彼もそう思っているだろう。それでもなお、内部から批判を貫こうとしている。

会議参加への批判は、二つのレベルで考えられる。まずは、どうせ密室での個人の発言が会議の進行や政策に影響を与えることになろうはずはない。だから、発言しても無駄。また、仮に発言が外部に公開されたとしても、どうせ徹底批判意見は7分の1でしかない。結局は諮問会議全体の意見は翼賛的な見解にまとめられてしまうだろう。その結果、実質的には日弁連代表も加わって、特定秘密保護法の運用が定着した、という安倍政権の形づくりの思惑に手を貸すだけではないか。

その批判を意識して、本日の毎日「そこが聞きたい」欄で、清水さんが記者の質問に答えている。
−−諮問会議は「会議として」首相に意見を述べることになっています。反対派が1人では、多数派に取り込まれるだけではありませんか。
「そうはならないでしょう。秘密保護法18条には『首相は(秘密指定などの)基準を定めるときは、識見を有する者の意見を聴いたうえで案を作成する』とあります。『識見を有する者』という個人の立場で意見を言えるから参加しました。問題意識や専門性の高い人が、情報の適正管理という観点から公的な場で言った意見を踏まえ、法律が運用されていくのが正しい筋道だと思います。」
「この7人で何か具体的な議論をして決めるとは思いません。自分の分かっていること、見えていることに問題意識を持って発言することが一人一人に求められています。」

−−反対派である自身の役割は。
「賛成、反対ではなく、経過をなるべく公表公開する必要があると思っています。議事録には発言者の氏名を入れることになりました。意味のある発言を公的な場で記録することが重要です。後からでも意見が生きればよいと思います。基準案作りに向け、資料をなるべく多く見せてもらい、考え抜いて意見をまとめたいと思っています。」

つまり、7人の見解をまとめた合意形成は予定されていない。しかも、密室の会議ではない。発言内容は、国民に届くはず。という彼の読みなのだ。外は外で、法の廃止を求めた運動をつくっていけばよい。彼は彼で、諮問会議の中で頑張ろうというのだ。もちろん、会議の中で「法の廃止」などと言えるわけはない。法の実施を前提としたものになるのは当然として、どのような法の運用になるかの幅は極めて大きい。大いに期待したい。

ところで、せっかく作成された議事録。是非目を通してみよう。
まずは、官邸のホームページで、第1回会議の議事次第、配布資料と議事要旨が入手できる。URLは、以下のとおり。
http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/jyouhouhozen/index.html

ところが、議事録はホームページ掲載とはならない。第1回会議(本年1月17日)の議事録は、メディア各社が情報公開請求をしていたがなかなか開示されず、これが批判の対象となっていた。ようやく、2月12日に公開があって各社が入手したようだ。1時間余の会議の記録で全文14頁。さっそく読みたいと思ったが、どのメディアも全文掲載をしていない。探したら、福島瑞穂議員のホームページで読める。そのURLは、以下のとおり。
http://satta158.web.fc2.com/docs/140212-minutes-of-security-law-council.pdf

安倍晋三が、2度にわたってかなり長い発言をしている。また、渡辺座長の、自分の立ち場をよく心得たという発言もある。そして、清水弁護士はブレない発言を貫いているという印象。私は、彼を応援する。

そしてなにより大切なのは、第2回以後も、情報保全諮問会議議事録の公開を堅持させることだ。この点は、みんなで声を揃えよう。
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                 接ぎ木ロボット
実の成る野菜を作るには、今は「接ぎ木苗」を使う。種をまいて、立派な実物(みもの)を収穫するのはなかなか難しい。素人の家庭菜園だけでなく栽培農家も「接ぎ木苗」を植える時代らしい。そうでなければ栽培農家でも、八百屋さんに並んでいるような、大きくて色つやがよく、味のよい商品価値のある実物は作れない。その結果、「接ぎ木苗」は主要5品種(キュウリ、スイカ、メロン、ナス、トマト)で年間6億本も生産されている。

いったい「接ぎ木苗」とは何か。味や収量、見栄えを求めて、野菜は続々と品種改良されている。しかし、この優良品種は概して病害に弱い。味がよくて、そのうえ病気に強いものが求められる。その難問を解決するのが「接ぎ木苗」なのだ。

植物は昔から、挿し木や接ぎ木で殖やされてきた。土壌病害に強い根っこをもった「台木」に、弱いけれどおいしい実の成る「穂木」を接ぎ木したらと試行錯誤された。芽生えて間もない苗を使って、適切にカットした両者を接着しておけば、2週間もしないうちにカット面が活着して1本の苗になる。

スイカの台木にはカンピョウ(ユウガオ)を使う。キュウリやメロンにはカボチャを、ナスにはアカナスが台木となる。味のよいトマトには根の強いトマトが台木として使われる。

素人はカボチャ味のキュウリやメロンができはしないかと心配になるが、そんなことはない。しかし、「ナスの木にトマトのような赤い実が成った」「キュウリやスイカを作ったらカボチャが成った」ということは間々あるという。穂木が衰えて、勢いの強い台木のほうが育って実を結んだのだ。

以前各農家は、自分の畑に植える「接ぎ木苗」を自分で作っていた。しかしこのごろは、お好みのものを農協やホームセンターで手に入れる。家庭菜園の主も少々高価だがワクワクしながら、珍しい品種にチャレンジする。たいてい八百屋で入手した方が安上がりな結果になるけれど、愚かにも、園芸店に苗が並ぶと今年こそはと苗に手が伸びてしまう。

日経の記事(2014/02/13)によると、この膨大な6億本にものぼる「接ぎ木苗」を作っているのは、実はロボットなのだ。1本の腕がトレイに並べられた「実生苗①」の上部をカットして捨てる。もう1本の腕は別のトレイに並べられた別の品種の「実生苗②」をカットして、カットした上の部分を根のついた「実生苗①」のところへもっていき、パイプでとめる。人間は「実生苗①」と「実生苗②」を間違えないようにセットするだけでいい。もし人間がそのセットを間違えると、キュウリが成らずにカボチャが成ることになる。

人間なら1時間あたり200本のところを、ロボットは1000本の苗を作る。今までこの種苗会社は、苗生産の時期(2~5月)には200人の臨時パートを時給900円で雇っていた。このロボット購入に1億円かかったが、今まで行っていた人間の採用、教育、労務管理が大幅に省けるので充分ペイすると社長は満足げに語っている。

仕事のなくなったパートさんがロボットを作る仕事に就けるなら、まだいい。しかし、このロボットを作る会社はオランダの企業だという。こうして大量生産された「接ぎ木苗」に成るキュウリは誰が買うことになるのだろう。収入のなくなったパートさんには買えない。コスト削減のための接ぎ木ロボットは、人を幸せにするだろうか。住みやすい社会をつくるだろうか。結局は貧富の差を産み出すだけになってしまわないか。かつてのラッダイト運動とおなじように、ロボットを壊したくなる人がきっと出てくるに違いない。
(2014年2月19日)

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